遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

幸せに(僕 十八才) 桜の匂い 第八章 肆

 小学校六年生の春の出会いから別れは必然だったのだろうか? これで僕は彼女を諦めるしかないのだろうか? 今のままでは、そうなってしまうだろう。もう手遅れなのか? 時間は戻せなくて相模原の……、たった数時間の出来事が、それまで七年の間、ずっと想い続けて少しづつ掴んで積み上げて来た彼女の心を崩して無に帰させてしまうのか? 立戸の浜では良い感じだった。相模大野の駅前で会うところまでは希望に満ちていた。でも無計画なデートを僕は強行してしまった。

 後味の悪い初デートになってしまった。デート前の期待と希望に満ちた幸せな気持ちは、事前にもっと、……あの時は、ああすれば良かったとか……、後悔と失望と虚しさになって残った。それは彼女も同じ気持ちで、次のデートで遣り直せると思っているだろうと、暫くは不安混じりでも、去年からの急接近での齟齬くらいにしか思っていなかった。しかし、再会に至らないまま過ぎて行く日々に、彼女の僕への気持ち離れや意識の薄れを疑う疑心暗鬼が日増しに強まるばかりだった。

 それは水平線の彼方から迫る暗い前線雲のように、隙間の無い分厚さで少しづつ僕の全てを覆ってしまい、やっと親密になりつつある彼女との繋がりを直ぐにでも反故にされて、深刻な白紙事態に陥りそうな予感に苛ませた。

 あの日の多くの場面を……、日曜の寒い朝に出会えた相模大野の駅前、白バイに捕まって停車したR16の路肩、信号待ちでの立ち倒け、迷って行き戻りをした横浜の元町界隈、春風と陽射しの中の大桟橋、適当に走って迷った帰り道、迷い込んだ雑木林、昼飯のうどん屋と別れの相模大野の駅前、……それらを思い出す度に僕は考えていた。僕とは違うだろう彼女から見たシチュエーションと不甲斐無い僕の姿を、どのように彼女が感じて、どう思ったのかと……。

 初デートの後、彼女からのメールが返信メールも含めて極端に減った。相模原へ行く前までの週二度の着信が後では週一度となり、更に二週に一度になって、今は月一度と激減している。そして、相模原の初デートから再び彼女と会えないまま半年以上も経った肌寒い秋の日に、そのメールは来た。それは『ラストメール』とタイトルが表示されていた。

 何の前振りも無く届いた彼女のメールに僕は、やっと彼女の気持ちが落ち着いてデートの再開を知らせるものだと思い心をときめかせた。

 新たな始まりへの期待に高ぶる気持ちを抑えて開いたメールを読み終えると僕は、その信じられない文面に頭は霞み、不安と焦りでガクガクと震える体は行動を求めた。暗い視界と薄れる記憶に仕事は全く手に付かなくなり、翌日は衝動的な憤りに会社を休み、僕は相模原へとV-MAXを急がせた。

 『ドドッ、ドッ、ドッ』と、股下から響くエンジンのサウンドが、時に『ダメダメッ、ダメ』なんて嘆き悲しむ僕の心のように、時に『ムダ、ムダ、ムダッ』みたいな諭しに聞こえ、今ならまだ間に合うと意気込んだ自信と希望の神走りは相模原へ近付くにつれて、研ぎ澄ます予感の大胆さと勢いは無くなり、圧し掛かる現実に心は沈んで行く。もうかなり難い扱いに慣れて来たと思っていた大型バイクが、今日は重たくて憤るように感じる。

【彼氏ができたよ……。大学の先輩。格好良い人で背が高くて美形だよ。かなり女子達の憧れの的だったのに、このあいだ、その先輩から声掛けられちゃって、私でいいのって感じだったけど、なんか運命的なものを感じてしまって、それから先輩と御付き合いをしているの。男女交際ってやつね。……だから、もういいの。今までありがとう。彼氏っぽく扱っちゃって誤解させたかも知んないけど、あなたを彼氏と意識したことは無いの。やっぱり『ありがとう』じゃなくて、『ごめんなさい』だわ。だって私は、あなたのメル友でしょう。私達、男女交際までいっていなかったよね。あなたは私に何度も『好きだ』と伝えてくれたけど。私は一度も『あなたを好き』と言っていなかったでしょう。ごめんね。……あなたに相応しい素敵な女性が絶対いるよ。でも、それは私じゃないから……。ねぇ、もう私じゃなくてもいいでしょう。あなたが私を見なくなれば直ぐにでも綺麗で可愛くて賢い、こんな私と違って優しい彼女がきっとできるわ。あなたの幸せを祈ります。私は、あなたでは無い、あなたと違う別の男性と幸せになります。私の事は……、もういいよ。忘れて下さい。わかってくれるでしょう】

 彼女から初めて届いた長いメールは、極めてつれない悲惨な言葉のラッシュだった。

 半分くらい読むと涙が溢れて来て、読み進むのが辛い。次々と、信じられない言葉が僕を圧倒して行き、詰まりだした鼻腔に口でする息が喘いでしまう。潤んだ瞳は文字を滲ませ、溢れて頬を伝う涙は雫となって光る携帯電話の画面に落ちて弾ける。濡れた発光画面は滲んだ文面を暈して更に読み難くした。

(分からない! 解るわけがない! こんなメールだけじゃ、納得できないし、解る事も、忘れる事もできるはずがない!)

 彼女の仕種や表情や声に匂いも、恋焦がれた彼女の全てが僕には得られないものになってしまう。

(ううっ……、彼氏っぽくってなんだぁ? ちゃんと彼って言ってたじゃん!)

 楽しげな笑顔で明るい声で甘えた言葉を連ね、大学の大人びた先輩に嬉しそうに抱かれる彼女の想像した姿が脳裏を過り、僕は想像する虚しさに苛立ち、視界の奥が暗くなった。

(いっ、厭だ! かっ、彼女にとって、僕はただのメル友じゃなかったはずだ! ……そうだろ!)

 急に激しいジェラシーを憶えて鋭く痛む自分の胸を掴み、怒りに泡立つ頭を掻き毟る。そう、僕は自分自身へ猛烈に腹を立てていた。

(とうとう彼女に僕以外の彼氏ができてしまった……。でも、おかしい! 彼氏には僕がなるはず、……だったというか、なりかけて……、いや、なっていたと思っていた……)

 だけど、突き付けられた現実は僕の大いなる勘違いの所為で、あっさりとこの様だ。自分の甘さや温さが、そして、愚かさと鈍さが許せない。もう、僕は悲しみと虚しさだらけで居ても立っても居られなかった。

(とにかく、行動をしなければ! まだ、間に合うかも知れない。何もしなければ、彼女は永遠に手が届かない彼方へ行ってしまう。でも、どうすれば……。そう、彼女の近くへ行こう。もし出会えれば寄りを戻せるかも…… 知れない)

 出会えても彼女の心変わりを覆す言葉も術も考えつかないまま、V-MAXを急がせた。頼みは漠然とした偶然の出逢いと彼女の気移りだけで、逢えれば誠意を示して真心に訴えるだけで、何とか繋げれるだろうとしか考えていなかった。

 結果は見えているのに、僕は再び無計画にV-MAXを相模原へと走らせる。決め手は何も無いのに……、誠意と真心を示す方法は思い付かない……。

 彼女への想いの強さを僕自身に尋ね、そして答える。

(真剣に『好きだ』と言えるのか? 土下座して強く訴える覚悟が有るのか? ……有る! 絶対に有る。土下座もできる! 僕の彼女への想いは誰よりも、強くて、堅くて、重い!)

 近付いて来た相模原の大学に、僕は自問自答ばかりを繰り返す。

(彼女に会えたらどうするんだ? 彼氏を見せ付けてもらうのか? それとも彼女に罵詈雑言を浴びせて暴力を振るうのか? 逆に彼女に張り倒してもらいたいのか?)

 彼女の想いを僕に向けるだけの手立ても、術も、考えも無かった。僅かでも彼女の気持ちを覆せるだけの希望は何も無い。ただ会いたい想いと願いだけで僕はV-MAXを走らせている。これでは春の日の二の舞で返り討ちに会うだけだ。

 やっと僕へ向いてくれたと思っていた彼女の気持ちは、サラサラに乾いた砂を積み上げていたみたいで、少しの水で深い溝ができ、弱い風が吹き続けば天辺から平らに散らかされてしまう。そして誰かに掃られたり、踏まれたりして簡単に崩されしまうのだろうか? 雨降って地固まるの土にも成れていなかったし、まして、水を加えて熱を放ちながら硬く固まるコンクリートには全く近付けてもいなかった。

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 彼女が通う大学の構内に着くと躊躇わずに彼女に電話を掛けた。発信呼び出しキーを操作してから大胆になれている自分に驚いた。ここは、彼女が通う大学に隣接する付属病院の駐輪場だ。この時刻、彼女はキャンパス内の一角で講義を受けているかも知れない。いや講義は午後からで、まだアパートにいるのだろうか? それともアパートにいなくて……、講義も受けていなくて……。払拭できない思いが僕を焦らせて急がせ、加速する不安な気持ちに直接彼女の声で確かめたいと、僕は発信キーを押す。

「もしもし。電話しないでと言ったでしょ」

 いきなり前置きも無く返された早口の冷たい言葉が耳の奥の先へ響く。その怒りを含んだ言葉の声は、既に彼女が僕らの時間を、僕が告白した中学二年までへとリセットしたかのように聞こえた。その低い詰まらなさそうな声は中学二年当時を思い出させて、意気込みで膨らんだ僕の気持ちを、握り潰すように締め上げて畏縮させた。萎えて行く気持ちは僕を黙らせて声になるはずだった空気を、半開きになった口から無音で洩れさせた。

(もう、何もできる事は無いのだろうか?)

 僕の腕も、身体も、掠れてしまって、しっかりと彼女を掴んで、強引に振り向かせようとしても、擦り抜けてしまう気がする。

(……振り向かせても、僕の何を見て貰うんだ……)

「なんか用? 何も言わないのなら切るよ」

 声のトーンと口調は僕を凍て付かせて次に言うべき言葉を探せなくした。冷たく重ねる拒絶の言葉は断絶を促す。それでも僕は彼女の声を聞けて嬉しいと思う。

(彼女は、今、この街にいる……)

 僕を拒絶する彼女に、相模原へ来ていることを言おうか迷った。

「会いたい」

 僕は探りを入れながらも正直な気持ちを言った。

「会いたくないわ」

 あっさりと予想通りの返事が帰ってくる。彼女の言葉が造り出す壁が見えた気がした。

「会って、話がしたい……」

 憤慨ではなく失望で僕の声は、ビブラートで始まり早口になって末尾はか細く途切れた。たった十個の発音をしただけなのに息が詰まり、苦しさで吐く息が大きく震えた。

「話す事なんて、なっ、何もないわ! メールを読んだでしょう」

 僕を否定する彼女の声に僕は絶望の闇に沈められて行く。彼女の言葉と口調は、仕事で削り出した六面体鋼材の手が切れそうなエッジを思い出させる。そして、その鋭く冷たい言葉の角は、僕の気持ちをズタズタに切り裂いた。

「会うのも、話すのも必要ないでしょう。電話、切るわよ!」

 拒絶を繰り返す彼女は力を込めた鋭い声で圧さえつけて、更に深く絶望の闇に僕を沈めていく。それでも僕は光を探す。ほんの僅かな小さな瞬きでも見付けたい……。

「会いに行く! 僕は……」

『君のいる街に来ている』と、言いそうになるのを遮るように、

「会いに来ないで! 会いに来てどうするつもり? 話しをしてどうなるっていうの? 絶対に会わないからね。私は……、あなたを振ったの。そして、大学の先輩を選んだの。あなたを拒みたいのよ! 今、先輩と楽しく付き合っているわ! 素敵な男性なのよ……。だ、か、らぁ、邪魔しないでちょうだい!」

 スピーカーの向こうの彼女から発せられた過去形の『振った』が、息苦しい胸に切なく響いた。彼女は素敵で楽しい先輩を選び僕は比較されて負けた。もう邪魔な過去でしかない僕に酷い言葉を次から次と浴びせてくる。切なさは悲しさになった。

「君を探して、会って……」

(会えたとしても、もうどうしようもないのに……)

 自分の哀れさが言わせた。彼女が悲しい記憶になっていく。

(彼女の姿、様々な表情……、笑顔は滅多に見られなくて無表情か困ったような顔が多かった……。メールも声も、もはや見ることも聞く事もできなくなってしまう)

「探さないで! もうこの街に来ないでよ」

 彼女が僕の言葉を遮り、拒絶は断絶に変わった。憐れみなど微塵も無い。彼女と隔てる壁が急速に厚みと幅と高さが増して行く。彼女の言葉の前に僕は非力で惨めだった。

(それほど僕は嫌われていて、断罪されるくらいに酷く厭な奴なのか?)

「絶対会わない! 嫌よ! そんなストーカーみたいな事をしないで。……お願いだから諦めてよ。……あなたはそんな人じゃないでしょう」

 絶対拒絶を断言しながら一方的に僕を諭す。想いは伝えられずに拗れて断絶された関係が作られていく。

(そう、本当の僕は浅ましくて卑しい人間だ。もう抑えて隠して来た本性を晒してしまった……)

 ここに至れば、何を言っても、何をしても、二人が寄り添う関係には戻らないだろう。なら、彼女が選ぶ僕じゃない誰かは、外見や他人評価じゃなくて彼女を守って大事にしてくれる事が分かる誰かであって欲しい。僕を避けるメールには、それが書かれていなかった。

(違う……、彼女は思い違いをしている。先輩とやらに惑わされているだけだ。本当の彼女は思慮深くて思い遣りがあって優しいんだ)

 僕は諦め切れない。

「もう切るよ」

 最後の時が迫る。惨めさが僕を酷く苛んだ。

(この電話が切られたら再び彼女と連絡を取るのは無理だ。きっと僕の電話もメールも着信拒否するだろう)

「好きなんだ! 君が好きだ!」

 僕は電話の向こうへ叫ぶ。彼女の意志は固く、これっ切りになるのは避けられない。もう望みは無いのを分かっているのに叫ばずにいられない。疎外される惨めさが僕を追い込んでいく。

(君が必要なんだ! 君が欲しい! 世界中で僕が一番、君を大事に……、大切にしているんだ)

「好きだ! 好きだ! 君が好きだ! すきっ……」

 叫びは彼女の囁くような声で遮られ、僕は聞き耳を立てた。

(もう、彼女の笑顔は見られない……)

「あなたは、もういいの……。忘れて……、私を忘れてよ……」

『ブッ』落ち着いた小さな彼女の声を最後に通話は非情な音を立てて切れた。最後の落ち着いたトーンの丁寧な言葉が彼女の本気を僕に悟らせる。彼女を隔てる上下左右に果てしなく続いて、ビクともしない端の無い壁が見えた。乗り越えて進める余地は何処にも全く無い。

 焦った! 僕は焦り慌ててリダイヤルを押す。終わりになるにしても、別れる? にしても、もっと……、もう少し納得して受け入れたい。

(どうすれば納得できて、彼女への想いを逸らせれるのか、分からないけれど……)

『お掛けになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、掛りません』

 僕は聞こえて来る無情なガイダンスで、背筋が凍り付き青褪めた。不安と寒気から全身が震えだす。辛辣な窮地に指先が小刻みに震えて、何度もリダイヤルキーを押し間違えた。しかしリダイヤルで繋がっても、ガイダンスは同じ内容を繰り返し伝える。今、この瞬間、僕は彼女から完全に拒絶された。……もう望みは無かった。

(望みが無い……、なぜ?)

『なぜ?』って答えは決まっている。彼女は僕で妥協しなかっただけのことだ。僕は彼女の想いの対象にならなかった。彼女が好みの男性と知り合って仲良しになれば、当然、元々彼女のタイプでないを僕を選ぶわけがない。しかも横浜港大桟橋への往復道程や相模大野駅前での失態で、僕の小心さやデリカシーの無さを見せ付けてしまったから、僕を見極めて愛想を尽かすに決まっている。ここに至った要因を一つ一つ思い出す。

 彼女に好かれた大学の先輩とやらが嫉ましい。そいつに一言でもいいから、

『人の彼女に手を出すな!』と、言い放って遣りたい。

(そいつも、このキャンパスに居るはずだ)

 僕はバカだ! 探しに行こうと病院の正門へ足を向けた途端に思った。

(誰を探すんだ? そいつの個人情報を、僕は何一つ知り得ていないぞ)

 探し出すにしても彼女に会うしかない。しかし、現実には携帯電話の電源を切られるほど拒絶されて無理だ。もし偶然に彼女と逢えたとしても、彼女の性格は絶対に先輩の情報を教えてくれないだろう。そいつが彼女といっしょにいるのを見付けて、いきなり僕が乱入して暴れても、辱しめを受けて惨めさと羞恥を塗り重ねるのは、僕だ!

 一方的な暴力は何も解決してくれない。私恨を残すだけで二度と元に戻せなくしてしまう。それに、その先輩は声を掛けてナンパしただけだ。中学で彼女の下駄箱にラブレターと入れた奴と同じでしかない。悪いのは誘いを受けた彼女だ! そして、もっと悪いのは彼女の気持ちを掴め切れずに迷わせた僕だ!

 暫く大学付属病院のロビーに佇み、それからキャンパス内をあても無く歩いた。彼女の学部が何処で、講義の時間がいつなのか全く分からなくて、僕と彼女が偶然に出逢える確立は極めて小さい。歩いているうちに凄く惨めで悲しい気持ちになった。

(虚しい……。僕はここで何をしてるのだろう? 彼女の気配すら感じないのに……。彼女の近くに来て、彼女と同じ空気を吸いたかっただけなのか? ここにいても僕にできる事は何も無くなった……)

 当ても無く彷徨うだけの僕は自分の仕業を肯定できない。全ての望みは断たれて、もう帰るしかなかった。

(もう、だめだ!)

 イニシアチブは彼女の側に有り、打つべき手は全て試みた。倍速リターンで残念な過去を無くす事もできない。後は……。

 状況も状態も絶望的ならば、最後の徒桜で彼女に悟らせて遣るべきだと思う。

(これっぽっちも望みが無いなら玉砕だ! せめて、一矢を報いて消えてやる!)

 気持ちが荒み捨て鉢なった僕は、最悪の後味にしてやろうと決めた。だけど、どうする。会社を無断で休み、このまま連日この相模原の大学の前で張り込むのか? ヒットする確率も小さいのに? 僕は完全にストーカーだ。付け廻して彼女の部屋へ忍び込むつもりなのか? そんなのは、ただの変質者の嫌がらせにしかならない。

 偶然にヒットして彼女と出逢い向き合ったとしても、何を言えばいいんだ? ストーカーになっても電話の言葉を繰り返して罵りで終わるだけだ。売り言葉に買い言葉になれば、自制できない僕は勢いで彼女に暴力を振るうだろう。更に暴行して強姦までしてしまうかも知れない。それこそ、刑事事件に発展して人生最悪になってしまう。

 それならば、彼女が傷つく酷い言葉を連ねて、未練だらけの恨みを込めた呪いのメールを送り付けて遣りたい。小心者の僕は、そんなちんけで卑劣な事しかできない。

「くそっ! ちくしょう……。くそ! くそくそくそ! くっそーっ」

『七年間の想いよ! 露と散れ』とばかりに恨み節を唱えながら、見苦しい勢いでキーを押しメール文を打ち込む。情け無さ、遣る瀬無さ、不甲斐無さ、それに無力さと虚しさが、醜く、矮小で、卑劣な僕にさせてしまった。

 トーンを低めた彼女の言葉尻から、直ぐにでも携帯電話の番号とメールアドレスを変更してしまうつもりだと察していて、僕を急がせる。

(さあ、ちゃっちゃっと送って、彼女がいた世界を終わりにしてしまえ……)

【ずっと見て来た。想い続けて来た。世界で一番、君を好きなのは僕だ! 僕以外に君を幸せにできる奴はいない! 君は僕の全てで、僕も君の全てなんだ。ただ君はそれに気付いていないんだ。気付かなくても感じているはずだ。僕は、君が男共に好かれて告白を沢山されている事も知っている。でも告白した奴らはみんな偽物さ。奴らは君の本当のキャラを知らないからな。だから、君は錯覚して自惚れているだけなんだ。それはダメだ。女子達が憧れるイケメンの先輩だって、君を騙しているだけだ。そんなモテモテのイケメンが、まともに君の相手をしてくれるはずがない。もし誘われたのなら、それはただのナンパで、君は騙されているのさ。それにスタイル的にも、フェイス的にも、キャラクター的にも、センス的にも、もっと好くて優れた女子大生は大勢いるよ。君のようなのを理解しているのは僕だけだ。そして僕が君にされたように、君も先輩に捨てられるんだ。それは、肉体的にも精神的にも酷い目にあわされてからかも知れないぞ! 辛い目にあって僕を振った事を後悔しろ! その時には、既に僕は、君とは違う素晴らしい女性に巡り逢えて幸せにしてるよ。じゃあな。奈落の底に落ちやがれ! あばよ!】

 憤りで打ち込んだ、だらだらと長くなったメール文を読み直し、幾つか文字と言いまわしを修正しながら思う。

(これは酷い! 辛いし悲しい、悲し過ぎる。……こんなのを送ってしまうと、彼女にとって僕は本当の悪者だ)

 再度メールを読み直し、酷い事を書き連ねた自分が本当に卑劣な奴だと自覚する。だけど、追い詰められた邪悪な奴は、こうせずにはいられない。

僕の強い想いを強調するどころか、僕の恋心を無碍にした彼女を陥れるアベンジャーで、祟り神だ!

(さぁ、すっきりさせよう!)

 送信キーに掛けていた指先に力を入れた。送信中のアイコン表示を見ていると、妙な感じに気分が晴れて行く。自分事ではなくて他人事にケリをつけたような達観した気分だ。後悔や憂いも無くて気分はすっきりしている。

(でも、まぁ、失恋の結末なんてこんなものだろう。清算の道連れに、己の修羅場を一方的に押し付けるだけさ。さらば、僕の初恋!)

 この晴れ晴れとした、してやったの気分は今だけだと分かっている。三十分も経てば徐々にメールを読んだ彼女の反応を知りたくなり、その知り得る術を無性に探しても、全て自ら絶たった事を知るだけで、そうした自分を呪うしかない。そして、毎日が後悔に苛まれるだろう。失恋の悲しみに憤り、嘆き沈む暗澹とした日々が続くだけだ。

 僕の七年も想い続けた初恋は、そんな簡単に忘れ去れるわけがない。

     *

 重いV-MAXを強引に倒してセンターラインぎりぎりまで膨らみながら、峠越えのタイトなカーブを攻めのアクセルワークで曲がり切る。ヘアピンカーブも以前はあんなに怖がって、ラインを考えても攻め切れなかったのに。もうどうなっても構わない、その遣る瀬ない自暴自棄の思いが、今日は何気にブラインドコーナーを攻めさせていた。今、この瞬間にグリップを失い滑るタイヤで人生が終わっても構わなかった。コンクリート壁やガードレールに張り付いても、路肩を越えて崖下へダイブしても、それが死に至る事故になるならと願いながら、僕はダウンヒルのコーナー攻めを繰り返す。ただ、その時は自損であって他人を巻き込んだり、迷惑を掛けるのだけは避けたい。そして、一瞬で二度と光が戻らない暗闇へと行かせて欲しいと祈る。

 そんな捨て身でコーナーを攻め続けた僕は市街地に入ると、交通ルールを順守して赤信号で停止し信号が変わるのをちゃんと待っていた。そんな自分が嘘臭い。

(矛盾している……、やっぱり命は惜しいか……。バカみたいだな。僕は……)

 アパートに戻って直ぐに風呂を湧かした。寒さに震えながら凍えた身体を湯船に沈める。今日の緊張と憤りと興奮が湯の温かさで解きほぐされて、後悔と不安と切なさに変わった。胸騒ぎは現実になってしまい、もう心は折れそうだ。

 僕は顔を湯船の底まで沈めて叫んだ。何度も何度も沈んで悔しさをぶつける言葉を叫ぶ。そして無念さを流すように底に顔を付けてさめざめと泣いた。

 七年を経過した僕の彼女への時間は、……今日、停止した。再び進み出す事は無い!

     *

 案の定、自らを断ち切った潔さは一週間も絶たずに後悔に戻り、僕の気持ちは暗澹とした。

(彼女の気持ちや想いを、全く考えていなかったんだ)

 無性に自分に腹が立ち、戻らない時間の反芻ばかりしている。彼女からメールが来なくなって、気持ちは暗くどんよりとした冬の金沢の空のように暗く沈んでいた。心は後悔の上書きだらけだ。

 相模原へ行き、彼女が通う大学で彼女を待ち伏せて帰宅する彼女の跡を付け、彼女の住いを見付け出す。そして未練がいっぱいの想いを認めた無記名の手紙を送る。手紙に入れるのは僕がパソコンで描いた絵だ。プリントした曼珠沙華の花の絵だ。その彼岸花の花言葉を彼女に気付いて欲しい。

『諦め』『悲しい思い出』『独立』『想うのは、あなた一人』『再会』儚げで切ない花言葉ばかりだ。僕の未練たっぷりの悲しい恋心を彼女に知らしめたい!

 諦め切れない僕は、酷い最終メールを送り付けて自ら微かな望みを絶ち、戻れなくしたのにも拘らず彼女と再び会う日を楽しみに、その日に期待を込めて実行しようかと考える。

 彼女の反応が善きにせよ、……良いわけないか……。悪しきにせよ、彼女が僕に連絡してくるまで、付き纏い嫌がらせみたいに手紙を送り捲くって監視し続ける……。これは陰湿で過激なストーカーそのものだ。付け回して部屋に忍び込んでやろう。監視カメラや盗聴器を仕込んで日々の行動や交友関係を調べ盗撮もして、彼女の人生の邪魔をして遣りたい。

 でも、そんな情けなくて悲しい事は自分自身へ恥かしくて実行できない。それに、ストーカーをする相手に犯人は僕だとバレバレだ。第一、彼女の気持ちが僕へ翻るわけがない! 真逆になってしまう。

 今日も会社の駐輪場でV-MAXに凭れながら、日本平の向こう富士山と箱根の山並みのそのまた向こうに想いを馳せ、彼女と最後に会った相模原の、僕の瞳に彼女といっしょに映り込んだ景色を思い返してしまう。

 相模大野の駅前に現れたエレガントな彼女と、息を切らして戻って来た彼女。

 白バイ警官の傍で書き込まれていく違反切符を、覗き見ていた彼女。

 圧し掛かるV-MAX越しに見えた、両手を広げて道行く自動車を停めていた彼女。

 一号線を逆方向に走ろうとした僕を、窘めた彼女。

 曇り空の下、冷たく薄暗い大桟橋を、つまらなそうに歩く彼女。

 ぽっかりと厚い雲の開いた晴れ間から差した春の陽を浴びて、萌え立つように輝く嬉しそうな彼女。

 カレーうどんを食べながら、バリバリっと、スタンガンを僕に押し当てようとした彼女。

 そして……、唇を噛みながら、小さく別れの手を振っていた彼女。

 去年の夏に、やっと六年越しで会えて話せるようになった。そして、今年の春に初めてのデートの約束をした。……だのに、デートの僅かな失敗の重なりが悲しい結末になってしまった!

 高校生の彼女に中学生の頃の彼女、彼女を気にしたのは小学六年の春だ。中学二年の春にはメールで告白して、どうにか想い受けて貰えた。だけど、ずっとメル友から進展しなくて会話は数えるほどしかなくて……。

 そんなささやかな思い出ばかりでも、僕の彼女への想いは真剣だった。

 もう、思い出したら切りが無い。結局何もできなくて嫌がらせを思考錯誤するだけの往生際の悪い僕は、情け無いくらいに未練だらけだ。でも今度こそ限界だった。、

(この先、偶然以外しか、彼女と逢う事も無いだろう)

 それも、僕に気付いた彼女は、さっさと避けて行くだろうから本当に出逢い頭の偶然しか無くなる。でも、こんなネチネチした諦め切れない未練だらけで息詰まる思考も、いつかは全てが過去の片隅に押し流されて、他の事象と同じように記憶は薄れて行き、途切れ途切れにしか思い出せなくなる。やがて僕の中の彼女は忘却の彼方へ去ってしまうだけだと思う。

     *

 彼女からのラストメールを受け、『もう、いい。忘れて』と断絶される電話を掛け、挙げ句に嫌がらせの酷いメールを彼女に送信してから二ヶ月、晩秋の朝晩は冷え込み、日中の風も冷たくなって来た。そろそろ御殿場や箱根辺りの道が、凍結しだすだろう。昨日は金沢に霙が降ったと、お袋が電話で言っていた。もう直にV-MAXで彼女を捜しに行けなくなる。そうなると、どう遣って相模原へ行こうかと悩みながら屋上の隅で東名高速と富士山を眺めていた。

(僕はもう、ストーカーだ……)

「元気ないじゃん!」

 不穏な思考の最中に、女性の明るく大きな声がして肩を叩かれた。

 ビックン! あまりの突然さに心臓が飛び出さんばかりに驚いて、罪深さを悟られたのではと疑った。レベル最高の警戒感に飛び出さなかった心臓がドックン、ドックンと拍動し出す。

(この声は……?)

 聞き覚えのある声に振り向くと、直ぐ後ろに若い女の人が笑顔で僕を見ていた。その笑顔の人は、スタイルの良さと大人びた物腰が人目を引き付ける優しそうな顔立ちの美しい人で、同期で入社した大学新卒の四歳も年上の女性だった。笑いで細めた三日月のような目が素敵だと思う。

 新入社員達の集会や研修ではリーダー格になっていないけれど、すっきりとした良く通る声で発言して、その明るい表情や容姿や話し方は、場の雰囲気を和やかに纏めるムードメーカー的な存在だった。何処を見ていても、誰と話していても、瞳がキラキラしていて魅惑的だ。秘書課に配属されて会社の顔とも言える受付の仕事をしている。訪問される御客達への印象も良くて僕には全く縁の無い女性だと思っていたのに、初めてその人から声を掛けられた。

「どうしたの? 最近、憂愁を帯びているよ。それに、いつも一人だし」

 楽しそうに良く笑い、笑顔がとても似合う人だ。笑顔になると美人に可愛さと人懐こさがプラスされて、胸騒ぎするほど綺麗で魅力的な女性になる。同期は言うまでも無く、先輩達や上司にも人気が有り、お客さんを含めて、この人のファンは多い。そんなスターのような女性が僕のようすを見ていて、心配してくれている。

 恋焦がれた大好きな女の子に振られて落ち込み、塞ぐ気持ちに仕事は失敗続きで、一人沈んでいる僕はどう見てもしょぼくれたオタクで根暗な男の子だろう。そんな僕に笑顔で話し掛けてくれた。

「臭いですよ。僕に近付くと現場の臭いが移りますよ」

 物思いに耽っているのを、邪魔しないでくれと言う意味で僕は言った。

「構わないよ。作業場や工場の臭いは嫌いじゃないから」

 余程、慣れていないと普通の女性は鉄や鉱物油の臭いを嫌う。

「そういう憂いたのは、ちょっと母性本能を擽るかな」

『臭いなんて気にしないよ』と言わんばかりに顔を近づけて言われた。綺麗な顔を軽やかな香水が引き立てる。

 今の僕が、ぼっこりと深く抉り取られたように凹んでいるのを分かっているように、平気で話し掛けて来た事に僕は、この女性に観察されていたらしいと思った。

(いったい、いつから見られていたんだ?)

 入社式以来、殆ど接する機会は無くて実習でも同じグループになっていないし、今日まで言葉を交わした事はなかった。

「悩みが有るなら、お姉さんが聞いてあげるよ」

 ぼんやりと一人でいる僕の様子が変に見えたのだろう。焦点が定まらない一点を見詰める虚ろな瞳が影を失い、生鮮市場の魚みたいな光の無さに思われたのかも知れない。現に人生の支えを逃がして生きる意欲が薄らいだ僕は全てに集中できず、仕事は失敗続きだった。機械を操作中や組立作業中にボーとして手が停まってしまい、造ってはミスだらけでその修正や造り直しに明け暮れていた。いつも先輩や上司に叱られてばかりだ。

 それに作業事故を起こしそうで危険だった。このまま集中力を欠いていたら、近い内に回転する機械に巻き込まれて大怪我をするか、人生が終わって仕舞うだろう。

 態度や私生活にも覇気が無い。頭の中の意識と体の動きが伴わなくなり、トイレの用足しを便器ではなくて流しや洗面所でしそうになった。会社でもアパートでもズボンのファスナーを下げてから、鏡と向き合って初めてハッと気が付く始末だった。

 メリハリを感じなくなった僕は全てに投げ遣りになってしまい、遣る気が無く、仕事も、生活も、将来も、どうでもいいと思っていた。そんな無気力が周りにも分かるのだろう。

「ねぇ! 今晩いっしょにデートしない? お姉さんがゴチするから」

 僕の元気の無さを見兼ねてか、その人は僕を夕飯に誘ってくれた。兄や姉のいない僕には『お姉さん』の響きは新鮮で魅惑的だったけれど、姉の存在というのが感覚的に解らない。それは『甘えなさい』の意味なのだろうか?

(『お姉さん』に、甘えてもいいのか?)

 でも今は、とても甘えて愚痴る気分になれない。年上の美しい女性から食事に誘われても少しも嬉しくなかった。引き摺る彼女への未練な想いと、不甲斐無い結末への後悔が強過ぎて、いっしょの食事をするだけなのに、素直に誘いを受ける気分になれない。彼女以外の女性と親しくするなんて、まだ考えられなかった。

「すみません。今日は無理です。残業で遅くなります。あなたに御馳走していただく理由も無いですし……、それにまだ、誰かといっしょの食事は…… 遠慮したいです」

 僕はできるだけ丁寧に断った。それに、

(なぜ、僕を誘うわけ? 彼氏とかいないのか? ノコノコと誘いに乗って行くと、サークルの集まりのような大勢での食事会だったりしてね……)

 そういうバカを見るようなのは堪らない。勘弁してもらいたい。

「ふぅ~ん。今晩はダメなのね。また誘うわ。君がいっしょに食べてくれるまで誘うから……、いいわね!」

     *

 誘いを二度断った。二度目は、最近失恋したので誰かと食事する気持ちにはならないと告げた。一人で居たいとも言った。

「そう、失恋したんだ! だったら尚更、私といっしょにディナーするのを薦めるわ」

 さらりと、三度目も明るい笑顔で諭すように誘われるけれど、この年上の女性への不信感を払えない僕は、避ける術を迷いながら断りの言葉を捜す。

 今はまだ、粘着きに囚われる僕には、『お姉さん』のライトなフットワークが辛い。

「もしかして君は、私を警戒してるの? そりゃ、何の前振りも無くしつこく誘えば、疑うのは当たり前よね。でも、メジャーで健全な店での私と二人っきりのディナーだから、安心していいよ。私は本当に君とデートしてみたいだけなんだから」

 そして断りの言葉を見付けれないままに、僕は半ば強引に連れて行かれた。

(何かの思想的な……、宗教の勧誘かな? それとも、ネズミ講みたいな不思議商品の売り付けなのか? 落ち込んでいる人は魅力的な女性の小悪魔的誘いに弱いからな。でも……、やはり二度も断わったから意地になって僕と連れ立っているのかも。これだけ綺麗な女性だ……、きっとプライドは高いに決まっている。男からの誘いばかりで自分から誘うことは無かったのだろう。まして断わられるとは、思ってもいなかったんだな。そうに決まっている)

 『お姉さん』の自動車に乗せられて連れて行かれたビストロで、マジマジと僕を観察する嬉しくない視線を注ぐ美しい年上の女性に、チラチラと目を合わせながら思った。

「君、彼女に感謝している? 彼女に『ありがとう』と、ちゃんと言っていた? 彼女に自分の想いや行動を押し付けていなかった? 彼女にばかり『ありがとう』と言わせてなかった? ちゃんと彼女の気持ちを考えていたの?」

(最初に誘われた時は単なる気紛れに過ぎない。今は自分を敬わない臣民に崇めるように無理強いする女王様だ)

 オードブルに使うフォークを指で差し示し持ち方まで僕に教えながら、美しい人は訊いてくる。

(その本題への切り口の『ありがとう』は、自分の経験からですか?)

 考えもしなかったことを問われて、僕は戸惑った

「うん……」

(そりゃ、感謝してたさ。でも『ありがとう』は僕ばかりで、彼女は殆ど言ってないな)

 鈍い僕は、彼女の気持ちを考えていなくて、いつも、彼女の気持ちに気付かなかったのは事実だった。結果は失恋して戻せない時間に後悔ばかりしている……。

 沈むように黙ってしまった僕に気遣ったのか、社内の出来事や日常生活の様子に話題を変えてディナーは進んだ。相手の意図を探るように受け答えしていた僕は、料理の内容も味も全然記憶されていなかったけれど、ただ、食後の珈琲を飲む女性の手が印象に残った。白いコーヒーカップを持つ手の爪が滑らかにネイルケアされて、その嫌味の無い光の反射は、能登の白い砂浜にぽつりぽつりと煌く桜貝を思い出させた。

 直にラストの珈琲を飲み終え、『夜景を見に行こう』と促されるままに車に乗せられて、日本平の麓に連なる丘のような池田山の天辺まで来た。

 街灯の灯りも無い真っ暗な茶畑の中の農道に自動車を停め、年上の女性は無言でヘッドライトを消してエンジンを切る。カーオーディオから流れていた音楽も途絶えて闇と静寂が訪れ、何かが始まる期待と不安に僕は身構えて固まってしまう。そんな緊張して動けない僕を解したのは、晩秋の夜の澄み切った大気の中、目の前のフロントガラス越しに広がる銀色の光点の群がりの美しさだった。それまで、美しい夜景を見ようと意識することも、そんなデートスポットを求める事も、必要とは思っていなかった。僕は思わずフロントガラスに顔を近付けて目を見張った。

 遠くの安倍川の向こうから一直線に新幹線の光りの繋がり右手の闇に消えて行く。銀河の中に幾つか見えるブラックホールやダークマターのような黒い空間は、市街地に点在する小高い丘の風致地帯だ。左手には、会社近くに在る東名高速道路が連なって走る自動車のライトで、用宗地区の日本坂トンネルと池田山の麓を結ぶ白と赤の光りの帯のように見える。見知っているいつもの身近が違う世界に思えて、錯覚だと解っていても不思議な感じがした。

 闇に浮かぶ銀河のような静岡市街の美しさに言葉を失い、運転席に座る女性の顔を振り仰いで、ここに僕を連れて来た意図を探る。仰ぎ見たその顔は銀色の光りで仄かに白く輝いて妖艶な美しさを放ち、思わず呟くように声が出て暫し見入ってしまった。

「綺麗だ……」

 僕の呟く声が聞こえたのか、見詰められているのに気付いたのか、妖しく惑わすような美しい顔の、瞬く銀の光りで煌めく瞳がゆっくりと僕を見て、闇の中の白く冷めたような表情が僕を誘っているような気がした。

(なんなんだ? このシチュエーションは! ムードを高めて一気に奈落に突き落とすサプライズなのか? 悲観に暮れる僕を、戻って来れないくらい徹底的に、深淵の奥に落とそうとするつもりなのかも。それとも絶望に沈み嘆き慟哭する僕の暗い表情を見たいだけかも知れない)

 悲愴な不安が脳裏を過る。それでも夜景観賞の果ての妖しげな結末を期待していた。

「ねぇ、二人の出逢いから話してくれる?」

 相反する思考に揺れる僕を無視するかのように、顰めた声が落ち着いたトーンで聞こえた。

(いよいよ本題だ……。果たして僕に僅かでも立つ瀬が在るだろうか?)

 耳に残る重みを含む声は警戒して構えた僕の気持ちを崩し、ゆっくりと少しずつ場面場面を思い出させて僕を語らせた。彼女との出会いから一方的な断絶で決定的に振られるまでを、僕の視点の想いで無警戒に話す。

 初めての声を掛けた春の日、フラれた彼女とは上手く話せなくて、メル友から殆ど進展しなかったこと、騙したようにメールで告白したこと、コーラス祭の一瞬の出来事、バス事故で彼女を守れたこと、インターハイのこと、暑中見舞いのハガキを見て奥能登の浜まで会いに行ったこと、その田舎の海で彼女の冗談に殺されかけた事、相模大野で待ち合わせてバイクにタンデムして大桟橋へデートに行ったこと、そして大学の先輩の彼氏ができて、あっさりと振られたこと、それで捨てセリフ代わりに酷いメールを送るまで全てを話した。特に最後の酷いメールは大体の内容を話し、とても後悔して大いに反省して悩んでいると伝えた。

「君は本当に、その子が大好きで、大切で、愛していたんだ」

(愛して……?)

 明るく発音された軽い『アイ』に、重さの無さよりも照れ臭さと恥ずかしさに戸惑い、深さと高さと広がりを感じた。

(そうか! これが愛するってこと、……なのか?)

 大好きな、掛け替えの無い、大切で、大事な、慈しむ、愛おしい想いと心。僕は『愛』をそう理解できると、今まで大好きだけでは言い表せない変化して行く想いに躊躇い、解からなくて彼女に伝え切れていない『大好き』が、全て『愛してる』になった。

「最後のメールは、いただけないな。君は彼女に酷い事をしたね。最低だわ」

 今一番の悩みを指摘された。妖艶な唇から放たれた『酷い事』と『最低』は、覚悟していただけに強烈に響き、呪いの言霊の如く僕を凍らせた。

(そう僕は酷い奴です。最低な僕を責めて下さい)

「振られた悔しさで罵りたい気持ちは解るよ。自分を捨てた相手に極僅かでも想いの強さを知らしめて転機を得たい、それが無理なら少しでもダメージを与えて憂さを晴らしたいっていう気持ちは解るわ。私だって、そんなに愛した相手なら君と同じようにする」

(でしょう。そうでしょう。僕がそうせずにいられなかった気持ちを、解ってくれますよね)

「でもね。彼女の容姿や性格まで否定したのは余計よ。書くべきじゃなかったわ。それは君の本心じゃないでしょう? 君は彼女の顔も姿も性格も声も匂いも大好きだったのでしょう? それなのに他の男に取られまいとして、憤りに我を忘れて自分の想いまで否定してしまった。それらは、彼女のこれまでの人生そのモノなのに、彼女にはどうしょうもなくて、直ぐには改めれない事ばかりなのに。君は本当に酷くて最低ね。バカよ」

 言われるまでもなく僕はバカだったと自分を責めていた。そのバカの言葉が懐かしく聞こえて、後ろめたさと恥ずかしさが拡大して行く。本当に言われた通りだった。大好きだった彼女の容姿まで非難して、僕は七年間の想いを無かった事のようにした。そして、それを彼女に押し付けた。もう取り返しがつかない。最低だ!

「彼女がメールを読まずに削除したのなら良いけれど、読めば絶対に明るいグレーや少しダークなグレーで終わっていた君を、完全にブラックにしてしまうよ。それも暗黒の闇で悪よ。君は彼女にとって最低最悪になってしまったわ。非常に残念な結果になってしまったね」

 最低に最悪が加わった。彼女がメールを開かずに削除した事を願い祈りたい。でも、きっと彼女は僕の最低最悪メールを読んでいると思う。

(それも解る。メールを読んだならば、僕は彼女の最も憎むべき悪になっているに違いない。バッドでダークだ! 放射性物質の飛散みたいに、半径二十キロメートル圏内へは近付いて欲しくないだろう)

「まだ土下座攻めで、『僕の唯一無為、世界で一つだけの愛』アピールをし続けた方が結果は良かったかもね」

 どうにかして出逢い土下座で謝り、願いしていれば、もしかして覆す可能性が有ったのかも知れない。少なくともブラックなメモリーにはならなかっただろう。それでも引き摺る未練で同じような酷いメールを送ってしまうと思う。今となっては土下座も絶対に効果無し、悪足掻きも限界だ。多少時間を伸ばすだけで結果は同じだ。

「それにしても、良くそんな素っ気無い子に、何年も想いを寄せていたものね。ちょっと良いことも有ったみたいだけれど、呆れるわ! 違うウェットな子を好きになっていたら、もっとしっくりした付き合いをして、高校生でエッチまでしていたかもね」

 手厳しく痛い評価をされた。歯に衣着せぬ端的な物言いにたじろぎながら、確かに、普通に話せた女の子を好きになっていれば、しっぽりした高校生活になっていただろうと思う…。

「それにしても、溜めに溜めて叶った初デートのメインのランチが、饂飩屋でカツ丼とカレーうどんか……。経験豊富な私でも退いちゃうよ。初デートでなけりゃ有りだけどね」

 とうとう振られる原因になったと気にしていたことを言われてしまった。それが、彼女の気持ちを決定付けたと僕は本気で思っている。

「君は本当に無計画だったんだね。君も彼女も、けっこう親しくなっていたんでしょう? 出会い系じゃないんだから、ふつう、デートコースぐらい確認し合うわよね。初デートをお昼で終了した彼女の気持ちが分かるわ。それで午後の部は取り止めっていっても、それも何も考えてなかったんだよね。もう君は、全然女の子の気持ちが分かってないじゃん」

 続けざまの突っ込みに僕の心は折れそうだ。……いや、既に折れている。僕のとった行動や判断は、状況を話しただけで聞き手の気持ちを退かせるくらいだった。僕は恥かしさで焦り、自分の不甲斐無さをオープンに晒してしまった事を後悔して動揺した。

 拒否された現実を認めたくない思いから、直に彼女に断絶されていても不敵な不撓不屈の想いと意思を持ち、新たな打ち手でチャンスを狙えば何とか成ると考えていた。そのストーカーのような一縷の望みは絶たれて消えうせ、諦めというぜ絶望が僕の心を支配して行く。

「結果論だけどデートを中止していれば、最初で最後のデートにならなかったかもね。でも、今の君じゃ、遅かれ早かれ同じ結果になっちゃうね」

 車内の暗がりに浮ぶ妖艶な白さの美しい顔の口から、更に軽く放たれた冷ややかで言葉は、恥ずかしさと後悔で震える惨めな僕の心を、水に落とされた鉛のように揺らぎもせず一直線に悲しみの深淵に沈ませた。もう心はボキボキに根本から折れて、僕は無気力に項垂れてしまう。

 折れ残った心も引っこ抜かれそうで、藁でも、蜘蛛の糸でも、僕が救われる何かを大急ぎで探す。

「それで何をプレゼントしたの?」

 立つ瀬を失い塞ぎ込んでしまった僕を気遣ったのか、『美しいお姉さん』は饂飩屋で彼女に渡したプレゼントへ話題を変えてくる。

「……僕の作ったヨーロッパのお城のミニチュアを。僕の趣味なんだ。それとスタンガン……」

(そうだ! 救いとなる希望があった。彼女を想い、彼女の為に、彼女を気遣ったプレゼントをしたんだ)

全く希望的な観測だ。厳ついスタンガンは缶コーヒーくらいの大きさと重さだ。そして、無造作にバックへ入れてると、何かの弾みでスイッチが入って自分に放電してしまうかも知れない危険な物だ。真っ先に持ち歩き物のリストから外されるだろう。それに使うような危機的状況に遭遇するのは稀で、感謝される確率は非常に小さいし、電撃を放っても逃れれるとは限らない。奪われて逆に電撃されるなど更に酷い事をされたら、きっと僕は恨まれる。電撃を喰らわせて撃退しても僕が感謝

「ダメね。それじゃあ、君は女の子のハートは掴めないよ。まぁ、スタンガンはいいか。彼女が捨てないで、持ち歩いてくれればいいんだけどね。でもミニチュアはダメ!」

 あっさりとダメ出しされた。

(……ちょっと重いけれどスタンガンは、護身用アイテムだからな。役に立つさ)

「でもねぇ、君の彼女への想いは解かるけれど、ふつうスタンガンはプレゼントしないよ」

 僕は、彼女がスタンガンを受け取ってくれたことを嬉しく思っていた。有ってはならないのだけど、スタンガンが彼女を救う事になれば感謝するだろう。そうなれば渡した僕に思いを馳せて連絡してくれるだろうと考えていた。

(使う気満々の彼女は、スタンガンを面白がって放電させてけれど、普通は恐がるよな……)

 それなりの評価のスタンガンはさておき、僕は自信作のミニチュアを弁護する。

「マイナーな小さなお城をモデルにして作ったんだ。彼女の気に入るように……、そして、僕を思い出してもらう為の……、オブジェのつもりだったんだけど……」

 既製品なら退かれるだろう。でも、僕の手造りの逸品で自信作だった。末序列の領主貴族の小さな出城的な城館をイメージして制作したミニチュアで、受け取る彼女の気持ちに配慮して暗い印象を与えないよう、明るい黄色をベースにしたカラーリングにカラフルな流旗を林立させて、ショートケーキみたいにキュートな感じにした。

 拘りのイメージと配慮に僕の想いを込めた手造りだから、必ず僕の気持ちが伝わるはずだと思って渡していた。だけど今、冷静に考えるとミニチュアごときで上手く伝わるはずは無く『お姉さん』の言う通り、彼女には鬱陶しいだけだったと思う。僕の何も確信の無い配慮は虚しく、その拘った作品イメージは空回りするマスターベーションに過ぎなかった。

「プレゼントセンス、全然無し! 如何にも真っ先に捨てられそうなプレゼントだねぇ。君は著名な芸術家じゃないんだから、将来、作品にプレミア付かないしねー」

 確かにその通りだ。僕の作品は土産物の価値も無い。それでもと、遠くの信号機の点滅が僕の納得できない気持ちを後押しする。

「むっ! だけどね。中学の時には賞を取って展示された僕の美術作品に、彼女は見入っていたんだぞ。だから……」

 ミニチュアの城館は彼女の机や本棚に置かれ、時折り何気に目に触れて一瞬だけでも僕を思い出して欲しいと考えていた。

「全然ダメ! そんな机や本棚の隅で埃を被るだけの物を貰って、彼女が喜ぶとでも思ったの? 年頃の女の子が何に興味があって憧れるのか、雑誌やインターネットや周りの女の子達を見て勉強しなさい。君を意識して想って貰いたかったら、いつも身に付けて使う物にしないとね。ピアスとか、バレッタとか。スカーフやハンカチもいいし、ソックスでもいいね。あっ、メガネなんてベターだね。……いやいや、メガネやソックスはマニアックだわ」

(この人も『全然』を良く使う。しかも連チャンで。……そう、僕は全然ダメな奴です)

 言われて初めて気が付いた。僕は自分を印象付けたいだけの、僕の向きからだけでしか考えていなかった。僕は鈍い自分を呪う。

(僕にメガネ属性は無いし、だいたい僕一人で選べないじゃん?)。

「それより、自分のファッションセンスをどうにかしないとね」

 ファッションがイケてる、イケてないとか何がどう違うのか良くわからない。

「大丈夫! 私が君のファッション感性を変えてあげるわ」

(うっ、なぜ、そこまで? それは、けっこう余計な事かも)

「う~ん、別に、僕のセンスを変えてくれなくてもいいですよ。今日のような機会は、今後は無いでしょうから。それに今のままで困っていません。会社とアパートの往復は、帰りにスーパーやコンビニで買い物するくらいだから会社の制服です。制服と言っても作業服だけど……。部屋じゃスウェットで十分です。免許が無いから自動車を持ってなくて、休みの日も外出はバイクを乗り回すだけで、だから服装なんて気にしたことも……、あまり考えた事も、興味も無くて……。それに、あんまり服を持っていません」

 今、着ているのはファンシーケースの中で一番上等のセンスも良さげな服だ。それで感性まで指摘されたのが悲しい。

「バーカ、そんなのだから、呆れられるのよ。愛想も尽きるわよ」

 僕のファッションセンスの無さを叱られながら僕は比べていた。彼女が可愛くて綺麗なら、この人は綺麗で可愛い。

(あれ? う~ん、分かり辛いな。彼女がアイドルっぽいなら、『綺麗なお姉さん』は女優系だろう)

 デートの終わりは、自己主張と自由さの個性だと異議を唱える僕の努力も空しく、どうしてもファッションセンスを変えさすと言い張る、『お姉さん』の一方的な強引さに押し切られて渋々『ご指導、ご鞭撻を御願いします』と、言わされた。

「さあ、もう晩いわ。帰りましょう。君を送るから住所を教えて」

 ちょっとだけ嬉しさを感じた『送る』の言葉に、通勤の足のバイクは会社に有るのにと思いながらも、GPSロードナビゲーションに打ち込む住所を『お姉さん』に伝え終わる頃には、朝の運動がてらに歩くかと有り難く送られるのを受け入れていた。

「ふう~ん、いずみ荘ね。これ、アパートなの?」

 頷く僕を見る『お姉さん』は、クシュっとブレーキペダルを踏みながらサイドブレーキを解除すると、トランスミッションのモードセレクトレバーをパーキングの位置からドライブへカコカコっと移してロックした。そんな暗い車内でする『お姉さん』の手馴れた操作がとてもクールに見えて、僕も自動車運転免許を取ってみようかと思ってしまう。

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 自動車がいずみ荘の前に着く頃には、僕は服のセンスを変えさせられるのも受け入れて、すっかりその気になっていた。

 ドアノブに手を掛ける前に、僕は向き直り深く頭を下げてお礼を言う。

「今日は、ありがとうございました。御馳走様でした。話が出来て良かったです。すっきりしました。明日から元の自分に戻れそうです。これからもご指導下さい」

 期待した妖しい結末はなかったけれど、女性と二人だけのディナー、人気の無い真っ暗な場所に連れて行かれて二人で見る夜景、そして悩みを深く吐露した。全て初めての事だった。

「お役に立てて良かったわ。また悩んだら、いつでも、お姉さんに相談しなさい。私はあなたの味方よ」

 どこまで味方だろうと思いながら、はっきり味方だと言ってくれたことが嬉しかった。

「ごめんね。バイク、会社に置きっぱなしにさせちゃって。ちゃんと明日の朝、お姉さんは迎えに来るからね」

(えっ、今、なんて言われた?『お姉さん』が迎えに来る? なんで?)

「あ、朝、迎えに来てくれるんですか? どうして? 会社まで二キロメートルほどですから、歩いて出勤しますよ」

 僕の問いに、『お姉さん』はニッコリ笑う。

「だって、バイクは会社でしょう。連れ回したのは私だし、君のアパートまで来ちゃったし」

 言葉は語尾までユーモア溢れて優しいけれどズレている。それはホスト都合でゲストの意向を訊かれてもいない。

「なら、今から僕を会社まで乗せてって下さい。会社からバイクで帰ります」

 今夜の翌朝は連続して近過ぎで、今後の『お姉さん』への対応と、今夜の出来事の反芻と、『お姉さん』に諭された事を考え直す時間が無い。

「ダメ! いやよ! ここで降りなさい」

 語気を強めた何処かで聞いた言い方に、デジャビュを感じた。

(あっれぇー? なにその一方的な決め付けは? 僕の道理は無視しちゃうんだ。朝の迎えなんて、頼んでないし、そこまでされる覚えもないし、意味がわからん!)

 などと、思うところは有っても、それは口にしない。

「……はい……」

 彼女との経験から、これ以上逆らわない方が良いと思う。悪意が無いのに強く拒む理由は無かった。リードされている内は自然体で受けいれて、任せていた方が齟齬は発生しない。

「じゃ、また明日、おやすみバイバイ」

 自動車から降りた僕に『お姉さん』は、小さく手を振って言った。

「おやすみなさい……」

(なんて屈託の無い、明るく爽やかな女性なのだろう。それに綺麗だ……)

 走り去って行く自動車のテールライトを手を振りながら見詰め、これから近しくなれたらと僕は思う。胸の中の彼女の広がりが、少し粗密になって小さくなった気がした。小さくなった分だけ濃密なモノが入り込んだようで、俄かに心がざわついた。

     *

「もう少しだけど、ここで降りて歩きで出勤しれくれる? 私といっしょにいるのを見られたら、いろいろ面倒でしょう?」

 そう言って、翌朝は迎えに来たのに会社から一区画隔てた路地裏で自動車を停めた。

(うっ! ここで降りなくちゃならないんですか? 一区画といっても家電メーカーの大きな工場区画で、まだ何百メートルもあるのに……)

 そう思いながらも、僕は『お姉さん』の指示に従う。

「はい……」

 降り掛けにフロントパネルの上に置かれた『お姉さん』の携帯電話が、メロディーを奏でて振動し受信を知らせた。携帯電話を手に取った『お姉さん』は、画面に表示された相手を確認し、アイコンタクトと手振りで『早く降りて』と僕を促しながら電話に出る。

「会社や寮へ電話しないでよ、お母さん。そう言ってあったでしょう。掛けるなら私の携帯電話にしてよ。わかったぁ? 今度、会社へ電話したら、当分、家に帰らないわよ」

 ドアを閉めようとした時、いきなり凄い剣幕で話す、『お姉さん』の怒鳴るような声が聞こえた。振り返ると眉を吊り上げ、眉間に皺を寄せ、口を尖らせて嫌そうに顔を歪ます『綺麗なお姉さん』がいた。間近に僕がいるのにお構いなしだ。

 そんな優しくない顔の『お姉さん』も綺麗だと思った。

 『お姉さん』は母親と口論してように聞こえた。余裕で今を生きていると思えていた『お姉さん』のも、何か家庭的な問題が有るのだろうか?

「そんな事……、お母さんとお父さんでやってよ。私がいなくてもできる事じゃない。私は納得して承諾したわ。もう覚悟を決めたのよ。これ以上、私を縛り付けないで! お願いだから……」

 ドアを閉め切る前に『お姉さん』の早口が耳に届く。聞いてしまった内容から何かに抗っているように思えた。それにしても一方的でキツイ話し方だった。昨夜は僕を諭してくれたのに……、何か納得できない。

(『お姉さん』の母親も、同じような口調で話していたのだろうか? いったいどんな家庭なんだ?)

     *

 間も無く日付が変わろうとする頃、ドアチャイムが立て続けで鳴り響き、ノートパソコンで海外のエロサイトをネットサーフィンしていた僕は、イスから転げ落ちるくらいにびっくりして慌てた。急いで開いていた幾つものウインドーを画面の下隅へ隠して、恐る恐る忍び足で近寄りドアスコープのカバーをそっと外して覗いた。

 再びチャイムが連弾する。借りている四畳半相当の広さの部屋は防音施工だけど、簡易遮音でしかない。だから無音にはならずに小さな音で、隣の住人には聞こえているだろう。

(早く対処しなければ……! 些細な事で近隣住民とトラブルのは御免だ)

 まだ、ここ静岡で深夜に訪ねて来るほどの親しい友人はできていない。それに会社の総務部と区役所しか僕の住所を知らないはずだ。そして、まだ上司や先輩達には僕の住まいの詳しい場所を教えていなかった。

 いずみ荘の半分は近くのレストラン北欧に働く人達の寮にもなっている。彼らは賄いの残りで深夜パーティーをしていて、時々、この時刻に差し入れを頂いていた。有り難く感謝の心で頂き、一度も断った事が無い。来るといつもドアを静かにノックして、一度たりもチャイムを鳴らした事は無かった。それに『居るか?』とか、『食うか?』と、必ず声を掛けて来た。でもドア向こうのストレンジャーは、ノックもせず無言でチャイムを連チャンで鳴らし続けている。

(誰だぁ……?)

 部屋の灯りが点いて、部屋を暖めるエアコンの室外機も回っている。僕が居るのを分かっていての深夜の訪問だ。僕は故意犯的な訪問者に警戒心を強め身構える。

(怪しい……、不測の事態だ!  これは招かざる客かも知れなくて、ドアを開けた途端に僕は被害者になる、……かも)

 ドアスコープのレンズの向こうに湾曲して見えたのは髪の毛だった。俯き加減の人の頭……。しかも女性の髪のように思える。またチャイムが短く十六ビートを奏でた。ストレンジャーは俯いたままチャイムを押していた。真夜中に訪ねて来て僕を刺す……、ではなくて危害を加えるような女性を知らない。被害者になる心当たりが無いと分かると警戒心は薄れ、広がる安心と余裕が急速に僕の緊張を溶かして行く。緊張から開放された気持ちが僕に夢を見させる。

 女性かもと思えた事で一瞬、相模原から彼女が来てくれたのかと根拠の無い期待を抱いた。

(もしかして……)

 その淡い期待は抱いた時と同じように一瞬で消える。彼女は僕の住所を知らない……、僕は彼女に住所を知らせていないのを思い出した。

(そうだ、僕達は、互いの基本的な個人情報すら交換していないのに、近付こうとしていたんだ。いつでも、身近にいる気がしていただけで……、ふっ、本当に何も分かっちゃいなかったなぁ……)

 それに彼女が、こんな前フリをすっ飛ばしたサプライズをするとは考えられない。だから相模原じゃない!

 僕は次の、たぶん三十二ビートを打たれるだろうチャイムを聞く前に、防犯チェーンは掛けたままで静かに内ロックを開錠して、ゆっくりとドアを少しだけ開けて見る。

 ドアを開けると、あの人……、『お姉さん』が立っていた。

(なぜ、この人がここに……? これは……、もしかして御指導、御鞭撻に来たのか? 確かに、そうお願いさせられたけれど、……どうして、わざわざこの時刻に? それとも、そんな気持ちは更々無くて、僕を弄んで更に落ち込まそうとしているんですか? いやいや、そうじゃなくてストレートに僕をびっくりさせる為だけに来たわけ?)

 瞬間、そう考えた僕は素早く視界に入る全ての事物を隈無く見回して聞き耳を立てる。だけど、深夜のアパートとご近所さんは静寂に包まれて、『お姉さん』以外に動いたり、潜んだりするモノの気配は感じ無かった。そして、表情から真意を探ろうと『お姉さん』を見た。

(既に深夜で、皆さんが就寝している時刻だし、ネットサーフィンの続きもしたいから、ここはやって来た理由を訊くだけ聞いて、速やかに追い返してしまおう)

「今晩は……。来ちゃった。部屋に入れてくれる……?」

『お姉さん』は俯いていた顔を上げ、僕を上目遣いに見て恥ずかしそうに言った。瞳が冷える夜風の所為なのか、ウルウルと涙目だ。

(ああっ、こっ、これは! はっ、反則だ……)

 ミッドナイトのストレンジャーが綺麗な女性で、しかも涙目の上目遣いだなんて……、

『ドクン!』僕の心臓は目に見えない力強い手に鷲掴みで搾られたように大きく打った。

「今夜は冷えるね。寒いよ」

 涙目に寒いと訴える『お姉さん』に、

「……あっ、ごっ、ごめん。はっ、入って下さい」

 僕は後先も考えずに暖められている中へ誘う。直ぐに防犯チェーンを外して、内側に開くドアを全開にした。

(あっちゃー、誘っちゃったよ! げげっ、『部屋へどうぞ』なんて言ってどうすんだ。僕からのモーションで仕切り直すつもりかよ。追い返すんじゃなかったのかよ……。あーあ、帰ってくれるまで、エロエロと観れなくなったじゃんか)

 初めてのシチュエーションに、招かざるか、招くべきか、戸惑いと躊躇いと期待が交差する。

「君と話がしたくなっちゃった……」

 取り繕う言葉と態度を全力で模索する僕へ向けられた言葉と声色が官能的に聞こえ、後ろ手に手を組んで僕を見上げる四歳年上の『お姉さん』が可愛く見えてしまう。

(これから、ミッドナイトドライブへじゃなくて、僕の部屋で……、ですか?)

 部屋に上がるように促すと同時に、僕は急いでノートパソコンをシャットダウンした。立ち上がっていたエロサイトに気付かれるのを未然に防ぎ、ほっとして振り返ると、『お姉さん』は半畳しかない狭い玄関で、ブーツのファスナーを下ろして脱ごうとしていた。

 タイトな黒レザーのミニスカートから、すらりと伸びた光沢の有るストッキングに包まれた脚、その形の良い脚をぴったりと張り付くように包む黒い薄皮のロングブーツ、その艶めかしく扇情的で欲情的な光景に僕は見入ってしまい、ストレンジャーで中断されたエロサイトの興奮が再び湧き出す。

(おおおおーっ、どっ、どうして、そんなセクシーなファッションで来るかな~? ミッドナイトにサプライズ?)

 悩ましく光る『お姉さん』の脹脛を下半身が頑張りそうな勢いで見ていて、ハッと気付いた。

(どうやって、この人はここまで来たんだろう? この人の足は自動車しかないはずだ)

 このアパートに駐車スペースは無い。V-MAXは、路肩の側溝に僕が厚い板で蓋をしてその上に停めている。僕の部屋は二階の端っこの部屋だから、直ぐに道路側の窓を開けて下を見る。

(あっ、ヤバイしマズイ!)

 案の定、路駐していた。しかもアパートの敷地に入る短い階段の真ん前に停めて、やっと人一人が通れるくらいの隙間しか残していない。

「ここに停めちゃ、ダメです。まだ帰って来る住人もいますから、トラブっちゃいます。直ぐに自動車を移してもらっていいですか?」

 --------------------

 一車線しかない狭いアパート前の町道と、いずみ荘へのアプローチを塞ぐ形で停めていた訪問客の自動車は、日本平パークウェイに通じる表通りのレストラン北欧に御願いして、翌日の開店時間まで裏手の従業員駐車場に停めさせて貰う。

『明日まで、御願いします』

 車出しする時刻を尋ねられて、いっしょに頼みに来た『お姉さん』は『一時間ほど』じゃなくて、そう言った。しかも『明日の朝まで』ではなく、『明日まで』だ。普通の明日は晩御飯を食べて風呂に入る頃までで、時間は長い。

 ちょっと間を置いて、閉店後の片付けを終えたばかりのシンと静まり返っていた店内に口笛が鳴り、間髪をを入れず鍋や釜を叩く音が響き渡った。僕の部屋に何かしのセールス以外に若い女性が訪ねて来たのは初めてで、しかも日付の変わる真夜中に、そして訪問客の『お姉さん』が自ら朝を通り越して、『明日まで』いると言い放てば騒がずにいられない。僕もいっしょに騒ぎたいほどのビックリで嬉しい。

(えっ、ええーっ。おっ、お姉さん、ほっ、本気ですか?)

『おめでとう!』、『良かったじゃん』、後からスーシェフだろう人に、ぐいっと肩を掴まれて言われた。そう言われると嬉しいけれど、この後、『お姉さん』の取る展開が読めないので不安だ。

『やっ、やるのか?』、横から若いコックさんが、僕の二の腕を殴りながら露骨な言葉を小声で言って、『なっ、ナニを、……ですか?』と、問い返す前にポケットへ何かを捩じり込まれた。

『そのうち、夜の街へ連れてって、遊びを教えてやろうって、みんなで言ってたんだけど、必要なかったな。おまえ、やるじゃんか。グッドラックじゃん』ポンポンと肩を叩かれながら添えられた言葉に、急いで手を入れて掴んで見るとコンドームだった。

(ス……、ストレートですね……)

 嬉しいような、恥ずかしいような、ちゃんとしたキスも未経験な童貞の僕は、着け方を知らず戸惑ってしまう。

『あとで、差し入れ持ってくから紹介してくれ』と、ベテランのウエイターらしき人からラップで包まれた軟らかなナチュラルチーズと、ワインのフルボトルを渡された。

 住人のみなさんの顔を知っているけど名前は知らない。この人達の盛り上がりと普段の様子から、今晩は僕の部屋で宴会になりそうな感じだ。

(いやいや、それは勘弁して下さい)

『こんな綺麗でセクシーなレディがお泊りだってぇ? めちゃくちゃ羨ましーぞ!』って、初めて会う年配のマネージャー格らしい人が、本当に羨ましそうに言う。

(確かに! 僕もそう思いますけど、なにぶん突然の事なので非常に驚いてます。一つ組みしかない蒲団は『お姉さん』に使ってもらうつもりです)

 でも、本当に『お姉さん』は本気なのだろうか? いや、マジに僕はどうなるんだろう?

 やんやの囃し立てを胸を張って……、いや踏ん反り返るように受け、この人は満面の笑顔で頷き返していた。若手や海千山千だろうと思われる中堅のコックやウエイター達まで印象良くあしらう様に、どれだけ経験豊富な『お姉さん』だよと思ってしまう。

 レザーファッションの『お姉さん』は、鼻の奥がツンとするくらいセクシーで、男達に囲まれているようすは、けっこうエロく見えた。

(なに自慢げなんだよ、この人は! ここは恥ずかしがるところだろう?)

「ありがとうございます」

 駐車スペースを確保できたお礼を言い、僕は愛想を振り撒く『お姉さん』の手を取り、囃しや呪いの言葉を浴びせられながら、逃げるように部屋に戻った。

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 部屋に戻ると『お姉さん』は、さっさと造り付けの小さな台所に立ち、

「私がするわ。お皿とグラスを出してくれる? フォークや箸もね」

 シンク横に置かれた包丁を取りながら、食器の用意を僕に指示する『お姉さん』の声と立ち姿が普通に家庭的で、僕の心臓がドッキンと大きく一拍して、昨日も、一昨日も、その前からも、いつも『お姉さん』がここでしていたような気がした。

 頂戴したチーズを手際よくキャラメル大に切り分けて、一枚しかない平皿へ綺麗に盛り付けると、『お姉さん』はショルダーバックから折り畳みナイフを取り出した。たぶん、ソムリエナイフだと思う? そのソムリエナイフを使いワインのコルクを器用に抜いた。

(なんか仕草がカッコイイぞ! そのロゼ色の柄のナイフ…、いつも持ち歩いているのだろうか?)

 僕がコルクを抜く手際を感心しながら怪訝そうな顔をしていたのか、

「これソムリエナイフだよ。ワイン好きだしぃ、いつもバックに入ってんの。フランスのライヨールのメーカーもの。使うのにちょっとコツがいるけれど、この赤いグリップがキュンとくるよねぇ。かわいいでしょー」

 マニアックな説明をされた。その赤いの柄のナイフはキュートと形容すべきなのか迷うけれど、見ただけで高価な拘りの逸品って感じだ。まだ、僕が不思議混じりの興味津々顔でブランド物のショルダーバックを見ていると、

「ふふん、バックの中身が気になるぅ? 他にもいろいろ入っているわよ。化粧用品に生理用品、替えのストッキングにハンカチとポケットティシュ、財布に携帯電話に筆記用具と電卓、それに、ちっちゃくて薄いノートパソコンも。あと、催涙スプレーと、先日話しに出たスタンガンも有るよ」

 さらっと、スタンガンと催涙ガスまで入れている物騒な中身を教えてくれた。そんなのとノートパソコンまで入っていたら重くて肩が凝りそうだ。

 貰った赤ワインも上等な物らしく、嬉しそうに鼻歌交じりで『お姉さん』は食器ケースから取り出した二つのコップへ注ぐ。

「へーっ、いいコップを持ってるじゃない。ほら見て、ワインの綺麗な紅色!」

 ボトル口を僅かに回しながら持ち上げて雫を切る、その様が堂に入っている。

 部屋で日常的に酒を嗜む事をしない僕は、ワイングラスのようなラグジュアリー品を持っていない。ソムリエナイフを使って難無くコルク栓を抜き、ワインを静かに注ぐそつが無い仕草から、ワインを飲み熟しているであろう『お姉さん』へ、僕はワイングラスの揃えが無い事を詫びた。

「別にぃ、ワイングラスじゃなくてもいいのよ。コップでも十分、香りと風味を味わえるわよ。だから気にしないで」

 ワインを注いだコップを天井の白い面発光照明に翳して、コップの質と上物ワインの透ける色合いに楽しそうだ。

 使用の特化されるワイングラスは持っていないけれど、普通に使うコップは普通に美味しく飲みたいから、それなりに良い物を使っている。と言っても、友達が遊びに来た時の事も考えてと半ダースも親から持たされた物だ。

 彫りや色付けの無いシンプルな湾曲ロングボディに、滑らかなでしっとりした持ち感と透明度の高い綺麗なガラス、そして飲み易い縁の薄い厚みが、僕は凄く気に入っている。

「あっ、このワイン、好きな銘柄よ。口の中に広がる香りがいいんだよね。癖の無い辛口で後の切れがすっきりなんだ」

 半分ほどワインが入ったコップを僕に渡しながら、カチンと『お姉さん』は笑顔でコップを当てる。

「楽しくて素敵な今夜に、乾杯!」

(素敵な夜……? この展開は『お姉さん』の読み通りなのか? 乾杯しても問題無いのだろうか?)

「……乾杯!」

 何もかもが初めてで、更に初めてが続きそうな夜。不安に期待が混じり、警戒と願望が交差する。来訪目的の話す内容が不明のまま、乾杯する状況がデンジャラスなのか、ハッピーなのか分らない。

 先ずコップを鼻に近付けて香りを嗅ぐ、そして、もう一度、今度はコップを揺らせて香りを嗅いだ。可愛い鼻を小さく動かせながらコップに口を付け、『お姉さん』はワインを一口含む。見ていると、どうも直ぐに飲み込まずに口の中で味と香りを確かめているようだ。

 口を一文字に結び頬に笑窪を作る表情が、悪さを企む悪戯っ子の顔のようで可笑しい。

「うん、やっぱり、このワインは美味しい」

 そう言って、目許を緩ませ僕を見る。

(同意を求められたのだろうか?)

 見られた僕は、グイッと飲み込んだ後味の悪さに閉口していた。

(……これって、美味いのか?)

 何度か深夜パーティーに参加して、それなりに飲酒には慣れてきていたけれど、酒類の良し悪しは、一月間に数回程度の参加じゃ分からない。参加すると控えめに食べて、注がれるままに飲み、飲むままに酔う。酔っぱらうと味など分からなくなるし、参加したパーティーの半分ぐらいは、何を食べて、何を飲んで、何を話していたのか、憶え出せなかった。

 深夜パーティーで飲む酒はいろいろだ。焼酎にウイスキーにブランディー、テキーラやラムにウオッカ、中国の白酒まで有って、リキュールやシロップにジンジャールとシェイクやステアしたカクテルまで作って、口数の少ないバーテンダーの方がボソッとカクテル名だけ告げて僕の前に置いてくれていた。でも、大抵は日本酒とビールばかりを好んで飲んでいる。どれも深夜パーティーで初めて飲んで、風味と酔い加減を知った。

 ワインは甘い貴腐ワインやアイスワインしか好まなくて、ルージュも、ブランも、ロゼも、全くのワイン初心者の僕には、渋いばかりでちっとも美味しく無い!

(この渋みが、辛口なのだろうか?)

「うわっ、チーズも美味しー! どこの銘柄なんだろ? このワインに合うよね」

 僕の返答を待たずパクついたチーズに顔を綻ばせる。確かに頂いたナチュラルチーズは旨く、上等な旨みの後味が更に食欲をそそった。ラップに包まれていただけのチーズは、近所のスーパーでも買える物なのか、銘柄を知る手掛かりは無かった。きっと、呉服町のデパートまで行けば買えると思う。試食ができればいいのだけど……。

 名も知れないチーズについて僕があれこれ夢想している内に、口に入れた二切れ目のチーズをワインで飲み込んでから、『お姉さん』はじっと僕を見据えて言った。

「さあ、飲みながらあなたの家……、家族の事を聞かせて」

 ショルダーバックの中身で『私に、おイタしたら危ないわよ』と釘を刺しながら、僕の家庭事情を聞きたいと言ってきた。

(おイタがダメ……? それなら、どうして、こんな真夜中に来るかなぁ? そんな、そそるファッションで、しかも、良く知らない男の部屋への初訪問だ)

 僕はツッコミを入れたい気持ちを抑えて、翌朝の勝手に元気になる下半身を、どう繕って隠そうかと考えながら、『お姉さん』の質問が不思議に思えた。

(なぜ、僕の家庭事情を知りたいのだろう?)

 話といっても、セオリーな質問形式に僕や僕の家族の事を一方的に訊いてくるだけで、時折り話が途切れても『お姉さん』は自分の事は一つも語らなかった。自分の事を語らないのは、そういう話し方なのか、訳有りなのか分からないけれど、僕は何か言いたくない理由が有るのだろうと思い、敢えて訊きも詮索もしなかった。

 後々、不都合や問題が発覚しても『訊かなかったから』とか、シレっと言うのだろうと思った。

(そうなった場合は、どんな不利な事でも受け入れていくしかないか……。訊いていない僕の不手際だし……)

 相模原の彼女との付き合いの所為か、僕は変に熟れてしまっている。

 途中、いつものより控えめなノックが有り本当に差し入れが届いた。

『なんだ、まだ裸じゃないのか?』パーティーセットのような豪勢な差し入れを渡しながら冷やかす。冷えたシャンパンと黒ビールまで並べられて、まるで御祝い事だ。みんなが覗いていて住人以外も混ざっている気がする。たぶん、いつも真夜中にコックさんらの部屋へ遊びに来る別の店の人達だ。隣の住人もいて手を振っていた。お隣りさんはレストラン北欧の従業員じゃないけれど、時々コックさんらの深夜パーティーに参加しているみたいだ。

 そんな冷やかしを受け流し『お姉さん』は一人ひとりに笑顔で挨拶している。

『今、俺らが風呂使ってるけど、深夜でも構わないから使えよ』これは俺らが寝ていても構わずに風呂やシャワーを使えという意味だ。連中は絶対聞き耳を立てているに決まってる。

「あら、そう言えば、この部屋にお風呂もシャワーも無いのね?」

 会話を聞こえたのか、背後からそんな問いが来た。

(四畳半しかない部屋だ、当然耳に入るか……、って言うか、今からシャワー使うんですか?)

「そう、このいずみ荘は古い造りで、風呂とトイレは共同なんだ。時間制限が有るけど……」

 水周りは小さなキッチンが部屋に造り付けであるけれど、その分、押入れは無かった。部屋の三分の一がロフト式のベッドになっていて、パソコンディスクはその下のスペースに置いて在った。そんな隠れ家の穴蔵みたいのが気に入って借りている。

「洗濯は、全自動洗濯乾燥タイプが二台有って、コインランドリー式。共同ベランダで天日干しも可だね」

 大家は部屋をトレンディなデザインにしたり、部屋全体を吸音材や断熱材で覆い、窓はペアガラスにして、床もコルクフローリングに改修していた。だけど、いずみ荘全体を建て替える気が無いらしい。ドアまでIDカード仕様のオートロックにしているのに!

「各部屋にトイレとお風呂が無くて、共同なのは会社と同じじゃないの。いずみ荘の共用風呂は銭湯に行くみたいで楽しそうだし、トイレも私は気にせず使えるから問題ないよ。ここの人達、みんな楽しいねー。気に入っちゃったわ!」

『お姉さん』は深夜の遣り取りに全く気落ちしていない。

(…だけど、ふつう、目的が違う住居用賃貸物件と、オフィスの環境を比べないだろう?)

 嫌な顔をするどころか楽しんでいる。表情は嬉々として明るく、体力は旺盛で元気溌剌、気持ちは頑健でアクティブ、『お姉さん』はタフネスだった。

「だよねー」

 住人達から相槌を入れられて、もうアイドルだ。

「うん!」

 愛想良く頷き合っている。

『朝飯の分も入いってるからな』見ると差し入れは二段重ねで下の段にハムエッグにサラダ、それにサンドイッチまで入っていた。その心遣いに感動させられる。感謝感激だ!

『んじゃ、おやすみ! エッチがんばれよ』年長のコックさんに励まされる。

(ううむ。なんてストレートなんだ……)

状況次第で頑張る事になるかもと、そして夜は長いし明日は休みだと思う。でも頑張り方を僕は知らない。

「すみません、気い遣わせちゃって。ありがとうございます」

 御礼を済ませドアを閉めると、いつもは気にもしないオートでガチャリと鍵が掛かる音を意識する。『お姉さん』と二人っきりの空間で、『お姉さん』と二人だけの時間が始まった。

「君は、ここの人達と中が良いんだね」

 閉店後のレストランでの遣り取りや差し入れを持って来てくれた住人達との会話と態度、それに渡された豪勢な品から、そんな風に見えたのだろう、『お姉さん』は僕以上に嬉しそうだ。

「そっ、そうかな? 普段は挨拶と短い愛想話しをするくらいで、無理矢理、深夜パーティーに混じらされたりするけど、……今夜は特別ですよ」

 本当に今夜は特別だ。まだ、ここに越して来て半年余りだけれど、深夜に女性の声を聞いた事が無い。レストラン北欧の男子寮規則の罰則が厳しいのか、ウエイトレスさんなどの女性従業員の方々は、深夜パーティーに参加していないようだった。それにコックさん達は意外と真面目で紳士だ。

 普通、この時間帯に独身女性は男所帯へ遊びに来ないだろう。来るとしたら訳有りに決まっている。と思う。

「えーっ、私が来ただけで、こんなに特別なのぉー。ここは、とってもいい人ばかりで幸せかも」

(だから、『お姉さん』は特別で、物怖じせずに明るく溶け込む態度と物言いは、みなさんに歓待されて当然だな)

 僅か数日で、この展開だ。嬉しそうな『お姉さん』に僕も嬉しい。

「ところで、ここの人達は男ばかりなの? 女の人は住んでいないかな? 女の子が住めばモテまくりになりそう。私もここに越そうかしら、空き部屋は有る?」

 嬉しさで無警戒に僕は『お姉さん』の問いに答えてしまった。

『見掛けていないから、居ないんじゃないかな』とか、『まだ住んで日が浅いから、知らないです』と、無難に知らばっくれればいいに、気が緩むと僕はいつも無神経になる。

「空き部屋が有るのか分らないけど、女性の方も住んで居ますよ。二階の、階段を上がった直ぐの部屋です。その部屋に一人で暮らしていて、見た目は僕と同い歳か近いと思いました。 出逢っても挨拶するくらいです」

 その人は、少し小柄だけど普通にスタイルが良くて、いつもデニムのミニスカートを着ている。内気な感じの人で見掛ける時はいつも俯き加減で、顔を起こしているのを見た事が無い。挨拶の時も俯いたままだ。きっと、髪を上げれば可愛い顔になると思う。僕は一度、風に吹かれて長い髪が舞う綺麗な横顔を見ている。色白の肌が綺麗だった。でも、擦れっ気全く無しで彼氏は居無さそう。艶っぽさも色っぽさも無し。

「前髪が長くて顔が良く見えない女の子で、無口で声も小さいし、返される挨拶も聞き取り難いんだ。住人達と話しているところを見ていないですし、知る限りでは、モテモテじゃないと思います」

 ウィークデーは朝から出掛けて行くから昼間は居ないみたいで、夜は毎晩、部屋の灯りが点いているから引き籠り系じゃなさそうだった。大学生らしくないし、あんなに無口でいったい何の仕事をしているのだろう? そんな住人の女性のようすを思い浮かべていると、

「けっこう良く見ているじゃない。私の事も観察してくれていたぁ?」

 その言葉にハッとして視線を向けると、『お姉さん』は伏せ目で手に持った差し入れの料理を見ている。何か僕は詳しく感じられるような説明的な事を言っただろうか? それとも、思い出していた顔がニヤケてスケべそうに見えたのだろうか?

 僕は『お姉さん』の質問に答えず、『お姉さん』からも次の言葉が来ない。手足が強張るのを感じて緊張と沈黙の始まりを意識した。

 綺麗でセクシーな『お姉さん』と、翌朝まで二人っきりになるかも知れない深夜に、僕は相模原のトラウマで動揺している。これからの二人の関係に期待して『お姉さん』に帰られたくない僕がいた。

 そんな緊張に無言で固まる僕に気付いたのか、『お姉さん』が時間を動かしてくれる。

「とても美味しそう! この時間に食べたら確実に太っちゃうけど、まっ、いいよねぇ。さぁ、食べよっか」

 差し入れを小さなテーブルに二人で広げながら再会された話題は、自営する親父の仕事と僕の将来への展望になった。

「ふう~ん。いずれ君はお父さんの工場……、 いえ、会社を継ぐことになるんだ。確実に次期社長だね」

 会社の業績が良い限り、親父の仕事や立場などを僕が引き継ぐ可能性も十分有るけれど、それはずっと後の事だと思う。たぶん、イレギュラーが無ければ十年や二十年以内じゃない。

 僕の意識では会社よりも工場だ。親父も工場と呼び、会社と言ったのを聞いたことは無かった。工場の四角い建物は白いボード張りの外壁に、高所に付けられた消防法最低限の大きさと数の窓のみで変化は無く、跳ね上げ式の大型搬入口の有る外付けのエレベーターユニットは、同じ外壁材を使い工場棟と一体化していた。素っ気無い無機質な外観は病院か研究棟のようで、一体何をしている会社なのか全然分からない。

 玄関はガラス製の自動ドアじゃなく窓無しの勝手口のようで、会社名はデザイン事務所に依頼して、創作されたロゴのステッカーがドアに貼られているだけだ。当然、訪れる人に不気味で無愛想な印象を与えて警戒される。初めて訪れるお客さんは誰しも、こんな得体の知れない所に仕事を発注して大丈夫かと考えて仕舞うそうだ。

「まあ、そうだけど。社長なんてガラじゃないよ。僕が入社しても二人しかいないのに」

 現実的に直ぐには有り得ない。だけど、親父を手伝うのは有り得る。いつでも親父から頼まれれば、そうするつもりだ。その覚悟はしていた。

「一人とか、二人とか人数じゃないの。世間は君から会社を見るの。そこに、志す技術が誠意を持って存在していて、事業に将来性や発展性を秘めた内なる可能性が有って、会社全体の技術と技能、そして業績と社長や従業員達が信用できるのかを見ているわ。社長は会社の代表で顔だから、その息子の君も会社の判断材料の一つにされるの。親も子もね。君はいろんな人達に観察されているのよ。気を付けなさい。それに私も君を見てたよ。安全そうだし

 末尾の言葉にドキッとした。

(僕を見てた? なぜ?       僕が安全そう? それはどういう事?)

 僕に関心を持っているのはディナーと夜景の一件で知っている。妖しいムードと明るい送迎が新たな進展を予感させていたけれど、僕は慎重に接しようと考えていた。がっついてさもしいのは善くない。

 単純な勘違い男になってはいけないはずだったのに、あっさりと二人の関係が意外なくらい進展して行く。キョトンとする僕を尻目に『お姉さん』は言った。

「私は君のことが好きなの。だからこそ君に直して欲しいところが有るの。いっぱい有るけれど全部直してくれるでしょう?」

 笑顔だけど決意と真剣さが表れていた。驚きの突然の告白といっしょに、僕は気に入らないところだらけだと言う。素直に言う事を聞くべきなのだろうかと考えてしまう。サプライズのフェイクかも知れない。

(僕に何か気に食わないところが有るのだろうな。それは改める必要が有るのだろう。この人が望むなら、ここは将来的な事も踏まえて言う通りにするべきか……)

 綺麗な女性から告白されて僕は打算的になる。舞い上がる気持ちにフェイクだとしても嬉しい。

「ああ、いいですよ。そう望むのなら直します」

 躊躇わずにそう答えると、年上の美しい女性は僕を指差し勝ち誇ったように綺麗な笑顔で言った。

「オーケー! 君が社会人として、いつどこでどんな人と接しても、立派で素敵な男性の印象を与えるように私が教育指導してあげるわ。ちゃんと私の言うことを聴きなさいよ。約束よ、なにより君自身が努力してがんばらなくちゃだめよ。わかったわね!」

 どうやらフェイクじゃないらしいと解かる。

(この人なりの想いの、真剣な告白サプライズだ)

 その時から、言葉遣いや話し方、態度と礼儀や作法、それに挨拶など、僕がこれまで物怖じしたり面倒臭がったりして、いい加減で端折ってきたことを厳しく指摘して改めさせた。

「私がいっしょにいても恥ずかしくない男性にするわよ。そうなってね!」

 そう言いながら腕を絡めて僕にキスをする。最初は軽く触れるだけ、それから『お姉さん』は唇を強く押し付けて深く激しいキスをした。

(リードしてくれている! なんてパッションで、センセーションなんだ!)

 『お姉さん』とのファーストキスは、いきなりディープキスの指導になった。

(おおっ、まっ、まだ、心の準備が……。おっ、お姉さんはマジ ……だ!)

 心臓はレッドゾーン域をオーバーしそうな激しい勢いでバクついている。軽く噛まれながら吸われる唇と纏わり付くように絡む舌先が、その気持ちの良さに体中から力が抜けて行くのを分かるほど、魂が奪われそうなくらい感じてしまう。

(ううーん、これが大人のキスなのか……!)

 両手を僕の首に絡ませてキスを止めない『お姉さん』は、息を弾ませて僕以上にうっとりとしているように思えた。トロンとした薄目の瞳が恍惚として悩ましい。

 フェロモンいっぱいの『お姉さん』の表情に、アドレナリンが火が着いたように体内を激しい勢いで駆け巡り、僕の気持ちをグルグルと舞い上がらせる。

 欲望を抑えられそうにない僕は、『お姉さん』に新しい彼女になって欲しいと心の中で切に願った。

(どうして『お姉さん』が、こんなにテクニシャンなんだ? きっと、……絶対、経験値が高いに決まってるさ……)

 考えたり想像しただけではテクニシャンになれない。ノウハウ本を読んでも、写真や動画を見ても無理だ。絶対に実地体験は必要だと思う。欲望で興奮してプスプスと湯気が噴き出しそうな頭が、疑りの増した『お姉さん』の裏事情を単純に探る。

(大学の四年間で、どれだけ経験を積んだんだ? 既に大学以前の高校で済み……? いやいや、早熟な女子中学生で、早々と初体験してたりかも……)

 燃えそうなくらいに上気している僕の頭は、熱と興奮で思考が停滞して、ただ単純ストレートに未経験ベースの想像を膨らませてしまう。

(故に『お姉さん』なのか……?)

 もはや意味不明の思考で取り留めが無い。それでも暈ける頭は、『お姉さん』のバックグラウンドが不安だ……、と警告していた。

 様々な作法や事柄を知り素養の有る『お姉さん』の生い立ちは? それに数日前の朝に『お姉さん』がしていた『母親だ』と言う人との電話は?『お姉さん』に惹かれる僕は疑問に思う。でも敢えて『お姉さん』の過去を詮索しない。過去などどうでもよいと思う。多少は不安だけど好きになるのに相手の過去など関係無い。今とこれからの『お姉さん』が僕の彼女として大切なのだから、僕は一言も『お姉さん』のバックグラウンドを尋ねたりしなかった。

 キスをしたまま寄り掛かるように『お姉さん』は体重を掛けて来て僕は倒された。これからどうなるのか、どうすれば良いのか、さっぱり分からない。心臓が高鳴り動悸は宇宙に打ち上げられるロケットのような勢いだ。これから先の未経験領域の不安と期待で首筋の血管が鬱血したみたいに重い。血が頭と顔に集まって来ている。多くのエロサイトの動画を見ていても、実際は2Dや3Dのバーチャルと全然違った。

 しっとりした唇が離れ、動揺と興奮で自失しそうな僕を落ち着かすように、『お姉さん』が優しい声で話す。

「安心していいよ。彼氏も親しい男友達もいないから。今の私は自由だから……」

 付き合っている男がいないと聞いて、僕の動揺は薄れて行く。

(今の私……? 自由だから……?)

 意味が良く解からない。動揺が治まると、興奮が満ちて、高速で送り過ぎる酸素不足の血液に思考が麻痺してしまう頭では何も考えられない。

(もう、意味なんてどうでもいいんだ。『お姉さん』、僕の切なさと虚しさを無くして下さい!)

『お姉さん』の身体に回した腕も手も指先にも感覚が無くて、力加減も、触れているのかも、分からない。気持ちは戸惑い、心がざわついた。焦る僕は何をどうすれば良いのか分らない。

 上になった『お姉さん』が耳元で囁くように言う。

「だいじょうぶ…、心配しないで。私がリードするから優しく合わせて……」

 僕の服を脱がし始めた『お姉さん』の甘い声を聞きながら、僕はうっとりと身を任せていった。

(そして、僕は新たな恋に落ちて行く……)

 一度、ようすを見に来たお袋以外で初めて女性を部屋へ入れた。僕の部屋へ上がった女性は初めて部屋に泊める女の人となった。初めて泊めた女の人に僕は初めてのセックスへ導かれ、相模原の彼女に失

われるはずだった童貞を捧げた?

(奪われたんじゃなくて、捧げたのかな?)

 僕の頭の中は『お姉さん』と『初めて』だらけで目まぐるしく渦巻き、蕩け薄れ行く意識の中で何も整理できなくて、ただ、ただ、初めての体験尽くめに、

(こっ、これは、凄い事だぞ!)

 と、思うばかりだった。

 僕の耳を軽く噛む『お姉さん』の唇や、僕の胸の肌に触れ動く『お姉さん』の手と、痛いほど大きくて固くなった股間の熱い自分自身を感じて、僕ではない違う自分の出来事のように思う。

 

 ---つづく