遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

退院(私 高校三年生 ) 桜の匂い 第七章 肆

(へぇー、ほんとに個人優勝したんだ。彼、けっこうやるじゃん)

 朝食のトーストにバターを塗りながら見ている新聞の地域スポーツ欄に、『個人一位、八射八中』と彼の名前が載っていた。私は朝刊から目を離して、昨日からテーブルに置かれている焼きたての食パンが並べられた白い藤籠の横の花瓶を見る。

 朝起きてダイニングルームへ入った時には、卵とベーコンが焼ける匂いとトーストの芳ばしい香りで一杯だったのに、テーブルへ着くと朝の食卓の匂いが花瓶の花の香りに圧倒されていた。

 花瓶に活けられた小柄な花たちは、淡いピンクと白のキュートな薔薇で、昨日、彼が選んで届けてくれた。届けられた彼の花束と同じようにピンクを白で囲むように活けられた薔薇は、少ししっとりした厚みを感じさせる上品な甘い香りを放ち、昨日もいっぱい嗅いでいたのに、またうっとりしていまう。

 指先で白い薔薇をチョン、チョンと小突きながら思う。

(凄いじゃん! 全射命中なんて、彼、遣るじゃん! ……少しは、私のお蔭も入ってるのかな?)

「このバラ、彼氏からなんだって!」

 母が笑顔で振り向いて、ちょうど食卓に着いた父とお姉ちゃんに言った。

「おかーさん。それ、昨日の晩御飯の時も言ったでしょう」

 『私がヒロイン、パート2』のフラグが立つ母の言葉を、『もう、いいから』と私は嗜めるけれど、毎度の如く効果は無い。

「あはっ、いいじゃない。こんなに綺麗で香るんだから、萎れるまで愛でてあげましょうよ。それに、ちゃんと花へ『綺麗だよ』って、声を掛けた方が長持ちするって話よ。楽しいツッコミもしてあげるから」

 お母さんが楽しんで、こんな言い方をする時は大抵、お姉ちゃんとお父さんもグルだ。

「長く咲いて欲しいけど、ツッコミは、しなくていーから」

『からかわないで』と訴える、十七歳になる愛娘の声を無視するかのように、お父さんがワザとらしく入って来る。

「へぇーっ、凄いな。おまえは可愛く見えるからなぁ」

(ほーら、やっぱり、連んでる!)

 笑顔の母から渡されたトーストを齧り掛けて言った父のセリフの後半は、言葉に裏が有りそう。前半は昨夜と全く同じで、ちょっとがっかりだ。

(ザーとらしいし、捻りも無いよ、お父さん! 新たに付け加えたセンテンスは、なによ! 外見が好かれ易いだけって言ってるん? それで私の心は、……鬼っ気、……夜叉ぽいって意味なの?)

『ちょっと酷いじゃん』と感じて言い返そうと思ったけれど、もっと私の性格にグサグサ来るツッコミを入れられそうで止めた。……でも、なんか悔しい!

「やるねぇー。まだまだ、モテまくりじゃん」

 ニュアンスは昨日と同じだけど、セリフが増えてるお姉ちゃん。中学生の頃は時々、告られた時の返答や対処を、お姉ちゃんに相談していた。中学三年のコーラス祭以後、告られる事は滅多に無いけれど、稀に事情を知らない男子から申し込まれていた。そして、その全てを即答で誠意を込めて、お断りをしている。

「やるねぇーって、そんな…… こと……」

 言い掛けた言葉を小さく濁す。

(薔薇を指定して花束を要求したのは、間違いなく私だ……)

「なるほど、彼氏さんか……? 父さんは、ちょっと寂しいかな」

 この、あからさまな裏を読まれる言葉を言ったり、ボソッと素直な気持ちを吐露したり、そんなお父さんのギャップが面白くて好きだ。

 母が手の甲を口に宛がって笑い、お姉ちゃんは頷いている。

「んもぉー、だーから、違うっていうの! ただの友達よ!」

 言い返した言葉はツンデレて、遅いデビューだけど、反抗期もろ出しでグレて遣りたい。

「それは、ボーイフレンドだよね? そのカフェオレのようにミルキーでスイートなんでしょう?」

 更なるお姉ちゃんのツッコミに、今晩もからかわれたら『プチ家出して遣るから』と思う。

「カフェオレでも、いいじゃん! カフェオレが好きなの! 私が飲むコーヒーはカフェオレなの! でもこれは、カフェオレなんかじゃないから!」

(彼とはミルキーでも、スイートでもないよ……)

 続ける言葉は声に出さずに仕舞う。大声じゃないけど、強く言い返したから母も父も姉も、ぎょっとして私を見る。照れ隠しのつもりだったのに、怒ったと思われたかも知れない……。

「ごめん、ごめん。冗談だから、そんなにムキになんないでよ。確かに決め付けは良くないわね。あたしもコーヒー通や焼肉通、それとラーメン通の友達の拘りには、うんざりだからね」

 姉の言葉に母と父が頷き、カップを口へ運びながら私も語気を強めたのを謝る意味で頭を下げた。

「まあ、でも、あんたの性格からビターに接してそうだから……。優しくしてあげなさいよ」

(流石、お姉ちゃん、良く私を解ってらっしゃる。そう、あいつにとって私は苦い女子だと思う。私の爪を四角いと言ったり……。騙して私に近付こうとしたから、冷たくしてフって遣ったんだ。……だけど、だけど、彼は私を守ってくれたの! 学校での思い出は彼の事ばかり……、なのに、私はちっとも優しくなれなくて………)

「ううっ」

 的確に性格的態度を指摘する姉の言葉に、たじろぐ私は何も言い返せず、口に含んだカフェオレを飲み、焦がれるバターの匂いが香ばしいトーストを咥え、急ぎ学校へと家を出た。

     *

 昨日、病院で彼を見た。

 中央病院の会計窓口で母が入院費の清算をしている間、私は待合室の隅に座り待っていた。母が来るのが遅くて、私も病室で片付けもせずにのんびりしていたから、夕方近くの退院になってしまった。

 一週間前の夜、急性盲腸炎の緊急手術で入院した。一、二日の入院で済むはずだったのに、拗らせた夏風邪が長くさせた。

 待合室のベンチに深く沈み座りをする私の近くを、青紫の地に白い花を細かく散らした古風な柄の布で包んだ、細くて長い物を持った人が通り、私の視線が追い駆ける。その手に握られた細く長い物は波打つような不思議な形に反り曲っていて、直感的に布に包まれた中身が弓だと悟らせた。そして、乱れた髪に隠れた目で追い掛けるその人は彼だと知った。

(……約束どおり、彼は来てくれた……)

 彼は右手に水色の矢筒を結んだ弓を持ち、スポーツバックを袈裟がけに背負っていた。矢筒を留める薄紫色の紐と弓を包む布、それは、たぶん弓袋とでもいうのだろうか……? いや違う。袋ではなくて布が巻き付けてあった。その布の巻きが緩まないように縛る浅葱色の紐が、水引を結ぶように優雅に結われているのが綺麗で、どうやって結ぶのか考えてしまう。

 彼は真っ直ぐインフォメーションへ向かい、係りの人に何か尋ねている。待合ベンチに座る私には全然気付いていない。

 直らない寝癖でボサボサの頭にヘッドホンをして、いつものオールディーを聴きながらベンチに深く腰掛ける私は、気付かれて彼に声を掛けられても構わないと思っていて、中学二年の朝の挨拶の一言以来、四年振りの言葉を交わしたバス事故の後も話す機会は無かったけれど、今日を切っ掛けに話すようになっても良いと覚悟を決めた。

 私は、インフォメーションで彼が何を尋ねているのか解っている。

(きっと私が入院していた病室を訊いているんだ……)

 病院のインフォメーションにいる彼を見て一ヶ月前のバス事故を思い出す。それだけで顔が火照り、紅潮して行くのが分った。

 いくら彼が楯になって私を守ってくれたとは言え、感謝するにしても普段の私では有り得ない行動と言動をとっていた。私から積極的に話して彼の身体を心配していた……。

 救急車の中では心配の余り彼に抱き着いてしまい、病院では彼をストレッチャーへ寝かせて検査に連れ廻っていた。逃避行のせせらぎの小径では彼の服を捲ってズボンとトランクスを下げ、背中の傷の治療をしたし、肩を貸して彼を抱きかかえるように支えて歩いたりもした。

 あの日、あの時、本当に私は心から彼に感謝していたし、真剣に彼の身体を心配していた。そして、何よりも彼に助けられた事が嬉しかった。

(だから、身を挺して私を守ってくれた相手に対する、ふつうの一般的で素直な言葉と態度じゃないのぉ? 恥かしい事じゃないし、テレる事でもないじゃん)

 それに、私が湿布や薬を買って来た。飲食代も出したし、タクシー代も足りなかったら困るだろうと思い、多めに渡した。

(いやいや、そのくらいの支払いも、ふつうに助けられた私が持つに決まってるでしょ。当たり前の感謝の気持ちよ)

 広く逞しい胸に、傷が腫れて熱い背中、肩に掛かる彼の重み、よろけそうになる度に痛いくらいに腕を握る彼の力は、今もまだ、手や肩や腕に感触が残っていて、彼の匂いも思い出せる。

 入院中も良く思い返して考えた。どうして私は拒絶していた彼に、あれほど積極的に行動できたのかと、私と彼の言葉や態度や表情を思い出すと恥ずかしくなる。特に場面場面の私の表情を想像するだけで耳の後が熱くなってしまう。

 本当はどこかで寂しくて、私は彼と仲良くしたがっていたのかも知れない。いつ頃からだろう? 素っ気無く返信していたメールは、今では私の負の部分と甘えを曝け出している。どう考えても私は彼にロジックじゃなかった。唯、私は声にしたくない言葉を、気分や気持ちやテレの文字にして彼にぶつけていただけ……。

 救急車へ運ばれる彼の瞳は愛しげに私を見ていた。見られていたのに私が気付くと、眉間に皺を寄せ痛みに耐えながらも笑うように目が細められる。その無理に作ろうとする笑顔が何処か寂しそうに見え、急に私は切なくなる気持ちで居た堪れなくなった。そして、彼に守られた嬉しさを覆った寂しさの切ない悲しみは私を衝動に走らせてしまう。

「……いっしょに行かなくちゃ!」

 衝動が切なさを小さな呟きにさせる。胸がドキドキして凄く息苦しい。

(……傍に、彼が居て欲しい……)

 私の意識の深いところから直感的な意志が湧き上がり、思いも、考えもさせずに私を衝き動かす。

(……彼の傍にいたい!)

 息苦しさが衝き動かされて、小さな声で出た。

「彼が愛しい……!」

 バンッ! 気が付くと、私は腕をサイドドアに叩き付けている。自分のバックと彼の鞄を脇に抱え、閉じようと滑り動き掛けた救急車のサイドドアを、空いていた手を叩き付けて止めていた。

「乗せて下さい。私も彼といっしょに行きます」

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 昨日の夕方に彼からメールが来ていた。

【明日は、試合で勝ったら見舞いに行きたい。行ってもいいかな? ショートケーキか花を、お見舞いに持って行くよ】

 三日前に今日が、インターハイに出場する石川県代表チームと、個人戦代表を選出する試合の日だと知らされた。メールには続けて、『是非、君に応援して欲しい。僕の応援に来てくれますか?』と、打たれていた。

 今日の試合で三年生は部活を引退するから、勝ち残って代表に選出されない限り彼の最後の試合になってしまう。

 拗らせた夏風邪は治り掛けで、微熱と咳が少し出るくらいだったから、私は彼の応援に間に合うように退院したいと望んだのに、合併症を心配した若い担当医が大事を取って、彼の試合当日の退院になってしまった。

『盲腸で入院したんだけど、夏風邪を拗らせて入院が長引いているの。だから応援に行けない。……今、励ますよ。がんばって優勝しなさい!』と、私は入院している旨を伝え、試合場へ行けない分をプラスさせて、命令調に強く応援の言葉を送ってあげる。

 彼なら私の応援が有れば必ず勝てると思う。だから、彼の集中力を殺がないように今日の退院を教えない。それに、病院のベッドに寝ている私を、見られたくなかった。でも、私は彼の優しさに触れたい。

【いいよ。来ても……、花がいいな。可愛い薔薇の花】

 人恋しさと寂しさに彼へ我が儘を打った。

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(勝ったんだ)

 彼の手に大きな薔薇の花束が握られている。可愛いピンクと真っ白い薔薇の花束。

 暫らくして彼はインフォメーションの人に頭を下げ、項垂れながら来た方向へ戻って行く。薔薇の花束はインフォメーションのカウンターに置かれていた。

 昨日の彼からメールが届く前、午後の診療時間が終わる頃に今日の退院を知らされ、母へは既に知らせたと担当医から聞かされた。なのに、夕方にした彼のメールへの返信で退院を伝えてはいない。建前は集中して試合に臨んで欲しい……。だから、決勝戦で余計な事を考えないように、ダメ押しの我が儘を言って彼を励ますけれど、退院は教えない。

(勝って薔薇を持って来て……。私を喜ばせてちょうだい!)

 文字を打ち込んで彼へ送信してから、ずっと、そう願っていたのに、現実はメールの願いが叶っても私は彼から薔薇の花束を受け取ろうとしていない。今……、ガタンと彼の方を向いて立ち上がり、絡み合い立ち捲くる髪を掻き上げれば、彼は彼を見る私に気が付いて、インフォメーションに預けた花束を退院祝いの言葉を添えて渡しに来てくれると思う。なのに私は座りを更に沈ませて立とうとしない。

 自分の存在をアピールする事を何もせず、ボサボサ髪に隠れた眼で彼を盗み見る私は、彼に私の我が儘を圧し付け反応を試して弄んでいるだけの惨い有り様のような気がして、願いが偽物っぽく思えて来くる。

(ううん。彼に優勝して欲しい気持ちは本当だったはず……)

 私に渡す花束をインフォメーションに預けて、寂しそうに彼が去って行くのをずっと横目で追い掛けていた。

(ワザと退院のメールをしなかったの。ごめんね)

 入院中は寂しくて、あれほど彼に会いに来て欲しいと願っていたのに、私は彼に声を掛けない。髪はカサカサでボサボサ、何日もお風呂に入っていないから、たぶん汗臭いと思う。それに、昨日の朝に身体を拭いてから着た切りのジャージ姿だ。

『どこにいても、どんな時でも君が見えて、君の声が聞こえる』と言った、その彼が気付かなかったほど、私は酷い姿なのだろう。でもそれは、私の単なるこじ付けに過ぎない言い訳、本音は恥かしくて会っても上手く話せないと思う。彼を避けて逃げているのを自覚しながら、探した言い訳に言い訳を重ねて自分に言い聞かせている。

 彼は、私の命令通りに優勝してくれた。私の願い通りに薔薇の花束を持って見舞いに来てくれた。だのに……、私は彼の花束を受け取る事や、彼の勝利を褒める言葉と、薔薇と御見舞いのお礼の言葉を、私に勇気が無くて行動する事も、言う事もできなかった。

(ヘタレは私の方だ……)

 母が振り向いて私に、『清算が済んだから行こう』と言うのと、メールの着信コールが鳴るのと同時だった。

【退院おめでとう】

 彼からの短い文面に、項垂れて歩く彼の後ろ姿が浮かぶ。

【ありがとう。退院したの、伝えなくてごめん】

 武道館の弓道場で彼を応援していた女子達の姿が思い出される。

(優勝したのならファンのみんなに、お祝いされたんだろうな)

 弓の試合に勝ったみたいだったから、付け加えた。

【弓、勝ったみたいね。そっちこそ良かったじゃん】

 遠くのバス停でバスを待つ彼を見ながら、母の車の助手席からメールを送った。直ぐに彼から返信が来た。

【お見舞いの花は、インフォメーションの人に言付けました。明日、通院の時に受け取って下さい】

(もう受け取ったよ)

 彼が去った後、インフォメーションへ行き名前を告げた。係りの人は少し驚き気味に、彼が去った方向と私を交互に見てから、

「退院、おめでとうございます」

 笑顔で花束を私に差し出した。

「あっ、ありがとうございました」

 とても恥ずかしくなった。火照っていた顔が、更に熱くなったのが分かる。

(今し方、彼が言付けた花束を、直ぐにボサボサ頭の女の子が受け取りに来るなんて、なんだかワザとらしいかな)

 薔薇は三十四本も有った。ピンク色が十七本、白色が十七本、私達のそれぞれの歳の数だけ。開きかけた薔薇は綺麗で甘く心を騒がす香りが漂い始めていた。彼のセンスと薔薇の花が嬉しい。

(気障な事をする奴! って、頼んだのは私だ……)

 私は抱えていた花束に顔を埋ずめた。そんな私を見て、母は運転しながら楽しそうに笑っている。

 インフォメーションから花束を受け取って来た私に、母は目を丸くして驚きながら笑顔で言った。

「凄いじゃないの! そのバラ! 好い匂いで素敵ね。御見舞いの花でしょう?」

 私は小さく頷いて答える。何処の誰かも知らないインフォメーションの係りの人よりも、母やお姉ちゃんに知られたり、見られたりする方が何倍も恥ずかしい。

「良かったじゃない。 誰から? クラスの人が持って来てくれたの?」

 今度は顔を横に振る。恥ずかしさのあまり声が詰まってしまう。

「うふっ、それじゃあ、あの男の子は彼氏なんだ?」

 『あの男の子』で、反射的に声が出た。

「んもう! 見てたんだ?」

 さっきの待合ロビーでの出来事をみんな知っていながら母は私に訊いていた。母に見られていたのは、かなり恥ずかしいけれど、花束の嬉しさと薔薇の香りが恥ずかしさを上書きしてしまう。

「そう、見てたわよ。声を掛けてあげれば良かったのに」

 恥ずかしさがデレになる私に、母は積極さが足りないと言った。でも、普通に仲良さ気な態度になれないのは、積極不足だけじゃない。

「だめよ。こんな見っとも無い姿で、声を掛けれるわけないでしょう」

 汚れて臭い身体と寝癖のボサボサ髪に、着た切りのダサいジャージも臭っていると思う。

「そうかしら、それも可愛いと思ってくれるわよ」

 冗談か、本気か、分らない適当な事を言いながら隣で運転する母は、自分が花束を貰ったのじゃないのに、嬉しそうに笑っている。照れ臭いけど構わない。

「からかわないでよ。そんなわけないじゃん!」

 こんな姿で、いくら彼につれなくする私でも会えないし、見られたくない。

(臭いも嗅がれちゃうし……)

「御見舞いってよりも、愛の告白かな?」

 今、私が考えそうになった事を、母に笑いながら言われた。

「違うって。彼氏なんかいないよ。彼は友達なの!」

 そう言い切る私を見て、

「ふぅ~ん。彼は、友達ねぇ~」

 母は私に顔を近づけて、粘っこい声で呟やいた。

「ちゃあんと、お友達に御礼を言っておきなさいよ~」

 正直、彼の活躍を見に行ったり、切なさと愛おしさで彼に抱きついたりしたけれど、付き合ってはいない。中学校からの同級生には相思相愛の仲だと思われているようだけど、それは全然違う。

「そうよ! 危ないから、ちゃんと前を見て運転してよね」

 ちらちらと笑顔で私を見る母に、私は薔薇の香りの中から注意する。

 彼とは、これからどんな関係になって行くのか、数学の揃わない未知数みたいで、未だに分かっていない。でも彼は、携帯電話でメールを遣り取りするたった一人の大事なメル友で、私を守ってくれる大切な人だ。

【素敵! 薔薇の花だね。嬉しい。名前は、たぶん、ファーストラブ。白いのはスノードルフィンかな。綺麗で可愛くて良い匂いだよ。ありがとう】

 顔を埋ずめた薔薇越しに彼にメールした。

 私は心から嬉しいと思っていた。入院中は、一度だけクラス委員が連絡用紙を持って来て、在り来たりな軽い御愛想を言いながら私に渡すと五分も居ずに帰って行った。メッセンジャーで来たわけで見舞いは形式に過ぎない。クラス委員の御愛想は、連絡用紙の内容や天候や病院内の雰囲気や臭いの不快感を私に知らせるだけで、クラスの様子を伝えたり私の体調を心配するような言葉は無かった。そして、クラス委員以外に『見舞い?』に来たクラスメイトは一人もいなかった。

(まあ、今どき、盲腸のオペぐらいじゃ誰も来ないか……)

 高校三年になっても相変わらず親しい友達はいない。クラスじゃ普通に会話するけれど個人的な踏み込んだ話題は避けている。そんな上辺だけの言葉や態度が相手に分かるのだろう。ハミにはされていないけど、クラスメイト達は誰も私と親しくしようとしない。

(親しくされると、気を遣ったりして面倒臭いから別にいいけどね)

 同じ理由から彼氏は作らない。愛想無しで冷たい私の態度や物言いを知らない男子が時々、近寄って来るけれど、いつものように私の丁重なブリザードで凍らせて御辞退いしてただく。

 友達や彼氏はいない私だけど携帯電話のメル友はいて、彼とは毎朝のバスの中で二人だけの無言のオフ会をしてる。今でも中学校の時の同級生達はメル友の彼を、彼が描いたデッサン画やコーラス祭での私のスタンディングオベーションから、私の彼氏だと誤解して学校の廊下で擦れ違うと手を振り笑顔で『彼氏、元気』と言って行く。私は笑わずに少し困った顔で『彼氏じゃないけど、元気だよ』と無言で答える。全く適当な対応の挨拶返しだけど、全然根拠が無い訳じゃなかった。これまで彼から届いたメールに『僕は元気が無い』みたいな意味の文字が、書かれていた事は無いし、それと毎朝の彼のようすから元気が無いとは思えなかった。

(実際は私の所為で、モチベーションがヘコんだり、メゲたりして、それなりに元気が無いかもね。ダウンさせるのはしょっちゅうだけど、アップさせるのは稀だから)

     *

 痛みは晩御飯を食べてから御風呂に入り、その後に家族でテレビを観ていた時に来た。お腹がニゴニゴとガスってる感じが最初にして、ちょっとトイレに行こうかと思ったら『ズッキン』と、お腹全体に深く鋭い痛みが走った。

(痛う! ……あれっ? なに、この痛み?)

 産まれて初めて感じた大きな痛み…。続いてズキズキと鋭く痛みが続き出して、次第に右下腹部に痛みが集中して行った。便意と軽い吐き気を催して痛みに耐えながらトイレへ来たけれど、鋭く刺し込む痛みで便座に座る事も、吐き気に便器へ突っ伏す事もできずに、トイレの床に丸まるように蹲り私は助けを求めて叫んだ。

「いたぁーい! 助けてー!」

 直ぐにお姉ちゃんと母が駆け付けて来て、『どっ、どうしたの? どこが痛いの? お腹なの? 吐き気は? 熱は?』矢継ぎ早に私の状態を訊くけれど、私は、

「お腹が痛い! 右の下あたり……」

 小さな悲鳴のような声で答えるのが精一杯だった。

『お父さんは来ないで! 来ちゃだめよ。お父さんは車を用意して。それと、今夜の当番医も調べてちょうだい』

 娘の痛がるようすと慌ただしさに、父も心配の余り私の傍に来ようとしたみたいだけど、母に止められた。

(ありがとう、お母さん。……お父さん、ごめんね)

 今の私の姿を父に見られるのは、かなり恥ずかしい。だって、寝巻兼部屋着のスウェットのパンツと下着のショーツを膝下まで下げていて、私の下半身が隠す布一つ無いスッポンポンの丸見え状態だったから……。

 ちょっと笑えるところだけど、痛みで朦朧とする私は笑顔になるどころじゃなかった。

(食中毒なの? 何か変な物を食べたっけ? 買い食いもしていないし……。でも、お姉ちゃんも、お母さんも、お父さんも何とも無いみたい……。だから、食中毒じゃないでしょう?)

 連続した激しい痛みにぐっしょりと気持ちの悪い汗を掻いて堪える私は、悪寒でガタガタと全身が震えている。

(うう、痛いよぉ……、バス事故の日、彼もこんな痛みに堪えていたんだろうな……)

 痛みに堪える中、ふと、あの日の彼の痛みと今の自分の痛みを比べてしまう。堪える痛みと不安で彼は顔面蒼白の酷い顔をしていた。きっと、今の私も同じ酷い顔をしていると思う。こんな痛みに堪えて不安だった彼を、私の自分勝手に巻き込んで更に不安と苦痛を与えてしまった……。

 お姉ちゃんが私のショーツとパンツを元通りに直し、母が毛布で私を包み、父に御姫様抱っこで車に乗せられて病院へ連れて行かれた。

(こんなに辛くて酷い痛みは、ただの腹痛じゃない! 突然に発病した何か大きな病気だったらどうしょう……)

 夜間救急指定の中央病院での診断は、想像していたような大きな病気ではなくて虫垂炎、なんか原因が分からないんだけど、……炎症で肥大して破裂が切迫した虫垂…… 盲腸が、激しい痛みの原因だった。その晩に腹部を切開して患部を除去する緊急手術となり、局部麻酔で行わた手術は患部の腫れて膨らんだ盲腸を短時間で摘出し、翌朝に麻酔が切れて目覚めると嘘のように鋭い痛みは消えていて、再び苦しい思いをする事は無かった。切開した傷の痛みも殆ど感じ無くて執刀医や病院の医療技術が凄いと感心してしまう。

 夕方には退院できると聞かされて、盲腸で入院した旨を彼に知らせるのは止めた。なのに私は痛みで体力を奪われたのか、少しの鼻水と小さな咽喉の痛みだけだった引き始めの夏風邪を拗らせて、四十度もの高熱を出してしまった。夕方の退院は取り止めになり、取り敢えず一週間の延長入院でようすを診て退院させる事となった。

 発熱は四日間続き、その間中、毎日、昼も夜も同じ夢を見た。新緑の多い見知らぬ街の木漏れ陽の中を爽やかな微風に吹かれながら、私も彼も楽しそうに手を繋いで歩いていて、互いの話しに笑い合っているという不思議な夢を何度も見た。それに……、黄昏の金石の町を二人で彷徨う、二年前の夢もよく見た。いつも目覚めると情景は良く覚えているのに、笑った事や話した内容は殆ど消え失せて僅かな断片しか思い出せない。

 もし、私が大変な病気になったら、彼は私の近くにいてくれるだろうか? ずっと治療が必要で、とても長い入院になるような不治の病でも、彼は私を好きでいてくれるのだろうか? そんな事ばかり熱に浮かされながら考えてしまう私は彼に凄く会いと望んでいた。これ以上、入院が長引くようならば翌朝にでも彼に知らせようかと思った日の午後に、検査の数値は殆ど正常値で良好な回復だと知らされて、翌日の退院が決まった。

 折りしも明日は全国高校学校対抗選手権大会、通称インターハイへ出場させる石川県代表を選出する弓道大会の当日で、その試合に参加すると彼からメールが来ていた。

     *

 私は彼に結構ズケズケと好き勝手をメールで送っているのに、リアルで私の真横に立つ彼は今でも私の言い付けを守り、二人っきりになる場面でも話し掛けてきたことは無い。黙って立っているだけで全然会話が無かった。初めての会話は彼から声を掛けて来たくせに!

(面倒臭さそうだから…… 私も彼に話し掛けないけれどね……)

 そんなオフの彼は一ヶ月前のバス事故で、その身に怪我を負ってまで私の楯になって守ってくれた。そして今日は、私の入院していた病院まで見舞いに来てくれた。

(退院の日になっちゃたけれどね)

 メールに書かれていたとおり、本当にわざわざ薔薇の大きな花束を持って見舞いに来た。

(嬉しい……。本当に持って来てくれるとは思っていなかったの……)

     *

 彼が花言葉を知っていて選んだのか知らないけれど、ピンクの薔薇は幾つか有る花言葉をくっつけて、『洗練された気品の輝きと温かい心の淑やかな美少女』で、その美少女が私だと自惚れた。

 白薔薇は差し詰め純潔? な彼で、『私を心から尊敬して必ず約束を守ります』そして、無邪気に、『僕は貴女に相応しい』と、しっかりアピールしているところなんて、彼にぴったりの花言葉だらけだ。

 花瓶に顔を近付けてピンクと白の薔薇を一本づつ鼻に寄せ匂いを嗅ぐ。ローズ特有の貴やかな深くて甘い香りを胸いっぱいに吸い込みながら、偶然にしても互いに相応しい薔薇の花を選んだものだと、私は彼のセンスに感心した。

 活けられた薔薇は二色だからこそ見る目に意識されて、添えられる白さに淡いピンクが更に初々しい愛しさで映え、白さは淡いピンクによってより純潔の清々しさを際立たせている。

 これからも、ずっと彼は私を好きでいてくれるのだろうか? そして、彼を思うこの気持ちに、既に私は彼を好きになっているのかも知れないと思う。

 

 ---つづく