遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説 『遥乃陽 novels』の他に『遥乃陽 diary 』と『遥乃陽 blog 』も有ります

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

越の国戦記 後編 1945年 秋(五式中戦車乙二型/チリオツニの奮戦)

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● 越の国(越乃国(こしのこく)/高志国(こしのくに)/越洲(こしのしま))とは、大和朝廷(やまとちょうてい)に征服支配される以前の古代(こだい)の統治国家です。

 『天皇陛下は、去(さ)る昭和20年9月5日に帝都から長野県松代町(まつしろまち)へ動座(どうざ)なされた。動座に伴(ともな)い、各省庁などの政府機関及び大本営(だいほんえい)も、松代宮殿近くの地下壕へ移動した。動座される噂(うわさ)は昨年から有ったようだが、切迫(せっぱく)している連合軍の侵攻(しんこう)に、まだ安全な今の内に、皇室の方々は専用の大型半装軌動車で、岩山地下の宮殿へ動座なされました』
 当初は、来年の1月に動座なされると伝えられていたのが、アメリカ軍の関東上陸が8月31日と、予想以上に早まり、其(そ)の強力な上陸軍の大群の勢(いきお)いは、九十九里浜(くじゅうくりはま)から次々と我が独立戦車旅団を全滅させながら防衛線を突破して、帝都に急迫(きゅうはく)していた。
 房総(ぼうそう)半島から後退して帝都外周地区に展開し、帝都の最終防衛を支援する第四戦車師団の第28、第29、第30の各戦車連隊は、1式、3式の中戦車をもってM4シャーマン戦車の大群と激(はげ)しい戦車戦を交(まじ)えていたが、撃滅されて帝都に突入されるのは時間の問題だった。
 新鋭の4式中戦車も参戦しているのを知らされているが、2輌の試作車以外に何輌が量産されて、何処(どこ)の連隊へ配属されたのか、全(まった)く情報が無かった。
 更(さら)に、9月3日には、三浦(みうら)半島の葉山(はやま)海岸、湘南(しょうなん)海岸、鎌倉市(かまくらし)の浜辺(はまべ)と神奈川県(かながわけん)にも上陸した連合軍が、第2、第41の戦車連隊を撃破して相模原(さがみはら)から川崎(かわさき)までの多摩川(たまがわ)を背(せ)にした防衛線に迫(せま)り、陸軍兵器開発研究所が在(あ)る各工場からは、試作自走砲や製造途中の戦車が戦線に投入されて善戦しているそうだ。
 想定以上に強力で素早(すばや)い連合軍の帝都を包囲(ほうい)する急進撃に、慌(あわただ)しく3ヶ月以上も早い動座が成(な)される事になった。

▼昭和20年 9月10日 月曜日
 試作量産される5式中戦車乙2型は、骨組みと枠組みの材料取りが殆(ほとん)ど終わり、鉄鋲(てつびょう)の打ち込みや溶接での組み付けが始(はじ)まっている。
 装甲板の溶断(ようだん)や焼き入れ、更に、調質(ちょうしつ)を兼(か)ねた内部応力の除去と反(そ)りの加熱矯正(きょうせい)もしていて、平面度と平行度を正(ただ)された装甲板(そうこういた)が、完成した88㎜砲の搭載(とうさい)に因(よ)って、形状を一新(いっしん)した砲塔の枠組みに溶接接合されて行く。
 車体は、長い側面装甲板を2分割して従来(じゅうらい)の製造工程を使えるようにした。そして、後部は傾斜を大きくして被弾経始(ひだんけいし)を増し、燃料タンクの防備を高めていた。
 対戦車戦闘に役に立たなくて破壊効果の小さい37㎜砲は廃止(はいし)して、7.7㎜機銃のみにした前面装甲板は傾斜を大きくした上に操縦手の開放式の窓も止めて、3方向の外部の様子を視認できる潜望鏡(せんぼうきょう)式覗(のぞ)き窓の四角い視界だけになったが、耐弾性(たいだんせい)は格段(かくだん)に向上した。
 機銃手兼無線手の視界も、2方向の潜望鏡式の覗き窓にされた。
 搭載弾薬は、88㎜砲弾が砲塔後部の左右のラックに12発ずつ計24発、砲塔内の左右の側面に3発ずつ計6発、車体の両側の袖部(そでぶ)に6発ずつ計12発、車体の床下に4つに分けた仕切(しき)りの中には、2段積みの6発ずつ計24発と、合計66発を収納して、弾種は徹甲弾(てっこうだん)、徹甲榴弾(てっこうりゅうだん)、着発榴弾(ちゃくはつりゅうだん)の3種類で、それぞれ22発ずつ積み込まれた。
 7.7㎜機銃の弾薬は20発入りの弾倉式(だんそうしき)で、88㎜砲と平行動作する同軸機銃用が、砲手脇(わき)の砲塔内の側面と、私の後部の主砲弾ラックの上に棚仕立(だなじた)てで、それぞれ40個が置かれた。
 車体前面の車載機銃も、車体前部の両側の袖部と座席背後に、それぞれ40個ずつ、計120個の弾倉が、同軸機銃の銃身の予備(よび)も含(ふく)めて収納された。
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 縦(たて)に1列に並んで、流れ作業で進む車体の脇には、搭載する大型のクラッチと複雑に歯車を組み合わせた変速装置と、低回転で高馬力の高トルクに調整し直(なお)した液冷V型12気筒のガソリンエンジンが、予備を含めて並(なら)べられていた。
 他の部品や工具も揃(そろ)えられて、整理整頓(せいりせいとん)された工程現場は作業効率が良さそうに思えた。
 高回転での高出力を、低回転での高トルクに調整し直した航空機用のエンジンは、ドイツのBMW社製で、最高出力位置を低回転域に変更(へんこう)しても、信頼性(しんらいせい)は高いそうだ。
 プロペラを高回転させて空気を前方から後方へ高速で流すエンジンから、重い履帯(りたい)を回転させて凸凹の不整地を力強く走らせるエンジンへと、出力調整が終わり次第に、走行装置が取り付けられて内部装備の組み込みと仕上げが済んだ車体に搭載して、エンジンの動力伝達は駆動輪へと接続された。

▼昭和20年 9月18日 火曜日
 75㎜厚から100㎜厚へと増加した前部装甲板の重さ、容積を大きくした砲塔の増加分の重量、更に、口径75㎜砲より大口径の88㎜砲へ換装などでの重量増加は、37㎜砲を撤去しても、全備重量は2t以上も増えて39tになってしまった。
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 3連の発煙筒発射装置も左右の砲塔側面後部に取り付けて、前方へ300m~500mの中距離へ扇状に飛ばして煙幕を張り、窮地からの緊急脱出が容易になるようにした。
 煙幕は非力な我が軍の戦車が有効射程距離に近迫するまで敵戦車から射撃を受けないようにする目潰しだったが、敵戦車群の全面に煙幕を張れば、敵は歩兵の肉迫攻撃を恐れて前進追撃を思い止まると考えた。
 当初は、海中で烏賊が噴き散らかした墨で目隠しをするような既存の瞬間発煙装置の装備を考えたのだが、間近で展開する白煙の煙幕は自車位置を敵に知らせる事にもなるので、搭載は中止していた。

▼昭和20年 9月20日 木曜日
 88㎜砲の搭載による大型化で重量が増加した砲塔を旋回させる電気モーターの出力不足が危惧されたが、主砲の搭載以外は完成している試作車を量産試作仕様に改造した初号車の稼動試験に於いて、20度の傾斜地でも問題無く砲塔を旋回できる事が確認された。
 御殿場での試験時よりも、空重量で3t近くも重くなっているのに走行性能は、強化したコイルスプリングのサスペンションとBMW社のエンジンの安定した高馬力の御蔭で計画値通りに達成できていたし、小松製作所が得意とする高マンガン鋼製の幅600㎜の履体は予想以上に強度が有り、チリオツニを軽快に走らせてくれた。
 其の、初めて見て体験した最高速度が時速40㎞以上にもなる全力走行の巨体は、恐ろしいくらいの迫力だった。

▼昭和20年 9月22日 土曜日
 99式高射砲の動作部分を小さく纏め直して強引に搭載した最初の車輌が完成すると、直ちに小松製作所小松工場から無蓋の平床貨車に積載されて大聖寺駅まで運ばれ、新設された重量貨物用のプラットホームから降ろされた。
 其処からは、走行試験を兼ねながら片道8㎞の丘陵地帯の砂地の道を自走してから、砂漠のような低い砂丘を越えて到着した長い直線の砂浜が広がる片野の浜で、主砲の45口径88㎜砲の試射は行われた。
 試射は、徹甲弾を500m、1000m、1500mの距離で、それぞれ10発ずつ、舞鶴や敦賀や七尾の海軍工場から無許可というか、勝手に探して貰い受けて運んで来た、貫通可能と予想された1m四方大の100㎜厚の防弾鋼板を倒れ角度40度で固定して、照準精度、集弾性、貫通力、そして、搭載強度などの射撃の反動による影響の調査が行われた。
 結果は全ての射距離で、徹甲弾が海軍の100㎜厚防弾鋼板を貫通した。
 徹甲弾の弾頭は従来の炭素工具鋼へ、マンガン、クローム、モリブデンを更に高含有させた鋼を高圧力鍛造で形にしながら高比重にしてから、数度の焼き入れと焼きなましを経て分子結合強化と硬度鈍化の調質がされている。そして、弾頭内には空洞が有り、其処に詰められた200gの炸薬で敵装甲板を貫穿後に爆発するが、計測では弾頭から炸薬が抜かれて、代わりに同重量の砂が詰められていたから爆発はしない。
 呼称と記載名は徹甲弾だが、実際の弾種は徹甲榴弾になる。
 計測された初速は秒速800mで高射砲仕様と同じで、変化はなかった。
 初弾から500m先の標的に命中して立ち会った関係者全員に感嘆を吐かせ、更に、実際重視で行われた射距離1000mと1500mの試射でも、初弾からガン、ガン、スパッ、スパッと連続で命中して、其の集弾性と綺麗な円形で貫く貫穿力に歓声を上げて小躍りさせた。
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 集弾性は射距離全てに於いて装甲板の中心へ直径30㎝の範囲以内に命中していて良好と判定された。
 低伸性は1000mで2㎝、1500mで5㎝の下がりだったが、800m辺りまでは弾道が低伸しているとされて、上下角の修正は1500mまで不要の判断となった。
 30発の射撃の反動と衝撃で、砲塔と砲架を接合する溶接の一部が剥がれたり、取り付け固定のボルトが何本か緩んだだけで、対策は強度向上の補強骨組みの増加装着と締め付けたナットの緩み防止線材を溶接するだけで、構造の見直しには至らなかった。
 以後、車輌が完成する度に片野の浜で試射と走行試験が行われ、帰りは大聖寺駅近くの料亭で宴会と宿泊するのが常套となった。

▼昭和20年 10月5日 金曜日
 早朝から6輌全車が大聖寺駅前の広場に集結して、午前7時に内定していた部隊の結成式を行い、部隊は『独立戦車梯団 越乃国』と正式に名称を賜った。そして、事前に知らされてはいたが、梯団長として私の任命が改めて発表された。
 結成式は必勝祈願の御払いの後、福井県から呼ばれた陰陽道の先生が護摩を焚いて呪詛を唱えた。
「……逆しに行くぞ。逆しに行け下せば、向かふわ、血花を咲がすぞ。微塵と乱れや。燃え行け、他へ行け、枯れ行け。生霊、狗神、猿神、水官、長縄、飛火、変火。其の身の胸元、四方散ざら。微塵と乱れや。向こうは知るまい。此方は知り取る。向ふわ、青血、黒血、赤血、真血を吐け。血を吐け。泡を吹け。七ツの地獄へ、打ち落とす……」
 呪詛と祈りが済むと、一同の万歳三唱で締め括られた。
 結成式が済み、無線交信や通常連絡でも使う各車の暗号名が決められると、其の後は完全迷彩擬装を施し、交信訓練をしながら全車が隊列を組んで移動した片野の浜で、午後3時過ぎまでの間、形ばかりの連携戦闘訓練が実施された。
 訓練後は擬装を外して、点検整備と清掃が徹底して行われた後に、守備地への移動と防衛の命令を承り、夕方までに全車が大聖寺の駅前広場へ移動して弾薬と燃料の補給を済ませてから整列停車をさせ、それぞれの守備地へ分散配備を各車に命ずる分派式を執り行った。
 夕陽に照らされる中、車長達に辞令を渡して武運長久と大勝利を祈願し、万歳三唱で締め括った。それから、宵闇の訪れで足許が危険になる前の黄昏の薄暮には、1輌を残した5輌が平床貨車への積載を無事に終えた。
 大聖寺駅の引き込み線路と貨物ホームへ昼過ぎに到着していた5輌の平床貨車からは、既に燃料と弾薬及び補修部品と工具を満載した2台の6輪自動貨車と乗車して来た部隊の整備兵全員が降りていて、分派式に参列していた。
 其の夜は貸し切りにした駅前周辺の料亭や旅館で、今生の別れになるだろう無礼講の宴会が催され、互いの武運と己の勇戦を誓い合った。

▼昭和20年 10月6日 土曜日
 白山の山頂辺りが白んで来た暁に、乗員達が搭乗した5輌のチリオツニを積んだ平床貨車は機関車へ連結されて大聖寺駅を出発した。
 途中、2輌は小松駅で連結を解かれ、それぞれ補給物資を満載した2台の6輪自動貨車と小隊を組んで守備位置へと移動する。更に、金沢駅の貨物ヤードでは、小松駅で連結した6輪自動貨車を2台ずつ積んだ3輌の内の2輌の平床貨車が2輌のチリオツニと供に切り離されて、積載した車輌達が降されると、それぞれに小隊を組んで待機位置の大乗寺山と卯辰山の麓へと自走移動した。そして、残された1輌のチリオツニと2台の6輪自動貨車は富山県の高岡市へと運ばれた。
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 チリオツニ1輌に整備兵と補修部品、それに、補給物資を満載して随伴する2台の6輪自動貨車は、正式名称が94式6輪自動貨車という3軸6輪のトラックだ。
 後部2軸の4輪が駆動して泥濘みや礫地のような不整地の走行に優れているし、運転席は強度の有る鋼板製の箱型で、極寒の満州でも充分に風雪に耐えて運転手は守られていた。
 空襲を受け難い能登の七尾港や富山の伏木港や福井の三国港に集められて、中国大陸へ送られる予定だった大量の6輪自動貨車は、極めて悪化した戦局で積み込む船舶や安全な航路が無くなった5月頃から、福井県北部、石川県、富山県の駐屯部隊へ配備されて多用していた。
 航空燃料の備蓄が豊富な石川県では、ガソリンエンジンの甲型が多用され、福井県と富山県では、軽油を燃料とするディーゼルエンジン仕様の乙型が防衛資材と人員を運んでいる。
 帝都圏では、軍用車の木炭ガス仕様への改造が進められていて、越の国でも民間のバスや公用車の半分くらいが木炭ガス仕様になっていたが、軍関係車輌の改造は、全くされていないし、今後の改造計画もなかった。
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 特命に因り、便乗させて貰った双発輸送機が、海南島(かいなんとう)から大陸の沿岸沿いを飛行して降り立った内地の最終目的地、神奈川県の海軍厚木(あつぎ)飛行場で私を迎えに来たのは、相模原の陸軍兵器開発司令部が民間から調達したアメリカ車のキャデラックだった。
 出迎えた曹長と供に後部座席に座るが、一向にエンジンが掛からない。
 キャデラックは木炭ガス仕様に改造されていて、どうも、着火燃焼が上手く成されないようだ。
「おいっ、押すぞ!」
 隣の曹長がドアを開きながら、運転兵は其の儘に、助手席の下士官を小突いて声を掛けた。
(押し掛けをするのか……?)
 次にすべき事を察した私も降りて車体に取り付くが、降りた下士官はボンネットを上げて、何やらエンジンを弄ると、助手席に置かれていたのか、2本の1升瓶の酒をキャデラックの燃料タンクに全部入れた。
「曹長、いいですよぉ」
「よし、押すぞ!」
 曹長の掛け声に、ギアを中立にしたキャデラックを力任(ちからまか)せに押すと、3人に押されたキャデラックが、滑走路の平面を滑るように加速しだした。
「今だ! 繋げろ!」
 押されたキャデラックの速度に駆ける足の回転が追い付かなくなる頃合いで掛けた曹長の指示に、運転兵がギアを入れると、ガックンと速度が落ちた一呼吸後に、バコッ、ブロロッ、ブロロロッとエンジンが掛かった。
 其の軽快なエンジン音は、危険な木炭ガスの燃焼音と全く違って、力強さが溢(あふ)れていた。
 何と、下士官は技術兵で、燃料タンクからの送油管をキャブレターに繋ぎ直すと、ポケットに持っていた薬品瓶に入れたガソリンを直接キャブレターに注(そそ)いでいた。
 日本車のエンジンとは違い、シリンダーとピストンの隙間が極めて小さいアメリカ製の大馬力エンジンは、木炭ガスが燃焼して残る滓(かす)の煤(すす)を、排気工程だけでは除去し切れずに、隙間にコビリ付かせてエンジンを止めてしまうのだ。
 一升瓶に入れていた液体も、飲んだ事の無い火が点(つ)くような高純度の焼酎(しょうちゅう)などではなかった。
 コビリ付いた煤をキャブレターに注いだガソリンで溶かした後は、燃料タンクに入れ終わった一升瓶の中身のハイオクタン価のガソリンで、本来のガソリンエンジンによる走行をしたのだった。
 この一件は、改めてアメリカと日本の工業製造技術の差を認識させられ、優れた基礎技術による高品質は、戦争の勝敗を左右する極めて需要な戦略要素だと肝に銘じた。
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 5式中戦車乙型2と94式6輪自動貨車は優秀な兵器だが、整備の精度を怠ると、忽ち息を吐くようにエンジンは不調になり、行動不能の自滅に至るのを理解しているからこそ、慎重に取り扱わないと其の強力さを発揮して維持する事ができない。
 アメリカと日本の基礎工業力の大差に、敵に餌を与えて自滅するような、チリオツニの初撃で怯(ひる)んで後退する敵を追撃して玉砕に至ってしまうという、例え、命令であろうと敵陣深く切り込む猪突猛進の無謀な突進はしないと心に決めている。
 擬装と守備位置の遮蔽と位置変更、それに、煙幕の常用を徹底させ、侵攻して来るヤンキーの戦車を何度でも撃退して攻勢には転じない専守防衛に徹する戦法は、全梯団員を集めて演習を伴なう研究と教育をして理解させ、決して突貫玉砕はしないと誓わせた。
 各車の待機補給陣地には燃料と弾薬を備蓄させ、守備陣地へは深夜に夜這いさせる事にした。
 チリオツニが後退できるのは市街地でも、郊外でも、国道線までだ。
 それ以上の山間部へは、チリオツニが通れる道も、場所も無くて、立ち往生すれば、自爆するしかない。
 チリオツニが失われると、忽ち金沢市や小松市はアメリカ軍の戦車に蹂躙されて、急迫する敵の侵攻に自暴自棄になる狂信的で狭隘な信条の軍人達は、義務で有る守るべき天皇の臣民と日本国土を自ら踏み潰す、無思考、無策の玉砕戦闘に走り、山間に逃れる市民達には、『生きて、虜囚の辱めを受けるな』や『死んで、罪過の汚名を残すな』と、潔い自決という日本の将来を無にする集団自殺を身勝手に強要するだろう。
(それだけは、絶対に避けなければならない!)
 だが、私には目論見が有った。
 もう直ぐ、遅くとも年末までに、大日本帝国の敗北で戦争は終わるだろう。
 長野県の松代へ移されたと聞いた大本営の陥落は、時間の問題だ!
 擬装守備に徹底させて温存するチリオツニによって、1日でも長く、アメリカ軍の侵攻を阻めば、必ず、市街地も、市民達も守り切り、天皇陛下の玉音放送を聴かせて生き残らせる事ができる。
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 4月頃に新設されて帝都周辺や九州へ配置している戦車連隊は、編成すべき戦力の3式中戦車と4式中戦車の製造が停滞気味の所為で、定数の4分の1か、5分の1しか保有していない有様だと聞いている。
 完成した6輌のチリオツニは製造中から、3輌ずつで2小隊にするか、2輌ずつで3個小隊にするか、そして、何処に何輌を配備するかで検討が重ねられた。
 少ない数輌での遣り繰りだが、チリオツニは1輌で3式中戦車の1個中隊以上の強力な戦力になるとされて、6輌という侘しさなのに、『独立戦車梯団 越乃国』という部隊名で、連隊規模の戦力扱いになった。そして、越乃国梯団は結局、3個中隊編成になり、1個中隊はチリオツニが2輌、梯団戦力は1個連隊相当の扱いに決定された。
 梯団というのは、本来、戦闘単位、兵力単位ではなくて、進軍や行進や編隊での部隊分けの隊形や隊列を示す一般的な呼称だが、戦闘団の戦力を紛らわせて秘匿する為に、敢えて用いられた。
(まあ、実際、梯団を組める程度の車輛数だ)
 5色の市松柄の迷彩塗装を施されて大聖寺駅前の広場での結成式に、ずらりと並ぶ6輌のチリオツニは如何にも強そうで頼もしい限りだが、『越乃国』の指揮官を拝命している私にすれば、たった6輌で『独立戦車梯団』とは、恥ずかしくも寂しい思いがする。
 小松工場で行われた梯団設立式には、5式中戦車乙型2の開発製造の総責任者である井上芳佐中将も御出でになっていて、中将からの手渡し辞令交付と車長達6名の1階級の昇進が告げられ、私は、中尉を排任(はいにん)してから僅か2ヵ月余りで大尉になった。
 大尉とは大隊長になる階級で、梯団の長とはいえ少人数の部隊なのに、其の昇進の大盤振る舞いは、既に末期の様相の戦争に終焉が近い事を感じさせた。
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 チリオツニの配備は、第2中隊の1号車が小松製作所の小松工場を、2号車が小松飛行場を含めた粟津工場の防衛を担当し、大聖寺の駅前で別れた第3中隊の1号車は、大聖寺町の南外れの城跡付近の待機場所の神社境内へ移動して、福井県と石川県の境になる大聖寺川河口の塩屋町や片野砂丘を越えて進攻して来る敵の撃破を命じている。
 軍管区司令部の在る金沢市の防御は第1中隊が担当し、1号車は金石街道の中程に防衛陣地を構え、宮腰の漁港町からの敵の進軍を防止し、2号車は浅野川沿いの鉄道路を守備位置として大野の湊町から来る敵を撃退する。
 私が乗車指揮する1号車は、海岸線が一望できる寺町台地の上辺で大乗寺山麓の泉野の竹林の待機位置へと移動して、敵の上陸が迫るまで監視待機する事になっている。
 富山県西部の伏木・新湊から高岡市の防衛には、高岡市内の古城公園へ第3中隊の2号車が配備と、かなりの広範囲に梯団は分散される事になった。
 故に、統一指揮は困難で、各中隊長と車長の判断で行動して、状況は定時と緊急時の報告のみと定め、必要ならば指示を仰いで命令を受ける事とした。
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 広い竹林の中で待機する、私が車長として指揮を執(と)るチリオツニの擬装に使う竹の枝は、この辺り一帯の竹林を所有する地主農家の小作人達が、毎朝の日課として奥の竹林から伐採(ばっさい)したばかりの真竹(まだけ)や孟宗竹(もうそうたけ)を大八車に積んで来て、葉が萎(しお)れた竹枝と交換してくれている。
「お早うございます。御苦労様です。10月下旬なのに、朝から日差しが強くて暑いですねぇ」
 黒っぽい国民服を開襟にして着こなす、50代後半らしき年配の男性達に、いつもの朝の挨拶を交わす。
「お早うございます、大尉さん。今年の秋は、いつまでも残暑が長引いて、秋らしゅうなんのは、11月になってからかも知れんがやわ。こんな暑いんは、10月下旬でも、暖流の対馬海流が日本海の北の方まで、流れ続けている所為やからやね。海が暖かいからから、台風がみんな、こっちまで遣って来るやろ」
 黄海や南支那海からの暖流が、北海道の間宮海峡辺りの高い緯度まで達し続けていれば、オホーツク海からの寒流やシベリア寒気団の南下は押し戻されるだろうし、寒帯からの冷気も温まってしまうだろうという理屈だ。
「どうして、まだ海が熱いのですかね? 公転軌道の地球の位置が、例年よりも太陽に近いのですかね? 熱帯域の海水の膨張が大きいとか? 日本の地下のマグマの動きが速いとか? 地殻近くまでマグマが上がって来て、そんなのがあって、陸も、海も、温められているのでしょうね」
 昨年の後半のレイテ島は、昭和16年12月末に第16師団がフィリピンのルソン島へ上陸侵攻して、昨年の四月にレイテ島へ転進して12月末に脱出するまで、駐留して戦っていた3年間で1番暑いと感じていた。
「やっぱり、地脈というんか、地の気というんか、分からんけど、そんなんが動とる所為やがろうか?」
 たぶん、赤道付近から大気も、海水も、地殻も熱くなって、熱膨張が治まっていないのだろう。
「大きな地震が、鳥取、紀伊、東海、三河と続いているのも、そんなのが原因で、日本海の海水を未だに熱くしているのだろうなぁ」
 頻発した大きな地震によって、地殻の熱膨張は開放されて、其の歪は小さくなっただろうが、地殻沿いの海底火山帯は高温の地熱を大量に放出し続けているから、其処で温められた海流と海上の大気の所為で、秋の台風の悉くが日本列島を縦断させていると、男性達と話していて考えた。
「大尉さん。今年の秋は短いやろ! 此の調子やと、11月初めを過ぎると、急に寒くなって冷たい時雨が降り続くやろ。直ぐに枯葉混じりの紅葉になってぇ、1週間もせん内に落ちてしもうし、下旬になったら、時雨は凍える霙と霰に変わるんやわね。そんで、そのまんま遅い初雪になるやろうね」 
 冬季の軍装の支給を要求しているが、まだ、届いてはいない。
「木枯(こが)らしも吹かんと、いきなり寒波やねぇ。12月は大雪んなってぇ、1月になったら、地吹雪続きでカチンカチンになるがやわ。そりゃあ、寒うて、寒うて、大変やわ」
 10月初旬の今は、日の出から日没まで暖かく、夜半に涼しくなるくらいで、まだ半袖の上着とシャツの夏季戦闘服で過ごせているが、行き成り、真冬日のような寒さになると、発動するエンジンの熱気で温まるチリオツニの中から、出られそうもなくなるだろう。
「……霙が降る前に、戦争が終わって欲しいと、ワシらは思っとるんやね」
 戦火が此処まで及んで、我が軍が徹底抗戦を続けると、辺りの住居は破壊され、蓄えて来た食糧は尽き、住民達は雪が積もる冬場を生き残る事が出来なくなって、寒さや飢えで死ぬくらいならと、非力な武器を手に敵陣へ突っ込んだり、自決を選んだりして大勢が亡くなるだろう。
 レイテ島の戦闘では、アメリカ軍に占領された地域の島民達の衣食住は、日本軍が管理していた時よりも豊かになっていたと、食料調達の夜盗になって敵の占領地へ行き来して感じていた。
「大尉さん……、どうか、金沢を守って下され。戦争が終わんのが冬になってしもうても、帰れる家を残しておいて下され。お願ぇしますだ……」
 チリオツニが上空から視認できないように、上の方の笹葉を自然な感じにしながら、切り竹を地面に打ち込んだ杭に結わえている小作人達の話を聞いて思う。
(たぶん、……戦局は、彼らの望む通りになりそうだ……)
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 日本本土全体の防衛戦は非常に切迫していて、妙高(みょうこう)高原の赤倉(あかくら)温泉や黒姫山(くろひめやま)の防衛線を突破したイギリス軍と、甲府(こうふ)市から諏訪(すわ)湖の防衛戦を破って松本市への西進と飯田(いいだ)市への南進に長野盆地を北上して迫って来るアメリカ軍に、大本営は松代町(まつしろまち)の地下壕を天皇陛下御家族と共に離れ、小人数のグループに分散して脱出を図(はか)っている。
 天皇陛下御家族一行と其の護衛に同行する近衛中隊は、長野市近郊の松代御所から戸隠(とがくし)街道を通って神城(かみしろ)村へと抜けて、更に、立山連峰の山際を青木湖、大町(おおまち)へと進み、穂高(ほたか)連山の南際から安房(あぼう)峠を越えて岐阜県の高山市に行き、其処から北へ少し進んだ飛騨(ひだ)地方の丹生(にゅう)地区まで至る道程(どうてい)半(なか)ばだと、昨日の防衛陣地の構築状況を確認したついでに寄った司令部で知らされていた。
 御一行は、戦況に由(よ)っては白川(しらかわ)郷へ逃れて庄川(しょうがわ)沿いを下り、五箇(ごか)山(やま)村からは徒歩でブナオ峠を越えて小矢部川上流の刀利(とうり)の地へ最終的に動座されるらしいと聞かされた。
「刀利の地? 陛下が自(みずか)ら御歩きになられて来られるほどの、動座される其の地は、何処なのでしょうか?」
『其処はな……、金沢市内を流れる2つの川の1つ、犀川(さいがわ)の源流がブナオ峠だ。そして、もう一つの浅野(あさの)川(がわ)の源流は、湯治宿が並ぶ湯涌(ゆわく)の温泉地だ。其の湯涌の板ヶ谷(いたがたに)から県境の山を越えた向こうが、加賀藩期まで外界から隔離(かくり)されていた刀利の隠れ里だ。直ぐ傍(そば)だろう。だから、敵に高岡や金沢を占領させる訳には、ゆかんのだ!」
 刀利の地へ富山県側から行くには、小矢部川の上流の川幅を狭めて延々と急流にさせる急峻(きゅうしゅん)な深い谷の急斜面を歩いて行くしかなく、そして、其の果てには、外界を拒(こば)んで隔(へだ)てる九十九(つづら)折りの激流を造り出す最難関の防壁が在った。
 それは、高い岩盤の垂直の城壁のような絶壁で、其処を超えなければ、小矢部川流域から刀利の地に至らないが、金沢市を流れる犀川源流域の倉谷(くらたに)集落と、浅野川源流域の湯涌の温泉地からは峠1つを越すだけで、刀利の隠れ里に着くと、司令部の参報達から説明された。
 動座によって移り住まわれる御在所は、既に庄川上流の発電所から山を越えて地下に埋設された送電線で供給されている電力に加えて、侵攻して来た敵に占領されてしまった東海地方や一部の関西地方への、今は必要としない九頭竜川(くずりゅうがわ)水系や長良川(ながらがわ)水系や木曽川(きそがわ)水系の水流で発電した電力が安易な送電や変電設備されて、地元民と避難民の男手が総動員で昼夜休みなくの突貫工事で建設されている。
 其の余剰電力は、北陸の地の各軍需工場へも送られて増産される防衛陣地用の資材により、多くの対空砲の砲座や噴進砲の拠点の構築、それにロケット推進機が発進するカタパルトの設置が完成していた。
 1万人近くの人海作業により、岩盤を刳(く)り貫(ぬ)いて造成された太い柱が林立する、小学校の講堂ほども有る広い宮殿の様な地下壕が、幾つか完成して地下道で繋(つな)がれているそうだ。
「故に、独立戦車梯団 越乃国の第1中隊は、金沢市を蹂躙して県境への侵攻を謀(はか)る敵を全力で排除しなければならない。分かるな、大尉。尚、動座と刀利の地はマル秘で、他言無用だぞ」
「承知しました。越乃国梯団第1中隊は、金沢へ迫る敵を全力で撃滅して、排除します」
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 6輌のチリオツニに搭乗する30名の戦車兵の中で、実戦経験の有る者は私を含めて僅か五名だけで、其の5名を戦車長とした。
 実戦経験者が搭乗しない1輌は、1人だけいた学徒出身の少尉を任命して、彼の乗車を私の僚車、第1中隊2号車にさせた。
 彼の名は、小鳥遊芳光(たかなしよしみつ)帝国陸軍少尉、静岡(しずおか)県清水(しみず)市出身の早稲田(わせだ)大学の3回生で、頭の回転が速い質実剛健(しつじつごうけん)な若者だ。
 去年の12月に入営しているので戦闘は経験していないが、有名な『清水の次郎長親分』を尊敬していると言う事だけあって義侠心(ぎきょうしん)が強く、『弱気を助け、強気を挫(くじ)く』の喧嘩(けんか)に加わっているのを何度も見ていた。
 彼の踏み込んだ間合いの拳(こぶし)は一撃必中で、倒れた相手や逃げる相手が戦意を喪失したと見るや、止(とど)めや深追いはせず、潔(いさぎよ)い引き際をしていた。故に、私は僚車の車長に彼を任命して、金沢市の北よりの海岸、特に大野(おおの)の湊町と粟ヶ崎(あわがさき)や内灘(うちなだ)の浜から上陸侵攻して来る敵の迎撃を命じている。
 第2中隊長の村上宏一(むらかみこういち)帝国陸軍曹長は、国境を越えたインドのインパールの市街へ迫る最中(さなか)に乗車のチハ車が撃破されて左腕に軽傷を負い、其の後のビルマからタイへの後退戦でも右胸に貫通銃創を負けて後送され、シンガポールの病院で治療、治癒後に本土決戦要員として内地へ帰還、そして、戦車操縦の教官として少年兵達を指導していた。
 24歳になる彼の出身地は金沢市だが、血気に逸り、浜辺まで敵を深追いして玉砕してしまいそうな性格故、彼の中隊には、生まれ育った師管区司令部の在る軍都の金沢市よりも、戦略的価値が有る小松市地域の防衛を命じて、1号車が小松製作所の粟津工場から小松工場の海側を、2号車が小松飛行場の安宅(あたか)の部落側を守備する掩蔽壕陣地を作らせている。
 第2中隊2号車の車長、神戸市(こうべし)の生田区(いくたく)出身の鈴宮春二(すずみやはるじ)帝国陸軍准尉は、負傷の治癒養生をしていたサイゴン市から帰還して戦車砲の取り扱いと射撃を教える教官だった。
 彼は、チャンドラ・ボース総裁率(ひき)いるインド国民軍と共にイギリス領インドを独立させる為のインパール作戦で、進撃の先頭の戦車部隊の砲手の1人としてビルマとの国境近くのコヒマの旧市街を蹂躙中に、乗車していたチハ車が敵に砲撃の直撃を受け、左大腿部に鉄片が貫通して刺さる重傷を負って、ラングーンの病院へ急送され、更に、シンガポールの病院で鉄片を摘出する手術を受け、そして、身体機能回復の為に移送されたサイゴンの施設で養生して、治癒(ちゆ)したら前線へ戻ると言い張っていたのを内地へ強制帰還されて、戦車学校の教官に無理矢理させられていた。
 同じようにビルマとの国境近くで、コヒマの隣町のインパールへ進撃していた村上曹長とは前線での面識は無く、お互いが、『越乃国』で初めて御会いしたと言っていた。
 年齢は2人とも、24歳で、階級は中隊長に任命した村上曹長より、鈴宮准尉の方が上だったが、入営時の年齢が16歳の鈴宮准尉よりも、村上曹長は15歳で、中国大陸での駐留と戦闘も1年早く経験していたのを見込んでの任命だった。
 負けん気の強い2人だったが、インパール戦での悲惨な体験が互いを認めさせていて、蟠(わだかま)りも無く、中隊長と補佐を拝命(はいめい)してくれた。
 2人は、『M4戦車の砲弾を弾く装甲と、易々と前面装甲を貫通する砲を備えた新型戦車に乗りたくないか』と誘ったら、嬉々として『越乃国梯団』へ志願してくれた。
 第3中隊長は、大聖寺川河口の塩屋町(しおやまち)や片野(かたの)砂丘を第3中隊の1号車に車長して乗車する、戦闘経験が豊富な岐阜(ぎふ)県飛騨(ひだ)郷出身の千反田一二三(ちはんだひふみ)帝国陸軍少尉で、年齢は私と同じ25歳だ。
 昨年4月下旬に発令された京漢(けいかん)作戦で中国華東(ファドン)地域の河南(フーナン)省の許昌(シュウチャン)市と洛陽(ルオヤン)市の攻略に従軍し、続いて5月下旬に開始された湘桂(しょうけい)作戦にて、長沙(チャンサ)市と衡陽(ホンヤン)市の敵飛行場を占領し、更に、江西省の桂林(グイリン)市と柳州(リュウゾォウ)市の敵飛行場も占領、作戦目標の敵飛行場の征圧は達成されたが、敵のB29重爆撃機部隊は四川省の成都(チャンドゥ)市の飛行場へ後退していた。そして、貴州(グイゾォウ)省の独山を越えて省都、貴陽(グイヤン)市への進出を企(くわだ)てていたが、進撃に負い付かない輜重(しちょう)の所為(せい)で糧秣と弾薬が欠乏して、成都市の敵重爆撃機隊を脅(おびや)かす事無く撤退する事になったと、山砲の砲長として常に最前線で戦っていた彼は、其の戦歴を語ってくれた時に嘆(なげ)いていた。
 奥地へと逃げる国民党軍の主力と連合軍航空部隊に追い付いて包囲撃滅する事は、我が軍の行き詰まった補給に叶(かな)わず、其れ以上の進撃と作戦の完遂(かんすい)は不可能になった。そして、インドシナの友軍との連絡を成功させる支援として、雲南(ウンナン)省の昆明(クンミン)市への進撃を装う陽動(ようどう)作戦で、彼の山砲は手持ちの僅かな弾薬を撃ち尽くした直後に敵弾の直撃で破壊されてしまった。
 其の後は、アメリカ軍の最新式装備で編成された国民党軍機械化部隊に圧倒されて、広州(グァンゾォウ)市まで撤退して来たところへ、本土決戦の新設部隊の指導要員を命じられて、急遽、本土へ帰還する高級軍人や政府要員達と共に中国沿岸沿いから朝鮮を経て帝都近郊の陸軍飛行場へ、今年の4月初めに着いたそうだ。
 結局、京漢作戦と湘桂作戦を合わせた大陸打痛(たいりくだつう)作戦は、インドシナへの連絡成功を含めて、当初の目的は達成して成功とされていたが、連敗が続く太平洋戦域の戦況悪化に因って、大陸での勝利は『時、既に遅し』だった。
 第3中隊の2号車は、高岡(たかおか)市内の古城公園の一角を待機場所にさせて、新湊(しんみなと)港から伏木(ふしき)港までの海岸一帯と高岡市から小矢部町(おやべまち)の広範囲な防衛を任(まか)せている。
 第3中隊の2輌は担当戦域の両端への分散配置になってしまうが、それは、戦力的に止(や)む終えない事で、それだけ私は、両戦車長の技量を信頼していた。
 車長は静岡県焼津(やいづ)市出身で23歳の、小久江清嵩(おぐえきよたか)帝国陸軍准尉だ。
 陸軍軍都の金沢市へ西方の海上から上陸侵攻を企(たくら)む敵に備(そな)える第1中隊に、富山湾へ上陸する敵が県境を越えて北方から攻撃しようとするのを頓挫(とんざ)させる役目を命じてある。
 彼は、フィリピンのルソン島に駐留していた戦車師団で高初速の主砲を搭載した新型砲塔の97式戦車の長を務(つと)めていたが、ソロモン諸島やニューギニアから転戦して来た参報達の噂話(うわさばなし)から、アメリカ軍の反抗作戦の先頭で攻撃して来るM4戦車の厚い装甲と強力な主砲の威力(いりょく)を知ると、整備部隊のトラックに便乗してマニラ港のドックへ行き、其処で破壊放棄された連合軍艦船から装甲板を切断して来て、自車の砲塔と車体の前面に溶接させていた。
 彼が勝手に行った増加装甲を上官達が咎(とが)めると、至近距離から僚車の撃った47㎜徹甲弾が弾(はじ)かれるのを見せ付けて、其の効果を認めさせていた。だが、無断で行った80㎜厚の鋼板の切り出しと溶着、それに、重量増加に因る機動力の低下は独断的な軍規違反とされ、本土決戦要員の要請に応じるのを兼ねて、帝都の戦車学校での再教育とされていた。
 不幸な結果も止むなしとされて、戦略物資を満載して本土へ戻る輸送船に乗せられたが、制海権を失った危険な海域を越えて、台湾の高雄(カオシュン)市と中国山東省の青島(チンタオ)港と京都府の舞鶴(まいづる)港に寄港しながら、今年の4月中旬、彼は新潟県の直江津(なおえつ)港へ無事に到着していた。
 彼の独創性と行動力、そして、軍規違反容疑という逆境にも動じない豪胆(ごうたん)さと臨機応変な知力を知った私は、彼にも『厚さ100㎜の装甲で、M4よりも強力な砲を持つ戦車に乗りたくないか?』と誘い、『是非(ぜひ)とも、喜んで』と、彼は即座に答えていた。
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 戦車長以外の搭乗員達は、今年の春の試験に合格して戦車兵学校へ入校したばかりの15、6歳の少年兵と、外地に新設される戦車部隊の幹部として養成する外地人で、それまで教練を受けていた少年兵や志願兵士達は、春に幾つか新設された戦車連隊へ配属されていた。
 外地人とは朝鮮人や台湾人や南洋諸島の現地人で、外地にも新設される戦車部隊の中核となるべき人達だった。だが、今は外地の部隊へ帰隊できる状況ではなかった。
 他にも、同盟諸国から新設する部隊の基幹とされる将校達が少人数いて、軍務要領と専門技術を士官学校で学んでいるが、最悪の戦況となっている今は、外地人と同様に母国へ戻る術は皆無だった。
 乗船させる船舶は艦載機の攻撃や潜水艦の雷撃に無事に航行できる確率は極めて低く、絶対防衛圏で死守されるべき南洋諸島は既に守備隊が玉砕して占領されてしまっている。そして、戻れなくなった養成中の外地や同盟国の軍人から、3人が『越乃国梯団』へ召集されていたのだった。
 日清戦争で割譲(かつじょう)させた台湾、北と西に隣接する強国の圧迫で疲弊(ひへい)した韓国王朝の求めで併合(へいごう)した朝鮮、日露戦争で得た南樺太(みなみからふと)、日英同盟から連合軍側として戦った御蔭で委任され信託統治(しんたくとうち)となった南洋諸島、利権と思想的な武力干渉をする強国から朝鮮を保護る為に教育指導的な侵攻で打ち建てた満州国、現在、それらの外地の何(いず)れへも、渡航は命がけで、成功する確率は極めて低いというより、辿(たど)り着くのは不可能になっている。
 内地に来て大日本帝国の悲惨な現状を知り、戦況の悪化で帰郷する事が絶望的になった外地人達には、同情しなければならないと思う。
 彼らが占領地の住民で徴用(ちょうよう)された義勇軍兵士なら、敵国が彼らの国を奪い返した時点で、敵国の国民となり、捕虜として収容されて軍務から開放されるが、外地は大日本帝国の国土であって占領地ではない。故(ゆえ)に、彼らは天皇陛下の臣民として大日本帝国の敵と戦う義務が有り、内地での軍務や徴用作業は続行される。
 聞くところに因ると、外地人には二等国民の朝鮮人、三等国民の台湾人、という区別が有り、内地人は一等国民とされているそうだ。だが、時勢の成り行きで大日本帝国の国土となった地の住民でも、天皇陛下の臣民(しんみん)なのだから、統治上の都合でも公に等級別に格付けするのは間違っていると、私は思っている。
 金沢市と小松市の一角には、外地人達が彼らの習慣や文化で生活して住まう町や部落が在るが、道行く人や職務に励(はげ)む人達に外地人と内地人の見た目の区別は付かず、外地人が虐(しいた)げられたり、蔑(さげす)まわれたりするのを、見た事も、聞いた事も無かった。
 『部落』という名詞にしても、人に非(あら)ず者が集団生活する場所の意味ではなく、単に村よりも小規模な集落という意味で使われている。
 そんな、二等、三等、非人(ひにん)と狭隘(きょうあい)な差別をしない越の国の人々だったが、江戸藩政期に植え付けられた在所の差別意識は、議会政治の世の中になって60余年も経(へ)ても無くなっていなかった。
 加賀藩120万石の中に含まれる支藩の富山藩10万石は、富山県の面積に対して少ない石高(こくだか)だと私は思い、それを年輩の富山市出身の曹長に訊(き)いてみたところ、富山藩とは富山県中央部の婦負郡の地域だけで、比較的大きな町としては八尾(やつお)の町が在るだけで、富山県の2大都市の富山市と高岡市は加賀藩領だったそうだ。
 それならば、加賀藩領に板挟みになった婦負郡(ねいぐん)の人達だけが石川県や富山の加賀藩領域を僻(ひが)むだろうが、何故か、富山県民全体が石川県への僻(ひが)みと地元意識が強いようだ。
 また、聞くところに由(よ)ると、明治の初めに行われた行政改革の廃藩置県(はいはんちけん)に依(よ)って、富山藩から富山県と新川(にいかわ)県が誕生したが、人口が少ない事を理由に富山県と新川県は、加賀地方と能登地方を統合して誕生した石川県に併合(へいごう)されてしまった。だが、石川県議会は越中(えっちゅう)地方を過疎(かそ)地域と決め付けて、治山治水(ちさんちすい)を疎(おろそ)かにしていたらしい。
 この行政の仕打(しう)ちの様な不行(ふゆ)き届きに憤慨した越中全域は分離独立して、新たな富山県と成った経緯(けいい)の恨(うら)みも有るのだと思う。
 現在は先進的な化学工業が発展して、金沢市以上に近代的になった富山市は、不幸な事に戦略破壊の目標にされて、B29の絨毯爆撃で大きな被害が受けていたし、同様にB29の戦略爆撃の目標にされて大被害を被った譜代(ふだい)の越前藩の藩庁城下町だった福井市も、繊維工業で市政は潤(うるお)っていた。
 アメリカ軍の戦略ポイントから外れるような田舎町とされた金沢市よりも、破壊された2つの都市は経済的に優越しているのに、いつまでも過去に囚(とら)われた意識は薄れていない……、……悲しい事だ。
 単なる『黄金の沢』を連想させる『カナザワ』の響きからの妬(ねた)みなら、富山を『トミノヤマ』に、福井を『フクノイ』と呼ぶようにすれば、財や幸の導きを感じさせるのにと思う。
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 外地人への蔑み差別よりも、藩政から固執する妬み僻みを優先する越の国は、……不思議な地域だと思う。それと、朝鮮人の軍曹が、『富山』は朝鮮語のトヤンが訛った名称ではないかと話してくれた。
 朝鮮半島や大陸から日本海を越えての、越の国なのだろう。
 古事記(こじき)では、何故、コシの発音に『高志』や『古志』の漢字を当てたのだろうか?
 トヤンは朝鮮では人名で、古(いにしえ)の富山湾沿岸や能登半島はトヤンという人物が支配していたかも知れないと思いつつ、海上から迫り来る大和の軍勢と越の国の民は激しい戦闘を繰り返しただろうと、現実の防衛任務に重ねて夢想した。
 古(いにしえ)に日本海沿岸の環地域は盛んに海上交易を行って高度に栄えた経済文化圏が在ったと思うが、後の征服した支配者達の破壊によって荒廃させられ、今では其の多くが失われてしまい、伝承さえも途絶えてしまったのだろう。
 石川県の金沢市を中心とした藩政期の加賀藩は、外様(とざま)でも600万石の徳川幕府に次ぐ120万石の大大名で、雅(みやび)で余裕の有る行政と他藩よりも領民に自由を与えた支配体制が緩(ゆる)い100万石意識を持たせて、差別の意識に鈍(にぶ)いのだろうと、高岡市出身で郷土歴史研究家の警護班長の兵曹長が語ってくれた。
 見ていたところ、富山県の人達も外地人への分け隔(へだ)ては無く、寧(むし)ろ藩政期からの所領地での差別意識が強いと感じた。
 62万石の福井松平藩も、譜代の筆頭石高で加賀藩の御目付(おめつ)け役でしたから、優しく聞こえる福井訛(なま)りからして自領地の身分差には厳(きび)しくても、外地人への妙(みょう)な差別には疎(うと)いのだろうと思う。そして、北陸の地よりも明(あき)らかに表日本の方が、外地人と身分による差別意識が強いと知った。
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 北陸の主要な港には、朝鮮半島やロシアの日本海側の港と中国の東支那海や渤海(ぼっかい)の大きな港へ行き来する定期航路が多く運航されていて、明治期の初めから大量の物資が運ばれて来たり、大勢の人達が渡航したりしている事も有って、白人系は珍しがられたが、外地人の誰もが自分の出身地と本姓を言っても、北陸の人達は何の抵抗や差別や詮索(せんさく)も無く、彼らを日本人として受け入れていた。
 梯団員の外地人は皆若く、彼らの誰もが生まれながらの日本領土の日本人で、日本名の姓名を持ち、日本語を至極(しごく)普通に、本土出身の少年兵達よりも滑舌(かつぜつ)が良く、流暢(りゅうちょう)で丁寧(ていねい)に話せた。
 私の梯団長車の砲手は台湾人で、勇猛な高砂(たかさご)族から志願して入営した25才の加藤正少尉だ。
 彼もそうだが、梯団各車の砲手は視力が良く、静止目標への照準及び、移動目標への見越し照準が速やかで正確な者を抜擢(ばってき)している。
 高雄(カオション)市出身の加藤正少尉の本名は郭世新(グゥオスーシン)と言い、彼は妻と幼い子供が高雄市に居ると、部族衣装で撮った家族写真を見せてくれた。 
 装填手は、体格の良い24才の朝鮮人だ。
 志願して内地で士官教育を受けていた朝鮮の太田(テジョン)市出身の上杉学准尉は、『朝鮮名が李明照(リションソ)です』と言いながら、恥ずかしそうに内地へ渡る直前に婚約したという許婚(いいなずけ)の美少女の写真を見せた。
 2人共、内地と同等政策で新設する外地軍の機械化部隊の指導士官に成るべく、日本帝国陸軍の士官学校で指導要領を学んでいたが、それぞれの外地に戻れない厳(きび)しい戦局の悪化に、陸軍士官学校から『越乃国梯団』へ転属させられているのだ。
 末っ子の弟のような2人の少年兵には、16歳の指中郁三郎(さしなかいくさぶろう)1等兵が操縦手を、15歳の赤芝真(あかしばまこと)2等兵が前方機銃手を兼ねた無線手の担当をさせている。
 彼らと私は、連日の猛訓練で自分がすべき役割と担当が交代できる必要最低限の任を熟知させていた。
 梯団長車の二人の乗員以外にも外地人はいて、僚車の第一中隊二号車の砲手を担っている。
 彼の名は王徳明(ワンダミン)で、日本名は持っていないのか、名乗っていない。
 日本語は妻と共に南京(ナンキン)で在住していた日本人に月謝を支払って学んでいて、まだ発音に難が残っていたが、会話や読み書きでの意思の疎通に問題は無かった。
 以前は中国大陸で敵対している蒋介石(しょうかいせき)の国民党政府軍の砲兵少尉だったが、昭和12年12月に日本軍が占領した南京市で、昭和15年3月末に共産主義の排除と孫文(そんぶん)の大アジア主義の継承、そして、大日本帝国との共存共栄の和平を政策として、植民地主義の欧米と結託する蒋介石と決別した国民党指導者の1人だった汪兆銘(ワウテウメイ)が主席となって建国した南京政府に、彼は階級を一つ落とした特務准尉として集っていた。
 彼は、強力な日本軍との長期化する戦いと欧米の白人達の言いなりになる犬のような国民党の捨て駒の扱いに嫌気が差して、和平を主張する親日の汪兆銘に賛同したと、胸を張ってが言っていた。
 王徳明准尉は治安部隊に新設される装甲車隊の隊長として、士官学校で部隊の指揮・運用を受講していたのを、火砲の扱いに精通しているのを見掛けているのも有って、梯団へ勧誘(かんゆう)した。
 中国山西省陽曲(ヤンチャウ)市出身の26歳、妻と3人の子供が江蘇省鎮江市で妻の両親と暮らしていて、早く会いに行きたいと言っていたが、『このまま、大日本帝国が連合軍に敗北して降伏すれば、汪兆銘の南京政府も、蒋介石の重慶政府と共産党の八路軍に降伏する事になり、南京政府主席の汪兆銘は処刑、元国民党軍将校の君も裏切り者の漢奸(かんかん)・売国奴(ばいこくど)とされて、不用意に戻れば、家族も君と一緒に処刑になるかも知れないが、君は日本軍の士官学校で学んだ技術将校だ。だから、優秀な将校が不足している蒋介石は、君を必要とする望みも有るだろう』と助言していた。
 実際、彼の砲撃と射撃の成績は最優秀で、梯団各車の砲手に射撃要領を指導させている。
 梯団の各車からも、同様の訓練が出来ていると報告されていて、急造的だが戦力として活躍できる力量になったと期待している。
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 背後の大乗寺山と野田山の向こう側に連なる三小牛山は、ススキだらけの平らな山頂を利用して南北800m長の滑走路が造営されており、一面が牧草地のように見える陸海軍合同管理の飛行場には、ただの地面の凹凸にしか見えない掩蔽壕も有ったが、飛行機は駐機していなかった。
 三小牛山は、野村錬兵場が在る麓(ふもと)から民間人の立ち入りが禁止されていたが、歩兵第7連隊の留守番部隊の大尉と一緒の時は、すんなりと通して貰えた。
 滑走路で土方(どかた)作業をしていた設営隊の軍属に訊いた話では、カタパルトで崖下(がけした)へ突き飛ばすように発進させる、パイロットが操縦するロケット兵器が配置されているそうだ。
 それは、3本の火薬ロケットを推進力として、時速1000㎞の超高速で沖合の敵の艦船へ突入して行き、1機の命中で空母や戦艦を轟沈させる威力が有るらしい。
 既に、設置が済んでいるように見えるカタパルトは、敦賀湾や七尾湾に退避した帝国海軍のイ号潜水艦の船体から取り外した圧搾空気圧式で、三牛山山頂に滑走路と交(まじ)わらないようにした配置で、ススキの原と松林の中に東西方向へ3基が設置されていた。
 噂では、犀川と小立野台地と浅野川を挟んだ北側の小高い丘の卯辰山(うたつやま)の頂上や南側の富樫(とがし)山城跡にも、桜花を出撃させるカタパルトが1、2基設置されていると聞いている。
 同様のカタパルトは小松飛行場近くや片山津温泉背後の台地上にも設置されていて、神雷隊の1式陸上攻撃機に吊り下げられたロケット機が、1000mくらいの上空から滑空訓練をしていたのを見ている。
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 昭和18年10月2日の勅令(ちょくれい)により、それまで、徴兵猶予(ゆうよ)を卒業まで与えられていた大学などの高等教育で文科系や農業を学20歳以上の学生を公に招集する学徒動員令が発令され、帝都の明治神宮外苑の国立競技場に関東の召集学生を集合させて盛大な学徒出陣の壮行会(そうこうかい)が行われたのを、マニラの映画館で毎週上映されていたニュース映画で観ていた。そして、昭和19年には早くも、18歳の学生達も学徒動員されていると、ルソン島に駐屯(ちゅうとん)する師団へ補充されて来た若い学徒士官から聞いた。
 海軍神雷航空隊の桜花を操縦する搭乗員は、そんな学徒動員された18歳か、19歳の学力優秀な若者達だ。
 飛行訓練基地で僅か3週間程度の飛行と突入訓練が行われた後、幹部兵教練を受けないまま下士官や下級士官になって各地の最前線基地へ配属され、その多くが1、2週間以内に敵艦へ体当たりして自爆する神風特別攻撃隊員としての、生きて戻って来れない消耗品とされ、尊(とうと)い若い命を無情に散らしている。
 今を生き残れば、敗戦と戦争継続を強行した政府を憂いて、恒久平和の民主的な日本への再建に貢献するはずの若者達なのに、戦争を終結できない軍部と政府の所為で連合軍に大日本帝国本土が征服されるまで、将来の日本を担(にな)う優秀な若者達は体裁の良い礎(いしずえ)という建て前の犠牲にされてしまっているのだ。
(例え、出陣している本人が納得していたとしても、全く、遣り切れない事だ!)

▼昭和20年 11月4日 日曜日
 まだ、曙(あけぼの)にもならない山々の峰縁(みねふち)の空だけが白(しら)み始めた暁(あかつき)から、加賀沖と金沢沖の水平線上まで接近したアメリカ海軍の戦艦群による海岸地帯への艦砲射撃は、日の出と共に出撃した桜花部隊の帰投できぬ特別攻撃によって強制的に止めさせられた。
 突入する桜花の自爆攻撃で戦艦群は撃破されて水平線の彼方の日本海沖まで、桜花の射程圏外へと退避して行った。
 戦域条件が揃(そろ)えば、桜花の威力が絶大な戦果を上げる事を証明した学徒兵搭乗員の自己犠牲精神は、艦砲射撃の爆発と破壊力に驚愕(きょうがく)して慄(おのの)いていた防衛の軍人達や山地へ避難する市民達の目に大戦果を焼き付かせ、喜びの歓声を上げて万歳三唱をさせたが、静寂は敵が退避する一刻(いっこく)余りの間だけで、敵に上陸作戦を完全に断念させるには至らなかった。
 アメリカ軍の艦隊が水平線の彼方へと退去してからは、頻繁(ひんぱん)に敵艦載機の編隊が高空から低空へと飛来して、防御拠点の配置や戦力の偵察をしながら、対空陣地からの反撃を挑発して発見すると、猛禽類(もうきんるい)の獲物狩(えものかり)の様に反復(はんぷく)攻撃をして沈黙させていた。
 他にも、単機のB29が高空を何度も往復して入念に偵察して行った。そして、正午から午後三時過ぎまで何百機という敵機が波状攻撃を繰り返した。
 目標とされたのは、抵抗拠点になると思われる海岸部の集落や学校などの施設や船小屋のような小工場と、桜花が発進した三子牛山や卯辰山や加賀の丘陵地帯の場所に集中していて、鉄道路線や道路や橋梁の物流経路、動力源の電力を確保する発電所や変電所、それに、経済統治する商業地域で労働力が豊富な市街地へは、砲爆撃や機銃掃射をしていない。
 これは思うに、大日本帝国が敗北した戦後の処理を考えての、製造力や運送力を残す戦略なのだと思っていた。
 徹底的な日本の機能の破壊と日本人の殺傷は、生き残る日本人達に激しい憎悪を刻み付け、アメリカ人を悪魔の所業を行う理不尽(りふじん)な侵略者か、魂を刈り取る大鎌を振るう死神に偶像化させて、敬(うやま)うどころか、懐柔(かいじゅう)するくらいなら死を選ばせるほど、頑固(がんこ)で一概(いちがい)な日本人を、更に、意固地(いこじ)にして徹底交戦を絶滅するまで継続させてしまうと考えられるから、アメリ軍は不用意な占領や排除すべき抵抗勢力の目標以外を無差別に攻撃して来ない。
 大きな利潤格差が生じる資本主義経済のアメリカを中心とした西側連合国は、利益の平等分配の限界に必ず至ると考えられる共産主義を輸出するソ連が大東亜戦争終結後の敵だと決めているのだろう。
 将来的にソ連と遣り合う為にも、日本の経済力と日本国民を防共の最前線としなければと、友好的征服策を模索していると思う。
 爆撃と機銃掃射に飛来したのは、沖のアメリカ海軍の空母からの艦載機と、本土の占領された何処かの飛行場から発進したアメリカの陸軍や空軍の双発爆撃機だ。
 まるで、爆撃訓練のように双発爆撃機の大編隊が波状で1000m~3000mの中高度や300m~500mの低高度の水平爆撃を次々と行い、艦上爆撃機は何を狙っていたのか分からないが、編隊のままで急降下爆撃をして地上すれすれで引き起すという、操縦技量の高さを見せ付けていた。
 敵の艦上戦闘機や艦上攻撃機は、対空迎撃の曳光弾を撃ち上げる陸軍の口径20㎜の単装の高射機関砲と海軍の口径25㎜の単装や3連装の機銃に対して、搭載して来たロケット弾の一斉射と四連装から八連装の口径12.7㎜の搭載機銃で激しく交戦していた。
 私が居る場所から見える範囲では、3機の双発機が煙を引き、其の内の1機が火に包まれて、搭乗員が脱出する間も無く、金沢駅近くの市街地に墜落して爆発散華(さんげ)した。
 2機の艦載機が、火を噴いて落ちるのを見た。
 1機は搭乗員が落下傘で脱出した後に空中で火の玉となって爆発四散したが、もう1機は不時着するつもりだったのか、30軒ほどの農家が水田に囲まれて島みたいに見える集落へ滑るように落ちて大火災を起こし、集落の半分以上の家屋と木々を燃やしてしまった。
 交戦している高射機関砲は、東金沢駅や西金沢駅や野々市駅の周辺の陣地に配置された10基と、浅野川や犀川の土手上に擬装された機関砲が2基ずつ計4基、私が居る南側背後の満願寺山から高尾の丘陵の方に五基、それに卯辰山北側の小坂丘陵へも配置されている3基の高射機関砲の、9ヶ所の陣地に分散布陣させた合計22基の高射機関砲で、襲来する敵艦上機群を網で包む様に弾丸を浴びせている。だが、其の対空防衛網は敵機の反復攻撃に因って、徐々に撃ち上げる火線を減らして来ていた。
 小松方面は、海沿いに在る海軍小松飛行場と柴山潟南側の丘陵地帯が集中的に狙われていて、漂う煙で霞む中に10条以上の立ち上る黒煙が双眼鏡越しに見えた。
 爆弾を投下し終え、ロケット弾を撃ち尽くした敵機は、半数程になっても盛んに曳光弾の束を撃ち上げる高射機関砲や機銃の掩体壕陣地の撃破と、海岸付近や水田が広がる平野部に点在する集落への機銃掃射に集中して来た。
 激しい連射で瞬く間に搭載機銃の弾薬を撃ち尽くした双発の爆撃機の編隊が、次々と遣って来た東や南の方角へ機首を向けて帰投へと飛び去って行く頃、北東の方向の空からヴォン、ヴォンと大型犬の鳴き声のような音が途切れなしに聞こえて来て、見上げると、先導機に従えられたB29が24機編隊で1つの梯団になって、それが4つ、数珠繋(じゅずつな)ぎで向かって来ている。
 2つ目までの梯団は上空を素通りして小松方面へ向かい、後の2つの梯団は、それぞれ三子牛山と卯辰山に大型爆弾を一斉に投下した。
 爆弾は正確に目標となった三子牛山と卯辰山の山頂に集中していて、麓の住宅地で爆発するような狙いを外した爆弾は1発も無かった。
 1つ、1つの爆弾の炸裂ではなくて、爆撃目標地点の地面全体を隅々(すみずみ)まで深く掘り返して噴き散らかしながら爆発の炎で焼き尽くす、極めて精密な照準で投弾された絨毯爆撃を、間近で見たのは初めてだった。
 4発重爆の大編隊が投下した爆弾が一遍に爆発する絨毯爆撃は、2つの小山の頂上が火山の如く大噴火して無くなるかと思うほど、高々と広範囲に噴き上がった土砂(どしゃ)の凄(すさ)まじさと大轟音と強い地響きに、艦砲射撃とは違う強烈な破壊の威力に度肝(どぎも)を抜かれてしまった。しかし、爆弾投下は1回の通過時のみで、何時間も続く艦砲射撃の執拗(しつよう)さは無かった。
(これで、焼夷弾の束が何100個もバラ撒(ま)かれでもしていたら、石造りやコンクリートの建物が数えるほどしかない金沢の街は綺麗さっぱり灰塵(かいじん)となり、翌朝には焼け野原の更地(さらち)になった事だろう)
 暫(しばら)く、耳の奥に残るドロドロ、ゴロゴロと、誰も生き残れないと思うしかない破壊の大音響を聞きながら、小松の方はと見ると、やはり、片山津辺りの丘陵と飛行場が目標とされ、土砂の噴き上げと爆発の火炎が遠望された。
 水平線近くに傾いた秋の夕陽の強い輝きは、無塗装のジェラルミン肌のB29の機体を赤い黄金色に染めて、鬼達が乗り込む地獄の業火(ごうか)を纏(まと)う天津船(あまつふね)や月読舟(つくよみふね)の艦隊の様に思え、神罰(しんばつ)を落とされて終焉(しゅうえん)を迎える運命なのは、大日本帝国臣民なのかと、錯覚(さっかく)しそうだ。
 国民投票で選ばれた民主主義の議会政治が漸(ようや)く定着して落ち着いて来たのに、軍閥が政権を握った時から大和の民の幸せの方向が違いだした。
 大東亜の理想は業(ごう)と欲と優越意識の支配に変わり、今、理想と目的を見失った偽善の国へ神仏の鉄槌(てっつい)は激しい炎となって振り下ろされている。
(大日本帝国を取り巻く時勢の流れでの朝鮮併合、満州国設立、大陸内部への進攻や白人支配から開放する、八紘一宇(はっこういちう)の大東亜(だいとうあ)共栄圏への理想が悪だとするならば、其の共存共栄の理想を微塵(みじん)にと、徹底的に粉砕するのは、正義ではなくて、更に、強大で利己的な資本主義の格差だらけの理不尽な民主主義と、間違いだらけの共産帝国主義いう、醜悪非道(しゅうあくひどう)な極悪(ごくあく)に他ならないだろう)
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 昭和13年の春に大日本帝国陸軍第16師団へ召集されて内地での訓練期間を終えると、中国大陸の武漢(ぶかん)攻略戦中の師団の砲兵隊へ配属された。
 舞鶴(まいづる)港から乗船した輸送船は日本海から東支那海(ひがししなかい)を好天に恵まれて渡り、更に、揚子江(ようすこう)を遡(さかのぼ)って南京(ナンキン)の市城港まで航行して積み込んだ物資を降ろし、兵員を下船させた。
 行けども、行けども、悲しいくらいに疎(まば)らな並木の荒れた農道の両側に広がる手入れの緩(ゆる)い田畑と、廃村のような貧乏臭い集落の点在する田舎風景が広がるばかりの中国大陸の大平原を、フォード社製トラックの無蓋(むがい)の荷台で食い物と弾薬の木箱の陰に蹲(うずくま)って、醒(さ)めぬ船酔いと車酔いのゲロを吐き続けながらの移動は、占領した武漢の兵器工廠(こうしょう)に着いて終了した。
 揚子江の河口の左岸に密集する上海(シャンハイ)の大きな街を眺(なが)めながら上流へと進み、岸辺の斜面を登って見上げた南京の城門の重厚さと左右に延々と続く高い城壁を見てから、陸路を車酔いでフラフラになって到着した武漢で、街を囲む大城郭の中に来ている自分の存在を俯瞰(ふかん)するように想像すると、広漠(こうばく)とした大地の中と悠久(ゆうきゅう)の歴史の果てにいる自分が非常に矮小(わいしょう)で哀(あわ)れにな生き物に思い込んでしまいそうになった。
 大日本帝国と敵対して戦争状態にある中華民国の兵器製造力は、小銃や大砲は製造できても、戦車どころか、まともな自動車や軍用機は造れず、河川や沿岸用の砲艦などの戦闘艇は製作できるが、小型の海防艦や駆逐艦も、まして、巡洋艦や戦艦を建造する技術の蓄積自体が無なかった。
 昭和12年に全金属製の航空機の開発と量産製造に成功した浙江(せっこう)省杭州(こうしゅう)市の筧橋(ジアンチャウ)飛行機製造廠は、既に日本軍に占領摂取(せっしゅ)されている。
 中華民国軍の大砲を製造する6つの兵器工廠の内、上海市の兵器工廠、中原(ちゅうげん)の山西省の太原(タイゲン)兵器工廠、遼東(りょうとう)省と遼西(りょうせい)省の間に在る沈陽(チンヤン)市の兵器工廠、湖北省武漢市の漢陽(ハンヤン)兵器工廠、広東(カントン)省の琶江(パジャン)兵器工廠の5つを占領していたから、対戦車砲や高射砲、そして、大口径の要塞砲に至るまで、全ての大砲の量産製造は激減して、小銃や拳銃の製作も半減しているはずだった。
 後は残る重慶(じゅうけい)市の老牌(ラオパイ)兵器工廠を破壊占領すれば、兵器の量産製造は全て壊滅(かいめつ)してしまうのだが、国民人口が日本の10倍以上の中華民国は軍隊の兵員数も10倍以上で、其の兵隊達が携行する大小の火器は、発展途上の自国産業の生産では足りず、多くを中華民国を援助する外国から購入していた。
 戦争継続に必要な援助の兵器と弾薬は、西方や南方の奥地から山脈地帯や砂漠地帯の国境を越えて陸路で運ばれていて、中華民国を疲弊させて降伏へと追い込む日本軍の戦略と侵攻を阻(はば)んでいた。
 占領地を確保するので精一杯の日本軍には、更に、侵攻する余剰(よじょう)の戦力が乏(とぼ)しい故に、其の危険な搬入路を遮断する術(すべ)は無かった。
 それにしても、いくら大軍といえども、携行火器と小口径の大砲しか装備していない支那(しな)兵達を、列強国の第1線兵器と同等の陸海空の武器や起動兵器を装備する大日本帝国軍が、取り逃がして撃滅できないのは、作戦や戦術は良しとしても、戦法が同じ程度だからだろうと、5、6回の戦闘参加で一兵卒ながら機動兵器の戦車や長距離砲撃の活用不足に気付いて来た。
 山野で狩りをするのに、獣(けもの)と同じ程度の思考では、獣を欺(あざむ)いて仕留(しと)める事はできない。
 作戦で勝利しているのは、演習や訓練の錬度と成し遂げる意思の強さが勝っていたに過ぎず、戦死者と負傷者の数は同じくらいで、投入兵力からの比較では我が軍の損害率の方が大きい。
 支那兵達の戦闘意欲は殺(そ)ぎ易いが、逃げ足は巧妙(こうみょう)で素早(すばや)く、隙間(すきま)だらけの包囲網から易々と列車に乗り込まれて逃げられている。
 支那兵達の戦意を失くさせるのに失敗すると、我が軍の突貫攻撃や白兵戦は逆に圧倒されたり、包囲殲滅されたりして、幾つかの全滅した部隊の噂を聞いた。
 遠望する敵の貨車編成の列車は砲の射程距離内なのだが、補給が追い行かない弾薬の乏しさと圧倒的に大兵力の敵兵達に、乗り込む列車を破壊してしまうと、我が軍の薄い包囲網を破ろうと抵抗して来るのは必須(ひっす)で、抑(おさ)え込むのは不可能と判断された。
 包囲を突破されるのは不可避(ふかひ)だろうが、敵に大損害を与える事はできる。だが、我が方も弾薬は撃ち尽くしてしまい、兵士達の損失も甚大(じんだい)だろう。そして、救援に来る敵部隊に蹂躙され、兵器の全てを損失、兵士は全員戦死の全滅だ。
 後日、部隊が全滅した場所を占領した時の話では、両手を挙(あ)げて降伏した兵や横たわる負傷兵まで、青龍刀(せいりゅうとう)で滅多切(めったぎ)りにされていたそうだ。
 他にも、城壁の櫓楼(やぐらろう)に籠(こも)る強力な敵を撃ち破るのに、崩(くず)れない城壁の隅際(すみぎわ)に積み重なる双方の死体が城壁の高さになるまで攀(よ)じ登れず、陥落させるまでの損害は、圧倒的に我が軍が多かったと、武漢作戦後に駐屯した満州で聞かされた。
 仮に、我が軍は、包囲捕捉できた敵の大軍団が戦意を喪失して降伏して来ても、作戦に従軍した日本兵の10倍にも及ぶ投降兵の始末(しまつ)に、収容場所も、糧秣(りょうまつ)も無くて困(こま)り果てるだけで、其の上、中国大陸の西方彼方に在る中華民国政府は降伏しない。
 そんな中国大陸での中華民国に勝てない戦法で、物量任せの安全戦術で反撃侵攻して来るアメリカの戦略に勝てるはずがないと、レイテ島でアメリカ軍と戦って身に沁(し)みていた。
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 B29の大編隊が夕焼け空の彼方に天国へ続く真っ赤なハイウェイのような雲の筋を残して消え去ると、死神の手先となった黒い翼の天使の様に飛び回っていた敵の艦載機の群れも、一斉へ西の水平線の向こうの黄昏(たそがれ)の世界へ去ってしまい、解除された空襲警報に夕暮れから宵闇への静寂が訪れたが、やがて、澱(よど)んだような静けさの中に破壊の痕を始末する遠くの音と、近隣からの夕餉(ゆうげ)の支度(したく)の音が聞こえて来た。
 夜の帳(とばり)が降りて、ひっそりと辺りが闇に包まれ始めた時、片手には少し前と足許だけを照らすように墨(すみ)で黒く染めた提灯(ちょうちん)を持ち、もう一方の手には、今からの晩飯と夜半の夜食と明日の早朝の握り飯を入れた籠(かご)に、お茶を入れた大きなヤカンを持って、3人の女学生達が来てくれた。
 出来るだけ彼女達に不安を与えないように、昼間の攻防に触れない話をしながらの晩飯を済ませた今は、若い指中一等兵と赤芝二等兵は、ヤカンを置いた焚き火の炉を囲んで女子達と歓談し、妻子持ちの加藤少尉と婚約者がいる上杉准尉は、それぞれの提灯の灯りの下で、手紙か、日記を認(したた)めている。
 これから仮眠を取り、夜半から未明(みめい)に掛けて守備位置である金石街道の植林帯へアメノウヅメを移動させ、暁(あかつき)までに戦闘配置を完了しなければならないと考えながら、私は『いよいよ、明日は戦闘だぞ!』と、気を引き締めながら、夜の黒い水平線で漁火(いさりび)のように群がる敵艦船の灯りを、チリオツニの前方で眺めていた。
 其処へ女学生達の最年長者の鷹巣(たかのす)淑子(よしこ)さんが近付いて来て、昼間の攻防を体験した思いを話した。
「……はっ、初めて知りました……、せっ、戦争がどういうものなのか……。まだ身体の震えが止まりません……。あの子達もそうです。……防空壕の中では、私達は身を寄せ合って、耳を塞(ふさ)ぎ、震えていました。……警報が解除になって、皆さんの夕餉の支度をしている時も、……ここまで来る時も、そして今も……、震えています。大尉さん、あなた様は、あんなに恐ろしい中から、御帰還なされたのですね」
 初めて身近で戦われた戦争の轟音と激震と火薬と鉄の臭いから意識の底から引き起こされる恐怖で、全身を小刻みに震わす彼女が、歯の根の合わない口を懸命に抑えながら、言葉を整(ととの)えて話してくれる。
「ええ、今日の艦砲射撃と空襲は、まだ下拵(したごしら)え……、いや、明日の上陸の準備ですよ。明日、敵は必ず上陸して来ます。上陸と内陸への侵攻を援護する艦砲射撃と空襲は、今日よりも激しくなるでしょう。上陸した敵の砲兵の激しい砲撃に援護されて、敵は戦車の大群を先頭に攻めて来ます。それを撃退する防衛戦は、厳(きび)しく壮絶(そうぜつ)になります」
 『あんな爆発と炎の中を、どうすれば、生き残れるの?』と、問うように私を見詰める少女に、慰めにならないアメリカ軍の上陸作戦の戦闘手順を、『敵は強力過ぎるから、諦めなさい』と言わんばかりに話してしまう。
「そうなるのなら、私は此処に居て、皆さんの御手伝いを致します。そして、あなた様が御戻りになるのを待ちます。さあ、何をすれば良いのか、命じて下さい……」
 気丈夫(きじょうぶ)な言葉は語尾が小さく掠(かす)れながらも、健気(けなげ)な彼女は涙を湛(たた)える瞳で真っ直ぐに僕を見て、はっきりと言ってくれる。
 気持は嬉しいが、竹林の中の補給部隊の動きが少しでも上空を飛ぶ敵の偵察機に発見されれば、直ぐに大口径弾が無差別に落下する艦砲射撃と執拗(しつよう)な空爆に晒(さら)されて、この広い竹林ごと噴き散らされてしまうだろう。
「この辺りも砲撃や空襲の目標になるかも知れません。流れ弾も飛んで来るでしょう。焼夷弾で市街地が焼かれると、ここも直ぐに燃えてしまいます。そうなると、逃げ道は無くなり……」
「あなた様も一緒に逃げましょう! お願いです! 私と逃げて下さい。……皆さんも、一緒に山奥へ逃げましょう!」
 胸の前で両手を握り締めて思い詰めた、今にも泣きそうな顔の彼女の小さな悲鳴のような声が、僕の言葉を遮る。
「逃げていただけないのでしたら、……私は逃げないで、あなた様と一緒に戦います!」
 僕は手袋を脱いで、言葉を強める彼女の両の肩に手を置いて落ち着かせながら言う。
「それは駄目です。淑子さんに、此処に残って貰っても、戦っても、欲しく有りません。そうされると、僕が此処にいる意味も、敵と戦う意味も、無くなります」
 肩に置いた手が広がり、彼女を抱き寄せたい衝動に駆られた。
「僕は戦うしか有りません。淑子さんを守る為に、僕は戦います!」
「……あなた様は、必ず生きて戻って来てくれますか?」
 潤(うる)む瞳が、僕を見上げている。
「約束して下さい。必ず生きて戻ると……、お願いですから……」
「それは、約束……」
「でも、戦えば……、敵に殺されます。あなた様が……、いなくなったら、私は……」
 言葉がか細く途切れる彼女の目から、ポロポロと涙が溢(あふ)れて頬(ほお)を流れ落ちて行く。
「分かりました。約束します。必ず生きて戻ります。僕だけではなく、搭乗員の皆も無事に戻ります」
「……あなた様は、私に言う事を利かせようと、できない約束をするのでしょう? ああっ、でも、でも……」
 涙目がキッと見開いて、僕を『嘘吐(うそつ)き』と睨(にら)んだ。
「大丈夫ですよ。アメノウズメ達は凄く強いのです。あんな爆弾や砲弾は弾き返す事が出来るから、約束するのです。それに、アメノウズメの大砲は、アメリカの戦車を殺っつけれます。だから、負ける事は有りません」
 爆弾や大口径の砲弾が直撃したり、敵戦車の徹甲弾が装甲板を貫通しない限りは、アメノウズメが遣られる事はないが、負け続きの戦の御蔭で、明日は此処に上陸して来る強力な敵と戦う事になるだろうから、本当は自分の生死など、約束はできない……。
「本当に、……約束できるのですか?」
 僕を睨む彼女が、ギュッと僕の心臓を鷲摑(わしづか)みしたように、凄く愛しくて切ない。
「はい、本当です。だから、約束できます」
「私が戦っては、駄目なのでしょう?」
「そうです。駄目です。戦うのは、兵隊と勤皇隊と防衛隊の男性で十分です。だから、早く、挺身婦人会の方々と一緒に、犀川や浅野川の上流へ逃げて下さい!」
 僕を見上げる彼女の瞳が、再び、涙に潤む。
「湯涌や倉谷の山奥へ私は避難して、あなた様が無事に戻って来ても、その後は、どうなるのですか? 戦争は続いていて、生き残っていても、私達は殺されるだけなのですか?」
「……そんな悲劇には、ならないと、僕は思います。いえ、悲惨な事にも、無残な事にもならないように、僕が、この命に代えて淑子さんを、必ず守り通します」
 僕は幻想を彼女に語っている。
 彼女に向けて振り下ろされる剣先(けんさき)も、突いて来る矛先(ほこさき)も、飛んで来る矢も、僕の盾と矛は彼女の前面に立ちはだかり、其の災厄(さいやく)の全てを討ち払う近さには居られない。
 私が直接、戦闘の指揮を執る『越乃国梯団 第1中隊』の2輌のチリオツニが活躍するのを、丘の上に広がる竹林の、この場所から遠望できるだろうが、私の戦いは、淑子さんだけを意識して守る為ではない事を、もし、見守っていてくれるのならば、彼女は分かっているだろう。
「邑織(むらおり)様、岐阜県は飛騨地方に、福井県は県境の山岳地帯に、富山県は立山連峰に、そして、石川県は奥能登の高原と加賀の湖沼と県境の山奥に、古(いにしえ)から龍神(りゅうじん)の伝説や伝承(でんしょう)が存在します」
 彼女は、八百万(やおよろず)の神的な神憑(かみがか)りの伝承に護られると話すのが察しられたが、僕には彼女が言おうとしている事を否定できなかった。
「此処、金沢の野村地区に住まう私達は、この近くを流れる伏見川の、更に、上流の内川の源流辺りの菊水(きくすい)の集落まで避難します。其処の三輪山にも龍神の言い伝えが有り、きっと、私達は護(まも)られると信じていて、侵入しようとする外敵は拒(こば)まれて酷(ひど)い目に遭(あ)う事でしょう。私は大丈夫です。だから、あなた様は、必ず生きて、私の許(もと)へ戻って来て下さい……」
 僕が生まれ育った滋賀県高島郡朽木村(くつきむら)針畑(はりはた)にも、龍神ではないが、異形(いぎょう)の神の伝承が有り、実際、地区の集落は護られていた。
 集落に近付くに現れた熊(くま)や田畑を荒らした猪(いのしし)や野良犬(のらいぬ)は、内臓を食われた骸(むくろ)となって路上に捨てられていて、村人達は事有る毎に道角(みちかど)の祠(ほこら)に御供(おそな)え物をして、神と崇(あが)めていた。
 其の御供え物は翌朝に無くなっていたが、獣(けもの)が貪(むさぼ)り食ったり、咥(くわ)え去ったりした痕跡(こんせき)は無くて、明らかに住人達以外の知恵の有る異形の何かが、御供え物だけが消えたかの様に、祠や周囲を荒らさずに持ち去っていた。
 僕を含めた地区の住人達は、地区に住まう異形の神を畏(おそ)れ、敬(うやま)い、信心(しんじん)していた。
 龍神ではないが、レイテ島での逃避行で、異形の何かに遭遇(そうぐう)した事が有る。
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 実際の遭遇は一瞬で、其の後は間近に気配を感じていただけなのだが、聞いていた伝承と辺りの状態と状況に僕は、異形の神の様な存在が居ると、今も確信している。
 リモンの山地から北よりに西へ下った低地ジャングルを抜けた場所は、直径2㎞くらいの円形の湿地が広がっていた。
 湿地の中心には、こんもりとした密林が丸く100mほどの島になっていて、其処を行き来する女性と子供の裸足の足跡が有った。
 足跡を見付けた時は、ちょっと、住居が有るかも知れない島のような密林へ行こうかと考えたが、直ぐに思い止まり、行きつ戻りつしている足跡を何処から来て密林へ向かったのかと、密林とは逆の方向へ辺りを警戒しながら姿勢を低くして足跡を辿(たど)ってみた。
 200mばかり足音を忍ばせて背丈よりも高い葦林(あしばやし)の中を、足跡を頼りに通り筋を歩いて行くと、不吉な異臭が漂って来て、進むにつれて其の屍の腐敗臭が強くなった。
 死臭を嗅(か)いでから、更に、100mほど来ると、円形に葦が薙(な)ぎ倒された広場が有って、其の中央に、明らかに人が積み上げたと思われる死体の山が見えた。
 戦闘の痕跡が無く、防衛戦線から外れた場所に多くの死体が有るのを不思議に思いながら、恐(おそ)る恐る近寄って見た死体は、100人以上も積み上げられていて、死後、1週間から3日ほど経った死体が殆どだったが、1日ぐらいしか経っていないの真新しい遺体も幾つか有った。
 死体は、日本兵にアメリカ兵、フィリピンゲリラと思しき者もいたが、見える半数以上が日本兵で、彼ら装備は新品だった。
 どの遺体も、戦闘で受けた様な傷は無くて、他の著(いちじる)しい損傷も無かったが、全員が首を折られて殺されていた。そして、彼らの雑嚢(ざつのう)や背嚢(はいのう)と衣服のポケットの中身は巻き散らかされて、食料品だけが持ち去られている。
 ただし、缶詰(かんづめ)だけは、衣服、銃、刀剣、弾薬の戦闘装備や私物品などと共に残されていた。
 おおよそ歩哨中、索敵中、伝令で逸れたり、離れたりした兵士が、持ち物の食料強奪の目的で浚(さら)われて殺されたのだろう。
 死体の周囲の剥き出しになった僅かの地面には、辿っていた女性と子供の足跡と、自分の五倍も有る大きな人の物らしき幅広の足跡が残されていて、其の不気味さに、辺りは静かだったが不意に襲(おそ)われないかと非常に不安になった。
 殺して遺体を積み上げたのが、何処の誰かの仕業(しわざ)か分らないが、直ぐに逃げ去りたい衝動を抑えつつ、残されていた手付かずの缶詰を頂戴(ちょうだい)する事にした。
 散らばっていた背嚢と2つの雑脳を拝借(はいしゃく)して、パンパンになるまで持てるだけの缶詰を詰め込んだ後、感謝の気持ちとして缶詰の開け方を教える事にした。
 中身を空っぽにされた雑脳や背嚢を敷(し)いた上に、持ち運べない半分以上の缶詰を積み重ねて、其の内の3缶をアメリカ兵の銃剣で開けて、銃剣と共に供(そな)えた。そして、西海岸を目指して立ち去ろうとした時に、其の気配を感じた。
 広場から出て葦林の中に入った途端(とたん)、背後に足音と咀嚼(そしゃく)の音が聞こえ、直ぐに伏せて覗き見ると、はっきりとはしないがズングリとした人形(ひとがた)の人ではない異形が、開けた缶詰を食べていた。
 それを見て、僕は思い出した
 ルソン島に駐留していた頃に、ゲリラ討伐(とうばつ)で解放した原住民の村の老人から、フィリピンの島々には、古からの原住民を守護する、『ン・バギ』という異形の神が住まうから、戦争に関わらない原住民達に無理強(むりじ)いをしないようにと、聞かされていた。
 其の異形を僕は、『ン・バギ』だと判断して、速やかに湿地から離れて行った。
 湿地から出るまで、異形が着かず離れずで近くにいる気配がしていたが、ジャングルに入ると其の気配はピタッと無くなった。
 あの大量に有る缶詰で、女性と子供と『ン・バギ』の3人? は、食い繋いでいけるだろうと思いながら、西海岸を目指して鬱蒼(うっそう)としたジャングルの中を進んで行った。
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 金沢に着任してから、周辺の戦闘に有利な地形やチリオツニが通行可能な道路を地図や実際に確めていた。
 其の地図で調べてみた犀川や内川の源流域からは、間道で県境のブナオ峠を越えて富山県の五箇山の集落へ行けるし、更に、東へ岐阜県の白川郷まで行けば、北への峠を越えて飛騨郷まで行ける道が有る。
 但し、徒歩で超えるしかないブナオ峠や飛騨郷への峠道は残念な事に、雪深い豪雪の地なので冬場に通るのは自殺行為だった。
 それに、雪解けの春が来る頃には、飛騨郷や白川郷がアメリカ軍に占領されているかも知れない。
「……淑子さん、僕の予想ですが、きっと、戦争は今週中に終わります。……残念ですが、日本は負けますよ……。でも、絶望しないで、淑子さんは、強く生き抜いて下さい。きっと、日本は今よりも良くなります。日本は平和になります。だから、生きて幸せになって下さい……」
「戦争が終わらなくても……、平和にならなくても……、死が2人を別つまで、……私は、あなた様の傍に居たいです。……あなた様が、私の傍に居て欲しいです」
 悲しみの憤(いきどお)りに赤らめた涙顔を、より紅(あか)く染(そ)める彼女が言った、『死が2人を別つまで』は、キリスト教の結婚の儀で婚姻を承認する神父が、新郎新婦に添(そ)い遂(と)げを確認する言葉の一節だと、フィリピンのマニラ市に駐留していた時に、列席した知人の結婚式を挙(あ)げた教会で知っていた。
 其の神父の言葉は、結婚する2人へ問う「誓いの言葉」で、結婚式で配られた参列者名簿の裏面には、『健(すこ)やかなる時も、病(や)める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富(と)める時も、貧(まず)しい時も、これを愛し、敬(うやま)い、慰(なぐさ)め、助け、死が2人を別(わか)つまで、愛す事を誓(ちか)いますか?』と、日本語訳が書かれていた。
 僕は、其の『誓いの言葉』が、無言で酌(く)み交(か)わす三三九(さんさんく)度よりも解り易い夫婦の在り方だと、感心して覚えていたが、死で別たれる時も愛(いつく)しみ合うのなら、どちらかが死しても愛は続くと信じたい。
 愛するという言葉や愛という単語に馴染(なじ)みも、興味も無かったが、金沢市の飛梅町(とびうめまち)に在るミッション系の女学校へ通う彼女は、上手く理解しているのだと思った。
「暫(しば)しの間でも、わたしは、あなた様と離れたくありません!」
 僕と結ばれたいと誓う言葉を言って、赤面して俯いた彼女が、大声を出して僕に抱き付き、泣き出した。
 『いつまでも、一緒に居たい』と言った、まだ抱擁(ほうよう)も、接吻(せっぷん)も交(か)わさず、乳房(ちぶさ)の愛撫(あいぶ)もしていない無垢(むく)で生娘(きむすめ)なままにしている彼女は、泣き顔になって僕の胸にしがみ付いて、泣きじゃくっている。
「行かないで! 行かないでぇ! 行かないで……」
 僕のすべき事、僕が此処に居る理由、今の僕の責任は義務ではなくて、望みだ!
 すべき望みの明日の戦闘を考えると、とても、約束できる事ではないので躊躇(ためら)う僕は、何も言わずに彼女の肩に手を置くだけに留めた。
 掌に感じる彼女の温かさと柔(やわ)らかさに、僕は思う。
(いつまでも、一緒に居よう)
 だけど、叶(かな)いそうもない、其の想いは、言葉にできない。
 夕陽が水平線に触れる頃から目立たないように動き出して、黄昏時を過ぎた夜の帳が降り切る前に死地の場所まで、アメノウズメを移動させなくてはならない。
 死地へ赴(おもむ)けば、生きて戻れる事はないだろう。
 荒い呼吸が穏やかになり、肩の震えも治(おさ)まって、少し彼女の気持ちが落ち着いて来たのが分かった。
 彼女の僕への想いは、1晩中、手を取り合ってクルクルと踊り明かしたいほど、心底嬉しいけれど、死する覚悟が言葉を詰まらせてしまう。
(すまない、僕は生きて戻れないでしょう……)
「邑織さんに出会えて、嬉しい!」
 彼女の喉から搾(しぼ)り出すような小さな声だったが、はっきりと聞こえた。
「……淑子さん、僕もそうです」
 抱き留めた手を背中に回し、僕は彼女を引き寄せながら言う。
「大好きです! ああっ、今、私は幸せです」
 喘(あえ)ぐような其の言葉に、思わず、彼女の背中へ回した手に力が入り、強く抱き締めた。
 身体は緊張(きんちょう)するのに、気持ちは弛緩(しかん)して安らいだ。
(愛(いと)しい……)
 こんなにも、人を愛しいと思ったのは初めてだ。
 10年間の軍隊生活で、これほど心が安らいだ事は無かった。
「死なないで!」
 小さくても、強い意思を込めた声が、鋭く胸に刺さり、気持ちが動揺する。
「生きて、ずっと、私を幸せにし続けて!」
 嬉しい言葉が、凄く切ない。
「私は、あなた様を愛しています……」
 愛していると、外国映画や翻訳された恋愛小説でしか知らなかった恋情を告白する言葉を、はっきりと彼女は僕に言ってくれる。
 やはり、ミッション系の学校だから、博愛や慈愛や恋愛に素直なのだろうか?
 僕への想いを詰める彼女は、恥ずかしくて僕は言うのを躊躇う愛を言葉にしてくれた。
「此処では、……いつも、私の瞳があなた様を探していました。……此処を……、この場所を……、離れると、あなた様を想う切なさで、胸が痛くて……、ずっと、心はあなた様で一杯です……。愛しています……」
(……何度も、彼女は、僕を『愛しています』と言ってくれている)
 初めて出会ってから、僅か1ヵ月しか経っていないのに、もう彼女を愛しいと想わない時間はなかった。
 気が付けば、自分でも信じられないくらいに、見るもの、聞くもの、匂うもの、味わうもの、触るもの、自分の5感の全てを彼女と結び付けていた。
 自分が5感で得る全ての良き思いを、彼女も一緒にと願っていた。
 僕の第六感は、彼女を感じていたいと常に捜し求めている。だけど、この時局に僕の命などは大風の前の些細な炎の灯に過ぎない。
(アメリカ軍は、非常に強力だ!)
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 レイテ島での帝国陸軍の敗北は、物量や制海権、制空権だけの差ではなかった。
 戦略と戦術には、臨機応変の柔軟性が欠如していた。
 教えられた事以外や経験の有る事以外の、急がば回れ的な思考と行動が出来ないという、直情的な硬直化が有った。
 師団長や参報の高級将校から一兵卒(いっぺいそつ)まで、従来の全体体制や仕来(しきた)り事(ごと)が優先される、個人が無い教育と個人を認めない社会に自分の命への執着が薄れていて、敵を殲滅する気概がアメリカ兵より乏しいと知った。
 場当たり一辺倒な切り込み突撃は心情的には苦痛だが、誰もが躊躇い無く突っ込んで行き、1人、1人、死ぬまで奮闘して玉砕して果てた。
 この玉砕が敵を抹殺する気概だとするならば、それは、生への執着の乏しい、死する事を義務とする意識がさせた洗脳的な行動だったと思う。
 皆、引き際の判断よりも、死に場所を求めていた。
 死の恐怖を超えて突撃で生き残っても、次の突貫(とっかん)で攻撃の最前列に並ばされて、また死の恐怖に襲われる。
 負傷の度に歴戦の勇士だと嘯(うそぶ)いても、歩けるくらいの負傷なら攻撃に参加させられて、殺される恐怖は無くならない。
 だから、生き残って待ち侘(わ)びる人達に会いたいと願うより、いっその事死んで、繰り返される恐怖から逃れたいと、最前線で修羅(しゅら)の如(ごと)く奮戦して戦死していまうのだった。
 死に切れなかったり、戦意を失ったりすると、大半は食い物と水を求めて山中を彷徨(さまよ)うだけで、敵中に死活を求めず、道端や草葉の影に大勢が飢餓で骸(むくろ)になっていった。
 交戦時の軍隊は、傷病兵には冷酷だった。
 軽傷者以外は部隊の行軍速度に付いて歩けないから、付いて来るなと命令され、あっさりと見放されていた。
 平時の駐屯地の治療所や占領地の大病院と内地の病院へ送還される幸運に恵まれていれば、半年くらいで根治(こんじ)する傷や病状でも、補給の途絶えた前線では、投与する薬も、看病する人も、全く足りていない。
 患部に巻いた包帯は、こびり付いた血と膿(うみ)と泥だらけで、交換される事は殆どない。
 食い物も、薬も無く、衰弱(すいじゃく)が進む身体に傷口や病(やまい)は治癒(ちゆ)するどころか、不潔さと湿度の高い熱帯の天気に蛆(うじ)だらけに化膿して発熱は酷くなり、解熱する手立ても無い39度以上の高熱は、命が尽きるまで苦しませて意識を朦朧(もうろう)とさせるばかりだ。だが、高級将校は別で、重傷でも、重病でも、背負われたり、担(かつ)がれたりして連れていかれた。
 見捨てられ、置いて行かれた者達は、容態が快方に向かう事も、内地への送還も絶望と悟り、急速に生きる執着が薄れて自決へと行動する。
 自決用に手渡されていた手榴弾は人数分の数が無くて、3、4人が重なって爆発させていた。
 今思うと、そのまま仮包帯所で横たわっていれば、其の内にアメリカ兵が遣って来て虜囚(りょしゅう)になっただろうが、出兵を義務や権利の契約の忠誠とは意識せずに、御奉公(ごほうこう)や定めの忠義(ちゅうぎ)と覚悟する大日本帝国将兵は、敵の捕虜になる事を潔(いさぎよ)しとはせず、生きるに堪(た)えられない恥と心していた。
 其の残酷な死中に生への活を求めて僕は運良く生き残り、今日まで生きようと足掻(あが)いて来たけれど、それも、これまでかも知れないと思う。
 明日には上陸して来るだろうアメリカ軍との死闘で、圧倒的な敵の物量に自分のチリオツニは撃破され、自分も斃(たお)れるか、瀕死(ひんし)の重傷を負(お)ってしまうか、そんな終幕になってしまいそうだ。
 それに、明日は撃破されなかったとしても、明後日か、明々後日には、間断無く続く昼夜の戦闘で退避する場所も見付けられないままに、必ず撃滅されてしまうだろう。だから今は、抱き締める彼女に希望を与えるような将来的な言葉を、軽はずみに言ってはならない。
(将来を約束する言葉は、例(たと)え慰(なぐさ)めでも、絶対に彼女へ言ってはならない!)
 僕は彼女の背に回した腕の力を緩(ゆる)め、手を彼女の肩に戻してから、そっと優しく僕の胸から彼女を離す。
 彼女は離れて行く僕の胸に寄り添い続けようとしたのを止めると、瞳が僕の目を見詰めながら涙を溢れさせていた。
 僕は、2、3歩、ゆっくりと後退(あとずさ)り、踵(きびす)を返して背を向け、後ろを振り向かず足早に彼女から離れて行く。
(離れたくない! 離したくない! 好きだ! 愛しい!)
「好きだ! 凄く愛しい!」
 心の中で叫んでいたはずの愛しい女性への言葉が、唇(くちびる)を噛(か)んで愛する気持ちを圧(お)し殺す直前に声になって出していた。
「淑子さん!」
 直ぐ様、自分に駆け寄る音が背後に聞こえると、彼女は勢い良く目の前に来て背伸びをした。
 彼女の両の掌(てのひら)が、涙と鼻水が伝い流れる僕の頬(ほお)を掴(つか)み、閉じていた唇を僅かに開いて僕の唇に強く押し付けて来た。
 僕の求めに感極まったのか、彼女は大胆な接吻(せっぷん)をする。
 これまで、好(す)かれた遊郭(ゆうかく)の女郎(じょろう)や慰安所の遊女(ゆうじょ)と唇を重ねて春を買った事は少なからず有り、気に入った娘もいたが、深入りはして来なかった。
 男女の肉体の交(まじ)わりの全てが、軍隊に入営してからの玄人(くろうと)相手ばかりで、素人(しろうと)の女性に触れる経験は初めてだ。
 まして、世間体(せけんてい)からの打算的な思惑を抜きにした、作戦業務を遂行する上での関係だけの、純粋な生娘(きむすめ)の方から積極的に接吻をされたのは、非常に驚くべき事態で、僕は内心、反応すべき態度を憂慮(ゆうりょ)してオロオロと戸惑ってしまう。
(しかし、これは、彼女にとって、きっと、初めての接吻なのだ!)
 僕の戸惑いは、彼女への感動に変わる。
 僕を強く愛してくれる彼女は、これが今生(こんじょう)の別れになると思い詰めた激情に駆(か)られた衝動的な接吻だとしても、どんなに勇気が必要だったのだろう。
 手が彼女の頭の後ろに支えるように触れて、押し付ける彼女の唇へ、更に、強く僕の唇を押し付けながら、少しずつ唇を開かせて行く。
 少し舌先を絡(から)ませながら、このまま、大人の接吻と性交を教えようかと考えたが、思い留めて支える手を緩めて唇を離す。
 其の離れる僕の唇が、彼女へ言葉を贈(おく)った。
「この戦争が終わって、生き残れていたら、僕は金沢に住み、淑子さんと暮らそう……」
 黄昏(たそがれ)の明かりが薄れて、全ての色が褪(あ)せても、涙を湛(たた)えた彼女の瞳がキラキラと、はっきり見える。
「淑子さんが、好きです! 好きです! 大好きです!」
 僕の手を払って僕に抱き付く彼女が言った。
「嬉(うれ)しい! ……約束だよ……」
「ああ、約束だ」
 僕が愛しい女性に言った無責任な愛の言葉へ、約束ができない約束をした。
(だけど、僕は約束する。僕が戦いで斃(たお)れても、現世(げんせ)より永遠(とわ)に君の幸せを守護すると……。もし……、……もしも、……生き残れたら……、ずっと一緒に居て下さい……)

▼昭和20年 11月5日 月曜日 丑三つ時(うしみつどき)
 昨日は夜明けから、三子牛山と沿岸の集落を執拗(しつよう)に機銃掃射と爆撃をしていた敵艦載機の群れが、日没で水平線の彼方に遊弋(ゆうよく)する機動部隊の母艦へ飛び去るのを見届けた後、日没後の薄暗く黄ばんだ残陽の中で、『未明までに所定の守備陣地へ着け』と、独立戦車梯団 越乃国の6輌全車の5式中戦車乙型2に待機場所から、上陸後に侵攻して来る敵地上部隊を迎え撃つ、待ち伏せ位置へ移動する命令を発事した。
 『敵の上陸近し』と、2週間前から市民の疎開(そかい)が始まり、金沢市内と市街地以西の集落の住人は全て、金沢市東側の山麓(さんろく)や谷間の仮住まいする小屋や農家や尋常(じんじょう)小学校などの家屋へと移っている。
 石川県沖に敵機動部隊が接近中と知らされた3日前の木曜日には、既に軍に協力していない市民の大半が富山県との県境の山間部へ避難していて、生活用品や食料などを満載した大八車やリヤカーを押したり、牽(ひ)いたりしながら、大勢の市民が徒歩で犀川の上流を目指して行くのを見ている。
 既に、市街地から海側の平野に点在する集落の人達も避難しているが、彼らは牛や馬に牽かせた荷車へ蓄(たくわ)えていた米俵と種芋や収穫した作物を入れた袋を山積みにして、更に、豚や鶏まで連れて行くのを見ていた。
 夜半の夜の闇の中を進む我々に、市街の要所や主要な交差点を警護する巡査や兵卒達が、灯(とも)した提灯(ちょうちん)や行燈(あんどん)を道標(みちしるべ)代わりに振って案内してくれているが、金沢市へ到着した初日の時のような沿道に並んで見ている市民の姿は、灯火管制の夜間外出禁止令と疎開した後の街頭に、一人もいなかった。
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 上陸して来た敵を徹底的に打ち砕こうとする本土決戦が現実になる前は、空襲や艦砲射撃の被害を避けて子供達を田舎へ疎開させる事は有ったが、大人は防空壕に退避できるのみで、消火や被災修復の為に他へ移る事は、戦時法に拠って禁止されていた。
 B29の大編隊に因る焼夷弾の絨毯爆撃は、全く防火対策の効果が無く、消火活動が追い着かない広範囲な火勢と、一帯が焼け野原になる状態を鑑(かんが)みると、いつ焼け野原の更地(さらち)にされるか分からない金沢市の市街地や周辺の集落に住民を留まらせるのは無意味と判断されて、金沢市の山間部への避難となった。
 淑子さんや婦人会の皆さん、そして、竹林の地主と小作(こさく)の方々も、既に内川の上流へ避難をしている事だろう。
(どうか、御無事で……)

▼昭和20年 11月5日 月曜日 午前5時 快晴
 昨日と同じ、東の上空が幽かに白み始めたばかりの、まだ暗い内の5時から敵艦隊が小松沖と金沢沖へ接近して、電探照準での間断の無い艦砲射撃が始まった。
 深夜に、再び、接近する敵艦隊を探知した夜間偵察の電探を装備した神雷部隊の彩雲(さいうん)が月明かりの海上に視認して、『敵艦隊接近中』の警報を発していた。
 昨日も標的となっていた小松飛行場では、敵艦載機が帰投して行った夕暮れから、予備機も含めて飛行可能な全機が松林や砂丘斜面に隠されていたコンクリート製の掩体壕から引き出されて、今日の未明(みめい)までに発進を済ませていた。
 越乃国梯団が小松製作所に到着した時には80機余りだと聞かされていた神雷隊の保有機は、一昨日の反撃と敵の爆撃で昨日の全力出撃は40数機になっていた。
 昨日の艦砲射撃と爆撃で、穴ボコだらけに掘り返された滑走路を修復して発進した全機には、木場潟(きばがた)の山側湖畔へ疎開させていた予備の備蓄燃料まで使って燃料タンクを満杯にし、武装と弾薬も完全装備されていた。
 高度200mから300mの低空で集結した帝国海軍飛行隊神雷部隊は、敵の艦隊と夜間戦闘機のレーダー探知を避けて加賀丘陵地帯の上空を同高度で大きく旋回して、艦砲射撃が始まってからも払暁を待った。
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▼昭和20年 11月5日 月曜日 午前6時
 暁(あかつき)に東の空が白んで白山の頂が紅く染まり、疎らな東雲(しののめ)が金色に輝き出すと、神雷部隊は旋回を止めて各飛行隊毎に編隊を組み直して突撃体勢に移った。
 艦砲射撃の砲弾が落下する中を突きっ切り、海岸線を海上へ出た神雷隊が、更に、高度を低くした時、白山の稜線から除き始めた朝陽の鋭い輝きが、水平線上で盛んに一斉射撃を放つ戦艦群と巡洋艦群を鮮やかに照(て)らし出した。
 雷装した1式陸上攻撃機と既に搭載されるべき航空母艦の無い艦上攻撃機の天山の編隊は夜明けの凪いだ海面スレスレに突撃して行く。
 其の前方を雷撃隊の露払いをする為に防空警戒ラインの駆逐艦や軽巡洋艦を反跳爆撃の爆装した艦上攻撃機の流星が高速で飛翔して行き、其の上空を敵艦隊を守る敵艦上戦闘機の排除に、ゼロ戦隊が急上昇して行った。
 3、40機の艦載機と空戦に入るゼロ戦隊よりも、更に、高空を数機の銀河の水平爆撃隊と彗星の急降下爆撃隊が飛んでいる。
 小松航空隊の司令から頂戴した7倍率の双眼鏡で見ていると、攻撃隊は小松沖と金沢沖へと2手に分かれて、金沢沖へは加賀平野から低空で回り込んでから攻撃態勢になった。そして、海上に出たそれぞれの攻撃隊の上空を丘陵上の爆撃を逃れたカタパルトから射出された桜花が、猛烈な速度で追い越して行った。
 桜花に向けて打ち上げられる弾幕が殆ど無いまま、3隻の戦艦の中央に小さな炎の塊が見えると、それらの艦から曳光弾のカーテンは瞬時に消えて、真っ黒な煙が濛々と2隻から昇り出し、1隻は、チカチカと爆発が連続する小さな光りを瞬かせながら傾いて行った。
 3機の桜花が散華した大戦果を顔面に迫らせながら、攻撃隊の編隊は敵艦船群への射点へと突入して行くのを、昨夜から竹の皮に包んで持たされていた朝飯用のオニギリを食いながら、我々は見ている。
 海岸間際まで接近する防空駆逐艦群と水平線上の艦砲射撃を担(にな)う戦艦と重巡洋艦が並ぶ列の両端と後方に防空巡洋艦群がいて、全艦から間断(まだん)無く射ち上げられる曳光弾が、砂丘の向こうの遠くに光るカーテンのようにも、海上に振る雨のようにも見えた。
 殆ど停止して陸上への主砲射撃を連続して行う敵戦艦群を守る、潜水艦からの雷撃と特攻艇の襲来を警戒する駆逐艦や防空艦は、艦砲射撃の前面への配置は無く、其の手薄になっている陸上側から反跳爆撃と水平爆撃が敢行され、一瞬弱まる対空砲火を衝いて戦艦群への雷撃と水平線の彼方の航空母艦へ急降下爆撃が狙いを定めて突撃している。
 理想的に連続した航空攻撃の直前には、突入した桜花の命中による動揺で敵の対空火線は、更に、乱れていた。
 急降下爆撃機からの爆弾は、機体を引き起こせなくなるギリギリの低空で投下され、大きな標的になる1式陸攻はガンガン命中弾を浴びながらも、撃墜される寸前に、天山は着弾する対空砲火の水柱を翼端で切る超低空で魚雷を放っていた。
 パッパッパッパッと増え続ける黒い煙球(けむりたま)は、彗星隊やゼロ戦隊を狙って猛烈に撃ち上げる高射砲弾の炸裂だ。
 ババッ、ババッと海面が白い壁のように噴き上がるのは、海面スレスレに肉迫する雷撃隊の流星を狙う多連装機関砲の連射だ。
 黒い煙球と白い壁の中に煌くオレンジ色の小さな玉と細く流れる線は、被弾して散華する友軍機だった。
 激しい対空砲火を浴びながらも、不時着帰還したのは12、3機だったが、5体満足で機から降りた飛行士が何人だったのかは、知らされていない。
 無線機からは、攻撃を終えた機が帰還しているとは聞こえて来ない。
 小松飛行場は艦砲射撃や空爆に曝(さら)され、2次攻撃を行う補充機体も無く、飛べる機体が無くなれば、海軍小松飛行隊の将兵は、七尾湾、富山湾、三国港、及び、桜花部隊へ合流して守備の強化と出撃作業要員になるとの命令が出されていたが、現在の戦況では移動は困難で大きな被害を被ると判断されて、現在地で陸戦隊として陸軍部隊と合流して戦うしかないだろうと、また、生還できる機は富山県内か、福井県内の飛行場へ逃れているだろうと思われた。
 水平線上に立つ多くの黒煙の損害にも関わらず、残存する敵の戦艦から艦砲射撃は再開されて海岸の付近の火炎地獄が戻って来た。
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▼昭和20年 11月5日 月曜日 午前7時
 火炎に覆われる砂丘の向こう、敵戦艦群の前に3列以上の横隊で展開した数100台の水陸両用戦車と大小10数隻の戦車揚陸艦が海岸へ迫って来るのを遠望しながら、其の上空を戦爆連合の艦載機の群れが、艦砲射撃の射線を避けて次から次と飛んで来ては、集落や目に付く家屋や木立を爆弾と銃弾で破壊したり、焼夷弾(しょういだん)で炎上させているのを間近で見ていた。
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▼昭和20年 11月5日 月曜日 午前8時
 艦砲射撃の弾幕が徐々に海岸部から内陸へ移って行くと、敵の第一波の水陸両用戦車群が、正面南の海岸縁の徳光の集落から正面北の粟ヶ崎の集落までの浜に上陸して、更に、二波、三波と10分刻みで上陸して来る。そして、第一波が砂丘地一帯に進出すると、第二波と第三波の水陸両用戦車から海兵隊が展開して、敵に橋頭堡が築かれたと、粟ヶ崎の砂丘から北へ続く内灘砂丘の高台に隠された監視所から報告が届いた。
 犀川の河口の宮腰の漁港や専光寺の漁港、それに河北潟口に在る大野の漁港には、戦車揚陸艦が直接に埠頭へ接岸して、戦車、車両、大砲を降ろしているとも、無線で報告されている。

▼昭和20年 11月5日 月曜日 午前8時30分過ぎ
 艦砲射撃の弾着が植林帯まで迫って来て、『いよいよ此処も、大木を植えられそうな深さまで掘り返えされるのか……』と、覚悟した時、不意に射撃が止んで、上空高く飛ぶ敵機の爆音以外、辺りは静かになった。
 あちらこちらで、枯らした杉やヒバや松の枝と葉が煙幕代わりに燃やされて、金沢の市街地から植林帯の前面まで、白い煙に覆われ、チラチラと煙の合間に見える敵機は、この煙に攻撃目標が曖昧になるのか、聞こえて来る爆弾の炸裂音と銃撃音が少なくなっている。
(……この静寂は、嵐の前の静けさだな)
『ドン、ドン、ドン、ドン』と突然、我軍の前哨陣地に構えた92式重機関銃の重い発砲音が前方から聞こえ、続いて『パパン、パン、パン、パパン』と乱れ撃つ、アメリカ軍の半自動小銃の発砲が響き、敵の侵攻が始まった事を知らせた。
 当然、敵の戦車部隊も宮腰の集落と金沢市街地を結ぶ街道や、粟ヶ崎からの私鉄線路上を進んで来ているだろう。
「赤芝二等兵、梯団の全中隊へ通達。敵が侵攻して来ている。直ちに九字(くじ)を切れ!」
「復唱、全中隊へ、九字を切れと伝えます」
「よろしい。赤芝二等兵が無線通達を終えたら、我々も九字を切るぞ!」
 九字とは、密教の守護を得る為の真言(しんごん)で、梯団の結成式の時に呪詛(じゅそ)を唱(とな)えた陰陽道(おんようどう)の先生から教えて頂いた、右手で作る手刀を胸の前で、『臨(リン)、兵(ピョウ)、闘(トウ)、者(シャ)、皆(カイ)、陣(ジン)、列(レツ)、在(ザイ)、前(ゼン)』と唱えながら、一文字ずつ縦と横の順で交互に空(くう)を切り、唱え終えると、手刀を左手で握って呪詛を結(むす)び、手刀を仕舞う。
 これの願う意は、『我を守護する者ども、我の前に並びて陣を張り、我を守れ』と、守護神達を召喚(しょうかん)する呪文(じゅもん)だ。
 九字に添(そ)える、召喚を固める言葉と効力を消す言葉が有るが、召喚した守護神達が常(つね)に前に並び、盾(たて)と矛(ほこ)に成って攻防して頂きたいので、添える言葉は唱えない事にした。
 私は九字とは別に、自分が生まれ育った地域に伝わる呪いの言葉も続けて無言で唱える。
 括(くく)り殲滅(せんめつ)する相手の事を思いながら、3度、心の中で繰り返した。
(目を縛(しば)る。鼻を縛る。耳を縛る。口を縛る。胸を縛る。手を縛る。脚(あし)を縛る。いつも、仇名(あだな)す敵に、不幸が有る様に……)
 神主(かんぬし)を招(まね)いて部隊や兵器の御払(おはら)いや御清(おきよ)めを行う事は有ったが、陰陽道の呪詛返(じゅそがえ)しや、忍術(にんじゅつ)の様な九字に願う事など、これまでには無く、いかに形振(なりふ)り構わずの必勝祈願か、心身ともに極(きわ)まった。
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 漂う灰白色の煙幕は海からの浜風で、防衛最前線の集落列まで薄れて来ているが、金沢市街地の方は逆に濃くなっているように見える。
 夜風は昼間とは逆向きで、温かさが残る海の方へ冷えて行く陸上から風が吹くから、海岸の砂丘辺りは流れる煙幕で覆われて、敵戦車の揚陸状況や砲兵隊の布陣、物資の集積具合など、接近して上陸した敵兵力を確かめる偵察には都合が良い。
 水田よりも少し高くなった集落の乾いた土地の海側になる西辺を重点に、北側と南側を含むさ3方の辺を形成する家屋の床下に掘られた機関銃座や蛸壺の塹壕からは、砂丘を越えて金石や大野の集落を抜け、水田の畦道を1列になって進んでくるアメリカ兵達が丸見えだった。
 徹底した爆撃と艦砲射撃と砲兵隊の射撃で集落の家屋の殆どを爆発で破壊して炎上させ、乾いた土地を深く鋤(す)き返す、集落全体が火炎地獄のような光景は、其処に生き残って抵抗する日本兵など1人もいないと信じ込まさせてしまう。
 艦砲射撃を受けた経験が有る南方帰りの古参兵の指導で、農家の母屋や蔵の築(きず)き固めた床土に深く掘って作られた塹壕は、砲弾や爆弾の爆発で掘り返す範囲に入るような直撃にならない限り、底に伏せていれば、五感や精神の異常は別として生き残れる確率は高かった。
 砲撃や爆撃で破壊を免(まぬ)れた機関銃座の射界には、数百m離れた隣の集落まで水田と畑が広がり、遮蔽物と成るのは、浅い小川程度の用水に肥料にする人糞や家畜糞を溜めて置く肥溜(こえだ)めで、泥を盛っただけの畦と共に機関銃弾は易々と貫通して来る。
 機関銃小隊の指揮所と予備弾薬は大抵、鎮守(ちんじゅ)の森の木立に囲まれた集落の神社に置かれて、其処から各機関銃分隊へ命令が下された。
 敵歩兵に対しては、予(あらかじ)め、50mまで引き寄せてから発砲するように命じられていて、複数の竹竿(たけざお)を田畑に挿(さ)して50mの距離を示させていた。
 近距離に接近する敵兵へ各集落の機関銃から一斉射が開始され、バタバタとアメリカ兵は薙(な)ぎ倒されて行くが、1分と経たずに敵重砲の効力射に因(よ)って半数以上の機関銃座は沈黙してしまう。
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 アメノウズメの周囲を警戒している勤皇隊員の1人が、全身泥塗(どろまみ)れの少年兵を連れて来た。
 少年兵は、此処から1000mほど海よりに在る集落に配置されている機関銃隊の兵士で、敵砲兵の効力射が着弾する前に視認した敵戦車縦隊の侵攻を、アメノウズメへ知らせる伝令として、水田の泥の中を泳ぐように来たのだった。
「報告します! 金石街道を敵戦車が1列縦隊で進んできます。確認できた数は、8輌です。以上!」
「御苦労! お前の守備陣地は、まだ健在か?」
「敵の効力射で重機が飛ばされるのを見ましたから、たぶん……。でも、伝令任務の達成の報告に戻ります!」
「そうか、ならば、戻る事はならん。此処の勤皇隊に加わって戦え!」
「……ですが、大尉……。わっ、分かりました。自分は、此処で守備任務に就きます!」
 直立不動で敬礼した後、少年兵は勤皇隊員達に水筒の水を掛けられて泥を落としながら、植林帯の前面に在る集落の守備陣地へと連れて行かれた。
 直に其処も、敵の歩兵と砲兵の激しい攻撃に晒されて、少年達が生き残るのは難しいと思えたが、防衛作戦上、守備に就かせなくてはならない。
「赤芝あ、無線で金沢前面の敵戦車隊が侵攻を開始したと、梯団各小隊へ伝えろ! 」
「第3小隊2号車には、海上に敵艦船が現れて上陸行動を行わないか、警戒を厳重にせよと、命じろ!」
「大尉、赤芝は、敵戦車隊の侵攻開始と戦闘行動を、各車に伝えます!」
「大尉! 敵戦車です。伝令の報告通り、街道を縦隊で進んで来ます」
 砲塔上面のハッチを開けて双眼鏡で索敵していた上杉准尉が、逸早(いちはや)く敵戦車を発見すると、砲塔内に戻ってハッチを閉めた。
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「上杉准尉、徹甲榴弾を装填しろ」
「徹甲榴弾、装填完了!」
 閉鎖器が閉まり砲尾の薬室に砲弾が装填された事を示す赤いランプが、砲手の照準器脇に灯るのと同時に、装填手の上杉准尉の報告する声がレシーバーから聞こえた。
「加藤少尉、敵戦車は8輌、単縦陣の1列で来るぞ!」
「敵縦隊の車間は30m~50m、先頭車を400mまで引き付けてから、撃つぞ!」
「初弾は、先頭のM4の左側正面、操縦席を狙って停車させろ!」
「次弾は、砲塔基部を狙い、砲の旋回を出来なくするんだ!」
 双眼鏡で約1000mの距離の遠方に視認した、此方へ向かって来る敵戦車隊の状況を、砲手の加藤少尉へ知らせてから、射撃要領の指示をする。
 敵戦車隊は、少年兵が守備をしていたと思われる集落の残骸へ機関銃の連射を済ませると、他にも日本兵が潜(ひそ)みそうな遮蔽物へ機銃掃射をしたり、まだ形を留めている集落の家屋を榴弾で吹き飛ばしたりして、進攻方向を警戒しながら、追従する歩兵部隊が歩む速度に合わせて、ゆっくりと近付いて来ている。
 車体の前面装甲板に搭載されている機関銃と砲塔上面に増設した2挺の機銃が長い連続射撃で、街道の両脇に点在する家屋や茂(しげ)みを掃射している間に歩兵が近付き、ホースで水を遠くへ撒(ま)く様に放射した火炎を浴びせて焼き払っていた。
 まだ非難せずに留まっている住人や命令に背いて敵を迎え撃とうと潜んでいた防衛隊員が、火達磨(ひだるま)になって飛び出して来たり、炎の中で蠢(うごめ)く人影になっていたりしていないかと心配したが、確かに、どの火事場も無人の様だった。
「先頭車を撃破した後は、最後尾の敵戦車の足回りを狙って、停止させるんだ」
「それから、縦隊を外れて後退しようとする敵戦車を、順は任せるから、全車を仕留めてくれ」
「了解」
 まるで、ラジオ放送のニュースアナウンサーのような加藤少尉の息を乱していない落ち着いた返事が、レシーバーに心地好く響く。
「上杉准尉、敵から砲撃されて、位置が知られたようなら、煙幕弾を敵戦車隊の前面と手前側へ発射して、位置を変更する」
「命じたら、発射しろ」
「大尉、了解しました」
「煙幕が敵の視界を遮ったら、指中1等兵、右側の集落の北西角へ移動して、加藤少尉、敵戦車の残りを殲滅するぞ!」
「赤芝2等兵、其処から敵兵が見え次第、直ちに機銃で撃ち倒せ!」
「了解!」
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 アメリカ軍の機甲戦力の多大な投入と強引な進攻に焦りが感じられた。
 ソ連の本州上陸を阻止するのなら、海上封鎖だけで事が足りるだろうが、大日本帝国を無条件降伏に導けず、日本全土の完全占領に遅延しているとなれば、ソ連は洋上の連合軍の艦隊を圧し退かせて通り、本州への上陸を果たすだろう。
 そうなれば、戦後の日本国土の分割統治にソ連は強い発言力を得る事になる。
 それは、先ず日露戦争で割譲された南樺太の帰属、それから、満州国の保護保全と治安の維持を建前に傀儡政権を樹立させるまでの暫定統治、千島列島と北海道全域と本州の東北地方を統括占領、不義な南朝鮮を見放して北朝鮮の分断占領、それに東京都と大阪市の沿岸部の分割統治を確実に主張して、ほぼ罷り通る事になるだろう。そして、戦後日本は赤化の動乱だ。
 共産イデオロギーに洗脳されて行く日本人は、アメリカやイギリスなどの西側連合国との矢面(やおもて)に立たされ、世界経済の最前線で敵対するだろう。
 自由競争の資本主義と相反する能力的平等分配の共産思考は皇族の廃止を要求し、天皇陛下が世間に下野して庶民となるような、日本歴史上のドス黒い汚点として慟哭すべき不幸が起きるかも知れない。
 それは正に、決して起きてはならない事だ! だが、アメリカ軍に一矢(いっし)を報(むく)いて、最低でも、降伏条件を体制維持へ留め置くという僅かな有利へと導きたいという願いと、陛下が立て籠もる刀利の地へ易々と進攻されない為にも、簡単に防衛線を突破されて金沢市街を抜け、県境の山峡へ至らす訳にはいかない。しかし、大日本帝国は天皇陛下が統治する立憲君主制の国家体制だ。
 まかりなりにも大日本帝国憲法には、臣民の権利と義務、帝国議会の行政府、司法の3権を分立が明記され、選挙による衆議院と貴族院の2議会制の民主主義政治が行われているが、3権の最終裁定は天皇陛下の権限で執行される。
 天皇陛下は、帝国陸海軍の統帥権と大日本帝国の統治権を持ち、立法と行政と司法の議会決定を承認か否かの決議をなされる。
 臣民は兵役と納税の義務が有り、人権の法律は天皇陛下からの恩恵なのだ。従って、帝国陸海軍の参報本部及び大本営が立案する作戦の遂行決議は、天皇陛下が下し、作戦終了も天皇陛下が承認して決定される。
 故に、天皇陛下しか、この大東亜戦争を終結する事ができない。
 天皇陛下がなされようとした八月十五日の大東亜戦争の終結は、本土決戦や一億総玉砕を熱狂的に謳い掲げて狂人の如く盲信する一部の幹部軍人達が起こした宮城事件というクーデターによって、現在も継続されている。
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「大尉殿、敵戦車縦隊の最後尾の後方、300mにも敵戦車縦隊です。其の後ろにも敵戦車が続いています」
 照準眼鏡を除く加藤少尉が報告した。
「加藤少尉、第1縦隊の先頭車を狙うのはヤメだ! 前言の命令は撤回する! 先に敵の第2縦隊の先頭車を狙え!」
「了解! 第2縦隊の先頭車に狙いを変更します。……大尉殿、照準眼鏡に、第2縦隊の先頭車を捉えました」
「よし、そいつから殺って、第2縦隊を足止めするぞ。それから、第1縦隊の最後尾から前へ、逃げ場を無くしながら、順番に始末して行くんだ」
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 仕留め方は、レイテ島で叢の1本道を1列で迫って来るゲリラを皆殺しにした射ち方だ。
 私を殺すか、捕らえようと、15、6人のフィリピン人ゲリラが駆けて来るのが見えたが、胸近くの高さに生い茂った草原の1人が通るだけの幅しかない真っ直ぐな小道だったから、撃ち掛けて来たのは先頭の2人ぐらいだった。
 ゲリラ達が持つ小銃は日本兵から奪った、ボルトアクションの38式歩兵銃ばかりだった。
 38式歩兵銃は5連発だが、1発撃つ度(たび)にレバーを起してからボルトを引いて排莢(はいきょう)させ、それからまた、ボルトを押し込みながら弾倉の弾を装填させる。そして、レバーを元の位置へ倒して固定すると、引き金を引けば、弾丸を発射できる状態になる。
 この一連の弾込め動作を走りながら行って狙い射っても、息切れで喘(あえ)ぐ胸の上下する動きと、駆ける体の左右の揺れで定まらない弾道に、直撃は無くて、敵弾は至近を掠(かす)める程度だった。
 直ぐに私は、脇の叢に2mほど入って、最後尾のゲリラから先頭へ百式短機関銃の弾倉に残る20数発の全残弾の連射で全員を射ち倒すと、後は弾倉を交換しながら小道へ出て、倒れているゲリラ達の見える頭や胸や腹を1人、1人、狙い撃ちで止めを刺した。
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 ゲリラ達を仕留めたのと同じ、逃げられ易い最後尾から撃破して逃げ場を無くし、先頭の縦隊の全車を屠ってやろうと、私は決めた。
「第2縦隊の先頭との距離が、1000mを切ったら、発砲しろ! 初弾必中で動きを止めてくれ!」
「上杉准尉。聞こえたか? 当分は、徹甲榴弾を矢継ぎ早に装填してくれ」
「大尉、了解です。迅速に徹甲榴弾を装填します」
「敵の歩兵部隊も続々と遣って来るな。赤芝二等兵、指示は同じだ。全て、撃ち倒せ!」
「了解!」
 3人の返事の声が頼もしく揃うのを聞きながら、双眼鏡でジリジリと迫る敵戦車縦隊を見ていた昨日を思い出しながらも、ふと、一昨日の晩飯の後、宵闇の中で会っていた彼女との語らいを思い出した。
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(死なないで……か……!)
 彼女は私の顔を見据えて小声ながらも、はっきりと言っていた。
 大陸で国民党政府の首都で在った武漢市の攻略戦や、それに続く襄東(シアンドン)平野の戦いでも、フィリピン攻略戦でのバターン半島の進撃でも、レイテ島での苦しい後退戦でも、部下達や周りにいた多くの戦友達が斃れていった。
 『靖国で会おうぞ!』、親しくしていた戦友は、そう言うと軍刀を振り翳して硝煙に煙る中を敵陣へ切り込んで行った。
 『先に行って、待って…… いる…… ぞ……』、逃げ場の無い大量に落とされる敵の爆弾で大怪我を負った、出征時から苦楽を共にして一緒に戦って来た戦友は、今際の際に靖国神社で待つと言って事切れた。
 『敵を殺つけて、日本を勝利に導くのだ』という、出征での大儀の志は、己の最期に死に華を咲かそうとする、死を受け入れた捨て鉢な玉砕の心境に今はなっていた。だが、戦友達の今生の別れの言葉を聞きながら、私は思う。
(大日本帝国の軍人なら靖国神社か……。中華民国兵は太平の天国か……? アメリカ兵だとヴェルハラか、ヘブンだろうか……? 誰も地獄やヘルへ落ちなくても良いのだろうか? 死後に待っている事ができる処が在るのだろうか? そもそも、何故、靖国へ行かねばならないのだろうか? 死後の世界など、本当に在るのだろうか?)
 勝ち戦では、別けて整然と並べられた敵と味方の骸を眺めていて、負け戦では、野山に累々と朽ち果てた友軍の屍を横目で見ていた。
(もし、戦死した先達や戦友達が英霊となって靖国神社に集ったり、亡霊となって死地の戦場を彷徨っているのなら、戦争は、既に、終結しているはずだろう?)
 霊となって家に帰れるなら、親の平穏な長寿と兄弟姉妹の成就と幸せを願い続ける。
 決して兄に、『俺は靖国で待っているぞ』や、弟に『早く出征して武勲を立てろ。誉れ有る靖国へ来るんだぞ!』とか、姉と妹には、『お国の為に、たくさん男の子を産んで、お役に立ってくれ』などとは望まない。
 私が兄弟姉妹に望み、願う事は、全くの真逆だ。
 『しっかりと家督を継いでくれ、兄貴』、『良い家庭を築きな、弟よ』、『良縁に嫁いで幸せになりな、姉と妹よ』と告げに、必ず枕許に立つだろう。だけど、私は死後の世界は無いと思っている。
 産まれ生ずる肉体に生命が宿り、朽ち果てる肉体から魂魄が離れて死に至るのは、この宇宙の世界が始まった時からの摂理の現象なのだと考えている。
 例えば、真っ暗な夜空に突然、打ち上げ花火が炸裂して四方八方(しほうはっぽう)に輝く火花が飛び散り、直ぐに光りが衰えて行く火花は、弱く瞬きながら消えて行き、夜空は真っ暗に戻ってしまう。
(マッチの炎も、似ているな)
 生命は高度で複雑な進化をする有機物に、必ず発生する摂理の現象に過ぎない。
 其処には残照が有っても、しがみ付く亡霊のような得体の知れないモノは存在しない。
 暗黒から産まれた輝きが消えて、漆黒に戻るだけだ。
 死の虚無から混沌の闇になる暗黒の中には、生命の連接のような繋がりは無い。
 闇を照らし、闇に消える命は、儚くて虚しい。そして、死の果ての世界は無い。
 私は、死んで漆黒の無に帰るが、私が生きていた事を私と接していた人達が、善にせよ、悪にせよ、知り憶えていて、命が育む世界で記憶として残り続ける。
 私を知る人達の記憶の中で私は、過去の人として生き続けるだろうが、それは、決して亡霊ではなくて幻影なのだ。
 どうせなら私は、邪悪な漢(おとこ)よりも、善(よ)き思い出の中の男として記憶に留まりたい。
 そう思えばこそ、一度切りの有限な命の自我を輝かせて生きなければならないと思う。
 たった一度切りしかなくて、遣り直す事が出来ない人生は、嬉しくて、楽しくて、幸せに思えるように生きるべきだろう。
 其の様に生きるべき事を、敗戦のレイテ島から逃げ戻るまで、私は知らなかった。
 戦地で人の死を多く見過ぎた所為かも知れないが、死後の世界は無くても、神が居る世界は在るのかも知れないと思った。
 其処は我々が存在する時空に隣接して、神と言うべき目には見えない存在が行き来していて、宿る神のように、人が祈る願いを聴き入れてくれているのかも知れない。
 もしかして、肉体の死で離れた魂も、行き来している存在なのかも知れないと思っている。
 魂は、個人の意識ではないだろう。
 それは、意識を目覚めさせる引き金のようであり、自我を発動させ続ける力の源(みなもと)のようでもある。
 故に、肉体から魂が離れると、個人の意識の自我は、其処で消え去って終わるのだ。
(私は、淑子さんの為に死ねる!)
 私が死んでも、明るくて楽しい彩(いろど)りが豊かに溢れる、彼女の人生で有って欲しいと切に願う。
 淑子さんには、幸せに長生きして欲しいと心から思う。
(其の為に、私は、喜んで命を捧げよう……!)
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「あのう……、これ、去年の4月、進級した時に撮った写真です。幼(おさな)く写っているので、恥ずかしいのですが……、これしかなくて……。……受け取って貰えますか……?」
「もっ、勿論です。受け取らせて頂きます!」
 頂いた写真に写る彼女は、両手は、少し斜めにした体の前で淑やかに重ねて、顔は此方に向けていた。
 今此処にいる彼女が着ているのと同じ女学校の制服は、綺麗にアイロン掛けをしたセーラー服に折り襞(ひだ)のスカート、より素足を白く見せる白いソックスは足首で折り返して、優しい茶色と思われる色の革靴を履いている。
 彩色をしない白黒の写りなのだが、光りの反射加減に濃淡(のうたん)が鮮やかな制服の紺色(こんいろ)、真っ白な靴下、磨(みが)き上げた革靴が陽の光に照されて放つ、茶色の輝(かがや)き。そして、色白の足の素肌と、恥じらいに、ほんのり紅(あか)らむ端正な顔の表情を際立たす、明るい背景の桜吹雪が、はっきりと僕の視覚の中に思い描けていた。
「おおっ、全然、幼くないですよ。寧(むし)ろ、大人びています。それに……、とても可愛いですし、凄く綺麗です」
 サインを入れて新星の映画女優のブロマイドだと渡されても違和感は無く、全く疑わずに信じてしまうくらいの容姿の写りで、目の前の本人のイメージ其の儘(まま)だと思う彼女の写真は、軍服の胸のポケットに入れて血生臭(ちなまぐさ)い戦場を持ち歩くには相応(ふさわ)しくなく、チリオツニの車内に神棚が有れば、其処に祀(まつ)りたい。
「ありがとう。頂けるなんて、恐悦至極です。この左の胸ポケットに入れて置きますよ」
 想いを寄せる彼女の写真を大切に仕舞いながら、今生の別れになるかも知れない今、私物として彼女に受け取って貰える物を何も持っていない事に気付いたが、形見として相応しいと咄嗟に思い付いた言葉を言った。
「ええっと……、ぼっ、僕もですね……。しゃ、写真を渡したいと思っていました。入隊した時の記念です。戦地でも、ずっと、雑納の中へ油紙に包んで持っていました。もう色褪せたり、皺や折れ筋が有ったりで、すみません。これしか、貰っていただける物が無いんです。……あっはは、18歳になったばかりので、ちょっと若過ぎるかもですねぇ……」
 驚きと嬉しさが混じった顔で、優しく写真を受け取った彼女は、優しい瞳で写真を見ると、目許と口許が微笑んだ。
それから、裏面の走り書きを見て、手を鼻先と目の縁を隠すように当てる彼女の瞳が、ウルウルと涙で揺らぎ、肩を小さく震わせた。
 渡した写真は、京都の歩兵第16師団に入隊した新兵の時の記念撮影で、最初の外出許可で兵営の門前に在る写真館で撮った。
 2枚を焼いて貰って、1枚は家へ送った。
 兄が祝言(しゅうげん)を挙げて嫁を貰ってから、家業の人手は足りるようになり、以前から考えていた世の中を広く見たて学びたかったのと、口減らしをして家族の生活を少しでも楽にしたいという気持から、兵役法の20歳(はたち)の招集を待たずに召集令状を18歳になる年に送ってくれと、兵舎の志願者受付へ頼みに行った。
 『それでは志願しろ』と、受付の志願者担当係官に言われたが、事情と2年で除隊して世間で働きたい旨を話すと、係官は私の身体を見て、『上背が有る。ガタイもガッチリして筋肉質だ。受け応えもしっかりして、意思が強そうだな』。そして、『見た目は甲種合格だな。よし、特例として収集令状を送って遣る。徴兵検査を受けろ』となった。
 裏面には、撮影日時、撮影場所、姓名、本籍住所、祖父母と両親と兄弟の名前と歳を、墨字で書いている。
「ありがとうございます。……私も、御写真を頂きたいと思っていました。とても嬉しいです。……あら、良く撮れていますわ。凛々しくて素敵です。……ううっ、昭和15年ですかぁ……。うふっ、あなた様も、ちっとも幼くなくは見えません。今の私と、1つ違いの時の御写真なのに、今と変わらず、とても逞しく思えます」
 入営当時の逞(たくま)しさは、家の野良仕事と山や谷を歩き回って集める薬草採りで鍛えられた体格だったが、軍隊で作られた、戦って死ぬ為の身体から臭う逞しさだろう。
 小銃と弾薬や軍服など、総重量が30㎏を超える装備を身に付けて、更に、砲弾を持ちながら大砲を牽いたり、押したりして、山野を駆け、泥の中を這いずり回り、1日中、地平線の彼方まで歩き、そして、上官に殴られたり、蹴られたりして作られた、強靭な神経が宿った逞しい身体だ。
 撃ち倒した敵兵の数は、思い出せるだけで30を優に超えていて、明日も殺そうとしている。
 君を守る為なら、どんな戦いでも、勇猛果敢に奮闘して、多勢に無勢でも、いや、最後の一人になろうとも、僕は死を恐れはしない。
 血に染まる体に血塗られた手、死に迫られて不整脈続きの心臓からの咳(せ)き込みと疲れ切って奮(ふる)えもしない心、鈍(にぶ)い反応で死を求めるように単純思考する脳、それは、戦争だから仕方が無いのかも知れないが、そんな俺は、君に君が望む幸せを本当に与えられるだろうか?
 そんな自責に苛(さいな)まれた昨日の夜の自分を思い出しながらも、敵戦車隊を徹底的に射ち竦(すく)めようとしている現在に、自分の意識を戻した。
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 先程まで頻繁に聞こえていた対空射撃音が疎らになっていた。
 完全偽装で空からの脅威から逃れ、艦砲射撃の弾着に耐えていた海軍の3連装25㎜機銃は、西洋の死神の大鎌の様に敵歩兵を薙ぎ払って輸送車両や装甲車を穴だらけにする発砲で位置を晒してしまい、薄れた煙幕も相俟(あいま)って正確な位置が判明すると、忽(たちま)ち砲弾の嵐や爆弾と機銃掃射の暴風雨で、極短時間の敵の戦闘爆撃機との撃ち合いも稀に、マッチ棒細工の如(ごと)く潰されていた。
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 犀川の河口の南岸、専光寺(せんこうじ)地区の浜に上陸した敵の歩兵と揚陸された戦車は、有効な対戦車兵器が地雷と携行式憤進弾のみの防衛戦線を破って、西金沢の駅へ1㎞余りに迫る、植林帯手前の稚日野(わかひの)と北塚(きたづか)の集落まで侵攻して占領していた。
 今日の犀川の流速と水量を確認していないが、水位が高くても、アメリカ軍の架橋装備や水陸両用戦車で、日本の2級河川など易々と渡河してくるだろう。
 我々の側面位置になる対岸から煙幕に隠れて渡られると、金石街道の防衛隊の側面を攻められる事になり、金沢正面の戦線が総崩れになってしまう非常に危険な状況に陥(おちい)る。

▼昭和20年 11月5日 月曜日 午前8時45分頃
「大尉、敵戦車縦隊は、金石街道を、尚も接近して来ます」
「はっ! ……そうか!」
 レシーバーに聞こえた砲手の加藤少尉の声が、白昼夢を見て瞼を閉じ掛けていた私を目覚めさせた。
「大尉、第2縦隊の先頭車との距離が、1000mを切りました。第1縦隊の先頭は500mです。射撃を開始しますか?」
「よぉ~し、第2縦隊の先頭に狙いは付けているな?」
「はい! 狙いを付けています、大尉」
「よろしい、撃てぇ!」
「撃ちます!」
バゥン!
 訓練射撃と同様に短い発射音が響き、砲身が勢い良く70㎝ほども後ろへ滑り、自動機構で閉鎖器が開くと、炸薬を爆発燃焼して弾頭を撃ち終えた空の薬莢が薬室から抜け落ち、床の用意された木箱の中でガランと音を立てた。
 砲身は排莢すると直ぐに復座機で元の位置へ戻ると、直ぐ様、上杉准尉が次弾の徹甲弾を装填し、赤いランプが灯った。
 発射から次弾装填完了まで、僅かに四秒。
 加藤少尉が照準を定める間に、上杉准尉は装弾庫から次に装填する徹甲榴弾を取り出している。
「命中! 横を向いて止まったぞ。だが、履帯を切断しただけだ! もう1発だ。側面に命中させろ!」
「了解! 撃ちます」
バゥン!
 敵の第2縦隊の先頭戦車の曝(さら)した側面の中央に火花が散って、ポコッと穴が開いた刹那、爆発の炎が噴き出て砲塔を路肩に飛ばした。
 ガラン、カコンと上杉准尉が装填した音に混じって、ドドーンと、落雷のような搭載弾薬の爆発する音が聞こえた。
「よし! 上手いぞ、加藤少尉。次は第1縦隊の最後尾を撃て!」
「撃ちます!」
バゥン!
 狙われた敵の第1縦隊の最後尾の戦車は、砲塔の右側前面に命中の火花が飛び、穿貫して内部で爆発した徹甲榴弾に、砲塔上面のハッチを開けて周囲を覗いていた車長と装填手が、押し出されるようにハッチの縁に凭れ掛かると、そのまま2人と戦車は動かなくなった。
 其の砲塔上のハッチから上がり出した黒煙が直ぐに炎に変わり、誰も脱出しないままに最後尾の敵戦車は大きな炎に包まれた。
「またもや、1発で撃破したな加藤少尉! この調子で行くぞ! 次は、その前の奴だ」
「ありがとうございます、大尉。次を撃ちます」
バゥン!
 少し車列から外れて正面の半分以上が見えていた最後尾から2輌目の操縦手前面の装甲板にポツンと、丸く徹甲榴弾が貫穿した黒い孔が開く。
「加藤少尉、残りの6輌は自由に撃て。ただし、1輌も逃がすな!」
 残りの6輌は、漸く最後尾から撃たれている事に気付いて、左右に列を乱し始めた。
 列を離れたのが、此方側に3輌、内2輌は砲身を左右に振って仲間を殺った相手を探しているが、どうも、其の動きから察するに複数の対戦車砲か、水平に構えた高射砲に狙われていると考えているようだ。
 後方から3両目のM4戦車は、最早、隊列の体を成さなくなった列から離れて行き、そして、後方へ逃れようと反転してエンジンを吹かした。
「了解! 全て撃破します。撃ち漏らしません、大尉」
「撃方、始めます」
バゥン!
 88㎜砲の鋭い乾いた発砲音と後座する砲身に車内の空気が乱れ、潜望鏡越しに見える薄い硝煙の中を赤い火の玉が小さくなって吸い込まれ、反転して見せた後部の上面から火を噴き上げた。
 敵前で防御の弱い後面部を晒すなんて愚かな判断は、忽ち燃える鉄の棺となって後悔をする間は無かったようだ。
 まだ、列に留まって停車しているのが1輌、これは、列を乱した僚車に遮蔽されて角度的に命中しても、弾頭が滑ってしまいそうだ。
 残りの1輌は、反対側へ列を外れて、砲身を上下左右に振って索敵をする砲塔の一部が見えるのだが、砲塔の大半と車体は撃破された僚車で死角になってしまい、此処からは良く見えない。
「まだ、敵はこっちを見付けていないぞ! 加藤少尉、此方側へ出た3輌から始末するんだ! 先に後方のを殺(や)ってくれ!」
「了解、後方から始末し……」
バゥン!
 復唱が言い終わらない内に発射された砲弾の曳光(えいこう)は、後進を加速し始めた後方のM4戦車へ吸い込まれて、ガックンと膝(ひざ)が折れたように停車すると、乗員達が我先にと脱出して行く。
ブオォ、ブオォ、ブオォォォ!
 其の時、右前方200mの畦道から長く炎の尾を引く大きな噴進弾(ふんしんだん)が一斉(いっせい)に打ち上げられて、遠く金石砂丘の手前際に家屋が連なる宮越と大野の集落へ向かって飛んで行く。
 既に住民達は、金沢市の山手へ避難して無人だったが、今は、戦車隊に続いて進撃し掛けた敵の歩兵部隊が、撃破される戦車を見て発起位置の集落内へ戻って行ったのが見えていた。
 抵抗火点と思しき、植林帯や周辺の集落を砲撃と空爆で灰塵と化してから、再度、戦車隊を先頭に侵攻して来るつもりだったのだろう。
 実際、それが彼らの常套手段で、それが出来る戦力の余力を敵は持っていた。だが、其の作戦を練り直して進撃隊形を組む前に、52発もの直径20㎝のロケット弾が時刻を合わせて一遍(いっぺん)に発射された。
 ロケット弾は橙色(だいだいいろ)に輝く炎を噴きながら濃い灰色の太い煙の尾を伸ばし、集落の家々の大屋根を高く越える弧(こ)を描いて敵陣へと落下すると、半径100mの範囲へ死の破片と火炎を飛び散らす大爆発を起こした。更に、射程を伸ばして、宮腰漁港から大野湊までの金石砂丘の海側一帯へも、同数以上の大型噴進弾が放たれて、弾道を示す燃焼煙を引きながら着弾した。
 金石砂丘の手前際と向こう側へ一遍に着弾して、一斉に大爆発した噴進弾は、再度の前進の為に集結していた敵歩兵部隊と海岸に大量に集積した敵の弾薬や燃料を爆砕して、大音響を伴う地震のような揺れと夕陽よりも大きな火の玉を見せてくれた。
 金石砂丘を挟んで大きな炎の立ち壁ができ、何者も熱の災厄から逃れられないと思わせた。
 噴進弾の発射陣地が並んで配置されていた2つの長い畦道(あぜみち)は、発射台や陣地壁として組まれた線路の枕木(まくらぎ)と秘匿の為に被せられていた幾重もの筵(むしろ)と肥溜(こえだ)めに模していた板材が燃やされて、白煙や黒煙がもうもうと立ち昇って空を覆うとしていた。
 他にも犀川や浅野川の土手沿いに分散して集められた籾殻(もみがら)の山が順番に燃やされて、朝靄(あさもや)のような霞(かす)ませる煙を絶やさないようにしている。
 発射する予備弾が無い噴進弾発射陣地を燃やして火事にしていたのは、発射操作を行っていた勤皇隊の少年達と国民服を着た壮年(そうねん)の国防隊員達だった。
 陣地が燃え盛るのを確認した彼らは、一目散(いちもくさん)に駆けて来て植林帯を通り越し、後方の金沢駅西側の集落間に、同様な噴進弾の発射陣地を秘匿配置した畦道へと移って行った。
 彼らが去ると入れ違いに、対戦車噴進砲を携帯した勤皇隊と留守部隊の陸軍兵達が機関銃を装備して植林帯まで来る予定になっていたが、予想される敵の砲撃と空爆が済むまで後方で待機しているようだ。
バゥン!
ガラン、バサッ、ガサッ、ガコン!
バゥン!
 噴進弾が発射されている最中に、上杉准尉が急いで装填して加藤少尉が続け様に放った砲弾は、こちら側を前進して来た敵戦車2輌へ見事に命中して、敵戦車群の戦闘意欲を粉砕していた。
 上陸したアメリカ軍は既に金石砂丘の海岸側へ砲兵陣地を構築しているはずだが、未だに制圧射撃を加えて来ないところをみると、噴進弾の爆裂で損害を被っているのだろう。
「上杉准尉、まだ敵に位置が知られていない。敵戦車隊の前面と右側の集落と敵側前面に煙幕弾を発射して、目隠しをする」
「狙いが定まったら、発射しろ!」
「大尉、了解しました。頃合いを見定めて、煙幕弾を射ちます」
「指中一等兵、煙幕が展開されたら、植林帯から金石街道へ出て、全速で右側の集落へ移動して、集落の北西角へ行き、塀や庭木の影、もしくは家屋の中に隠れろ」
「加藤少尉、残った2輌を始末するぞ!」
「了解です、大尉』
「移動途中で、敵戦車を撃てそうなら、知らせろ。停めて殲滅するぞ!」
「赤芝二等兵、敵の戦車兵でも、歩兵でも、いたなら、機銃で射竦めろ!」
「大尉、発煙弾、照準良し!」
「上杉准尉、発煙弾を発射ぁ!」
バスッ、……バスッ。
 僅かな間隔を置いて放たれた発煙弾は、狙った場所で予想していた以上の、打ち上げ花火の1尺玉よりも大きく破裂して完全に敵の目隠しをしてくれた。
「よし、指中1等兵、アメノウズメの御光臨だ! 次は、第2縦隊の残りを殺るぞ!」
「大尉、アメノウズメの向きを変えて、林の中を街道へ出て、煙幕の中を全速で右側の集落まで移動します」
 車体後面の排気管から大量の青白い燃焼煙を吐かせながらアメノウズメの向きを変えた指中1等兵は、片野の砂丘での走行訓練の時の全速力と同じくらいの速度で金石街道上を進み、大きな家の塀と横手の納屋を潰して止まった。
「指中1等兵、このまま庭先を通って、集落の西端の家まで進めろ」
「了解しました、大尉。このまま前進します」
 集落内の数件の家の塀や生垣や庭の池を潰し、納屋や石の灯篭を倒壊させながら指中一等兵は、集落の金石側の端に在る屋敷森に囲まれた大きな農家の広い庭でアメノウズメを停止させた。
 司令塔のペリスコープから、アメノウズメに撃破されて金石街道上に燻る敵の第1戦車縦隊の車列の中で、撃ち洩らしていた2輌の方向を反転させて後退寸前の側面が見えた。
「加藤少尉、砲塔は、砲身を何処にも引っ掛けないで、旋回できるな」
「右の母屋側以外は、問題無く、旋回できます。大尉」
「加藤少尉、砲を左へ回して、残りの2輌を殺ってくれ!」
 砲塔が左に回り、砲身が狙いを定めて行く。
 右のペリスコープの長方形の鏡に映る街道に、先頭車が燃える敵の第2戦車縦隊と街道脇の溝や線路へ退避して、こちらを隠れ見ている敵の歩兵達がいた。
 左側のペリスコープに集落の中を隠れながら敵に迫る防衛隊員達と、小型化した対戦車噴進弾兵器を携行した若い挺身勤皇隊員達が背を低く屈めて、畦道を進むのが見えた。
「赤芝二等兵、敵第2縦隊の車列横に敵の歩兵どもが伏せている! 見えるか? 脇の線路や溝にもいるぞ! 射ち倒せ! それから、防衛隊と勤皇隊が前進しているから、機銃の射線に入れないように、気を付けろ!」
「道路上と脇溝に敵兵が見えます。見方を撃たないようにします、大尉。撃ちます!」
ダダッ! ダダダダッ!
 車体前面に搭載する口径7.7㎜の97式機関銃が射ち始めて、籠るような連射音が聞こえ出した。
 其の連射音に合わせて小気味の良い振動が手を置く司令塔の鋼板から伝わって来ると、薄く漂い出した戦車砲弾の発射薬の燃焼とは違う色と臭いの発砲煙が臭覚を刺激した。
 機銃弾の発に1発ずつ入れられている曳光弾が、低い弾道から敵兵へと集弾して行く狙いの良さを、出そうになるくしゃみを堪えながら感心して見ていると、敵戦車へ照準を合わせ終えた加藤少尉が発砲した。
「撃ちます!」
バゥン!
 逃げようと向きを変えていた敵戦車へ橙色の曳光が吸い込まれて行き、暗い緑色の車体に真っ黒な孔がポコッと開いた。
ガラン、バサッ、ガサッ、ガコン!
 次の88㎜砲弾が装填されている間に、全部のハッチが開いて敵の搭乗員達が被弾した戦車から脱出して言った。
 装填を終えた事を上杉准尉が、砲手の加藤少尉へ知らせると、加藤少尉は一瞥して上杉准尉の安全を確かめて引き金を引く。
バゥン!
 放たれた砲弾は、被弾した僚車の向こうを後退して行く第1縦隊の最期の1輌の後部側面へ命中して、忽ち炎上させた。
「よし! これで先頭縦隊の8輌全部と、後続の縦隊の2輌を仕留めたな。良く遣った加藤少尉! 後続の縦隊の残りは、前から後方へと、確実に狙える奴から撃って行け!」
「はい、大尉。ありがとうございます」
 砲塔が右へ少し旋回して、加藤少尉が次の獲物に狙いを付け始めた。
 勤皇隊の少年達が畦道から街道上に出て携行した噴進弾や擲弾筒を撃ち、敵歩兵と激しく交戦しているが見えるが、自動火器を装備するアメリカ軍に圧倒されている。
 畦道を駆けて街道の敵兵の側面を攻めようとした防衛隊も、逆に間断無く放たれる敵の自動火器の弾幕で近寄れず、畦や農道の僅かな窪地に伏せているしかない状態に見える。
 水浸しの水田にボチャン、ボチャンと何かが頻繁に落ちて来て、時々、爆発していた。
 直ぐに、其の爆発は、勤皇隊と防衛隊の決死の反撃を阻(はば)む敵の迫撃砲弾で、疎(まば)らに炸裂するのは、落下して来る口径が60㎜や81㎜の軽い迫撃砲弾では、深く軟(やわ)らかい水田の泥と溶(と)けた粘土の層を貫けずに弾頭先端の着発信管が作動しない所為で、多くが不発弾になっているからだと理解した。
 暫(しば)し見守っていると、着弾した半数以上が炸裂していなくて、防衛隊の損害を軽微にさせている事に喜んだが、季節外れの水張りをした上に台風の豪雨が冠水させて土壌を深くまで緩(ゆる)めた水田は、履帯幅が60㎝のチリオツニでも忽(たちま)ち嵌(はま)って仕舞い、其の遮蔽物の無い水田地帯での緩慢(かんまん)になる動きは、敵の恰好(かっこう)な標的になるだろう。
 連絡に使われている履帯仕様で軽量な94式軽装甲車でさえも、着底する車体の腹に履帯は空転して立ち往生してしまうだろうから、集落内の乾燥した土地や造成した陣地への通路、それに、金石街道と金石電車軌道の線路上しか、安心して走行できない。
「加藤少尉、発砲後、直(ただ)ちに同軸機銃で敵歩兵を射撃して、赤芝二等兵に加勢しろ! 俺は信号弾を上げて、防衛隊と勤皇隊を後退させる!」
「了解しました、大尉」
「指中一等兵、信号弾で敵に位置が知られるから、発射後は来た道を戻って、集落の反対側へ動くぞ!」
バゥン!
ダダダダッ! ダンダンダンダン!
パンッ! パンッ!
 加藤少尉が発砲して、1番近くに見える敵戦車から内部で炸裂した徹甲榴弾の爆炎が開いていた砲塔上のハッチから上がった。
 続いて同軸機銃が撃ち掛けて、主砲と砲塔が首を振るように動いて、敵兵が伏せている辺りを掃射して行く。   
 赤芝二等兵が撃つ前方機銃の着弾の土煙に同軸機銃の着弾が加わり、舞い上がる土煙で敵兵の姿が全く見えなくなった。
 ダダダダッ! ダンダンダンダン!
 前方機銃の低く篭(こも)る射撃音に同軸機銃の高く響かすような発砲音が重なって、ピアノの低音と高音の和音の連弾みたいに1つの音になって聞こえて来る。
 同軸機銃も前方機銃と同じ97式機関銃なのに、どうも、取り付け枠の何処かが振動で共鳴しているようだ。
 それに合わせて、勤皇隊の頭上と防衛隊の頭上へ低い山なりで飛ぶように、後退を命令する赤色の信号弾を続けて撃つ。
 背後から頭上を超えて前方に飛んだ信号弾に気付いた勤皇隊員の1人が後ろを振り返り、後退を始めるアメノウズメを見て、横に伏せている勤皇隊員達へ声を掛けているのを確認してから、指中一等兵へ後退を命じた。
「指中ぁ、後方の村外れの家屋の残骸の影へ移動させろ!』
「上杉准尉、移動後に発煙弾を再装填してくれ!」
「了解です。大尉!」
「加藤少尉! 上杉准尉の作業が終わったら、後続の縦隊の狙(ねら)える奴から、連続射撃だ!」
「了解!」
「大尉、発煙弾、装填終わり!」
 そう、報告しながら上杉准尉が砲塔内に戻って、砲塔後面のハッチを閉めた。
「ご苦労。これから連続射撃を行うぞ、上杉准尉。装填位置へ就(つ)け!」
「了解です!」
「指中、金石街道へ出て、後進で南側の掩蔽壕へ入るぞ!」
 既に目標を視認している加藤少尉は、アメノウズメの砲塔と砲身を僅かに振れさせた。
「撃ち方、開始します」
バゥン!
 撃ち終えると、砲塔と砲身が少し動き、上杉准尉が88㎜徹甲榴弾を、急ぎ装填する音が聞こえた。
「装填完了」
バゥン!
 この一連の動作が、更に一度繰り返される。
「大尉、視認可能な3輌を、全て撃破しました」
「良く遣った、加藤少尉。これで、敵に気付かれずに後退できるだろう」
 先頭縦隊の8輌に加えて、後続縦隊のM4戦車を5輌撃破で、合計13輌の戦果を上げたが、一瞬の油断で我々も同じ不運を辿(たど)る事になると、勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めるが如(ごと)く、司令塔の潜望鏡型覗き窓から周囲を確認して、操縦兵の指中一等兵に命じた。
「指中、金石街道へ出て、後進で南側の掩蔽壕へ入るぞ!」
 敵の後続縦隊の残り3輌のM4戦車が、クルリと180度向きを変えて、追従して来た車両部隊と共に後退して行くのを見計らって、金石街道南側の植林帯内にも設営して完全擬装の掩蔽壕へ速やかに移って戦闘を継続する事にした。
 南側の植林帯は、まだ、艦砲射撃や空爆を受けていないので雑木に紛(まぎ)れ易い。それに、其処の掩蔽に入れば、砲塔のみを地表から出すので、敵からは小さな的(まと)になるだろう。
 現在位置に留まれば、海岸に展開する敵砲兵からの制圧射撃と、敵戦艦の主砲が密に降り注ぐ艦砲射撃、そして、敵空母から発進する戦闘機が搭載するロケット弾の集中発射や、攻撃機が急降下爆撃で投下する大型爆弾の的になるだけだ。
 侵攻して来た敵戦車部隊が後退したのに、戦艦の主砲弾も、爆弾も、落ちて来こない。
(敵の地上部隊が、まだ近くにいる……!)
「全周囲を警戒しろ! 敵が近くに潜んでいるぞ!」
「上杉准尉、今、発煙弾を2発、発射しろ! 残り4発は、金石街道へ出てから、順次発射だ。敵からアメノウズメの動きを隠せ!」
「発煙弾を撃ちます」
バスッ、バスッ。
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 100mほど離れて着弾した発煙弾は、炸裂して直ぐに白煙を広がらせた。
 それを見て、車体前面を敵へ向けて後進しようと街道に出て、残りの発煙弾の発射を始めた時に、右手100mの近距離からアメノウズメに狙いを付ける2、3人の敵歩兵が見えた!
「敵歩兵!」
 其の刹那、後方へ煙の尾を噴かす鼠花火のようなロケット弾を発射して来た。
「2時方向からロケット弾! こっちに中るぞ!」
 紅い炎と白い煙を噴きながら真っ直ぐに飛んで来たロケット弾は、私の直ぐ右斜め前の砲塔側面に命中して爆発した。
 敵兵がロケット弾を放った携行武器は真竹ほどの太さの長さ5尺の金属筒で、ロケット弾の爆発力は前方へ集束して装甲板を溶かし、瞬時に融解した鋼鉄は爆発の勢いのまま、噴流となって孔を開け、戦車内部へ溶けた鉄を迸(ほとば)せてくれる。
 融解噴流(ゆうかいふんりゅう)をマトモに浴びた乗員は、超高速の土砂降りの雨の様な噴流に晒された身体の部分が、1500度以上の高温で重い液状の鉄に因って蒸発してしまい、一瞬で即死してしまう。
 周囲に飛び散る溶けた鉄は、浴びた弾薬を暴発させ、燃料などの可燃物を燃やし、乗員を大火傷させて殺傷する。
 敵のロケット弾は、勤皇隊が装備する対戦車噴進弾と同じ弾体構造と命中効果だ。
ガガーン!
 見事、命中してくれた敵のロケット弾は砲塔側面に掛けていた予備履帯を2枚ほど吹き飛ばして、装甲板の融解穿孔へは至らなかった。だが、爆発の衝撃でエンジンが止まって仕舞った!
「指中ぁ! エンジンの再始動だ!」
「エンジンを、再始動させます」
 直ぐに指中一等兵の返答が有り、始動させる電動機の回る音が、キュルキュルと静まった車内の後方から聞こえて来る。
「赤芝ぁ! 今、撃って来た敵兵が見えたかあ! 殲滅しろ!』
 車内への被害に至らなかった事に安堵しつつ放った命令に、赤芝二等兵からの返事は無く、代わりに前方機銃の連続発砲音と、排莢された空薬莢が床に落ちて転がる乾いた金属音が戦闘室内に響いた。
(まだ、エンジンが掛からない……)
「指中ぁ! 電動機を20秒休ませてから、もう一度だ! ゆっくり数えるんだぞ!」
「電動機を止めて、数えます!」
 回っていた電動機の音が止まった。
 赤芝二等兵の照準は敵兵の周囲に弾着の土煙を舞い上がらせて、ロケット弾を放つ携行火器を弾き飛ばされた敵兵は仰け反って倒れ、脇で援護していた1人は膝から崩れる様に側溝へ倒れ込み、残る1人の敵兵は近くの何処かに逃げ隠れたのか、側溝の底にでも蹲っているのか、指令塔の潜望鏡式覗き窓からは見付けられない。
 キュルキュル、暫し休ませて蓄電池の電圧を回復させてから、再び、電動機が回り出すと、ブロッ、ブロン、ブロン、ブロロロォと、今度は1発でエンジンが愚図(ぐず)る様に掛かった。
 ロケット弾の爆発で熔かされた鉄の溶融温度は1500℃以上だが、直径2、3㎝の貫通孔を開けて内部へ噴出する鉄量は、余り多くない。
 噴出は一瞬で、飛沫の様に迸(ほとばし)る白熱した鉄の粒は真正面で浴びない限り、即死する事は少ないが、手足に浴びれば、骨まで達する烈(はげ)しい深層火傷になり、損傷した部位は切断するか、癒(い)えるまでに数年を要するかだ。しかし、治癒は容態が落ち着くだけで、部位の機能と外見が元の状態に戻る事はない。
 少量とはいえ、1500℃以上で沸騰(ふっとう)する鉄の重い噴流を搭乗員達が浴びれば、忽(たちま)ち衣服の生地を貫通しながら燃え上がらせて、肉体を溶かして蒸発させながら貫通して行き、更に、周囲に飛び散る鉄の飛沫が、全身へ突き刺さるように無数の孔を開けてしまう。
 応急処置としては、燃える衣服を消したり、脱がせたりしながら、皮膚に付着して孔を開けて行く熔けた鉄の粒に素早く水筒の水を浴びせ、冷やして固まらすしかない。
 主砲と弾薬を守る為に砲塔の前面と側面に、操縦と戦闘室の弾薬を守る為に車体の前面と側面の前半に鋼の角材から製作した引っ掛け金具と、鋼板から切り出して作られた立て掛け枠が溶接されて、予備の履帯を出来るだけ隙間無く、増加装甲代わりに掛けたり、差し込ませたりさせている。
 掛けている履帯は、2枚繋げと3枚繋げのみで、人力で扱える重さと大きさにしていた。
 増加した25㎜厚の装甲鋼板と予備履帯の掛け金具の溶接は小松製作所で行われ、帝都圏での試作構想や構造会議では全く発表も、記載もしていなかった。
 それは、本土決戦が逃れようのない決定となった8月中旬に於いても、帝国陸軍中枢の御歴々の高級将校達の干渉を避ける為で、確実に上陸侵攻して来るだろうアメリカ軍のM4主力戦車を凌駕する攻撃力と防御力を備える新型中戦車の極短期間での開発と試作量産が必要なのに、大本営の連中を含めて狭隘な精神論をほざく御歴々には、切迫の理解も、新たな発想も無い。
 余りにも、易々と貫通されて甚大な被害を被っていた89式中戦車の前面や、97式中戦車改の新型砲塔の前半分には、増加装甲板を重ねるのは、『已む無し』とされていたが、土嚢や予備履帯で、更なる防弾を行うのは、帝国軍人の忠義心や敢闘意欲を削ぐ恥ずべき行為だとして許可されず、孤立した最前線の現地部隊でしか施工されていなかった。
 『増加装甲板を付けて重量を増やすだとぉ!』、『大事な予備履帯を装甲代わりにするだとぉ!』、『下賜される兵器の権威を無くす気かぁ!』、『命を惜しむとは、何事だぁ!』などなど、開発の中核将校や技術者を非国民や敗北主義者やスパイと罵った挙句、開発や指導に有能な人材を閉職へ追い遣らってしまうような連中ばかりだ。
 帝国陸軍中枢で権威をひけらかす上層の高級軍人達は、『弱者が、強者に勝つ』、『少人数で、敵の大軍を押し留める』、『竹槍や銃剣で、自動火器の敵に打ち勝つ』、『1振(ひとふ)りの日本刀で、敵の小隊を全滅させる』、『僅か1人の自己犠牲で、不利な戦闘を覆(くつがえ)す』、『義(ぎ)に忠(ちゅう)じて固い不撓不屈(ふとうふくつ)の信念が有れば、敵が幾万居ようとも全て烏合の衆に過ぎず』など、神憑(かみがか)り的な戦国時代の勇猛果敢さを理想として、戦局の回天を求めている夢想家だった。
 それ故に、帝都圏での開発続行は、アメリカ軍に一矢を報いる新型中戦車の実現が夢のまた夢になってしまうだけだった。
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 まだ、敵の砲兵は沈黙しているが、戦車縦隊の全車が破壊された今、直ぐにでも敵機が来襲して、艦載機はロケット弾と銃撃で、双発や4発の爆撃機は絨毯爆撃で、防衛線陣地と考えている植林帯や周辺の集落を根こそぎ無くしに来るだろう。
 煙幕と火事の煙が晴れない内に、私はアメノウズメを金沢駅南側近くの中橋の踏み切り脇まで後退させてから暗くなるのを待って、弾薬と燃料を補給する事にした。
 擬装とアンテナ線張りを済ませて待機に入ると、各姫様達に戦況を報告させた。
「こちら、アメノウズメ。敵戦車縦隊16輌の内、15輌を撃破。後続する敵無し。被弾多数。軽傷者3名。戦闘、移動、共に可能。順次報告せよ」
「ククリヒメ、進攻して来た16輌の内、12輌を撃破。被弾3発有るも、貫通弾無し。戦闘行動に支障無し」
「セオリツヒメ、敵戦車20輌と交戦、半数を貫穿炎上させるも、被弾多数。戦闘に支障無し。現在も交戦中。軽傷1名」
「ワカヒルメ、安宅関に上陸して侵攻する敵を、海軍兵と協力して撃退。敵戦車6輌を撃滅。被弾多数。負傷2名。戦闘可能なれども履帯切断、現在、修理中」
「スセリビメ、塩屋漁港と片野海岸から大聖寺へ川沿いに侵攻する敵を撃退。敵水陸両用戦車18輌及び兵員輸送装甲車8輌を破壊。敵は後退。被弾多数も支障無し。負傷者2名。現在、弾薬の補給中」
「イワナガヒメ、敵上陸部隊の艦船は見えず。富山湾中央で敵駆逐艦と我が海軍哨戒艇の交戦を遠望する。我、損傷無し」
 小松方面の戦況は、かなり強力な敵の上陸兵力との戦闘だと知ったが、3輌のチリオツニは防衛戦線を維持し続けている。
 今、海軍兵が守り通す小松飛行場と全力操業中の小松製作所を失うと、大きな側面脅威が無くなった敵は容易に手取り川を渡河して、其の小松方面に上陸した全兵力を以って金沢市を南部から攻めてくるだろう。
 それに、金沢市南部の西金沢駅、野々市駅、松任駅には、アメリカ軍が迫り、占領されるのは時間の問題だった。そして、小松方面では、既に安宅駅から根上駅までの鉄路が敵の占領下になっていて、国鉄の貨車を利用した移動は不可能になっている。
 それ故に、『小松を防衛する三輌のチリオツニを、金沢へ移動させる』の、戦闘状況の現実を無視した
命令は管区参報へ再考を打診する事なく、私の独断で無視する事にした。
「第3中隊2号車を除く梯団各車に告ぐ、敵が肉薄攻撃を行う公算大なり。各車、周辺に勤皇隊、国防隊を配して、警戒を厳重にせよ!」
 強固な敵陣に突貫(とっかん)して粉砕する夜戦は、大日本帝国陸軍の十八番だが、アメリカ軍の強行偵察隊の攻撃は大胆且(か)つ強力、そして、柔軟な判断と果敢(かかん)な戦闘行動で、決して侮れない事を知っている。
(そんなチリオツニの破壊を目的とした敵の小部隊との戦闘で、唯一、敵戦車部隊を撃滅できるチリオツニを、1輌足りとも失う訳にはいかない!)
 日没後の太陽の黄昏時になると、敵の攻撃機はいなくなり、殆ど一方的な敵の砲火は散発的になって、敵の地上部隊の主力は周囲に鉄条網を張り巡らした塹壕陣地で、夜通し照明弾を打ち上げて待機の守りに就く。
 この落ち着いた時間に、我々は晩飯を食らってから、早々(はやばや)と交代で眠る。
 今晩の晩飯は、飯盒(はんごう)に入った炊き立ての白米に、味噌漬けの豚肉、梅干、白菜の漬物、小魚の佃煮(つくだに)、それに、味噌汁が出て旨い飯だった。
 朝飯と昼飯は、握り飯、太巻き、稲荷寿司が順番で出ていて、浅漬(あさづ)けや味噌漬けが添えられて、それを水筒に入れた番茶か、麦茶を飲みながら食べていた。
(全く、これまで戦災に見舞われていない石川県は、食い物にも豊富だな。……レイテでの強盗殺人の醜態(しゅうたい)とは大違いだ)

▼昭和20年 11月6日 火曜日 午前6時30分
「おおっ、上手く躱(かわ)したぞ!」
 ドドドドッと、至近距離から落雷で弾薬庫が爆発したような轟きと其の大地震のような激しい揺れで、瞬発的に全身が驚くと同時に、レシーバーに響く砲手の加藤少尉の大声が、緊張と疲れから瞼を閉じ掛けていた私を覚醒させた。
「どうした加藤少尉! 何事か?」
「大尉。艦砲射撃が、昨日居た植林帯と集落を狙って着弾しています。大尉の命令通り、前進せずに、この場所へ移って良かったです」
 早朝に加藤少尉は、漂う煙が薄れると見通しが広くなる、昨日と同じ集落の焼け跡に潜めば、敵を狩り易いと前進防御を進言していた。
 それを、今日の午前中にも、西金沢駅を敵に占領されそうで、線路上を進まれて犀川の鉄橋や河川敷からの架橋に拠って渡って来るかも知れないと、最新の戦況に照らし合わせて、却下していた。
 轟音と地響きに震える司令塔の覗き窓から見る北方向は、200mほど先から向こうが噴き上がる土砂と火炎で全く見えない。
 あの着弾する戦艦の主砲弾がチリオツニへ直撃すれば、車体はバラバラになって乗員は蒸発してしまう。また、1発でも10m以内の極至近に落ちて来ても、我々は万事休すだ。
 先程来た伝令は、野々市駅と西金沢駅までアメリカ軍は到達していて、両駅の駅前広場には水陸両用戦車に乗る歩兵とM4戦車が終結していると、知らせている。
「そうか。艦砲射撃が止むと、敵の戦車部隊が突進して来るぞ。視認したら、全部始末してくれ!」
「大尉、勿論です! 加藤は、敵戦車部隊を殲滅します!」
 稲作の水郷地帯は、僅かに水面より高い土地の周囲を畑にした集落が一面の水田の中に島のように点在して見える。
 この集落の島や工場地区や市街地の乾いた固い地面へ砲弾や爆弾が着弾すれば、仕様書通りの範囲に爆発の衝撃と火炎と爆風を飛ばせ、更に鋭く割れた無数の弾片を飛び散らかせて殺傷を齎した。
 大口径の艦砲弾や大型爆弾は、着弾爆発で大きく土地を抉(えぐ)ってくれるが、水を張った田に着弾すると、其の弾体は水を吸った深い泥と底の粘土層を貫いて浸透水に満たされた砂礫や川原石の堆積層で破裂して、狭い角度での噴き上がりとなってしまい、周辺への飛翔を阻まれる弾片の殺傷力は減滅してしまう。
 其の対策として時限信管付の砲弾を敵の10~20mの上空で爆発するように調整して真下への殺傷を狙うが、剥き出しの人員や機材にしか効果は無く、畦道沿いの塹壕とタコツボに枕木などの厚い木材で屋根や蓋をするだけで、十分な防壁効果が有った。
 艦砲射撃後は、午前6時半の日の出から定石(じょうせき)通りに艦載機の空爆と、昨日の夕方から上陸して金石砂丘に再編成して布陣したと思われる砲列からの砲撃が、きっかり2時間も続けられた。
 敵の砲兵隊の射撃も、着発と時限信管での空中爆発や延滞炸裂の混合で、艦砲射撃が止むと直ぐに前進布陣した植林帯が攻略目標なのか、激しい砲撃に晒されて、全周囲から機関銃に狙われているかのように、砲弾片が途切れなく車体や砲塔に当たって弾(はじ)かれた。
 砲弾の炸裂で噴き上がる土砂の合間に、撃破された敵戦車が夜間に回収されて障害物が無くなった金石街道を、速い前進速度で迫って来る敵戦車の縦隊が見え、既に射程内に入られていると判断して、砲手の加藤少尉に発砲を命じた。
「照準が定まり次第、撃て! 連続で発砲、撃破しろ!」
「了解! 大尉。敵戦車縦隊を殲滅します!」
 直ぐ様、発砲された砲弾は高速で接近する敵の先頭車に命中し、街道脇に外れて停止した。更に、次弾も命中させて砲塔を爆発で噴き飛ばした。
 其の後は、迫り来る敵戦車を炎上か、爆発させるまで、加藤少尉は砲弾を撃ち込み、次々と廃棄処分行きにさせて不意の反撃を無くす事に徹底していた。
 乗員の皆は分っていた。
 多数の敵戦車を撃破して、此処は通れない事を敵の肝に命じさせて侵攻を緩慢にさせなければならないと。
 例え、残弾が僅かになっても、突撃して討ち死に至る事はせずに、今は此処で砲弾を撃ち尽くすまで戦い、其の後は頃合を見計らって、速やかに中橋の踏み切りまで後退。そして、弾薬を補充して待ち伏せをさせる。
 常に『アメノウズメ』を戦闘可能状態にさせて、隠れさせている事が敵への強大な脅威になる事を、皆は知っていた。
 発砲後の排莢時に砲尾から漏れ出る火薬の燃焼ガスが、連続発砲で換気が追い着かず車内に充満して視界を霞ませ、私を含めた全乗員が噎せて咳き込んでいる。
 砲塔の上面や後面のハッチを開放して外気を入れたいが、間断無く炸裂する敵の砲弾の断片が、ガンガン当たり続けている状況では不可能だった。
 司令塔の覗き窓から見える周囲の植林帯は、せっかく植えた樹木の多くが集中砲撃で根こそぎ砕かれて、凸凹の荒地に変わってしまった。
 燃焼ガスでチクチク痛む涙目の視界に、犀川の土手上を進んで来たのか、300mほど離れた左側の荒地に到達している敵戦車が見え、停止して砲塔を回して砲を此方へ向けようとしている。
 靄のような燻りの煙幕は、此方の所在を曖昧(あいまい)にすると共に、敵の接近を許していた。
「10時方向に敵戦車! 敵が先に発砲するぞ!」
叫びながら車内を覗き込む視界の端に、敵戦車の発砲炎が写る。
「撃った! 左に当たるぞ!」
 私が叫び、装填手の上杉准尉が、砲弾を撃ち尽くして空になった砲塔内の砲弾の収納棚へ、床下の収納から砲弾を移そうと屈み込んだ刹那、ガガーン! と、大音響が砲塔内に響いて『アメノウズメ』は震えた。
 砲塔の左後面の装甲板を貫通した敵の徹甲弾は勢い余って、砲塔内の後部左側に設置した収納棚を、貫いた装甲板と徹甲弾の粉砕破片が弾き飛ばして、ぶつかった右側の収納棚も一緒に一瞬で潰してしまった。
「上杉准尉! 大丈夫かぁ! 発煙弾の配線が無事なら、直ぐ発射しろ!」
「上杉は掠り傷だけです。発射機への配線を点検して、撃てそうなら、直ちに発射します」
「加藤少尉、砲塔は回るかぁ? 撃って来た10時方向の敵戦車を狙い撃て!」
「上杉准尉! 加藤少尉が発砲したら、発煙弾を全部、発射だ!」
「エンジンは止まっていないな、指中ぁ! 後進で煙幕の中を中橋の踏切まで下がるぞ!」
「了解、大尉。発砲後、後進で中橋まで移動します」
「敵戦車を見付けました! 照準良し! 撃ちます!」
バゥン!
 敵戦車の砲塔左正面に被弾の火花が散り、黒い孔が開いたのが見えた。
「命中だ! 上杉准尉」
バスッ、バスッ、バスッ!
 砲塔の右側後部から、連続して発煙弾を撃ち出す音が響いた。
「左側の発煙弾は、発射筒が被弾で変形していて射出不能です、大尉! 右側のみ、発射しました。次を装填すれば、残りは3発になります」
 司令塔から上半身を出して、素早く周囲を索敵するが、動いている敵も、発砲して来る敵もいない。
 辺りで敵歩兵と交戦していた勤皇隊達は立ち上がって、植林帯の東側に秘匿された塹壕へと後退を始めている。
 植林帯西側の集落から撤収した機関銃隊が艦砲射撃で鋤き返された植林帯に陣取り、時折、植林帯近くの集落へ迫る敵兵達を撃つ、断続的な射撃音が聞こえている。そして、其の射撃音は、次第(しだい)に間隔が短くなって来ているようだ。
 アメリカ軍は、焼けた植林帯に残骸が見付からないアメノウズメと、防衛隊員が携行する噴進砲を警戒してか、迫って来るM4戦車の報告は来ていない。
 敵は防衛隊の残存戦力を知ろうと、砲爆撃に援護されながら、煙の煙幕で見通しの悪い植林帯の占領を試みていて、防衛隊は、僅かに残った機関銃を塹壕線まで後退させている。だが、植林帯の東縁にアメリカ軍が到達するのは、数時間の問題だった。
 市街地から塹壕線へ増強される防衛隊の戦力次第では、アメノウズメを遠巻きにして金沢駅の西方面から金沢城跡の方面軍と防衛隊の司令部、それに、広坂通りの市役所を占領し、更に、兼六園(けんろくえん)から小立野台へ上がった出羽町(でわまち)から湯涌街道を進軍して、刀利の地を見下ろす県境に至る計画だろうと、司令部から知らされていて、アメノウズメを『敵の侵攻線上の武蔵が辻交差点まで移動せよ』の命令を受け取っていた。
 湯涌街道は小立野台地の付け根、土清水(つっちょうず)の地から河岸段丘へ下りて浅野川に沿って通っているが、途中、浅野川に掛かる幾つかの橋を渡らなければならないが、どの橋もチリオツニの重量に耐える強度が足りなくて、板屋(いたや)集落から七曲(ななまがり)集落での最終防衛線の配置への移動を辞退していたが、物量に勝るアメリカ軍ならば、短時間に橋梁を強化して戦闘車両部隊を通過させて来るだろう。
 敵の総攻撃に呼応して刀利の地へ落下傘攻撃が懸念されたが、大きな町が納まるような広い盆地ではない刀利の地は、急峻な山々に囲まれる3集落が連なる程度の河岸段丘の平地で、大部隊の降下作戦に不向きだとされ、小部隊の降下なら稜線や尾根上にも守備陣地が構築されているので撃退が可能と、相変わらず甘い判断がされていた。
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 日没後の定時連絡では、第3中隊2号車から『敵影見ず。情勢に変化無し』、第3中隊1号車は『大聖寺の守備位置を死守。現在、交戦無し。膠着状態』と、入電しているが、第2中隊の2車は昼過ぎから連絡が途絶えたままだ。
 第2中隊1号車の「セオリツヒメ」と2号車の「ワカヒルメ」が、新たに出現した敵の強力な新型重戦車と交戦して、それぞれ、1輌を撃破したと報告して来た以後、連絡が途絶えている。
 重戦車に搭載された砲は、チリオツニの88㎜砲と同等以上の威力らしい事と、こちらの砲弾が弾かれている事も知らせて来ているから、2輌とも撃破されたのかも知れない。
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 侵攻してくる敵戦車縦隊を撃滅した小松製作所で試作量産されたチリオツニは、僅か6輌しかなく、しかも、たった一度の戦闘で、M4戦車には圧倒的に優位だったチリオツニの2輌が、敵の新型重戦車に撃破されてしまった。
 残る越の国梯団のチリオツニは、高岡市方面の1輌を除いて3輌が被弾多数の満身創痍(まんしんそうい)の状態で、明日も、チリオツニの前面装甲を貫通する強力な砲を備えた新型重戦車が先頭になって侵攻して来れば、我が梯団は刺し違えるしかないだろう。
 上陸した敵に大打撃を与えた噴進弾は、緒戦の2度の一斉射で撃ち尽くしているし、水平線上に並んでいた敵の戦艦や空母を撃沈破した桜花や海軍航空機は、ただ1回の総攻撃で全てを失ってしまった。
 撃墜されなかった機の全てが被弾していて、其の殆どが砂浜と波打ち際に不時着していた。
 ほんの僅かな軽微な損傷の機体だけが、富山県と福井県の飛行場へ着陸できていたが、既に枯渇している燃料と搭載する弾薬も無く、再度の出撃は不可能だった。
 飛び立てる機体が全く無くなった小松航空隊に残された爆弾や魚雷は、信管の着発感度調整をされて、飛行場から小松市街地へ通じる道路に地雷として工兵小隊が埋設したと、深夜の伝令で知らされている。
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 敵の海上部隊に被(こうむ)らせた損害は甚大だと思えたが、それが軽微な被害だと見えるくらい、敵は新たな艦隊を海岸近くまで進出させて、猛烈に連射する艦砲射撃と、乱舞する艦載機と空を覆う飛行機雲の重爆群の爆撃に援護されて、沖の貨物船団から降ろされる多数の上陸用舟艇や水陸両用戦車に拠って、続々と兵員や物資が揚陸されている。
 漁港の埠頭に次々と接岸して離岸して行く大型の戦車揚陸艦は、大量の戦車や車両や大砲を運んで来ている。
 敵に制海権も、制空権も、完全に奪われている戦況で、2日間続けての上陸した敵の侵攻を撃退できたのは防戦に徹した故の、束(つか)の間の勝利に過ぎず、今後、地上の防戦の要とするチリオツニの動向が正確に捕捉されて行けば、忽ち、各個撃破されて越乃国梯団は全滅してしまう。
 この彼我の圧倒的戦力差に、天皇陛下が動座する刀利の地を守り切れない状況でも、金沢師管区司令部や師管区小松分室の若い参報達は、しきりに水際での敵殲滅を主張して盛んに突撃命令を叫んでいるらしいが、インドシナやソロモンから重い傷病で内地へ送還されて予備役となり、本土決戦で再び招集された兵士達が中核として務める最防衛前線の諸部隊は、是(これ)に従わずに事前から取り決められていた持久戦を維持していた。
 断固たる意思で上官の参報達に抗って全くの無視を決め込めれたのは、再召集された兵達が悲惨な実戦闘を経験した将校や古参の下士官兵ばかりで、士官学校を出立ての若い将校がいなかった御蔭でも有った。だが、予想していた通り、『防衛隊の歩兵どもが動かないなら、戦車が戦闘に立って手本をみせろ!』とばかりに、敵戦車縦隊の撃破っぷりを見ていた金沢防衛管区の参報が発令した命令文を、伝令となった初年兵が畦道沿いの小川や朽ちた家屋の影に隠れながら持って来た。
 すっかり辺りが暗くなった午後7時頃に、『ゼーゼー』と息を切らして遣って来た若い二等兵は、喘ぎながら直立して敬礼すると、綺麗に折り畳まれた命令書を差し出した。
 『御苦労』と返礼をして受け取ると、16歳の指中一等兵と同い年に見える伝令兵は最敬礼の御辞儀をしてからクルリと踵を返し、来た道筋を走って戻って行った。
 『未明に出撃を命ずる。金石街道上の敵を一掃(いっそう)し、その勢いを持って、金石海岸に上陸した敵を、海へ追い落とすべし』と、命令文に書かれていた。
 既に、先が見えている国体護持の為に、なぜ、沖縄やフィリピンや南方諸島で繰り返した無謀な玉砕をするような突撃じみた戦闘をしなければならないのかと、甚(はなは)だ疑問に思う。
 突撃奮戦するチリオツニが金石の浜辺まで到達できても、多数の自動火器を有するアメリカ軍に碌(ろく)な武器を所持していない防衛隊員達は全滅させられ、其の後は、チリオツニを嬲(なぶ)り殺しにしてしまうだろう。そして、撃破された車内から打って出る搭乗員達も、機関銃に蜂の巣のようになるまで撃たれて生き残る事はない。
 命令文には師管区参報本部の印が押されていたが、師管区長の捺印(なついん)は無かった。
 全てのチリオツニを失い、越乃国梯団が全滅して防衛隊の戦力が激減した後の、動座する刀利も地を守る為の防衛戦闘の展望について、きっと、軍管区の参報連中は無策な事だろう。
 狭隘(きょうあい)な目先の華々しい散り際だけに囚(とら)われて、真の国体護持と日本臣民の存続と安寧(あんねい)など、職業軍人の高官どもは誰も考えていない。
 最早(もはや)、数日以内に大日本帝国の敗北で大東亜戦争は終結する。
 敗戦後、もし、新たな日本国が平和に新興するならば、そういう狭隘思考の軍人達こそが全員自決すべきで、平和な日本国に必要はない。
 此処まで、日本を疲弊(ひへい)させた狭隘思考の自分を責め、悔(く)い改めた反省の陳述(ちんじゅつ)をして、責任を執(と)る死罪となる本人自覚が有るならば、仏教の悟(さと)りの通りに鬼門に入る事が許されるだろう。
 そうでなければ、其の人物を死後も許すわけにはいかない!
 故に私は、非常に腹立たしい思いで、金沢防衛管区の参報の突撃命令を無視する事にした。
 たぶん、いつまでも梯団に突撃命令を発しなければ、命令を立案した当の参報将校が『行動を起こせ』と詰め寄りに来るだろう。
 それでも、私が言う事を聞かなければ、帯剣で成敗(せいばい)しようとするだろうが、師管区長の捺印が無い命令文は無効だ。
 従って、独断専行の身勝手な命令文を作成し、執行しようとする血気に逸(はや)る若い参報将校は、命令系統を無視した反逆罪で射殺する事もできる。

▼昭和20年 11月6日 火曜日 午後10時過ぎ
 アメノウズメを修理と整備を行っている中橋の踏み切りの後方、六枚町から一直線に金石の町まで続く街道の果て、暗闇の中に小さく蠢(うごめ)く幾つも敵の光を双眼鏡で見ながら、夜食の稲荷寿司と牛缶を月明かりの中で食べ終えて熱い番茶を啜(すす)っていた。
(これで、この旨(うま)い稲荷寿司も、毎度、中の具を変えてくれる美味(びみ)な握り飯も、明日の朝で食べ納めになるだろう。あの光で揚陸されているのは、第2中隊が殺(や)された敵の新型重戦車だろう。明るくなって敵の地上侵攻が始まれば、アメノウズメと我が命は風前の灯(ともしび)になる。せめて、乗員達の幾人かでも生き延びてくれると良いが……)
 日没で煙幕の煙を立てる火が消されてから凪(なぎ)の時間が過ぎると、澱んで眼に沁みる燻煙を陸から海へと吹く夜風が海上へ掃き散らして、見上げる上空の晴れ渡った晩秋の夜空は、細い三日月の繊月が暫く見えていたが今は消えて、満天が星明りに満ちていた。
 昨夜は月が出ない暗夜の朔(ついたち)だったから、敵と見方の偵察隊が暗闇の中で出会ってしまい、其の遭遇戦の銃声が散発的に暁まで聞こえていた。
 今夜も既に暗夜になっているが、昨夜と違って最前線が荒地となった植林帯を挟むだけの近さだから、敵は暗闇の中を自ら標的に成り易い照明弾や星弾による光で照らさずに、粛々と我が方へ浸透攻撃をして来るだろう。
 直に敵の先頭で探りを入れる偵察隊と味方の前哨部隊の斥候とで戦闘が始まり、昨夜に増しての激しい銃激戦になるが、用心すべきは銃声がしない場所だ。
 当然、防衛隊でも忍び足で迫る敵に備えているだろうが、星明りの影に潜んで待ち受ける勤皇隊や古参兵と銃剣や白刃での切り合い、或いは棍棒や素手での殴り合う、凄惨な白兵戦となるに違いない。
 そう暗く思いながら、近くで横になって寝ている16歳の指中1等兵と15歳の赤芝2等兵の幼い赤ら顔を見て、少し黄昏(たそがれ)ていると、突然、前面灯に遮光覆いをしたサイドカーと数台の乗用車とトラックが近くまで来て止まった。
『増援部隊でも来たのか? だが、増援の連絡は受けていないぞ』と、司令塔から身を乗り出そうとした時、指中1等兵と赤芝2等兵がスックと立ち、確認に行く旨(むね)を伝えた。
「指中1等兵と赤芝2等兵は、何が来たのか、様子を見て来ます」
「分かった。見て来てくれ。夜半だから敵の威力偵察かも知れないぞ。自動小銃を持って警戒して行け」
「了解しました。」
 自動小銃を携(たずさ)える音と微(かす)かな衣擦(きぬず)れの音が消えて、忍(しの)び足の2人は夜の闇に紛れて行った。
 暫くして、2人が向かった闇の中から、日本語らしい大勢の大人の男の声と、若い女の泣き声に赤芝2等兵らしき泣き声が聞こえて来た。
 これは、何やら由々(ゆゆ)しき事態かもと、司令塔からアメノウズメの横に降り立つと、闇の中に大勢が急ぎ、此方に来る様子が見えて、直ぐに、先頭で案内する指中1等兵と赤芝2等兵の姿が判別できる近くまで来た。
「大尉、報告します。敵の偵察隊では有りませんでした。全員、日本人です」
 指中1等兵が遣って来た連中の事を報告し始めた。
 彼の直ぐ後ろには赤芝2等兵がいたが、何故か竹林の待機場所で日常の御世話をしていただいた天池真木子さんが一緒にいて、彼女の手を赤芝2等兵が握っていた。
(何時の間にか、真夜中に最前線で戦う赤芝に会いに来るほどに、人前で躊躇(ためら)う事無く天池さんの手を繋ぐほどに、御前達の想いは強くなっていたのか……! だが、何故今なのだ? それに、後ろの連中は何だ?)
 天池真木子さんの後ろの月明かりの中に、20人ほどの年配者らしい身なりの良い男達が並んでいるのが見える。
「この方々が、大尉に御会いして、御話が有るそうなので、御連れしました。」
 指中1等兵が続けた言葉に、2人の後に続いて来た人達が名乗り始めた。
 彼らの後ろに来た宮司装束(ぐうじしょうぞく)の男性は、『天池真木子の父親です』と頭を下げた。
 続いて国家神道を司る内務省神祗院(しんぎいん)の石川県地域の社司(しゃし)と社掌(しゃちょう)が挨拶して、石川県知事、金沢市市長、国家地方警察石川県本部の本部長と副本部長の地方行政の首長達が名乗った。そして、我々を取り囲むように並んでいたのが、其の御付(おつ)きと警護の者達だった。
 滅多(めった)に集(つど)う事のない御歴々(おれきれき)の顔ぶれに徒(ただ)ならぬ事態だと、直感的に察っした。
 先ず、神職に就いていると思われる彼女の父親が話した。
「娘と私達は、これから、犀川の支流、内川の上流に在る菊水の部落に行きます。そして今夜は、菊水の部落に泊まり、明日は、暗くなる前に目的の山の上に行きます。其処で、娘が役目を果たすのですが、行く前に、一目、赤芝様に御会いして、御別れを申したいと言うので、連れて来た訳でです」
 父親は言葉を続けた。
「それで、娘は御別れの挨拶をしたのですが、別れの悲しみから泣きじゃくってしまい、娘から果たすべき役目を聞いた赤芝様も、御泣きになられたのです。そして、是非、大尉殿に詳しい話をして欲しいと言われ、此処に参りました」
 菊水の部落と聞いて、私は鷹巣淑子さんが語った事を思い出していた。
(確か……、避難先が菊水の集落で、三輪山の竜神が守ってくれると言っていた……)
 父親の話の内容は、正に鷹巣淑子さんから聞いた伝承を裏付ける物だったが、まさか、其の役目を天池真木子さんが担うとは……。
 菊水の集落から、更に、東谷(ひがしだに)の奥へと進むと、沢の北側に急斜面の水葉山(みずはやま)が見えて来る。
 この水葉山には、龗神(おかみのかみ)神社の奥の院が頂上付近の大きな岩棚の根に建立(こんりゅう)されていて、其の小さな社(やしろ)には祭神の雨神の御神体が納められているそうだ。しかし、其処は雨乞(あまご)いの霊場(れいじょう)で、天池真木子さん達が向かうのは、本当に嵐を呼ぶ竜神を鎮(しず)めている山の頂だった。
 其の山は水葉山から、更に、東谷を割り行った内川の源流に聳(そび)える三輪山(みわやま)で、山頂に立つ角岩(つのいわ)という天を突くように尖(とが)った大岩には、京都の貴船(きふね)神社の祭神と同じ、淤加美(おかみ)の女神が祭られている。
 満16歳に満たない純真無垢(じゅんしんむく)な生娘(きむすめ)が、角岩の天辺から眼下の崖下(がけした)へ身を投じて、沢の源流となる湧水溜りを清(きよ)き鮮血で朱(あけ)に染めれば、龍神の淤加美姫を目覚めさせる事ができると言う。
(……淑子さんが言っていた言い伝えは、本当だった!)
 安寧(あんねい)の眠りからの目覚めを無理強(むりじ)いされた姫は怒(いか)り、寝起きの悪さの愚図(ぐず)りのように解き放つ神の通力は、暴風と天地を逆様(さかさま)にした暴雨の凄(すさ)まじい嵐を巻き起こす。そして、其の矛先(ほこさき)を加賀の国と能登の国の安らぎに災(わざわ)いを為(な)す敵の軍勢に振り下ろし、一夜にして一掃(いっそう)して仕舞うと怒りは鎮まり、明け方には安寧の眠りに、再び就(つ)いしまうのだと、古(いにしえ)から伝承されているらしい。
 加賀平野の扇状地(せんじょうち)の広がり始めの地に鶴来(つるき)の町と獅子吼(ししく)の山が在り、其の麓(ふもと)に建立されている加賀一宮(かがいちのみや)の白山比咩(はくさんひめ)神社は、菊理姫(くくりひめ)を白山の祭神と祀(まつ)ってはいるが、社殿(しゃでん)は菊理姫を鎮守(ちんじゅ)の神と祀る白山の山頂ではなくて、三輪山の頂(いただき)の方を向いている。
 それは、溶岩の湯を潜(くぐ)りて統(す)べる夜見国(よみのくに)を行き来する菊理姫が、暴風竜に化身した淤加美姫の暴走を鎮めて、休火山である白山の胎動(たいどう)を抑(おさ)える、加賀の国と能登の国の安泰(あんたい)を守る大社(たいしゃ)の大神(おおかみ)なのだからとも、神祗院の石川県地域の社司と社掌は話してくれた。
 故に、現在、未曾有(みぞう)の危機に脅(おびや)かされている加賀と金沢を救う為に、菊水の集落に在る龗神神社の宮司の末裔(まつえい)である天池真木子さんが人身供犠(じんしんくぎ)にされようとしているのだ。
 竹林の待機場所で彼女と仲良くなっていた赤芝2等兵が言うには、天池真木子さんは11月9日うまれだから、9日の午前零時を過ぎて彼女が満16歳になる前に、人身供犠という生贄(いけにえ)の役目を果たさなければならないそうだ。
 天池真木子さんは、真っ暗な深夜に人里離れた山奥の頂から断崖絶壁の奈落(ならく)の底へ真ッ逆様(まっさかさま)に落ちて、其の儚(はかな)き命を自ら絶つ前に、初めて仲良くなった異性の赤芝2等兵へ使命を果たす故の、別れを告げに来たのだった。
 伝承の話しを聞き終えて、以前に龍神が暴走したのは、どれだけ昔の事で、湧水を朱に染めたところで、果たして本当に天変地異が起きるのかと、半信半疑だったが、天池真木子さんと御歴々が訪れた事情は理解した。
 恋心に目覚めた赤芝2等兵と人身供犠になる天池真木子さんを見ると、死の飛翔(ひしょう)を覚悟した気丈夫さで私を見据えていたが、其の小さな身体は小さく震えているようだった。そして、赤芝2等兵は私を睨(にら)み付けて眼光を輝かせ、今にも彼女を浚って契(ちぎ)りを結び、使命を果たせなくしていまう決意の気を放っている。
(おいおい、そんなに殺気立つとは、若気(わかげ)の至(いた)りだな)
 それぞれの家庭で躾(しつけ)けられているはずの、『男女七歳にして席を同じゅうせず』の礼記(らいき)の教えも何処へやら、何ともはや、慎(つつし)みも、恥じらいも無く、年配の御偉いさん達の前で堂々と手を繋いでいる2人を見て、自分も淑子さんと、このようにあるべきなのかと考えてしまう。そして、これからの時代は、そんな自由さに溢れて明るく過ごせるような日本になれば良いと、戦闘警戒も忘れて私は無意識に願っていた。
「大尉、聞いて下さい! ぼっ、僕は、天池真木子さんを失いたくありません!」
 月明かりでも、はっきりと分かる涙一杯に湛(たた)えた両目で私を見ながら、彼女への愛おしさと自分の無力さに胸が張り裂けそうな形相(ぎょうそう)の赤芝2等兵は懇願(こんがん)する。
「……分かった。この場は納めて、天池さんを菊水の集落へ行かないようにしてやるから、まあ、落ち着け。そして、気持ちの高ぶりが静まったら、天池さんを放してやれ」
「はっ! ああ、もっ、申し訳有りません、大尉」
 急速に気持ちの高ぶりが萎(な)えて行く赤芝2等兵は、御詫(おわ)びの言葉を言って、握っていた彼女の手を離した。それなのに、今度は、彼女が赤芝2等兵の袖に縋(すが)ってしまう。
 それを身ながら、私は御歴々に向き直って御願いした。
「今は6日の夜です。天池さんが人身供犠の使命を果たす期限は、8日の午後12時前です。現在の戦況は、陸海空と侵攻して来る敵の兵力は強大で、我々は防戦一方ですが、海軍航空隊の桜花部隊と、私の越の国梯団は強力で、敵の侵攻を跳ね返して食い止めています。ですから、戦況の変化を望めるかも知れないので、あと一日、天池さんが三輪山へ向かうのに猶予(ゆうよ)を頂けるよう、御願い致します」
 直角に腰を折り、私は深々と頭(こうべ)を垂(た)れて御願いする。
 伝承が、ただの迷信で、天池さんの命を奈落に捧(ささ)げても何も起こらず、気象予報の通りに天気の良い朝を迎えたら、其の死は人知れずに龍神伝承の闇の中に消し去られてしまうのだろう。だが、そうならずに彼女の死が報(むく)われて、伝承通りの荒(あら)ぶる神に由(よ)る天変地異の大災害が発生すれば、連合軍の軍勢も、防衛隊と石川県の人達も、途方も無い被害を蒙(こうむ)ってしまう。
「大尉さん、そうおっしゃられても、敵は其処まで来ているのですよ! 明日は市街戦になって、明後日は敵兵達が隊列を組んで市内の大通りを闊歩(かっぽ)している事でしょう。もう時間の猶予は無いのです!」
「鎌倉幕府の防人(さきもり)達が戦った文永(ぶんえい)と弘安(こうあん)の役(えき)で元寇(げんこう)を退(しりぞ)かしたように、神風が我々を救ってくれるのです!」
 市長と知事が言葉を繋げて、『今遣(や)らねば、事すでに遅しになってしまう』と、私を説得しまいが、しようが、関係無しに人身供犠を行うと、切迫して重みの有る言葉は暗に言っている。
「ですが、あと24時間だけ、待って下さい。我々と防衛隊は必ず、明日、持ち堪(こた)えます。どうか、御願いします。」
 膝を地面に着け、両の掌と額(ひたい)も着けて、私は土下座で御願いを繰り返す。
「何も、其処までしなくても……、大尉さん……。……知事、どうしましょう……」
 市長は説得を続けようとするが、土下座までする私を見て、知事に判断を仰(あお)いだ。
「大尉。……分かりました。24時間だけ待ちましょう。ですが、敵が市内に突入した時点で、私達は三輪山へ登らせますよ。それで良いですね。大尉」
 知事と市長と一緒に最前列に並ぶ神祗院の社司が言葉を継ぐ。
「三輪山で神事を行う我々は、これから菊水の部落へ行き、其処で待機します。現状悪化の知らせが届き次第、禊(みそぎ)を済ませてから山頂の角岩で修祓(しゅうばつ)をします」
 体を起こして土下座の姿勢から立ち上がると、私は彼らに御礼を言った。
「ありがとうございます。越の国梯団は全力で最善を尽くし、必ず、持ち堪えてみせます!」
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 赤芝2等兵が腕に縋る天池さんの手を優しく離す際に、2人が抱き合って接吻を交わして、天池さんを穢れさせないかと、内心心配して見ていたが、時間の猶予を得て落ち着いた2人は冷静で、何度も振り返りながら夜の闇へ紛(まぎ)れて行く天池さんを、赤芝2等兵は黙って見送っていた。
「赤芝2等兵。これで、明日は夕刻まで討ち死にできないな」
「ありがとうございます、大尉。申し訳有りません」
 本来ならば、拳骨の2、3発を顔面に食らわして遣るところだが、明日になれば、終わるかも知れない若い命と、何か、彼の為に戦況の変化が起こりそうな予感がして、其の験担(げんかつ)ぎで彼の根性の入れ直しは止めておいた。

▼昭和20年 11月7日 水曜日
 昨日の早朝から空爆と艦砲射撃で侵攻を開始したアメリカ軍を撃退した防戦は、一昨日(おととい)よりも激しい砲撃と空爆に援護されながら、植林帯を東側へと越えて金沢市街地へ迫ろうとしていたアメリカ軍を、高射機関砲や噴進弾の水平射ちと防衛隊の総反撃による白兵戦によって、今日の午前中に無残な山火事痕のような植林帯の東縁まで撃退していた。
 昨日の午前中に金石街道を侵攻して来た敵戦車縦隊は早々に撃退していたが、アメノウズメの砲塔後部を貫穿被弾されて、中橋の踏み切り近くまで後退している。
 幸いな事に、昨日の午後から今日の未明まで、敵の地上部隊は歩兵による威力偵察の交戦に徹していて、深い泥濘(ぬかるみ)の水田を走破して来る敵戦車はいなかった。
 低速で慎重な操縦ならば、敵のM4戦車も、我がチリオツニも、通って来る事ができるだろうが、低速走行故に標的に成り易く、狙い済ました砲撃や爆薬の攻撃を受ける動揺で、少しでも加速すると、履帯は軟らかい泥を穿(ほじく)り返して車体は沈み、其の場に立ち往生してしまうのだ。
 それは、被弾や破壊の損傷でなく、無傷のままに戦闘行動が不能になるという、作戦指揮官の評価が汚点として残る無策の機甲戦力の投入になる。
 今朝も艦砲射撃と空襲に始まり、植林帯を越える歩兵部隊を援護する戦車縦隊が金石街道を侵攻して来ていたが、防衛隊の肉弾戦で撃退された敵歩兵部隊と共に、アメノウズメによって殲滅している。
 深田と蓮根畑が広がる浅野川沿いを私鉄線路上で守備するククリヒメと防衛隊も、此処と同様な激しい敵の攻撃に晒されていたが、激戦の果てに撃退していた。
 我が越乃国梯団の第1中隊の2輌は、被弾多数なるも、照準器に入る敵戦車を悉(ことごと)く屠(ほふ)っている。だが弾薬は、主砲も、機銃も、指折り数えるほどしか残っていない。
 防衛隊は半数以上が死傷して、補充できる兵員は既に無く、噴進弾や擲弾、迫撃砲弾は撃ち尽くし、携行噴進砲と手榴弾は極僅かで、高射機関砲陣地も3分の2が破壊されて、残っている機関砲の弾薬は数弾層だけだ。
 自車「アムノウズメ」の徹甲榴弾も10発を残すのみで、着発榴弾と時限榴弾は撃ち尽くしている。
 午前中の戦闘には、揚陸が間に合わなかったのか、両車を妨げる敵の新型重戦車は確認されていなかったが、昼過ぎにでも、敵が新型重戦車を繰り出して波状攻撃を再開すれば、早々に弾薬を撃ち尽くしてしまう越の国梯団第1中隊は壊滅して、防衛戦線は崩壊(ほうかい)してしまうだろう。
 集めてあった廃材と籾殻や針葉樹の枯葉を全て燃やし切ってしまったのか、霞(かすみ)のように薄れた煙幕を通して秋晴れの蒼空を見上げると、上空に乱舞する敵機は、更に増えて、鷹狩(たかがり)の如く、地べたを這い回る鼠どもを食い散らかす順番を決めているように見えた。
 上空から悟られないように秘匿されていた塹壕線は擬装が吹き飛ばされ、其処に潜む防衛隊員達の真上を旋回する猛禽類の群れから遮蔽する物は何も無く、無慈悲な狩りの眼に晒されている。
 対人殺傷の焼夷弾やロケット弾、それに機銃掃射の空襲を数回繰り返せば、塹壕線の防衛隊は全滅してしまい、そうなると、植林帯を超えて来る敵地上軍は、然程(さほど)の抵抗も無く金沢市街地へ侵攻して、更に、山間部の隘路(あいろ)の避難民を蹂躙しながら、県境の向こうの刀利(とうり)の地を目差して進軍するのだ。
 最早、現在地での防衛戦闘を維持するのは難しく、生き残っている防衛隊員達は市街地の縁や鉄道線まで後退するしかない。だが敵は、想定以上の防衛戦力に市街戦の防備を固めていると判断して、艦砲射撃が金沢市の市街地を駅周辺から中心街へと粉砕して行くだろう。
 一昨昨日(さきおととい)の11月4日は、艦砲射撃を担う戦艦群が、海軍航空隊の攻撃に因って緒戦で撃破され、敵の上陸は中止された。
 一昨日の11月5日は、海上戦力の大損害を顧みずに始まった上陸決行と、其の後の内陸への侵攻は、防衛隊の全力抵抗と梯団の勇戦に因って海岸近くまで後退させていたが、海岸に敵の橋頭堡は確保されていた。
 11月6日の昨日は、市街地への進攻を白兵戦で辛(かろ)うじて撃退したが、夜間には植林帯まで敵の前進到達を許している。
 最早(もはや)、これまでかと覚悟していた今日、11月7日の戦いは、夜通しの敵の侵攻を白兵戦で撃退した後(のち)、朝の握り飯を頬張(ほおば)っていた早朝に始まった艦砲射撃で、再び幕を開(あ)けた。
 まだ燻(くすぶ)り続けている集落と植林帯を密度の高い弾着で粉砕して、更に、奥深く金沢駅と国鉄北陸線の線路へ徐々に迫ろうとしていたが、近岡町の踏み切り脇に潜(ひそ)む『アメノウズメ』の手前30メートル辺りで、艦砲射撃は止んだ。そして、続いた砲兵の射撃は、時限信管による高さ10~15mほどの空中爆発で無数の砲弾片を地上に撒き散らし、多くの水田を使い物にならなくしてくれた。
 だらだらとした間合いで空中爆発する其の砲撃は、太陽が昇って陽射しが強くなるまで、たっぷり2時間近くも続いてから静かになった。
(さあて、いよいよ、正念場になるか……)
 敵の強力な新型重戦車と合間見える事になるなと、気を引き締め、刺し違えても、夕刻までは此処を死守すると誓ったからには、例え屍になろうとも、此処は通さないと、強い覚悟で待ち構えていたが、来襲して来るはずのアメリカ軍は発砲を控(ひか)えて聞こえていた銃声も静まり、双眼鏡の眼鏡に薄い煙幕を通して見える街道の果ての敵戦車隊は、停車し続けて攻撃して来るようすは無かった。
 やがて静まり返る戦場に防衛隊の生き残り達は、重傷者と遺体を運びながら後方の市街地まで後退すると、白旗と赤十字旗を掲(かか)げたアメリカ軍の衛生兵達が自軍の死傷者を収容して行き、其の様子を、防衛隊の隊員や兵隊が立ち上がって眺めていた。
 復讐の憎悪に怒る互いの誰かが発砲するだろうと思って警戒していたが、誰も発砲しなかった。
 多分、アメリカ軍には交戦不可の命令が出ているのだ。
 此方の防衛隊員達は、身体に銃口を押し付けたり、1m以下の近さでの射ち合いに、刺し殺しに、殴り合いや取っ組み合いの殺し合いに、噛み付きと掻(か)き毟(むし)りで戦意を失わさせ、目玉を圧(お)し潰(つぶ)したり、喉(のど)を締め上げて窒息(ちっそく)させるなど、特に2度目、3度目の召集兵は2度と経験したくなかった疑問を抱いた戦いに……、勤皇隊は始めての白兵戦での恐怖に……、戦闘に嫌気が差して厭戦気分なのだ。
 戦闘が終わった頃合を見計(みはか)らって金沢城の司令部から遣って来たような数名の若い参報将校達が、『奴らを撃て』とか、『切り込み隊を結成する』と、前日に私の許(もと)へ届いたような突撃命令を叱咤号令(しったごうれい)するが、立ち上げる者はいるけれど、誰も言う事を聞かず、武器を持とうとはしないし、集合もしない。
 昭和16年1月25日に陸軍省が検閲済にして正式発行した、当時の東条英機陸軍大臣が自ら認めて定め、大日本帝国の軍人と臣民に広く知らしめた戦陣訓の第八項『生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず……』に洗脳された仕官学校出の若き士官立ちは、『大儀(たいぎ)の為に死ね。生き残るのは恥だ!』、戦争に勝てないなら天皇陛下の臣民は皆、『自決して絶滅すべき!』の考えを実践しようとしている。
 余りにも玉砕の死を美化した考えには、勝ち残るか、死に絶えるかの二者択一の選択しかなく、日本人固有の『察(さっ)しと、和(わ)を以(も)って尊(とうと)しとする』という古来から受け継ぐ融和と調和の美徳の精神を、真っ向から完全否定する訓示で、悠久(ゆうきゅう)の大儀(たいぎ)、『八紘一宇(はっこういちう)』や『共存共栄』に反すること甚(はなは)だしい思考だと思っていた。
 敵が攻めて来たら、全力で戦って郷土を防衛するが、それまでは此方(こちら)から反撃戦を仕掛けるつもりは無いらしいと、不貞腐(ふてくさ)れた態度の防衛隊員達だったが、彼らの瞳に宿る鋭い眼光から無意味に戦わない決意が察しられた。
 『此処は自分達が暮らしている土地だから……、家族と親戚縁者がいる生活の場所だから……、此処を守る為の防衛戦闘をしているのに、無謀な切り込みをして玉砕すれば、一体誰が、大切なモノを守って行くというのか?』という、毅然(きぜん)とした意思が彼らの表情に表れていた。
 彼らが戦い守りたいのは、自分達が生まれ育った郷土と、其処に暮らす愛しい人達なのだ。
 彼らが斃(たお)れたら、彼らの大好きな場所と、大好きなか弱き人を、本当に、誰が代わりに守り抜き、生活を支えてくれるというのだろうか?
 本州の中でも地の利の無い不便な辺境にまで、大挙して上陸を敢行して来た敵との僅か数日の戦いで、多数の死傷者と共に徹底抗戦する為の兵器や弾薬を殆ど消耗してしまっていたが、在郷の兵士達と防衛隊員達の誰しもが、自決する意思など全く無かった。
 住み慣れた町や村は蹂躙されて灰燼(かいじん)と化し、美しき風景は掻き乱されて崩され、生き残った少数の軍人に投降を阻(はば)まれてしまう優しく暖かな人々は、山奥の深く狭い谷間で弄ぶように降り注ぐ爆弾や砲弾で嬲(なぶ)られるように惨殺される。
 明るく優しい人達は、岩陰や木の根の陰に隠れて互いを庇(かば)い合いながら、業火(ごうか)の大鎌に刈られて死に絶えて行く。
 そうなる前に、出来る限り長く寄り添って守りたい彼らが、自分達へ死を強要する高級将校などの軍人達を排除しようと行動するのは、至極当然で、真っ当な事だと思う。
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 満州国は中華民国が主体でソ連と分割され、朝鮮半島はソ連主導での傀儡独立を果たし、台湾は中華民国に帰属、北海道はソ連に占領された状態でアメリカ主体での日本の神州が分割統治されるのは必須の戦後を招く、散々騒いで謳い上げて戦意高揚させた本土決戦を、上陸した敵に神州を蹂躙占領された大敗北で終わらせる大日本帝国の大本営と軍指導部は、余りにも投げ遣りで無責任だ!
 大日本帝国への反乱とも取れる防衛隊員達の反抗だが、この戦争の最末期の状況に至っても、無為に死ねと強要するしかない無策の軍部への批判の行動は当然で、降伏の白旗を揚げないのが不思議なくらいだ。
 険しい怒りの鬼顔になった参報将校達が無理矢理にでも命令を通そうと、拳銃を抜こうとしたり、軍刀の柄に手を掛けるが、大勢に詰め寄られて捕縛され、携帯する武器は全て取り上げられた。
 それ以後、昼過ぎになっても、艦砲射撃と空爆の轟音も、侵攻して来る敵地上部隊の騒音も、聞こえて来ない。
 防衛陣地の修復と敵の撃破された車輌を回収する騒音、それと、海岸で物資や兵員を揚陸する音が聞こえて来る以外は、平穏な午後が過ぎて行った。
 物量に無理圧して来るアメリカ軍らしからぬ様相に、これはもしかしてと思い始めた午後2時頃、受信したラジオ放送が深刻を予知させるようなニュースを伝えた。
「明日、午前8時、天皇陛下の玉音による重大発表が有ります。全臣民はラジオも前に集い、神妙に拝聴して下さい。……繰り返します……」
 もしも、天変地異が起きて相打(あいう)ちのように敵を一掃できても、強大な連合軍は数日後に再侵攻して来るだろう。だが、そう成らずに済んだ。そして今、天池真木子さんは人身供犠にされる事も無くなった。
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 以前に玉音放送のレコード盤の存在を聞いていた私は直感した。
 私は思う。
(漸(ようや)く戦争は、終わった!)
 梯団の各車の状況と状態を報告させて、待機位置への速やかな移動を命じた。
 戦闘を交えていない第3中隊2号車を除く梯団の残存チリオツニの各車は、いずれも被弾多数の満身創痍の状態だが、運良くというのか、辛うじて戦闘行動可能を維持している。
 燃料は路外の不整地で激しい機動戦闘を行っていないので、予備燃料には手を付けていなかったのが、弾薬の消費は甚(はなは)だしくて、横付けした94式6輪自動貨車から受け取って搭載した分が最後の予備弾薬だった。
 現在、搭載している砲弾を射ち尽くせば、急ぎ小松製作所で88㎜高射砲弾を改造して、少量しか製作されなかった徹甲榴弾を僅かに増やした手作りの如き製作しか、補給する方法は皆無(かいむ)だ。
 当初から、弾薬を節約できない激戦では、3日間が限界だと見込まれていただけの少ない生産量だった。
 故に、今日の休戦状況にならなければ、敵の新型重戦車と交戦しなくても、戦闘の最中に砲弾を射ち尽くして仕舞うと、弄(もてあそ)ぶような包囲攻撃で次々とチリオツニは嬲(なぶ)り殺され、『越の国梯団』は全滅するだろう。
「こちら、アメノウズメ。敵戦車14輌と交戦、全車を撃破。被弾多数にて右側転輪2個欠損と履帯切断。現在修理中。死傷者無し。敵は戦闘停止中。各車、状況と状態を報告せよ。報告後、移動可能ならば、後退して随伴部隊と合流。修理と補給を急げ」
 昨夜から午前中までの防戦で被弾は増え、狙われた足回りに、履帯の切断と2つの転輪を飛ばされて仕舞った。
 履帯の切断は、最後の発煙弾での煙幕に隠れて、損傷した履板を交換して繋いで走行可能な状態にした後、低速で中橋の踏み切りまで退避した。そして、昨夜から踏み切り近くまで来させていた随伴の整備部隊に、無人になっている民間の工場内で、破損した懸架(けんか)装置と失った転輪を予備品と交換修理させた。
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「ククリヒメ、視認できた12輌の全てを撃破。被弾多数なるが走行に支障無し。砲塔側面を1弾が貫通、駐退機損傷故、主砲の発砲不可。死傷者無し。敵は後退。現在、戦闘停止中」
 失われた第2中隊の乗員達の消息は、第2中隊1号車「セオリツヒメ」が車体前面機銃部分を穿貫されて炎上、無線手と装填手が貫通した徹甲弾の断片を受け戦死、脱出した車長の村上曹長他2名は火傷など軽傷で、小松製作所小松工廠内の診療所で治療を受けていると、工廠の業務無線で知らせて来ている。
 第2中隊2号車「ワカヒルメ」は、定時無線連絡での敵新型重戦車1輌の撃破に加えて、更に1輌を炎上させた直後、立て続けに新型重戦車群からの徹甲弾や粘着榴弾が命中して爆発、砲塔が吹き飛ぶのを遠方から見たと、消息を知らせる無線で村上曹長が報告していた。
 鈴宮准尉以下、搭乗していた5名全員が、脱出する間も無く戦死している。
「スセリビメ、大聖寺町を包囲せんと迫る敵水陸両用戦車多数の内、7輌を撃破するも敵の侵攻を防止できず。防衛戦線は動橋川(いぶりばしがわ)東岸へと後退。我も鉄道軌道上を作見(さくみ)駅を経て動橋駅へ移動中」
「イワナガヒメ、富山湾に敵影無し。待機位置の高岡古城公園へ移動中」

▼昭和20年 11月8日 木曜日
 雲1つ無い秋晴れの、銃声も、爆音も聞こえて来ない静謐な大気の朝、動く事ができる老若男女全ての日本人が、ラジオや無線機の前に直立不動で並び、スピーカーからの天皇陛下の御声を拝聴した。
 天皇陛下の玉音(ぎょくおん)放送は午前8時丁度に、ラジオ放送の周波数に合わせた無線機のスピーカーから聞こえて来た。
 『朕(ちん)、深く世界の大勢と帝国の現状に鑑(かんが)み、非常の措置(そち)を以(もっ)て時局を収集せんと欲し、茲(ここ)に忠良(ちゅうりょう)なる爾(なんじ)臣民(しんみん)に告ぐ。……堪(た)え難(がた)きを堪え、忍(しの)び難きを忍び、以て、万世(ばんせい)の為の太平(たいへい)を開かんと欲す。……爾臣民、其れを克(よ)く朕が意を体(てい)ぜよ』
 天皇陛下による、大日本帝国は連合国軍との戦争に敗れたという意味の御言葉で、昭和16年12月8日に始まって3年11ヶ月間を戦った大東亜戦争と、昭和6年9月18日から満州事変、上海事変、日支事変と、20年3ヶ月も続いた中国大陸での戦争も終結に至った。
 放送が終わると、誰もが頭上や彼方を仰ぎ見て、安堵の息を吐いていた。
 顔を上げて、最初は細く、2息目、3息目は大きく深く息を吸い込んで、静かに長く吐き出す。
 悲しみに蹲っている者は誰もいない。
 肉親や友を戦火で失った人も、気丈夫に立って蒼天を仰ぎ見ていた。
 深呼吸で息を整えると、顔を見交わして微笑んでいた。
 昨日の午後からは、砲弾や銃弾が飛んで来る事と、爆弾が落ちて来る事は無くなったと噂されていたが、今は、其れが本当の事で保障されている。
 山間部に逃れていた人達は、昨日の午後には殆どが戻って来ている。
 非常事態宣言と灯火管制と夜間外出禁止の戒厳令は解除されて、昨夜から外灯が点り、家々の窓から明かりが溢れて、深夜まで出歩いても咎められていない。
 身内を亡くした市民は多かったが、亡くなった人達が戦った誇りと、軍政の抑圧が無くなった平和の到来の喜びと嬉しさが、悲しみよりも大きかった。
 市民達と兵士達は知っていた。
 今日まで戦闘が続いていれば、金沢市西側正面の防衛線はアメリカ軍に突破されて、市街地が縦横無尽に蹂躙されたであろう事と、山間部へ逃れている人達が空襲と砲撃で殲滅されたであろう事を。
 天皇陛下の御聖断に依って、大日本帝国臣民が絶滅の危機を免(まぬが)れた事は、真に喜ばしいと思う。
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 か細くて掠(かす)れる聞き取り難い玉音放送の内容を、どうにか頭の中で纏めて理解した私は、直ちに梯団各車に無線で最後の命令行い、徹底させた。
「天皇陛下の御言葉に従わない者は、軍民問わず逆賊と判断する! これより我が第1中隊1号車は金沢城の師管司令部へ赴き、徹底抗戦を扇動する逆賊どもを、武装解除して拘束する!」
「第1中隊2号車は金沢駅へ行き、扇動する逆賊がいたら、武装解除後、拘束して監禁せよ!」
「第3中隊1号車は師管司令部小松分室へ行き、2号車は高岡駅で、我と同様に逆賊どもがいるなら、武装解除して拘束せよ!」
「途中、憲兵隊や警察隊に協力させ、反乱目的に集まる者どもや、扇動する輩も拘束せよ!」
「状況如何によっては、発砲を許可する! 逆賊の殺傷、拘束、監禁も已むなし!」
「繰り返す、御言葉を敬う臣民を迫害する逆賊は、躊躇う事無く、速やかに殲滅せよ!」
「急変した時世(じせい)に激高する者、自暴自棄になって暴れる者、行き場を失った血気に自決を図ろうとする者、それらの事態を理解できぬ輩を、他人を巻き込む前に急ぎ、捕縛しろ!」
「尚、移動路沿いの呉服屋に協力を求め、全車のアンテナ間に御旗の旗印替わりになる加賀友禅の着物を掲げよ。それを仰(あお)ぎ見させて、逆賊どもを、天皇陛下の御言葉に従わせよ!」
「繰り返す、天皇陛下の御言葉に従わず、武器を持って抗う者どもは、射殺も已む無し!」
「以上! 全車、速やかに状況を開始せよ!」
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 大日本帝国の敗戦を知り、自刃(じじん)する軍人と政治家が数人いたとの噂を聞いたが、徹底抗戦を叫ぶ暴力的な輩(やから)はいず、防衛隊や軍の兵士や官僚と警察から携帯する武器弾薬の放棄を殆ど完了した正午頃、降伏を締結して進駐する為の連合軍高官達と護衛の部隊の車輌隊が金石街道から猛烈な速度で市内へ入って来て、金沢城内の方面軍司令部前に展開した。
 以後、無条件降伏は速(すみ)やかに締結されて、国民義勇兵達と勤皇隊員達と軍人達は正式に武装解除され、氏名と生年月日と戸籍、所属、配置、戦闘状況、今後の連絡先などを聞き取りされてから、俘虜(ふりょ)収容所へ集められる事も無く開放された。
 多くの後始末が山積みの如く残されているが、漸(ようや)く徴兵や殺し合いの不安の無い平和な日常が訪(おとず)れ、生き残った人々に満面の笑顔と大きな笑い声が戻って来ていたが、安堵(あんど)と安寧(あんねい)の幸せに私が包まれるのは、更に1年後の事になる。
 進駐して来たアメリカ軍は直ぐに、越の国梯団の残存している車輌と弾薬と補修部品は小松製作所の貨物棟へ運び、団員の兵士達をチリオツニの補修整備の為に収監させろと、私に命じた。

▼昭和20年11月末日
 破損部分の修復と整備を完了した残存チリオツニと弾薬と補修部材、それに、第2中隊2輌の残骸は引渡し目録に記載されて、進駐軍の照会確認を済ませると、富山湾の伏木港(ふしきこう)の埠頭(ふとう)に集められた。
 其の伏木港の埠頭に並べられた5式中戦車乙型2を前に越の国梯団の解団式と鎮魂(ちんこん)の儀(ぎ)を行い、大半の兵士達は開放されて、それぞれの思う場所へ去って行った。
 解団によって独自判断の行動になった加藤少尉、上杉准尉、王准尉の外地人達は、戸惑い混じりの複雑な表情をしていたが、やがて彼らも、梯団員達も、皆、笑顔で別れて行った。
 婦人挺身隊の天池さんが無事な姿を見せ、赤芝2等兵に寄り添っていたし、一緒に来ていた錦城さんは、何時の間に親しくなったのか、指中1等兵と手を繋いでいて、2人の元部下は、国内の移動手段が整うまで、暫く彼女達の処に厄介(やっかい)になると言っていた。そして、少し離れた位置で鷹巣淑子さんが微笑(ほほえ)みながら私を見ていた。だが、私は、『当分の間、貴女(あなた)に会えなくなる』と、伝えなければならない。
(それが、当分の間なのか、永遠になのか、分からないが……)
 私の他、3名の車長及び第3中隊2号車の乗員4名と整備要員12名は、アメリカ海軍戦車揚陸艦に積載されるチリオツニの操作と整備の要員としてアメリカへ渡る事になっている。
 揚陸艦は太平洋上の数箇所の港へ寄りながらパナマ運河を抜けてカリブ海へ出た。更に、船はカリブ海を北上してメキシコ湾へ入り、そして、大西洋からアメリカ東海岸のメリーランド州の軍港に接岸すると、陸揚げされて軍用貨物列車に積まれた。
 其の2日後、日本を離れて1ヶ月と1週間、地球を半周もする長い船旅の末、我々はアバディーンというアメリカ陸軍兵器試験場に到着した。
 運ばれたアバディーン兵器試験場では、各種の性能試験を何度も条件を変更して行われ、5式中戦車乙型2は徹底的に調べ上げられた。
 車長達は軍歴と戦闘経過の詳細を尋問された後、チリオツニの走行と射撃の操作、修理と整備を隊員達とおこない、私は軍歴とチリオツニの開発から戦闘の詳細を尋問(じんもん)された。
 アメリカ側の記録と照らし合わせながら、詳細に記憶を思い起こされる1週間の尋問が済むと、連れて来られた越の国梯団員達を纏め、アメリカ側の要求事に従わせる為の長として責任を負わされた。
 我々側からの要求も代表の私を通して行われ、文章と図と私の説明に依ってシャワー以外にバスタブの設置や日本食のメニューが追加された。そして、週に1本程度ではあったがビールも提供されるようになった。更に、個人の場所の仕切りが、士官には板で、兵卒にはカーテンで、各自のベッド周りを広げて囲み、私的空間が確保されるようになると、日常事での不満は殆ど無くなるまでになった。
 既(すで)に、戦争は終結して戦時俘虜ではないにしろ、この待遇の改善は、日本帝国陸海軍の捕虜や敵性国民への嘲(あざけ)りの扱(あつか)いとは雲泥(うんでい)の差で、本土決戦までに至(いた)った日本人が忘れてしまった彼らの言うヒューマニズムの人道主義とディモクラッシーの民主主義を、改めて思い知らされた。
 全周の地平線の果てまで見渡す限りに広がる大森林の中に、これまた、とてつもなく広大な試験場で過ごす日々は、許可と監視付きが必要だったが、試験場内の生活区域の行動は自由で、食事や身の回りの事を含めて快適だった。
 我々が俘虜として行うべき作業内容と生活事の面倒は、日本語に堪能(たんのう)な日系の士官と下士官が通訳を兼ねて、事細やかに教授(きょうじゅ)と世話をしてくれた。
 彼らの面倒見の良さは大助かりで、日常生活での不自由は無くなった。
 特に家族や知人に手紙を書く事が許される事になった時は、自分の安否を知らせてあげられるのが非常に有り難くて嬉しい事だと、皆は心から感謝していた。
 神州日本の本土の大半を連合国の軍隊に蹂躙させた大敗北に因って無条件降伏をした軍事政権の大日本帝国は、統治体制の根本からの崩壊(ほうかい)に至ってしまい、日本を占領統治する連合軍総司令部、通称GHQが、政治に関与する権限を剥奪(はくだつ)した天皇陛下を天孫降臨の神の化身から日本国の象徴とする人格化へ降格して、自由で平等な国民主体のアメリカ方式に、侵略的な戦争を永遠に放棄する平和主義の政治を暫定的に行っていると、日系士官から日本の現状を説明されていた。
 国際郵便物を集配できるようになったのは、それだけ地方の統治と運輸体制が整(ととの)い、日本全体が急速に安定して、戦災被害から復興して来たという事なのだろう。
 本来、無条件降伏して戦勝国に完全統治されている日本は、郵便物の内容検閲を受けないのだが、アメリカ陸軍の重要施設内にいる我々は、定期的に私物検査を受け、投函(とうかん)する郵便内容と宛先を知られるのは至極(しごく)当たり前の事だった。
 私の場合は、滋賀県の田舎に無事でいた両親と、『私は元気です』と返信が来た、金沢市で御世話になっていた彼女へ、1週間に1通は、手紙か、葉書を綴(つづ)っている。
 当初、身内でも無い彼女への投函を訝(いぶか)しんだ日系士官から関係を問われた時に、『彼女は、私の許婚だ』と、戸惑(とまど)いも無く答えた自分に赤面していた。
 各性能試験は始まると、3,4日は連続して行われて、野外の試験現場の近くに張られた大型テントで寝泊りする事も多かったが、試験の準備にも数日を要する事が多く、準備が整うまで暇(ひま)を持て余してしまう我々は、例え、全ての性能試験が終了した先が、戦争責任の裁(さば)きで極刑に処(しょ)せられようとも、知識を学び、身体を鍛(きた)え、体力を維持(いじ)する健康管理に励(はげ)んだ。そして、試験項目の終盤では日常会話程度が可能なくらい英会話を習得していた。
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 性能試験は10ヶ月の長きに渡り、最終的に第3中隊2号車の『イワナガヒメ』だけが完全整備されて、戦勝記念物として戦争博物館に保存された他は、対戦車戦闘の標的として破壊された。
 多くのM4戦車と水陸両用戦車と軍用車輌を破壊して、数百人のアメリカ軍兵士を殺傷した越の国梯団の幹部である我々は、当然、チリオツニの試験が終了した時点で戦犯として抑留(よくりゅう)され、其の長(おさ)である私は銃殺の処刑になるだろうと覚悟していた。
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 重量物運搬トレーラーに積まれた『イワナガヒメ』を見送った日の夕方、我々に移動が翌日の朝に通達されて、午後には移動となるから、持ち運ぶ私物を纏(まと)めるように通達された。
 『いよいよ、軍事法廷で裁かれる為に収監(しゅうかん)されるのか』と、覚悟はしていた筈(はず)なのに、重い実感として直面する、2度と日本の地を見る事も、踏(ふ)む事も無い虚(むな)しさの悲しみと、自身の力量と知略で抗(あらが)えない運命の終末の悔(くや)しい憤(いきどお)りが、人生で初めて自分を深く憔悴(しょうすい)させた。
 収監される軍刑務所へ何処まで移動させるのだろうと、銃殺される不安を紛(まぎ)らわす疑問を抱(いだ)かせながら聞いた、我々全員が何度も顔を見合わせ、移動場所を告げた日系士官に3度も聞き直した移動場所は、日本だった。
 有り得ないと望みもしていなかった幸運に、抱き合い、飛び跳ねて熱狂歓喜する我々に、日系士官が航路と寄港地、それに出港日と到着日を告げ、其の内容を副官の日系下士官が黒板に書き連ねた。
 乗船する船は、進駐軍の交代兵士3000人を運ぶ大きな兵員輸送船で、出港する港はボルチモア、寄港地はマイアミ、ニューオーリンズ、サンチアゴ、ハワイ、サイパン、グアム。そして、到着する日本の港は大阪だった。
 午後の移動の前に、帰国を知らせたい人への手紙を書いて投函するようにとの助言を、日系士官は
忘れなかった。
 
▼昭和21年10月初頭
 次から次と、銃殺の処刑や軍刑務所への収監を覚悟していた我々には、信じられない事ばかりが続いていた。
 背負った大きく膨(ふく)らんだリュックと、両肩から袈裟懸(けさが)けに下げた満杯の雑嚢(ざつのう)の中身は、抑留に外部へ出歩く事を許されなかった我々へ兵員輸送船のPX、日本軍でいう兵営内の売店の酒保(しゅほ)から土産(みやげ)代わりに提供された飲食物と日用品だ。更に、下船前に船長と担当士官へ挨拶に行った我々は、暫(しばら)く待たされた後、新しく発行された日本円紙幣が5万円とアメリカ紙幣が2000ドル、抑留中の日当として旅券と共に支給され、預けていた元部下の兵士や下士官の軍隊手帳も戻って来た。
 戦時中、日華事変で戦意を失って投降した国民党軍や共産党の俘虜は、寝返って南京臨時政府軍や満州国軍や敵情報を収集する密偵にならない限り、手っ取り早く処刑で始末しているか、華人労務者として日本へ送られて重労働に就かされるかだと聞いていたし、フィリピンに駐留していた時に見た連合軍将兵の俘虜収容所は、奴隷を使役するような有様で、彼らの容姿は道端の物乞いと変わらなかった。
 俘虜の人間としての扱いを取り決めた国際法の遵守(じゅんしゅ)に大日本帝国も調印しているはずだと思っていたが、俘虜収容所を管理する将校達は、『本当は、地雷や不発弾や戦闘の残骸の処理など危険な事を遣らせたいのだが、処理物を武器に暴動や脱走をされちゃあ、適わんからなあ。だから、重労働までさ』と言っていたくらい、俘虜には処刑と隣り合わせの非人間的で犬畜生同然な扱いをしていた。
 戦時中は、『敵の俘虜になると、拷問の挙句に処刑されるから、俘虜になりそうな時には自決しろ!』と、中国大陸へ出征する前から兵営で散々聞かされていた。
 故に、アメリカ軍の我々に対する、この親切な接し方は甚だ信じられなくて、これが人道的だという事を抑留中から今に至るまで、強烈に身に染み込まされた。
 日本円の5万円については、『1年前と物価が違うから、余り喜ばないでくれ』と、現在の物の価値を説明されたが、それでも、これには、当面の職の宛ても無く、衣食住に大いに不安が有った我々は、信じられないとばかりに大きく見開いた目を輝かせ、正(ただ)しく驚愕(きょうがく)の喜びだった。
 アメリカ海軍の兵員輸送船から、アメリカ陸軍の将兵達と共に大阪港の桟橋へ降り立った我々は、肩に食い込む頂戴物の重さも気にならず、胸板が厚くなったと感じられるほど懐具合(ふところぐあい)も温かく、澄み切った秋晴れの陽射しの眩(まぶ)しさと、吹き寄せる爽(さわ)やかな風の暖かさと、日本の懐(なつ)かしい匂いに、我々の誰もが大粒の涙を流していた。
 漸(ようや)く、5式中戦車乙型2の性能試験の要員としての抑留生活から開放されて、11ヶ月ぶりに日本へ帰国を果たした。
 彼女への最後に投函した手紙には、大阪港への到着予定日を記していたが、到着日は予定よりも3日も過ぎてしまい、滋賀県の実家へ寄ってから行くとも書いていたので、金沢市で待っていてくれるだろうと思っていた彼女が、もしも、大阪港まで来てくれていたとしても、到着の日や港が変更になったかも知れない不安で、金沢市に戻ったとしても仕方が無い事だと、桟橋の隅々(すみずみ)まで探し見ても、彼女らしき女性(ひと)が映(うつ)らない視界の残念さに、気持ちが沈んで行く。
(さあ、此処でメゲていても始まらない。これからアメリカ軍の下士官にでも頼んで、ジープか、トラックに乗せて貰って梅田(うめだ)の駅まで行ってくれるか、交渉してみるかあ)
 彼女にも都合という事情が有るだろうからと自分に言い聞かせたり、彼女は気持ちが薄れて私から離れたのかも知れないと考えそうになる不安を払拭(ふっしょく)して、先(ま)ずは行動だと、澄み切って高く透明な蒼空を見上げた。
 其の時、私の名を呼ぶ声が、風の中に小さく聞こえた。
 其の声が聞こえて来た方を見ると、向かい側の埠頭に膝丈(ひざたけ)のスカートの若い女性が、長い髪を風に靡(なび)かせながら私の方へ手を振っていた。
 片方の手を口の傍(そば)に当てながら、何か叫んでいるけれど、風は向かい風になって、其の言葉は聞き取れない。
 私は、直ぐに分かった!
 ずっと、逢(あ)いたいと願っていた想いが、今、叶(かな)えられている!
(彼女だ! 間違いなく彼女だ! 私へ手を振って叫んでいる!)
 感極まった私は、彼女を見ながら走り出した。
 其処、此処に真新しい修復が目立つ桟橋を、崩れた部分の修理が始まったばかりの、大きな煉瓦造りの倉庫が並ぶ付け根の場所から、向こう側の埠頭へ早く回って行こうと、高まる気持ちに私は大股で駆けて行く。
 探していた彼女は、埠頭の間に着底した駆潜艇(くせんてい)らしき船の上部構造物を解体する青白い溶断の瞬(またた)きが映る視界の中で、私と同じ方向へ走り出して行く。
 大空の青さの、ずっと高いところに掠れるように浮かんでいる白さは、大編隊のB29でも、乱舞する艦載機でもない、鱗(うろこ)雲(ぐも)と筋(すじ)雲(くも)だ。
 港の沖と桟橋を行き来するのは、高潮のように押し寄せる水陸両用戦車や上陸用舟艇の連(つら)なりではなくて、沖仲仕(おきなかし)の荷受けの船だ。
 艦砲射撃の轟(とどろき)も、砲弾と爆弾の破裂音も、小銃の射撃と機関銃の連射も、火炎放射と飛翔するロケットの響(ひび)きも、怒鳴り合う声に、悲鳴に、泣き叫びに、呻き声も、聞こえて来ない。
 命の奪い合いをする忌(い)まわしい戦争は終わった。
 日本は平和になっている。
 聞こえて来るのは、日本国を明るく再建する音と、明日が今日よりも良くなると信じる人々の雑踏(ざっとう)と、大声で『淑子(よしこ)さん!』と、彼女の名前を呼ぶ自分の声と、涙声で『邑織(むらおり)さん!』と、私の名を叫ぶ彼女の声だった。
 泣きじゃくりながら走る彼女を見詰めながら駆ける私は、心から誓(ちか)う。
 絶対に、私達の未来は、幸せに満ちているようにすると。

 

 完

 

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登場人物
邑織 染二郎 帝国陸軍大尉 独立戦車梯団『越乃国』梯団長 第1中隊隊長1号車 車長 滋賀県高島郡朽木村針畑地区出身 25歳
加藤 正 帝国陸軍少尉 独立戦車梯団『越乃国』 第1中隊1号車 砲手 台湾高雄市出身の高砂族25歳 妻帯者 子供が1人 台湾名「郭 世新」
上杉 学 帝国陸軍准尉 独立戦車梯団『越乃国』 第1中隊1号車 装填手 朝鮮太田市出身の朝鮮人 24歳 婚約者がいる 朝鮮名「李 明照」
指中 三郎 帝国陸軍1等兵 独立戦車梯団『越乃国』 第1中隊1号車 操縦手 16歳 福島県白河町出身
赤芝 真 帝国陸軍2等兵 独立戦車梯団『越乃国』 第1中隊1号車 前方機銃手兼無線手 15歳 滋賀県多賀町出身
小鳥遊 芳光 帝国陸軍少尉 独立戦車梯団『越乃国』 第1中隊2号車 車長 静岡県清水市出身
王 徳明 新設南京政府軍准尉 独立戦車梯団『越乃国』 第1中隊2号車 砲手 中国山西省陽曲市出身 汪兆銘の南京政府に賛同した元国民党政府軍の陸軍砲兵少尉 26歳 妻帯者 3人の子供と妻が江蘇省鎮江市で妻の両親と同居
村上 宏一 帝国陸軍曹長 独立戦車梯団『越乃国』 第2中隊隊長 1号車 車長 金沢市出身
鈴宮 春二 帝国陸軍准尉 独立戦車梯団『越乃国』 第2中隊2号車 車長 神戸市生田区出身
千反田 一二三 帝国陸軍少尉 独立戦車梯団『越乃国』 第3中隊隊長 1号車 車長 飛騨郷出身
小久江 清嵩 帝国陸軍准尉 独立戦車梯団『越乃国』 第3中隊2号車 車長 静岡県焼津市出身
天池 真木子 金沢市長坂地区婦人挺身隊 北陸女学校生徒 15歳 11月9日生
錦城 祥子 金沢市長坂地区婦人挺身隊 北陸女学校生徒 16歳 7月3日生
鷹巣 淑子 金沢市長坂地区婦人挺身隊 北陸女学校生徒 17歳 8月11日生
井上 芳佐 帝国陸軍中将 5式中戦車乙型2の再開発と試作量産の総責任者
八原 博通 帝国陸軍大佐 5式中戦車乙型2の再開発室長 元第32軍の高級参報(沖縄本島から生還)
福富 繁 帝国陸軍中佐 5式中戦車乙型2の再開発室長補佐 元第28軍主任参謀(ビルマ戦線から人事移動)45歳
小林 修二郎 帝国陸軍大佐 陸軍大学教官
外山 尚孝 帝国陸軍少佐 陸軍研究部員
野口 剛一 帝国陸軍少佐 陸軍研究部員
金沢師管区司令官 藤田 進 帝国陸軍中将
金沢連隊区司令官 越生 虎之助 帝国陸軍中将
石川県知事 平井 章
金沢市長 沢野 外茂次
5式中戦車乙型2の製造工程長
大阪陸軍造兵廠の砲架技師 帝国陸軍大尉 高岡市出身
神雷航空隊の飛行教官 帝国海軍少尉(南方戦線から帰還)
金沢師管区と連隊区の司令官の副官達
ロケット兵器『桜花』の搭乗員達
金沢市国民防衛隊の指揮官達と隊員達
勤皇少年隊の隊員達
石川県警官隊の警官達
国鉄職員達
小松製作所と協力会社の職工達と親方達
金沢市長坂地区の婦人会会長と婦人挺身隊の隊員達
金沢市長坂地区の地区長と部下達
大聖寺町の料亭の女将と従業員達
『越乃国』梯団の各中隊車輛と通過経路を護衛する帝国陸軍の兵士達と警察官達
小松市と金沢市の市民達
レイテ島の帝国陸軍 第1師団(玉兵団)、第16師団(垣兵団)、第102師団(抜兵団)、高千穂空挺隊、などの兵士と隊員達
レイテ島、タバンゴの港と沖の哨戒艇の帝国海軍の将兵達
レイテ島の住民達
レイテ島のアメリカ陸軍と海兵隊の兵隊達
レイテ島のフィリピンゲリラ達

 越の国(越乃国/高志国/越洲)とは、大和朝廷に越前、加賀,能登、越中、越後として征服支配される以前の古代(縄文・弥生期)の統治国家。
 富山湾と敦賀湾を中心として長期に栄えた、現在の北陸地方と信越地方の西部(福井県、石川県、富山県、新潟県)。
 古代に日本海沿岸地域に栄えた日本海環文化の一部(日本海の潮流と風向きから能登半島と佐渡島へ漂着し易かった)
 住民は蝦夷系の先住民と朝鮮半島北部やモンゴル・シベリアからの渡来人で盛んに交わり、共存共栄していた。
 実在した5式中戦車(チリ車)は、戦局を逆転させるべく密かに開発された戦車で、本土決戦の準備が叫ばれる時期において、列強の戦車と比較して優るとも劣らない「決戦兵器」になる筈でした。
 帝国陸軍においての開発順序の最後で、試作までされた中戦車です。
 自動装填装置を備えた長砲身の75㎜砲を主砲とし、副砲として37㎜砲を車体前部に搭載し、前面装甲厚は75㎜、重量35tと、それまでの帝国 陸軍の戦車と比べ大幅に大型化され、純日本式の最新・最強の戦車となるべく開発されました。
 昭和20年3月に試作車の1輌のみが製作を完了して、走行・射撃試験を実施したと記録が有り、終戦時には主砲を外した状態で占領軍に接収されました。