遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

初恋への手紙 The memory of first love

 

 突然、手紙を書くことを許して欲しい。あなたが僕の知っている女性だと信じて書いています。間違っていたのなら、ごめんなさい。

      *

 もう随分と久し振りだね。今、僕は中国広東省深圳市塘厦鎮の寮社屋の部屋で、この手紙を書いています。台湾企業の日本支社に在籍して、現在は中国の工場に単身赴任しています。仕事はあの頃と同じ金型だけど、かなり前にプラモデルメーカーからコネクター製造へ移りました。

 僕が勤める工廠エリアに三万人ぐらい働いていて、主に携帯電話用コネクターを製造しています。工場に日本人は僕一人だけで、成形金型開発の技術顧問をしています。

 仕事は多く、結果と実績を出す必要が有りますが、時間的に割り切って働いています。プライベートは、ゆっくりと楽しんでいます。単身赴任は、……もう出稼ぎかな、長いです。大阪や京都の会社にも勤めていましたし……、今、在籍している日本支社は新横浜に在ります。中国の工場へ赴任する前は都筑区の池辺町に部屋を借りていました。

      *

 僕のこと、憶えていますか。

      *

 桜木町や小立野を歩くと、君を思い出す時が有ります。

 それは弱々しくも恥ずかしさに切なくて、戻らない時間に胸が熱く苦しくなります。でも、とても愛おしく、そして懐かしく感じます。

      *

 最後に別れた相模大野の駅は全く新しくなって、あのカツ丼を食べて別れた店が、どの辺りかも見当がつきません。相模原、西大沼の黒土のイチジク畑や君が出てきた寮舎辺りも、さっぱり分かりませんでした。あの日、帰りに迷い込んだ雑木林は整備されて明るくなりましたが、ずいぶんと小さくなっていました。

 横浜港の青空が抜けるように綺麗で、潮風の香りが一杯だった埠頭もはっきりと分かりませんでしたが、たぶん、以前の大桟橋だったのじゃないかなと思っています。

 君はすっかり忘れているだろうな。

『今さら……、憶えているほうが可笑しいよ』と、君は言うだろうか。

      *

 偶然でした。君は気付いていないかも知れないけれど、二度、君を見た事が有ります。二度とも見たのは金沢でした。

 一度目は、児童会館前の広場です。二人のお子さんと旦那さんがいっしょで、かなり遠くに見掛けました。僕も家族といっしょで、プラネタリウムから表へ出た時に遠くても君だと感じました。君との最後の別れ方を思うと、とても近寄って挨拶する気持ちにはなりませんでした。もう、かなり前のことです。

 二度目に見掛けてからも、だいぶ経っています。場所は国道八号線沿いに在る食糧品店のマルシンだったと思います。妻と買い物をしていたら君が入店して来ました。直ぐに君だと分かりましたが、顔を合わす事ができませんでした。それでも、せめて挨拶ぐらいはと思い君を探しましたが、既に君は店の中の何処にもいませんでした。

      *

 中学二年生から君にはっきりとフラれるまで、……君には何度もフラれたよね……。あの頃の僕は、とても君が好きでした。

 初めて女の子を意識して好きになったのは、君と同じクラスになった小学三年生の時です。

 次に中学二年生でクラスが同じになった日、

(あっ、やっぱり僕は、この子が好きだったんだ)と、抱いていた恋心を自覚して胸のときめきに息が苦しくなったのを、はっきりと覚えています。

 僕の想いに君が答えて欲しくて、いろいろと大変迷惑を掛けました。それは今、考えると君には凄く負担だったと思います。だけど、僕の遣る瀬無い気持ちは、いつも君を見て、君だけを意識していたいと想っていました。

 高校で弓道を始めたのも、君に僕を意識して貰いたかったからです。

      *

 高校の三年間は毎朝の通学で、君が乗るバスに合わせるのに必死だっけ。バスの中で君を見付けると、できるだけ君の近くに立ちます。僕は君を不慮の事態から守り通す覚悟でいました。そんな近くにいても僕は、たった、ひらがな四文字の『おはよう』の一つも君に挨拶ができません。

 君とは文通を中学二年生からしていたのに、認めた文字に込めた気持ちは、何も言葉に…… 声にならなくて、たいした根拠も無いのに、君の口から冷めた辛い言葉を聞くかも知れないと想像するだけで、君が間近にいても、話し掛ける事ができませんでした。いつも君にどう思われているかと気にして明るい態度も取れずに話せない僕を、君は変な奴だと思っていただろうな。

      *

 高校卒業後、でかいオートバイに乗って相模原の大学で学ぶ君に会いに行き、タンデムで横浜の港へ向かった時も同じでした。君に何を言って、二人で何処へ行って、君と何をするのか、全く何も考えていなくて、分かってもいませんでした。

『海へ行こう、東京湾、太平洋だ。まだ行ってないだろう』と、知ったかぶりな事を言って、まだ肌寒い春の曇り空の下、無理矢理に同意させた君を乗せて、自分も知らないのに適当に走り着いた先が横浜港の埠頭だっただけです。途中で道に迷い、

『潮の匂いがする。こっちだ!』と、地図も見ないで好い加減に方向を定めた僕へ、

『臭う? ふふっ、犬みたい』と、君に言われたのが、なぜか褒められたみたいで嬉しかったです。

 ただ僕の君に会いたい気持ちだけが先走り、君の意思を一つも考えていませんでした。僕は社会へ出ても何一つ成長していなくて、君のことも、君の気持も……、君を全然知ろうとしていませんでした。いや、知ろうと努力してもオフでの会話を全くできていない僕は、君について分からない事ばかりでした。五年も文通して何度も想いを伝えフラれ続けていても、君の思考や性格を全然理解できていなかったのです。

 さぞ君は、僕をウザくてキモい奴だと思っていた事でしょう。

      *

 高校二年生の夏、突然に中枢神経の病気になりました。多くの検査でも神経の障害部位を特定できなくて原因は分かりません。小児麻痺だと言う人もいましたがウイルスは確認されず、筋肉が弛緩しないで緊張しますから違うと思っています。

 左足の膝下が自分の思う通りに動かなくなり、日毎に症状は変化して行きます。足先が内側にムズムズ動くのが始まりでした。次に足指が自由に動かせなくなって、爪先は上がらなくなりました。五本の指の全てに握ったままの力が入り、自分の意思で思うように開く事ができません。

 病状は進行して左足全体にまで力が入りっぱなしになり、収縮した脹脛の筋肉が腓返りの痙攣を起こし続けて、とても痛みました。救いは左足の膝下だけだったのと、中枢神経の疾病なので睡眠で脳の活動が休めば、不自由に加わる力が抜けて痛みも失せる事でした。

 高校卒業の頃には足首から下がり、スリッパは直ぐに脱げて上手く履けません。持ち上げられない爪先に、よく躓いていました。更に症状は進行して、足先が内側に裏返ろうとして来ます。

 幾つもの病院の治療や薬は、全く効果が無く、多くの治療院や整体へも通いましたが、一向に症状は改善されず進行も止まりません。もう、裏返りで足の裏は地面に着かず、甲の外側面が着いてしまいます。一歩ごとに捻るように着地する足首が痛くて、転びそうです。

 誰の所為でも無く、理由は何も思い当たらず、原因も分からず、心が悲しく寂しい日々でした。それらは今でも、はっきりと覚えています。

 歩くのが辛い。ビッコを曳く……、……見た目で足が不自由なのが分かり、擦れ違う人達や僕を見る人の視線が左足に向けられるのを、厭で嫌で堪りません。人目を気にして行動する時間帯や場所や動く位置が変わり、……明るい昼間は出掛けずに、陽が落ちた後の残光の中、通りの暗い隅を好んで歩くようになりました。

 毎日が現実を理解するのに一生懸命でした。けれど、この症状は、どこまで進行するのだろうと、心は焦り、不安だらけです。

 ある朝、目が覚めたら突然に治っていたなどの希望や期待は、いつしか捨てていました。事実を受け入れ、この左足と付き合っていく為の試行錯誤の日々で、いつか、この足の変形と痛みに負けて自暴自棄になってしまうのを恐れていました。

 そんな僕に君は心の支えで希望でした。そして、僕の心から君を失うのが怖かったのです。

      *

 夏の雨に濡れたアスファルトの蒸せるような臭い。

 秋の田を渡る風のデジャビュな匂い。

 春のゆっくりと舞い落ちる桜の花片の安らぐ匂い。

 冬の学校の床に塗ったワックスの甘く不思議な臭い。

 霞のように萌黄立つ野畑や、凍える夜の涔涔と降り積もる雪や、熱い砂浜の眩く泡立つ波打ち際や、黄昏に漂う籾殻を焼く臭いなど、それらは、とても懐かしく、何か、忘れていた大切な事を思い出させてくれそうにします。

      *

 高校三年生の初夏、君の手紙には盲腸で入院したと書かれていて、僕は君の御見舞いに行きたい気持ちで一杯でした。ですが、ずっと手紙の文字以外での会話は無くて、君の病室に辿り着けても、御見舞いの言葉に何を言えば良いのか、御見舞いの品に何を渡せば好いのか、そして、病院のベットに寝る君の姿を僕は見ても構わないのだろうか、と考えてしまい、君が入する病院へ行くのを躊躇いました。

 それでも君に会いたいと強く想う僕は、週末の県大会でインターハイの出場権を得れば、それを口実に君を見舞うという願を掛けました。そして、個人優勝を果たして弓具を持ったまま、病院へ行きましたが、緊張の震え声で君の病室を尋ねた受付の返答は、『昨日に退院されました』という衝撃と安堵が絡み合う気持ちになる言葉でした。

 その年の夏休みには君から暑中見舞いの葉書が届きました。葉書の差出人住所は能登半島の鳳至郡明千寺! 描かれていた君の爽やかな夏のイラストが、君への想いと重なり、君の心を感じた気がして即行で、お気に入りの原付のホワイトダックスを全速で飛ばして、君が待っていてくれると思う明千寺の町へ向かいました。

 三時間近くも掛かってやっと着いた明千寺の町の、咽喉の渇きを癒して葉書の住所を尋ねようと立ち寄った雑貨屋でラムネを買った時、店の奥の居間にノースリーブの白いワンピースを着た君がいるのを見て、そこで初めて、その店が君の御里だと知ったのです。

 急き立てられるような強い想いで此処まで来ての予期せぬ出逢いは、僕を透明になりたいくらいに凄く驚かせてくれました。

 突発的な嬉しさは、ときめいた心を過激に垂直上昇させて僕はもう、くらくらとブラックアウト寸前です。瞬間、書中見舞いの葉書を送ってくれた君と迷い無く行動を起こせた自分に感謝しました。だけど、シャイな僕は焦りとうろたえで、君へ挨拶をすべきなのに、顔を合わせるどころか、向ける事さえも出来ません。僕の顔は君を避けて気付かれないようにと逸らしてしまいます。

予期せぬ贈り物を拒むみたいに急いで店から出ると、直ぐにホワイトダックスを走らせて逃げました。

 盲腸の見舞いとは違って、迷い無く逢いに来て君を見付けたのに、今度は君と言葉を交わすのを拒むように逃げてしまい、僕は全くの根性無しでした。

 明千寺の町から海沿いの町を幾つか過ぎた立戸の浜の渚に寝転び、ラムネを飲みながら、

『どうして、顔を合わせられなかったのだろう』と、せっかく会いに来たのに、君に声も掛けられなかった自分を呪います。

 それは、突然に僕が来た事で、君を困らせて悲しませたくないと、とっさに判断したからなのですが、なぜ、君が悲しむと思ったのか考えました。

 逃げないでいたなら少しは話せていて、その後の経緯に良き変化が有ったのかも知れません。でも、上手く歩けなくなって来ている僕を、君へあまり晒したくない思いと、そんな見栄えの悪い僕といっしょに歩くのも厭だろうとも考えていました。

 凪いでいる海を少し泳いで水面に浮かび、夕陽に紅く染まった入道雲が『もう帰れ!』と言っているような、夕暮れの深い青色の空を見上げて再び考えます。君が困って悲しむのが嫌で、そして、君に嫌われたくなかったから逃げた僕は、とても小心者でした。

 ホワイトダックスのエンジンが掛かっても再度、ラムネを買いに…… 君に会いに行く勇気は有りませんでした。全速で激しく震える全開のアクセルを感覚が無くなるほど強く握り締めて、真っ暗になった道を帰る僕の心は、ときめいていました。

 暑中見舞いの葉書を貰い、明千寺まで来て君に逢えた。それだけで君を身近に感じて、走りながら金切り声みたいなエンジン音に負けないくらい思いっ切り叫ぶほど嬉しかったのです。

      *

 十八歳の初秋に君と決定的な終わりをしてから、自分の愚かさと馬鹿さ加減に気が付きました。夢想ばかりの稚拙な自己中野朗だと君が気付かせてくれました。

 はっきりと自分が変わったと感じた時が二度有ります。君からは反省と感謝を教えられました。

 デッドラインを彷徨った十九歳の冬のバイク事故の後、二度に及ぶ左足の整形手術をして貰いました。その半年後に見初めた妻から生き方を考えさせられ、言葉でなければ……、声にしなくては何も伝わらないのだと気付かされました。

      *

 妻から先に言われてしまいました。

『ハアさん(名字でも名前でも定番の呼び方でも無く、彼女は今でも僕を、名字と名前の最初の一音をくっ付けた渾名で、そう呼びます)といたら、人生いろんな事が有りそうで楽しめそうだから、結婚してあげる。結婚してくれるでしょう』

 知り合って三年目の初夏でした。二十歳で出逢った一つ上の彼女に、

『もちろん。結婚して下さい。二十年後も、三十年後も、五十年後も手を繋いで歩いていよう。そして、ずっと同じベッドで寝ていて欲しいです』

 ちゃんと、言葉にできていました。

『ハアさん、本当に、いろんな事が有るわよね。楽しいわ』

 先日、神戸の街でデートした妻が手を繋ぎながら笑顔で言ってくれました。

 僕の家族は金沢市の郊外に住んでいて、仕事でいつもいない僕を除いて妻と息子と娘の三人で暮らしています。

      *

 あれから、本当にいろんな事が有って様々な思いや事柄が深く浅く絡み関わり通り過ぎて行きます。まだまだこれから先も、様々な事が有ったり起きたりして続いて行くのでしょう。

 君にも、いろんな事が有ったと思います。いや現在も、いろんな事が有るのでしょう。

      *

 いつの頃からだろう。君の姿を探していない自分に気が付いたのは……。

 どれくらいの生き方をすれば、互いの人生が交差するのだろう。

 どれ程の速さで生きれば、もう一度出逢えるのだろう。

 君の現在は、二年前に知らされました。冬の金沢の夜……、友人達とグラスを傾けていた時に、突然、それは耳の中に触れて、といっても名前だけですが……。君の名前は、とても懐かしい心地好い響きで僕の中に入って来ました。

 もう一度聞きたくて、友に、

『なに? 誰の事?』

 忘れていた記憶が一遍に溢れ出て来ました。恥ずかしさと後悔もいっしょに……。

 以前から君は金沢に住んでいるかもって気がしていたけれど、確信を持ててはいませんでした。……十八歳の時間はあれから停まったままです。

 過去を懐かしんで思い戻すのではなくて、ときめく未来へ繋げる為に、今を、輝かせなくてはならないと気付かされた事がありました。

 最近、急に僕の中の十八歳の僕を現在と繋げて、すっきりしたくなっただけなのです。別に十八歳の僕を再び動かすつもりは有りません。

『ずいぶんと、自分勝手な事を言うのね』

 きっと君はそう思うでしょう。やはり、僕は鈍くて仕様が無い奴かも知れません。

      *

 手紙を書き終えた今、あの頃に伝え切れなかった君への想いと、それを懐かしむだけの気持ちを綴ったこの文を君へ送ろうか迷っています。

 でも、僕は送らずに悶々といじけ続けるより、君にどう思われても構わないから、投函してすっきりします。

 中国の小さな町の外れから送るので、ちゃんと届くか分かりませんが、しっかりと君の手許へ届けられたら、僕の初恋へのノスタルジーとして読んで欲しいと思います。今は、忘れたくても忘れられない、遠い記憶です。

 僕は君の幸せを願い、ずっと君が幸せでいると思っていました。だから、今の君が幸せでいると信じています。

      *

 もし、偶然にも君と逢える機会が有るならば、その時はちゃんと……、ありったけの笑顔で、あの頃は声にならなかった言葉……、それは過去形でね。そして、『ありがとう』と言いたいです。

      *

 長い手紙になってしまいました。最後まで読んでくれてありがとう。

 いつまでも健やかに、幸せでいて下さい。

 さようなら。

                                    遥乃 陽