遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

緩む肩の力(私 高校三年生 ) 桜の匂い 第七章 拾

 天高く馬肥ゆる秋晴れの日曜日、例年通り今年も実行された長距離歩行蔡。

(秋は美味しい食べ物だらけで、私は太っちゃったけれど、わざわざ学校がセッテングしてくれる、ダイエットウオーキングは、距離が有り過ぎで、けっこうキツイんだよねー)

 などと、不満や愚痴を押し退けて詰まらないジョークを思いつくほど、三回目になると余裕が出て来る。その余裕でいろいろ考えながら歩いてみようと思う。テーマは残り数カ月の受験期間と入試本番のシュミレーション、それと晴れて合格した大学でのキャンパスライフだ。……彼の事も、ちゃんと自分の素直な気持ちに向き合ってみた。

 歩き始めて暫くは、テーマの受験勉強のシュミレーションや希望に満ちたキャンパスライフ、それに例年と同じように歩く意義と効果について考えていたけれど、あれやこれやと考えれば考えるほどバカバカしくなってしまう。

 現在の過度な受験と合格競争、そして、受験する多くの大学の専門学校化しつつある実態に疑問を持つ先生がいても、校長、教頭、学年主任に進学率や進学先のレベルに拘る人がいたら、それに従うしかない。学業の成績さえ優秀ならば、多少、素行が悪くて内申書に停学が何日間と書かれていても余り問題は無い。そんな子は賢くて自立・自主性が有るとされ、方針的にも欲しがる大学や学部は多く存在していた。

(長距離歩行蔡で得られる達成感って、いったい何よ! 立山や白山への登山のように『あの頂を目指して新たな世界観を』じゃなくて、ただ『歩く』のが目的で、『歩き通す事』が目標だなんて、凄っごく虚しくない?)

 歩行蔡でフルマラソンと同じ長距離を、何の学習見聞も無しにダラダラ歩くだけなのよりも、進学校なのだから午前と午後の授業の中間辺りに、心身のリラックスとダイエットを兼ねたエクササイズを五分ほど入れてくれた方が、よっぽど勉学に集中できるし、より健康的でしょう。

 受験・入試が社会のシステムの一環で、それが抗っても避けられない通過点ならば、私は突き進むしかない。それも自分で選んだ事なのだから。

 考えても悩んでも受験までは、限られた時間内で遣るべき事と出来る事を、自分なりに最善を尽くして行わなければならない。重く圧し掛かる大学入試が、絡みつくような枷として残るか、私の人生の糧になっていくのか、いずれにせよ徒の通過点にしか過ぎない。これも実際に体験してみないと分からないから考えるのを止めた。

 生きていくのも同じだ。その時、その場にならないと分からない。ある程度の予想は出来ても、思い違いや、食い違いや、期待外れ事の方が多い。だから大学合格後のイメージも希薄になってしまう。

 だけど今、三度目も歩き通そうとしいているこの歩行祭は理解できない。こんな意味を見い出せない学校行事に、否応なく参加している自分が情けなくて悲しい。

 歩いている間に良く思ったのは彼の事だった。付き合っている仲じゃないから彼って呼ぶのは可笑しいけれど、一応メル友だから自分の中では、そう呼んでいる。彼って言い方に替えたのは数ヶ月前からだ。それまでは、彼が初めて私に声を掛けた時から六年あまり、『あいつ』や『こいつ』と、意識していながら蔑視で括っていた。

 別に軽蔑して差別していたわけじゃないけれど煩わしい気はしていた。私の冷たいメール文とつれない態度にめげずに親しげなメールを送り続けて来る。それを私は面倒だと感じていた。

 彼の四角い爪への指摘は春眠にまどろむ私を苛つかせ、私に肉体的な異常を意識させてコンプレックスを抱かせた。それなのに私が不愉快に思ってしまって嫌う、この四角い爪を彼は素敵で綺麗だと言ってくれた。

 好意を持った女子の爪の形が気になって声を掛けて来ただけで、彼に私を貶めるつもりは無かった。私が勝手に彼の悪意を創造してコンプレックスを持ち、誤解して僻みを抱いていただけで彼は当たり前に四角い爪を含めた私を好きになってくれていたのだ。

 少しづつ沁み込み浸透した彼の誠意と優しさは、私の一方通行で頑迷な誤解を除々に瓦解させて気持ちを開かせ、真夏の立戸の浜で私を素直にさせた。

 私の傍に立ち尽す彼の気配、廊下を全速で追い駆けて来た彼、目の前で小刻みに震える彼、感動の熱唱を私に捧げてくれた彼、道路の向こう側をいっしょに歩いていた彼、叫んでから逃げるように走り去った彼、私のスカートの中を覗き続ける彼、凛と弓を引く彫像のように張り詰めていた彼、バス事故で楯と成って私を守り、傷を負ってしまった彼、薔薇の花束の約束を守った彼、暑中見舞いに託したメッセージに気付いて会いに来てくれた彼、そして毎朝、真横にいて私を守るオーラを放つ彼、今、素直になれた私はその全ての彼を受け入れて、歩きながら彼を愛おしいと感じていた。

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 毎年夏休み明けに開催される文化祭の終了後、彼は私の受験勉強を妨げないようにメールの回数を減らしている。

『学校じゃ、勉強しろ! 頑張れ! って、そればっかり』

『受験は団体戦なんだって! チームワークなんて、入試に必要だっけ? それでいて孤独な戦いに慣れろってどうよ!』

『やっぱり私は、頭、悪いわ。全然、覚えらんない』

『勉強範囲を、もっとピンポイントに絞れないかなぁ、入試、私に代わって受けてよ』

 などなど、私の不満と愚痴だらけのストレス解消メールを、優しく受け止めて返信して来る以外、彼はメールの送信を控えてくれていた。

     *

【おはよう! 就職が決まりました。静岡へ行くよ】

 マナーモードにした携帯電話がブルン、ブルンと馴染みの振動を繰り返して、暫くぶりに届いた彼のメールは就職の内定と県外の就職場所のサプライズだった。

 冷たい時雨が降り続け、もう直ぐ季節は冬になろうとする寒い朝、後期からの早朝補習に出席する所為で私の乗るバスが早くなった為に、めっきり乗り合わす事の少なくなった彼が今、いつもいるべき場所の真横に立っていてくれて嬉しい。

(絶対、近くに来てと言ったのに、静岡市の場所は隣の県だけど、相模原の近くじゃない……)

 私は携帯電話の画面の地名を見詰めながら心の中で毒づく。

(んっ、もう。なんだって静岡なのよ。神奈川県内や西東京辺りからの求人は無かったわけぇ? 別に私が志望する大学の在る相模原市じゃなくても、八王子や川崎や小田原辺りに、あなたの希望に合う企業が無かったの?)

 彼が理解した『絶対、近くに来て』は、相模原市と静岡市間の直線距離百二十キロメートル余り、高速道路を使っての最短コースでも百六十キロメートルは有って、二時間半近くも乗用車で走る遠方だった。彼の『私と絶対近い』距離が私の想いを蔑しろにした、そんな遠い場所だった事に腹が立つ。

 このがっかり感は彼が受験する高校を決めた時に次いで、……二度目だ。彼は、私が絶対にアクティブになろうと思っているのに、実力の所為なのか、ワザとなのか、知らないけれど距離を置いてしまう。

(百六十キロメートル、金沢から能登半島先端の狼煙灯台まで行っちゃうし、二時間半も飛行機で飛べ

ば、日本全国どこでもOKじゃん!)

 ピシッ、ピシッと、彼への愛しさの表層に無数のマイクロクラックが入る音がした。

 文句を言おうと彼を見上げそうになるけれど、考え直して動き掛けた顔を戻し、もう習慣になっている無言の無表情を守る。それにテレも有った。だけど私は微細な罅ほどに些細な彼の配慮の足りなさに苛立つよりも、彼へ就職内定の御祝いメールを送るのが先決だと気付いて急いで返信した。

【おめでとう! 決まって良かったね。先に決まっちゃったのか……。それに県外は静岡なわけぇ? 首都圏じゃないんだ。もう金沢には戻らないの?】

 返信のキー操作をしながら、もっと近くへ来て欲しいと思ってしまう。

(横浜や横須賀とか、鎌倉なんかも、それに東京の大田区や狛江付近とかも、ちゃんと探してないでしょう? 同じ静岡県でも、神奈川県境近くの箱根や、三島や、御殿場や、沼津じゃ駄目だったの? どうして離れちゃうのよ。寂しくて不安なのが、わかんないかなあ、あーん)

 私はヘッドホンをしてフレンチオールディーを聴きながら、彼もイヤホンを着けてきっとアニメソングを聴きながら、私は真横に立つ彼に、彼は真ん前に座る私に、お互い無言のまま携帯電話にメールを打ち込み送信する。こんな近くの二人がメールで会話しているなんて乗客の誰も気付かないだろう。

(これはこれで、ちょっと変だけど、ちゃんとしたデートだよね。私達にしたら全然、普通だよねぇ)

【ありがとう。静岡は首都圏じゃないけど、相模原まで近いさ。いずれは金沢へ戻ろうと思っている。親父を手伝うつもりだ。それに、海外で働くのも経験したいしさ。できるか分かんなっけどね。だから、いつ金沢へ戻れるのか分からないな。君はどうするんだ? 大学卒業したら金沢に戻る?】

 彼が、働きに行く県外の場所は静岡市だけど、それは、まだフューチャーで未確定な私の相模原より、既に確定した彼の現実だった。私に会いに行く事も含めて決めた、自分の将来を見据えた場所なのだろう。彼の遣りたい仕事ができて、私から絶対に近い就職先がそこに在ったのだ。

(親父を手伝うって、あなたのお父さんて、自営業で、どっかの会社の社長だったんだ?)

 私は今まで彼の家庭事情を意識する事も無く、また興味も湧か無くて全然知らなかった。

(父親が、社長!)

 それならば、何れ跡取り息子の彼は金沢に戻るつもりなのだろうけれど、海外就職も考えていたなんて思わなかった。

(海外って、それ完璧に遠いじゃん! 完全に私の絶対を無視してるよね!)

【うん、そうかも。静岡も近いね。私は大学を卒業したら金沢に戻るわ。金沢が好きだから。もう四年後の事を書いているし…… なんか変だな。その前に入試に合格しなくっちゃ。……あなたは凄いね。将来、海外で仕事するのも考えているんだ】

(海外に詳しい事情通のコネでもあんの? それに英語とか、語学に優秀だっけ?)

 どこまで現実的に考えているのか分からないけれど、どんどん先へ進んで行く彼に私は、追い付けられないほど離されている気がした。

【そうなればいいなって適当に書いただけで、先の事はわかんないよ。君の受験勉強の妨げにならないように、メールは一旦、停めるから。君の受験が終わるまでメールを送りません。受験勉強に頑張って下さい。君が合格するように心から祈っています】

 終わりは生真面目な言葉で返された。真横に立って無言でメールを送って来る彼から今、優しさが届いて暖かさを貰う。桜が満開に咲く麗らかな春の日の穏やかな風のような暖かさだ。私はいつまでもこの暖かさを感じていたいと思った。

 ……春の青空に映える淡い彩りの桜を見上げ、桜の花弁が舞う河川敷を彼に寄り添って歩く。手を繋いだり腕を絡ませたりする私は笑って、安らぎと幸せに満ちている。……そんな予感がした。

 来年の桜の季節には、相模原であなたと会いたい。

(ありがとう。私も、私の遣りたい事を実現する為に、がんばるからね)

【相模原へ行けるように受験勉強頑張ります。入試が済んだらメールするから、しっかり私を応援してなさいよ。それまでメールはお休み。絶対に合格しますように、頑張れ私。じゃあね。バイバイ!】

(応援しててね。あなたに負けないように、必ず合格してみせるよ)

 バスは兼六園下のバス停に停まり、私は乗り換えの為に居心地の良いバスの座席を離れ、いつものように押し退ける感じに彼に軽く触れてから、定期券利用サービスを受けた携帯電話を、降車口手前の読み取りセンサーに翳してバスを降りる。

 降りると直ぐに振り返ってバスの中の彼を見た。既に彼は私の座っていた先頭の座席に座り耳にイヤホンを付けたまま無表情に私を見ている。

 彼が私の座っていた座席に座ってくれたのを、初めて見た。

(ねっ、お尻が温かくて、寒い季節には気持ちが良いでしょう)

 寒い朝はいつもそうしてくれればと、私が降りた後も吊革に掴まって立っている彼を見て思っていた。彼が乗り換える香林坊のバス停まで、あとたった二区間しかないけれど少しでも座って温まって欲しかった。だから今、私の温もりが残る席に彼が座ってくれて嬉しいと思う。でも彼の無表情さが気に入らない。

(なによ、その顔は! 嬉しい事や楽しい事を知らせた日ぐらい、笑いなさいよ!)

 そう憤って私は気が付いた。

(私も笑っていない……。せっかく彼が、就職が決まったと知らせて来たのに、喜んであげていないみたいじゃん!)

 ブシューッ、バタッパタン、パァァン、乗降口のドアがエア圧で閉まり、クラクションを短く鳴らしてバスは動き出す。

(素直になるんでしょ、私。早く笑って、祝ってあげなくちゃ)

 私は急いで笑顔を作り胸の前で小さくバイバイと手を振る。バスを降りた後に初めて笑って彼を見た。今、私ができる精一杯の彼への御祝い……。

 笑った私を見た彼は、さっと身体を私に向けて姿勢を正し真面目な顔で、まるでアニメで観たプリンセスに忠誠を誓うナイトのように握った手を胸に当てて頷いた。まさか彼がそんな反応をすると思わなくて……、それにバスの乗客とバス停で待つ人の幾人かが見ていて、少し恥ずかしい。

 以前もされていたけれど、その意味を気付けずに勘違いして無視してしまった、私を守る誓いのポーズ……。

(うっ、ちょっと恥ずかしいじゃない。……でも、喜ばしいかも……)

 サプライズされた彼の就職に安心して、楽しんでいたバスの中での秘密めいたメールデート、私の座っていた席に座る彼を嬉しく思い、ずっと胸に手を当る忠誠ポーズの彼に恥ずしさと喜びを感じた。

 メールの遣り取りで一瞬のように過ぎたバスの中を思い返しながら私は、彼の乗るバスが百間掘りの通りを跨ぐ石川橋の向こうへ見えなくなるまで小さく手を振り続けていた。

     *

 合格発表の当日、受験した志望大学のインターネットホームページのシステムサービスで、入試の結果を確認して彼にメールを送る。

【合格したよ!】

 約束通り受験が終わって結果を私から伝えるまでメールを送って来なかった彼に、私は大学入試の合格を知らせた。

(これで、相模原に彼は会いに来てくれる)

 私の遣りたい事と将来の為に、彼に追い着くのと会いに来れるようにする為に、合格できて良かったと私は、張り詰めた気持ちが緩んで肩の力の抜けて行くのを感じながら思った。

【合格、おめでとう! 受かって良かった。本当におめでとう】

 短いメールの文面から彼が心から喜んで、安心してくれているのが分かった。彼の喜びと御祝いと安心に私は素直に嬉しいと感じた。彼は既に希望の会社に入社が内定していて、来月中旬から静岡で働く。私も四月から相模原で一人暮らしが始まる。

(今、合格を知らせて祝電を返信して来た彼は、どこで何をしているのだろう?)

 私はペアガラスの窓を開けて新鮮で冷たい大気を肌に感じながら、吐き出した息の白い霧になって薄れ消え去る様を見ている。

(この身が引き締まるような冷たい大気を、彼もどこかで感じているのだろうか? ううん、違う……。私も彼と同じ空気を、……吸えているのだろうか?)

 霧散して行く息の向こうに綿雪が漂いながら静かに降り始めて、暗い鉛色を少しだけ明るいスノーグレーに染められた雪雲を見上げながら、相模原の一人暮らしでは、もっと素直になれて、互いに頼れて、信じ合えて、気持ち良く会える仲になれば良いと思う。

 

 ---つづく