遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

永遠の別れ(私 大学一年生 ) 桜の匂い 第八章 参

(伯父さんに、ジレラ君を送って貰おうかしら)

 九月初め、厳しい残暑で融けそうなアスファルトから立ち上る陽炎の中、私はバス停でバスを待っている。熱さで茹だって、だるくて遣る気の無い私は、それでも町田駅のモールまで遊びに行こうとしていた。

 今日は講義が済んでもアパートへは帰らずに、相模大野の駅へ行き小田急電鉄の電車に乗って町田の街へ向かおうと思っている。今月も財布の中身に余裕は無いのと、別にこれといって欲しい物が無いくせに、町田駅の冷房の効いたショッピングモールをブラつきながら、トレンディチェックがてらのウインドショッピングが楽しい。

 小田急に乗ってそのまま新宿の街へ出ても良いのだけど、いつも距離と人込みで疲れるから二、三時間程度で帰って来ていた。毎週の如く行っていても未だに新宿の通りの位置関係が理解できていなくて迷ってしまう。それに何度か、『暇してんの?』とか、『何処行くの?』とか、『モデルになんない?』など、全然知らない男の人達から怪しい誘いをされた事も有って一人では行かないようにしている。

 それに、通り中に響いて来るアメリカ軍機の暑苦しい爆音を聞きたくもないから、相模大野の外気の中には居たくはなかった。ここでは、ネイビーやマリーンの最新鋭戦闘機の編隊がワザと青い炎を出して、市街地上空を我が物顔で飛び回っている。

 入学時には知らなかったのだけど、横須賀港にアメリカ海軍の航空母艦が入港すると、その艦載機が厚木基地の滑走路へ移動して訓練を継続するらしい。

 今も複数の戦闘機が編隊で飛来してゴオォォー、ギャァーンと爆音を響かせている。

 相模大野市や町田市の辺りは、厚木基地への帰投コースになっているらしく、時間帯によっては特に相模大野市の上空を頻繁に飛び、そして、かなりの低空で旋回して行く。その度に神経を逆撫でて不安にさせる轟音で何も聞こえなくなってしまう。民間航空が借用使用している石川県の小松空港は航空自衛隊の基地だけれど、その戦闘機部隊は海側以外の市街地上空を飛ばない。金沢市や白山市や小松市の中心地域で会話が聞き取れないくらいや、イヤホンから聞こえるポータブルプレーヤーのミュージックに、被さるほどの飛行機の轟音を聞いた事が無かった。

 艦載機のジェットノズルから時折り青い炎が見えたと思ったら、いきなり急上昇や低空で急旋回をして行く。

(なに、アフターバーナー噴かしてんのよ! ほんと、うっさいわ! 街の上で派手な事しないでよ!)

 こんな首都圏に米軍基地はいらない。世界は譲歩と融和を繰り返し、和平と統合に近付きつつあるのに、現在もインデペンデンスしていない日本はアメリカの占領が続いているみたいだ。外敵からの防衛よりも、日本政府への内政干渉圧力でしょう。

 そんな苛つく爆音の因果を、茹だった頭で思い描きながらバスを待つ。ここのバスでは金沢と違って最前席に座らない。前のドアから乗車して先に料金を支払う。料金は一律。中央のドアから降車するシステムで、金沢市のバスとは乗降の出入りが逆だ。最前席に座ると乗車して来る人達にジロジロ見られる。見られるのは嫌だ。それよりも小立野でのバス事故を思い出す。自らの身体を傷付けてまで立ち開かって私を守り抜いてくれた彼は、この街にいない。

 バスは澱んだ淵の日陰のように彼を思い出させたけれど、バスの車窓越しや街中で見掛けた大型バイクのエキゾーストノートは、四月末の大桟橋の先端で嗅いだ潮風の臭いと雲の間にぽっかりと開いた青い空に照らされて群青色に輝く波間を思い出す。あの陽射しは暖かくて気持ちが良かった……。

 思い返す藍色の海原と蒼い空、それに仄かに熱を帯びて来る大気は、ジレラ君で諸橋地区の海沿い道路と星降るトヤン高原を全速で走らせた、あの夏の日の爽快感と高揚感を蘇らせて、今直ぐ、身軽に行動範囲を広げてスピードに自由と自己主張が有るバイクに乗りたいと思う。

 頭が茹るからヘルメットは被らずに加速で髪を乱して、タンクトップとミニスカートの裾をはためかせ、飽きるまで逃げ水を追い駆けたい。なのに、私が立つバス停にも、大学の駐輪場にも、ハイツの駐車場のもジレラ君は無くて、こんなにも渇望するフラストレーション重なりの解消が何もできなくて、背中を汗の玉が幾つも流れ落ちる汗ばみのように苛つかせてくれた。そんな苛つきも、夏の日の続きにならなかった肌寒い春の日を思い出させて寂しい後悔に浸らせてしまい、暑さでギラギラした肌がチリチリと焼けそうなのに、心は冷えて行く。

 言葉足らずのシャイで、パッとしなくて、人の気持ち知らずで、うんざりしていまうようなダサいセンスの彼…。どうして私は、そんなに彼を拒絶しなくなったのだろう?

 あの大桟橋の日に彼は、どんな酷い事をして私を傷付けたのだろうか? あの日のスケジュールを彼も、私も、勝手に思い描いていた。互いに情報交換と意思疎通の経験が足りなくて、私は彼に、彼は私に、不足分の補完と最終判断を委ねて頼っていたのだと思う。そして、事前に相手へ提案や確認を行わないままに当日を迎えてしまった。この後味の悪い気不味さは二人が同時に犯した単純な連絡不足の問題からだ。

(大体、私はデートをした事が無い未経験だったの! 告白や御誘いをされた男子に即行で断わっていたから、デートの経験値がゼロなのよ! あの人達とは、せめて一度、デートをしてから断われば、デートのセオリーや、センスや、気遣いを知ったんだろうなぁ)

 彼は私に会っていっしょにツーリングしたい一心で、天候も私の気持ちも考えずに会いに来た。私は私で、デートコースはファッションマガジンに載っているような都内の超有名所へと、漠然としたアバウトさで考えていた。

 あの日の私が思い描いていたような事前サーチもしていないアバウトなデートを、電車で来てくれた彼と東京でしていたら、今と違った気持ちになれていたのか分らない。私が今までのような無意識に壁を作って彼任せにしていたのだろうか? でも…… 納得がいかない!

(私は悪くない! 私がデートしようって言ったのだから、私の意向ぐらい訊いて来て、それに合わせろっちゅうの! ……じゃあなくて、こっちを少しばかり知っている私が……、リードすべきだったのかも?)

 確かに私にも非が有ると思う。それでも鈍感な彼の非の方が圧倒的に大きいと思う。

(そりゃあ、あなたは優しいよ。きっと私の知らないところで、いろいろと凛々しいのかも知んないけど、もういいの。七年間も構ってあげたし……)

 私は弓を構える彼と、カツ丼を食べる彼を思い出していた。

(あなたとは、ミスマッチなのよ)

 私のつれない言葉や文字、態度も。彼の想いを砕く手も、彼の気持ちを踏み躙る足も、全て静かに彼の中に沈んで行く。それを彼は防がない。抗わないし撥ね返しもしない。私が彼にする我が儘を、彼は私に遣り返さない。無理強いする強引さや自己中心的な我が儘を彼は私にしないし、するような素振りも無かった。

 私の我が儘は彼の中に留まっているのか、熱く溶けて彼の想いに融合してしまうのか、それとも、霞のように力無く霧散して彼に何も感じさせずに消えているのか、それは分からないけれど、私の我が儘が彼を貫いて、彼が誰かに八つ当たりをしている事も無いみたいだった。

(私は物足りなかったの…。ずっとドキドキさせて、ときめかしていて欲しかったのよ)

 でも、彼は優しくて、我が儘な私を受け止めていてくれただけ……。

(彼が強引にリードしたり、表だって彼氏みたいな態度になると、フリまくった他の言い寄る男子達と同じように、直接、冷たい拒絶の言葉と態度で、彼に終止符を打っていたくせに……)

 そう、彼が他の男子達と違っていなければ、私は自分のとっていただろう行動を分かっていた。

(もしかして、彼も初めてのデートだった? ……まさかね)

 首都圏の華やかさに当てられたのか、今はもう十分に纏わり付く彼の田舎臭い鈍さが鼻に付いていたのか、私に言い寄る男も、私が気になる人もいない。

(私は、すっきりした身軽な自分へ、リセットしたくなっているのかも知れない……。金沢の私を知る人がいないこの街なら……、もっと軽いトークができて、明るく爽やかで、お気楽な男友達なら……)

 イヤホンのコードが複雑に絡まって、直ぐにお気に入りの曲を聴けないような焦りと、自分のずぼらさを呪うのに似た苛立ちでジリジリする。

 いつの間にか、私は俯いて下唇を噛んでいる。ハッとして上目遣いで周囲を見渡した。バスを待つ人達は私に無関心で、誰も私を見ていない。誰かに見られている気がしたのに。

「ねぇ、どこ行くの? 思い詰めた顔して」

 不意に掛けられた声にドキッとした。いつの間にか、目の前にメタルグレーのGTRが停まっていて、傍迷惑なアイドリングサウンドを響かせている。その車内からドライバーが私に声を掛けていた。下げたドアウインドーから漂う冷気が私を誘う。

「なんか、悔しそうな顔していたよ。何処まで?」

 時々セミナーで見かける先輩だった。女子大生達に人気が有って、私的にもけっこうカッコイイと思っている先輩だ。

(見られた……)

「……町田の駅」

 恥ずかしさで上目遣いのまま小さな声で答えた。

「いいよ。ささっ、乗って」

 促されて私は、この苛立つ暑さから逃れれば幸いとばかりに、サイドシートに座り込んだ。シートベルトを締めながら、先輩に声を掛けられてラッキーだと思っていた。寒いくらいの冷房が気持ちいい。

 暫くして、茹った身体が冷やされて頭がすっきりしてくると、無警戒で先輩の車へ乗った事に後悔が湧いて来た。見知ってはいるものの、初めて声を掛けられた男の人の車に乗ってしまった!

 後部座席に男達が潜むように並んでいたら非常事態レベルで脱出してしまうのだけど、車内には先輩と二人きりのアダルトなシチュエーションに困惑してしまう。

(先輩は、どうして私なんかに声を掛けて自分の車に乗せたのだろう?)

 いつもの癖で、頬杖をついて窓の外を眺める私の思いを悟ったのか、

「君が気になっていたんだ。今日はバス停に立つ君を見かけたから思い切って誘ったんだ。誘われてくれたからナイスだよ」

(『誘われてくれた』? ……だよね。そうなっちゃうわね)

 明るい声で先輩は続ける。

「キャンパスで初めて見掛けた時から君が可愛くてね。気になっていたんだ。あれから君に魅せられていたんだな。いつか誘おうと思っていたよ」

(また、私の外見からのアプローチだ。可愛さなんてどうでもいいのに!)

 でも、先輩を格好良くて明るく素敵な男性だと見ていたから悪い気はしない。何の躊躇も感じさせない軽やかな『可愛い』に絡む、慣れと自信が煙い。それでも、『私に魅せられて』と言われたのは嬉しかった。

「町田なんて、そんな近いところでいいの? せっかくだから、もう少し遠くまでドライブしようよ」

 私を可愛いと言った先輩は、さり気無く滑らかに誘う。

「行きたいところは無いの? 行ってみたい場所は?」

 先輩の誘い方に、新しい交際の予感がして頬がちょっと熱くなった。

「横浜港の大桟橋……」

 無意識にその地名が口から出た。その場所を言ってしまった自分に驚いた。私は思い出を上書きしようとしている。彼に対してなんと残酷になれるのだろう。

(上書きして無かった事にするのは、やっぱり酷いよね。彼じゃない素敵な男性に、ふと恋のときめきを感じても……、直ぐに上書きして彼との思い出を消して去るべきじゃないわ。消去が必要になっても、ずっと後でいいわ。やはり大桟橋へ行くのは止めよう)

「OK! それでは大桟橋へ行こう」

(ええっ!)

 内なる自分の残酷さを否定する私の思いを余所に、先輩はこれから大桟橋向かうと告げて私をドギマギさせた。屈託の無い先輩の明るく通る声が、内なる自分を否定した思いを軽くさせて、私自身に納得させた思いを乱して迷わせる。

 大桟橋向かう先輩の車の中、先輩は私に多くの質問として話題を振って来た。その一つ一つに受け応えしていたけれど、私は質問された事柄も、振られた話題も、返した言葉も、殆ど覚えていない。

 サイドシートに座った瞬間から後悔が襲って来た。

(そんなに拘らなくても、次は彼に電車で来て貰えばいいじゃない。もう一度、彼にチャンスをあげてみても…)

 あの大桟橋へ行った以降、日を追う毎に私から彼へ送るメールは減って行き、今では月一度しか、しかも当り障りの無い有り触れた日常事しか打っていない。私からの返信がめっきり減った今でも、彼は週二度の約束を守ってメールを送り続けて来ている。そして、それは私との再会を望むメールばかり。

 今、私は彼を無くそうとしていた。彼を受け入れて彼の想いに応えようとしていた私を否定して、私の彼への想いも無かった事にしてしまおうとしている。

 先輩の歯切れの良い明るい声と速いレスポンスの利発さに、横浜市街に入る頃には彼を消し去る残酷な自分を肯定できるようになっていた。先輩との会話がスーッと香りのように抜けて行く程に、聞き取り易い音域のボイスは甘くて、私のハザードを擽るように散らす抑揚が気持ち良い。

(もう、彼なんて、どうでもいいかも)

 夕方に着いた大桟橋は、さっきまでの強い陽差しが陰り出し、先端にたどり着く頃にはびっしりと暗灰色の雲で空が覆い尽くされた。辺りは暗くなり風が吹き去る度に、風に運ばれてくる冷たい湿気が濃くなって行く。今にも夕立になりそうだ。海の色は輝きを失って艶の無い汚い感じの灰色に見える。彼の大型バイクの後ろに乗り、初めてここに来た時と印象が全然違う。

(この天気じゃ、上書きは無理ね……)

 ミナトミライの洗練された高層ビル群と白いベイブリッジ、そして晴れ間の無いどんよりと曇った空を見ながら、私は再び上書きをすべきなのか迷っていた。

「どうしたの? 真剣な思い詰めた顔で唇を噛んで。バス停でも唇、噛んでたよね。悩みか不安な事でもあるの? なにか、僕で力になれる事なら相談されるよ」

(また、見られていた……)

 でも、先輩の優しい声は、不安で躊躇う私の気持ちを薄れさせてくれる。

     *

 相手の位置を確認できるアプリをダウンロードした。それは携帯電話用の面白いアプリを探して、海外のアンダーなアンノンウンサイトに潜り回っていたら偶然に見付けた。ウイルス駆除ソフトに検知されない無料のフリーアプリだったから、恐る恐るダウンロードしてみると全て暗号めいた英語表記だったのは参った。だけど、アプリの使用目的から関連付けて表記の意味が解ると、実際、ウイルス感染やバグも無く、調べたい相手の電話番号を入力するだけで即行で、相手の位置確認ができる便利で違法なワンサイドアプリだった。今のところは、理不尽な使用料金の請求は来ていないし、毎月の額も契約枠をオーバーしていない。……それでも、何かしらの危険性が有る不安は払拭できなくて、定期的にバグとウイルスのスキャンチェックをしている。

(まあ、私の携帯電話から、危険性が拡散されてるかも知んないけど、優先すべきは身近な観察対象と清算したい対象の行動なの……)

 通常の位置確認サービスは、確認相手の認可を求めて許可されると位置を地図上に知らせてくれる。日本国内なら誤差は五十メートル以内だ。先輩は、……用心深い人だと思う。それは私も同じで、携帯電話を手に入れた時から位置表示設定はオフにしている。先輩も同じオフにしているはずだ。でも、このアプリは違う。

 相手の携帯電話の電源が入っているだけでいい。位置表示設定もオンにされていなくてもサーチでき、相手の認可や許可が要らず一方的だ。しかも相手に気付かれる事なくアクセス履歴も残らない。シークレットに相手の携帯電話の所在を知る事ができるスパイアプリだ。

 その使用目的の違法性から、アプリ制作者は世間を騒がせたいだけの愉快犯だと考えて、翌日、お気に入りに登録したサイトを開くと案の定、サイトは抹消されていた。また海外の違うアンノンウンサイトに違うアプリネームで登録され、何処かの誰かに偶然見付られてダウンロードされるのを待っているのだろう。

 スムーズにインストールを終えて、試しに姉と両親の現在位置を表示させる。ちゃんと三人のそれぞれの所在が表示されて、動作は正常と確認された。因みに両親は金沢の自宅に、姉は金沢の街中でデート中らしかった。

 いつ調べても先輩の位置は探知できた。やはり、イケメンで人気の有るモテモテの先輩の位置表示はマップ上でそれなりの場所を示していた。

 いつでも、それなりの場所にいる先輩の位置が分かった事に少し不安で焦っている私がいた。不安や疑りや嫉妬の要素ばかりを気にし出し安堵を得られない事に気付いたからなのか、それともスパイ的な行為をしてしまった後ろめたさからなのか分からないけれど、数度の試しを終えてから確実に動作した確証を得ると、とても悪い事をしているような良心の呵責的な罪深さを感じて、以後、私はこの違法アプリを使用しないように意識する封印をした。

 でも、何時何処で危険回避が必要になるかも知れないから、アンインストールは行わない。

 彼は、中学校二年生の時には既に携帯電話を所持していたけれど、たぶん、OSと初期設定は弄っていなくて今もそのままだと思うから、このアプリは使えると思う。そして、このメールを送る前に彼の現在位置を調べてみた。

 調べると思っていた通り、彼の携帯電話の位置表示設定はオンにされていて、直ぐに位置は表示された。親が子供に、小学校や中学校の頃から買って持たせる携帯電話は大抵の場合、位置表示設定が購入時の初期状態から既にオンに設定されている。

 分かった位置からすると、今、彼は静岡市駿河区の住宅街に居るらしい。時間帯からしても、きっとアパートの自分の部屋に居ると思う。

 彼の居場所を確認した私は躊躇いも無く送信アイコンへ触れる。

【彼氏ができたよ……。大学の先輩。格好良い人で背が高くて美形だよ。かなり女子達の憧れの的だったのに、このあいだ、その先輩から声掛けられちゃって、私でいいのって感じだったけど、なんか運命的なものを感じてしまって、それから先輩と御付き合いをしているの。男女交際ってやつね。……だから、もういいの。今までありがとう。彼氏っぽく扱っちゃって誤解させたかも知んないけど、あなたを彼氏と意識したことは無いの。やっぱり『ありがとう』じゃなくて、『ごめんなさい』だわ。だって私は、あなたのメル友でしょう。私達、男女交際までいっていなかったよね。あなたは私に何度も『好きだ』と伝えてくれたけど。私は一度も『あなたを好き』と言っていなかったでしょう。ごめんね。……あなたに相応しい素敵な女性が絶対いるよ。でも、それは私じゃないから……。ねぇ、もう私じゃなくてもいいでしょう。あなたが私を見なくなれば直ぐにでも綺麗で可愛くて賢い、こんな私と違って優しい彼女がきっとできるわ。あなたの幸せを祈ります。私は、あなたでは無い、あなたと違う別の男性と幸せになります。私の事は……、もういいよ。忘れて下さい。わかってくれるでしょう】

 私に恋心を寄せて片想いをする彼を、私を支えて応援してくれた知人のようにして、これまでの私への想いを決定的に断ち切らざるしかないように書いた。あっさりと私が悪女っぽく思われるように書いた。

 そんな一方的な彼を落ち込ます酷い言葉を連ねるしか、思い付かない私が嫌いだ。ワザと彼を傷つけるのだと分かっている癖に、私から送られて来た、つれなく傷つけるメールに項垂れて歩く彼の姿を見たくないと思う。

(彼は悪くない。私達は二人で何かをするのに慣れていなかっただけ……。思い至らない事が多くて、伝えるのも下手だったから……、躓いてしまったのよ)

 確かにそうだったと思う。私の身勝手な御都合にしか過ぎず、彼よりも先輩を選んだだけ。彼は怒って私を罵るだろうか? いや、罵るぐらいじゃ怒りは鎮まらないだろう。怒るに任せて殴る蹴るの暴力を振るうかも知れない……。そう言えば、彼の怒った顔を見た事がなかった。

 書き上げたメールを送ろうと、送信アイコンへ動く指が躊躇いで止まった。送られたメール文は出だしから彼の想いや願いを絶望へ落とし込んでしまうだろう。私は今一度、彼と先輩を天秤に掛けてから、タッチパネルに触れた指に力を加えた。

 相模大野の駅前で、あのまま寛容になれていれば良かったのだと思う。

(私は、そのつもりだった……。でも……、目に映るあなたとの距離は近くても、心の距離は異質で遠くに感じたの。……ごめんね)

     *

 携帯電話のコール曲は彼からだと知らせている。初めて彼から電話が来た中学二年の時に、『電話しないで。私、電話嫌いだから。メールはいいけど』そう、伝えた。

 彼は今まで、それを守ってきていたのに……。でも想定内で当然の反応だ。

(ふぅーっ、やはり、簡単には切れないか。しょうがないな)

「もしもし。電話しないでと言ったでしょ」

 通話を開くなり、わざと語気を強めて、私は言い放つ。

(私に、未練を持たないで……)

「…………」

 彼は返事をせずに黙っている。無言の静まりは私に虚空を感じさせた。とっさにGPSを起動させて彼の位置表示を行う。

「なんか用? 何も言わないのなら切るよ」

 私はまた、きつい言い方をする。

「会いたい!」

 ボソッと小さな声で彼が言った。虚空は焦りと憤りに変わる。GPSで表示させた彼の位置は近くだった。

(近くだ! 直線距離で三百メートル。彼はここに来ている!)

 私は彼から離れるように、大学の構内を移動する。

「会いたくない!」

 彼の声を聞きながら、私は春の教室での出逢いから相模大野駅の別れまでを思い出していた。

「会って、話がしたい……」

 彼と歩いた春の大桟橋の麗らかな陽射しを思い出す。暖かい風が身体を抜けたような感がして、声の向こうに痛めた足を少し引き摺るように歩く彼が見えた気がした。

 今の季節、秋雨前線や台風の接近で天候は変わり易くて荒れる日も多い。風雨が強い冷えた日に彼と再び大桟橋を歩けば、春色のメモリーをブルーグレーな色に塗り替えるのは容易いかも知れない。でも彼を見たくないし会いたくもない。今の私も彼に見せたくない。きっと彼を見る私の顔は醜く歪んでしまう……。

「話す事なんて、なっ、何もないわ! メールを読んだでしょう」

 彼とブルーグレーな大桟橋にするよりも、もっと華やかで気持ちの良い私の中の大桟橋に先輩と置き換えたい。

「会うのも、話すのも必要ないでしょう。電話、切るわよ!」

 先輩と親しく付き合いを重ねるにつれて、私の先輩への想いは憧れから恋へと変わろうとしている。彼に邪魔されたくない!

「会いに行く! 僕は……」

 平坦で思い詰めたような彼の声が耳の中で小さく反響する。焦りと憤りに不安が被さった。

「会いに来ないで! 会いに来てどうするつもり? 話しをしてどうなるっていうの? 絶対に会わないからね。私は……、あなたを振ったの。そして、大学の先輩を選んだの。あなたを拒みたいのよ! 今、先輩と楽しく付き合っているわ! 素敵な男性なのよ……。だ、か、らぁ、邪魔しないでちょうだい!」

(しつこい奴! いい加減にして!)

 少し彼が恐くなった。不安の暗がりは嫌悪の防壁に置き換えられた。

「君を探して会って……」

(私を探して、見つけて、会って……?)

 嫌悪の壁は逃避の広がりを持つ。

(何言ってんのよ! 私に何する気? ……こんな人だったの?)

「探さないで!」

 思慮の足りない彼の幼さが私をムカつかせる。

(もっと大人になってよ!)

「絶対会わない! 嫌よ! そんなストーカーみたいな事をしないで。……お願いだから諦めてよ。……あなたはそんな人じゃないでしょう」

 これ以上、彼の声を聞きたくなかった。彼は私を責めている。

「もう切るよ」

 そう言った瞬間、彼が叫んだ。

「好きなんだ! 君が好きだ!」

 耳から携帯電話を離そうとした手が止まる。彼は何度も繰り返し叫ぶ。

「好きだ! 好きだ! 君が好きだ! すきっ……」

 彼は叫ぶのを止めない。

「あなたは、もういいの……」

 私は小さく呟いてスピーカーの音が割れる振動で震える携帯電話を見つめ、タッチパネルの赤いアイコンにそっと指を触れさす。私は通話を一方的に切った。震えるスピーカーから聞こえていた彼の我鳴り声が、ふっと消えて耳の中に反響が残る。電波を通してだけど、初めて彼の声で彼の強い想いを聞いた。なのに、私は急いで電源も切る。

 彼からの電話はそれっきりにした。もう彼が私に電話を掛けても着信する事はない。取り敢えず彼への着信応対は、平坦なイントネーションで無情の自動再生ガイダンスに任せる。

(講義が終わり次第、今日中に電話番号とメールアドレスを変更しよう)

 彼の叫びが耳に付き纏い私を苛付かせる。非力な子供をいきなり虐めて閉じ込めて遣った気分だ。してやったとの思いと虐めたという意識が鬩ぎ合い、自分基準の呵責で気分が悪くて吐きそう。

 大桟橋の日の不満と腹立たしさを、才能が無くて挫折したピアノへの憎らしさと悲しみを、人生を先へと進む彼への妬みと、置いて行かれそうな焦りと寂しさを、大学で専門の講義や実習を受けて学ぶほど、本当に臨床工学の知識を活かせる医療の仕事をしたいのか分らなくなる迷いを、ただ流されているような日々への苛立ちを、そして、付き合い始めたばかりの先輩への不安も、全部、彼にぶつけた。だから私にも非が有る。

 突然、一方的に別れを告げられたら、戸惑って納得いかないのは当たり前だ。

(説明や言い訳もされずに突き放されたんじゃぁね。彼にストーカー紛いをされた挙句、酷い事をされても仕方ないかも。まっ、……その時は、私も暴れるけどね)

 ムカムカする私は、電源を落として着信不能にした携帯電話を見詰めながらそう思った。

     *

 夕方近くに電話番号を変更する為に来たショップの前で、オフにしていた携帯電話の電源をオンにする。オンにした途端に手の中で震え着信音が鳴った。着信は、またしても彼からで、今度はメールだ。先に彼の番号とアドレスを消去してからショップに入ろうとしていた私は、偶然にしても彼からのメール着信には、理不尽に因縁めいたモノを感じて驚いた。なんだか気味が悪いと思う。

(どうせ、謝罪尽くしか、御願いだらけか、私への非難ばかりか、まっ、そんなところの書き連ねでしょう。いい加減にして!)

 彼のメールの着信とメール内容を予想する自分がウザイと思いながらも、私は一応メールを開いてみる。

【ずっと君を見ていた。ずっと君を想い続けて来た。世界で一番、君を好きなのは僕だ! 僕以外に君を幸せにできる男はいない! 君は僕の全てで、僕も君の全てなんだ。ただ君はそれに気付いていないんだ。気付かなくても感じているはずだ】

(あんた、何様のつもり?)

 冒頭から捨て身で書き連ねた断定的な文だった。気持ち的に『あなた』とは、呼び掛けれず『あんたに』なる。読み始めて直ぐに腹が立つ。自分だから私を幸せにできないと、なぜ気付かない。

(確かに、そう感じた時も有りました。でも今は違います。あんたは全然、私の全てじゃないから)

 読み進むのを止めて、直ちにメールを削除しようと考えたけれど、悲愴感が溢れる勢いで何を書きたい放題したのか、確かめて遣りたくなった。

【僕は、君が大勢の男達に好かれて多くの告白をされている事も知っている。でも告白した男達はみんな偽物さ。奴らは君の本当のキャラを知らないからな。だから、君は錯覚して自惚れているだけなんだ。それは幻想で全くダメだね】

(なにさ! これで、あんたも偽物になったじゃん。この期に及んで、やっと言いたい事を書いて来ただけじゃんか。これ、……あんたの本音だよね)

 男の子達に好かれてラブレターやラブメールを沢山貰ったのは事実。ラブレターをくれた男の子の殆どは、一度も話した事が無くて書かれている名前を見ても誰か分らないし、顔も知らない人ばかり。でも、私は一つとして無視しなかった。告白してくれた一人一人に私はちゃんと言葉で、文章で、はっきりとストレートに断った。それが断る相手に対する誠意だと、私は信じていた。

 ずっと男子に興味が無くて惹かれる男子もいなかった。モテたいと思わないので私から男子に声を掛けたり接近したりしていなし、自惚れを自覚した事も無い。

(興味を持った男子は、あんただけだったよ。だけど、先輩に声を掛けられた時は、付き合ってみても良いかなと思ってしまったから)

 取り敢えずの『最初は友達から』や『恋愛ごっこ』みたいのは、面倒で鬱陶しいから嫌で、再三のアプローチにも気持ちは揺らがない。あまり明るく振る舞えない私の態度や言動は、大人しめな女の子のオーラを放っていたと思う。その外見から感じる私のキャライメージは偽物じゃない。だから、そんな私に告白してくれた人達は、偽物じゃないから!

(あんたこそ、私のキャラを作ってたんじゃないの?)

 あいつが勝手に創造する私のキャラと偽物呼ばわりに心底ムカつきながら、私は読み続ける。流石に二人称も親しみ敬う『彼』から、忌み嫌う憎ったらしい『あいつ』に逆戻りだ。

【女子達が憧れるイケメンの先輩だって、君を騙しているだけだ。そんなモテモテのイケメンが、まともに君の相手をしてくれるはずがないだろう。もし本当に誘われたのなら、それはただのナンパで、君は騙されているのさ】

(先輩が私を騙す…… ね、それは、有り得るかも知れない……)

 どこか得体の知れないところが有る。胡散臭いと言うか、怪しいと言うか、デート中でも電話やメールが頻繁に着信すると、必ず先輩は私から少し離れて受ける。そして、いつも心ここに在らずの態度になってしまう。

『どこの誰から、何用で掛かってくるのだろう』と、すっごく疑問だ。これとタバコを吸わなければ、もっと信じてあげれて気持ちがのめり込むのに……。

(あんたの思っている通りかもね……)

 メールは長くて、まだ続く。愚痴と非難ばかりで嫌気が差して来る。

【それにスタイル的にも、フェイス的にも、キャラクター的にも、センス的にも、もっと可愛くて綺麗で知的に優れた女子大生は大勢いるよ。君のようなのを理解しているのは僕だけだ】

(ムカッ。とうとう私のボディスタイルまで、言って来やがった! 『君のようなの』って、どんなのよ!)

 いくらフラれて悔しいからって、好きになった女の子の容姿を非難してはいけないと思う。それは最低の行為で、しかも恩着せがましいのは超最低だ!

(不細工なスタイルにブス顔、それにニブイ性格で変なセンスかぁ。よく、こんな私をずっと好きになっていてくれたもんだ。まったく、あんたには感謝してるよ。ありがとうございましただわ)

 顔の作りへの指摘に、私は『十人並みプラスでしょう』と思う。ABCDEの五段階分別ならBマイナスかCプラスだと自己評価している。ボディプロポーションだって悪くない。爆乳や巨乳じゃないけれど出るべきところは、ちゃんと出ていてグラビアアイドルには難しいけれど、自己嫌悪せずに街を歩けるくらい至って普通だ。ウエストもヒップも足首もそこそこに括れているから、決してスレンダー系と違う。脚も極端なO脚やガニ股でない。

 第一に親から授かった身体を、ずっと私を想い続けていてくれた、あいつだけには言われたくなかった。理解されていられても、ちっとも嬉しくない。

(なんで、ここまで書いてくるかなぁ。いちゃもんばっかりで悲しくなるよ)

 今のところキャラはこのままだ。変える気が無いというか、変え方が分らない。きっと、私のキャラを変えるのは、私以外の影響で私自身が自覚すれば自然と変わっていけると思う。センスも同じように私の愛と、愛を得ようとする私の願いと、愛する男性から想われる愛が変えてくれる。

 あいつは私を愛してくれたけれど、私はあいつを愛さなかったし、積極的に愛されたいとも想わなかった。これで、あいつの愛は消えて行くだろう。

(本当に、あんたは酷い事を書いてくるね。許さないから!)

【そして、僕が君にされたように、君も先輩に捨てられるんだ。それは、肉体的にも、精神的にも、酷い目に遭わされてからかも知れないぞ! 辛い目にあって、僕を振った事を後悔しろ! その時には、既に僕は、君とは違う素晴らしい女性に巡り逢えて幸せにしてるよ。じゃあな。奈落の底に落ちやがれ! あばよ!】

(ふぅーっ、やっと読み終えた。何が『あばよ』よ! それは私のセリフだっちゅーの! だいたい今、奈落の底に落ちてんのは、あんたでしょ!)

 終わりは予言の書もどきで、暗示賭けで呪詛だった。

(『酷い目に遭わされて、棄てられるかも』だなんて、余計な御世話だ! 呪ってんじゃないわよ!)

 あいつの思っている通り、みんなの憧れの先輩に誘われて何度かデートをしただけで、それが私も気持ちを舞い上げているのだと思う。でもまだ、恋愛感情を抱かせるほど心は許していないし、安心できるまで見持ちは堅くしているつもり。

 それに、たぶん私は『先輩に棄てられる』前に先輩を捨てられる…。『酷い目に遭わされる』前に痛い目に会わせて遣れるかも。由って後悔はするだろうけれど、辛い事にはならないと思う。

 最後は自分のバラ色の近未来まで語っている。気持ちの切り替えの早い奴だと思う反面、あいつの諦めの悪さの裏返しだとも思う。

(絶対、許せない! あんたこそ、巡り逢えた素敵な女に棄てられればいいのよ!)

 こんな無礼で無神経なアホウに少しでも非を認めた自分が恨めしい。仕返ししてやろうと思って、ちと考えた。あいつに落ち度や欠点が有ったけれど、三行半に収まらなかった離縁状を一方的に送り付けて、先に始めたのは私だった。ここで終わらせなければ納得の行かなさと悔しさが、悪意と憎しみになってしまう。

 それに、私からの反応が無い方が効果的で、あいつは後悔して悩み続けに決まっている。より過激に行動されたら困るし危険だと思うけど、今はそうする。

 直ぐ様、目の前の携帯電話ショップに飛びこんで、私は電話番号の変更を依頼した。幾つかの新規の番号の中から語呂と縁起の善さげなのを選んで、携帯電話を係りの人に渡すと番号の変更はあっさりと完了してしまった。そして、その場でメールアドレスも変える。これで、あいつからの電話とメールは永遠に着信しない。

 続いて電話とメールのあいつへ送信と、あいつからの着信の履歴を全て消去すると、あいつの電話番号とメールアドレスを削除した。

 携帯電話内の電話帳以外のどこにも、あいつの電話番号とメールアドレスを控えていないから、あいつへ電話を掛けたりメールを送信する事は、これで不可能になった。もちろん、私の脳内メモリーの対象にもなっていないから記憶していない。

 消去確認の為、一旦、電源を落として再起動する。開いた電話帳と着送信履歴には、彼の名前と電話番号とメールアドレスは表示されなくなり、送着信の履歴内も、きれいさっぱり無くなっていた。

 これで、あいつとの全てにケジメを付けて消したから、すっきりした気持ちで忘れ去れるはずだったのに、あいつの仕返しメールに反撃できない鬱積がチリチリ、チクチクと、私の身軽になった気持ちを足枷のように苛んで来る。

(あーっ、イライラする。いつか、あいつに誹謗中傷メールの釈明と弁解をさせて遣るわ!)

 いつか偶然に出逢って声を掛ける気分と状況だったら、責めて遣ろうと心に誓う。それなのに暫くは、あいつの叫んだ想いが耳に付き纏った。

 それからは、鎌倉、葉山、横須賀、お台場、TDL、湘南、江の島、熱海、小田原、真鶴、箱根、相模湖、富士五湖、と、ウィークエンドは毎週のように先輩とドライブに出掛けた。

 先輩は泊まり掛けの遠出も望んだけれど、それを拒む私の強硬な要請が毎回日帰りで行ける観光地に換えさせて、決して宿泊や御休息ホテルへ入る事は無く、遅くても夜十時には相模大野の駅前で別れて、絶対にハイツの前まで送って貰う事はしていない。悪天候だとデートは取り止めで、地勢上の危険な場所へは行かないし、近くの道も通らない。先輩の魅力に惹かれて恋焦がれそうだけど、まだ無防備に心を開いて身体を委ねてはいなかった。

(……私は、あいつの呪いを怖れている……)

     *

 年末に帰省すると不在の間に届いた郵便物の中に、あいつからの手紙が有った。その一通の手紙以外はDMか御役所からの通知ばかりだ。

 青いインクで淡黄色と若菜色の横縞の便箋に書かれた文が、水色の封筒に入れられていた。それは短い手紙だった。躊躇いがちな萎えた文字で書かれ、所々濡れたようにインクが滲んで、文字が掠れていた。

『僕は貴女が好きです。いつまでも好きです。僕が貴女を幸せにします。僕しか貴女を幸せにできません。と想っていました。でも、今は貴女の幸せを祈ります。幸せになってください。さようなら』

 前置きも無く、本題からの始まりに正直、私は退いた。

(まだ、あいつは私を想っている。あれだけはっきりと突き放したのに。それに、貶めと呪いの迷惑メールも送って来た癖に、……しつこい奴)

 だけど、あいつがあっさりと身を引き、私の幸せを願ってくれるのが以外だった。そう書かれると私も御願いしなくてはならない。

(いつまでも、好きでいなくてもいいよ。迷惑だし。まあ、半年か、一年も経てば、新しい彼女ができて私を忘れるわ。きっと……。あなたも幸せに……、ありがとう。……さようなら)

 縞柄の便箋をクシャクシャと丸めずに折られていた通りに畳み、水色の封筒に戻して握り潰さずに屑入れに捨てる。

「永久にお別れかな……。バイバイ!」

 からっぽの屑入れの底に落ちた封筒の寂しげな水色に、小さな声でお別れの言葉を添えた。

 

 ---つづく