遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

後編 ザ・マムートのフィナーレ(ザ・マムート・ツヴァイの戦い <超重戦車E-100Ⅱ 1945/3/29~5/7>)

 1945年

 * 5月4日 金曜日 アルテンプラトウ村 駅舎前から街道口へ

 800mの距離から撃破した4輌のスターリン戦車が燃え盛(さか)る東方のブラッティン村を、ソ連軍から奪(うば)い返す防衛隊の兵士達の様子を見ながら車長のメルキセデク軍曹は、マムートをアルテンプラトウ駅舎前から木材工場の煉瓦塀(れんがべい)と並木の影へ後退させて停止させた。

 停止すると直(す)ぐにバラキエル伍長は砲身と俯仰角(ふぎょうかく)を固定する歯車の状態を調べ、ラグエルとイスラフェルの2人は砲塔上面の装填手(そうてんしゅ)用と砲塔後部のハッチから出て、車体後部上面のグリルを全(すべ)て開いてエンジンルーム内へ潜(もぐ)り込み、燃料やオイルの漏れに振動や音の異常、それに空冷されずに高温のままの赤い部分の有無を点検する。

 僕は傍受(ぼうじゅ)する無線の様子から、軍曹へ再度接近して攻勢を掛けようとするソ連軍がいない事を報告すると、軍曹の指示で『ブラッティン村の敵威力偵察隊の撃滅と、今夜夜半に予定の守備位置へ到着できる』旨(むね)を暗号文にして、半周防衛陣を構成する第12軍の司令部へ新型無線機の送信出力を長距離用に上げて伝えた。

 それから僕は変速装置と駆動軸の点検を終えたタブリスに付き添(そ)い、全部の履板(りばん)のジョイント部分は罅割(ひびわ)れや欠損(けっそん)の有無を調べて、異常が有れば白色のペンキで印を付け、更(さら)に連結ピンに緩(ゆる)みが有れば締(し)め付けてから、僅(わず)かに弛(たる)みが増えた履体(りたい)を定位置まで張り直(なお)す。そして、調整と異常の状況を軍曹に報告する。

 ジョイント部分は3箇所に小さな欠けと皹が見付かり、5本のピンが少し緩んでいただけで、走行に支障が有るような重大な問題は見付から無かった。

 軍曹とバラキエル伍長は、『ソ連軍に増援の来る様子(ようす)が無いか見る』と、駅舎の2階へ駆け上がって窓から双眼鏡で暫(しばら)く東と北の方を見ていたが、その動きの気配(けはい)は無かったらしく、のんびりと歩いて戻って来た。その軍曹の手には駅舎の待合室に残されていたのだろうか、紳士物のコウモリ傘が握(にぎ)られていた。

 雨と陽射(ひざ)し除(よ)けだそうだけど、無線に入るラジオ放送から『薄い曇り日が続くだろう』と聞いていたので、暫くは強い陽差しの日は無いのにと思う。

 

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 国道に出る直前の踏み切りに遮断機が下りて、直前を軽便鉄道に運用されるような箱型の蒸気機関車に牽引(けんいん)された3両編成の列車が、歩けない重傷の兵士と婦女子でギュウ詰め満員状態の客室に、軽傷の負傷兵はずらりと屋根に乗り、デッキには小銃や短機関銃を持った警護兵が幾人も立って沿線を警戒(けいかい)しながら、マムートによって安全を確保された線路を複合橋が在る北方のフッシュベック村や、鉄道橋が架(か)かるシェーンハウゼンの町を目指して、ゴトゴト揺れながら走って行った。

 これからソ連軍に攻め込まれてゲンティンの町が占領されるまで、夜を徹(てっ)して鉄道を往復運行させて、逃(のが)れて来た傷病兵や避難民を、北方のエルベ川を渡河(とか)できる地点まで運んで行くのだろう。

 遮断機が鉄道公社の職員と警護の国民突撃隊員によって手動で上げられると、待機していた防衛隊のヒトラーユーゲント達が国道を北西へ逃れて行く多数の難民達を遮って、フェアヒラント村への街道口までマムートを誘導してくれた。

 其処(そこ)へ国道から戦闘の成り行きを見ていた行政官が笑顔で走り寄って来て、感激しているのが分る大きな声で言った。

「ジーク・ハイル! お見事でした、軍曹殿。圧倒的な勝利に我々の士気は、一気にあがりました」

 踵(かかと)を鳴らして身に染(し)み込んだ右手を上げる敬礼姿勢の行政官はマムートの活躍(かつやく)を讃(たた)えると、運行が再開されて通り過ぎて行った列車を指差し、行政官は興奮して甲高(かんだか)くなった大声で言葉を続ける。

「既(すで)に夕刻が近くなっているので、ソ連空軍機の襲来は、もう今日は無いでしょうから、たぶん、明日の昼過ぎ頃までは避難列車の運行を続けられます。難民列車を再開できたのは、とても良かったです。軍曹の御蔭(おかげ)ですよ。……しかし、戦争はドイツの負けで終わりです。明日の午後には、このアルテンプラトウ村や運河向こうのゲンティンの町は、3方からソ連軍に包囲されるでしょう。もうこれ以上、誰も、何も、失いたくは有りませんから、私達は降伏の白旗を掲(かか)げます」

 再び踵を鳴らして右手を上げる行政官は、別れに祝福の言葉を添えた。

「軍曹殿、乗員の皆さん、御武運を!」

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 * 5月4日 金曜日 アルテンプラトウ村からフェアヒラント村への街道を進む

 操縦手のタブリスはメルキセデク軍曹に命じられ、街道をフェアヒラント村のフェリー乗り場へ向かう避難民達の遅い歩きよりも遅い、その半分以下の速度で路面が崩れる様子を見ながら、マムートを慎重に進ませている。

 陽は西へ更に傾き、直(じき)に村の高い建物の屋根の後ろへ隠(かく)れそうになっている。森の中に入ると斜陽は木々の頂(いただ)きを薄赤く照らすだけで、薄暗い街道は中世から噂(うわさ)される魔物が、脇から襲い掛かって来そうなくらいに不気味(ぶきみ)な感じがする。

 アルテンプラトウ村の家並みを過ぎると約4km離れたニーレボック村までは、ほぼ一直線の街道になる。途中の3kmばかりは赤松の森を抜けて行く。

 道幅がマムートの車幅より一メートルばかりしか広くない街道の路面は、細かい砂礫(されき)と瓦片(かわらへん)や煉瓦片を更に砕(くだ)いた屑(くず)を敷き詰めて、馬車や人が通り易(やす)くされていたのに、マムートの重量がキャタピラのパターンを圧(お)し着けながら作られる轍(わだち)で路肩を崩(くず)してしまい、少し大きく凹ませる度に停止して、突然に大きな穴が開いて、マムートが落ち込んでしまうような軟弱な地盤ではないかと、路面を良く調べてから移動を再開していた。

 重量物を置いたりする工場の敷地内や大型の運送車輌が行き来する国道なら、ほぼ安心してマムートを動かせたが、荷馬車と人と軽量車が通るだけの地方街道は、何処も雨上がりに水溜りや轍が出来易い圧し固めの弱い路面状態で、1mもの幅広の履帯が重量を分散させているとはいえ、運転に自身を付けて来たタブリスの横顔はスタックする不安に歪(ゆが)んでいる。

 タブリスの心配顔に、『路上以外を走るな』と命じていた。

 左右に広がる太い松の木の森は、太い幹と高い樹高で鬱蒼(うっそう)として暗く、同じようにアルテンプラトウ村から森の中をゲンティンヴァルテ村を通り、レーデキン村へと北西に向かい、第12軍の防衛の最大拠点とエルベ川の主渡河地点へと至る国道107号線は、こちらの街道みたいに、国道の両脇に幾つもの障害物や対戦車を備(そな)えた陣地が造られているはずなのに、西陽が作る影と森の見通しの悪さで全(まった)く見えない。

 森は緩やかな丘を覆(おお)っていて中程まで続く僅かな傾斜の登り坂と少しの曲がりの為に、アルテンプラトウ村からは、紅(あか)く染(そ)まり出す空を背景に浮き上がるレーデキン村の教会の尖塔が見えなかった。

 森の中の街道はマムートが通り過ぎると、道脇の太い松ノ木を工兵達がカンテラの灯(あか)りを頼(たよ)りに街道を塞(ふさ)ぐ障害物として3、4本切り倒した。そして、その手前には手榴弾と結(むす)んだ対戦車地雷が千鳥に埋設され、障害物周辺にも引っ掛けたワイヤーや触角で起爆する対人地雷の罠(わな)が仕掛けられた。

 切り倒した松の大木の障害物と爆薬の罠は、アルテンプラトウ村から曲がりまでの中間地点、曲がり部、曲がりから森を抜(ぬ)けるまでの中間地点の3箇所に作られた。

 フェアヒラント村のフェリー乗り場へ向かおうとする車輌や馬車は、森のアルテンプラトウ村側で止められて残りの距離は街道を歩かされた。3箇所に施設された危険な障害物の部分は、防衛隊員達が誘導して避難民達を迂回(うかい)させている。

 曲がり部脇とニーレボック村側の森の出口に塹壕が掘られて、口径75mmの対戦車砲と重機関銃が配備される2個小隊規模の陣地になっていた。

 小さな窪地で煮炊(にた)きする簡易ストーブの火に照らされる守備兵達は、殆(ほとん)どが僕達と同じくらいの20歳前の顔に見え、その中に30歳前後のベテラン兵が混(ま)じっていた。誰もが通り過ぎて行くマムートと車体上や砲塔上に腰掛けている僕達を見ていて、緊張混じりの笑顔で小さく手を振ってくれていた。

 小さな炎に照(て)らされる兵隊達の中に、丸メガネを掛けた40歳ぐらいの隊長らしき人の顔が見え、僕は其の顔に似てる人物を思い出していた。

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 学校で教わる社会と歴史の科目は、思想的要素や神話的要素が多く書かれていて、民族のルーツからの精神支配を強要されている感じがして僕は苦手だった。

 実際に有ったかも知れない伝承からの神話は御伽噺(おとぎばなし)のようで好きなのだけど、そんな超常現象みたいな出来事を現実と関連付ける授業には違和感(いわかん)を持っていた。だから、ヒトラー・ユーゲントの集いでリーダークラスが語る優越人種論とユダヤ人弾劾(だんがい)には、僕は表情や言葉にこそ現(あらわ)さなかったが、気持の底からうんざりしていた。

(歴史と世界に選ばれた優秀な民はドイツゲルマン人だ! ……なぁんて、嘘っぱちだった!)

 例(たと)え、ゲルマン民族のドイツ人に資質が有ったとしても、選民的なナチス思想で染められたドイツ人じゃない!

 世界を支配すべく蛮族(ばんぞく)のスラブをシベリアへ駆逐して、北極圏のバランツ海からウラル山脈の西側をカスピ海のボルガ川河口を結ぶまでのロシアの肥沃(ひよく)な西部地域と、フィンランドを除く北欧一帯に、併合したオールトリアを含むドイツ本国を合わせた土地を領土の範図とする、1千年の繁栄を約束されたゲルマン帝国に住まうのは、彫(ほ)りの深い顔立ちで金髪碧眼(へきがん)の白人、純粋種のアーリア人だ。

 深く思考をする理解の速い頭脳と高い運動能力を産まれながらに持つゲルマン人は、アーリア人直系の優越民族で、他の全ての民族はドイツゲルマン人に支配される為に存在する、家畜並みに劣等な奴等だと学校の優秀人種学の授業で教え込まれた。

 そのアーリア人は古代に中央アジアのイラク辺りに居て、エジプト文化圏の中東アジアを攻めて支配したヒッタイト人と共に開発した、鉄製の武器と高度な戦術によってケルト人のヨーロッパに攻め込み支配した。

 人種学の授業は古代の歴史ロマンも学ぶので、僕の得意な科目の一つだった。コーカソイドの白人で金髪の僕は授業内容から最優秀の純血種アーリア人かもと自惚(うぬぼ)れた。でも、僕の母方の祖母の両親はフランス人で、母は全然碧眼じゃないし、碧眼の僕はアジア人の平面顔ほどじゃないけれど、彫りが浅いと思う。

 口角泡(こうかくあわ)を飛ばしながら、総統や宣伝相の演説張りに力説する若い先生の人種学の授業を受ける度(たび)に、透(す)き通るような白い肌に金髪と碧眼の彫りの深い顔の骨格だけの外見判断で、ドイツゲルマン人が直系の純血種アーリア人とする根拠は曖昧(あいまい)だと、僕は感じていた。

 他の種の人体骨格と比べて、此処がこうなので、此処も違うからドイツゲルマン人は優れていて、他の種は劣等なのだ。なんて、それだけで優秀とか、有り得ないと思う。

 確かに勤勉で生真面目なドイツ人は世界最先端の精密工業製品を開発して販売している。なのに開発したドイツ人エンジニア達の写真を見る限り、金髪は少なかった。商売の才能は乏(とぼ)しくて融通が利(き)かないし、駆け引きは苦手だし、儲(もう)けは少ないしで、有名な大企業は何処もセールスと経理はユダヤ人任せだった。それに、新たな開発の発想は、ドイツ人以上に他民族が多く着想している。

 だから僕は、禁断スレスレの質問を帰宅途中の先生に駆け寄ってしてみた。

「先生、人種学での質問をしても、宜(よろ)しいでしょうか?」

「おおっ、アルフォンス・シュミット君か。質問を認めよう。でも、通りでは、質問内容にもよるけれど、答えられないな。これは、お互いの為だよ。だから、君に時間が有るのなら、私に付いて来たまえ。先生の部屋で、君の質問に答えてあげよう」

 人種学と違って世界史を教えてくれる丸メガネを掛けた初老の先生は、いつも穏(おだ)やかなしゃべりで、全生徒の名前を覚(おぼ)えていて、いつもフルネームで呼ぶ。ピシッと、叱(しか)る事は有っても、命令調で断定と肯定ばかりの他の教師達とは違って、激昂(げきこう)の怒りで怒鳴(どな)ったり、体罰を振るう姿を見た事が無かった。

 アパートに間借(まが)りした先生の部屋で、蓄(たくわ)えていた配給品から提供してくれたのだろう、砂糖を多く入れたホットミルクを僕だけが飲みながら、質問の続きをした。

「ゲルマン人と直結するアーリア人は、なぜ、中央アジアにいたのですか? 先生」

「普通は鵜呑(うの)みにして、疑問を持たない子ばかりだけど、君は違うのだな、アルフォンス・シュミット君」

 まだ熱くて飲めないホットミルクに、ふぅ、ふぅ、と、息を吹き掛ける僕を覗き込む先生の目を見て頷いた。

「私が読んだり、調べたりした書物には、何処から来たの書かれていませんでしたが、他の民族とは交わりを持たないまま、中央アジアに散らばっていた放牧民じゃないかと、私は考えています」

「或(あ)る時、彼らはオアシス周りの砂礫の土地を耕(たがや)し、安定した収穫の農耕による定住をしようと考えました。それは既に得た炭作りと金属を溶(と)かす技術で作った青銅の農具を用いて始めたのですが、小粒でも硬い砂礫に青銅は曲がり、欠(か)けて、削(けず)れて、直ぐに使えなくなりました。彼らは青銅よりも硬い金属を求めて、幾つもの鉱物を錬金術のように試したのです。そして、より高い熱を得る為の強い風が通る丘の上に造った溶鉱炉で、遂に砂鉄を溶かして鉄器を作る事に成功しました」

「アーリア人が世界で初めて、鉄器をつくったんですか? 先生」

「ああ、そうだよ。でも製造に参加していたのは、アーリア人だけじゃなかったのさ。ヒッタイト人も一緒に取り組んでいたと思う。だけど、発想と着想はアーリア人だったのだろう。ヒッタイト人の宗教の根幹(こんかん)もアーリア人の神と宗教の教えだから、ヒッタイト人は尊敬と畏怖(いふ)の意味を込めて『優(すぐ)れた者』、即(すなわ)ち、『アーリア』と呼んで讃(たた)えたのさ。ここまでは解るかな、アルフォンス・シュミット君」

「ええ、ありがとうございます。解(わか)り易いです、先生。でも鉄の利用は、アッシリア人になってますよ」

 僕はニコニコ顔の先生に、感謝の意と新たな疑問を問う。

「そうだね。現在は、トルコの国になっている小アジア半島東部のアナトリアに居(い)たヒッタイト人は、直ぐに鉄で武器を作って、南方の憧(あこが)れの文明国を征服しようと攻めたんだ。結果はエジプト本土へ攻め入れないまま講和停戦となってしまった。その国力を消耗したヒッタイトを征服したのが、イラク北部を支配していたアッシリアだ。そして、ヒッタイトが秘匿(ひとく)していた鉄の製造技術を奪(うば)ったという訳だよ。その後は、アッシリアが全(すべ)ての戦争に鉄の武器を使ったから、まるで、アッシリアが世界史で最初に鉄を製造しかのようになってしまった。だが違う。最初に鉄を製造して利用したのは、アーリア人とヒッタイト人だ!」

 冷(さ)めて来たホットミルクを2口啜(すす)った僕は、興味深深で聞き入っている。

「イラン北部とトルコ東部は国境を接している。イランという国名はアーリアと同義の『優れた民』だそうだ。アーリア人が住んでいた中央アジアのイラン北部は、ヒッタイト人が居たアナトリアの御近所さんなんだよ。因(ちな)みにイラクの意味は、川に挟まれた豊かな地という名の古代都市国家と同じらしい」

「イランとイラクは、国名が似てますけど、民族が違っていそうですね。先生」

「面白いところに気付いたみたいだね。アルフォンス・シュミット君。ちょっと脱線するけど、そうなんだ。イラン人はアーリア人の直系の民、ぺルジャ人。イラク人はアッシリア人系のアラブ人。そうなるのだろうなあ。鉄の製造に必要な木炭を作るのに、ヒッタイト人がアーリア人の土地の木まで伐採(ばっさい)し過ぎたから、乾燥し易い内陸気候の中央アジアは砂漠化が進んで、アーリア人の農耕定住に相応(ふさわ)しくない土地になってしまった。故(ゆえ)に、新たに安住の地を求めてアーリア人の移動が始まったと、先生は考えています」

「土地が痩(や)せて住めなくなってしまったんですか……。それで全員が、はるばるヨーロッパまで移動したのですか? でも、なぜ、東の中国じゃなくて、西なのでしょう? 先生」

「いや、たぶん、意見が分かれて仕舞い、大小のグループが全方角へ移動していったと思います。まあ、その方が、民族が絶滅し難(にく)いですよね。中国方面はヒマラヤ山脈や崑崙(こんろん)山脈の連なる高山と、広大な砂漠に阻(はば)まれるまで移動して、現在のペルシャ系の住民の先祖になったのでしょう。そこから南のアラビア海まで移動したグループは、更に海沿いを東へ進み、インドに到達しました。インド人はアーリア種と違いますが、カースト制度の最上階のバラモンとマハラジャはアーリア人です。彼らの進んだ思想と武器が、土着民の支配を成功させたのです」

「あの奴隷制みたいなカーストは、アーリア人が作ったのですか? 先生!」

 アーリア人が賢(かしこ)くて支配層になるのは分かる。でも、傍目(はため)には理解できない非人間的な扱(あつか)いを強(し)いるカーストを整備したのも、アーリア人だなんて、ペルシャ人が子孫説と共に、先生の話は驚く事ばかりだ。……となると、ゲルマンドイツ人が直系と説(と)くナチスは、公表できない非道な事を強制収容所の中で行っているかも知れない……。

「だね。アルフォンス・シュミット君。北へ向かったグループはロシア王朝の始祖(しそ)になって、農奴体制をスラブ人に強いたんだ。そして、西方は、当時最先端のギリシャやローマが栄えていた、憧れの地中海文明圏が在り、人気が有った。だから、多くのグループが地中海沿岸の文明と友好を結んで、北ヨーロッパの森林地帯へ移住したのだ。だが、北ヨーロッパにはローマ人が蛮族と呼んで、忌(い)み嫌う強力なケルト人が住んでいた。当然、ケルト人は侵入するアーリア人を排除する為に戦いを挑(いど)んでくる。ローマ人を撃退したケルト人は戦い慣(な)れしていて、地の利を活(い)かした戦術は侮(あなど)れない。しかし、ケルト人の武器は青銅製だ。強度を保つ為に太くした刀剣と、防御力を高めて厚くした盾は、重くて取り回しに苦労する。刃先(はさき)も直ぐに破損してしまう。切るや刺(さ)すより、叩(たた)くや殴(なぐ)るに近いダメージしか敵に与えない。それに対して、アーリア人の鉄製武器は、同じ大きさなら青銅よりも軽くて強靭(きょうじん)だった。切っ先は鋭(するど)く研(と)がれて、皮の鎧(よろい)ごと骨まで断(た)ち切られた。そして、アーリア人はケルト人を追い詰めて支配した」

「それって、ヨーロッパの王朝や貴族の始祖もアーリア人って事なんですね。先生」

「そう、察(さっ)しがいい、アルフォンス・シュミット君。此処までは理解したみたいだから、これから先生が話す事は、疑問への君の呟(つぶや)き程度で記憶してくれればいいし、さらりと忘れてくれてもいい。でも、他言してはダメです。今は秘密にしてくれたまえ。先生は、誰にも変な考えを話していませんし、そもそも、そんな考えを持っていない事にします」

《これから、先生が言おうとしているのは、ナチスのアーリア人種論を否定する事だと思う。僕が密告すれば、先生は逮捕されて、警察で拷問(ごうもん)での自供、挙句(あげく)に刑務所ではなくて強制収容所で思想修正の労働と洗脳だ。従順にならないと死ぬまで強制労働をさせられるだろう。そして、密告した僕もどうなるか分からない。それに、先生が異分子を摘発する秘密警察かも知れない。誘導で話を聞いた僕を逮捕する恐(おそ)れも有る。でも、そうでなかったら、納得できる考えを先生から聞ける。聞いてしまったら、僕は非常に危険な立場になるかも知れないけれど、まっ、かまわないか》

「分かりました、先生。秘密にします。他言はしません。先生も話していません」

  10歳に成(な)ると強制的に入団させられるヒトラーユーゲントの信条は、個人よりも全体が最優先だ。家庭や学校よりも『国家と民族の為に』が大事とされ、『1人の完全なドイツ人に成る為』、『民族と国家の為に喜んで命を捧(ささ)げる国民になる』が重視される。

 だから団員達は、その信条に反逆する思想で話しと行為を行う親友や家族を平気で告発して、保安局やゲシュタポに逮捕させ、思想矯正(きょうせい)や重労働の強制収容所へ送り込む。

 だが、僕はアナーキーという言葉を辞書で見て覚えている。無政府主義者の意味だ。世間一般やルーツの枠(わく)に嵌(は)まらない行動と考えをする、無粋(ぶすい)な悪役っぽい連中で、怠惰や疎外でのドロップアウトとは違うアウトローと似たような者達だ。僕は、そんなヒールモドキに、少し憧れていた。

《アンチ・ナチスの考えを聞いて秘密にすれば、僕もアナーキーらしくなれるのかもだな》

「先生は、ゲルマンドイツがアーリア人の純粋直系という説は、根拠に乏しいと考えています」

《おおぅ……。先生は考えを声にして僕に語(かた)ってしまった……。先生は国家反逆の罪だ!》

 だけど、僕もそう考えている。

《僕は先生を告発したり、密告したりしないし、したくない》

「ゲルマン人はもともと、北欧を主にした北海周辺の土地にいたんだ。海賊のバイキングもゲルマン人だな。彼らは、中央アジアの草原に興(お)きたフン帝国のヨーロッパ侵攻に恐れをなして、ゲルマニアへ移動する。ゲルマニアはカイザーのドイツ帝国の領域と大体同じですね。フン族は東ヨーロッパから攻めて来たのだから、ゲルマン人は、その侵攻方向へ移動してしまったんだ。放牧と狩猟に日々の糧(かて)を得て定住地を待たない、矯正した平面顔に両頬の刀傷を自(みずか)ら付ける、その巧(たく)みな弓術に長(ちょう)けた騎馬民族は、神話に登場する凶暴な北極の蛮族、ケイオスのように想像されて、ゲルマン人達は北欧から南の中央ヨーロッパへ逃げてしまったのだろう。結果、ゲルマン人は見事に蹴散(けち)らされて、ヨーロッパ全体へ散り散りだ。それに勢い付いたフン族は、ガリアの西ゴート帝国まで征服して略奪の限りを尽くすと、東ヨーロッパの彼方(かなた)へ引き上げたという経緯なのです」

 確(たし)か、ガリアは、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクと、その周辺のフランスとドイツの範囲だったはず。北極のケイオス族って、北欧神話やドイツ神話に登場して、どんな蛮行を働いたのか、覚えが無くて分らない。

「だから、アルフォンス・シュミット君。アーリア人とゲルマン人は交わっているとは思うけれど、直系ではないんだよ。先生は写真で見て比べた事しかないけれど、イラン人達の顔付きと、ゲルマンドイツ人の顔付きは違うんだ。党が力説する直系説は、殆どが捏造(ねつぞう)で、国民を統率して世界征服する侵略戦争を継続する為の、選民意識を植え込む、洗脳のプロパガンダなんですよ」

 ナチスのプロパガンダと言い切って話し終た先生の僕を見る顔は、僕を部屋へ招待した時よりも、ずっと明るくて穏やかになっていた。

「それとですね。先生は別の考え方を持っています。党のアーリア人純血種論と対極になる考えですが。アルフォンス・シュミット君、聞いてくれますか?」

 先生は今、個人しての考えを纏(まと)めたアーリア人のルーツを僕に説明してくれた。その考えは非常に危険で反社会的だと思う。だけど、僕の立ち消えの疑問を全て向きを揃(そろ)えて繋げてくれた。

《とても博学で勇敢だ。僕は今、心の底から先生を敬(うやま)っている。だから……》

「是非、聞かせて下さい、先生! 今日、僕は先生に初めて質問をして、先生と初めて話しました。そして、先生の考えは僕を豊(ゆた)かにしています」

 先生の言う純血種と対極になる考えは、きっとアーリア人のルーツのように理屈に叶(かな)った、納得できる内容だと思わせ、僕は非常に興味を啜(そそ)られる。

「君は熱心なキリスト教の信者かな、アルフォンス・シュミット君。あまり熱心じゃなくても、旧約聖書のバベルの塔は知っているでしょう。あのノアの箱舟の後、ノアの子孫は凄く増えて、神罰の大洪水の前よりも人類は多くなりました。そして、『人々が世界中に広がるように』という神の意思に反して、新技術と知恵と協力で神が住まう高みまで、巨大な塔を建設して『神と人は対等』と実力で示し、『この住み心地の良い恵(めぐ)まれた地を離れない』という、断固とした考えを現しました。この神の命に叛(そむ)く、自らに似せて創造した人間の高慢(こうまん)な行為に怒った神は、激しい雷(いかずち)の連撃で塔を崩し、わざわざ地上に降臨してまで、多彩な言語を押し付けて単一の言葉と乱(みだ)します。そして、通じない言葉に動揺する人々を単一の留(とど)まる地から世界中の地へと無理やり散らします。ここまでは分りますね」

 僕は頷いて、理解出来ている事を示す。

「はい、分ります」

 モーゼがシナイ山で神から授かった十戒(じっかい)は、散らばった人々が各地で文明を興して繁栄している世界で、バベルの塔より、ずっと後の出来事だ。

 再び高度な技術と組織で繁栄し出した人類を恐れた神は、石板に雷で刻み付けた十戒の戒(いまし)めにより、人類の統一を阻(はば)む更なる暗示を契約の形で記したのだと思う。

 戒めに契約、阻む作為は幾度も行われて、善にも、悪にも受け入れられる、神からの数多くの戒律(かいりつ)で人類は何重にも枷(かせ)を掛けられてしまった。

「先生は、この神の怒りは、塔を崩して言葉を乱し、人々を全ての地へ追い立てるだけでは無かったと思います。それに、今日(こんにち)を鑑みて、きっと、人の思考と能力と行為の全てを雑多に乱して、将来、人種別、民族別に纏まって血種の境界を作り、相容(あいい)れない異種と争うように分別したのです。それを行う故の降臨でしょう。これは由々しき神罰です」

 増え過ぎたノアの子孫達を世界中へ散らばらせる、旧約聖書の創世記11章の、神が人の業(ごう)と言った人間達の成し遂げる行為や驕(おご)りと高慢を戒める教えだ。

「乱した言葉の種類は、たぶん、現在の数百倍にもなる多さだったでしょう。それでも人々は、同じ言語、類似の表現と集って彼の地を後にします。そして、雑多に乱された言葉は、数千年を経て徐々に今日の数まで淘汰(とうた)されたのです」

《なぜ神は、遣り遂げる人間達の意志と成果を祝福しなかったのだろう? なぜ神は、言葉と意思を乱してゴチャゴチャのバベル状態にしたのだろう?》

「バベルの塔を崩した神の怒(いか)りは、神の焦(あせ)りだと、先生は考えるのですよ。人が思案、思考して得た新技術に、単一の言葉による統一された人の意思の孤高(ここう)。これは逆に言うと、新技術の発展で人は神の領域に達する寸前だったとう事です。だから、現代に於いて、異人種と異民族での交配を繰り返して、全ての遺伝子と細胞記憶を持つ人達ばかりになれば、彼らは神に等(ひと)しくなれるかも知れないのです」

 先生が話す事を、僕は今まで全く考えもしなかった。

《神が人類を貶(おとし)めた逆をすれば、神の脅威(きょうい)となる高みへ至れる人類に戻れるって事だ! それは、とても素晴らしい事じゃないかな》

「でも先生、散らされた人々の遺伝子と細胞記憶は、みんな同じだったのでしょう。それならば、現代人は意思の疎通を統一するだけで、神へ挑戦できないのですか?」

 頷(うなず)いた先生は、直ぐに回答してくれた。

「神は、とても賢いのです。人間が得られない叡智(えいち)を持ち、成し得ない所業を行なえます。人々を似た言語と容姿で小さく分けたと同時に、全てのグループは長所短所の凸凹(おうとつ)をつけられて他と噛(か)み合い難(にく)くさせました。それは、例え全ての遺伝子と細胞記憶を有した人類になれたとしても、人類が統一言語でコミュニケートして一つに纏まらなければ、孤高の人類には至(いた)れないという事なのです」

《このままでは全人類が、ソドムやゴモラのような塩の柱にされてしまったり、沈下する全地表と激しく降り続く長雨で溺(おぼ)れてしまって、滅亡(めつぼう)するかも知れない》

「人類が、民族主義や国家主義、それに思想主義で戦争を繰り返すのは、全てを統合した孤高の人類が誕生しないようにする、神の作為(さくい)なのかも知れません」

 幸せの定義まで、神は裁(さば)き、調停者のように押し付けて来る。

「孤高の人種を再現させて更なる思考と技術の開発に至った人類は、神に匹敵(ひってき)するほどになるでしょう。其の時に地上は天上界のような楽園、創世記のエデンの園とは違う約束のエデンの地になるのだと、先生は考えています」

 荒唐無稽(こうとうむけい)で壮大(そうだい)だけれども、確かに先生の考えは納得できて、そうかも知れない、そうなれば良いと、僕は思ってしまった。

「統合進化した新人類は、究極(きゅうきょく)のエデンの楽園を創造(そうぞう)するのですか? 先生……」

 自分の中で整理したいだけのオウム返しに言った僕の問いに、先生は笑う。

「あはははは、そうですね。今の戦争や不平等な社会を繰り返す人類は、創世記に約束の地のカナンから東へ逃げたような、エデンの東にいるのではないかとも思っています。ここからエデンへはティムシェル……、『汝(なんじ)は治(おさ)める事が出来る』と解釈されていますが、『自分の運命は自分で切り開く』の意味でもあって、それを全人間が成し遂(と)げなければ戻れ……、至れないのです。試(だめ)しに来た神が認めて、『イスラエル』と改名させた家出人『ヤコブ』のようにです」

《名前まで変えて今までとは考えも、行いも一新して善良になってしまう統一新人類は、何と呼ばれるのだろう?》

「そう、単一種族内で交配される純血種とは、真逆の考えですね。今のドイツでは非常に危険な思考で、たぶん、あなた以外の誰かに知られると、ここにゲシュタポが来て連行され、拷問自白の果てに、先生は思想改革で強制収容所に収監(しゅうかん)されます」

 そう、先生の言う通りだと思った。

 『業』は、唯一(ゆいいつ)の神がバベルの塔を崩して人々の声と言葉を乱(みだ)すまで無かった言葉だ。

 神は人間達を小さな括(くく)りで小分けして世界中に散りばめた。その小さく括られた人間達を民族や思想の王が、狭(せま)い範囲の土地に縛(しば)って支配した。

 小さな領地に留まらせて支配される少ない人間達は、幾世代に渡る長い年月の間、自分達の中で交配を繰り返し、その近親間のような交(まじ)わりは、稀(まれ)に知能の高い非常に優秀な人物を誕生させたが、多くの知能的、肉体的、障害者を産み、人類全体を劣化させてしまった。

《言葉を乱して人類に纏まりを失わせたのは、神の業だ! 人類を劣化させてまで人身を支配したがるのは、人の業だ! 人の心のカオスは、神が人類に与えた苦しみの呪(のろ)いだ! 本当に神は、人類を高貴な位(くらい)へ到達させたくないらしい》

 古代、神の声を聞くモーゼがエジプトからカナンの地へ導(みちび)いた民は彷徨(さまよ)えるヘブライ人達だった。ヘブライ人達はイスラエル王国とユダ王国を建国したが、アッシリアと新興バビロニアの侵略で滅亡されてユダヤ人と呼ばれるようになった。更に後年、ローマ帝国が侵略してユダヤ人は蹴散(けち)らされ流浪(るろう)のディアスポラの民となり、約束のカナンの地はパレスチナの名に換えられて、留まったユダヤ人達はパレスチナ人と呼ばれるようになってしまった。

 ヘブライ人を導いた神は他の如何(いか)なる種族も救済しなかったが、イエスが説いたキリスト教の神もユダヤ教と同じで、キリスト教徒とユダヤ教徒以外は導きも、救いもしない。信心の無い民へは超自然現象の災いと不慮の死を与えて改宗と従順を強いる。

 そして、神は差別をして残酷だ。古代から現代まで拘(こだわ)りと分裂の因果(いんが)を置き続け、敬虔(けいけん)な信者でも気紛(きまぐ)れな琴線(きんせん)に触れた者だけしか助けない。どんなに深く信心していても見殺しにしてくれる。

「アルフォンス・シュミット君。神は、何の理由で人を創造したのでしょうね。神にとって、人類の行いと進化は、予測のつかない空極の自動ゲームみたいな物なのでしょうか? 先生は神じゃないので、全く分かりませんが……」

 奇蹟の秘密兵器を駆使しても、戦局は少しも良くならずに負けていて、東西の敵は本国の国境まで来ている。あと半年ほどでヨーロッパ全土に広がった戦いの業火は、火付け元の第三帝国の全面敗北によって終結すると僕は思う。

 それでもきっと、神が人心を乱す限り、未来永劫(みらいえいごう)、人類は滅亡するまで、戦いの業火(ごうか)を消す事が出来ない。

 空襲が激しくなって昼間も、夜間も、降って来る多くの爆弾が破壊と死を齎(もたら)している。週間映像ニュースや新聞の記事は、反撃、撃破、撃退、防衛、死守などの言葉で締め括られる勇(いさ)ましいエピソードばかりなのに、一向に暮らし向きは以前に戻る兆(きざ)しも無く、悪くなる一方だった。

 それなのに、団結、協力、義務、結束なんて、似たようなスローガンばかりが町中に貼られていて、迂闊(うかつ)に異端の言葉を呟(つぶや)くだけでも、何処(どこ)かへ人知れず速(すみ)やかに連行されてしまう。そんな、無慈悲(むじひ)に強いられる国家と全体を優先する状況と、理不尽(りふじん)に押し付けられる連帯責任に洗脳された街中の誰もがピリピリと警戒していた。

 親も、子も、兄弟も、友人も、誰もが信用できない。異端の異議を唱(とな)えて口論にでもなったら、必ず相手は僕を論理以外でも考えを正そうとして来るだろう。思想関連を矯正(きょうせい)する政府機関に通報や密告されるのは堪(たま)らない。

「先生! 僕は誰にも言いません。聞いた僕も、無事ではないはずですから……」

「分っていますよ、アルフォンス・シュミット君。先生は、君がそんな人ではない事を知っています。だけど、今の時代、この国では、誰にも言わないで秘密にして下さい。親、兄弟、友人にもです。くれぐれも用心して、言葉は慎重に選んでから口に出して下さい。誰がどのように政府や教会の関係者と関係しているか、分りませんからね。気を付けて下さい」

 先生と僕が話している事を誰かに知られると、僕達は捕(つか)まり、噂されている何処か、2度と戻って来られない場所へ連れて行かれて、本当に危(あぶ)ないと思う。

「アルフォンス・シュミット君。お互いに、いつも通りですよ。気を付けましょう。あと、危険ついでに補足すると、本来、キリスト教とイスラム教は、ユダヤ教の1派です。いずれも唯一の神は、旧約聖書のヤーウェ、ヤコブ、イサク、エホバで、発音は違えども綴(つづ)りは同じです。……全て同じ神の名前なのです。キリスト教はナチスの政権下では、教義と人種純血を混合して『積極的キリスト教』と呼称され、ユダヤ人のイエス・キリストはアーリア人にされてしまいました。だいたい、キリスト教はユダヤ教から派生しているのに、これは、かなり無理が有りますね。困ったものです」

「ナチ党はユダヤ人を生活の全てに於(お)いて弾圧や迫害をしていますが、寧(むし)ろ、敵対するよりも強制的に宗教の戒律を開放させて民族的融合を図(はか)るべきだったのです。彼らの能力や古からの組織を支配して全地球的に利用すれば良かったんですよ。世間の批判に惑(まど)わされず、個人的な恨(うら)みに拘らず、才能溢(あふ)れる巧(たく)みな演説で国民的支持を得ていれば、今頃は総統の野望は達成されて、私達は世界中へ自由に旅行しているかもですよ。アルフォンス・シュミット君」

 もの凄(すご)く危険な考えだけど、モーゼの子孫が得られる約束の地は現在のドイツになっていて、古代イスラエル王国のカナンの地を第3帝国が保障しただろうと考えると、世の中を戦争で疲弊(ひへい)させている総統の政策は僕を無性に腹立たせた。

「ところで、何が神の祝福(しゅくふく)と思えますか?」

 突然、先生は話題を変えて、神の祝福とは何かと僕に訊いて来た。

《祝福は……、御祝い……、嬉しがらせるみたいな……、有頂天(うちょうてん)気分にさせられたような?》

「……神の祝福ですか? それって、自分に都合が良い事ばかりが起きて、自覚する興奮と高揚(こうよう)に、主に感謝の祈(いの)りを呟くようなのですか?」

 僕の答えを聞いて閉じた唇の片端(かたはし)をあげ、意地悪(いじわる)そうな微笑(ほほえみ)をする先生へ僕は続けた。

「幸せだと思う事ですか? 嬉しさに、楽しさや穏やかさを感じる事ですか?」

 意地悪な笑い顔を真顔(まがお)に戻すと、先生は僕の言葉に繋いで紡(つむ)いで行く。

「そうです。それに怒りや悲しみに妬(ねた)みもね。そんな幸福感と相反(あいはん)する不幸感も、先生は神の祝福と同義だと考えるのですよ」

 確かに先生の言う通り、幸せと不幸の感覚は同じ琴線の上に在るのかも知れない。

「アルフォンス・シュミット君。先生は、こうも考えています」

「はい?!」

 先生は、興味深げな僕を見ながら、今度は唇の両端(りょうはし)を上げて微笑む。

「怒りを覚(おぼ)えるから、平穏(へいおん)な喜びを求める。悲しみに暮れながら、嬉しさを懐(なつ)かしむ。……相反する感情を知る事が、神の祝福だと私は思っています」

 幸せも、不幸も、祝福なのだとすると、神はなんて無慈悲なのだろう。そもそも、神は慈悲深く正義(せいぎ)なのだと、何処に示(しめ)されているのだろう? 僕の知る限り、導き、見守り、チャンスを与え、縛り、罰(ばっ)する。明確な救いは無く、永劫に続く試練の中に幸と不幸が繰り返されるだけだ。

「先生、僕は幸せ溢れる日々の中で過ごしていたいと、願っています」

「もちろん、先生もですよ、毎日、幸せであるように祈ります。辛い不幸に苦しむのは嫌ですからね。堪(た)えられないかも知れません」

 そう言って、先生は僕の頭を撫でてから、まるで対等の友人にするように僕と握手をする。

「先生の考えは以上です。話は終わりました。くれぐれも、君の安全の為に、今の内容は忘れて下さい。もし、覚えていても、決して他言してはダメですよ。お互い、どんな惨(みじ)めで悲惨(ひさん)な仕打ちの人生になるか、分りませんからね! いいですか、親にも、兄弟にも、親しい友人にも、絶対に言わないで下さいね。さあ、冷め切らない内にホットミルクを飲んで、寛(くつろ)ぎなさい」

 僕の眼を優しい眦(まなじり)で見詰めながら、立てた人差し指を、自分の唇に当ててから僕の唇に添えた。その仕種(しぐさ)は本当に2人だけの秘密を守る儀式のように感じて、僕の記憶に枷として強く刻まれた。

 話が済むと先生が『こういうのも読んで、当時と現在を比べて史実は自分で学ぶ、習慣を強めなさい』と、僕に貸し与えてくれたのは、史実と幻想が混在記述された旅行記、『マルコ・ポーロの東方見聞録(とうほうけんぶんろく)』だった。

「その本には、我がドイツの同盟国で遥(はる)か東方に在る強国、日本は、黄金の国ジパングだと書かれていますよ。ジパングの国名は英語のジャパンの語源で、そのスペルをドイツ語発音してヤーパンですね。そして、ジパングの語源は、中国の貿易港が在る地方の方言のジーベンクォです。日本と中国の文字文化は漢字圏で、共に、太陽が昇(のぼ)る国を意味する同じ漢字を使います。日本での発音は全く違うニホンですがね。まあ、そういう事にも考えを馳(は)せながら、面白(おもしろ)く読んで下さい。返してくれるのは、いつでも良いですよ」

 上下二巻の東方見聞録をペラペラと流し読みしながらホットミルクを飲み終えると、僕は御暇(おいとま)すると告げて挨拶(あいさつ)をする。

「そして最期に、他人の意見や提案を鵜呑みにして従(したが)い、後悔をする人生にしないで下さいね。アルフォンス・シュミット君」

「分っています。先生。これは私だけの秘密です。今後、このような質問はしません。明日も、いつも通りにします。ありがとうございました。これで失礼致します。先生」

「ああ、いつも通りだ。さようなら。気を付けて返りたまえ」

 戸口でニッコリと笑いながら手を振って見送る先生へ、小脇に2冊セットの東方見聞録を抱える僕は、笑顔で高く手を振り返しながら帰っていた。

 

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《あの本……。東方見聞録は、まだ先生に返してなかったな……。いつか、シュパンダウへ戻れて本が無事だったら、先生に会いに行こう》

 毛布に包まって通信手席の開いたハッチの縁に腰掛け、無線機に入る敵味方の通信を制帽の上から掛けたヘッドギアのレシーバーで傍受(ぼうじゅ)しながら、冷ややかな夜風に吹かれていたら、再び、まだ、まともな授業なされていた去年の春に、人種論について先生にした質問の続きを思い出していた。

《ドイツ人が神懸(かみがか)り的に優秀な種ならば、僕達はマムートに乗って、森の中の暗い街道を人が歩くよりも遅い速度で進んではいないだろう》

 見てくれの違いは有っても、種の能力は平等だ。教育環境や指導方針の違いなのか、偶々(たまたま)、敵の中に我々よりも優秀な人材がいて、彼らに導かれた戦略はドイツを敗北寸前に陥(おとしい)れている。

 戦争はドイツの負けだ! 国民も、政治も、経済も、国土も、全て失った!

 この森を抜ければ見えるエルベ川までの土地が、第3帝国に残された国土の全てだ。長くても4日、早ければ明日、5年と8ヶ月も続いた戦争が終わってくれる♪

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 1926年生まれのメルキセデク・ハーゼ軍曹は、1936年4月20日の総統誕生日のプレゼントとして第3帝国の満10歳になる少年と少女は全員、自発的に十歳から十四歳までを対象とする、ヒトラーユーゲント内の小国民隊やドイツ少女団内の幼女隊へ入隊した一人だった。

 だがそれは、小学校の学業以外に小国民隊の活動カリキュラムが課せられる負担と不自由さを伴う事だから、ナチス政権下の社会的なムードでも過半数以上が啓発(けいはつ)された自主的な入隊ではなく、政治思想に興味の無い子供達が扇動的な誘導に流された不十分な理解での入隊や、軍曹のような縛りを嫌う放任な子供達が強要されての入隊だった。

 純粋多感な時期にヒトラーユーゲントへ盲目的に入隊した彼は、その攻撃的な刺激と開放的な理想に感化されて中隊指導者を任(まか)されるまでになっていた17歳の時、志願した空軍の飛行士とは違う武装親衛隊へ配属され、機甲兵として特化した軍事訓練を6週間の短期で受けた。

 着任した第12SS装甲師団の第1戦車大隊は、ハンガリーのバラトン湖周辺での攻勢以外は防御、後退、反撃、退却、待伏せ、敗走を繰り返すだけの防戦と撤退戦ばかりで、偶然に軽い負傷だけで生き残っていたら軍曹まで昇進して戦車長になり、1級鉄十字章を拝受(はいじゅ)された。しかし、強大な敵との混沌たる戦いと悲惨な損害の現実に、ヒトラーユーゲントとしての理想の理念は打ち砕かれてしまったと、理想のアーリア純血種の美形顔の頭に巻いた包帯が痛々しいメルキセデク軍曹は言っていた。

 軍曹より一歳年下の1927年生まれのバラキエル・リヒター伍長も、17歳でヒトラーユーゲントの理想の理念に燃えて志願したドイツ陸軍へ入隊していた。教練中に素早(すばや)い暗算力を見い出された彼は、希望通りに戦車隊へ配属されて砲手席に座る事になった。

 そのラテン系をイメージさせる明るくて軽い容姿からは想像できない精密な射撃は、胸の銀色戦車突撃章が伊達(だて)ではない事を乗員達に知らしめた。そんな彼も防衛戦と敗退続きの挙句、ソ連軍が厚く包囲するベルリン南方のハルベの森からの困難極まった脱出戦闘で、これまでの人生観を否定してしまいそうな虚(むな)しさを抱えてしまった。それでも今は、虚しさの埋め物を探すようにマムートの砲手に専念している。

 ラグエル・ベーゼとイスラフェル・バッハとダブリス・クーヘンの3人は1928年生まれで、ルール地方のパーダーボルン市に在るクルップ社の軍需工場の工員だ。

 義務教育の基礎学習期間である10歳までの初等学校を卒業して、直ぐに就職しているラグエル・ベーゼとイスラフェル・バッハは、既に7年間の労働経験が有る兵器工場の熟練組立技能者で、四年制の中等科を卒業してから作業工程と部品の設計補佐に就き、技術者として3年余りが経(た)つ、タブリス・クーヘンを2人はリーダー格として慕(した)っていた。

 3人が就労当初に指導を受けて師(し)と仰(あお)ぐ、それぞれの親方達は、日々、緊迫が増す厳しい戦況で昨年末に召集されて居なくなり、故に彼らは10代の若年ながらも、老齢な未経験の作業者や外国人労働者を働かして作業工程を監督するなど、中堅(ちゅうけん)クラスの仕事を任されていたそうだ。

 タブリスはヒトラーユーゲントの籍を持ち、ラグエルとイスラフェルはヒトラーユーゲントから国家労働奉仕団へ籍を移していたが、フル稼働、フル生産を続ける工場の忙(いそが)しさに、全く其の活動に参加していなかった。

 それに、『ゲシュタポが捕らえて公開処刑した仲間の報復に、密告したヒトラーユーゲントの隊員や其の小隊リーダーを誘拐(ゆうかい)して、公開処刑と同じ場所に吊(つ)るしている、アンチ・ヒトラーユーゲントのエーデルヴァイス海賊団と接触した事が有る』と、重労働だった戦闘履帯への交換作業を終えた気の緩みで、『ずっと緊張しっぱなしの毎日は、辛(つら)くて飽(あ)きて来たなぁ。ああ、早くエルベを越えて、自由な西側へ行きたいよ』なんて、グチが近くにいたタブリスに聞こえてしまい、『しまったぁ! 自己犠牲の精神も、義務を果たす意欲も無いクズと罵(ののし)られてしまう……』と、慌(あわ)てる僕の間近にラグエルとイスラフェルと共に彼は来て、こっそりと耳打ちで言った。

 そして、『ちゃぁんと生き残れば、おまえもルールに来て、ドイツが落ち着くまで好きにしてればいいさ。ルールに来りゃ、戦後の後片付けと復興事業の仕事で、直ぐに大儲けできるぞぉ!』と言ってから、『そうなりゃ、親も呼んで一緒に暮らせるしな』と付け加えて、ラグエルとイスラフェルとタブリスの3人は大笑いした。

 

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 午後8時半過ぎ、陽が暮れて辺りが黄昏(たそがれ)時(どき)に暗くなり始めた頃、通り過ぎるニーレボック村には、森側の村外れに口径75mmの対戦車砲が1門と、村内中ほどの風通しを良くした家屋の中には、アハト・アハトと兵士達に親しがられている口径88mmの対戦車砲が据え付けられていた。

《ドイツ軍の救世主、アハト・アハトだぁ》

 映画館で観る週間映画ニュースに、ファンファーレとマーチのBGMを響かせて登場する、我が軍の窮地(きゅうち)を何度も救った頼もしい機能美が間近に見れている。

 アハト・アハトはティーガーE型重戦車にも搭載され、更により強力な長砲身のアハト・アハトがケーニヒス・ティーガーや重対戦車自走砲に載せられて、無敵の打撃と防御陣を構成していたはずなのだが、殺られても、殺られても、相手を屠(ほふ)るまで数10倍の数で圧して来る敵に、生産数と多方面の補充が追い着かずに、今日の帝国の終焉真際に至っている。

 この終焉の黄昏に、映画ニュースで聞いた乾いた発砲音の轟きは、天使が吹き鳴らす、世界の終わりを告げるラッパの音(ね)ように、聞こえるかもと想像してしまう。

《多くの天使が舞い降りて、打ち倒されたり、砕け潰されたりした人々の魂を、次々を天へ召し運ぶ姿が見えてしまうかもな。……自分が浮き上がり、手を繋いて導く、天使の嬉しそうな笑顔が見れるかもだ……》

 低い茂みの後ろに土嚢(どのう)で囲(かこ)った浅い塹壕の中から狙(ねら)う75mm対戦車砲は、砲兵達が火を熾(おこ)して炊事中だというのに、真横へ来るまで全く気付けず、心臓が止まるかと思うくらい驚いて僕を焦らせた。

 村の中でマムートを停めて食事休息をした際に見てきた88mm対戦車砲は、厚い木材の壁の内外を更に石材と土嚢で厚く防御された、太い梁と柱の頑丈(がんじょう)そうな広い大きな部屋に床板を剥(は)がして据(す)えられていた。手持ちの弾薬量は知らないが、森の中の曲がりまでを直射できる位置と士気の高い老練な砲兵ばかりだったから、直撃を受けない限り、弾を撃ち尽くすまで持ち堪(こた)えてくれるだろうと期待した。

 軍曹は、変則十字路に在る教会の横の広場に沢山の空になったジェリカンが捨てられているのを見付けて、その内の20個余りを貰って来て、細いロープで2個づつを持ち手で縛って繋げ、更にマムートの後部のフック間に張った太めのロープに通してぶら下げた。

 これらのジェリカンはエルベ川を泳いで渡るかも知れない時の浮き輪代わりにすると、軍曹から聞かされて、『どうか、雪解けの冷たい川を、泳がなくても済みますように』と、祈った。

 供(きょう)された晩飯は、牛の筋肉と玉葱(たまねぎ)をトロトロに煮込んだ塩味のシチューと穴ボコだらけのエメンタルチーズ、所々の穴に青カビが生えていたけれど、独特の臭味(しゅうみ)のブルーチーズっぽくて旨(うま)かった。他にも山羊(やぎ)の乳から作る柔(やわ)らかいシェーブルチーズが有り、それに加えて焼きたてのパンと、パンに塗るバターとマーマレードも出されていたし、飲み物には井戸水と新鮮な牛乳が有った。年配者には半カップ分の白ワインも配られていて結構楽しい食事になっていた。

 この辺りは酪農(らくのう)主体の農業が生業(なりわい)だそうで、毎日1頭の乳牛が屠殺(とさつ)されて、半身が村に残る住人と守備兵の3食に料理されていた。残りの半身はエルベ川河畔まで運ばれて、渡河を待つ避難民や兵隊に食べさせていた。

 牛乳を搾(しぼ)る為の肉牛ではない乳牛が殺されて食べられるのを、ちらりと哀(あわ)れむ気持が湧(わ)くけれど、僕達の方が生存率が低いかもと、自分を憐(あわ)れんで嘆(なげ)きそうになってしまう。

 アルテンプラトウ村でも屠殺されているから、戦争が終わってロシア人に搾取(さくしゅ)されるまでは食う物に困(こま)らないと、ニーレボック村の北外れの料理場で大鍋からシチューを大盛りで粧(よそ)ってくれた年輩の炊事兵が話してくれた。

 戦争の最末期の最後の脱出路で温(あたた)かくて柔らかい肉料理とチーズを美味(おい)しくいただけるのは、『生きててよかった』感いっぱいの幸せさで凄く嬉しい。明日は豚肉と馬鈴薯(ばれいしょ)の煮込みで、朝食にアヒルの卵(たまご)と茄子(なす)のピクルスが配られるとも言っていた。

 一時間半の食事休止を終えて、守備位置までの移動が再開された。アルテンプラトウ村から来てくれた護衛兵に、『あと、3kmほどの距離ですが、路肩を崩さないように、低速で移動して下さい』と願われた軍曹の指示で、ノロノロと時速1kmの最低速でマムートを動かすタブリスが、『かえって燃費が悪くなる』とぼやいていた。

 こんな低速で慎重に動かしているにも拘(かかわ)らず、ところどころでマムートの重量に耐え切れない路面がボコリと凹(へこ)んで、ヨチヨチ歩きみたいになっていた。

 時々、発砲炎は見えなかったが、ロスケの偵察隊との小競(こぜ)り合いだと思われる小銃や短機関銃の射撃音が、東や南の森の奥の方から夜半過ぎまで断続的に聞こえていた。

 時折(ときおり)、北方の防衛ラインからは入る、『敵の攻撃を退けたが、包囲されて救出を求む』とか、『耐え切れずに、後退して戦線を縮小した』との無線内容を、砲塔の前縁に突撃銃を抱えながら座るメルキセデク軍曹へ大きな声で伝えながら、マムートと前を進むフェアヒラント村から来てくれた兵士達を追い抜いて歩いて行く避難民と敗残兵のシルエットに怪(あや)しい動きがないかと、ハッチ脇に置いた短機関銃に指を掛けながら見ていた。

 左隣の操縦を担(にな)うタブリスは全開にしたハッチから頭だけ出して、直接、路面を目視しながら避難民や敗残兵の歩みに合わせてマムートを慎重に進ませている。

『バラキエル、あんまり体重を掛け過ぎて、機関銃架を曲げるなよ!』、軍曹が掛ける声から、バラキエル伍長は車長のキューポラに腰掛けて取り付けられているMG42機関銃に凭(もた)れているらしい。その銃袈にはアルテンプラトウ村の駅舎から持って来た蝙蝠傘(こうもりがさ)が全開にして括り付けらていた。

『後部の、でかいハッチは閉めておけよ、ラグエル。火炎瓶(かえんびん)でも投げ込まれちゃ、かなわんからな。2人とも、周囲と近付く者に注意してくれ!』、ラグエルとイスラフェルも突撃銃や短機関銃を持って車体後部上へ出ているようだ。

 マムートの後方や側面には、ゲンティンの町から護衛してくれている12名の若い防衛隊員が付いて警戒している。

 進む街道は、間近を照らす前面装甲板の中央に備えられた遮光(しゃこう)カバーを着けた前照灯の明かりと、辺りをぼんやりと見せる雲の切れ間から差し込む月明かりや星明りに、道筋を示す小さな炎の光で迷う事が無かった。

 フェアヒラント村と南隣のディアベン村の間の低い丘の北側に在る、エルベ・ハーフェル運河やエルベ川を運行する水運船やローカル鉄道で使う燃料を貯蔵した小さな石油基地が稼動(かどう)していて、その施設を囲んで防衛拠点が設けられている。低い丘は軍に接収されてトーチカだらけらしいが、強力な火砲がなければ、迂回されて容易(たやす)く陥落(かんらく)されてしまうだろう。

 当面、マムートや防衛車輌の燃料補給と近隣の村の生活に使うには充分過ぎる量が確保できていると、マムートのアンブッシュポジションへ案内する為にニーレボック村までアルテンプラトウ村から迎えに来てくれた10人ほどの分隊のリーダーが、夜の街道筋を示す50m置きに道脇で灯(とも)す、灯油を燃やすカンテラの小さな明かりを指差して説明してくれた。

 

 * 5月5日 土曜日 午前零時過ぎ フェアヒラント村 駅近くの守備位置に到着

 夜半過ぎ、ニーレボック村から僅かな傾斜で下る街道を降り切ると、正面の真っ直ぐに続く街道の果て、暖(だん)を取る為にエルベ川の土手際で大勢の敗残兵や避難民達が隠(かく)れて燃やす、多くの焚(た)き火(び)に赤く色付けされる闇を背景に、フェアヒラント村の家並みのシルエットになって見えていた。

 案内された街道脇の待機というか、待ち伏せの場所は、カンテラで照らして回って見た限りでは、細い切り株と雑草の草地が所々に残る礫と粘土混じりの砂で固められた宅地跡だった。

 生い茂っていた細い幹の潅木(かんぼく)は全て切り除かれて、敷地の角隅に束ねるようい置かれている。歩き回っていても柔らかな墓所は無く、マムートを乗り入れても沈み込む事は無いと判断された。

 フェアヒラント村から来た警護兵のリーダーが言うには、中世のプロイセン王国から第1次世界大戦で滅亡するドイツ帝国がまでの封建期を通して敷地は、渡し場へ行き来する通行人と荷物を吟味(ぎんみ)する関所と兵士の詰所が在ったそうだ。それがヴァイマル共和国になって廃止され、使われていた建材は、土台から解体されて村の家屋の修理や新築材として持って行かれたらしい。

 だから、まだ太い松の木が生えていない固い地面で、手っ取り早く駐車場に出来る、この敷地が選ばれていた。

 マムートの乗り入れは、最初に街道上で砲塔を180度の後方へ回転させて砲身を、闇の中で障害物との衝突(しょうとつ)による損傷を避けるのと、敵が来そうな方向への警戒の為(ため)に向けた。それから、恐る恐る地面の凹み具合を度々(たびたび)カンテラの明かりで確認して極低速で進ませて行く。酷く凹まないのがわかると。ゆっくりと車体を超信地旋回させて街道側へ向かせながら、砲塔はその向きを保つように車体の回転速度に合わせて逆回転させて戦闘体制にさせる。車体の大きなマムートは敷地の奥まで下がらせてやっと、砲身の先が街道上に掛からなくなった。

 少し離れて敷地周囲の森の中に塹壕を掘り始めた警護兵達は、新たに加わった憲兵隊の兵士と共に六名づつの交代で辺りの警戒と街道の通行規制を行ない、クルーも半数の3名づつが交代でマムート上で警戒にあたる。

 

 * 5月5日 土曜日 フェアヒラント村 駅近くの守備位置(待ち伏せ場所)

 ぼんやりと白い靄(もや)が辺りを覆う、まだ薄暗い早朝に全身を揺すられて起こされた。時刻は午前四時、白み始めた上空の雲が辺りの闇を覆う霧を暗い灰色に見せている。5時半前には陽が昇るから、だんだん薄れる闇に霧は白くなって行くのだけど、状態は明るくなっても視界は50メートルから100メートルってとこだろう。

 朝から夕方まで雨が降っていた4月28日以来、大気は暖かくなって来ていたが、曇りの日が多くて晴れていたのは5月3日と5月4日の午後だけだった。無線機で聴いたラジオの天気予報では、中央ヨーロッパへ高気圧が張り出して来ていて、晴れの日が続くと言っていた。

 しかし、晴れると気流が安定して来襲する敵機は増え、高くなる襲撃高度に対空弾幕の効果は薄れてしまう。

 そして、明るい視界に遠くまではっきり見えて来ると、発見される確率と爆撃精度が上がって、マムートと僕達は殺(や)られてしまうだろう。だから、戦争が終わるまで、もう少しだけ曇り空が続いて欲しいと、僕は見上げた曇り空に祈った。

 軍曹の前に搭乗員全員と護衛の防衛隊員が姿勢を正して整列すると、防衛隊員達には街道を通り行く避難民や兵隊達をマムートに近寄らせない事と、側面と後方の森の中を含めたマムートの全周囲警戒を指示し、乗員達には直ぐにマムートの擬装をここの植生に合わせて遣り直しを令じた。

 僕達は、昨日の戦闘と移動で脱落して半分ほどしか残っていない擬装の枝を薪用に纏めてから、マムートが陣取るスペースを開ける為に伐採されていた潅木を使い、ゲンティンの駅前で施した様な厳重なカモフラージュで、マムートを背後の松の木の森の下生(したば)えと同化させた。

 それが終わると、曇り空の上に太陽が昇って来たようで、視界に映(うつ)る世界が少しだけ暖(あたた)められて薄れ始める霧に明るくなった。そのタイミングで遣って来た小型トラックが約束されていた朝食を届けてくれて、緩む気温と共に湧き出す食欲が美味(びみ)な食事を期待した。

 配給されたアヒルの大きな卵は、熾したばかりの炉の火に掛けられたフライパンで目玉焼きにする。温められた昨夜のシチューの残りスープに焼き立てで熱いパンと貰って来ていたバターやジャム、それに一緒(いっしょ)に届けられたピクルスを並べ、熱い代用コーヒーとホットミルクも有り、マムートを警護する防衛隊や憲兵隊の若い兵士達も一緒になって、朝からピクニックのような楽しい食事になった。

《ニーレボック村が無事な内は、日に3度、このような幸せな食事が続きそうだ……。でも、あと2、3日だけだろうなぁ……》

 朝食が済むと、マムートの守備位置へ布陣完了を第12軍司令部とフェアヒラント村守備隊本部へ無線で知らせ、傍受するソ連軍の無線交信から攻勢を掛けて来る気配を探って軍曹に報告する。

「軍曹、敵の交信に交戦中の緊迫したり、慌しい様子は有りません。軍司令部と守備隊本部への着任完了報告も済ませました」

「御苦労、アル。それでは偵察へ出るから、俺の護衛として一緒に来てくれ」

 そう言うと軍曹は、突撃銃と予備弾層が詰まったポーチを付けたベルトを押し付けると、戦場となる地形の把握(はあく)の為に街道をニーレボック村の方へ歩いて行き、僕は急いで突撃銃を担(かつ)ぎ、ポーチベルトを腰に装着しながら付いて行く。

「これも、腰に持ってろ。戦闘に遭遇したら、武器は多い方がいいぞ」

 短機関銃を背中に斜め掛けした軍曹が自分の腰ベルトに付けたポーチを叩きながら、僕へ拳銃が入った厚皮のポーチを押し付けた。

 拳銃や既に腰から下げている銃剣を用いるような近接戦闘や白兵戦に巻き込まれたくないと、嫌悪の気持悪さが甦(よみがえ)る。

《ロシア人と取っ組み合いで殺し合うなんて、嫌だ! 敵の声が聞こえる近さなんて、シュパンダウだけでたくさんだ!》

「薄い雲で明るいな。だが、雲は低い。1000から1500mってとこだろう。3層に重なってるが、上層の雲は疎(まば)らだな。こんな曇り空じゃ、今日も空から攻められる事はないだろう」

 手を翳(かざ)して霧の晴れ間から見える曇り空を仰(あお)いで言う軍曹の言葉に、安堵(あんど)が滲(にじ)んでいる。

 少し晴れて来た朝霧の中から次から次へと、艀乗り場へ向かう避難民や負傷した兵士が現れて僕達と擦(す)れ違う。

「対岸を占拠するアメリカ軍が、ドイツ国防軍の将兵以外を拒(こば)んで渡らせていないらしいぞ。川辺には1万人以上の避難民が渡れるのを待っているみたいだ。どのみち、ソ連軍がエルベの川縁まで迫れば、アメリカ軍が拒もうが、銃撃されようが、皆が一斉に渡っちゃうのにな」

 『多くの犠牲者が出るだろう』の意味を込めて話す軍曹の顔が、『マムートの砲撃で強引に渡河のチャンスを作ってしまおうか』と、言わんばかりに悲しそうだ。

《自由で民主主義の国、アメリカの兵隊が、自由を求めて逃れて来る子供や女性や老人を、命令とはいえ、平気で溺れさせて撃ち殺せるのか? そうなら、マムートが艀乗り場を防衛する意味は、どこに有るんだ!》

 最後の切迫する場面になってもアメリカ軍が拒み続けるなら、きっと軍曹はマムートを河畔まで進ませて、残していた榴弾で対岸のアメリカ軍陣地を粉砕するだろう。

《軍曹なら、必ず殺ってしまうはずだ!》

 マムートの重量で凸凹(でこぼこ)にした僅かに登り傾斜になる街道をニーレボック村へ向かって歩いて行くと、線路からニーレボック村への中間辺りの牧草地に対戦車壕が南の森際まで掘られていた。

 幅は10mくらいで深さが4mほどの逆台形の溝だ。急勾配の斜面や底に刈り取った牧草が敷き並べられて、敵が来るだろうと予想される東側から近付いてみると、間際(まぎわ)まで行かないといて気付けなかった。6m以上は有る底幅に敵戦車が嵌まり込んで、自力では簡単に抜け出せないように見えた。

《マムートなら、足掻(あが)いても埋(う)まり込むだけで、完全にスタックしてしまうから、放棄して爆破するしかないだろうなあ》

 壕周りに地雷原が在る事を示す表示は無く、パンツァーシュレックやファストパトローネで迎え撃つ為の兵士が潜む塹壕も、見える範囲には全然無くて、ただの足止め用の大きな溝だった。だけど、森を抜けた街道から牧草地へと来る敵戦車と、ゼードルフ村への道や送電塔が並ぶ切り通しから来る敵戦車も、この対戦車壕の前で停止しなければならない。

 落ちてしまうと抜け出すには、斜面を崩して登れるような坂を作るしかないと思う。

 見渡しの良い開けた射界に停止してくれる敵戦車は、マムートの128mm戦車砲の絶好の標的になるだろう。

 街道の北側沿いには太い松の木の深い森が、マムートの周囲や駅舎が在る線路を越えてフェアヒラント村の東際まで続いていた。森の東端の中、ちょうど街道を挟んで対戦車壕が南へ掘られている反対側に、砲座が1mばかりの深さに掘られて、ニーレボック村方向の街道と対戦車壕沿いを掃射できるように88mm対戦車砲が潜んでいた。

《ここにも、アハト・アハトだぁ》

 ほぼ正面からマムートが狙い撃ち、右側面からはアハト・アハトが叩く。随伴して対戦車壕を通り抜けれる様に崩すだろう敵の歩兵や工兵は、アハト・アハトの周辺の森の中に掘られた塹壕で機関銃を構えている第12軍の兵士達が撃ち倒す。

 森の中や砲座で朝食中の兵士から聞こえて来るドイツ語以外の言語に、よく見ると、ドイツ人に殆ど見られない顔立ちや立ち振る舞いの外国人が多くいるのを知った。

 半数以上がドイツ人と違うように見えて、制服や迷彩柄がバラバラだった。

《そういえば、ニーレボック村でも、意味の分からない外国語が頻繁(ひんぱん)に聞こえていたなあ。てっきり、軍隊のスラングだと思って、注意を払わずに聞き流していたっけ》

 彼らはドイツ陸、海、空軍と親衛隊の補助兵や義勇兵で、祖国に戻れば裏切り者の戦犯とされ、戦後社会から抹殺(まっさつ)される。大抵は絞首刑か、終身刑だ。ソ連軍へ降伏しても、其の場で射殺か、シベリアで飢えに苦しみながら死ぬまでの重労働だ。なら、好い思いをした第3帝国と運命を共にすると考えるのも当然だろう。

 東側と南東の地形と防衛ラインの戦力の確認をした軍曹は、不測の戦闘の警戒に砲手のバラキエル伍長とラグエルとイスラフェルの2人の装填手をに残して、僕とタブリスを連れて南側と西側の視察に行く。

 軍曹が僕を警護に付き添わす理由は、クルーの中で一番失ってもマムートの戦闘力に影響が少ないのが僕だからだ。それは悲しいけれど、理解できて自覚している。

 フェアヒラント村の中の通りや外周の家屋の庭には、土嚢や瓦礫を組み上げたような防衛拠点が一つも無く、街道から川岸へ向かう多くの避難民や兵士が艀に乗せれない家財道具や荷車を捨てたり、手荷物に纏め直したりして、歩いているだけだった。

 見て廻る限りでは、村の南外れに在る艀乗り場と其の周辺も、司令部となる施設や防衛戦闘の陣地は造られていない。

 西方へ脱出するタイトな通過点となる村内や渡し場は、小隊規模の憲兵部隊が秩序を保たせて、負傷者を傷の程度で選り分け、決めた順番で乗船する列に並ばせていた。

 敢(あ)えて言えば、フェアヒラント村の防衛指揮官は秩序ある渡河を指揮する憲兵隊の部隊長の若い中尉で、軍曹は中尉に全員が脱出する大体の所要時間を訊(き)いていた。

 村内の川縁と艀乗り場周辺の川原には、既に1万人以上の避難民と敗残の兵隊達が居て、小さなフェリーは重傷者を優先に負傷兵を、アメリカ軍の衛生兵や軍医が治療の見極め判別をする対岸の船着場へと運んでいて、負傷兵が列を成して乗船順番を待っていた。

 憲兵中尉の話しでは、軍曹が言っていたように避難民達は、まだ乗せて貰えていない。

 村の教会敷地内と艀乗り場には、救護の野戦病院とエルベ川を渡ろうと集まって来る人達への炊き出しの炊事場所が設営され、其の為の要員と警護の兵士達もいた。

 防衛陣地らしきモノは、見通しの良い村外れの少し離れた場所に広い間隔で配置された対空砲が有った。積み重ねた土嚢で囲って土と草木で擬装した5箇所の対空砲陣地には、4連装の20mm機関砲が1機、単装の20mm機関砲が2門、それと単装の37mm機関砲が2門、それらが対空戦力と配置されている。

対地防衛火力としては、村の南外れの道路脇に1門の88mm対戦車砲が隠されているだけで、攻め込まれ易そうな南側の防御としては心細い。

 他に情報として、南側の低くて小さな丘の天辺に配備されている1機の20mm4連装機関砲は、高度2000mまでを全周囲で射撃できるそうだ。

 それに、その丘の南側に在るディアベン村と、更に南の要害になる運河の閘門(こうもん)が在るノイディアベン村に、それぞれ2門の75mm対戦車砲を装備する戦車猟兵中隊が防衛配置されていると、対戦車砲陣地を指揮する陸軍少尉がメルキセデク軍曹に話していた。

 要するにフェアヒラント村の渡し場を守る戦車や自走砲は、マムート以外に1台も無かった。

 戻りは小規模な燃料貯蔵施設を守る陣地近くを通って線路の枕木を踏みながら来た。

 施設の貯蔵タンクの全てと防衛陣地は幾重にも迷彩ネットで覆われて、遠目には全く建造物が在るように見えなかったから、上空からの視認も低空に降りて来ても気付けないと思う。

 燃料貯蔵から駅舎への中間点の線路脇で浅い窪地に塹壕を掘って陣取る、地元のヒトラーユーゲント隊員達とも会って、軍曹は過酷な戦車戦と負傷時の事を、僕はベルリン市のシュパンダウ区で経験した実戦を話して、無駄死にをしないように促した。

 12、3人の紺色の長いスカートを穿いた少女団の女子達もいて、見たところ、年少者で僕と同じくらい、年長者でもタブリスと同じ歳ほどに思えた。

 24、5人の少年団の男子達と共に最前線の塹壕の臭くて汚(きたな)い泥の中で、敵の来襲を待つ彼女達は凄く勇敢だが、僕がシュパンダウ区の大通りで体験したような激しい砲撃を耐え凌(しの)いで、迫り来る敵と戦う恐怖に神経が病(や)んだり、身体が崩れてしまわないかと、哀(あわ)れむような悲しみに息が苦しくなってしまう。

 塹壕内に木箱にいれたままで置かれていたファストパトローネの実戦での取り扱いの注意点と狙いの構え方と気持の持ち様を、僕は生意気にも男気が有るのをみせようと、塹壕にいた全員を集めて語ってしまった。

《構えるのも、狙って発射するのも、1度だけでいいんだ。上手く敵を撃退できたら、直ぐに逃げて、1人でも多く、生き残って欲しい……》

 軍曹とタブリスはマムートが後退するのを見たら、直ぐに船着場へ行って西岸へ逃れるように強く言い、僕は横で大きく頷いていた。

 真剣に生き残る事を話すタブリスの視線は、何度も左右に動いて皆を見回すが、必ず1人の女子へ戻って暫し見ていた。そして、その視線に答えるように彼女も少し紅らめた顔で、じっとタブリスを見詰めていた。

《おいおい、タブリスさん。何、見詰め合ってるんだよぉ》

 タブリスが目を付けた少女は、女子達に指示や注意をする態度と率先した行動から少女団のリーダーだと思われた。膝下10cmのスカート丈の規則を守らずに短い膝丈にしている彼女は、僕に家の近所に住んでいる幼馴染(おさななじみ)のビアンカという名の同級生の女子を思い出させた。何処と無く仕種もビアンカと同じようで、彼女もビアンカのような快活で明るくて優しい性格だと思う。

《おおっ、タブリスさんは、意外と女子を見る目が有るねぇ》

 けっこう彼女は美しいし、タブリスも、なかなかのハンサムだから、似合いのカップルっぽく見えて気持が騒いだ。

《でも、このモヤモヤする気持は、ジェラシーだよな……、羨(うらや)ましい……》

 マムートへ戻って来ると、ゲンティンの町から付き添って護衛してくれた防衛隊員達が整列して、町へ帰る旨を軍曹に伝え、来た道を戻って行った。

 

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 昼近くにアルテンプラトウ村の方向から爆発音が響き、続いてくぐもった激しい銃声と砲撃が森を通して暫く聞こえていたが、それっきり散発的に聞こえて来るだけになった。

 正午過ぎになってニーレボック村から昼飯を運んで来たトラックの運転手が、アルテンプラトウ村とゲンティンの町にソ連軍が侵攻して守備兵達が逃げて来ていると、更にゲンティンの町が陥落すれば、明日は集結するソ連軍がニーレボック村とゼードルフ村を攻めるだろうと、不安を隠さない顔で言っていた。

「あの、政治指導官殿は、降伏すると言っていたな。俺達に協力してくれた人らが、……無事だといいな」

 昼食のデミグラスソースのシチューの肉はポークで脂身が美味かったが、メルキセデク軍曹の世話になった人達の安否を気遣う言葉に、ゲンティンの駅舎で炊事をして3度の食事を提供してくれた母親ぐらいの女性達と、牽引車のクレーンを操作する乗員達の笑い顔を思い出した。

「親切な人達だったな」

 ぼそりと、続いて言ったバラキエル伍長の言葉に、寡黙(かもく)になった皆が頷く。

 午後の昼下がりは、ペリスコープのミラーとレンズの指紋や埃を拭いて視野を明るくさせると、配られた迷彩ネットをマムート上に張り、更に枝葉を乗せて上空から見付からないようにカモフラージュを厳重にした後は、無線機の調整と傍受、突撃銃と短機関銃と拳銃の手入れに終始する。他のクルーも共同作業以外は自分の担当の整備と調整をしていた。

 各自が受け持ちの整備と調整を済ませる頃合いで、午前中に会っていたフェアヒラント村のヒトラーユーゲント達が挨拶に来た。リーダーに率いられて来たのは12、3人で、少女団の5人全員も来ている。

 男子達はガチャガチャとガラス瓶に入った飲み物を、女子達は村内の自宅で作ったケーキとサンドイッチ、それに花束を持って来ていて、警護の兵士や憲兵隊員も交えた、ピクニック気分の華やかな交歓会になった。

 久し振りに食べるケーキは、塗り捲った生クリームとスポンジ生地が甘くて美味しい。サンドイッチの香り豊かなパンは柔らかく、挟まれた目玉焼きやコールドビーフも甘めのソースに絡められて、とても旨かった。

 やはり、戦火が殆ど及ばなくて死傷者を見ない田舎は、昼夜の空襲と供出ばかりの都会と違って食べ物が豊富で、安全な日常が続いていると羨ましく思う。

 女子達はラグエルとイスラフェルの職人話や憲兵の与太話にキャッキャッと盛り上がり、男子団員と兵士と僕はメルキセデク軍曹とバラキエル伍長の実戦話に聞き入っている。タブリスは例の美少女と二人っきりで笑い合って凄く楽しそうだ。

 午後四時頃、昼前にゲンティンの町へ帰隊する為に出発した12名の防衛隊員が現れて、既にソ連軍が鉄橋と国道橋まで浸出して、渡れないエルベ・ハーフェル運河に、『戻って来るしかなかった』と嘆(なげ)いた。家族が居る町が敵に占領されて悲しむ彼らに、交歓会の残り物を勧めて慰(なぐさ)める。

 午後六時半過ぎ、まだ焼きたての香りが立つビーフステーキと茹でた馬鈴薯の晩飯を運んで来たトラックの運転手は、昼と同じ炊事兵だった。彼はアルテンプラトウ村とゲンティンの町は夕方に降伏したと言い、森の中の街道は封鎖して中間点の曲がりを防衛前線にしているが、まだソ連軍は集結中で攻めて来る様子は無いと、直ぐにでも脱走しそうな苦渋(くじゅう)の顔で知らせてくれて、去り際に大きなチーズの塊りを三つも置いて行った。

 明日が戦闘になれば、いつ食べれるだろうかと考えながら、ちゃんと交代で起きれるようにと早めの眠りついたが、深夜に牧草地を横切って行った戦車小隊らしき友軍が未明に始めた反撃は明け方まで続いて、その気掛かりと心配の緊張はピークに達して全然眠れなかった。

 

 * 5月6日 日曜日 フェアヒラント村 駅近くの守備位置(待ち伏せ場所)

 未明に強行された1個中隊規模の戦車と突撃砲の混合戦力を主体として、各種兵科の志願者で編制された1個連隊の兵力にも満たない戦闘団の反撃は、森の向こうから射撃音と爆発音が、2時間ほど激しく聞こえ続けていたが、それも夜明けと共に止んで、誰もが静けさに包まれた早朝の立ち込め始めた白い靄の中から現れる敵を警戒した。

 だが、ソ連軍は反撃で大きな損害を受けたのか、攻めては来なかった。

 昨日と同じメニューの美味な朝飯を運んで来た運転手は違う炊事兵だったが、彼は未明の反撃の様子を話してくれた。

 反撃はゲンティン駅からフィッシュベック村への線路沿いの国道を、パンター戦車の中隊が未明に北方から強襲して、集結したソ連軍の戦車や砲兵部隊を破壊しながらゲンティン駅まで攻め込み、ニーレボック村への街道に並んでいた敵の重戦車中隊の全車と、ゼードルフ村の前面にいた戦車の半数以上まで撃破して、運河沿いに砲列を敷いた砲兵部隊も潰したが、随伴した装甲車部隊まで全滅して1輌も戻って来なかったと、夜の森の中をアルテンプラトウ村近くまで行って見ていたそうだ。

 朝食を済(す)ます頃には、霧よりも薄い靄が晴れ初めて、上空は昨日よりも高い雲が空が広がっているのが分かり、ソ連軍機の襲来が予想されて、3人は地上を、3人は空を警戒する事になった。

 未明の激しい戦いにソ連軍の攻勢を予想したアメリカは、とばっちりの被害を避けて、岸辺から2kmほど離れた丘陵の向こうまで撤退しまい、その事を河畔に集まっていた人達は知って、探して用意した全ての浮き舟でエルベ川を渡り始めた。

 一斉に避難民達がエルベ川を渡り出したのを知られたのか、一時間も経たない内にソ連空軍が雲間から編隊で現れ、低空で河畔を襲う。

 高度3000m辺りに薄く広がる曇り空を背景に、ソ連機のシルエットがはっきり分かり、猛烈に撃ち上げる対空機関砲の曳光弾の火線が、ダイブで迫り来る攻撃機の先へ、先へと流れ、被弾に砕けてパラパラと散り落ちる機体の破片が見え、空のあちら、こちらで煙を引いたり、火を噴く敵機がクルクルと舞い落ちていた。

 落ちるのが見えたのは5機で、2機がエルベ川の対岸の方へ落ちて炎と黒煙が立ち、南の森へ2機が消えて爆発が一つだけ見えた。そして、対戦車壕の前に双発機が滑(すべ)るように不時着すると、バラキエル伍長がメルキセデク軍曹の命令を待たずに同軸機銃で撃ち掛けて、誰も脱出しないままに爆発させた。

 空襲は更に陽が傾き出すまで続き、ソ連空軍の引き上げが始まるまでに、更に5機が撃墜された。

 味方は河川敷に落ちた爆弾で多くの避難民が犠牲になったが、2隻の艀は軽微な損傷のみで無事だった。

 フェアヒラント村の家屋が10棟も燃え、平地の対空陣地が二つ潰(つぶ)されて、4連装の20mm機関砲が1機と単装の37mm機関砲が1門、お釈迦になって、操作要員の全員が死傷していた。

 南隣のディアベン村とノイディアベン村、東側のニーレボック村も被害を被(かぶ)り、、幾条もの上がる煙と焼け落ちる家が見えた。

「とうとうソ連軍は、集まって来る避難民達を東へ戻すのと、ドイツ兵達を捕虜にするのを諦めて、殲滅する事にしたようだな。明日は地上攻撃が、空からと砲撃に支援されて、激しく来るぞ!」

 昼過ぎには送電線の鉄塔が並ぶ、南東の森の一部を伐採した切り通しの向こう在るゼードルフ村の方から煙が立つのが見え、聞こえていた激しい銃砲撃の響き轟きは、日没真際にピタリと止んで静かになった。

「南の森の向こうは、ロスケに破られたようだな。明日はそっちからと、ノイディアベン村から廻られて来るな」

 明日は正面の左から右までの全てから敵が攻めて来るから覚悟しろと、軍曹は言っている。右側のエルベ川へ至る退路を断たれたら明日は生き残れないと、晩飯のデカイて柔らかい肉がゴロゴロと入ったビーフシチューを楽しみながら思う。

 実際に直面していない事を予想して深刻に悩むと、溜め息ばかりが出て、圧迫されて息苦しくなる胸と、速くなる動悸(どうき)の心臓に食欲が無くなって、飯が不味(まず)くなるので、クルーの誰しもが軍曹の言葉を聞き流して不安材料を話題にしない。

 昼は携行食のチョコバーとフルーツバーで水筒の水しか飲んでいないから、まだ少し空腹の、デカイ肉にも満たされ切れていない胃袋に、新鮮な卵と砂糖を牛乳に入れて掻(か)き混ぜたミルクセーキを流し込む。

《でも……、こんなまともな飯は、明日の朝が、最後になっちまいそうだなぁ……》

 晩餐が済み、交代で警戒配置に就こうとした時にメルキセデク軍曹が、訓示のような言葉と東洋宗教の悟りのような事を語り出した。

「ロスケどもは明日、必ず攻めて来る!フェアヒラントに集まっているドイツ人を一網打尽にするつもりだ! 今日の未明に行なわれた反撃よりも、ずっと激しい戦いになるだろう。でも俺達は、エイジスの盾となるマムートで、最後の弾を撃ち尽くすまで、守り抜く!」

 既に焚き火の周りはクルー達だけになっている。軍曹は焚き火に照らされて赤い顔の僕達を見回しながら、力強く言葉を続ける。

「マムートの装甲は厚く、特に、このⅡ(ツバァイ)は使われている鋼材の質も良くて、形状は避弾経始に優れて、大抵の弾には耐えられる。敵弾が貫通して我々を殺傷し難いを思っているが、戦場では予期しない事ばかりが起きて、我々は酷い目に遭うかも知れない」

 殺し合うのが戦争だから、クルーの誰しもが死傷するリスクを負う。マムートは破壊され、全員が戦死するかも知れない。

「貫通弾の破片や溶解した鉄の噴流を浴びてしまったり、ハッチから頭を出して索敵中に狙撃されて額に風穴(かざあな)を開けられたり、脱出中にズタボロに銃撃されてしまったら、魂が身体から離れて天国へ昇るか、地獄へ落ちてしまうだろう。死ぬのは一瞬だ。大怪我で苦しみ続けた果てでも、死は一瞬で訪れて全てを消し去って行く。俺が経験した負傷話で経験で申し訳無いが、ガーンと大きな音が聞こえて、同時に来た闇で真っ暗になった。それっきりだ。そう、先(ま)ず……って言っても後は無いが、いきなり真っ暗になるんだ。……それで終わりさ。人生が終わるし、生きるのも終わり。……そうなって、死んでしまうんだ……」

 神妙(しんみょう)に話す軍曹の声の厳(おごそ)かな響きが、人生の最期の瞬間をイメージさせて、瞼(まぶた)を閉じて眠りに付くのが怖くなってしまいそうだと思う。

「俺は運良く、直ぐには死なない傷だっただけで、そのまま気絶していたら、体は朽(く)ちるままにされて、此処には居なったな……」

 苦しんでの闇より、一瞬の闇を僕は望みたい。

「召されなくて重度の火傷や、手足を失ったり、醜くい容姿に変形して生涯、辛い後遺症に悩まされても、生き残った事に、生きている事に、感謝しろ! たった1人の生き残りになっても悔(く)やむな! 生きているのを感謝するんだ。辛くても、苦しくても、悲しくても、それも楽しむくらいに生き続けろ! 俺達の武器を手にしての戦闘は明日で終わるだろう。だが、生き残ったら、生き続ける義務を果たせ! 幸せを目指すんだ!」

 何時の間にか、警護の兵士達も集まって来て、静かに聞いていた。

「俺達の主は、生きている時の善行と犯(おか)した罪によって、死後、天国と地獄へ選(よ)り分けると教えられただろう?」

 両親や年長の家族が信じる信仰によって幼(おさな)い頃から、そう教えられて来た僕達は頷いた。

「それって、主に選り分けられる為に、生きているのかなって思うんだ。そして、どうして、生きるのに苦しんだ人は天国へ、楽に生きていた人は地獄へ行くように、分けられるのかなってね。善行とか、罪って何なんだろうなあ?」

 今、此処に集まっている僕達は、ドイツへ攻め込む敵と戦っているだけで、敵国へ侵略の戦争に従軍していた者は誰もいない。軍曹と伍長も防戦と反撃の戦闘しか経験していないだろう。

 僕達の戦いは敵から奪うのではなくて、侵攻する敵の蛮行に恐怖して逃れる人々を守り、脱出させる為に果たす使命と義務だ。そして、それを邪魔(じゃま)する敵は排除する。

《それ故に、見た事も、話した事も無い他国の人を敵と定め、殺し、生き残るのは、罪なのだろうか? 善なのだろうか?》

「東洋の宗教では、死ぬと肉体から離れた魂(たましい)が、新しく産まれる生に宿(やど)り直すと聞いた事が有る。その教えを輪廻転生(りんねてんせい)と言って、宿り直される生は人と限らないらしい。人として生きる現世の記憶や意識は、綺麗さっぱり原子に還元(かんげん)される肉体と共に消えてしまい、魂だけが甦るんだ。甦り先は生前に積んだ徳(とく)で決まるそうだ。徳というのは、善でも、悪でもなく、損得の無い清浄さらしい。魂は、人の思いではなくて徳を記憶するんだ」

 ちょっと気持を整理するように、間を於いた軍曹は話を続ける。

「肉体から離れた魂は、色即是空(しきそくぜくう)とか、空即是色(くうそくぜしき)だったかな……? 俺の感覚では、さっぱり分からない時間も、空間も、何も無いところへ行って、そこから転生するそうだ。だから、魂が宿った生は、あらゆる場所の現在過去未来に誕生するらしいぞ」

《それって、魂は使いまわしなの? 無から転生する時空は、有限って意味なの? なんか矛盾(むじゅん)している。やっぱり、東洋は神秘的だあ……》

「東洋の精神世界は全然、理解不能だけど、魔術と魔法を失くして、科学と化学に富を求めた西洋の物質世界は、今、散々たる目に遭っている。今は東洋でも、精神世界を忘れかけている同盟国の水龍(みずりゅう)の形をした日本と、敵側の眠れる獅子(しし)の中国も、酷い事になっている。世界は残酷と悲観に溢れて、何処も幸せになってないよなあ」

《いやいや、けっこう軍曹は、東洋の教えに詳しい……。知人に、戦争が始まる前に日本へ派遣された、ヒトラーユーゲントの先輩がいるのかも知れないな》

「富は身体と心を苦しめて悩ませ続けないと、手に入れられないし、心の安息を得たいなら、富を求めなければ良いってんだろう。でもそれなら、どっちが天国へ行けるんだ?」

 僕は明日を生き抜いて、自由になった世界で心の安らぎと豊かな物品、その両方の富(とみ)を求めたい。

 信仰に説かれる死後に裁かれる世界なんて誰も行った事も、見た事もなくて知らない。何百光年先の違う銀河の理想郷の空想話みたいな説教よりも、僕は、今を生きている、見て、触って、聞いて、嗅(か)いで、味わって、五感の楽しみと嬉しさが溢れる、この、ハッピーエンドにできそうな世界が大切に決まっている。

「俺達の宗教は、死ぬと、無限に広がる死後世界の天国や地獄へ、無限に送られる死者の列に並ぶのさ。でも、送られてからどうなるんだ? 信仰する無限が無ではない教えだと、永久の楽しみと、永久の苦しみのどちらかになる。未来永劫、死者は死後世界に増え続ける。だが、生前への果てしない欲望への未練を持つ死者だけが、天国へ昇る階段を引き返し、地獄への奈落(ならく)の縁(ふち)にしがみ付いて攀(よ)じ登って来てしまう。そんなゾンビどもに、俺達は変身したくないよなあ」

 メルキセデク軍曹は、黙って真剣に聞いているクルーや兵士達を見渡すと、話を締(し)め括る。

「皆(みんな)、明日は力の限り戦って、生き残ろうぜ!」

「おおーっ!」

 集まっていた全員が、覚悟を求める軍曹の言葉に大声で呼応(こおう)し、人生の最期になるかも知れない明日への覚悟を強くした。

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 * 5月7日 月曜日 フェアヒラント村 駅近くの守備位置

 夜通し交代で警戒していたが、南東の森の向こう側の方の遠くから、多数の車輌が動く騒音が小さく聞こえて来るだけで、昨日の日没から発砲音は全く聞こえず、その草木を戦(そよ)がす風の無い静寂な夜に、まるで、戦争が終わってしまったかのように錯覚して穏やかになる気持は、身近に不安が無い平和な日常を思い出させて、笑いながら遊び回る有り得ない今日を夢想してしまう。

 午前3時頃からエルベの川面に湧いた濃い霧が辺りに漂い始め、街道の道筋を示していたカンテラの灯火も近くの一つだけが、ぼぅーと見えるだけになって、警戒すべきは音だけになった。

 周波数を合わせたラジオ放送が午前五時の時報を知らせると、臨時ニュースが流れだして、第3帝国が無条件降伏をした事を伝えた。戦闘継続は今夜の12時までで、午前零時を過ぎて8日になれば、全ての武器を捨てて降伏し、交戦相手へ投降しなければならない。

 降伏後の処遇についての要求は認められず、相手が定める条件に自身を委(ゆだ)ねしかない。ナチス・ドイツは消滅して、連合国に分割統治される国土は、一方的に決定される賠償要求で完膚無きまで痩(や)せ果てて疲弊(ひへい)し切ってしまうだろう。

 新興ドイツの政府が連合国の求める無条件降伏を受諾したからといって、『さあ、僕達も降伏して、助かろう』なんて出来ない。

 ヘタレでビビリだった僕は、クルーの皆と一緒に誓う。

「今日の日は、力尽きるまで、フェアヒラント村の渡し舟乗り場を守り切り、ソ連軍の侵攻から逃れて来る大勢の人達を、エルベ川の西岸へ渡らせる為に、この場所で僕達は戦い続けるんだ!」

 

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 ベルリンのシュパンダウ地区から家族で逃れて来て、何処か途中の野戦病院で足に怪我を負った母親に付き添う父親と別れて、幼い妹と弟を連れた幼馴染のビアンカが、艀乗り場の方へ去ってから30分は経った頃、散発的に東南の森の彼方から聞こえていた小銃の銃声が、突如(とつじょ)として激しい機関銃の連続射撃音と連続した爆発音に変わり、幾つもの縛煙が森の梢(こずえ)の上に立ち昇った。

 爆煙が立つ方角的に、アルテンプラトウ村からニーレボック村へ至る街道の中程辺りと思われ、とうとう攻勢準備が整ったソ連軍が、フェアヒラント村の艀乗り場を確保し続ける防御ラインへの攻撃を開始した事を、オープン受信にした無線通話からも知らせた。

 全く衰(おとろ)えない銃声の応酬(おうしゅう)と増える爆煙に重なって炎の塊りが昇り、街道の障害物と周辺に仕掛けた地雷原と爆薬を物量で押し通り、防衛外郭の抵抗拠点も力圧(ちからお)しで後退させて来る強力さは、夕刻にはニーレボック村を抜けて船着場まで迫られると予想された。

 南東側の森の向こうゼードルフ村からも銃撃と砲声が聞こえ、ソ連軍の攻撃が再開された事を知らせた。ゼードルフ村の防衛陣地を突破して薄い森を抜けられると、直ぐにエルベ・ハーフェル運河沿いを西進して、エルベ・ハーフェル運河とエルベ川を船を行き来させる為に、水位を上下させて繋げる閘門が在るノイディアベン村の守備隊を側面から攻撃できる。

 エルベ川沿いに南方から攻めるソ連軍の防戦に手一杯のノイディアベン村の守備隊は、側面からの攻撃に一溜(ひとた)まりも無く、ノイディアベン村の防衛ラインを突破して北上するソ連軍はディアベン村も陥してフェアヒラント村へ迫り、1門の88mm対戦車砲と数門の20mmや37mmの対空機関砲だけでは、ソ連軍の重戦車から艀乗り場を守り切れずに僕達はエルベ川への脱出路を断たれてしまうだろう。

 リアルタイムで戦況を知る為に、オープンにし続けている味方の無線交信が、『中間点の曲がりが突破されて、第二障害に迫っている。森の中を敵歩兵が駆け抜けて来ているぞ!』、『牽引車が無事なら、弾薬が残り僅かになった時点で、戦車猟兵部隊はフェアヒラント村近くへ後退して、最終防衛をしろ!』、『牽引車がダメになったり、固定された砲は、弾薬を惜しむな! 撃ち尽くしてから撤退しろ!』と、無線交信に慌(あわただ)しいガナリ声が溢れて、緊迫した戦況を伝えている。

 ソ連軍の無線周波数に合わせている、もう1台の無線機のレシーバーで交信状態を探ってみると、やたらと『タンキ フピェリョート!フピェリョート!フピェリョート!』 と叫んでいた。

 たぶん、『タンキ』は、発音が似ている英語の『タンク』と思うから戦車の事だと察した。続く『フピェリョート』はタイムリーに前進の意味だろう。

 ソ連軍の最前線指揮官か戦車中隊の指揮官が、先頭の戦車小隊に突撃を命じている。

 敵の攻撃が開始されたのを知ったメルキセデク軍曹は、ゲンティンの町から来ている防衛隊とフェアヒラント村の護衛隊と憲兵のリーダーを呼んで、森の東端の兵士達が撤退を始めたら、『森の中を抜けてフェアヒラント村からエルベ川を渡れ』と、指示を与えて守備陣地へ戻らせた。

 更に30分は経った頃、移動して来た爆煙が第二障害物辺りで炎混じりに増えて、敵は仕掛けた罠に掛かっていたようだが、5分もしない内に森の出口に敵の重戦車と歩兵が現れた。

 敵戦車は停止して戦車砲を1発撃つと、青白い排気煙をもうもうと撒き散らしてエンジンを吹かし、ニーレボック村の防衛線へ突進を始めるかに思えたが、突然、排気煙が消えて全く動かなくなった。きっと、村の前面と中程に配された対戦車砲から放たれた徹甲弾によって仕留められたのだ。

 しかし、敵の進撃を食い止めたと思われたのは束の間で、直ぐに2両目の重戦車が現れると、撃破された先頭車を盾にして榴弾を撃ち出した。

 榴弾は村外れの2軒に連続して着弾し、それぞれの家屋の半分が炸裂によって木っ端微塵にされたが、敵は対戦車砲の位置を把握していない様子だ。

 赤い火花が敵戦車の砲塔に散るのが遠く離れていても見える。装甲が厚くて貫通しないのか、入射角度が浅くて弾かれているのか、分らないが、命中弾を浴びても戦闘力は健在で射撃を続けている。

「距離はどれくらいだ? バラキエル」

 此処から森の切れ目の街道筋までは、射程内だろうけれど、弾道が低伸する限界以上の遠い距離だと見て取れた。

「距離は、3000mと少しってところです。軍曹」

 射撃センスが有って数多くの敵戦車を撃破しているバラキエル伍長でも、どうにか戦車らしきと判断できる3kmも先の点のような目標は動いていると、見越し射撃の時間差読みが曖昧(あいまい)で命中させるのは至難の業だと僕は思う。

 だけど今、目標は停止していて、伍長なら確実に殺ってくれそうな気がする。

「バラキエル、殺れそうか? あの位置で撃破できれば、既に仕留められて擱坐(かくざ)した先頭車と並んで、街道を塞いでくれるだろう。少しは時間が稼(かせ)げるな」

「上手く燃えてくれれば、もっと稼いでくれますよ。軍曹」

 ドイツ軍戦車のガソリンエンジンとは違い、スターリン戦車はディーゼルエンジンだと聞いている。使う燃料は軽油でガソリンよりも着火点が高い。だから、ディーゼルエンジン仕様の戦車は被弾しても燃え難いと信じられて来た。

 だが、実際の戦闘での着火物は、ファストパトローネの弾頭のような指向性爆発による沸騰(ふっとう)した鉄の飛び散りか、大気との飛翔(ひしょう)摩擦(まさつ)で赤く灼熱化(しゃくねつか)した徹甲弾頭が、更に貫通熱が加わって溶融(ようゆう)寸前になった白熱片で、エンジンや排気管の過熱程度には有効な着火点の差など意味をなさない高温によって、内燃発動機の気化性燃料は激しく燃えてしまう。

 大抵の炎上プロセスは、送油管が貫通した弾片で破損するか、着弾や貫通した衝撃で脱落やズレた給油管から漏れた燃料が、溶融や白熱する鉄に触れて炎上する。そして、気化した燃料の燃焼膨張の圧力に耐えられずに燃料タンクは裂けて、漏れる燃料が連鎖的に燃えて行く。それが極短時間に連続して燃焼するので爆発炎上しているように見えてしまう。

「よし! バラキエル、殺るぞ! かなりの遠距離だが、停止して側面を晒しているスターリンを撃破しよう。照準が良ければ、自分の判断で撃て!」

 バラキエル伍長は先日のアルテンプラトウ村の戦闘で、初めてマムートの128mm戦車砲を発砲しているだけで、遠距離での弾道の伸びはわからないと思う。だけど、伍長はアルテンプラトウ村での外れた初弾の弾道から予測して狙うはずだから、高確率で命中させれると僕は期待した。

「軍曹、低伸後の弾道が読めないので、初弾の命中は難しいかも知れませんが、狙います」

 ペリスコープの上隅に見えている、たった5発しか射撃していないのに発砲炎の熱で煤(すす)けた砲身の先端が、左右に微妙な揺れをしながらジリジリと上がって行くと、直ぐにぴたりと動きが止まった。

「撃ちます!」

『バウッ……』

 レシーバーで塞いでいても、鼓膜が破れそうな衝撃波が来る発砲音は尻切(しりき)れ蜻蛉(とんぼ)で聞こえなくなり、車内の吸い出される風の低圧感と吹き戻す空気の圧迫感を懐かしく思い出させて放たれた徹甲弾は、青い曳光の光点となって敵戦車の車高の倍くらいの真上へ向かって真っ直ぐ一直線に飛んで行った。

だがそれも途中の、僕のいい加減な目測だけど、たぶん、低伸限界の1000mを飛んだ辺りから、重い徹甲弾頭は重力に引かれてぐんぐん落ちて行き、目標の手前に着弾の土煙を上げて跳ねた。

 届かない着弾に外れたと思った瞬間、それは水面に投げた平たい小石が跳ねるように同じ方向へ飛んで、地雷で擱坐した僚車の脇で停車していたスターリン戦車の左側面後部へと青い光点は消えた。ニーレボック村の抵抗拠点への直接射撃を済ませ、進撃の排気煙を噴き上げた瞬間に被弾した敵戦車は、続く排気煙も無く、完全に動きを止めてしまった。

「命中しました、軍曹! 動きが止まりました。敵戦車は擱座したようです」

 タブリスが興奮した声で報告する。

 動きを止めたままのスターリン戦車を見詰め続ける僕も興奮していた。砲弾が手前でバウンドしながらも、3kmもの遠距離に居る目標へ1発で命中させた事が信じられない!

《バラキエル伍長、凄い!》

「おおーっ、すっげぇ! 距離、3kmで殺ったぞ」

「ふうーっ、軍曹、なんとか命中です。ラッキーでした」

 ラグエルとイスラフェルの喜ぶ歓声に、バラキエル伍長の深い溜め息がレシーバーから重なって聞こえた。

「良くやった伍長! 本来なら、表彰されるべき功績なんだがな……」

 マムートの128mm戦車砲は、新砲塔の開発にも少しは関わっていたタブリスの説明によると、同口径の対空砲を基にして製造された対戦車砲だそうだ。

 高度10,000m以上の高空に時限信管で弾片を撒(ま)き散らす、炸裂弾を発射する高射砲がベースなのらしいが、砲弾の受ける重力の方向が違う水平射撃は、僕の想像よりも弾道が伸びていないように見えた。それでも、外れたと思われた砲弾は、スターリン戦車のエンジンルームへ命中して撃破した。

 最初は梢の高さから細くて黒い煙の筋が見え、やがてパチパチと瞬(まばた)く焚き火のような火が出ると、直ぐに黒点に見えていた敵戦車全体が炎に包まれた。遠目にも炎の勢いから、搭載弾薬が誘爆して下火になるまで、暫くは敵も、味方も近寄れないと思えた。

「これで、森の街道を来る敵の攻撃は、暫く停滞だな」

 

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 『ゴトッ』、軍曹がキューポラのハッチを垂直に上げる音がした。

「ハッチを開けて、双眼鏡で敵の来襲を警戒するんだ。カムフラージュの枝葉の下に低く構えて見張るんだぞ。受け持ちの範囲を注意深く見て、敵らしい動く影が有れば、直ぐに知らせろ」

 連続して敵戦車が攻めて来ない様子に、メルキセデク軍曹は各自へ必要最低限にハッチを開いて双眼鏡せ索敵するように命じた。

 斜めにずらしたハッチから顔を出して敵の来襲を警戒する視線が、撃破された敵戦車から立ち昇る黒煙の上空にキラキラと翼を煌かして、ダイブして来る敵機の編隊群を発見した。

「ニーレボック村上空に敵の編隊です。攻撃して来ます」

「敵機の動きを報告しろ! 狙われているのは何処だ?」

 南東の森の出口と送電塔の辺りから赤色の信号弾が上がり、更に南の森の西外れからも赤く輝く信号弾が打ち上げ花火のように上がって行き、森の中に待機するソ連軍が誤爆を避ける、味方識別の信号弾を打ち上げている。

「編隊が割れます。2編隊が、ニーレボック村へ降下しています。残り4編隊は、川沿いへ向かっています」

 東側からと低い丘からも赤い光が上がり、更に緑の光が幾つも斜めに飛んだ。

 昨日の空襲は双発の爆撃機を戦闘機が護衛して来た。爆撃は対空砲火がギリギリで届く2000m辺りでバラバラに爆弾を投下して、着弾もバラバラで広範囲に落ちていた。護衛の戦闘機群は低空へ降りて来て反復攻撃の銃撃を加えていたが、何機も対空火線に捕らえられて落とされていた。

 分かれた4編隊の1編隊が更に離れて、南へ向かうと機体から小さな塊りを二つ落として行く。

 傍受するソ連軍の無線が、意味の分からない怒鳴り声に怒鳴り声が被り、それに喚き声が次々と重なって来るけれど、木立上に見える送電塔の並びを隠して土砂と木々と炎の塊りが噴き上ると、静かになってしまった。

 暫くの沈黙の後に再び怒鳴り出した交信から、敵は間違いなく誤爆による同士討ちしていた。

 今日の編隊は戦闘機のみだったが、シルエットから両翼に小型爆弾を1個づつ吊り下げていて、低速で動きが鈍い。しかし、勇敢な彼らは一斉に撃ち上げ出した対空砲火に怯まず、昨日の爆撃隊よりも、ずっと低い高度で投弾して行く。

 余りの果敢な攻撃精神から機動を誤ったのか、それとも新参の上官に率いられた新米のパイロットばかりだったのか、回避運動もせずに編隊ごと対空火線の曳光弾の束に飛び込んだ4機全機が炎を噴き、目標へ爆弾を落としながらエルベの両岸に墜落して爆発した。

 対空射界の外で対空火器の無いニーレボック村は、2編隊の爆弾を全て投弾されて大火事になっていて、フェアヒラント村の村外へ配置されていた三つの対空砲陣地からも煙が立ち、近くの家屋が幾つも燃えていたが、線路や街道に着弾していなかった。

 果敢に銃撃を繰り返していた敵機は7、8機が落ちたように見えたが、銃撃で多くの人々が死傷したと思われたし、2艘(そう)の艀も無事か分からない。

 敵編隊は南隣のディアベン村の方を攻撃していなかったから、既に丘近くまでソ連軍が接近して交戦しているのだろう。

 空襲は30分ほどで終わると、空気を切り裂(さ)く擦過音(さつかおん)が聞こえ、200m先の放牧地で爆発の土が噴き上がった。

「砲撃だ! ハッチを閉めて、至近弾と直撃に備えろ!」

 軍曹の緊迫した大声がレシーバーに響き、バタン、ゴトンと、急いでハッチを閉じる音が車内に響いく。

 『一体、何処を狙ってるんだろう?』と、考えてしまうような的外(まとはず)れな砲撃は、時折、街道近くで爆発はしたが、そこら中の牧草地へ全弾が落ちて、面制圧が目的だとすれば、其の効果の薄さに余りにも御粗末(おそまつ)だと思った。

 牧草地には森際に塹壕陣地が在るだけで、対戦車壕と周辺に陣地は無く、地雷や鉄条網も数が足りなくて敷設(ふせつ)されていなかった。

《まあ、そんな、こちらの事情を知らないから、撃って来ているんだと思うけど、取り合えず、仕事しているフリをしとけって、みたいな弾着だなあ》

 着弾の疎らな位置と雑な時間の間隔から、かなりライフリングが磨耗(まもう)して、閉鎖器にもガタが生じた危険な大砲で、しかも、後退反動を受け止める駐鋤(ちゅうじょ)をしっかりと固定しないで使われているらしく、飛距離と発射位置の不安定さが着弾を広範囲にさせていると話す、バラキエル伍長とメルキセデク軍曹の声がレシーバーから聞こえる。

 それに砲数が少ないらしく、着弾観測兵に誘導されていても精密な砲撃はできず、退散しろと脅(おど)していたら紛(まぐ)れで当たった程度の期待しか出来ないらしい。

 その時間稼ぎのような杜撰(ずさん)な砲撃は15分は続いたが、視界範囲に被害は無い様だった。

 疎らな砲撃は燃えるニーレボック村の方へ移って、着弾の爆発で巻き上がる土埃と火災の煙が暗く覆っている。それに、こちらからは見えない森の中の街道から、複数の敵戦車が撃ち掛けているらしく、『パッ、パパッ、パッ』と発砲の炎と煙が木立を通して頻繁に見えた。

 突如、ニーレボック村から緑色の信号弾が続けて上がり、こちらの森からも青色の信号弾が飛ばされると、ニーレボック村の左手から75mm対戦車砲を牽引した2台のSWS重牽引車が飛び出して来て、街道をこっちへ向かって来ていると無線で知らされた。更に負傷兵と生き残りの守備兵達を満載したハーフトラックと無蓋のトラックが2台行くと連絡が入り、直ちに軍曹へ伝えた。

 それらを追い駆けるように、森の街道口から次々とスターリン戦車が続々とニーレボック村の前面へ展開するように現れて、歩兵部隊を後続させながら横隊で牧草地を進んで来た。それを見て、森際の塹壕で森を抜けようとする敵と交戦中だった外国人義勇兵達が浮き足立ち、エルベ川の方へと駆け出すが、その半数以上が線路の低い土手まで辿り着く前に射ち倒された。

 敵味方、どちらからか分からないが、迫撃砲だと思われる弾着の炸裂で白い靄が牧草地一帯を覆って見通しを半分くらいにしてくれた。

《煙幕弾だ! 逃げるには有り難いが、視界を白く遮る煙幕で敵が見えず、照準も定めれないから、攻める側には邪魔でしかないな……》

 敵戦車群への射撃は、距離の遠さと移動している事に加え、見通しの悪さの為に、煙幕が薄れても対戦車壕に阻まれて停車するまで控えるよう、メルキセデク軍曹はバラキエル伍長に言っている

 『パウッ! パウッ!』、ニーレボック村から撤退して来た2輌のSWS重牽引車がマムートの前を通り過ぎて、煙幕も薄れて来ると、アハト・アハトと兵士達が言っている口径88mm砲の軽くて鋭い発射音が森の東端の方から連続して聞こえて、牧草地を横切り街道へ迫っていた先頭のスターリン戦車が『ガックン!』と、直撃弾を受けて動きを止めた。

 SWS重牽引車に続いて、ハーフトラックとトラックが激しく跳(は)ねながらマムートの前を通り過ぎて行くが、最後尾のトラックは踏み切りの手前でスターリン戦車の放った榴弾が直撃して吹き飛び、裂けた車体が宙を舞い、乗っていた全員が高く飛ばされて辺りにバラ撒かれ、落ちて来た誰もがピクリとも動かない。

 アハト・アハトに撃破された1輌以外は牧草地を高速で進んで来て、期待通していた全車ではなかったが、3輌が対戦車壕に落ちて、他の敵戦車は壕の縁で急停止した。バタバタと射ち倒されていた随伴する敵の歩兵達は、北側の森から激しく射ち掛けるドイツ兵と射ち合いながら、退避する塹壕代わりに壕へ飛び込んで行く。

 壕縁で停車した敵戦車は7輌だったが、更に左端で側面をアハト・アハトに晒していた1輌が停車直後に黒煙と炎を上げて撃破された。

「右から順番に狩って遣れ、バラキエル。左側のはアハト・アハトに任せよう。壕から這(は)い出るのも、始末してくれ」

 マムートからは、対戦車壕の街道近くの左端で約1000m、南の森真際の右端では約1800mの距離が有る。

「右端のスターリン戦車で、距離は1600m、左端の生き残っているので1200mです。アハト・アハトからは600mほどでしょう。ラグエル、徹甲弾を連続で撃つぞ!」

「了解、徹甲弾を続けて装填します」

 SWS重牽引車は100mほど離れた踏み切りを超えた線路脇で、牽引して来た75mm対戦車砲を速(すみ)やかに外すと、乗っていた戦車猟兵達が砲と弾薬を展開させて、急ぎ砲弾を込め、スターリン戦車群と砲撃戦を始める。

 2門だと思っていた75mm対戦車砲は、1門は口径105mmの榴弾砲で、対戦車壕に隠れる敵兵達と、一斉に森の中から出ようと構える敵歩兵の並びへ釣瓶打(つるべう)ちを浴びせた。着弾は壕の中程から土砂を噴き上げ、炸裂は徐々に森の梢へ移動し、無数の砲弾の断片と鋭く粉砕された木片を地上に蠢(うごめ)く敵兵へ刺さり付けた。

 激しい雨のように降り注ぐ破片に居た堪(たま)れず、砲撃を避けて南側の森から逃げ出すイワン達を、北側の森に潜んでいた防衛隊の機関銃とマムートの同軸機銃が長い連射を浴びせて、まるで死神が大鎌を振るったかのように薙(な)ぎ倒した。

 左端の2輌のスターリン戦車が少し動いて射界を確保しながら斜めに構えて、アハト・アハトや75mm対戦車砲と撃ち合っていたが、75mm弾が転輪を弾き飛ばして履帯を切断し、火花を散らして装甲板を貫通するアハト・アハトの徹甲弾が息の根を止めて行く。

「装填完了!」

「撃ちます!」

 発砲の轟(とどろ)きと一瞬の風が巻く気圧の増減に装填音の響き。その合間に『ハア、ハア』と、ラグエルとイスラフェルの喘ぎを聞かせながら、4度続き、1輌は爆発して砲塔を噴き飛ばし、2輌が炎上。5、6人の搭乗員が火達磨(ひだるま)で脱出して転げ回り、動かなくなった小さな炎が瞬(またた)いている。そして、方向を変えて退避しようとした1輌が被弾後に壕へ落ちて燃え上がった。

 アハト・アハトと75mm対戦車砲と撃ち合った一輌は砲塔が無くなり、もう一両も白煙を漂わせて燻(くすぶ)っている。

 最後の左から3輌目のスターリン戦車は、僚車が横からアハト・アハトに屠られたのに気付いて斜めに構えようとしたのか、突然、旋回を始めると、壕の縁を踏み外して対戦車壕に落ち掛けたまま停まってしまい、寮車に隠れて狙い難かったアハト・アハトからは右側面を、マムートと75mm対戦車砲へは斜めに傾いた薄い上面を晒した。

 透(す)かさず、バラキエル伍長が発砲。青い曳光がスタックしたスターリン戦車へグングン吸い込まれて行く横を、僅かに遅れて発射された直径75mmの徹甲弾の青い曳光が右横から追い着いて来て、アハト・アハトからの徹甲弾が命中の火花を散らした直後、同時にターレットリング辺りに命中した。

 乗員が脱出中に、3発の命中弾を同時に受けた敵戦車は瞬時に搭載弾薬が誘爆して、乗員達を蒸発(じょうはつ)させて重い砲塔を高く飛ばす閃光(せんこう)の塊りとなり、殆ど原型を留めない残骸(ざんがい)に成り果てた。

 発射薬の燃焼を終えた装薬筒が砲尾から出される金属音に、キャンバス布のバスケットへ落ちる音。新たな徹甲弾頭と装薬筒が装填される音、鎖栓(くさりせん)が動いて閉じる音、そして、途中で聞こえなくなる発砲音に素肌を撫でる衝撃と風、全身の毛が勝手に逆立(さかだ)つ胸騒(むなさわ)ぎ、一連して続くそれらに僕は、落ち着かなくなる不安さを楽しみながら、心地良さと安心さも感じていた。

『早く、早く』と、タイムアップを急(せ)かすラグエルの声に、『速く、速く』と、自分の動作スピードのアップを図(はか)るイスラフェルの声が、2人の喘ぎに混ざってヘッドギアのレシーバーから呪文(じゅもん)のように聞こえている。

 突如(とつじょ)、『ガガーン』と、教会の鐘(かね)が落ちて来たみたいな轟音が鳴り、スターリン戦車から発射された口径122mmの徹甲弾がペリスコープの真ん前に突き刺さり、装薬の爆発熱とライフリングと大気の擦過熱に赤く加熱した砲弾の後ろ縁がミラーの下縁(したふち)に見える。

 刺さった場所の内側の装甲板面は、表面に塗られた赤い錆止(さびど)め塗料が、砲弾の直径と同じくらいに丸く剥(は)がれた僅かな盛り上りが銀色の鉄の地肌を晒していた。

「車体前面に命中弾です。軍曹!」

 スポーツ大会で友人が投げたボールのように、スゥーと受け捕れそうなスピードに見えた敵弾が命中した。その初めての強烈な衝撃は恐怖で、僕の声は震えている。

 真正面の装甲板が、もしも貫通されて直撃されたら身体は、その加速された弾量衝撃で、破(やぶ)れた水風船みたいに中身が跡形も無く飛び散ってしまうと、僕は慄(おのの)いてしまう。

「200mmも有る前面装甲や砲塔前面の装甲を、貫通できるロスケの大砲は無いよ、アル。120mm厚の調質鋼の側面装甲板は、そうでもないけど、前面の装甲鋼板は、極力、炭素量を減らして、貴重なニッケルを多く含有させて、靭性(じんせい)と粘(ねば)りと剛性(ごうせい)を高めているんだ。だから、命中爆発の衝撃によるホプキンソン効果は、反対面の剥離が小さいのさ。それに外側面は浸炭焼き入れで硬くされている。浅い角度で来るのは滑らせて弾(はじ)き、深く来るのはガッチリ受け止める。貫通はしない。そうさアル、お前は、世界最高の装甲板で守られているから、全然、大丈夫だ」

 『ガガーン』、『ガーン』と、タブリスが話し終えた途端に、立て続けにスターリンの砲弾が近い位置に塗装を剥がして命中するが、皹が入る事も無く、全く貫通される気配は無かった。

 炭素量?ニッケルを含有? 靭性に剛性? ホプキンソン効果? タブリスの説明はちんぷんかんぷんだけど、安心できるのは伝わって来た。

 『ガーン』、更に、激しく撃ち込んで来る一弾が命中して、僕の前に丸い塗装の剥がれを増やした。

《なんで、僕の前ばかりに中るんだよ? なあ、ダブリス!》

 

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 対戦車壕へ落ちた3輌のスターリン戦車は、壕の急斜面を人海戦術で戦車幅に崩して作られた、なだらかな坂を通って此方側(こちらがわ)の牧草地に出ようとしていた。

 先(ま)ず前面下部を晒して来た1輌目はアハト・アハトに側面から撃たれて仕留められ、勢い良く牧草地に出て左右に揺れながら進んで来る2輌のスターリン戦車の1輌も、距離800m辺りでマムートが撃つ前に、アハト・アハトが後部を射抜いて炎上しさせた。

 最後の3輌目を撃破したのはバラキエル伍長で、真南へ600m、線路まで200mの位置だった。マムートの徹甲弾に車体後部を貫通されて動きを止めたスターリン戦車からは4名の搭乗員が脱出した。だが、線路脇の窪地に潜んでいたヒトラー・ユーゲント達に全員が射ち殺されてしまった。

 勇戦したヒトラー・ユーゲント達が潜む線路脇の窪地の向こう、低い丘の左側を廻る線路上から客車型の起動車を先頭にして3輌編成の列車が見えた。近付くに連れて列車の中は負傷者と避難するの婦女子ばかりで、屋根の上にも大勢の負傷者が寝かされたり、座ったりしていて、白地に赤の大きな赤十字の旗を広げていた。赤十字の旗は客車の横にも、遠くから視認されて攻撃されないように広げて結ばれている。

 そして、加速して来る列車を追うように3輌のT34戦車が丘の影から現れて、逃げる列車へ発砲した。

「軍曹、丘の左側に、T34が3輌です。赤十字の列車を砲撃しています!」

 逸れた敵弾が近くへ落ちて爆発した踏み切りを列車が通過して行く。どの客車も負傷兵と婦女子で一杯だ。その負傷者の多さに閘門が在るノイディアベン村は突破されて、ソ連軍はディアベン村の守備隊と交戦中だと察した。

 敵の2両目が発砲した榴弾が列車の最後尾に命中して爆発した。客車は構造物の後ろ半分が台車部分を残して吹き飛び、その客車に乗車していた人達の殆どを一瞬で左右の牧草地と線路上に撒き散らしてしまった。

 線路脇の塹壕に潜むヒトラー・ユーゲント達に3輌の敵戦車は全く気付いていなくて、近付き過ぎた先頭のT34戦車は、ファストパトローネの連射を浴びて爆発した。2両目が誘導輪と履体をマムートの徹甲弾に粉砕されて動きを止めた。それを肉迫するヒトラー・ユーゲント隊員に仕掛けられた対戦車地雷で、生き残って閉じ篭(こも)る乗員諸共(もろとも)破壊された。3輌目は後部に命中したファストパトローネで炎上して、砲塔と前面のハッチを抜けて脱出しようとした3人の搭乗員は、射たれて車外へ出る前に殺された。

 線路上を遣って来そうな後続の敵戦車隊や、牧草地に展開して進んで来る新たな敵の戦車隊が出現する気配は無く、近接する戦闘に味方への誤爆を避ける為なのか、敵の航空機が飛んで来ていない。

 暫し休息の時間が続く様な状態に、思いもしない重防御に大損害を受けて撃退されたソ連軍は、より強力な攻勢部隊へ編成し直しているのだと思う。

「次は、砲撃が来るぞ! まともな大砲が揃ったのかも知れない。着弾が集中した激しい砲撃になるな。だが、撃たれる前に、砲撃を誘導する敵の観測兵のチームを見付けて、殲滅すれば、正確に撃てなくなる!」

 森を越える曲線を描いて飛んで来る砲弾は、破壊すべき目標が見える位置で誘導しないと直撃させるのは難しい。水平位置からでは、水上に立つ水柱のような着弾位置を確実に視認判断できないので、目標の手前辺りから奥へ着弾をズラして行って命中させるが、直撃率は低くて時間も掛かる。より高率で命中させて速やかに破壊する為には、高い位置から俯瞰して目標を挟叉させるように着弾さけなけばならない。

 だから、森の梢や送電鉄塔いる観測兵を始末すれば、敵は精密な集中砲撃を行なえなくなる。

 

 * 5月7日 月曜日 フェアヒラント村 駅近くの守備位置から村内へ移動

 1000m以上も牧草地で隔てている南の森から射ってくる敵の機関銃弾や狙撃銃弾に、此方の森からも射ち返すのを聞きながら、敵狙撃兵から見えないようにハッチの縁と擬装の葉枝の影に隠れて、砲手のバラキエル伍長を除くクルー全員が双眼鏡で敵の砲兵観測員のチームを探す。

 観測チームは砲列へ指示を送る有線電話器や無線機の設備を備えているから目立つはずだと、軍曹と伍長は言っていた。

 隠れそうな遮蔽物が無くて、敢えて危険を冒す事はしないだろうと考えていた送電鉄塔を下から上へと、じっくり見ていた僕は、敵兵が上部付近で動いているのを見付けた。

 森の太いアカ松の高さが、撃破したスターリン戦車の長さと比較して約25m、鉄塔の頂きは更に10mほど上だから、送電鉄塔の高さは35mってところだ。

 『死に急ぎたいのか、勇敢なのか、遠距離だからと安心しているのか、賢くはないな』と、見ながら『彼らを、払い落としたい』思いに唇が笑ってしまう。

「敵兵が送電塔を登っています。軍曹! 1個分隊ほどですが、有線電話機らしきを背負った兵もいるようですから、砲兵隊の観測兵でしょう」

「ああ、確認したタブリス。奴らが天辺(てっぺん)まで登って弾着を誘導されたら、渡し場や防衛陣地が狙い撃ちされちまう。バラキエル! 榴弾で吹き飛ばしてしまえ!」

「了解、軍曹。鉄塔上の敵兵を、榴弾で殺ります」

「ラグエル、榴弾だ!」

「ラグエル伍長、榴弾は瞬発信管が三つに、時限信管が二つ有りますが、どちらですか?」

「時限信管だ! 距離は2000m、弾速が毎秒850mとして……。目盛りは2・2秒にしろ。鉄塔の手前で爆発させて、破片と爆風で一掃しちまおう」

「ダイヤルを、2・2の目盛りに合わせます」

 もっと、早く配置に着くべきだった敵観測兵達のタイミングを失った動きは、しっかり死神を招き寄せてしまい、もう逃れる事は出来ない。

「時限信管、目盛りを2・2にセット完了。装填します」

「榴弾、装填完了!」

「撃ちます!」

 発砲炎に発砲音、白い発砲煙から飛び出た青く輝く光が小さくなって行き、タイマー時間通りに予定した位置で死神の振るう鎌が爆発させる。

 天辺の逆三角形に組まれたアームに辿(たど)り着いた敵兵達と、その真下の足場で有線電話器を調整しているように見えていた敵兵達が、切断された高圧電流の送電線や碍子(がいし)と共に、爆発の煙塊の中から飛ばされて落ちて行き、送電鉄塔上には誰も居なくなった。

 そして、茂みで隠れて見えないが、鉄塔の真下辺りから黒煙が上がり、ちらちらと揺らぐ炎が見え出した。きっと、観測隊の乗って来た車輌が榴弾の破片を浴びて燃えているのだろう。

「あのままじゃあ、また、登られそうだ。バラキエル、トラス構造が細くなる繋ぎ部分に、榴弾を上手く中てて、送電塔の上半分を倒すか、失くしちまえ!」

「鉄塔の上半分を、粉砕します」

「次は、瞬発榴弾を込めろ! ラグエル」

 1分も経たずに『装填完了』、『撃ちます』と続いて発砲。青い光点が上部の重量を分散させる中程の繋ぎ部へ吸い込まれて爆発した。予定通りの場所へ見事に命中した瞬発榴弾は四角に組まれた一角を失わせて、張り渡された高圧電線の重みと剛性不足になって支え切れない上部構造を大きく揺らすと、此方へ向かって炙(あぶ)られた飴細工(あめざいく)みたいにグニャリと御辞儀(おじぎ)をして折れた。

「よしっ! これで登れないし、梢よりも低くなったから使えないな」

 

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 激しい砲撃に晒されなくなった安心感が、無線周波数を調整させて半周防御陣地の他の状況を傍受すると、強力なソ連軍の攻勢に緊迫する事態が、此処の終焉が切迫している事を知らせていた。

「軍曹! フェアヒラント村の北方で、防衛ラインが突破され、敵の戦車隊がエルベ川へ迫っていると言ってます。防衛ラインは分断されて、ここフェアヒラント村が包囲されそうです」

「後方の森の向こうから、爆発音が連続して聞こえている。アル、森の東端にいる防衛隊に艀乗り場口まで、撤退するように伝えろ! タブリス! 彼らが撤退したら、マムートを後進で移動させるぞ」

「了解、軍曹」

 僕の返答にタブリスの声が重なる。

 ドイツ帝国の最末期の土地と西方へ逃れるドイツ国民を守る第12軍の半円周防衛ラインは、太い松の木が生い茂る幅の広い森林帯と、エルベ川が蛇行していた名残りの点在する沼や池に沿って形成されていて、戦車部隊が大挙して押し寄せれる場所は少ない。なのに、森の中から戦闘の騒音が聞こえているのは、ソ連軍の歩兵部隊が森の中深く浸透して来ている事になる。そうなると、気付かれずにせまった敵の歩兵部隊に包囲されて肉迫攻撃を受けるという、非常に危険な状態に陥ってしまう。

 防衛隊への緊急送信と受信確認を済ませて索敵を続けていると、タブリスが新たに接近する敵戦車を発見した。

 一昨日の深夜から昨日の未明まで反撃の戦闘に数両の味方戦車が入って行って、未(いま)だに戻って来ていないゼードルフ村へ至る森の中を通る道から、4輌の敵のT34戦車が現れて、放牧地を街道へと横切りながら砲塔を回して走行間射撃をして来た。揺れと振動で照準が安定しない砲身から撃ち出された敵の弾丸は、真っ赤な光点になってググゥーッと大きく近付いて来ると、マムートの真際で上下左右に分かれて逸(そ)れて行った。

 射撃音、逆巻く風、排莢音、既に装填されていた徹甲弾が放たれた。

 続く排莢音、2度の装填音、砲尾を閉鎖ロックする音、射撃音、車内を逆巻く風が繰り返され、並んで左側面を晒(さら)す敵戦車小隊は、砲塔が吹き飛んだ先頭車と炎と黒煙が上がる2両目は、アハト・アハトが撃ち取り、マムートは噴出した白煙が黄色く変わる3両目と停止して動かなくなった4両目を屠る。

 レシーバーに『ゼーゼー、ゴホッ、ゴホッ、ゼーゼー』と、途切れないラグエルとイスラフェルの喘ぎが聞こえ続ける。

 彼らが装填する砲弾は、弾頭と装薬筒に分離されていて、低い位置へ降りた揚弾(ようだん)装置のトレーに置くと半自動で装填位置まで揚(あ)がり、水平鎖栓を開いた砲尾の薬室へと半自動装填装置を操作して薬室へ込めて行く。この装填する作業は弾頭と装薬筒が別々に行われ、両方を順番通りに済ませて、装填完了となる。

 そして、揚弾装置が降りないと発砲の反動で後退する砲身と干渉破損する為に、口径128mm戦車砲は撃てなくなる。

 32kgもの重さが有る弾頭や更に36kgと重い装薬筒を、砲塔の後部と車体内の倒立固定式のラックから降ろしたり、持ち上げたりしてトレーへ運ぶのは彼らの人力で体力だ。故にマムートの発射速度は彼らの作業動作に左右されるし、僕達の生存率への影響も大きい。

 彼らの足腰が立たなくなれば、手足に力が入らず、握力も無くなれば、重い砲弾は運べない。連続射撃で肉体を酷使する過酷さに絶え間無く聞こえる喘ぎは、彼らの限界が近いと知らせている。

《どうか、マムートが全弾撃ち尽くして、僕達が、エルベ川を渡って脱出するチャンスを得るまで、彼らを頑張らせて下さい》

 

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 石油基地背後の低い小さな丘の左側から、線路上を進んで来る四輌のT三四戦車が見えた。

「軍曹! また、線路上をT34が来ます。先に撃破したT34戦車の300m後方です。4輌が連なって来ます」

 報告を終えた途端、小さくて低い丘の中腹の茂みから発砲炎が煌き、2両目の向かって右側に命中の閃光と白い爆発煙が見えた。たぶん、丘の斜面に掘られた塹壕陣地から発射した、パンツァーシュレックのロケット弾か、ファストパトローネの被帽弾頭で、1発で仕留めた。

(よくまあ、冷静に狙って、走り抜けようとする戦車に、上手く中(あ)てたものだ!)

「軍曹、2両目が防衛隊の反撃で撃破されました。残り3輌は、そのまま向かって来ます」

「バラキエル、右へ廻せ。照準に捕らえたら、各個撃破しろ!」

「ラグエル!、徹甲弾、急いで装填だ!」

「ハァハァ、徹甲弾、装填します」

 バラキエル伍長の鋭い弾種の指示がなされ、ラグエルが喘ぎながら返答する。

「装填完了!」

「撃ちます!」

 そして、燃料貯蔵施設近くで停車した3輌のT34戦車と交戦する射撃音と装填音が繰り替えされ、車体の前面と側面、砲塔の防盾(ぼうじゅん)と側面に受けた合計6発の85mm口径弾を、マムートは悉(ことごと)く跳ね返し、線路上と其の近くには合計7輌のT34戦車と1輌のスターリン戦車が、燃えたり、燻ぶったりしていた。

 小さな丘の頂上辺りに炎の塊りが幾つも昇り、丘の南斜面が砲撃されているのが見て取れた。また、丘の向こう側の川沿いに在るディアベン村の方向から複数の爆発煙が立ち、エルベ川沿いを北上して来るソ連軍を防いでいるらしいのが分かった。

 もう、周り中で激しい戦闘が交(か)わされて、ソ連軍が強力に圧(お)して来ている。一刻も早く艀乗り場近くへ移動しないと、マムートは多数の敵戦車で包囲殲滅(せんめつ)されてしまいそうだ。

 一時的に南側からの脅威(きょうい)が薄れた隙を衝いて、5tハーフトラックに牽引された88mm砲がマムートの前を左から右へ走り去って行った。

「タブリス、マムートの順番が来たぞ。俺達が殿(しんがり)だ。一旦、左へ出て、それから後進で村の中へ移動する。後方への車体向きは、俺とイスラフェルがする」

「了解、軍曹。マムートを後進で移動させます」

「ラグエル、徹甲弾の装填を済ませたら、休んでいろ、そして残弾を報告しろ。イスラフェル、そっちのでかいハッチを少し開けて、俺と一緒に、後方の路面に障害が無いか見ていろ」

「了解しました、軍曹。路面に異常が有れば、速やかに知らせます」

「軍曹、残りは、徹甲弾が9発に、榴弾が3発です」

 砲弾の消耗は、榴弾が送電鉄塔の上部を倒壊させた2発で、徹甲弾はアルテンプラトウ村で撃った5発と、此処で放った11発だ。そして、照準器の未調整で外した初弾以外は、全てバラキエル伍長が1発で命中させて仕留めている、

 『ガックン』と揺れてマムートが二日振りに動き出す。タブリスは一旦、左折して道筋とマムートを平行にさせると停止してギアを前進1速から後進1速へ入れ直し、ゆっくりとバックを始めた。

「いいぞ、タブリス! ギアを後進3速にしろ。このままで、真っ直ぐに後退させるんだ」

 『ガリリッ』切換えされるギアの噛(か)む音が聞こえ、座席の背凭れから背中が浮くように離れて、タブリスがクラッチペダルを離してアクセルを踏み込む度にグーン、グーンと後進が加速する。

 後方を見ずに軍曹の言葉の指示だけでタブリスはマムートを後進させて、僕のペリスコープに街道に散らばっていた人が何人も、血だらけのミンチ肉のようにグチャグチャに潰されて現れた。

(……さっき、ソ連戦車に撃たれた客車と、トラックに乗っていた人達の、撒き散らかされた死体だ……)

 『これは……』と、操縦するタブリスを見ると、彼はアクセルペダルを通して、肉塊を踏み潰すグニャリとした感じや、プチッと弾ける感じや、ゴリッと骨を砕く感じが分かるのだろう、苦しそうな表情で歯を食い縛(しば)っていた。

 『バキッ、ボキッ』と、厚い木材と枕木が折れる音を車内に響かせて、マムートは踏み切りを超えて行く。踏み切りの北側に森を切り開いて設けられた駅舎を見たが、砲撃と爆撃を受けて壁と屋根が穴だらけで、既に人影は無かった。、

 射距離3000mで動かなくしたスターリン戦車は、脇へ退(ど)かされて街道通行を確保したのか、ニーレボック村からの街道上に敵戦車の縦隊がペリスコープを通して見えた。

 膝上に置いているソ連軍の無線交信を傍受するレシーバーから、矢鱈(やたら)とでかい声のロシア語が、めちゃめちゃ重なって聞こえて、その喧(やかま)しいノイズさが腹立たしい。

「前面の街道に敵戦車です。軍曹。スターリン戦車です。6輌見えますが、ニーレボック村から、まだ出て来ます」

「アル、確認した。バラキエル、奴らを足止めしないと、エルベを渡れないぞ!」

「今の距離は2500mほどでしょう。対戦車壕辺りまで近付けてから、2、3輌を殺ります。そうすれば街道を塞ぎますし、左右は森と対戦車壕に阻まれいるので、来れなくなりますよ」

 多数の敵戦車がマムートを仕留めようとしているのに、軍曹と伍長は余裕の会話をしているが、それは僕を含めて他のクルーも同じだ。今のところ、このマムートの防御力、攻撃力は素晴らしく、路上以外の不整地を走行しない限り、エンジンや走行に問題は無い。

「敵が、発砲しました」

 先行する縦隊から2輌が牧草地へと出て行く。後続する縦隊はバラけて横の牧草地へと向きを変え、統率(とうそつ)のないバラバラな動きの6輌全車が勝手な位置で砲塔を廻(めぐ)らせて、こちらへ狙いを定めていると思ったら、発砲の黄色い光と小さな煙が次々と見えて、沢山の赤い光点が火の玉になってググーと真っ直ぐに迫って来た。

「命中します!」

 僕が絶叫した刹那、火の玉達は上下左右に分かれて過ぎ去ったが、幾つかは目の前で消えて、ブランデンブルクの工場で巨大な水力鍛造機が金属塊を潰して形にするような大きな音が、マムートの走行に急ブレーキを掛けたみたいな衝撃と一緒に連続して鳴り響いた。

《遠距離のバラけた動きなのに、バラキエル伍長のような正確な狙いで撃ってきやがった! 奴らが噂(うわさ)に聞く、戦闘経験が豊富で、多大な戦果を上げた親衛軍の戦車隊なのか……? これは近寄られて一斉に撃たれたら、殺られるな……》

 敵弾は、1発が僕の正面に刺さったようで、粗(あら)い表面に塗られた赤い錆止め塗料を掌サイズで剥がして見える鋼鉄の銀色の地肌が、ちょっとだけ盛り上がっていた。だけど皹は入ってない。先に刺さって出来た丸い剥離面にも皹は無く、装甲板が割れ落ちる事はなさそうだ。

 もう1、2弾は、砲塔前面の砲盾に中ったみたいで、同時に聞こえた鋭く短い命中音からして、曲面の形状を僅かに削り取っただけで滑って飛び去ったようだった。

「タブリス、停止だ。バラキエル、奴らを撃て!」

「軍曹、撃ちます。ラグエル、イスラフェル、次弾も徹甲弾だ!」

 徹甲弾は軍曹や装填手達の返答を待たずに発射されて、慣れてしまった射撃の音響衝撃と振動と軽い気圧の変化が来る。それが更に2度続いた後、遥か彼方の街道には、脇に逸れて撃ってきた2輌と、縦列の先頭のスターリン戦車が黒煙を噴かせていてた。

 牧草地へバラけたスターリン戦車群と先頭縦列の残り3輌は、暫し撃ち返すのも忘れて停止していたが、急ぎ後退を始めながら撃って来た。

 射距離は1300mから1500m。いくらデカい図体(ずうたい)の動かないマムートでも、不整地を走りながら遠距離で撃って来る弾は命中しない。バラバラに飛んで来る火の玉は流星のように飛び去って行く。

 後退していた敵戦車の1輌が停止して砲塔のハッチが開くと、車長らしき戦車兵が上半身を乗り出すた。すると、後退していた9輌全車が動きを止め、マムートに狙いを合わせている。

 一斉に発砲する光が前面に見え、赤い光点が急速に大きくなりながら集まって来る。その赤い玉が群れる真ん中に大きな青い玉が現ると、見る見る小さくなって見えなくなり、上半身を乗り出していた敵の指揮官がピンと四肢(しし)を伸ばして空中高く舞う。

 スターリン戦車群とマムートは同時に発砲したが、より速い初速のマムートの弾丸が先に命中して指揮官車は爆発した。直後、5発の直径122mmの敵の徹甲弾が一遍(いっぺん)に、マムートの車体前面と砲塔前面に命中して、その大音響と激しい揺れにマムートのエンジンがストンと止まり、車内を拍動振動の無い静寂(せいじゃく)が覆った。

「エンジンが再始動しません! 軍曹!」

 『キュル、キュル』とセルモーターの回るはずの音が、『ガスッ、ガスッ』と聞こえるだけで、エンジンが発動する音は聞こえて来ない。

「軍曹、セルモーターが外れてます」

「バラキエル、殺られる前に、奴らを殺るんだ! ラグエル、後部ハッチを開けてくれ! アル、俺とマムートの後ろへ行ってエンジンを回すぞ! その辺を擦り抜けて、こっちへ来い!」

 レシーバーを外して座席を離れながら除くペリスコープに、左の方から青い曳光が敵に向かって飛んで行き、スターリン戦車の砲塔に火花を散らして弾かれた。それは、艀乗り場近くの村外れへ移動したアハト・アハトからだと思われたが、悔(くや)しい事に2000m以上の距離からではスターリン戦車の前面装甲を撃ち抜けていない。

 バラキエル伍長は、左手で俯仰角(ふぎょうかく)を調整するハンドルを回して砲身の狙い角を付けながら、右手で砲塔を旋回させるハンドルを懸命に回して、砲の向きを敵戦車へ合わせようとしている。

 上下角の狙いはハンドルを回す手動方法しかないけれど、左右への砲の旋回は電動モーターで砲塔毎を回している。そのモーターを回す電力はエンジンの回転で発電するダイナモから供電されていて、エンジンが止まった今は、一生懸命汗だくで旋回ハンドルを精一杯速く回して、マムートの照準を敵よりも早く、敵へ正確に合わせるしかない。

「装填完了!」

 ラグエルの声に、僕は急いで彼らの足許を擦り抜けて、砲塔後部のハッチまで行き、外へ出ようと縁に手を掛けると、エンジングリルの最後部から降りる軍曹が見えて、その直後にマムートが発砲して起きる猛烈な風の反復に、体が吸い込まれ掛けた後、吹き出されて転がる体が車体の後ろへ落ちた。

 後面上部の両端に取り付けられている牽引用の大きなU字フックの間へ張られた2本のロープを持ち手に通されて、ブラ下がる20個の空のジェリカンの底縁が手許にガンガンと当たり、ガチャガチャと煩(うるさ)くて邪魔だけど、焦る気持に、そんな事はどうでも良かった。、

「お前は、このクランク棒を外したら持って来い! 俺は、その四角いカバーを外しておく!」

 落ちた痛みをそっち退(の)けで立ち上がると、軍曹はそう言って、クランク棒を留めている大きな蝶螺子(ちょうねじ)を緩めるのを止めて、イスラフェルから渡された六角レンチとパイプを使って手際良くボルトを抜いてカバーを下げると、僕が苦労して取り外したクランク棒を受け取り、カバーで蓋(ふた)をされていた穴へ突っ込んだ。

 『ガチッ』

「そし、クランクシャフトと繋がったぞ。アル、このクランク棒を回すから、手伝うんだ!」

 クランク棒のグリップを腰を入れて仁王立(におうだ)ちに構えた軍曹は両手でしっかりと握り、引き回そうとする。

 軍曹の向かいに立つ僕は、それを真似(まね)て汗だくで握る手に力を込め、ぐっと腰を落として開いた足裏を路面に押し付けて踏ん張り、重量挙げのフィニッシュのように背骨と両腕を伸ばして押し回す。

 『ガシャアーン』、『ガラ、ガラン』、マムートの右側面に擦れた真っ赤な敵弾が、車体の中央部にボルト締めしていた装甲カバーを飛ばしながら路上を跳ねて行き、『バウッ……』、バラキエル伍長が撃ち返す発砲の衝撃に周り中から土煙が上がった。

「バラキエル、エンジンを回すから、撃たないでくれ!」

 大声で怒鳴(どな)った軍曹は体重を掛けて引っ張り続け、僕は渾身(こんしん)の力でグリップを押し続ける。最初は回る気配が無かったシャフトは、『グッ、グォ』と僅かづつ動き出し、四分の一回転辺りで『ググン、ググゥーン』と回し易くなった。

「タブリス! チョークを引いて、少しだけアクセルを踏め! アル、クランク棒を引っこ抜け!」

 『バスッ、バスン、バスン、バス、バス、バス』、クランク棒を抜いた途端にエンジンが息を吐きながら回り出して、エキゾーストパイプから青白い排気が噴出した。

「成功だ! タブリス、アクセルを踏み込んで、吹かしてみろ!」

 『ブロッ、ブロロロォー』、軍曹の大声にエンジンが回転を速めて応(こた)えてくれる。

 『バウッ……』、エンジンが問題無く回転するのを知ったバラキエル伍長は既に狙いを付けていた敵戦車へ発砲する。周囲に土煙が上がり、その舞い上がる土埃を貫(つらぬ)いて赤い火の玉がマムートの脇をスレスレに飛び去って行った。

「さあ、アル、早く元に戻して中に入るぞ!」

 急いで、四角いカバーをボルトで、クランク棒を蝶螺子で固定する。

「席に戻ったら、直ぐに信号銃を用意しろ。色は青で2発だ!」

《信号銃……?》

 信号銃と信号弾の取り扱いは教練で習っていたし、更にブランデンブルクの工場では、軍曹と伍長が皆に装填や構えの注意点なども含めて詳しく教えてくれたのを思い出す。

 軍曹と僕は飛び込むようにマムート内のポジションへ戻ってレシーバーを掛けると、今ではホッとしてしまう『撃ちます!』の落ち着いたバラキエル伍長の声が聞こえ、発砲の炎と煙、瞬時に反動で後退する砲身がペリスコープから見えた。

 ペリスコープを通して見た最新戦況は、敵戦車の位置に変わりが無かったけれど、新たに燃えている3輌と、今、命中弾を受けて白煙が立った1輌が見えた。

 牧草地で新たに群れていた9輌のスターリン戦車は4輌が狩られて、残りはニーレボック村の燃え落ちた家並み近くまで逃げてしまい、互いに相手を屠るのが困難な遠距離に離れてしまった。

「タブリス、発進させろ。後進の続きだ」

「了解、軍曹」

 転がるように座席に戻った僕は、履帯上に張り出したスポンソンの隙間(すきま)に詰め込んでいた防水キャンバス地の大きな袋の中から、信号銃と信号弾を出して青色の信号弾を単装の信号銃へ込めた。

 左横では、ギアを入れアクセルを開けながらクラッチを離したタブリスがマムートを発進させて行く。

 噴かしてもエンジンの回転音は安定して聞こえ、破損した気筒は無くて燃料の供給にも異常は無さそうに思えた。

 汗が噴出し続け、肩で喘ぐ息と心臓の高まりが少しも治まらない僕に、軍曹が命じる。

「アル、少しハッチを開いて、青色の信号弾を二つ、線路脇の連中に見えるように撃て! 連中にエルベを渡らせろ!」

 ずっと遠くで動きが停滞気味といえ、週間映画ニュースで新鋭装備の強敵と報道していた、戦闘経験が豊富で多くのドイツ軍部隊を壊滅(かいめつ)させている親衛軍の戦車軍団なのか、正確な射撃で命中弾を3発もくれた敵戦車隊が正面にいる恐ろしさに、ビビる気持がハッチを開けるのを躊躇(ためら)わせて返事を忘れていた僕へ、軍曹が冗談を言う。

「それとアル、信号弾は、ちゃんと外へ撃つんだぞ。マムートの中を火事にするなよ」

 レシーバーの皆が一斉に笑ったけれど、ちっとも可笑しくない僕は、目紛(めまぐ)るしい状況の展開に頭がクラクラしている。

「りょっ、了解です、軍曹。外へ撃ちます」

 治まらない皆の笑い声を聞きながら、開閉レバーを下げて頭上のハッチを開き上げて横に廻す。確実にマムートの外へ発射する為に、線路に沿って彼らの前を横切るように撃てるように、僕は上半身を乗り出して構え、踏み切りを渡り終えたところで発射する。

 森に潜む敵兵からか、隠れながら近付いて来ている敵兵からなのか、カン、カンと直ぐ傍(そば)でする兆弾音と、シュッ、シュッと、掠(かす)めるような擦過音と吹き寄せる風に、僕は狙い撃ちされていると察した。

 いつ、顔面の骨を射ち抜かれる『ガン!』の音と共に真っ暗になるか分からない恐怖が襲い、震え出す身体に手足が感覚が消えてしまう。だけど、任務を放棄して車内に逃げ込むわけにはいかない。

 青く光りながら飛ぶ信号弾が、彼らが身構えて東から迫る敵を注視する前を飛んで行く。

 歯を食い縛り、僕は急いで燃焼を終えて空になった熱い薬莢を凝視(ぎょうし)しながら、感覚が分からなくなった指で排出して2発目を装填する。そして、信号銃を持つ手を伸ばして狙い、再び彼らの前を横切るように撃った。

 視界を横切った青い光に気付いてこちらを見た彼らに、僕の身振りと大声で叫んで伝える『逃げろ』の意思が届いて、彼らが一斉にエルベ川へ向かって走り出すのが見えた。

 それを、再び森から出て来た敵兵や近くへ迫っていた敵兵と、対戦車壕の斜面をなだらかに崩して戦車を通そうとしていた大勢のソ連兵が見て狙い射ち、更に、移動するマムートと上半身を敵に晒して信号弾を射ち、手を振る僕にも気付いて撃って来た。

 そして、そのソ連兵達にバラキエル伍長が同軸機銃の再び長い連射の死神の鎌を再現させて次々と射ち打ち倒し、逃げ惑(まど)う敵兵達を森や壕の中へ追い払った。

 車内へ戻ろうと下げる顔の視界に、SWS重牽引車に牽引されて来て展開していた75mm対戦車砲と105mm榴弾砲は、弾薬を撃ち尽くしたのか、砲尾の鎖栓ブロックが無くて周辺には誰もいない。牽引車も電気系統をズタズタにされたエンジンが剥(む)き出しで、放棄されていた。

 それを見た刹那、左頬を掠めて何かが飛び去って行くと、突然、右手を見ていた視界に大きな火の玉が迫って来て逸れる事もなく真横の装甲板に激突した。

 左の耳と右の米神(こめかみ)に猛烈な激痛が走り、僕は座席に転げ落ちた。

 どうにか意識を保てた僕は直ぐに座席に座り直しながら、両手はズキンと痛む米神とズキズキと疼(うず)く耳を探り、指先はヌルヌルと滑って掌がベトベトに濡れてしまうのに、切り傷が出来て出血しているのを知った。傷口からの出血は止まらず、触った左の耳の耳介(じかい)の形は変で、ガリッと齧られたみたいに上半分ばかりが無くなっている。耳横の皮膚も擦り削られたようで、火傷したようにヒリヒリして痛い。

 カン、カンを装甲板に辺り続ける銃弾に急いでハッチを閉めながら、耳介は掠めた銃弾が飛ばしているのと、五センチメートルくらい切れてパックリと開いている米神は、命中弾の衝撃でハッチの縁に強打したのだと理解したが、どちらも非常に痛くて、襲って来た恐怖に僕は心底縮み上がり、全身が小刻(こきざ)みに震えていた。

 更に、大口径徹甲弾の1弾が砲塔の右側面に命中して、フックに掛けていた2枚続きの予備履板を粉砕して装甲板に突き刺さった。砕けて半分になった履板の片割れが、開いて真横へズラしていたハッチカバーの上に猛烈な勢いで落ちて、けたたましい音を立てた。

 座席へ落ちる前に、反射的に敵弾が来た方向へ視線を走らせて見た彼方に、新たに出現した敵戦車は牧草地や線路上にも、撃破されて燻ぶる戦車の影にもいなかったが、こっそりと線路脇の牧草地に対戦車砲が展開しているのが見えた。

《いつの間に、展開したのだろう? いたのは2門だけだ! 歩兵もいて、村の方へ撃っていた……》

 身体には、他に射たれたような傷は無かったが、初めて見た自分の体から出る多くの血で取り乱しそうになった。けれど、酷い痛みが四肢に感覚を戻し、保(たも)てた意識が軍曹へ震える声で報告させた。

「軍曹、信号弾は撃ち終わりました。彼らは気付いて、後退しています。ふっ、負傷しま……。右側面の被弾は線路横の対戦車砲からです。2門います。新たに接近する戦車はいません」

 『負傷した』と言いかけたのを、任務に支障が無い怪我なら報告すべきではないと判断して止めた。そんな僕の負傷に気付いたのか、タブリスが血だらけだと思う僕の顔をチラチラと何度も心配そうに見ている。

《見ろ、僕は大丈夫だろう、タブリス。まだ、真っ暗になってない!》

 水筒の水で傷口を洗い、キャンバス地の袋から出したエイドキットの粉末止血剤を、米神の傷口に擦り付け、齧られて痺れる耳介へ降り掛けた。

 傷の痛みに沁みる痛みが加わるが、動脈や太い静脈を切断したのでもないから、世界最先端のドイツ医学の技術で開発された顔中粉だらけの止血剤は、直ぐに出血を止めて乾燥させると信じて、湿らせた布で冷やし、ジンジンして苛付(いらつ)く痛みを紛(まぎ)らわす。

 小刻みな振るえは、報告を終えて少し緊張が薄れた所為なのか、初めて経験する大怪我のショックと思いもしない多くの出血の所為なのか、全身が歯の根が合わないほど、ガクガク、ガチガチと激しい震えになった。

「御苦労、アル。彼らの何人かは倒れたが、村外れまで逃げ切るのを見たぞ。タブリス、静かに停車させろ。バラキエル、アルが言った対戦車砲を見付けしだい、屠れ!」

 既に、軍曹の指示を察していたバラキエル伍長は、砲塔を右へ廻らせている。

「いました、軍曹。左の丘の手前、線路の左横に2門が並んでます。ラグエル、瞬発榴弾を込めろ!」

「タブリス、アル、正面の敵の動きに注視しろ! こっちへ砲を向ける戦車や大砲を見たら知らせろ!」

 レシーバーのスピーカーからバラキエル伍長の敵位置の視認報告と装填弾種の指示に、メルキセデク軍曹の声が続いて聞こえた。

 見越し射撃などした事がないのか、マムートが通り過ぎたばかりの目の前の所を右から左へ、敵の対戦車砲が発射した火の玉は一瞬で横切って行った。

「タブリス、此処で停止だ。頼んだぞ、バラキエル!」

「撃ちます!」

 二俣に分かれる村の通りの入り口でマムートが停止すると、直ぐにバラキエル伍長が発砲した。放たれた高性能榴弾は見事に対戦車砲を直撃して、鉄屑になった砲片とバラバラに裂かれた砲員達を遠くへ吹き飛ばして跡形も無く消してしまった。

「瞬発榴弾!」

 伍長の装填指示に、ラグエルの応答と『装填完了』が続き、『撃ち……』の声に発射音が重なる。

 発砲の衝撃と吸排気の風にブレる視界の真ん中で爆発が起きて、砲身を酷く折り曲げた大砲が宙に舞い上がるのと、独楽(こま)のようにクルクル回転して飛んで行く敵兵が見え、残り1門の対戦車砲も完全に沈黙させた。

 爆煙が薄まると、対戦車砲を守る為にいたのだろう、ソ連兵達がバラバラと立ち上がり、彼らがいる線路脇から見えているのか、川縁へ駆けるヒトラー・ユーゲント達とマムートを撃ち始めたが、そのロスケどもの全てをバラキエル伍長が同軸機銃の長い連射でボーリングのピンのように倒した。

 砲塔は右の真横へ向け、左側側面の装甲板が製作図面の設計ミスによって、単眼式照準眼鏡と装甲鋼板が接近し過ぎて干渉するという問題の修正の加工で、幅の広い丸溝に削られた最新部の装甲厚が半分になった弱点を、正面の敵戦車縦隊に晒している。

 今、其処に敵の徹甲弾の直撃を受ければ、あっさりと貫通されて、全員が昇天してしまうだろうと思っていたが、幸いに敵戦車群は撃って来なくて、対戦車砲狩りは一方的なマムートの殺戮で終わった。

「タブリス、後進しろ!」

 バラキエル伍長が砲塔を正面へ向け終わると、軍曹は村の中へ入れとタブリスに命じた。

 踏み切りを超えた辺りから街道脇に捨てられた物が目立ち始めて、その多くが豪華(ごうか)な椅子(いす)や机に箪笥(たんす)や寝具などのエルベ川を持って越えるには、無理が有る家財道具ばかりだった。

 道が右へ斜めに折れた村の入り口からは、それらに加えて荷車や自動車が乗り捨てられ、燃え落ちた建物や崩れた塀の際には、空爆や砲撃で亡くなったり、エルベ川河畔へ辿り着く前に息絶えてしまった怪我人や負傷兵の遺体が、其処此処に並べられている。

 幾つかに爆弾痕や砲撃の炸裂痕が比較的小さな穴を掘っている路上には、多くの生活用品や私服や軍服も捨てられていたが、居残る住民達は、まだ使える物や新しい物を物色して自宅へ運んだり、脇へ寄せたりして、出来るだけ車輌が通る通路を確保してくれていた。しかし、マムートの車幅には通路は狭くて、寄せ切れていない物品や使い物にならなくて路上に置かれたままの荷車は、履帯で踏み潰して行くしかなかった。

 村の中の破棄捨てられた物だらけのT字路の交差点で、軍曹はマムートを180度の方向転換をさせて、艀乗り場が在る村の南外れへ向かわせる。

 ラグエルとイスラフェルが、砲塔バスケットの床に膝を付いて身体を倒れさせると、手足を伸ばして長々と寝そべった。

「軍曹、徹甲弾は全て撃ちました。フゥ、フゥ、これで残弾は、時限信管の榴弾が、1発だけです。ハア、ハア、それと、ちょっとだけ休ませて下さい。ハア、フゥ、腰と手足に力が入りません。身体中が痛いです。ハア、ハア、御願いですから、ちょっとだけ横にならせて下さい。ハア、ハア」

 仰向けになって、息絶え絶えにそう言うと、本当に苦しそうな表情で喘いでいた。

「分かった。余り時間が無いけど、村外れの艀乗り場の向こうへ行くまでは、休んでいてくれ」

「ありがとうございます。軍曹」

「しゃべらなくていい。そうか……、とうとう弾が無くなったか。よし、さっさと最後の弾を打(ぶ)っ放(ぱな)して、エルベを渡っちまおうぜ!」

 エルベ川と平行する村の通りでは、更に多くの乗り捨てられた荷車と自動車に加え、トラックや装甲車輌が縦隊ごと放棄されていて、それらをマムートが押し退(ど)かしたり、踏み潰して乗り越えたりして進んで行った。

 村の通りには生きて歩いている傷病兵や避難民の姿が殆ど見られず、軍曹が川と平行する通りで、荷物を運んでいる年輩の村人達に彼らの所在を尋ねると、既に渡し場の艀や、そこら中の川岸から筏や小船で渡ったり、浮く物に掴まって泳いで渡る人もいたが、砲撃と空襲で多くの人が下流へ流されたり、溺れたりしたと知らせてくれた。

 他の年輩者は、住人の若者達も連合軍統治地域で自由に戻れる日が来るまで、ソ連兵から逃がれているように言い聞かせてエルベ川西岸へ渡らせたと言っていた。

 居残る村人達が投棄された物品を選んでは、自分達の自宅へ運んでいる通りを横切って、防衛隊の第12軍や国民突撃隊の兵士と、線路脇の守備陣地にいた少年団や少女団の10歳から17歳くらいの団員達が、幾つかの少人数のグループになって渡し場へと走っていた。

 マムートは、艀乗り場へと下る坂道へは行かずに、20mほど通り過ぎた、予め決めていた川沿いの道の南側と東側の牧草地一帯を見渡せる場所に斜めに構えて停止した。

 搭載した砲弾は、25発有った貫徹甲弾を全て撃ち終えてゼロ、5発だけの榴弾は時限信管を1発残すのみ。

 何時の間にか薄曇りの空は千切れ雲ばかりになり、雲間からの陽射しが牧草地や森を幾つも丸く照らし、雲間の青空に見えた敵機の編隊が此処ではなくて北へ向かっていた。

 少し強く吹き出した西風が伸び始めた牧草を戦がせて、東のニーレボック村から街道を進んで来る敵戦車の縦隊と、左の丘の向こうを回って来る敵戦車隊の迫る音を聞こえて来させない。

 幸運と言っても良いだろう。15、6発の敵の大口径徹甲弾の直撃を車体と砲塔に受けても、戦闘力を失うターレットリンクや砲身部への被弾、それに機動輪や転輪の破損に履帯の切断も無くて、砲塔の旋回や走行に支障は無い。

 シュパンダウ市のオペルの工場でタブリスから聞いた、粘着榴弾という命中した場所の裏側面を激しく剥離させた鉄片や、ソ連兵に分捕られたファストパトローネの成形炸薬弾の爆発燃焼で、溶かされた鉄のジェット噴流を浴びる事は無くて、僕以外のクルーは誰も負傷していなかった。

 

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 ニーレボック村の空襲と砲撃で燃えていた家々は鎮火して燻ぶり、白い煙の漂う村の中には車輌の蠢きが見えた。

 村の北側の街道口からは、塞いでいた損傷戦車を車体下部の一部が残るだけに爆破した街道を、先に逃げ込んでいた5輌の戦車を先頭に、フェアヒラント村へと列を成して向かって来ている。

「東から来る敵戦車は、アハト・アハトに任せておけばいい。マムートは、森沿いや丘を回って来る奴と、川沿いを南から来る奴を、残弾……、弾が有る限り、始末するんだ」

 『パゥ!』、アハト・アハトの発砲音が聞こえた。『パゥ!』、また聞こえた。音の大きさからして近くの川沿いの道脇にいるアハト・アハトだと思う。

《砲兵達は、逃げ出さずにいたんだ……》

 『パゥ!』、また射った。逃れて来た人達の殆どが既にエルベ川の西岸へ渡り終えているのに、未だに防戦の射撃をしているのは、僕達と同じで、渡り終えた人達がソ連兵の視界から見えなくなる遠くへ離れるまでの時間稼ぎだ。

 『パゥ!』、撃っているのは、南のディアベン村から川沿いの道を此方へ進んで来る敵の戦車隊だろう。まだ敵に位置を発見されていないのか、アハト・アハトの発砲音ばかりが聞こえて来る。

 ノイディアベン村とディアベン村を防衛していた兵士達は、此方へ後退して来ているのだろうか? 今は逃れてエルベ川を渡っている最中なのだろうか? それとも、最後まで守備陣地に留まって戦っているのだろうか?

 低い丘は敵に制圧されてしまって、生き残った守備兵達が丘の麓から川岸へ走って逃げていて。それを丘を下って追い駆けるソ連兵達が射っていた。

 そのソ連兵達をバラキエル伍長が同軸機銃の長い連射で射竦めてしまう。更に、追撃を挫折さられて斜面に伏せる敵兵の周囲に、キューポラの銃架に取り付けたMG42機関銃でメルキセデク軍曹が次々と着弾の土煙を立てて行く。

 『パゥ!』、少し離れた左の方からもアハト・アハトの発砲音が聞こえた。森の端から移動して村の家屋の裏庭に構えたアハト・アハトが、街道を踏み切りまで来たスターリン戦車の縦隊を撃っていて、青い曳光が先頭車へ吸い込まれて行くのが見えた。

 続けて7、8発の発砲音と青い光点の飛翔が見えたっ切り、左側にいるアハト・アハトは沈黙した。

 やがてダメージから体制を整えた敵戦車の縦隊が一斉に発砲の炎と煙が見えると、左手のアハト・アハトが展開していた辺りから連続した爆発響き、舞い上げられた土埃と漂う煙で空が暗くなった。

「もう潮時だ! タブリス、マムートを後退させて、道際のアハト・アハトを援護するぞ!」

 タブリスは軍曹の命令通りにマムートを後進で、川沿いの道脇に陣を構えるアハト・アハトの真横に着けた。

 正面の道の果て、ディアベン村近くの路上には燃えている3、4輌のT34戦車が見えて、道路を塞いでいる。そして、それを迂回して来る50人ほどのソ連兵がこっちへ走っていた。

 丘の左側、燃料貯蔵施設の横、線路の上辺りに4、5輌のT34戦車が現れて、フェアヒラント村へと向きを変えた。

「だめだぁ、アハト・アハトは、……殺られている。バラキエル、正面から来るロスケ共を、最後の榴弾で一掃してくれ! タブリス、発砲後、このまま後進して、艀乗り場口で川辺に降りろ」

「了解、軍曹。ラグエル、タイマーを0・5でセットしろ!」

「0・5でセットしました」

「装填完了!」

「距離450m、撃ちます!」

 時限榴弾は、此方へ走って来る敵兵達の先頭で爆発した。道路幅以上に広がる大きな爆発は、その弾片の殆どを飛翔方向へ扇状に広げて、半数以上を死傷させながら全てを爆風と衝撃で噴き飛ばした。

 タブリスはマムートを後進させ、直ぐに着いた乗り場口の交差点で向きを変え、川岸へと緩い坂道を下って行く。

 後進するマムートのペリスコープから見えたアハト・アハトは、横倒しになって5、6人の砲員が倒れていた。

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 * 5月7日 月曜日 フェアヒラント村 艀乗り場(船着場)付近

  緩やかな坂を下り切った場所には、西岸と行き来する渡し船の艀が接岸して乗り込む為の船着場が在る。艀は平床式のフェリーで、小型トラックや大型馬車ぐらいは積載できる広さと浮力が有り、大雪と氷結の酷い冬場の日と暴雨風雨で時化(しけ)る日以外は毎日、朝から日暮れまで一時間置きに運航されていると、此処を警邏(けいら)していた憲兵隊の中尉が話していた。

 そしてまだ、その中尉が逃げもせずに部下と共に留まっていて、艀に乗り込む人達の列を整理して婦女子と負傷者を優先させていた。

 艀は二艘共、此方側へ来ていたが、1艘は爆弾の弾片か銃撃で遣られたのか、キャビンとデッキがズタズタになっていたけれど、周囲に泡立つ波とエンジン音から航行や操舵は大丈夫そうで、立錐(りっすい)の余地も無く負傷兵と婦女子を乗せると速(すみ)やかに発進して行った。

 もう1艘の外見的に被害が無さそうな艀は、残っていた避難民と兵士達、それに走って逃げて来る守備兵を次々と乗り込ませている。

 船着場周辺の川原には、近くの救護所のテントの周りや河畔の斜面際の到(いた)る所に、5人、10人と合計200人ほどの遺体が並べられ、嵩張(かさば)る荷物や持って行けなかった手荷物と、脱ぎ捨てられた軍服やナチス党員の制服が散乱していた。

 乗り捨てられた車輌は乗船や救護の邪魔になったからなのか、その多くが浅瀬へ落とされていた。

 東西の船着場間の川幅は150m足らずで、乗船の所要時間は10分間と短いが、この時期、針を刺すように痛くて冷たい雪解け水が、南のドイツ国境一帯のアルプス連峰から滔々(とうとう)と大量に流れるエルベ川は、水嵩(みずかさ)が増して真ん中の最深部で10メートル以上と深くなるそうだ。

「ダブリス、右の救護所と炊き出しのテントの向こうまで行くんだ。そして川に向けて止めてくれ。それと、遺体を踏むんじゃないぞ」

「了解、軍曹。右方向の川岸まで、遺体を踏まずに移動します」

「よし、此処で停車だ。ダブリス、ギアはニュートラルだぞ。エンジンは止めるなよ。次は掛け直す時間は無いからな!」

 マムートを誘導して停止させると、軍曹はクルー全員に言った。

「俺達の戦いは、向こう岸へ無事に着いて生き残るまで終わりじゃない! さあ、エルベを渡るぞ! 車内の食い物と炊事道具を下ろすんだ。ラグエルとイスラフェルは後ろのジェリカンを外して筏を作り、それらを乗せろ。終わったら炊事場を覗くんだ。バラキエルは救護所で、使えそうな薬を探してくれ。アルに必要だ。アル、俺達は周囲の警戒に行くぞ」

「了解です、軍曹」

「俺は上の道まで行って、敵の進み具合を見て来る。俺が戻ったら、直ぐにマムートをエルベに沈めるぞ。それまでに用意しといてくれ、みんな」

 外へ出て見たマムートは擬装の枝木が全く無くなっていて、代わりに車体や砲塔の前面や側面の装甲板に突き刺さった敵の徹甲弾頭や削られたり、抉られたりした深い傷が20箇所以上も有って、皆が口笛を吹いて驚いたり、感心したりして、頼もしい守護神のマムートに感謝した。

 

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 僕が警戒していた川原では、南のディアベン村の方から川岸を歩いて来るソ連兵の列と、フェアヒラント村の北の河川敷に現れたソ連兵の群れが見えていた。距離は南側で500m足らずで北側は1kmくらいだと思う。

 そこへ軍曹が斜面の林を駆け下りて来た。

「上の道は右も、左も、ソ連軍が遣って来る。東の牧草地からは戦車と歩兵だ。待ち伏せや罠を警戒して、ゆっくりと探索しながら近付いている。直(じき)に見える所まで来るぞ!」

「川原も、上流と下流に敵兵が見えます」

 僕の報告に顔を廻(めぐ)らせて川原の敵兵を視認した軍曹は、直ぐにクルー全員に渡河の支度(したく)を急がせた。

 

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「気を付け!」

 マムートの正面に整列した全員が直立不動の姿勢を取り、軍曹の言葉を聞く。

 後ろに組んだ手に持つのは、あのキューポラの上に差していた日除けのコウモリ傘だ。

 てっきり、被弾や爆風で吹き飛ばされて失われたと思っていたのに、しっかり戦闘前に仕舞っていて西岸へ持って行くつもりなのだろう。

 丸めて畳んだコウモリ傘を持つ軍曹は、まるで、映画館で観た戦争映画のイギリス軍のステッキを持つ貴族将校みたいに凛々しく見える。

「最善を尽くして義務を果たし、此処にいる。俺達は誇れる事を成し遂げたんだ。周りを見てみろ。もう誰も残っていない。あの2艘の艀が最後だ。そして、これから、全弾を撃ち尽くすまで敵を撃滅し続けて、俺達を守り、生き残らせてくれたマムートを、エルベの川底深く沈める。この場に放棄してソ連軍に鹵獲(ろかく)させるに忍(しの)びない。以上!」

「軍曹殿に敬礼!」

「回れ、右! マムートに敬礼!」

 バラキエル伍長の掛け声で回れ右をした横1列に、軍曹も並んでマムートに健闘と戦果を讃え、感謝と別れの敬礼をする。

「これより、マムートをエルベ川の中へ進ませ、我々は向こう岸、……西へ渡る。掛れ!」

 タブリスとメルキセデク軍曹がマムートに乗り込むと、エンジンを噴して砲塔を真後ろへ回した。他の四人は突撃銃を抱えて後部上面のエンジングリルに座り、迫り来るソ連兵を警戒した。

 10個の空のジェリカンを繋ぎ合わせて岸辺に浮かぶ筏には、残されていたカバンやバックは中身を捨て、食い物や生活道具をパンパンに詰めて乗せられている。その筏に結ばれたロープを握るラグエルとイスラフェルの腰には、浮き輪代わりにジェリカンが1つ縛られていて、僕と伍長の首にも細いロープで繋げた2つのジェリカンが浮き輪として掛けられていた。

「タブリス、前進だ」

 キューポラから上半身を出している軍曹が頃合いを見て、マムートを発進させた。

 エンジングリルに座る僕達を転げ落ちそうにさせるくらい大きく車体を揺れしながらマムートは川に入り、ゆっくりと水面を進んで行く。

 転輪と履帯が完全に水面下になった岸から30mほどの辺りで、筏に結んだロープを手繰り寄せていたラグエルが、軍曹に敬礼しながら『先に行ってます』と告げて、イスラフェルと一緒に水に入り、筏を押しながら流れに乗って対岸の方へ泳いで行った。

 続いて伍長も軍曹に『先に行きます』と敬礼して泳ぎ始めた。

 軍曹とラグエルの分のジェリカンはキューポラのレールに結んである。それを見ていた僕は、まだ遣り遂げなければならない事が有ると悟った。

 立ち上がった僕は、軍曹に近付いて悟った事を言葉にした。

「軍曹、僕が残ってタブリスを補佐します。体が小さい僕の方が、車内を動き易いですし、脱出を手伝えます。御願いです。僕に残らせてください」

 少し驚いた顔になった軍曹が、上官と車長の立場から困った素振りをする。

「アル、泳ぎはできるか?」

「はい、速いですよ。遠泳も得意です」

「そうか、俺は、泳ぎが得意じゃないんだよな。アルが、そこまで交代したいのなら、タブリスを頼めるかな」

「了解しました。ありがとうございます。軍曹」

「御前もだ、アル。無事に渡って来いよ」

 そう言った軍曹はキューポラから出て、僕から首に掛けていたジェリカンを受け取ると、うねる流れの中をバチャバチャと下手な泳ぎで向こう岸へ近付いて行った。

 軍曹が川に入った後、僕は砲塔内へ入り、少しでも浮力を保とうとキューポラのハッチを閉じてから持ち場の無線手席に向かう。

 操縦手席の隣の無線手席に、いつものように座る僕を、『なんで、御前が残ってるんだ?』と不思議そうにタブリスが見ていろ。

「軍曹と交代して貰ったんだ。僕が付き合うよ。タブリス」

「いいのか、アル」

「いいさ。泳ぐのは得意だし、それに僕の方が気楽だろ」

「あはっ、そうか。そうだな」

 笑うタブリスに、空想科学冒険小説『海底2万リュー』の海底探検する気分になっていまう。

『ガクン、ゴトッ、ゴトゴトッ』、流れの主流まで達したのか、マムートが右へ大きく揺られて向きを変えた。

 全てのハッチを閉じた車内に空気の浮力が有るとはいえ、100tを越す重量のマムートを、その高密度さと高圧力の流れの所為なのか、沈ませながらも全ての転輪のサスペンションが伸び切って垂れ下がったかのように、フワフワと漂う感じをさせて深みへと運んで行く。

 無線手席のペリスコープに水面が迫り、タブリスに『もう脱出しても、いいんじゃないか?』と、言い掛けた時、僕へ振り向いたタブリスが、忙しない早口で言った。

「脱出だ、アル! 直ぐに深みに沈むぞ! 急いでキューポラから出るんだ。先に行け!」

 彼の声に呼応するかのように、ペリスコープのミラーに水中から見る水面が広がり、頭上の車体上面のハッチの隙間からバチャ、バチャ、バチャと冷たい川水が落ちて来出した。

 後部上面のエンジングリルのスリットから入った水がキャブレターを塞いだのか、ハタとマムートのエンジンが止まり、車内に鳴り響いていた12気筒の拍動と沢山の金属の触れ合う騒がしさが消え、代わって『ゴボゴボ、ゴォォォ』と、マムートを巻き込んで流れる水の泡立つ音が大きく聞こえ出した。

 直ぐに席を離れて砲塔バスケットの床に飛び込み、装填手席から砲尾の上へ上がり、更に軍曹が座っていた車長席に立った。

 キューポラに備え付けられている全周視認用の7つのペリスコープから外の様子を確認する。

「タブリス! 砲身が水面に沈んだばかりだ! 水はまだ、砲塔の上に来ていない!」

 そう大声で言って、キューポラのハッチの開閉レバーを握りながら後ろを振り返ると、タブリスが来ていない。

 直ぐに屈(かが)んで真下の床から操縦席へと、タブリスを探して視線を流す。

《いた! ……なんか、もたついてる》

「タブリス! そこで、何をしてるんだ! 早く来い!」

 ターレットバスケットの縁に座る彼の後姿が見え、何やら、焦ったように動いていた。

「右足が引っ掛かって抜けないんだ! アル! 助けてくれ! 手が届かない!」

「分かった! 今行く!」

 助けを求めたタブリスに『そこへ行く』と、即答してしまった僕は彼を助けれるか不安になった。

 助けられてもキューポラまで水没すれば、水圧でハッチが開けれなくなってしまい、車内に水が満ちてハッチが開くまで冷たい水に浸かる命は耐えれそうもないし、彼を見捨てて脱出する無感情さも僕は持ち合わせてないから、最善を尽くすしかない。と考えている内にタブリスの処まで来てしまった。

「どうしたんだ。足が抜けないのか?」

 先ず彼に状況を尋(たず)ねながら僕は、彼の足許(あしもと)の状態を手探りで調べる。

 車内灯を全て点しているのに、其処だけは影になっていて、しかも腿(もも)まで来ている水に水中の状態が全く見えていなかった。それでも、タブリスを助けなければならない。

「足が抜けないんだ。ブーツが何かに引っ掛かってる。押しても、引いても外れない。頼む、何とか外してくれぇー!」

 ブーツを探る指が、レバーの曲がり部分に絡む靴紐に触れた。

「何かのレバーがブーツの紐に嵌ってる。今外すから、ちょっと動かないでくれ」

「ああっ、水が上がって来ている。早く、早く! 俺は泳げないんだぁー。アル、助けてくれ!」

 いつものクールさが微塵(みじん)にも感じられないタブリスが、情けない声を上げて僕に懇願(こんがん)している。

「分かった、分かってる。何とかするから、足を動かすな」

 手許(てもと)がみえないまま、手探りで彼の靴紐を解(ほど)いた。

「よし、ブーツを脱がすから、足を引いてくれ」

 ダブリスが足を引くと、スルリと簡単に足先がブーツから抜けて、彼の体は自由になった。

「アル! 足が抜けた。動けるぞ!」

 悲鳴に近い声が聞こえて、ターレットバスケットの床に立ち上がる彼を見ると、嬉しそうな笑顔で僕を見ていた。

《そんなに喜ぶなよ、ダブリス。外へ出れば川の真ん中だぞ。泳げないんだろう。岸辺までソ連兵が来ていたら射たれるんだぜ》

「早くハッチを開けて出るんだ! 出たら伏せるんだぞ! 敵がいるぞ! 早くでろ、ダブリス。マムートが沈むぞ!」

 短い編み上げブーツから足を抜き取って自由に動けるようになったタブリスを、キューポラのハッチの方へ押し遣った。

 それから、もう腰までの深さになった水に潜(もぐ)って、手探りで嵌(は)まり込んでいたレバーの間から彼のブーツを取り出して、タブリスの後を追った。

 重い水の流れが、どんどんマムートを深みへ運んで行き、砲尾の上に乗ってタブリスに追い着いた時は、砲塔の天井に頭が着いも胸まで水に追い着かれていた。

「アッ、アル! 上手く体が動かない。手伝ってくれ!」

 冷たい水に浸かった所為(せい)でガタガタと全身が震えて動きの鈍いタブリスは、上手くハッチを開かせていたが、もたついて僕の脱出を阻んでいる。

 ダブリスはキューポラから出ようと苦労していた。冷えた体の萎縮(いしゅく)する筋肉で手足に力が入らないのと周りに広がる水面への恐怖に、彼は体を支える事が出来ず、全然、真上のハッチから出れていない。

「分かった。今、出してやる。出ても溺(おぼ)れるなよ」

 仕様が無いので、僕は彼の両足を抱くように持って砲塔上へ押し出し、続いて僕も急いで川面に洗われている砲塔上に出て伏せた。

「ダブリス、大丈夫か?」

「ああ……、なんとか……、でも、体が痺れて感覚が無い……」

「おいおい、しっかりしろよ。もうちょっとなんだから。聞いてんのかぁ、ダブリス。おーい」

 コクコクと頭を振って頷くダブリスに、早く向こう岸へ渡らないと不味いと気持ちが焦る。

 急に元気が無くなったダブリスは、水に浸かり始めた砲塔上に猫のように蹲(うずくま)ってしまう。

《全く、寒さに弱い奴だなあ。それに泳げないし。本当に早くしないと、2人とも流されて、溺れるか、凍死しちまう》

 敵の狙撃兵や機関銃の掃射を恐れて警戒したが、弾丸の飛翔音や近くに水柱が立つ事も無く、東岸の艀乗り場の方を見ると、坂道や斜面の林を大勢のソ連兵が下りていて、遅れて来た避難民と降伏するドイツ兵を捕まえている。

 ソ連軍の将校が望遠スコープを付けた小銃を持つ兵士に近寄り、脱出する人達を乗り込ませて岸から離れたばかりの最後の艀便を指差し、大声で命令した。兵士はゆっくりと狙撃銃を構えて狙いを付け、そして射った。

 川辺に銃声が響き、遮蔽物が何も無い、東岸から僅か120メートルばかり離れた水面に浮かぶ艀のデッキに立つ、避難民らしき人が川に落ちて流れ去って行き、連れなのか、女性の甲高い悲鳴が聞こえて来た。

《なぜ? 射つ!》

 ソ連軍はベルリンを占領して、連合軍はドイツ軍を降伏させたじゃないか! しかも、ドイツを好き勝手に分割して無慈悲に統治できる無条件降伏だ! ドイツ人に酷い事をしても、重く罰せられる事は無く、まだまだ好き放題に略奪するのだろう。

 確かにナチス・ドイツは身勝手な民族思想と経済思想で肥沃なロシアの大地を侵略して、スラブ民族を陵辱して迫害、抹殺した。その仕打ちの鉄槌(てっつい)は降されて指導者は死んだ! 第三帝国も今日で完全に滅(ほろ)ぶのは決定的だ。ナチスの思想に染まったドイツ人は悉く打ちのめされて途方に暮れている。

《だから、もう殺さないでくれ! あんたらは、勝者なんだから、もっと、寛容さが有ってもいいじゃないか!》

 キャビン上に対空用に備えていた機関銃が応射して、岸辺に群がるソ連兵達がバタバタと倒れた。岸辺中のボリシェヴィキどもが一斉に艀へ撃ち掛け、水飛沫(みずしぶき)に包まれた艀の平らなデッキに伏せる人達から血飛沫が上がった。立ち上がって逃げようとする人々は射ち倒されて、二人、三人と川面に消えた。

 ボロボロになって行くキャビンから機関銃が撃ち続けて、発砲煙で霞む岸辺中を着弾の土煙で更に霞ませた。伏せていた負傷兵達も小銃や短機関銃で反撃しているけれど、丸腰の避難民達は逃げ惑う内に無慈悲に射殺されたり、憐れにも冷たい川へ飛び込んで溺れるだけだった。

 突然、艀の周りに大きな水柱が幾つも立ち、艀上に爆発が起きた。

《迫撃砲だ……》

 辺りの水面を爆発で飛ばされた人達の死体が流れて行く。

 デッキ上が綺麗に一掃されて漂うだけになった艀が流されながら、向こう岸の浅瀬で座礁(ざしょう)して止まった。その艀から驚いた事に7、8人が生き残っていて、岸に這い上がると直ぐに低い土手の影へ隠れた。

 100人以上は乗り込んでいたように見えた艀が、近距離から執拗(しつよう)な集中射撃を浴びて、更に迫撃砲弾の爆発で粉砕されても7、8人が生存していたのは、僕に奇蹟(きせき)のように思わせた。

 でも、それは全く以(も)って酷く悲しい出来事だった。

《なぜ! まだ殺す!》

 最後の艀に乗った逃げ惑う哀(あわ)れな人々が、たった150m向こうの岸へ移るのを見逃してくれても良かったのにと、憤(いきどお)る僕は強く思う。

《だから、ボリシェヴィキは農奴上がりの無教養な田舎者(いなかしゃ)で、文明を知らない蛮族共と卑下(ひげ)されるんだ! 勝者なら、もっと堂々としていろ!》

 ボリシェヴィキどもは射撃の的が無くなってしまい、対岸へ逃れた人を撃ち殺そうと狙っていた兵も、興味を失って銃を下げ、辺りに散乱する物品の物色に戻っていた。

 そんな敵の様子に、狙われてはいないと判断して、キューポラのレールに縛っていたジェリカンを外すと、ガチガチと歯の根が合わないほど震えてもたつくタブリスを、2つの空のジェリカンを細いロープで結んだ間に被せるようにして浮かせてた。それから脱がせた片方のブーツを、その靴紐で彼の手首に結んだ。

 キューポラが水面下に沈み、車内に残っていた空気がガバッガバッと噴き出ると、あっという間に砲塔上面が腰の深さまで下がってしまい、慌てて流れていかないようにタブリスの襟首(えりくび)を掴まえながら、自分の分のジェリカンを抱きかかえた時に、砲塔上面に踏ん張って立っていた感覚がスッと足裏から無くなって、いきなり川面に残されてしまった。

「行くぞ、タブリス!」

「ああ、頼む……」

 か細い声のタブリスの目だけが僕を見て頷いた。

 ずっと押し続けていたエルベの重くて強い流れが、遂(つい)にマムートを、もっと深いところへと運び去って行った。

 ここは川幅の真ん中辺りで一番深くて流れが速い処だ。マムートは沈んで川底の岩礁のようになったのだろうか? それとも今も尚(なお)、深い川底で押し流されているのだろうか? そのどちらにせよ、うねり流れる川面には、その所在を示すような漣(さざなみ)や渦(うず)が一切(いっさい)見られない。

 もう見る事も、触れる事も出来ない所へマムートが去った生き別れのような哀しさと寂しさに、雪解けのエルベの水を更に冷たく感じさせて僕を凍えさせた。

 手足をバタつかせて水飛沫を上げないように立ち泳ぎで少しずつ タブリスの襟首を掴んで引っ張りながら西の岸辺に近付いていたが、氷(こお)りそうな水温の低さで無感覚になった身体と力の入らない手足に僕は、後、何分間は命が有るのだろうと思う。

 悴(かじか)んだ手と指先が腕ごと感覚と力を失い、掴(つか)んで引っ張っていたタブリスの襟首を離しそうだ。

 岸辺までは5mほどで、触れていても感覚が無くて分らないのかも知れないけれど、足先が川底に届かない。

 直ぐ其処に岸辺の淀みが見えて、震える体を揺すりながら呻くタブリスを全身の力を込めたつもりの何も感じなくなった両手で、『速く、其処から岸へ上がって、生きろ!』と、強く押し流した。

 押したタブリスは上手く淀みに入って、浅瀬の水底に手足が触れたのか、咳き込みながら動こうとしていた。

 僕も流れから淀みへ出ようと懸命に泳ぐけれど、もはや感覚の無い身体に手足を動かせているかも分からず、どうしても淀みへ行けないまま、流れの縁を漂うように流れされて行く。

 浅瀬に着いたタブリスが四(よ)つん這(ば)いで岸に上がって行くのを見ながら、やっと浮いているだけの僕は流されて行く。ちゃんと片手に渡した右足の靴を持ったタブリスが振り返り、僕を見て叫(さけ)びながら手を伸ばしたが、水面から持ち上げた僕の手は届かないし、タブリスの声も聞こえない。

 そのタブリスへ浅瀬の水を撥ねながら、素早く駆け寄る女子のスカートの裾から見える膝下の白い足に、溌剌(はつらつ)としていた頃のビアンカを思い出した。

《羨ましいぜ、タブリス。綺麗で優しい、相思相愛の彼女だな。ああ、……ビアンカ、どうか無事で、……幸せになれよ。……僕じゃあ、無理っぽいなぁ……》

 微睡(まどろ)むようなビアンカへの想いに、とろんと眠気が来ているけれど、水面下になっている齧られた右耳の中が冷たさの所為(せい)なのか、とても痛くて気持ち良く眠れやしない。

 もっと息をしないと思うけれど、胸も悴んで大きく息を吸えないし、吐く息も凍(こご)えている。

《……1人だけ生き残るじゃなくて、犠牲者は僕一人って事だなぁ……》

 急に耳や額や身体中の痛みが薄れて来て、自分の終焉が直ぐに来る予感を感じながら、川面に立つ波が全身に被り、息を止める僕を沈めさせて行く。

《僕達はマムートに乗って、ニーレボック村やフェアヒラント村で、死神のように大勢のソ連兵を殺した。アルテンプラトウ村でも殺した。僕はシュパンダウの大通りでもソ連兵を何人も殺している。僕は命令と、僕の義務を果たす為に殺していた。だけど、今……、凄く虚しい……》

 今夜午前零時に武器を放棄して降伏すると決められて、命令されていた。だから、それまでに集まっていた避難民達と、敗残兵達と、防衛隊や守備隊の兵士達と、残留を希望しない村民達が、僕達も含めてエルベ川を無事に渡る筈だった。なのに、3年半もドイツと戦って勝利したソ連軍は、たった14時間ほどを待てずに攻めて来た。

 フェアヒラント村と周辺の3つの村には、数10台のソ連戦車が燃え、数100人のソ連兵が骸を晒している。ドイツ人も同じだ。数100人の兵士が死に、数100人の民間人がフェアヒラントの村の中やエルベの川縁で死んでいた。

 ソ連軍が突入して来なければ、怪我や死ぬ事も無く、エルベの西岸で笑っていただろう。ロシア人達も、各村の家々で住人達と終戦を祝う宴で騒いでいたり、艀乗り場でアメリカ兵達とボルシチやピロシキとビフテキやハンバーガーを振る舞い合って楽しく遣っていただろう。

《突入を命じたソ連軍の責任者は、戦争犯罪人だ!》

 メルキセデク軍曹は鋭い観察力と適切な判断でクルーを導いてくれた。バラキエル伍長は人並み外れた卓越の射撃能力でマムートを狙う全ての敵戦車を殺っつけてくれた。ラグエルとイスラフェルは全力で全弾を装填してくれて、より速く敵を屠れた。タブリスは軍曹の指示通りに正確な操縦でマムートを動かしていた。

 そして僕は、逃げ出す事しか考えていなかった。

 シュパンダウでの戦闘は逃げ出す為だった。マムートに乗ったのも体裁良く義務を果たして生き残る為だった。

 そのヘタレだった僕は、信号弾で少年達と少女達を救って、タブリスも助けた。

《それが、僕が生きる為の使命だったのかも知れない……。使命は…… 果たしたから……》

 鼻が水に浸かり、鼻の奥がツーンと刺す痛みで噎(む)せると、口の中へ入る水に、咳(せき)が出るのを息を止めて耐えた。

 ついさっき、『何、人生、終わりそうになってんだよ』、とか『まだ、僕達は生きてるぞ! もっともっと、生きるんだろう?』と言って、ビアンカを励(はげ)ましていたのに、今は、僕が人生を終わりそうになっている。

《……大人になる前に終わっちゃうなあ。今日、ビアンカと話せて良かった……》

 マムートに乗っていなかったら、例え、生き残って長生きする人生だったとしても、彼女と遇う事は無かっただろう。彼女に遇えたのは、マムートの御蔭だ。

《ありがとう、マムート……。さようなら、ビアンカ……》

 両目を開けたまま反対の耳も水に沈み、目の前が真っ暗になって僕は思う。

《ああ、最期が来た。これが軍曹の言う、真っ暗なんだな……》

 

 * 5月7日 月曜日 エルベ川対岸(アメリカ陸軍第182歩兵師団戦区)

 水面下になった僕の顔が引き出されて、目の前に大きく迫る顔の口が大きく速く開き動いて、何かを言っているが、全然聞こえて来ない。

 冷たい川水に濡れて凍える瞳は良く見えず、両手で僕の胸倉を掴み、激しく揺らす相手が誰か分からない。其の片方の手が離れて僕の両頬に往復ビンタを何度も喰らわせてくれる。

《……! 痛い。痛い。やっ、やめてぇー。……やめろぉ……》

 『やめて』と泣き叫んでいるつもりが、全く声に出ていないし、滲む視界が涙の所為なのかも分からずに、バチッ、バチッと何かを叩く音が聞こえて、同時に目を開いているはずなのに真っ暗になって、一向に明るくならない。

《今度こそ、一瞬で終わりって事なのだろうか?》

 

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 幸(さいわ)いにして、僕はナチスドイツの終焉(しゅうえん)の日々を生き残れた。戦いの最期を共にしたマムートのクルーは、誰しもが人情味溢れて人道的だった。

 軍曹と伍長は武装親衛隊や陸軍に招集された当時、模範的なヒトラー・ユーゲントだったかも知れないが、余りにも過酷で悲惨な戦闘の繰り返しを経(へ)て、非道なナチのプロパガンダの酔(よ)いから醒(さ)まされて、現実直視の考えに変わってしまった。

 これが狂信的なナチ党員の上官だったら、今日という日にエルベ川を渡る事の無いまま、ビアンカに再び逢う事もなく駅舎の脇か村外れで弾薬を撃ち尽(つ)くし、数え切れない命中弾を浴びて擱座(かくざ)したマムートの中で、僕は確実に死んでいただろう。

 数個の石を並べただけの簡単な炉に鍋を置いた焚き火の周りへ食べ物が広げられ、それを囲んで座った皆が笑ってる。

 ラグエルとイスラフェルが浮き輪代わりにしていた大き目な缶は、調理したシチューやコーヒーなどを温かいまま密封して運ぶ専用の容器で、それを彼らは艀乗り場の炊き出し場から持ち出して来て、ちゃっかり使っていたのだ。しかも、2つの容器には半分ほどシチューが残されていて、これまた炊き出し場に有ったホーロー鍋と人数分の食器類も毛布に包んで運び出していた。その鍋で残り物のシチューが温められていて、食欲を煽(あお)る匂いが辺りの空気を満たしている。

 それに戦闘で着ていた迷彩服を脱いで、何処かの誰かが船着場に残していった私服のジャケットとコートに着替えていた。迷彩服などの軍人だった事が分かる類(たぐい)は燃やされたようで、燃え残りの布端(ぬのはし)が焚き火の横で燻っていた。ただ、勲章(くんしょう)や徽章(きしょう)はアメリカ兵に高く売れるかも知れないといって、ビアンカの妹と弟の飴缶(あめかん)の底へ隠したそうだ。

 ソ連軍の重戦車が砲撃と銃撃を浴(あ)びせながら迫り、衰えた対空射撃で低空になった空爆が爆弾の投弾を正確にさせて、砲撃の弾着も集中しだして激しくなった、あの時、状況観察と判断に優れ、生活力に長けた彼らは生き残る事に迷いが無くて、しっかりとエルベ川を渡った後まで考えていたのだった。

 きっと他にも、生活や金目な物を持って来ていて、ルールへの道中や戻った後までの生活と安全を計算高く考えているに違いない。2人には技能者より商売人の才覚が有るみたいで、ルールの連中を『見習わなくてはいけないな』と思う。

 既に社会人としての自立している連中の強(したた)かさが恨(うら)めしく、その抜け目の無さに感心してしまう。

 タブリスの叫びで四人が再びエルベの雪解(ゆきど)け水に飛び込んでくれて、幸運にも昇天寸前の僕は生気を失わずに西岸へ引き上げられた。ソ連軍から見えない狙撃を避けられる護岸の土手の向こう側まで引き摺られて行き、そこで介抱(かいほう)された。

 凍えて体温を失いつつある僕の衣服を脱(ぬ)がして、真っ裸にした僕の無感覚になった全身を皆で大声で僕に呼び掛けながら擦(さす)ってくれて感覚を少しづつ戻してくれた。

 それからは乾(かわ)いた軍用毛布にぐるぐるに巻かれて、より安全な場所へ抱えられて行き、起こされた焚き火の近くへ転がされた。

 焚き火の炎の暖かさに、直ぐに眠りに落ちた僕が憶えているのはここまでで、体温が戻って一度目を醒ましてマムートからタブリスを助けて脱出したのを話していた事も、タブリスに感謝の言葉を何度も言われていた事も、軍曹と伍長に直立不動で敬礼された事も、乾かされた服を着せて貰って、また毛布に巻かれた事も、再び寝息を立てて熟睡していたらしい僕は憶えていない。

 はっきりと目を覚ました時は、大きく枝振りを広げた樫の木の葉の隙間から見える青空に、斜陽でほんのり赤味を帯びた白い雲が漂う空と、もっと、ずっと間近に長い髪を僕の頬に触れさせて見下ろすビアンカの優しく微笑む顔が有った。彼女の妹と弟も僕を覗き込むように見ている。

 遠くからゴロゴロ、パンパンと、雷か、花火のような音が聞こえる。たぶん、撃破された戦車の搭載弾薬が誘爆してるのと、フェアヒラント村を占領したソ連軍が逃げ遅れたドイツ兵を掃討(そうとう)したり、捕まえたりする射撃音だと思う。

 僕を見る彼女の笑う瞳(ひとみ)から涙(なみだ)の雫(しずく)がポロポロ落ちて、僕の頬(ほお)を温かく濡(ぬ)らした。

「泣いて、……いるのか? ビアンカ……」

「……そうよ。戦闘が始まった音を聞いたのは、まだフェリーに乗る順番を待っていた時だったの。その時まで疎らに飛んで来ていたソ連軍の砲弾や、落とされていたソ連機からの爆弾は、全部そっちへ行ったわ。だから急ぎ再開されたフェリーに乗れて、こっちへ渡れたの」

「君達が、無事に渡れて嬉しいよ」

「私、土手道まで行って、あなたの乗る戦車が戦うのを見たわ。射つたびに、ソ連軍の戦車が燃えたり、爆発して凄かった。あなた達の御蔭で、順番を待っていた人達の殆どが、ソ連軍が乗り場に迫る前に渡れたの。アル……、ありがとう」

 そう言った彼女は、涙で濡れた僕の頬を指で拭(ぬぐ)い、それから僕の額に自分の額を触れさせた。

「熱は無いわね。……本当に、ありがとう」

 『ドックン!』、殆どゼロ距離で動く彼女の唇(くちびる)と肺一杯に吸い込む彼女の匂いが、僕の心臓を一際(ひときわ)大きく鳴らした。

 僕の額へ額を当てたままの彼女が、僕を包む毛布の中に手を入れて胸を擦って来る。その、躊躇う素振りも無く僕の肌に触れれるのは、きっと、少女団の医療授業で看護(かんご)や蘇生(そせい)の治療方法を学んでいるからだろう。

 でも、僕の熱くなる体温と胸の高鳴る鼓動が伝わっているはずの、紅らめる彼女の頬に、献身(けんしん)や奉仕(ほうし)の博愛精神だけではないと思いたい。

「温かい……、体温が戻ってるわ。もう大丈夫ね。あなたが生きていてくれて、嬉しい」

 彼女の指が拭(ふ)いてくれたばかりの僕の頬を、再び彼女の涙が濡らす。

 彼女は額を僕から離すと更に躙(にじ)り寄って来て、両手の掌で僕の両頬に触れて頭を掴み上げると、僕を焚き火を囲む皆の方へ向かせて膝枕(ひざまくら)で寝かせ続けてくれる。

「あっ、ごめんなさい、アル。米神と耳が痛かったでしょう」

《……耳? 米神……?》

 頭を動かされて、漸(ようや)く右の米神がヒリヒリと痛むのと左の耳のズキズキ疼く痛みを思い出して、顔を顰(しか)めてしまった。額には包帯がまかれて、両方の傷は手当てが為(な)されている。

「いや、少し痛むだけ……、ビアンカ、手当ては、君がしてくれたんだ?」

 ビアンカの心配する問い掛けに、僕は否定的に答えながら、彼女の言葉と行いが嬉しくて痛みに平気なフリをする。でも本当に、まだ、齧り取られた衝撃に痺れて麻痺しているのかも知れないけれど、手当てされて安心する気持ちが痛みを薄れさせていると思う。

「傷口を綺麗に洗ってから、エイドキットの軟膏を塗って、ガーゼを当てて包帯を巻いたの。血は止まっていたわ。あの子達と、あの方の彼女のライラさんも手伝ってくれたのよ」

《あの方? ああ、ダブリスか。……の彼女さん? 誰? そういえば、浅瀬に流れ着いた彼を介抱してたっけ。あの美少女はライラって名前なんだ。再開できて良かったな、ダブリス》

「君の妹の…… ヘンリエッタと、弟のフリオだっけ? それに、……ライラさんも手当てをしてくれたんだ」

「そうよ。痛くなったら、遠慮なく言ってね。膿んでいないか診(み)るから」

「あっ、ありがとう。ビアンカ」

「うん、どういたしまして。アル」

 フェアヒラント村の艀乗り場近くの土手道で弾薬を撃ち尽くすまで、ソ連軍を撃退し捲くってから水没させるまでのマムートの戦いと、沈むマムートから脱出した僕が流されて助けられるまでも彼女は見ていて、僕を助けに岸辺を走るクルー達を妹と弟を連れて追い掛けて来て、傍で安否を気遣ってくれていたのだ。

 そして今、僕が想いを寄せていた美しくて可愛いビアンカの膝を枕に寝ている僕は、心の底から、全身の隅々から、思考の全てから、本当に幸せだと思う。

 近くでメルキセデク軍曹とバラキエル伍長に、ラグエルとイスラフェルとタブリス、それに、まだ名前を知らないダブリスの彼女が、『アハハハッ』と、喜び溢れる顔で笑ってる。

 僕の顔の上で『ウフフフッ』と、嬉しく笑うビアンカに寄り添う、妹のヘンリエッタに弟のフリオも『ケラケラ』と、楽しそうに笑ってる。

 手放しの喜びに僕も、傷の疼きに顔を引き攣(つ)らせながら、『アハッ、アハッ』と、歯切れ悪く笑っていた。

 

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 東岸の殺気立ったソ連軍が落ち着けば、西岸河畔にアメリカ兵が戻って来て事態を速やかに終息させてくれるだろう。

 アメリカ軍から一応の取調べを受けるだろうが、ビアンカ達を連れているし、ラグエルとイスラフェルは身分証を持っているから、途中でメルキセデク軍曹とバラキエル伍長には2人の作業服を着せて、身分証を巻き込まれた戦闘で無くしたと言い張れば、上手く軍曹と伍長の身分と出身地を誤魔化せるだろう。僕は子供だから、ルールに居る親戚へ避難する途中だと言うだけだ。

 皆とルールへ行って、タブリス達と一緒に戦後の復興や賠償事業で働こうと思っている。それで金を蓄えたならビアンカ達とドリームを掴んで実現させる為に、フリーダムの国、アメリカへ行こうと考えている。

 戦争の歴史的に考えて、これから敗戦国のドイツは、ソ連とイギリスやアメリカの連合国とに二分割されると思った。現にアメリカ軍はエルベ川を渡っていなかった。日数的に可能なのにベルリン市へ進軍していない。この事はソ連と分割統治の取り決めが有るからだと、年少の僕でも察する事ができた。

 もう親を頼る事はできない。僕は、覚悟を決めた!

《こらからは、自立して生きて行くしかないんだ!》

 ベルリン市は位置的にも陥落させたソ連が支配するだろうから、手軽にシュパンダウ地区へ行き来できなくなって、僕は両親や安否不明の兄達に、ビアンカ達は足を怪我したお母さんと介護に付き添うお父さんに、この先いったい、いつになったら再会できるか分らないと思う。

 それは、必ずソ連の統治下になるはずのドイツ東部に家族が住む、メルキセデク軍曹とバラキエル伍長も同じだ。

 一生懸命に働いて、1日も早くドイツ東部へも仕事で行ける事業家になり、両親や家族が元気でいる内に、ビアンカ達と一緒に住んでいた場所へ行って再会できるようにしなければと、僕は強く思う。

 

 

 

 

搭乗人物  《年齢は1945年5月7日時点》

超重戦車E-100Ⅱ《ツヴァイ》 ザ・マムートの搭乗員

車長:メルキセデク Melchisedek《平和》・ハーゼ Hase《兎》

 武装親衛隊の戦車兵軍曹 車長経験者 1926年3月生まれ 満19歳

砲手:バラキエル Barachiel《雷》・リヒター Richter《裁判官》

 陸軍戦車兵伍長 砲手経験者 1927年1月生まれ 満18歳

弾頭装填手:ラグエル Raguel《友》・ベーゼ Boese《悪》

 クルップKrupp社の工員 1928年2月生まれ 満17歳

装薬装填手:イスラフェル Israfil《喇叭(らっぱ)》・バッハ Bach 《小川》

 クルップ社の工員 1928年10月生まれ 満16歳

操縦手:タブリス Tabris《自由》・クーヘン Kuchen《ケーキ》

 クルップ社の工員 1928年3月生まれ 満17歳

無線手:アルフォンス Alfons《守護》・シュミット Schmitt《鍛冶屋》

 ヒトラーユーゲント《HJ》の小国民隊の隊員 1930年11月生まれ 満13歳

 

ビアンカ Bianca《未来》・フライターク Freytag《金曜の美神》

 アルフォンスの同級生でドイツ少女団《BDM》の幼女隊の隊員で中隊指導者補佐だった女子 1930年4月生まれ 満14歳

 妹《ヘンリエッタ Henrietta 1937年9月生まれ 満7歳》と弟《フリオ Julio 1939年6月生まれ 満5歳》が同行

ライラ Lailah《受胎》・ブラウン Braun《茶髪》

 フェアヒラント地区のドイツ女子同盟《BDM》のリーダー 1927年12月生まれ 満18歳

 

其の他大勢

避難民、工場作業員、行政官、ドイツ軍将兵、国民突撃隊員、ヒトラーユーゲント《HJ》の団員、ドイツ女子同盟《BDM》の団員、ソ連兵、アメリカ兵など

 

 

後編 時系列

1945年

5月4日 金曜日 曇りのち晴れ 

アルテンプラトウ村からフェアヒラント駅近くの守備位置へ

 午後5時から7時 アルテンプラトウ村に潜んでソ連軍の接近を警戒する。

 午後7時 アルテンプラトウ村からフェアヒラント村へ低速で移動開始。

 

5月5日 土曜日 曇り 

フェアヒラント村 駅近くの守備位置待ち伏せ場所

 午前6時半、夜通し低速で移動したマムートは、朝靄の中、守備位置に着いて木々でカムフラージュされる。

《午後、ゲンティンの町とアルテンプラトウ村がソ連軍に占領される》

 

5月6日 日曜日 薄曇り 

フェアヒラント村 駅近くの守備位置待ち伏せ場所

 午前2時過ぎにニーレボック村の北方向から南の森へ移動する小規模な戦車隊列の影を見る。

 午前3時頃から明け方まで、南東の森向こうのアルテンプラトウ村とゲンティンの町方向から激しい戦闘の砲声がして、夜空が炎で赤く照らされた。

 午前5時、未明の戦闘でソ連軍の攻勢を予想したアメリカ陸軍第182歩兵師団が、被害を恐れてエルベ川西岸の河畔守備位置から退避した隙を突き、負傷兵を婦女子を優先とした渡河が艀乗り場を主体に岸辺一帯で始まる。

 午前9時から午後4時 ソ連空軍機の銃撃と爆撃が続く。

 

5月7日 月曜日 曇りのち晴れ 

フェアヒラント村 駅近くの守備位置からエルベ川西岸へ

 午前7時、妹と弟を連れてエルベ川西岸を目指す幼馴染のビアンカと守備位置で出遇う。

 午前9時から9時半、アルテンプラトウ村方向からニーレボック村へ進軍するソ連戦車を遠距離砲撃で撃破。

 午前9時半から10時、ソ連空軍機の爆撃と銃撃。

 午前10時から10時15分、ソ連軍の砲撃。

 午前10時半、ニーレボック村から守備隊が撤退して来る。

 午前11時から午後0時、ニーレボック村前面から迫るソ連戦車隊を撃滅。

 午後0時から0時半、ディアベン村方向から線路上を来るソ連戦車隊を撃破。

 午後1時、送電鉄塔上のソ連軍砲兵隊観測班を粉砕。

 午後1時半、南の森の道から現れたソ連戦車隊を撃破。

 午後2時、再びディアベン村方向から迫るソ連戦車隊を撃滅。

 午後3時、アルテンプラトウ村へ後退中にニーレボック村から来るソ連戦車隊を撃破。

 午後4時、ディアベン村方向の線路脇に展開した対戦車砲を粉砕。

 残弾数、榴弾1発のみ。

 午後5時、アルテンプラトウ村の南外れでソ連歩兵部隊を撃退。

 午後五時15分、ディアベン村から川沿いの道を遣って来るソ連歩兵部隊を撃退。

 午後6時、全ての搭載弾薬を撃ち尽くしたマムートを、エルベ川へ自走させて沈める。

 脱出時、アルはタブリスを助け出すが、冷たい川の水に体力を失うアルは流されてしまう。

 午後6時20分、流されたアルは渡河を終えたクルー達に助けられる。

 午後6時30分、アルは合流したビアンカ達の介抱で蘇生する。

 

5月8日 火曜日 晴れ 

 午前0時、ドイツ軍が連合軍国に無条件降伏した事により、全ての戦闘行為が停止する。