遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説 『遥乃陽 novels』の他に『遥乃陽 diary 』と『遥乃陽 blog 』も有ります

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

永遠の別れ(私 大学一年生 ) 桜の匂い 第八章 参

(伯父(おじ)さんに、ジレラ君を送って貰(もら)おうかしら)
 九月初め、厳(きび)しい残暑で融(と)けそうなアスファルトから立ち上る陽炎(かげろう)の中、私は、バス停でバスを待っている。
 熱さで茹(ゆ)だって、だるくて遣(や)る気の無い私は、それでも、町田(まちだ)駅のモールまで遊びに行こうとしていた。
 今日は講義が済んでも、直ぐにアパートへは帰らずに、相模大野(さがみおおの)の駅へ行き、小田急(おだきゅう)電鉄の電車に乗っ、県境を越えて直ぐの東京都の町田市へ向かおうと思っている。
 其処(そこ)へ行くのは、今月も財布の中身に余裕が無いから故の、近くで我慢するのと、別に、これといって欲(ほ)しい物も無いくせに、町田駅の冷房の効(き)いたショッピングモールをブラつきながら、トレンディチェックがてらに覗くウインドショッピングが楽しいのを、私は知っているからだ。
 小田急に乗ってそのまま新宿(しんじゅく)の街へ出ても良いのだけど、いつも、距離と人込(ひとご)みで疲れるから二、三時間程度で帰って来ていた。
 毎週の如く行っていても、未(いま)だに、新宿の通りの位置関係が理解できていなくて迷ってしまう。それに何度か、『暇(ひま)してんの?』とか、『何処(どこ)行くの?』とか、『モデルになんない?』など、全然知らない男の人達から怪(あや)しい誘(さそ)いをされた事も有って、一人では行かないようにしている。そして、通り中に響(ひび)いて来る、アメリカ軍機の暑苦しい爆音を聞きたくもないから、相模大野の外気の中には居たくはなかった。
 此処(ここ)では、ネイビーやマリーンの最新鋭戦闘機の編隊が、ワザと青い炎を出して、市街地上空を我(わ)が物顔(ものがお)で飛び回っている。
 入学時には知らなかったのだけど、横須賀港(よこすかこう)にアメリカ海軍の航空母艦が入港すると、其(そ)の艦載機が厚木(あつぎ)基地の滑走路へ移動して訓練を継続するらしい。
 今も、複数の戦闘機が編隊で飛来して、ゴオォォー、ギャァーンと爆音を響かせている。
 相模大野市や町田市の辺(あた)りは、厚木基地への帰投コースになっているらしく、時間帯によっては、特に相模大野市の上空を頻繁(ひんぱん)に飛び、そして、かなりの低空で旋回(せんかい)して行く。
 其の度(たび)に、神経を逆撫(さかな)でて不安にさせる轟音(ごうおん)で、何も聞こえなくなってしまう。
 民間航空が借用使用している石川県(いしかわけん)の小松(こまつ)空港は航空自衛隊の基地だけれど、其の、戦闘機部隊は海側以外の市街地上空を飛んでいない。
 金沢市(かなざわし)や白山市(はくさんし)や小松市の中心地域で会話が聞き取れないくらいや、イヤホンから聞こえるポータブルプレーヤーのミュージックに被(かぶ)さるほどの飛行機の轟音を聞いた事が無かった。
 艦載機のジェットノズルから時折(ときお)り青い炎が見えたと思ったら、いきなり、急上昇や低空で急旋回をして行く。
(なに、アフターバーナーなんかを噴(ふ)かしてんのよ! ほんと、うっさいわ! 街の上で派手(はで)な事しないでよ! 危(あぶ)ないでしょう!)
 一千万以上もの人達が暮らしている首都圏に、米軍基地なんかはいらない。
 世界は、譲歩と融和を繰(く)り返し、和平と統合に近付きつつあるのに、現在もインデペンデンスしていない日本は、アメリカの占領が続いているみたいだ。
 外敵からの防衛よりも、日本政府への内政干渉圧力でしょう。
(こんな驕(おご)った事を、世界中の何処(どこ)でもしているから、アメリカは、敵だらけなんでしょう!)
 そんな、苛(いら)つく爆音の因果(いんが)を、茹だった頭で思い描(えが)きながらバスを待つ。
 此処のバスでは、金沢と違って最前席に座らない。
 前のドアから乗車して、先に料金を支払う。
 料金は一律で、金沢市よりも、少しだけ安い。
 中央のドアから降車するシステムで、金沢市のバスとは、乗降の出入りが逆だ。
 最前席に座ると、乗車して来る人達にジロジロ見られる。
 意味も無く見られるのは、嫌(いや)だ。
 それよりも、小立野(こだつの)でのバス事故を思い出すから、避けていた。
 自(みずか)らの身体(からだ)を傷付けてまで立ち開(はだ)かって、私を守り抜いてくれた彼は、この街にいない。
 バスは澱(よど)んだ淵(ふち)の日陰のように、彼を思い出させたけれど、バスの車窓越しや街中で見掛けた大型バイクのエキゾーストノートは、四月末の大桟橋(おおさんばし)の先端で嗅(か)いだ潮風の臭(にお)いと、雲の間に、ぽっかりと開いた青い空に照(て)らされて群青色(ぐんじょういろ)に輝(かがや)く波間を思い出す。
(あの陽射(ひざ)しは、暖(あたた)かくて気持ちが良かったな……)
 思い返す藍色(あいいろ)の海原と蒼(あお)い空、それに、仄(ほの)かに熱を帯びて来る大気は、ジレラ君で諸橋(もろはし)地区の海沿いと星降るトヤン高原を全速で走らせた、あの夏の日の爽快感(そうかいかん)と高揚感(こうようかん)を蘇(よみがえ)らせて、今直ぐ、身軽に行動範囲を広げて、アクセルを開けるスピードに自由と自己主張が有るバイクに乗りたいと思う。
 頭が茹るからヘルメットは被らずに、加速で髪を乱(みだ)して、タンクトップとミニスカートの裾(すそ)をはためかせ、飽(あ)きるまで逃げ水を追い駆けたい。
 なのに、来るバスを待って立っている、このバス停にも、大学の駐輪場にも、ハイツの駐車場にも、ジレラ君は無くて、こんなにも渇望(かつぼう)するフラストレーションの重なりの解消が何もできなくて、背中を汗の玉が幾つも流れ落ちる汗ばみのように、私を苛つかせてくれた。
 そんな苛つきも、私に夏の日の続きにならなかった肌寒い春の日を思い出させてくれて、ギラギラした暑さで肌がチリチリと焼けそうなのに、寂(さび)しい後悔に浸(ひた)ってしまい、心は冷えて行く。
 言葉足らずのシャイで、パッとしなくて、人の気持ち知らずで、うんざりしていまうようなダサいセンスの彼……。
 どうして、私は、あまり、彼を拒絶(きょぜつ)しなくなったのだろう?
 あの大桟橋の日に、彼は、どんな酷(ひど)い事をして、私を傷付けたのだろうか?
 あの日のスケジュールを、彼も、私も、勝手に思い描いていた。
 互(たが)いに、情報交換と意思(いし)疎通(そつう)の経験が足りなくて、私は彼に、彼は私に、不足分の補完と最終判断を委(ゆだ)ねて頼(たよ)っていたのだと思う。そして、事前に相手へ提案や確認を行わないままに、当日を迎(むか)えてしまっていた。
 この後味(あとあじ)の悪い気不味(きまず)さは、二人が同時に犯(おか)した単純な連絡不足の問題からだ。
(大体、私は、デートをした事が無いのよ! 未経験だったの! 告白や御誘いをされた男子には、即行(そっこう)で断(こと)わっていたから、デートの経験値が、ゼロなのよ! あの人達とは、せめて一度でも、デートをしてから断わっていれば、デートのセオリーや、センスや、気遣いを知ったんだろうなぁ)
 彼は、私といっしょにツーリングをしたい一心で、天候も、私の気持ちも、考えずに会いに来た。
 私は私で、デートコースはファッションマガジンに載(の)っているような都内の超有名所へと、漠然としたアバウトさで考えていた。
 もしも、あの日の私が思い描いていたような、事前サーチもしていないアバウトなデートを、電車で来てくれた彼と東京でしていたら、今と違った気持ちになれていたのかも知れない。けれど、人生の分岐点のイフなんて、行動は違っていても、結果の気持ちは同じかもだから、現実よりも好転しているか分らない。
 今までのように、私が無意識に透明な壁を作って、彼任(かれまか)せにして試していたのだろうか? しかし……、例えそうだとしても、納得がいかない!
(私は悪くない! 私がデートしようって言ったのだから、私の意向ぐらい、訊(き)いて来て、それに合わせろっちゅうの! ……じゃあなくて、こっちを、少しばかり知っている私が……、リードすべきだったのかも?)
 確(たし)かに、私にも、非(ひ)が有ると思う。
 それでも、鈍感な彼の非の方が、圧倒的に大きいと思う。
(そりゃあ、あなたは優(やさ)しいよ。きっと、私の知らないところで、いろいろと、凛々(りり)しいのかも知んないけど、もういいの。七年間も構(かま)ってあげたし……)
 私は、弓を構える彼と、カツ丼を食べている彼を思い出していた。
(あなたとは、ミスマッチなのよ)
 私のつれない言葉や文字に態度も、彼の想いを砕(くだ)く手も、彼の気持ちを踏(ふ)み躙(にじ)る足も、全て、静かに彼の中に沈んで行く。
 それを、彼は防(ふせ)がない。
 抗(あらが)わないし、撥(は)ね返しもしない。
 私が、彼にする我(わ)が儘(まま)を、彼は、私に遣り返さない。
 無理強(むりじ)いする強引さや自己中心的な我が儘を、彼は私にしないし、するような素振りも、見せて無かった。
 私の我が儘は、彼の中に留(とど)まっているのか、それとも、熱く溶けて彼の想いに融合して行くのか、または、霞(かすみ)のように力無く霧散(むさん)して彼に何も感じさせずに消えているのか、それは、分からないけれど、私の我が儘が、頭一つぶんの彼を刺し貫(つらぬ)いて、彼が誰かに八つ当たりをしている事も無いみたいだった。
(私は、物足りなかったの……。ずっとドキドキさせて、ときめかしていて欲しかったのよ……)
 でも、彼は優しくて、我が儘な私を受け止めていてくれただけで、私は、それ以上を拒絶していた……。
(彼が強引にリードしたり、表だって彼氏みたいな態度になったりすれば、フリまくった他(ほか)の言い寄る男子達と同じように、直接、冷たい拒絶の言葉と態度で、私は彼に終止符を打っていたくせに……。私は……、ストレスの捌け口を、感性に惹かれていた彼にしていただけだ)
 そう、彼が、他の男子達と違っていなければ、私は自分の執っていただろう行動を分かっていた。
(もしかして、彼も、初めてのデートだった? ……まさかねぇ)
 首都圏の華(はな)やかさに当てられたのか、纏(まと)わり付く彼の田舎(いなか)臭(くさ)い鈍(にぶ)さが鼻に付いていたのか、私に言い寄る男子も、気になる男もいない今は、インターバルとして煩わしいモノを捨てて、身軽になりたいと思う。
(私は、すっきりした身軽な自分へ、リセットしたくなっているのかも知れない……。金沢の私を知る人がいない此(こ)の街なら……、もっと、軽いトークができて、明るく爽(さわ)やかで、お気楽な男子の友達なら……)
 イヤホンのコードが複雑に絡(から)まって、直ぐに、お気に入りの曲を聴けないような焦(あせ)りと、自分のズボラさを呪(のろ)うのに似(に)た苛立ちでジリジリする。
 いつの間にか、私は俯(うつむ)いて下唇を噛んでいる。
 ハッとして、上目遣(うわめづか)いで周囲を見渡した。
 バスを待つ人達は、私に無関心で、誰も私を見ていない。
 誰かに、見られている気がしたのに……。
「ねぇ、どこ行くの? 思い詰めた顔して」
 不意に掛けられた声に、ドキッとした。
 いつの間にか、目の前にメタルグレーのGTRが停まっていて、傍迷惑(はためいわく)なアイドリングサウンドを響かせている。
(こんなに喧(やかま)しくて、お腹に響く、エキゾーストのノイズなのに、気持ちが深入りし過ぎて、全然、気付かなかった!)
 其の車内から、ドライバーが私に声を掛けていた。
 下げたドアウインドーから漂(ただよ)う冷気が、私を車内へと誘う。
「なんか、悔(くや)しそうな顔していたよ。何処まで?」
 時々、セミナーで見かける先輩だった。
 女子大生達に人気が有って、私的にも、けっこうカッコイイと思っている先輩だ。
(見られた……)
「……町田の駅 ……です」
 恥ずかしさで、上目遣いのまま小さな声で答えた。
「いいよ。ささっ、乗って」
 促されて私は、この苛立つ暑さから逃(のが)れれば幸いとばかりに、サイドシートに座り込んだ。
 シートベルトを締めながら、先輩に声を掛けられてラッキーだと思っていた。
 寒いくらいの冷房が、気持ちいい。
 暫(しばら)くして、茹った身体が冷(ひ)やされて頭がスッキリして来ると、無警戒で無神経に先輩の車へ乗った事へ後悔が湧(わ)いて来た。
(どっ、どうしよう! 見知ってはいるものの、初めて声を掛けられた男の人の車に乗ってしまったぁ!)
 後部座席に男達が潜(ひそ)むように並んでいたら、非常事態レベルで脱出してしまうのだけど、車内には先輩と二人きりで、このシックでアダルトなシチュエーションに困惑してしまう。
(先輩は、どうして、私なんかに声を掛けて、自分の車に乗せたのだろう?)
 いつもの癖(くせ)で、何気に頬杖(ほおづえ)を突いて視線を窓の外へ流し、思案するように景色を眺(なが)める姿に、私の思いを悟ったのか、先輩が私に声を掛けた理由(わけ)を言った。
「君が気になっていたんだ。今日は、バス停に立つ君を見かけたから、思い切って誘ったんだ。誘われてくれたから、ベリーナイスだよ」
(『誘われてくれた』? ……だよね。そうなっちゃうわね)
 明るい声で、先輩は続ける。
「キャンパスで初めて見掛けた時から、君が可愛(かわい)くてね。気になっていたんだ。あれから、君に魅(み)せられていたんだな。いつか、誘おうと思っていたんだよ」
(また、私の外見からのアプローチだ。可愛さなんて、どうでもいいのに!)
 でも、先輩を格好良くて明るく素敵な男性だと見ていたから、私は悪い気がしない。
 何の躊躇(ちゅうちょ)も感じさせない軽(かろ)やかな『可愛い』に絡む、慣(な)れと自信が煙(けむ)いけれど、『私に魅せられて』と言われたのは嬉しかった。
「町田なんて、そんな近い所で良いの? せっかくだから、もう少し遠くまでドライブしようよ」
 私を可愛いと言った先輩は、さり気無く滑(なめ)らかに誘う。
「行きたいところは無いの? 行ってみたい場所は?」
 先輩の誘い方に、新しい交際の予感がして、ちょっと頬が熱くなった。
「横浜港の大桟橋……」
 無意識に、その地名が口から出た。
 その場所を言ってしまった自分に驚いた。
 私は、思い出を上書きしようとしている。
 彼に対して、なんと残酷になれるのだろう。
(上書きして無かった事にするのは、やっぱり、それは酷いよね。彼じゃない素敵な男性に、ふと、恋のときめきを感じても……、直(す)ぐに上書きして、彼との思い出を消して去るべきじゃないわ。消去が必要になっても、ずっと後でいいわ。やはり、大桟橋へ行くのは止めよう)
「OK! それでは、大桟橋へ行こう」
(ええっ!)
 内なる自分の残酷さを否定する私の思いを余所(よそ)に、先輩は、これから大桟橋向かうと告げて私をドギマギさせた。
 屈託(くったく)の無い先輩の明るく通る声が、内なる自分を否定した思いを軽くさせてくれる。そして、私自身へ納得させた纏(まと)めを乱して、またもや迷(まよ)ってしまう。
 大桟橋向かう先輩の車の中、先輩は、私に多くの質問と話題を振って来た。
 その一つ、一つに受け応えをしていたけれど、私は、質問された事柄(ことがら)も、振られた話題も、返した言葉も、殆(ほとん)ど覚(おぼ)えていない。
 サイドシートに座った瞬間から、後悔が襲(おそ)って来た。
(そんなに拘(こだわ)らなくても、次は、彼に電車で来て貰えばいいじゃない。もう一度、彼にチャンスをあげてみても……)
 あの大桟橋へ行った以降、日を追う毎に私から彼へ送るメールは減って行き、今では月一度しか送信していない。、しかも、当り障(さわ)りの無い、有り触(ふ)れた日常事しか打っていない。
 私からの返信がメッキリ減った今でも、彼は、週二度の約束を守ってメールを送り続けて来ている。そして、それは、私との再会を望む願いばかりだ。
 今、私は彼を無くそうとしている。
 彼を受け入れて、彼の想いに応(こた)えようとしていた私を否定して、私の彼への想いも無かった事にしてしまおうとしている。
 先輩の歯切れの良い明るい声と速いレスポンスの利発さに、横浜市街に入る頃には、彼を消し去る残酷な自分を肯定できるようになっていた。
 先輩との会話が、スーッと漂う香(かお)りのように抜けて行く程に、聞き取り易い音域のボイスは甘くて、私のハザードを擽(くすぐ)るように散らす抑揚(よくよう)が、不思議と気持ち良い。
(もう、彼なんて、どうでもいいかも)
 夕方に着いた大桟橋は、来るまでの強い陽差しが陰り出し、板張りの丘を歩いて先端に辿(たど)り着く頃には、びっしりと暗灰色の雲で空が覆(おお)い尽(つ)くされた。
 辺りは暗くなり、風が吹き去る度に、風に運ばれてくる冷たい湿気(しっき)が濃くなって行く。
 今にも、夕立(ゆうだち)が来そうだ。
 海の色は、輝(かがや)きを失って艶(つや)の無い汚(きたな)い感じの灰色に見える。
 彼の大型バイクの後ろに乗り、初めて此処に来た時と、印象が全然違う。
(この天気じゃ、上書きは、無理かもね……)
 ミナトミライの洗練された高層ビル群と白いベイブリッジ、そして、どんよりと晴れ間の無く曇(くも)った空を見ながら、私は、再び上書きをすべきなのかと迷っていた。
「どうしたの? 真剣な思い詰めた顔で唇を噛んで。バス停でも、唇、噛んでたよね。悩(なや)みか、不安な事でも有るの? 何か、僕で力になれる事なら、相談されるよ」
(また、見られていた……)
 でも、先輩の優しい声は、不安で躊躇(とまど)う私の気持ちを薄れさせてくれる。
     *
 相手の位置を確認できるアプリをダウンロードした。
 それは、携帯電話用の面白いアプリを探(さが)して、海外のアンダーなアンノンウンサイトに潜(もぐ)り回っていたら偶然に見付けた。
 ウイルス駆除ソフトに検知されない無料のフリーアプリだったから、恐る、恐る、ダウンロードしてみると、全てが、暗号めいた英語表記だったのには参(まい)ってしまった。だけど、苦労してアプリの使用目的から関連付けて表記の意味が解(わか)ると、実際、ウイルス感染やバグも無く、調べたい相手の電話番号を入力するだけで、即行で相手の位置確認ができる便利で違法なワンサイドアプリだった。
 今のところは、理不尽(りふじん)な使用料金の請求は来ていないし、毎月の額も契約枠をオーバーしていない。
 ……それでも、全く誰もネット情報にアップしていないアプリだから、何かしらの危険性が有る不安は払拭(ふっしょく)できなくて、定期的にバグとウイルスのスキャンチェックをしている。
(まあ、私の携帯電話から、危険性が拡散されてるかも知んないけど、優先すべきは、身近な観察対象と、清算したい対象の行動なの……)
 通常の位置確認サービスは、確認相手の認可を求めてから、許可されると、自動で相手が認可する位置を、アプリの地図上に知らせてくれる。
 日本国内なら誤差は、五十メートル以内だ。
 先輩は、……用心深い人だと思う。
 それは、私も同じで、携帯電話を手に入れた時から位置表示設定はオフにしている。
 先輩も同じオフにしているはずだ。でも、……このアプリは違う。
 相手の携帯電話の電源が入っているだけでいい。
 位置表示設定もオンにされていなくても、一方的にサーチができて、其の探知は相手に気付かれないから、認可や許可を相手に求める必要はない。
 しかも、相手に気付かれない探知は、アクセスした履歴が残らず、高度なシークレットで相手の携帯電話の所在を知る事ができるスパイアプリだ。
 其の使用目的の違法性から、アプリ制作者は世間を騒(さわ)がせたいだけの愉快犯だと考えて、翌日、興味を持ったので、お気に入りに登録したサイトを再び開くと。案の定、サイトは抹消されていた。
 また、海外の違うアンノンウンサイトに違うアプリネームで登録され、何処かの誰かに偶然見付られてダウンロードされるのを待っているのだろう。
 スムーズにインストールを終えて、試(ため)しに姉と両親の現在位置を表示させてみる。
 ちゃんと、三人のそれぞれの所在が表示されて、動作は正常と確認された。
 因(ちな)みに、両親は金沢の自宅に、姉は金沢の街中(まちなか)でデート中らしかった。
 いつ調べても、先輩の位置は探知できた。
 やはり、イケメンで人気の有るモテモテの先輩の位置表示は、マップ上で、それなりの場所を示していた。
 いつチェックしても、先輩の位置は、それなりの場所にいる事が分かり、少し怪しんでいる私は、不安で焦り始めていた。
 不安や疑りや嫉妬(しっと)の要素ばかりを気にし出して、安堵(あんど)を得られない事に気付いたからなのか、それとも、スパイ的な行為をしてしまった後ろめたさからなのか、分からないけれど、数度の試しを終えてから確実に動作した確証を得ると、とても、悪い事をしているような良心の呵責的(かしゃくてき)な罪深さを感じて、以後、私は意識的に、この違法アプリを使用しないように封印する事に決めていた。でも、何時何処で危険回避が必要になるかも知れないから、アンインストールはしない。
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 中学校二年生の時には既(すで)に、彼は携帯電話を所持していたけれど、たぶん、OSと初期設定は弄(いじ)っていなくて、今もそのままだと思うから、このアプリは使えると思う。そして、このメールを送る前に彼の現在位置を調べてみた。
 調べてみると、彼の携帯電話の位置表示設定は、思っていた通り、オンにされていて、直ぐに位置が表示された。
 親が子供に、小学校や中学校の頃から買って持たせる携帯電話は、大抵の場合、位置表示設定が購入時の初期状態から予(あらかじ)めオンに設定されている。
 分かった位置からすると、今、彼は静岡市駿河区(するがく)の住宅街に居るらしい。
 時間帯からしても、きっと、アパートの自分の部屋に居ると思った。
 書き上げたメールを送ろうと、送信アイコンへ動く指が躊躇いで止まった。
 送るメール文は、出だしから彼の想いや願いを絶望へ落とし込んでしまうだろう。
 私は今一度、彼と先輩を天秤(てんびん)に掛けてから、タッチパネルに触れた指に力を加えた。
 相模大野の駅前で、私は寛容(かんよう)になれて、あのままを受け入れて、彼を帰さずにいれば良かったかもと思う。
(私は、そのつもりだった……。でも……、目に映(うつ)る、……あなたとの距離は近くても、心の距離は異質で、あなたを遠くに感じて、嫌悪したの。……ごめんね)
 離れる気持ちと彼の居場所を再確認した私は、今度は躊躇(ためら)いも無く、送信アイコンへ触れる。
【彼氏ができたよ……。大学の先輩。格好良い人で、背が高くて美形だよ。かなり、女子達の憧(あこが)れの的だったのに、このあいだ、その先輩から声掛けられちゃって、私でいいのって感じだったけど、なんか、運命的なものを感じてしまって、それからは、先輩と御付き合いをしているの。男女交際ってやつね。……だから、もういいの。今まで、ありがとう。彼氏っぽく扱っちゃって、誤解させたかも知んないけど、あなたを、彼氏と意識したことは無いの。やっぱり、『ありがとう』じゃなくて、『ごめんなさい』だわ。だって、私は、あなたのメル友でしょう。私達、男女交際までは、いっていなかったよね。あなたは、私に何度も、『好きだ』と伝えてくれたけど。私は一度も、『あなたを好き』と言っていなかったでしょう。ごめんね。……あなたには、私より、もっと、相応(ふさわ)しい素敵な女性が絶対いるよ。でも、それは、私じゃないから……。ねぇ、もう、私じゃなくてもいいでしょう。あなたが、私を見なくなれば、直ぐにでも、綺麗で可愛(かわい)くて賢(かしこ)い、こんな私と違って、優(やさ)しくて素晴らしい彼女が、きっとできるわ。あなたの幸せを祈ります。私は、あなたでは無い、あなたと違う、別の男性と幸せになります。私の事は……、もう、いいよ。忘れて下さい。わかってくれるでしょう】
 私に恋心を寄せて片想いをする彼を、私を支えて応援してくれた知人のようにして、これまでの私への想いを、決定的に断ち切らざるしかないように書いた。
 あっさりと、私が悪女っぽく思われるように書いてあげた。
 別れ易くする為に、そんな一方的な彼を落ち込ます酷い言葉を連(つら)ねるしか、思い付かない私が嫌になりそうだ。そして、ワザと彼を傷つけるのだと分かっている癖に、私から送られて来た、つれなく傷つけるメールに項垂(うなだ)れて歩く彼の姿を見たくないと思う。
(彼は、少しも悪くない……。私達は、二人で何かをするのに慣れていなかっただけ……。思い至らない事が多くて、伝えるのも下手(へた)だったから……、躓(つまづ)いて超えれなかったのよ)
 確かに、そうだったと思う。
 私の身勝手な御都合にしか過ぎず、彼よりも先輩を選んだだけ。
 彼は怒って私を罵(ののし)るだろうか? いや、罵るぐらいじゃ怒りは鎮(しず)まらないだろう。
 怒るに任せて、殴(なぐ)る蹴(け)るの暴力を振るうかも知れない……。
(そう言えば……、彼の怒った顔を見た事が無かったな……)
     *
 携帯電話のコール曲は、彼からだと知らせている。
 初めて、彼から電話が来た中学二年の時に、『電話しないで。私、電話嫌いだから。メールはいいけど』そう、伝えた。
 彼は今まで、それを守ってきていたのに……。
 だけど、これは想定内で当然の反応だ。
(ふぅーっ、やはり、簡単には切れないか……。しょうがないなぁ)
「もしもし。電話しないでと、言ったでしょ」
 通話を開くなり、わざと語気を強めて、私は言い放つ。
(私に、未練を持たないで……)
「…………」
 彼は返事をせずに黙っている。
 無言の静まりは、私に虚空(こくう)を感じさせた。
 とっさにGPSを起動させて、彼の位置表示を行う。
「なんか用? 何も言わないのなら、切るよ」
 私はまた、きつい言い方をする。
「会いたい!」
 ボソッと小さな声で、彼が言った。
 虚空は、焦りと憤(いきどお)りに変わる。
 GPSで表示させた彼の位置は、近くだった!
(近くだ! 直線距離で三百メートル。彼は、此処に来ている!)
 私は彼から離れるように、大学の構内を移動する。
「会いたくない!」
 彼の声を聞きながら、私は、春の教室での出逢いから相模大野駅の別れまでを思い出していた。
「会って、話がしたい……」
 彼と歩いた春の大桟橋の麗(うら)らかな陽射しを思い出す。
 暖かい風が身体を抜けて行ったような感じがして、声の向こうに、痛めた足を少し引き摺(ず)るように歩く彼が見えた気がした。
 今の季節、秋雨前線や台風の接近で、天候は変わり易(やす)くて荒れる日も多い。
 風雨が強い冷えた日に、再び大桟橋を彼と歩けば、容易く春色のメモリーをブルーグレーな色に塗り替えれて、引き摺る気持ちに踏ん切りを付けられるかも知れない。でも、今は彼を見たくないし、会いたくもなかった。そして、今の私も、彼に見せたくなかった。
 きっと、彼を見る私の顔は醜(みにく)く歪(ゆが)んでしまう……。
「話す事なんて、なっ、何もないわ! メールを読んだでしょう」
 彼とブルーグレーな大桟橋にするよりも、もっと、華やかで気持ちの良い私の中の大桟橋へ、先輩と置き換えたい。
「会うのも、話すのも、必要ないでしょう。電話、切るわよ!」
 先輩と親しく付き合いを重ねるにつれて、私の先輩への想いは、憧れから恋へと変わろうとしている今、彼に邪魔されたくない!
「会いに行く! 僕は……」
 平坦で思い詰めたような彼の声が、耳の中で小さく反響する。
 焦りと憤りに不安が被さった。
「会いに来ないで! 会いに来て、どうするつもり? 話しをして、どうなるっていうの? 絶対に会わないからね、私は……、私は、あなたをフッて、お別れの。そして、大学の先輩を選んだの。あなたを拒みたいのよ! 今、先輩と楽しく付き合っているわ! 素敵な男性なのよ……。だ、か、らぁ、邪魔(じゃま)しないでちょうだい!」
(しつこい奴! いい加減にして!)
 少し、彼が恐くなった。
 不安の暗がりは、嫌悪の防壁に置き換えられた。
「君を探して、会って……」
(私を探して、見つけて、会って……?)
 嫌悪の壁は、逃避の広がりを持つ。
(何言ってんのよ! 私に何する気? ……こんな人だったの?)
「探さないで!」
 思慮の足りない彼の幼(おさな)さが、私をムカつかせる。
(もっと、大人になってよ!)
「絶対会わない! 嫌よ! そんなストーカーみたいな事をしないで。……お願いだから諦(あきら)めてよ。……あなたは、そんな人じゃないでしょう」
 これ以上、彼の声を聞きたくなかった。
 彼は、私を責めている。
「もう、切るよ」
 そう言った瞬間、彼が叫(さけ)んだ。
「好きなんだ! 君が好きだ!」
 耳から携帯電話を離そうとした手が止まる。
 彼は何度も、繰り返し叫ぶ。
「好きだ! 好きだ! 君が好きだ! すきっ……」
 彼は、叫ぶのを止めない。
「あなたは、もういいの……」
 私は小さく呟いて、スピーカーの音が割れる振動で震える携帯電話を見詰め、タッチパネルの赤いアイコンに、そっと指を触れさす。
 私は、通話を一方的に切った。
 震えるスピーカーから聞こえていた、彼の我鳴(がな)り声が、ふっと消えて耳の中に反響が残る。
 電波を通してだけど、初めて彼の声で、彼の強い想いを聞いた。
 なのに、私は急いで電源も切る。
 彼からの電話は、それっきりにした。
 もう、彼が、私に電話を掛けても、着信する事はない。
 取り敢(あ)えず、彼への着信応対は、平坦なイントネーションで無情の自動再生ガイダンスに任せる。
(講義が終わり次第、今日中に、電話番号とメールアドレスを変更しよう)
 彼の叫びが耳に付き纏い、私を苛付かせる。
 非力な子供を、いきなり虐(いじ)めて、閉じ込めて遣った気分だ。
 してやったとの思いと、虐めたという意識が鬩(せめ)ぎ合い、自分勝手な基準の呵責(かしゃく)で気分が悪くて吐(は)きそうになった。
 大桟橋の日の不満と腹立たしさを!
 才能が無くて、挫折したピアノへの憎(にく)らしさと悲しみを!
 人生を先へと進んで行く彼への妬(ねた)みと、置いて行かれているような焦りと寂しさを!
 大学で専門の講義や実習を受けて、学べば学ぶほど、本当に、臨床工学の知識を活(い)かせる医療の仕事をしたいのか分らなくなる迷いを!
 ただ、流されているような日々への苛立ちを!
 それから、付き合い始めたばかりの先輩への不安も、全部、彼にぶつけていた。
 だから、私にも非が有る。
 突然、一方的に別れを告げられたら、戸惑(とまど)って納得いかないのは当たり前だ。
(説明や言い訳もされずに、いきなり突き放されたんじゃぁねぇ。彼にストーカー紛(まが)いをされた挙句(あげく)、酷い事をされても、仕方ないかも。まっ、……その時は、私も暴(あば)れるけどね)
 ムカムカする私は、電源を落として着信不能にした携帯電話を見詰めながら、そう思った。
     *
 夕方近くに電話番号を変更する為に来たショップの前で、内部データの確認に、オフにしていた携帯電話の電源をオンにする。
 オンにした途端に手の中で震え、着信音が鳴った。
 着信は、またしても彼からで、今度はメールだ。
 先に彼の番号とアドレスを消去してから、ショップに入ろうとしていた私は、偶然にしても、彼からのメール着信には、理不尽に因縁(いんねん)めいたモノを感じて驚いた。
 なんだか、気味が悪いと思う。
(どうせ、謝罪(しゃざい)尽(づ)くしか、御願いだらけか、私への非難ばかりか、まっ、そんなところの書き連ねでしょう。もう、いい加減にして!)
 彼のメールの着信とメール内容を予想する自分が、ウザイと思いながらも、私は一応メールを開いてみる。
【ずっと、君を見ていた。ずっと、君を想い続けて来た。世界で一番、君を好きなのは、僕だ! 僕以外に君を幸せにできる男はいない! 君は、僕の全てで、僕も、君の全てなんだ。ただ君は、それに気付いていないんだ。気付かなくても、感じているはずだろう】
(あんた、何様のつもり?)
 冒頭から、捨て身で書き連ねた断定的な文だった。
 気持ち的に『、あなた』とは、呼(よ)び掛けれず、『あんたに』なる。
 読み始めると、直ぐに腹が立った。
 そんな自分だから、私を幸せにできないと、なぜ、気付かない。
(確かに、そう感じた時も有りました。でも、今は違います。もう気付いてよ! あんたは全然、私の全てじゃないからね)
 読み進むのを止めて、直(ただ)ちにメールを削除しようと考えたけれど、悲愴感が溢(あふ)れる勢いで何を書きたい放題したのか、確かめて遣りたくなった。
【僕は、君が大勢の男達に好かれて、多くの告白をされている事も知っている。でも、告白した男達は、みんな偽物(にせもの)さ。奴らは、君の本当のキャラを知らないからな。だから、君は、錯覚して自惚(うぬぼ)れているだけなんだ。それは、幻想で全くダメだ! 自分を見失うな!】
(なにさ! これで、あんたも偽物になったじゃん。この期(ご)に及(およ)んで、やっと言いたい事を書いて来ただけじゃんか。これ、……あんたの本音だよね)
 男の子達に好かれて、ラブレターやラブメールを沢山貰ったのは事実だ。
 ラブレターをくれた男の子の殆どは、一度も話した事が無くて、書かれている名前を見ても、誰か分らないし、顔も知らない人ばかり。でも、私は一つとして無視しなかった。
 告白してくれた一人、一人に、ちゃんとした言葉や文章で、はっきりとストレートに、私は断っていた。
 そうする事が、断る相手に対する誠意だと、私は信じている。
 ずっと、男子に興味が無くて、惹(ひ)かれる男子もいなかった。
 モテたいと思わないので、私から男子に声を掛けたり、接近したりしていなし、自惚れを自覚した事も無い。
(興味を持った男子は、あんただけだったよ。だけど、先輩に声を掛けられた時は、『付き合ってみても良いかな』って、思ってしまったから)
 取り敢えずの『最初は友達から』や『恋愛ごっこ』みたいのは、面倒で鬱陶(うっとう)しいから嫌で、再三のアプローチにも、気持ちは揺(ゆ)らがない。
 あまり明るく振る舞えない私の態度や言動は、大人しめな女の子のオーラを放っていたと思う。
 その、外見から感じる、私のキャライメージは偽物じゃない。
 だから、そんな私に、告白してくれた人達は、偽物じゃないから!
(あんたこそ、私のキャラを、作ってたんじゃないの?)
 あいつが勝手に創造する、私のキャラと偽物呼ばわりに心底ムカつきながら、私は読み続ける。
 流石(さすが)に二人称も、親しみ敬(うやま)う、『彼』から、忌(い)み嫌う憎(にく)ったらしい、『あいつ』に逆戻りだ。
【女子達が憧れるイケメンの先輩だって、君を騙(だま)しているだけだ。そんなモテモテのイケメンが、まともに君の相手をしてくれるはずがない。もしも、本当に誘われたのなら、それは、ただのナンパで、君は、騙されているのさ。見栄えの輝きに目がくらんで、君には、真実が見えていないだけなんだ!】
(先輩が、私を騙す…… ね。それは、有り得るかも知れない……)
 何処か、得体(えたい)の知れないところが有る。
 胡散(うさん)臭(くさ)いと言うか、怪(あや)しいと言うか、デート中でも電話やメールが頻繁(ひんぱん)に着信していて、着信すると、必ず先輩は私から少し離れて受けている。そして、いつも心は此処に在らずの態度になってしまう。
 『どこの誰から、何用で掛かってくるのだろう』と、すっごく疑問だ。
 これと、タバコを吸わなければ、もっと、信じてあげれて気持ちがのめり込むのに……。
(あんたの、思っている通りかもね……)
 メールは長くて、まだ続く。
 愚痴(ぐち)と非難ばかりで、嫌気(いやけ)が差して来る。でも、酷くなって行く内容に、最後まで読んで、心底、呆れて嫌って遣りたいと思う。
【それに、君よりも、スタイル的にも、フェイス的にも、キャラクター的にも、センス的にも、もっと、
可愛くて綺麗で知的に優(すぐ)れた女子大生は大勢いるよ。君のようなのを理解しているのは、僕だけだったんだからな!】
(ムカッ。とうとう私のボディスタイルまで、言って来やがった! 『君のようなの』って、どんなのよ!)
 いくらフラれて悔しいからって、好きになった女の子の容姿を非難してはいけないと思う!
 それは、最低の行為で、しかも、恩着せがましいのは超最低だ!
(不細工(ぶさいく)なスタイルにブス顔、それに、鈍(にぶ)い性格で変なセンスかぁ。よく、こんな私を、ずっと好きになっていてくれたもんだわ。まったく、あんたには感謝してるよ。ありがとうございましただね)
 顔の作りへの指摘に、私は、『十人並みプラスでしょう』と思う。
 ABCDEの五段階分別なら、Bマイナスか、Cプラスだと自己評価している。
 ボディプロポーションだって悪くない。
 爆乳や巨乳じゃないけれど、出るべきところは、ちゃんと出ていて、グラビアアイドルには難(むずか)しいけれど、自己嫌悪せずに街を歩けるくらい、至(いた)って普通だ。
(ウエストも、ヒップも、足首も、そこそこに括(くび)れているから、決してスレンダー系と違うし、ファット系でもないぞ!)
 脚も、極端なO脚やガニ股でない。
 第一に、親から授(さず)かった身体を、ずっと、私を好きだと想い続けていてくれた、あいつだけには、言われたくなかった。
 理解されていられても、ちっとも、嬉しくない。
(なんで、ここまで書いてくるかなぁ。いちゃもんばっかりで、悲しくなるよ)
 今のところ、キャラはこのままだ。
 変える気が無いというか、変え方が分らない。きっと、私のキャラを変えるのは、私以外の影響で、私自身が自覚すれば、自然と変わっていけると思う。
 センスも同じように、私の愛と、愛を得ようとする私の願いと、愛する男性から想われる愛が変えてくれる。
 あいつは、私を愛してくれたけれど、私は、あいつを愛さなかったし、積極的に愛されたいとも想わなかった。
 これで、あいつの愛は消えて行くだろう。
(本当に、あんたは、酷い事を書いてくるね。許さないから!)
【そして、僕が君にされたように、君も先輩に捨てられるんだ。それは、肉体的にも、精神的にも、酷い目にあわされてからかも知れないぞ! 辛(つら)い目にあって、僕を振った事を後悔しろ! その時には、既に僕は、君とは違う素晴らしい女性に巡り逢えて、きっと、幸せにしてるよ。じゃあな。奈落(ならく)の底に落ちやがれ! あばよ!】
(ふぅーっ、やっと、読み終えた。何が、『あばよ』よ! それは、私のセリフだっちゅーの! だいたい今、奈落の底に落ちてんのは、あんたでしょ!)
 終わりは予言の書もどきで、暗示賭けで呪詛(じゅそ)だった。
(『酷い目に遭わされて、棄てられるかも』だなんて、余計な御世話だ! 呪ってんじゃないわよ!)
 あいつの思っている通り、みんなの憧れの先輩に誘われて何度かデートをしただけだ。だけど、それが、私の気持ちを舞い上げているのだと思う。それに、恋愛感情を抱かせるほど、心は許していない。そして、安心できるまでは身持ちを堅(かた)くしているつもり。
 それに、たぶん私は、『先輩に棄(す)てられる』前に、先輩を捨(す)てられる……。
 『酷い目に遭わされる』前に、痛い目に会わせて遣れるかも。
 由(よ)って、後悔はするだろうけれど、辛い事にはならないと思う。
 最後は、自分のバラ色の近未来まで語っている。
 気持ちの切り替えの早い奴だと思う反面、あいつの諦めの悪さの裏返しだとも、私は思ってしまう。
(絶対、許せない! あんたこそ、巡り逢えた素敵な女に、棄てられればいいのよ!)
 こんな無礼で無神経なアホウに、少しでも非を認めた自分が恨(うら)めしい。
 仕返ししてやろうと思って、ちと、私は考えた。
 あいつに落ち度や欠点が有ったけれど、三行半(みくだりはん)に収まらなかった離縁状を一方的に送り付けて、先に始めたのは私だった。
 此処で終わらせなければ、あいつの納得の行かなさと悔しさが、悪意と憎しみになってしまう。それに、私からの反応が無い方が効果的で、あいつは後悔して悩み続けに決まっている。
 それで、あいつが、より過激に行動するようになると、危険で困るだろうけれど、取(と)り敢(あ)えず今はそうする。
 直ぐ様、目の前の携帯電話ショップに飛び込んで、私は電話番号の変更を依頼した。
 幾つかの新規の番号の中から善(よ)さげなのを選んで、携帯電話を係りの人に渡すと、番号の変更はあっさりと完了してしまった。そして、其の場でメールアドレスも変える。
 これで、あいつからの電話とメールは永遠(とわ)に着信しない。
 続いて、あいつへ送信した電話とメールの履歴に、あいつからの着信履歴の全てを消去すると、あいつの電話番号とメールアドレスを削除した。
 次に、最終消去となるゴミ箱の中身を、何の躊躇いも無く一括削除する。
 携帯電話内の電話帳以外の何処にも、あいつの電話番号とメールアドレスを控(ひか)えていなかったから、あいつへ電話を掛けたり、メールを送信する事は、これで完全、完璧、絶対に不可能になった!
 もちろん、私の脳内メモリーの対象にもなっていないから、記憶はしていない。
 消去確認の為、一旦、電源を落として再起動する。
 開いた電話帳と着送信履歴には、彼の名前と電話番号とメールアドレスが表示されなくなり、送着信の履歴内も、綺麗さっぱり、無くなっていた。
 これで、あいつとの全ての記録を消し去ってケジメを付け、これまでの関係は清算された。だから、あいつを忘れ去ってスッキリした気持ちになれるはずだったのに、あいつの仕返しメールに反撃できない鬱積(うっせき)が、チリチリ、チクチクと、私の身軽になった気持ちを足枷(あしかせ)のように苛(さいな)んでいる。
(あーっ、イライラする。いつか、あいつに、誹謗中傷メールの釈明と、弁解をさせて遣るわ!)
 いつか、偶然に出逢って、声を掛ける気分と状況だったら、責めて遣ろうと心に誓う。
 それなのに暫くは、あいつの叫んだ想いが耳に付き纏った。
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 イケメンでスタイリストの先輩に誘われるようになってからは、鎌倉(かまくら)、葉山(はやま)、横須賀(よこすか)、お台場(だいば)、TDL、湘南(しょうなん)、江の島、熱海(あたみ)、小田原(おだわら)、真鶴(まなづる)、箱根(はこね)、相模湖、富士五湖、などと、ウィークエンドは毎週のように、先輩とドライブに出掛けた。
 先輩は、泊まり掛けの遠出も望んだけれど、それを拒む私の強硬な態度が、毎回、先輩の要請を日帰りで行ける観光地に換えさせて、決して宿泊や御休息ホテルへ入る事は無く、遅くても、夜十時には相模大野の駅前で別れて、絶対にハイツの前まで送って来て貰う事はしていない。
 台風や豪雨などの悪天候だと、デートは取り止めているし、地勢上の危険な場所の目的へは行かないして、其の近くの道も、デートコースで通らないようにしている。
 先輩の魅力に惹かれて恋心を抱(いだ)きそうになってはいたけれど、まだ、無防備に心を開いて身体を委ねる気持ちにはなれていなかった。
(……私は、あいつの呪いを、怖(おそ)れている……)
     *
 年末に帰省(きせい)すると、不在の間に届いた郵便物の中に、あいつからの手紙が有った。
 其の一通の手紙以外は、DMか御役所からの通知ばかりだ。
 青いインクで淡黄色(たんこうしょく)と若菜色(わかないろ)の横縞の便箋(びんせん)に書かれた文が、水色の封筒に入れられていた。
 それは、短い手紙だった。
 躊躇いがちな萎(な)えた文字で書かれ、所々濡れたようにインクが滲(にじ)んで、文字が掠(かす)れていた。
『僕は、貴女(あなた)が好きです。いつまでも好きです。僕が、貴女を幸せにします。僕しか、貴女を幸せにできません。と想っていました。でも、今は貴女の幸せを祈ります。幸せになってください。さようなら』
 前置きも無く、本題からの始まりに正直、私は退いた。
(まだ、あいつは、私を想っている。あれだけ、はっきりと突き放したのに。それに、貶(おとし)めと呪いの迷惑メールも送って来た癖に、……しつこい奴)
 だけど、あいつが、あっさりと身を引き、私の幸せを願ってくれるのが、以外だった。
 そう書かれると、私も御願いしなくてはならない。
(いつまでも、好きでいなくてもいいよ。迷惑だし。まあ、半年か、一年も経てば、新しい彼女ができて、私を忘れるわ。きっと……。あなたも幸せに……、ありがとう。……さようなら)
 縞柄の便箋をクシャクシャと丸めずに、折られていた通りに畳(たた)み、水色の封筒に戻してから握り潰(つぶ)さずに屑入(くずい)れに捨てる。
「永久に、お別れかな……。バイバイ!」
 からっぽの屑入れの底に落ちた、封筒の寂しげな水色に、小さな声で、お別れの言葉を添えた。

 

 つづく