『桜の匂い・女子編』の内容紹介
『桜の匂い・女子編』の内容紹介
私は桜の匂いの中で彼と出逢い、私は彼を知り、私は彼を好きになる。
桜の風の中で小学6年生の『私』は『あいつ』に声を掛けられた。
中学2年生の『私』に送り主不明のメールの主は『あいつ』で、拒みたかったけれど後先面倒だからとメル友にしてしまった。
偶然と思われた『あいつ』との出来事は、『あいつ』が偶然を必然にしていた。
不慮から守ってくれた『あいつ』を『私』は『彼』と意識するようになったが、『私』の我が儘は不甲斐無い『彼』を拒絶していた。
拒み続けた『彼』を揺れる気持ちを認めない二十歳の『私』が、奇跡の様に時と場所を交差させて行く『桜の匂い 女子編』。
言葉、それは人と人がコミュニケートする為に欠かせないモノで、声に出して言ったり、文字で書いて現したりする、感情や意志などの意味が有る表現です。
声にする言葉と文字で伝える文や文章には、言葉にしない、言葉にできない、想いの絡みや経緯が有ると思います。
反射的に放つ言葉にも、どんなに短時間で受け応えする言葉と文や文章にも、それは必ず有るでしょう。
相手と同じ言葉や文字を交わしても、言葉や文字にしていない気持ちや様々な絡みまで同じとは限らないと考えます。そして、同じ想いに至っても同じ言葉や文字になるとは限りません。
人は人をどれくらい理解できるのでしょう?
例えば、同じ価値観を持つと主張する、とても愛し合っている二人が、空を紅く染めて水平線の向こうへ沈んで行く夕陽を見て、「綺麗!」と言って感動しても、それは同じ綺麗や感動なのでしょうか?
同じ夕焼けを見て、同じ感動をして、同じ言葉を交わしても、其処に至る感傷や、馳せる想いや、感動の深さや、持続する長さは、全く同じではないでしょう。
価値観は流動的で、其の流れは速くて常に深く浅く変化しています。
小説『桜の匂い』は、同じ事象の当事者である『僕』と『私』が、見たり、聞いたり、感じたり、思ったり、言ったりした感情や意志や想いを互いの位置で綴った作品です。
文章の物語が終わった其の後も、『僕』と『私』が幸せの奇蹟を起こし続けて行く物語であれば良いと願っています。