遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

退院(私 高校三年生 ) 桜の匂い 第七章 肆

(へぇー、ほんとに、個人優勝したんだ。彼、けっこうやるじゃん)
 朝食のトーストにバターを塗(ぬ)りながら、新聞の地域スポーツ欄(らん)に探していた昨日の弓道大会の試合結果を見ている。
 『個人一位、八射八中(はっしゃはっちゅう)』の的中(てきちゅう)結果と彼の名前が、団体戦を優勝した高校の選手達の名前と試合内容の欄の横に、別欄で載っていた。
 私は朝刊から目を離して、昨日からテーブルに置かれている、焼きたての食パンが並べられた白い藤籠(ふじかご)の横の花瓶(かびん)を見る。
 朝起きて、ダイニングルームへ入った時には、卵とベーコンが焼ける匂(にお)いとトーストの芳(こう)ばしい香(かお)りで一杯だったのに、テーブルへ着くと、朝の食卓の匂いが、花瓶の花の香りに圧倒されていた。
 花瓶に活(い)けられた小柄な花たちは、淡(あわ)いピンクと白のキュートな薔薇(ばら)で、昨日、彼が選んで届けてくれた。
 届けられた時の彼の花束と同じように、ピンクを白で囲(かこ)むように活けられた薔薇は、少し、しっとりした厚みを感じさせる、上品な甘(あま)い香りを放ち、昨日も、いっぱい嗅いでいたのに、また、うっとりしていまう。
 指先で白い薔薇を、チョン、チョンと小突(こづ)きながら思う。
(凄(すご)いじゃん! 全射命中なんて、彼、遣(や)るじゃん! ……少しは、私のお蔭も、入ってるのかな?)
「このバラ、彼氏からなんだって!」
 母が笑顔で振(ふ)り向いて、ちょうど食卓に着いた、父とお姉ちゃんに言った。
「おかーさん。それ、昨日の晩御飯の時も言ったでしょう」
 『私がヒロイン、パート2』のフラグが立つ、母の言葉を、『もう、いいから』と、私は嗜(たしな)めるけれど、毎度の如(ごと)く、効果は無い。
「あはっ、いいじゃない。こんなに綺麗(きれい)で、好い匂いで香るんだから、萎(しお)れるまで愛(め)でてあげましょうよ。それに、ちゃんと花へ『綺麗だよ』って、声を掛けた方が長持ちするって話よ。楽しいツッコミもしてあげるから」
 お母さんが楽しんで、こんな言い方をする時は大抵(たいてい)、お姉ちゃんとお父さんもグルだ。
「長く咲(さ)いて欲(ほ)しいけど、ツッコミは、しなくていーから」
『からかわないで』と訴(うった)える、十七歳になる愛娘(まなむすめ)の声を無視するかのように、お父さんがワザとらしく入って来る。
「へぇーっ、凄いな。おまえは、可愛(かわい)く見えるからなぁ」
(ほーら、やっぱり、連(つる)んでる!)
 笑顔の母から渡されたトーストを齧(かじ)り掛けて言った父のセリフの後半は、言葉に裏が有りそう。
 前半は、昨夜(ゆうべ)と全(まった)く同じで、ちょっとがっかりだ。
(ザーとらしいし、捻(ひね)りも無いよ、お父さん! 新たに付け加えたセンテンスは、なによ! 外見(そとみ)が好(す)かれ易(やす)いだけって言ってるん? それって、私の心は……、内面は、……鬼っ気(おにっけ)、……夜叉(やしゃ)ぽいって意味なの?)
『ちょっとぉ、酷(ひど)いじゃん』と感じて、言い返そうと思ったけれど、もっと、私の性格にグサグサ来るツッコミを入れられそうで止(や)めた。……でも、なんか、悔(くや)しい!
「やるねぇー。まだまだ、モテまくりじゃん」
 ニュアンスは、昨日と同じだけど、お姉ちゃんのセリフが増えている。
 中学生の頃は時々、告(こく)られた時の返答や対処を、お姉ちゃんに相談していた。
 中学三年のコーラス祭以後、告られる事は滅多に無いけれど、稀(まれ)に事情を知らない男子から申し込まれていた。そして、その全(すべ)てを即答で誠意を込めて、お断(ことわ)りをしている。
「やるねぇーって、そんな…… こと……」
 言い掛けた言葉を、小さく濁(にご)す。
(薔薇の花を指定して、花束を要求したのは、間違いなく私だ……)
「なるほど、彼氏さんか……? 父さんは、ちょっと、……寂(さび)しいかな」
 この、あからさまな、裏を読まれる言葉を言ったり、ボソッと、素直な気持ちを吐露(とろ)したり、そんなお父さんのギャップが面白(おもしろ)くて好きだ。
 母が、手の甲を口に宛(あて)がって笑い、お姉ちゃんは頷(うなず)いている。
「んもぉー、だーから、違うっていうの! ただの……、友達よ!」
 言い返した言葉は、ツンデレて、遅いデビューだけど、反抗期感をもろ出しで、グレて遣りたい。
「それは、ボーイフレンドだよね? そのカフェオレのように、ミルキーで、スイートなんでしょう?」
 更(さら)なる、お姉ちゃんのツッコミに、今晩もからかわれたら、『プチ家出して遣るから』と思う。
「カフェオレでも、いいじゃん! カフェオレが、好きなの! 私が飲むコーヒーは、カフェオレなの! でもこれは、カフェオレなんかじゃないから!」
(彼とは、ミルキーでも、スイートでもないよ……)
 続ける言葉は、声に出さずに仕舞う。
 大声じゃないけど、強く言い返したから、母も父も姉も、ぎょっとして私を見る。
 照(て)れ隠(かく)しのつもりだったのに、怒(おこ)ったと思われたかも知れない……。
「ごめん、ごめん。冗談だから、そんなに、ムキになんないでよ。確かに、決め付けは良くないわね。あたしも、コーヒー通や焼肉通、それと、ラーメン通の友達の拘(こだわ)りには、うんざりだからね」
 姉の言葉に、母と父が頷く。
 カップを口へ運びながら、私も語気を強めたのを謝(あやま)る意味で、頭を下げた。
「まあ、でも、あんたの性格からビターに接(せっ)してそうだから……。優(やさ)しくしてあげなさいよ」
(流石(さすが)、お姉ちゃん、良く私を解ってらっしゃる。そう、あいつにとって、私は苦(にが)い女子だと思う。私の爪を、四角いと言ったり……。騙(だま)して、私に近付こうとしたから、冷たくしてフって遣ったんだ。……だけど、だけど、彼は、私を守(まも)ってくれたの! 学校での思い出は、彼の事ばかり……、なのに、私は、ちっとも優しくなれなくて………)
「ううっ……」
 的確に、性格的態度を指摘する姉の言葉に、たじろぐ私は、何も言い返せず、口に含(ふく)んだカフェオレを飲み、焦(こ)がれるバターの匂いが香(こう)ばしいトーストを咥(くわ)え、急(いそ)ぎ学校へと家を出た。
     *
 昨日(きのう)、病院で彼を見た。
 中央病院の会計窓口で、母が入院費の清算をしている間、私は待合室の隅(すみ)に座って待っていた。
 母は来るのが遅くて、私も、病室で片付(かたづ)けもせずにのんびりしていたから、夕方近くの退院になってしまった。
 一週間前の夜、急性盲腸炎(もうちょうえん)の緊急手術で入院した。
 一、二日の入院で済(す)むはずだったのに、拗(こじ)らせた夏風邪が長くさせた。
 待合室のベンチに、深く沈み座りをする私の近くを、青紫の地(じ)に白い花を細(こま)かく散(ち)らした古風な柄の布で包(つつ)んだ、細(ほそ)くて長い物を持った人が通り、私の視線が追い駆(か)ける。
 その手に握(にぎ)られた細く長い物は、波打つような不思議(ふしぎ)な形に反(そ)り曲っていて、直感的に、布に包(くる)まれた中身が弓だと悟(さと)らせた。そして、乱(みだ)れた髪に隠れた目で追い掛けるその人は、彼だと知った。
(……約束どおり、彼は、来てくれた……)
 彼は、右手に水色の矢筒(やづつ)を結(むす)んだ弓を持ち、スポーツバックを袈裟(けさ)がけに背負(せお)っていた。
 矢筒を留(と)める薄紫色の紐(ひも)と弓を包む布、それは、たぶん、弓袋(ゆみぶくろ)とでもいうのだろうか……?
 いや、違う。
 袋ではなくて、布が巻き付けてあった。
 その、布の巻きが緩(ゆる)まないように縛(しば)る浅葱色(あさぎいろ)の紐が、水引(みずひき)を結ぶように優雅(ゆうが)に結(ゆ)われているのが綺麗で、どうやって結ぶのか考えてしまう。
 彼は真っ直(まっす)ぐインフォメーションへ向かい、係りの人に何か尋(たず)ねている。
 待合ベンチに座る私には、全然気付いていない。
 直(なお)らない寝癖で、ボサボサの頭にヘッドホンをして、いつものオールディーを聴(き)きながら、ベンチに深く腰掛ける私は、気付かれて、彼に声を掛けられても構(かま)わないと思っていた。
 中学二年の朝の挨拶(あいさつ)の一言以来、四年振(ぶ)りの言葉を交(か)わしたバス事故の後(のち)も、話す機会は無かったけれど、今日を切っ掛けに、彼と話すようになっても良いと覚悟を決めた。
 私は、インフォメーションで彼が何を尋ねているのか、解っている。
(きっと、私が入院していた病室を、訊(き)いているんだ……)
 病院のインフォメーションにいる彼を見て、一ヶ月前のバス事故を思い出す。それだけで、顔が火照(ほて)り、紅潮して行くのが分った。
 バス事故の当日、いくら彼が楯(たて)になって、私を守ってくれたとは言え、感謝するにしても、普段の私では有り得ない行動と言動をとっていた。
 私から積極的に話して、私の為に痛めた彼の身体(からだ)を、とても、私は心配していた……。
 救急車の中では、心配の余(あま)り、背中や脇腹を痛めている彼に抱(だ)き着いてしまった。
 病院では、彼をストレッチャーへ寝かせて、検査に連(つ)れ廻(まわ)っていた。
 逃避行の、せせらぎの小径(こみち)では、彼の服を捲(めく)ってズボンとトランクスを下げ、背中の傷の治療をしたし、二十一世紀美術館の近くまでは肩を貸(か)して、彼を抱きかかえるように支(ささ)えて歩いたりもした。
 あの日、あの時、本当に、私は心の底から彼に感謝していたし、真剣に、彼の身体を心配していた。そして、何よりも、彼に助けられた事が凄く嬉(うれ)しかった。
(だから、それくらいは、身を挺(てい)して私を守ってくれた彼に対する、ふつうの一般的で、素直な感謝の言葉と態度じゃないのぉ? 恥かしい事じゃないし、テレる事でもないじゃん)
 それに、私が、彼の傷を治療する湿布や薬を買って来た。
 飲食代は払ったし、タクシー代も、足(た)りなかったら困(こま)るだろうと思い、多めに渡した。
(いやいや、そのくらいの支払いも、ふつうに、助けられた私が持つに決まってるでしょう。全然、当たり前の感謝の気持ちよ)
 広く逞(たくま)しい胸に、傷が腫(は)れて熱い背中、肩に掛かる彼の重み、よろけそうになる度(たび)に、痛いくらいに腕を握る彼の力は、今もまだ、手や肩や腕に感触が残っていて、彼の匂いも思い出せる。
 入院中は、良く思い返して考えた。
 どうして私は、拒絶していた彼に、あれほど、積極的に行動できたのかと、私と彼の言葉や態度や表情を思い出すと、恥ずかしくなる。
 特に、場面場面の私の表情を想像するだけで、耳の後が熱くなってしまう。
 本当は、どこかで寂しくて、私は、彼と仲良くしたがっていたのかも知れない。
 いつ頃からだろう?
 素っ気無く返信していたメールは、今では、私の負(ふ)の部分と甘えを曝(さら)け出している。
 唯(ただ)、私は、声にしたくない気分や気持ちの言葉を、テレの文字に変換して、彼にぶつけているだけだの……。
 あの日は、どう考えても、私は、彼にロジックじゃなかった。
 救急車へ運ばれる彼の瞳(ひとみ)は、切なく愛(いと)しげに私を見詰めていた。
 見詰められていたのに、私が気付くと、眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せて痛みに耐えながらも、笑うように目が細めていた。
 その無理に作ろうとする笑顔が、何処(どこ)か寂しそうに見え、急に私は、切なくなる気持ちで居た堪(たま)れなくなった。そして、彼に守られた嬉しさを覆(おお)った寂しさの切ない悲(かな)しみは、私を衝動(しょうどう)に彼へ走らせてしまった。
「……いっしょに、行かなくちゃ!」
 衝動が、切なさを、小さな呟(つぶや)きにさせた。
 胸が、ドキドキして、凄く息苦しい。
(……傍(そば)に、彼が、居て欲しい……)
 私の意識の深いところから、直感的な意志が湧(わ)き上がり、思いも、考えもさせずに、私を衝(つ)き動かした。
(……彼の、傍にいたい!)
 息苦しさが、衝き動かされて、小さな声で出た。
「彼が、愛しい……!」
 バンッ! 気が付くと、私は、腕をサイドドアに叩(たた)き付けていた。
 自分のバックと彼の鞄を脇に抱え、閉(と)じようと滑(すべ)り動き掛けた救急車のサイドドアを、空(あ)いていた手を叩き付けて、止めていた。
「乗せて下さい。私も、彼といっしょに行きます」
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 昨日の夕方に、彼から、御見舞いへ行くメールが来ていた。
【明日は、試合で勝ったら、見舞いに行きたい。行ってもいいかな? ショートケーキか、花を、お見舞いに持って行くよ】
(試合に勝てば、見舞いに来るんだ……)
 三日前には、今日が、インターハイに出場する石川県代表チームと、個人戦代表を選出する試合の日だと知らされていた。
 そのメールに続いて、『応援に来て欲しい』と、彼から切に御願いをされる着信が続いていた。
【是非(ぜひ)、君に、応援して欲しい。試合会場の弓道場へ応援に来て来てくれますか? 君の応援が欲しいです。御願いします。励ましてくれますか?】
 今日の試合で三年生は部活を引退するから、勝ち残って代表に選出されない限り、彼の最後の試合になってしまう。
 拗らせた夏風邪は、治り掛けで、微熱と咳(せき)が少し出るくらいだったから、私は、彼の応援に間に合うように退院したいと望んだのに、合併症を心配した若い担当医が、大事を取って、彼の試合当日の今日の退院になってしまった。
 既に退院していれば、彼に黙って、私は弓道の試合を見に行って、彼にエールを送って応援するサプライズを考えていたのに、残念だ。
【ごめんね。県立中央病院にいるんだ。盲腸で、入院したんだけど、夏風邪を拗らせて、入院が長引いているの。だから、応援に試合場へ行けない。なのでぇ……、今、励ますよ。がんばって優勝しなさい!】
 サプライズが出来ない私は、まだ入院している旨(むね)を伝え、試合場へ行けない分をプラスさせて、命令調に強く応援の言葉を送ってあげた。
 彼なら、私の応援が有れば、必ず勝てると思う。だから、彼の集中力を殺(そ)がないように今日の退院を教えない。それに、病院のベッドに寝ている私を、見られたくなかった。
 なのに、それでも、私は、彼の優しさに触(ふ)れたい……。
【いいよ。来ても……、花がいいな。可愛い薔薇の花】
 人恋しさと寂しさに、彼へ我(わ)が儘(まま)を打った。
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(勝ったんだ)
 彼の手に、大きな薔薇の花束が握られている。
 可愛いピンクと真っ白い薔薇の花束。
 暫(しば)らくして、彼はインフォメーションの人に頭を下げ、項垂(うなだ)れながら来た方向へ戻って行く。
 薔薇の花束は、インフォメーションのカウンターに置かれていた。
 昨日の彼からメールが届く前、午後の診療時間が終わる頃に、今日の退院を知らされ、母へは、既に知らせたと担当医から聞かされた。
 それなのに、夕方にした彼のメールへの返信で、今日の退院は伝えてはいない。
 建前(たてまえ)は、集中して試合に臨(のぞ)んで欲しい……。だから、決勝戦で余計な事を考えないように、ダメ押しの我が儘を言って、彼を励(はげ)ますけれど、退院は教えない。
(勝って、薔薇を持って来て……。私を喜(よろこ)ばせてちょうだい!)
 『薔薇』の文字を打ち込んで、彼へ送信してから、ずっと、そう願っていたのに、現実は、メールの願いが叶(かな)っても、私は、直ぐ其処にいる彼から、直接、薔薇の花束を受け取ろうとしていない。
 今……、ガタンと彼の方を向いて立ち上がり、絡(から)み合って立ち捲(ま)くるボサボサ髪を掻(か)き上げれば、彼は、彼を見る私に気が付いて、インフォメーションに預けた花束を、退院祝いの言葉を添(そ)えて渡しに来てくれると思う。
 なのに、私は座りを、更に、深く沈ませて立とうとしない。
 自分の存在をアピールする事を、何もせず、ボサボサ髪に隠れた眼で、彼を盗み見る私は、彼に私の我が儘を圧し付け、反応を試(ため)して弄(もてあそ)んでいるだけの惨(むご)い有り様のような気がして、自分の願いが偽物っぽく思えて来くる。
(ううん。彼に、優勝して欲しい気持ちは、本当だったはず……)
 私に渡す花束をインフォメーションに預けて、寂しそうに彼が去って行くのを、ずっと、横目で追い掛けていた。
(ワザと、退院のメールをしなかったの。ごめんね)
 入院中は寂しくて、あれほど、彼に会いに来て欲しいと願っていたのに、私は彼に声を掛けない。
 髪はカサカサでボサボサ、何日も、お風呂に入っていないから、たぶん汗臭いと思う。それに、昨日の朝に身体を拭(ふ)いてから、着た切りのダサいジャージ姿だ。
『何処にいても、どんな時でも、君が見えて、君の声が聞こえる』と言った、その彼が気付かなかったほど、私は酷い姿なのだろう。でもそれは、私の単なるこじ付けに過ぎない言い訳、本音は恥かしくて会っても上手(うま)く話せないと思う。それに、彼は既に、私が此処に居る事に気付いているけれど、私と同じ気持ちで、ワザと、素知(そし)らぬ振りをしているのかも知れない。
 彼を避(さ)けて逃げているのを自覚しながら、探した言い訳に言い訳を重(かさ)ねて自分に言い聞かせている。
 彼は、私の命令通りに優勝してくれた。
 私の願い通りに薔薇の花束を持って見舞いに来てくれたのに……、私は、彼の花束を受け取る事や、彼の勝利を褒(ほ)める言葉と、薔薇の花束の御見舞いへの御礼(おれい)の言葉を、私に勇気が無くて、行動する事も、言う事もできなかった。
(ヘタレは、私の方だ……)
 母が振り向いて私に、『清算が済んだから行こう』と言うのと、メールの着信コールが鳴るのと同時だった。
【退院、おめでとう】
 彼からの短い文面に、項垂れて歩く、彼の後ろ姿が浮かぶ。
【ありがとう。退院したの、伝えなくて、ごめん】
 武道館の弓道場で、彼を応援していた女子達の姿が思い出される。
(優勝したのなら、ファンのみんなに、お祝いされたんだろうな)
 弓の試合に勝ったみたいだったから、付け加えた。
【弓、勝ったみたいね。そっちこそ、良かったじゃん】
 遠くのバス停で、バスを待つ彼を見ながら、母の車の助手席からメールを送った。
 直ぐに彼から、返信が来た。
【お見舞いの花は、インフォメーションの人に言付(ことづ)けました。明日、通院の時にでも、受け取って下さい】
(もう、受け取ったよ)
 彼が去った後、インフォメーションへ行き、名前を告(つ)げた。
 係りの人は、少し驚き気味に、彼が去った方向と私を交互に見てから、明るく言う。
「退院、おめでとうございます」
 笑顔で、花束を私に差し出した。
「あっ、ありがとうございました」
 とても、恥ずかしくなった。
 火照っていた顔が、更に、熱くなったのが分かる。
(今し方、彼が言付けた花束を、直ぐに、ボサボサ頭の女の子が受け取りに来るなんて、なんだか、ワザとらしいかな)
 薔薇は、三十四本も有った。
 ピンク色が十七本、白色が十七本、私達のそれぞれの歳の数だけ。
 開きかけた薔薇は、綺麗で、甘く心を騒(さわ)がす香りが漂(ただよ)い始めていた。
 彼のセンスと、薔薇の花が嬉しい。
(気障(きざ)な事をする奴! って、頼(たの)んだのは私だ……)
 私は抱えていた花束に顔を埋(う)ずめた。
 そんな、私を見て、母は運転しながら楽しそうに笑っている。
 インフォメーションから花束を受け取って来た私に、母は目を丸くして驚(おどろ)きながら、笑顔で言った。
「凄いじゃないの! そのバラ! 好い匂いで素敵ね。御見舞いの花でしょう?」
 私は、小さく頷いて答える。
 何処(どこ)の誰(だれ)かも知らない、インフォメーションの係りの人よりも、母やお姉ちゃんに、知られたり、見られたりする方が、何倍も恥ずかしい。
「良かったじゃない。 誰から? クラスの人が、持って来てくれたの?」
 今度は、顔を横に振る。
 恥ずかしさのあまり、声が詰まってしまう。
「うふっ、それじゃあ、あの男の子は、彼氏なんだ?」
 『あの男の子』で、反射的に声が出た。
「んもう! 見てたんだ?」
 さっきの待合ロビーでの出来事を、みんな知っていながら、母は私に訊いていた。
 母に見られていたのは、かなり恥ずかしいけれど、花束の嬉しさと薔薇の香りが、恥ずかしさを上書きしてしまう。
「そう、見てたわよ。声を掛けてあげれば、良かったのに」
 恥ずかしさがデレになる私に、母は積極さが足りないと言った。でも、普通に仲良さ気(げ)な態度になれないのは、積極不足だけじゃない。
「だめよ。こんな見っとも無い姿で、声を掛けれるわけないでしょう」
 汚れて臭い身体と寝癖のボサボサ髪に、着た切りのダサいジャージも臭っていると思う。
「そうかしら、それも、可愛いと思ってくれるわよ」
 冗談か、本気か、分らない適当な事を言いながら隣で運転する母は、自分が花束を貰(もら)ったのじゃないのに、嬉しそうに笑っている。
 照れ臭いけど、嬉しそうな母の笑いは構わない。
「からかわないでよ。そんな、わけないじゃん!」
 こんな姿で、いくら彼につれなくする私でも、会えないし、見られたくない。
(臭いも、嗅(か)がれちゃうし……)
「御見舞いっていうよりも、愛の告白かな?」
 今、私が考えそうになった事を、母に笑いながら言われた。
「違うって。彼氏なんか、いないよ。彼は友達なの!」
 そう言い切る私を、母は見詰めている。、
「ふぅ~ん。彼は、友達ねぇ~」
 母は、私へ顔を近付けて来て、粘(ねば)っこい声で呟やいた。
「ちゃあんと、お友達に、御礼を言っておきなさいよぉ~」
 正直、彼の活躍を見に行ったり、切なさと愛おしさで彼に抱きついたりしたけれど、付き合ってはいない。
 中学校からの同級生には、相思相愛の仲だと思われているようだけど、それは、全然違う。
「そうよ! 危(あぶ)ないから、ちゃんと前を見て運転してよね!」
 ちらちらと笑顔で私を見る母に、私は薔薇の香りの中から注意する。
 彼とは、これからどんな関係になって行くのか、数学の揃(そろ)わない未知数みたいで、未(いま)だに分かっていない。でも彼は、携帯電話でメールを遣り取りする、たった一人の大事なメル友で、私を守ってくれる大切な人だ。
【素敵(すてき)! 薔薇の花だね。嬉しい】
 一遍に送ろうとしたメール文を、私はワザと分けて、意味深な間を空けてから、彼へ送る。
(分けた事で、私が彼に気付いていたのを、分かってくれるでしょう。ごめんね、声を掛けなくて。でも、それって、お互い様だよね)
【名前はたぶん、ファーストラブ。白いのは、スノードルフィンかな。綺麗で可愛くて、好い匂いだよ。ありがとう】
 顔を埋ずめた薔薇越(ご)しに、彼へメールを送った。
 私は、心から嬉しいと思っていた。
 入院中は、一度だけクラス委員が連絡用紙を持って来て、在(あ)り来たりな軽い御愛想(おあいそ)を言いながら、私に渡すと五分も居ずに帰って行った。
 メッセンジャーとして来たわけで、見舞いは形式に過ぎない。
 クラス委員の御愛想は、連絡用紙の内容を知らせて、湿度が高い梅雨時期の天候や病院内の雰囲気や臭いの不快感を、私に語るだけで、クラスの様子を伝えたり、私の体調を心配するような、言葉は無かった。そして、クラス委員以外に、『見舞い?』に来たクラスメイトは、一人もいなかった。
(まあ、今どき、盲腸のオペぐらいじゃ、誰も来ないか……)
 高校三年になっても、相変(あいか)わらず、私に親しい友達はいない。
 クラスじゃ普通に会話するけれど、個人的な踏(ふ)み込んだ話題は避けている。
 そんな、上辺(うわべ)だけの言葉や態度が相手に分かるのだろう。
 ハミにはされていないけど、クラスメイト達は誰も、私と親しくしようとしない。
(親しくされると、気を遣ったりして、面倒(めんどう)臭(くさ)いから、別にいいけどね)
 同じ理由から、私は彼氏は作らない。
 愛想無しで冷(つめ)たい私の態度や物言(ものい)いを知らない男子が時々、近寄って来るけれど、いつものように私の丁重(ていちょう)なブリザードで凍(こお)らせて、御辞退いしてただく。
 友達や彼氏はいない私だけど、携帯電話のメル友はいて、メル友の彼とは毎朝のバスの中で、二人だけの無言のオフ会をしてる。
 今でも、中学校の時の同級生達はメル友の彼を、彼が描(えが)いたデッサン画やコーラス祭での私のスタンディングオベーションから、私の彼氏だと誤解して、学校の廊下で擦(す)れ違うと手を振り笑顔で、『彼氏、元気』と言って行く。
 私は笑わずに、少し困った顔で、『彼氏じゃないけど、元気だよ』と無言で答える。
 全く、適当な対応の挨拶返しだけど、全然根拠が無い訳じゃなかった。
 これまで、彼から届いたメールに、『僕は、元気が無い』みたいな意味の文字が、書かれていた事は無いし、それと、毎朝の彼のようすから、元気が無いとは思えなかった。
(実際は、私の所為(せい)で、モチベーションがヘコんだり、メゲたりして、それなりに、元気が無いかもね。ダウンさせるのは、しょっちゅうだけど、アップさせるのは、稀だから)
     *
 お腹の痛みは、晩御飯を食べてから御風呂に入り、その後に家族でテレビを観ていた時に来た。
 最初、お腹(なか)の中にニゴニゴとガスってるような感じがして、ちょっと、トイレに行こうかと思ったら、『ズッキン』と、お腹全体に、深くて鋭い痛みが走った。
(痛(つ)う! ……あれっ? なに、この痛み?)
 産まれて初めて感じた、大きな痛み……。
 続いて、ズキズキと鋭く痛みが続き出して、次第に右下腹部に痛みが集中して行った。
 便意と軽い吐(は)き気を催(もよお)して、痛みに耐えながらトイレへ来たけれど、鋭く刺し込む痛みで、便座に座る事も、吐き気に便器へ突っ伏(つっぷ)す事もできずに、トイレの床に丸まるように蹲(うずくま)り、私は助けを求めて叫(さけ)んだ。
「いたぁーい! 助けてー!」
 直ぐに、お姉ちゃんと母が駆け付けて来て、蹲る私の姿に、『どっ、どうしたの? どこが痛いの? お腹なの? 吐き気は? 熱は?』、矢継ぎ早に、私の状態を訊いてくれる。
「お腹が痛い! 右の下あたり……」
 小さな悲鳴のような声で答えるのが、精一杯(せいいっぱい)だった。
『お父さんは来ないで! 来ちゃだめよ。お父さんは、車を用意して。それと、今夜の当番医も、調べてちょうだい』
 娘の痛がるようすと慌(あわ)ただしさに、父も心配の余り、私の傍に来ようとしたみたいだけど、母に止められた。
(ありがとう、お母さん。……お父さん、ごめんね)
 今の私の姿を父に見られるのは、かなり恥ずかしい。だって、寝巻兼(けん)部屋着のスウェットのパンツと下着のショーツを膝下(ひざした)まで下げていて、私の下半身が、隠す布一つ無いスッポンポンの丸見え状態だったから……。
 ちょっと笑えるところだけど、痛みで朦朧(もうろう)とする私は、笑顔になるどころじゃなかった。
(食中毒なの? 何か、変な物を食べたっけ? 買い食いもしていないし……。でも、お姉ちゃんも、お母さんも、お父さんも、何とも無いみたい……。だから、食中毒じゃないでしょう?)
 連続した激(はげ)しい痛みに、ぐっしょりと気持ちの悪い汗を掻いて堪(た)える私は、悪寒(おかん)でガタガタと全身が震(ふる)えている。
(うう、痛いよぉ……、バス事故の日、彼も、こんな痛みに堪えていたんだろうな……)
 痛みに堪える中、ふと、あの日の彼の痛みと、今の自分の痛みを比(くら)べてしまう。
 堪える痛みと不安で、彼は、顔面蒼白(そうはく)の酷い顔をしていた。
 きっと、今の私も、同じ酷い顔をしていると思う。
 こんな痛みに堪えて不安だった彼を、私の自分勝手に巻き込んで、更に、不安と苦痛を与えてしまった……。
 お姉ちゃんが、私のショーツとパンツを元通りに直し、母が毛布で私を包み、父に御姫様抱(だ)っこで車に乗せられて、病院へ連れて行かれた。
(こんなに辛(つら)くて酷い痛みは、ただの腹痛じゃない! 突然に発病した、何か大きな病気だったらどうしょう……)
 夜間救急指定の県立中央病院での診断は、想像していたような大きな病気ではなくて、虫垂炎(ちゅうすいえん)だった。
 なんか、原因が分からないんだけど、……炎症で肥大して、破裂が切迫(せっぱく)した虫垂……。それは、盲腸の先端から紐虫(ひもむし)のようなのが垂れ下がっていて、そこに、未消化物が溜(た)まり詰まって、予兆(よちょう)も無く、腐(くさ)って発酵(はっこう)、腐敗(ふはい)ガスで虫垂は膨(ふく)らみ、その腐敗と発熱は虫垂の内部壁全体を爛(ただ)れさせて、酷い炎症状態になってしまうらしい。
 膨張し切った虫垂が破裂して腐敗物を飛び散らすと腹膜炎(ふくまくえん)に至(いた)り、今よりも、もっと辛い激痛と激しい嘔吐に間段無く襲われるようになるそうだ。
 そんな、患部の突発的異常が、私を苦しめている激しい痛みの原因だった。
 その晩に腹部を切開して、患部を切断除去する緊急手術となり、局部麻酔で行わた手術は、患部の腫れて膨らんだ盲腸を短時間で摘出し、翌朝に麻酔が切れて目覚めると、嘘のように鋭い痛みは消えていて、再(ふたた)び、苦しい思いをする事は無かった。
 切開した傷の痛みも殆(ほとん)ど感じ無くて、執刀医や病院の医療技術が凄いと感心してしまう。
 夕方には退院できると聞かされて、盲腸で入院した旨を彼に知らせるのは止めた。
 なのに、私は炎症と痛みで体力を奪(うば)われたのか、少しの鼻水と小さな咽喉(のど)の痛みだけだった、引き始めの夏風邪を拗らせて、四十度もの高熱を出してしまった。
 因って、夕方の退院は取り止めになり、取り敢(あ)えず、一週間の延長入院で、様子を診てから退院させる事となった。
 発熱は四日間続き、その間中、毎日、昼も夜も同じ夢を見た。
 新緑の多い見知らぬ街の木漏(こも)れ陽(び)の中を、爽(さわ)やかな微風(そよかぜ)に吹(ふ)かれながら、私も、彼も、楽しそうに手を繋(つな)いで歩いていて、互いの話しに笑い合っているという、不思議な夢を何度も見た。
 それに……、黄昏(たそがれ)の金石(かないわ)の町を二人で彷徨(さまよ)う、二年前の夢もよく見た。
 いつも目覚めると、情景は良く覚(おぼ)えているのに、笑った事や話した内容は殆ど消え失(う)せて、僅(わず)かな断片しか思い出せない。
 もし、私が大変な病気になったら、彼は私の近くにいてくれるだろうか?
 ずっと、治療が必要で、とても長い入院になるような不治(ふじ)の病(やまい)でも、彼は私を好きでいてくれるのだろうか?
 そんな事ばかりを、熱に浮かされながら考えてしまう私は、彼に凄く会いと望んでいた。
 これ以上、入院が長引くようならば、翌朝にでも、彼に知らせようかと思った日の午後に、検査の数値は殆ど正常値で、良好な回復だと知らされて、翌日の退院が決まった。
 折(お)りしも、明日は全国高校学校対抗選手権大会、通称インターハイへ出場させる石川県代表を選出する弓道大会の当日で、その試合に参加すると、彼からメールが来ていた。
     *
 私は彼に、結構(けっこう)、ズケズケと好き勝手をメールで送っていて、彼も同じように私にメールを送って来るのに、リアルで私の真横に立つ彼は、今でも、私の言い付けを守り、二人っきりになる場面でも、話し掛けてきたことは無い。
 黙って立っているだけで、全然会話が無かった。
 初めての会話は、彼から声を掛けて来たくせに!
(面倒臭さそうだから…… 私も、彼に話し掛けないけれどね……)
 そんなオフの彼は、一ヶ月前のバス事故で、その身に怪我(けが)を負(お)ってまで、私の楯になって守ってくれた。そして今日は、私の入院していた病院まで見舞いに来てくれた。
(退院の日に、なっちゃたけれどね)
 メールに書かれていたとおり、本当に、わざわざ、薔薇の大きな花束を持って見舞いに来た。
(嬉しい……。本当に持って来てくれるとは、思っていなかったの……)
     *
 彼が花言葉を知っていて選んだのか、知らないけれど、ピンクの薔薇は、幾(いく)つか有る花言葉をくっつけて、『洗練された気品の清浄な輝(かがや)きが眩しく、温(あたた)かい心が癒しの安らぎを与えてくれる、真心溢れる淑(しと)やかな美少女』で、その美少女が私だと、自惚(うぬぼ)れた。
 白い薔薇は、差し詰め純潔? な彼で、『私を、心から尊敬して、必ず約束を守ります』、そして、無邪気に、『僕は、貴女(あなた)に相応(ふさわ)しい』と、しっかりアピールしているところなんて、彼にぴったりの花言葉だらけだ。
 花瓶に顔を近付けて、ピンクと白の薔薇を一本づつ、鼻に寄せ匂いを嗅ぐ。
 ローズ特有の貴(あて)やかな深くて甘い香りを、胸いっぱいに吸い込みながら、偶然にしても、互いに相応しい薔薇の花を選んだものだと、私は彼のセンスに感心した。
 活けられた薔薇は二色だからこそ、見る目に意識されて、添えられる白さに淡いピンクが、更に、初々(ういうい)しい愛しさで映(は)え、白さは淡いピンクによって、より純潔の清々(すがすが)しさを際立(きわだ)たせている。
 これからも、ずっと、彼は私を好きでいてくれるのだろうか? そして、彼を思うこの気持ちに、既に私は、彼を好きになっているのかも知れないと思う。

 

 つづく