遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

バス(僕 高校三年生 ) 桜の匂い 第七章 壱

 暫し気絶していたかも知れない……。

(……僕は目を閉じている。閉じた瞼の裏が明るくて紅い……)

 目を瞑っている理由が分からないまま、ゆっくり瞼を開けると目の前の座席に合いの制服を着た彼女が座り、びっくりしたような、困ったような、唇を僅かに開いて顰める目付きの唖然とした顔で僕を見ていた。

(えっ、ええっ! どうして僕は彼女の前にいるんだ? なぜ、彼女は僕を見て驚いているのだろう? うーん?)

 目の前に彼女を見た瞬間、この大胆な立ち位置が僕らしくない不自然さと、そして、彼女に見られているのを恥ずかしいと思った。

 直ぐに、いつもの彼女の横の立ち位置へ移ろうと左に顔と体を向けようとするけれど、幾許も向けない内に頬にゴツゴツした硬い物が当たり、僕が試みていた動作を初っ端から、その真横に存在していた覚えの無い物体が遮ってくれた。諦めず頭を傾け無理に向けようとすると首の付け根辺りが傷付きそうに痛くて動かせない。体は左肩からずっしりと重く、後ろから何かが被さるように僕の背中を押し付けて左側へ向きを変えようにも微動だにさせない。

 背後から重量の有る何かに圧し付けられている僕は、彼女の座席の前の手摺りとの間に挟まれてしまっていた。背中全体が強い圧迫でズーンと痺れている感じだ。深く息をする度に体の中のどこかが、キリキリと痛んで呼吸がし辛い。

 この、かなり激しい勢いで訳が分からない物に挟まれた自分の、どう仕様も無いくらい悲しい状況にクラクラと目眩がして、再び意識が霞みそうだ。

(この…… 重くて硬いのは何だ? 僕は挟まれて潰されているのか?)

 咄嗟の本能的な危機回避の反射で、重さと圧迫を感じない右側へ抜け出すのに身体が捩れると、左の脇腹に抓って引っ張るような激痛が走り、思わず叫びそうになった。

 瞬間、激しい動揺で血の気が引く。

(くぅ~……、痛い……、すっごく痛い……)

 鋭く深い痛みと得体の知れない何かがズッシリと後ろから被さり、挟まれて身動きの取れない状態が不安を強め、今にも潰されそうな状況から抜け出せない焦りを恐怖に変えた。

(ぼっ……、僕はどうなってしまったんだ? もう、……ダメなのか? まだ……、彼女と何も始まっちゃいないのに……)

 現状を理解できずに動転する脳が思考を停滞させた。

(うう、いっ、いやだぁ! だっ、誰か、助けてー)

 翳りそうな意識に視界の周りが暗くなって、気持ちが悪い。

(逃げ出したい! 叫んで、喚いて、助けを呼ぶんだ! 誰でもいいから早くここから出してくれーっ)

 初めての体験する人生が終了しそうな危機に、もう僕はパニックに陥る寸前だ。

(彼女の驚きと悲しげな顔……、この痛み……、どんなに酷い傷を負っているんだ? このまま僕は、ここで……)

 僕から見えない僕の何処かが血だらけなのかも知れない……。膝下がプルプルと震えて、直に身体全体も震え出しそうなのが分かる。それでも、引き攣りそうになる眼に映る彼女の不安げな顔に、情けない醜態を彼女へ曝すわけにはいかないと、辛うじて崩壊直前の神経を繋ぎ止めた。

(……彼女がいる、前に、彼女がいる……。彼女が目の前にいるんだぞ。彼女が見てる……、彼女に見られてるぞ。おっ、落ち着け! 我慢しろ! ちゃっ、ちゃんと息をしろ! そうだ、大丈夫だ……。彼女が居てくれる。このまま逝っても彼女が看取ってくれるんだ)

 突かれたような痛みを歯を食い縛りながら耐え抜いて、噛み殺した無言の悲鳴を静かに吐き出すと、息をする度の痛みも同じ左の脇腹辺りから来るのが分かった。脇腹に何かが食い込んでいると思う……、でも刺さってはいなさそうだ。

 知覚した眼前の彼女と突くような鋭い痛みで次第に意識は鮮明になり、徐々に記憶が戻って来る。

(ああっ、ここは、バスの中だ……。そして、事態は非情に悪くて、身動きができない!)

 床に多くの乗客が折り重なるように臥して呻いていた。吊り革や手摺りに摑まっていた立ち客達は一人残らず床に倒れ、幾つかの空席も見えて座席に座っていた乗客の何人かが投げ出されたようだ。更に視線を左へ向けると、両手で血だらけの顔を押さえている運転手が見えた。

 はっきりと戻って来た意識に、自分の現在状況を確認する。

 僕の動きを阻んでいる左真横の硬い物体は、細かく罅割れて拉げた積層ガラスの塊でバスのフロントウインドーだった。蜘蛛の巣状に皹割れて波打つように変形したフロントガラス越しに、衝突したトラックの白いボディカラーが見えた。

(そうだ、思い出したぞ! 飛び出して来たトラックにバスが衝突する直前、体が勝手に瞬発して、僕は彼女の前に立ったんだ!)

 彼女が投げ出されて大怪我をしないように直ぐ前の降車口に立ち、衝突の衝撃を背中で受け止めようと左肩をポールバーに掛け、柵状の手摺りを両手で力一杯に握って全身の筋肉に力を入れた。……そこまでは思い出せた。でも、そこから先は気を失っていたのか、今し方に意識が戻るまでの、ほんの少しの時だけだと思うけれど、記憶が欠落している。それでも、恐ろしい衝突の瞬間と、その衝撃で挟まれ押し潰される悲惨な体験記憶が無いというのは幸いだ。

(覚えていたら、彼女の前で泣き喚いていたかも知れないな……。今も泣きたいくらいだけど……)

 僕は朝の通学のバスの中で彼女といっしょになると、必ず彼女が座る座席の横に立つ。彼女は僕よりも先に降りるから、いつでも彼女が座席から降り易いようにと少し横へズレて立っている。彼女が降車するまでの十数分間の僅かな時間だけれど、僕は不測の良くない事態から彼女を守っているつもりだった。何か不慮の災いが彼女を襲いそうになった時、僕は僕自身を盾にして彼女を守り通す覚悟でいた。それなのに挟まれて気を失ってしまった。

(僕は、彼女をちゃんと守れたのだろうか?)

 衝撃に圧迫された肺の息苦しさと、薄れ切らない痛みに震えて掠れる声で、

「だっ、大丈夫か……? ううっ」

 心配そうに僕を見上げる彼女へ訊いた自分の声が途切れて呻き、知らない誰かの細くて弱々しい声に聞こえた。

 額には僕にぶつかった所為なのか、ほんのりと赤く小さな痕が付いている。彼女のフワッとした髪に掛けていたはずのヘッドホンは、たぶん僕にぶつかった際に頭頂から外れ落ちて首に掛かっていた。見る限りそれ以外に変化は無くて、特に怪我をしているようには見えない。取り敢えず今は、火災の発生や燃料が漏れたりしている臭いも無さそうで、彼女に差し迫る新たな危険は無いようだ。

(良かった。顔に傷は無い。僕は彼女を守れている)

 彼女を守れていた安堵感に気負った緊張が緩んだからなのか、背中と脇腹の強まって来る痛みに耐える僕は顔を顰めていたのに気付いた。痛みを我慢して歪めた顔は、頬と唇が引き攣り、奥歯を噛み締めて眉間に縦皺が寄っていると思う。

(だめだ! 彼女に心配させるな。普通にしろ)

 僕の問い掛けに、有り有りと、どうしょうって不安を浮かべた顔で黙って僕の様子を見ていた彼女が応えてくれる。

「私は…… 大丈夫。そっち…… あんた……、……あ、あなたこそ、大丈夫じゃないでしょう」

 彼女の視線は下がりながら左右に流れ、そして左の脇腹辺りで止まった。どうやら、その辺りが一番酷い状態に見えるらしい……。

 僕の背中には、バスの歪んで罅割れたフロントガラスが被さっていた。圧迫されて血行が悪くなり痺れの増した左半身に、ずっしりと感じていた重みが薄れて来ている。手摺を握る左手は細くなった血流で青白く、自由な右手は青紫色に変色して、血中の酸素量が減っていると判断した。身動きできない体に浅く息をしても背中がズキンと痛み出した。このまま長時間も挟まれ続けたらヤバイ事態になりそうだと焦りが込み上げて、内心、一刻も早くレスキューされる事を願う。

 僕を見詰める彼女の背後に車外に逃れて行く人達が見え、倒れている人が次々と助け起こされたり、抱えられたりして運ばれていた。歪んだ窓ガラスの向こうに見える歩道に、バスから運ばれた怪我人達が寝かされて行く。

「血は出ていないみたいだけど、どうなの? それ、痛くないの?」

 挟まれている僕の脇腹の具合が分かるのか、下げた視線を戻して僕を見上げた彼女が言った。

「コン、ゴホッ、ゴホッ」

 彼女が苦しそうに咳き込んだ。余りにも突然の災厄に驚いて気持ちが圧迫されているのだろう。一過性の軽い呼吸不全だから、安心させる事を言って少し落ち着かせれば、きっと直ぐに治まる。

「ちょっと痛いかも……。いや、けっこう痛い……。でもこの痛みは挟まれている外傷の感じだよ。動かなければ痛みが和らいでいる。もし内臓が潰れているのだったら、叫んでいるか意識が無くなっているかだね……。激痛だろうな……、たぶん。刺さっているのなら熱い感じがするんだ。その感じもないよ」

 不測の現実に慣れて来て、彼女に心配されないようにと不安を退ける気概を持ち直したからなのか、少し長く話せた声が自分の声らしく聞こえる。でも、経験からの推測しか言えていなかった。実際は痛みで気付けないまま、更に深刻な状態へ急変しようとしているのかも知れない。

(あれ? 落ち着かせれる事を言えているのか……?)

 小学校の頃、建ったばかりの親父の工場で遊んでいた時に怪我をした事が有った。まだ整理を終えていない敷地内を走り回っていたら、突然、脹脛に鋭い痛みがして、一瞬の痛みは熱さに変わって行く。見ると太い針金が脹脛を貫通していた。呆然と見入る傷に痛みではなく熱さを感じていた。

 貫いた針金はそのままにして親父に病院へ連れて行かれ、レントゲンを撮り貫通状態を診断してから針金を抜き、消毒と化膿止めと破傷風の予防をして事なきを得た。それ以来、親父の工場は整理・整頓・掃除が徹底されている。

「なに、呑気に痛みの分析してんのよ。横にずれて抜け出せないの?」

 その言葉に再び体が勝手に反応して僅かに捻ると、ズキンと筋肉を掴まれたような強く深い痛みで息が停まり、脇腹がヒクヒクと痙攣した。

(耐えろ! 顔に出すな。ポーカーフェイスでいろ。彼女を不安に…… 心配をさせるな)

 僕は自分に言い聞かせて痛みに耐える。そして、彼女に悟られて余計な心配をさせないように無表情を装う。

(くそぅ…… 倒れる時は、彼女の見えないところで倒れろ、……自分!)

「抜け出そうとしているんだけど、なんか筋や内臓が潰れそうな感じで、無理っぽい」

 声が震えたり途切れたりしないように一気に言った。彼女は僕の表情から状態を読み取ろうと真剣な顔で僕を見詰めている。それに悲しそうだ。そんな、顔を突き合わせる近距離で僕を心配そうに見ている彼女に、僕はドギマギしながら嬉しいと思う。

 激痛の脇腹が致命傷じゃないと判断したのに、休まらない痛みの疼きでイライラ感が治まらない。この時になって初めて脇腹以外にも痛みが有るのに気付いた。それは後頭部からの痛みで、脇腹のようにキリキリする尖った痛みじゃないけれど、さっきからズキズキと疼いて僕をイラつかせて来る。

「あとね、頭の後ろをぶつけたみたいで、痛いんだ。どうなっているか、ちょっと見てくれるかな。割れたり、陥没はしていないと思うけど」

 間近で僕を見ていた彼女の顔が、『ぎょっ』と目を見開いて視線が僕の頭へと移った。だけど直ぐに拉げたフロントガラスに阻まれて上手く見れないと知ると、

「ちょっと、俯いてみて」

 言われるままに、そっと軽く顔を前に倒してみる。旋毛が見えるくらいにと倒して行くと、やっぱり脇腹が抓られたみたいに痛み出し、顎を引く程度しかできない。

「あたっ! ううっ、……痛いから。そんなに強く触るのは、無しにして欲しいな? んで、傷……、酷い?」

 位置的に高くて後頭部が良く見えないのか、彼女の手が僕の頭に触れるとガサゴソと髪を掻き分けてダメージの程度を探し始めた。何度も髪を分けたり、押しやったり、引っ張ったりして地肌を見ているみたいだ。時々、ヒリッと触れられるのがけっこう痛くて触れた後もヒリヒリしていて、黙って頭の傷を見てくれる彼女は、ちっともそっとしてくれなくて頻りと痛くして来る。

「頭痛がしたり、頭の中から小さく変な音が聞こえたり、首が痛かったりしてる?」

 彼女は頭の天辺辺りで手の動きを止めて、ヒリヒリするところを指先で揉みながら訊く。

「してない。ぶつけたとこが痛いだけ」

 痛いって言ったのに、尚も僕の頭を見ながら弄る手を戻そうとはしない。

「気持ち悪い?」

 僕を見ずに伸ばした両手で髪を掻き分けたまま、指先でヒリヒリしたところを更に、ぐいっぐいっとなぞりながら訊いて来た。

(うっひぃー! いっ、痛いっちゅうねん! ワザとやってるとちゃうん?)

 あまりの痛さに身を捩ると今度は、左の脇腹がギリッと抉られるように痛い。両方の強い痛みに不安が増して顔や手足から血の気が失せて行くのを感じてしまう。

 何か凄く恨みを買っているのではなかろうかと彼女を見ると、早く答えなさいとばかりにギロッと睨む彼女の目と合ってしまう。その瞳の深い光に、くっ付きそうなくらいに大接近しているのも気付かないほど彼女は、ズイズイと懸命に背伸びをしていて、自分の指先の感触に確信が持てないのか、僕の頭の傷を真摯に調べようとしているのが分かった。

「この状態に、クラクラしてる」

(うひゃーっ、彼女の真剣な瞳が堪らなくて、空元気と余裕を咬ませたくて、つい言ってしまった!)

 あまりに緊張感の無い言葉は、エマージェンシー状態の僕を見捨てさせるかも知れないほどの詰まらなさだった。悔やみと恥ずかしさに頬骨辺りがヒクヒクと引き攣ってしまう。

 ヒリヒリさせていた指の動きが止まり、彼女の手が僕の頭から離れた。すると、触られていたところがズキズキと痛み出す。

「真面目に答えて!」

 笑わない顔の険しい眼差しが僕を睨み、低く抑揚の無い声で僕を冷たく戒める。

「ごめん、吐き気はしてないし、視界が暗くなったりもしてないよ」

 今、吐き気がするとすれば、痛みから来る胃のムカつきだと思う。目が回ったり、頭痛を伴う吐き気なら頭の中が損傷しているからで、その感じはしていなかった。

「眠い?」

 眠気も無い。それもクラッと来て目が霞むようなら、そこで終わりになっちゃいそうだ。脳にダメージが有って、それっきり意識は戻らないと思う。眠るとしたら、ここから出た後に君の膝枕で眠りたいです。

(膝枕、してくれますか?)

「いや、眠くなるどころじゃないし。ねぇ、頭はどうなってる?」

 それにしても、触られてズキズキと痛み出した頭の傷の状態が気になった。

「大きなタンコブができてる。切れていないし、血も出て無い。凹んでもいないよ」

 頭をぶつけているのだから皮下で内出血すれば当たり前にタンコブが膨らむ。血が出るほども切れていない傷なら、鋭い物で突かれてはいないだろう。それだけ触って陥没が見付からなければ、きっと骨は大丈夫で脳内の出血も心配無いと思いたい。

「話してて、意識は飛んでいない? 本当に眠くなっていないの?」

 そう言いながら彼女はぐいって顔を近づけて、その瞳は作りの粗を探すように僕の顔の隅々までジロジロと動き回ると、僕の目を覗き込んで来る。

(ちっ、近い! けど、すっげー嬉しい! それに、チョー気持ち好い匂いだ!)

 焦点が合うギリギリの顔の近さに蕩けるどころか、キスができそうで却って緊張してしまう。だけど、この悲惨な状態を心配する故の近さだからキスをされる気配は無く、間違った反応をしては大いなる反省に至っちゃうから最高レベルの警戒をすべきだ。胸の高鳴りを抑えて気持ちは冷静に…。でも、これからの為に何か啓発しておきたい。

(瞼を閉じて眠りたくない。このままずっと君を見続けていたい。もし、これで最期になるとしても、突然に真っ暗になって、遠くに聞こえた君の呼びかけが掠れ失せるように、僕の魂が離れて行って欲しい)

 切に、この先の将来も君を守っていたいけれど、これが最初で最後の守りになったとしても仕方が無いと思っていた。

「大丈夫! 気を失うなんて、勿体無いだろ」

 二年前の下校のバスでいっしょになった時くらいの超間近にいる彼女の、あの時と同じウェットに魅惑的な唇を見ながら僕は、またまた彼女を安心させたくて仕様も無い冗談を言ってしまう。

「ふっ」

 僕の精一杯の冗談に、言葉を返そうと開き掛けた彼女の口が、言葉の代わりに鼻で笑う息を吐き出すと閉じてしまい、和み狙いが軽くスルーされてしまった空しさを誤魔化すスマイルもできずに、吊り上げて歪めた口角だけでテレてした。

 冗談が詰まらなくて気に入らなかったのか、再び彼女は僕の頭のダメージ部分を、さっきよりも強く『痛い』と抗議する僕の呻きを無視して、虐めるようにゴリゴリと触れてから、脈を診るつもりなのか項と首筋に手を当てる。血の気が失せた僕の首へ触れる彼女の手の温もりは、現在、過去、未来の恐れを全て取り除いてくれたような安心感を与えてくれて、僕はそっと首を寄せてしまう。

 通り掛かりの人や付近の人達が救助に来て、怪我やショックで動けずにいた乗客達の殆どを運び出し終わり、残る運転手と彼女に降りるよう促した。人が降りてバスが軽くなるにつれて脇腹の圧迫位置が下り、擦るような痛みも混ざって来る。

(痛ぅー、……もうちっと、バスを揺らさないように、そっと動いてくれー)

 助け出せそうにない僕よりも、直ぐに助けれる多くの人を優先するのは当たり前の事だ。

「降りろよ。もう直ぐ、レスキュー隊が助けに来るだろうし大丈夫さ。きっと、この後ろの白い奴をどかせば出られるから」

 血だらけの顔を押さえながら運転手は、小さくて良く聞き取れない声で、『最後に降りる責任が有る』と言って、大層な怪我なのにバスから降りるのを拒んだ。

「怪我は有りませんか? さあ、あなたも降りてください」

 傍に来た救助の人は優しく彼女にも降車を勧める。その人は僕に向き直り青褪めた顔で、

「さっき、消防と警察に連絡して救急車を呼びました。君の状態も伝えたので間も無く消防からレスキュー隊が来ると思います。もう少しの辛抱だから頑張ってください」

 丁寧な言葉遣いの落ち着いた声は、直ぐに救援が来ると励まし安心させてくれた。明らかに年上の人なのに、小生意気そうな年下の高校生へ対しても相手を気遣う言い方が嬉しい。確かに僕は身動きができなくて抜け出せなかった。自分じゃ良く分からないけれど僕の状態が傍目には、かなり深刻に見えるみたいだ。

「彼の傍にいます」

 そう言い切って彼女は動かない。彼女の言葉に救助の人は強制せず、それ以上何も言わなかった。

 僕の傍にいるなんて、これまでの彼女の言葉や態度を思うと、涙が出そうになるくらい嬉しい。

(でも、それじゃあ、君が降りるまで、運転手を救出できないじゃんか)

 嬉しさを裏返した皮肉を思い付いていると、僕へ向き直った彼女が悲しい顔をして言う。

「後ろの白いのって……、いやよ。レスキュー隊が来るまでここにいるわ」

(おおっ、なんと! リッ、リアリィー?)

 本当ですか? あまりにも意外な彼女の言葉に、思わず日本語より英語で疑ってしまった。しかも、いつの間にか僕を『あんた』や『あいつ』じゃなくて、『あなた』とか『彼』と呼んでいる。

(これは、どうしたことだろう? なぜ? 僕などと……)

 戸惑う僕は凄く嬉しいのに、彼女の突然の変化が信じられなくて素直に喜べない。

(僕の呼び方を変えたのは、このヒーロー的な僕の活躍の所為?)

 これを機に彼女の気持ちが僕へ向き、二人の仲は急接近するかも知れない。

(なーんてね。今までの彼女の態度や性格から鑑みると、有り得ない。有るはずが無い! 有り得ても一時的な事で、思わせ振りな親しい態度は、彼女の気が動転している今だけだろう)

 こんなデンジャラスな状況下なら中学校の同級生が近くに居れば、例え無視し続けた嫌いな異性でも不安からの気の迷いで話しもするだろう。明日になれば昨日までと同じように互いに声を掛ける事も無く、僕はオフで無視されるメル友のままだ。僕は淡い期待を振り払い、心配そうに僕を見詰める彼女を見ながら、そう考えていた。

 エンジン止まったバスの中でバタバタと助け出される負傷者の呻き声に混ざり、小さくシャカシャカとリズムが聴こえる。彼女は三年生になってから以前の光るイヤホンを、新しいガンメタリックのスリムなヘッドホンに換えた。指向性が強く音漏れの無いタイプだけど、今はその彼女の首に引っ掛かったヘッドホンからのオールディーのようなポップスと、激突して挟まれた衝撃で僕の耳から抜けたカナルタイプのイヤホンのスピーカーからのアニメソングがハモるように流れていて、僕達は互いの聴いている楽曲に聞き耳を立てた。

 すぅーと彼女の手が伸びて、僕の胸ポケットから垂れ下がり手許の手摺りに絡まるイヤホンを摘み、近付けた耳介に嵌めて聴く。今し方まで僕の耳に入って耳垢が付着し汚れているだろうに、彼女がチェックも躊躇も無く、自身の耳に挿し込んだのは驚きだった。僕も勿論、彼女のイヤホンならば大喜びしてノーチェックで使う。

(……そうか、彼女は、僕を毛嫌いしているわけじゃない……)

 もう、僕は痛みと感動で泣きそうだ。視界の下縁に溜まる熱いモノが彼女の姿を滲ませて、ゆらゆらと揺らす。

 彼女は暫し聴いた後、イヤホンコードを指に巻いて纏め、作動しっぱなしのプレーヤーを僕の胸ポケットから取り出して電源をオフにすると、纏めたコードといっしょに再び胸ポケットに戻しながら言った。

「へぇー、こんなの聴いていたんだ」

 怪我をした僕を心配する不安と緊張で強張っていた彼女の表情が少しだけ緩み、小さく笑った唇が切なくて愛おしい。

 僕の聴いていたのは『♪いろは、にほへど……』に始まるゲームソングで、弾幕ゴッコの巫女さんが歌う曲だった。彼女に聴かれてしまった恥ずかしさが脇腹の痛さを紛らわてくれる。

 首に掛かっていたヘッドホンを外すと彼女は、

「私のも、聴かせてあげるね。ジャンルはフレンチオールディーよ」

 そう言いながら僕の耳に片方のスピーカーを押し当てた。丁度、曲のラストのフレーズが先細るように綺麗に消えて次の歌が愉しげに始まる。とても透明感が有る女性っぽい声なのに、これって男性ボーカルかもと性別が判断できない伸びと切れの良い声の歌唱に、思わず引き込まれ聴き入ってしまう。

『トゥー トゥー プゥ マ シェリー マ シェリー……』

 十数秒ほど僕に聴かせてから彼女はグルグルとコードをヘッドホンに絡ませると、床に落ちていたバックを拾い上げて中へ仕舞った。そのバックのファスナーを閉じ終わる頃、遠くからいくつものサイレンの音が近づいて来てバスの傍で次々と止まり、バスの車内が回転する赤色灯の光で溢れさせてくれる。車内灯が消えて乗客達の手荷物が散乱する無人の車内を、いくつもの赤い光が駆け回り交差していた。拉げたフロントガラスに挟まれて取り残された僕は、大好きな彼女に寄り添われる嬉しさと安らぎに、その光景を赤い系統色でコーディネートしたステンドグラスみたくて美しいと思ってしまう。

 慌ただしく到着したレスキュー隊は直ぐに駈け付けて来て、応急処置を施す救急隊の人といっしょに質問をしながら僕の状態と状況を把握すると、考え得る最善の救出方法を説明してくれた。本当に乗客が退去するまで運転席に血だらけの顔を押さえていた運転手は、レスキュー隊員に担がれて運び出されて行く。顰めっ面で歯を食い縛り無言で痛みに耐える姿が感動的に格好良い。

 僕の傍から離れようとしない彼女は説得され、その躊躇う足取りに隊員が付き添ってバスから降す。傍にいたいと言ってくれるのは、凄く嬉しくて心強いけれど、かなり危険を伴う救出作業になると思うからバスを降りてくれるのは、割れたガラス片やフレームの金属部品が飛び散って怪我をさせる心配をしなくて済むので有り難い。

「彼は私を守ってくれたの! お願いだから助けてあげて!」

 降り際に彼女が振り向いて、大きな声でレスキュー隊員に僕の救助を頼み、その感激する言葉は溜まっていた涙を溢れさせて両頬に熱く流れ落とした。

「頑張って……!」

 身体が震えて泣いてしまうほど、彼女の懇願する声は僕を感動させ、心の中で強く僕は彼女に誓う。

(今も、これからも、僕の身が最悪な結果に陥ろうとも、僕は君を守る!)

 パトカーがバスの周囲を取り囲み通行を遮断する中、何台もの救急車が負傷者の収容を終え、サイレンを響かせて病院へ向かって慌ただしく走り出して行った。

 バスはジャッキで固定されたのか、僕の救助にドカドカと何人ものレスキュー隊員が乗り込んで来ても揺れなくなり、隊員の人達は僕を気遣いながら、背中と被さったフロントガラスの間に緩衝材や分厚いビニールなどを次々と手際良く詰めていく。緩衝材を詰め終わり頭にヘルメットと保護マットを被せられると、直ぐに合図を掛ける隊員の大声が聞こえ、背後にエンジンカッターの物騒な唸りが鳴り始めて、暫しの振動に痛みが疼いた後、不意に脇腹の痛みと圧迫が消えてしまう。なのに、脇腹を圧迫していた物が取り除かれても、僕は抜け出せていない。

 下がり落ちるの防いでいた何かを取り除かれたフロントガラスが強く被さり、その重みに圧し着けられる僕は全く身動きができずに、一気に苦しさの限界が迫って来たのを知った刹那、エアーバックの脹らんでいく大きな音が背中でして、足元から…… たぶん、ぶつかっていたトラックが離される金属同士の擦れる音が聞こえたと思うと、いきなり背中のフロントガラスが崩れ落ちて、僕は重みに耐え兼ねて息の止まる寸前状態から完全に解放された。

 倒れそうになる僕を隊員の人達が左右から支えて助け出してくれる。そして待機しているストレッチャーに寝かされた。救急隊員が怪我の程度や身体の状態を診てから救急車へ運ばれる。搬送先の病院も決まっているみたいだ。

 ストレッチャーに寝かされた僕はブルブルと全身が小刻みに震えていて、それはきっと助けられて気が緩み、挟まれた身動き出来ない状態に鬱積した極度のストレスが開放されているからだと思う。

 僕は彼女を探した。彼女は歩道に立って救急車に乗せられる僕を硬い表情で見ていた。

(本当に怪我が無くて元気そうだ。彼女が無事で…… 守れて良かった)

 初めて入った救急車の中は、いろんな救命医療機器が所狭しと並ぶ圧迫感で息苦しい。それに、引っ切り無しで入る無線のノイズ混じりの遣り取りが不安を煽って来る。

「乗せて下さい。私も彼といっしょに行きます」

 後部ドアが閉まる間際に彼女が飛び乗って来た。自分のバッグと衝突後は行方不明になって忘れていた僕の鞄を抱えて。

 衝突後、彼女のバッグは足元に転がっていた。でも僕の鞄はどこに有ったのだろう。あの場には見当たらなかった。降車階段の一番下まで落ちていたのかも知れない。それを彼女がバスの中から探し出してきてくれたんだ。全く彼女の言葉と行動に驚くばかりだ。そして、感謝と感動しっぱなしだ。

 救急車に乗り込んで来てくれた彼女は傍らでじっと僕の脇腹を見ている。その俯き加減の顔の瞳はキラキラと涙に潤んでいるように見えた。

(どこか怪我をして、痛いのを我慢しているか? ……んん? 違う! 僕の所為だ。僕が泣かせた……。だめだ、いけない! 彼女に自責の言葉を言わせてはいけない)

 早く彼女が負担にならない言葉を、僕は掛けなければならないと思う。それも素直でシンプルに。

「……ありがとう。いっしょに、……いてくれて……」

 震える声で呟くように感謝の言葉を言うと、その潤んだ瞳から大粒の涙が幾つも落ち、とうとう僕は彼女を泣かせてしまった。

 走り出した救急車の中で肩を震わせて嗚咽する彼女を、僕は見詰めるだけで続く言葉を探せない。

「私こそ、ありがとう」

 ポロポロと涙が零れる瞳で僕を見詰め返しながら、彼女は言った。

 朝の渋滞の間を縫うように左右に揺れながら加速して走る救急車の中で、寝かされている簡易ベッドからズリ落ちないように、掌で溢れる涙を拭いながら彼女は僕を支えてくれる。いや、支えるのじゃなくて動かないように押さえてくれた。

 揺れに身を捩り痛みに耐える僕の身体と彼女を見詰める僕の顔が、よほど不安気に見えたのか、いきなり抱き付くように僕へ被さって、ズレ動かないように彼女の上半身の重みで押さえられた。彼女の顔が、胸が、腰が、腕や手が、僕にぴったり触れているのが分かる。そして、涙に濡れる瞳が僕を見る。

(頬と口許、鼻筋と唇も濡れているのは、涙を拭ったから?)

 彼女の優しい温もりと重みが、僕から魂を離脱させそうだ。

(すっごいぞ! 僕に抱きついて来るなんて! ……いやいやこれは違うでしょう)

 嬉しさと感激のあまり、妄想が過ぎる。でも勘違い男になっちゃだめだ。今、僕の心臓は全力疾走を繰り返した後のように、バクバクと大きく早鐘を打っている。

 水色の制服にヘルメットを被って横に座る救急隊員の人が、彼女の行動に驚きながら僕と目が合って、ニッコリ笑ってくれる。

 いつも思い描いたシチュエーションなのに、もう何も考えられない。

(ああっ、ダメだ。こんなにバクバクしたら彼女に聞こえてしまう。治まってくれ!)

 落ち着かそうとすればするほど、冷静さは遠のき、興奮して更に心臓が高鳴った。

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 これまで彼女に触れたことは、中学二年生の体育祭でのフォークダンスだけだ。掌にべったりかいた汗を拭ってから手を繋いだ。それも軽く添えるように、指に触れただけだ。手を繋ぐ彼女に一瞬の躊躇いが有った。彼女は僕を意識しているみたいで、動きが僅かに遅れる彼女を思わず見詰めてしまう。

 初めてマジマジと間近で見る彼女の横顔。目許に睫毛、鼻筋と頬の色、眉毛と額、キリッと結んだ口許と唇、顎の形と首筋、耳とうなじ、髪の生え際と眉間に寄った皺。ジロジロと観察するように見て、一生忘れないくらいにしっかりと脳裏に焼き付ける。

 自分に顔を向けている僕に気付いて彼女の瞳が動いた。その上目は『なに、ジロジロ見てんのよ』と、非難するように僕をジロリと睨み、少し遅れて回された顔が僕と向き合う。リズミカルな楽しいフォークダンスのメロディーなのにニコリともしない無表情で、互いの落ち着かなく動く目だけが相手を探っていた。笑わない顔で僕を見詰めたまま彼女は飛び跳ねるように僕の周りを一周する。

 バラードを聴くみたいに、思い詰めた無言の表情で楽しげにステップを踏む彼女は、テレビ画面の中で演じるパントマイムのように見えて、不思議な感じだ。

 もう心臓はレッドゾーン域を振り切りそうな急連打の鼓動を打ち鳴らし、悴んだ手の皮膚のように指先や掌から感覚が消えていく。無感覚になった身体がメロディーに合わせて反応して、繰り返した練習で覚え取り込まれた動きをした。

 僕もステップを踏みながら彼女の周りを一周して、視線を彼女の表情へ泳がせつつ次の男子へと彼女を導く。視界の隅に暈やけて映る彼女の姿を余韻のように楽しみながら、僕は手を伸ばして次の女子と手を繋いだ。彼女と踊る一分弱ほどの至福のダンスはその一回だけで、二周目を待たずに曲は終わり、彼女と再びダンスをするチャンスは無かった。

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 今までに携帯電話のメールと手紙で告白していたが、二回とも無碍にされた。今も好きで、好きで堪らない。その彼女が僕にしがみ付いている。痛みを忘れるくらい高揚している僕は何度も躊躇いながら空いている手を震えるままに、そっと彼女の背に添えた。

(このまま、時間が止まってくれ!)

 お風呂の匂いがした。シャボンの香りに混じって良い匂いもする。これが彼女の匂いなのだろう。僕の身の回りには無い匂いで初めて嗅ぐと思うけれど、初めてなのにどこか懐かしい。なんだか心が落ち着いて安心する匂いだ。香水なのだろうか? ほんのりと甘い花のような匂いを感じて、ゼロ距離の彼女との相乗で僕は凄い幸せに気が遠くなってしまう!

 バスの中で彼女の横に立つと、いつもシャボンの匂いがした。彼女の香り立ち艶めかしく光るサラサラな髪は毎朝の洗髪を僕に教えていた。その艶々の髪が揺れて僕の唇や鼻をシャボンの香りで擽る。(花のような彼女の匂いに、髪から香るシャボンの匂い……、ああっ、堪らない!)

 顔に触れる髪のこそばゆさが、気を失う寸前まで高まった僕の興奮と震えを静めて気持を楽にしていく。

 雨の日は傘を閉じてからバスの乗車ステップを踏む。この僅かなタイミングに降り掛かった雨滴で点々と付いた彼女の後ろ髪の雫や制服の襟と肩の丸い小さな染みが、ゆっくりと乾いて消えて行く様を見ていた。その髪と制服の布地が僕の顔に触れて、埋もれる彼女の色と匂いに心と身体が蕩けるように安らぐ僕は、ずっとこのままでいたいと、切に願う。

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 今、僕の肩を動かないように掴む、彼女の指の爪は短くて四角い。

『私、ピアノ習っているの』初めて彼女に声を掛けた小学六年生の時に、そう言われた。

 それは、僕がした彼女の四角い爪への不躾でぶっきらぼうな質問への返答だ。不思議な気がしたけれど、ピアノのキーを敲くと爪の先が平らに変形するのだと、素直に僕は信じていた。しかし、それは違った思い込みをさせられていたのだった。

 高校一年生の時にブラスバンドメンバーのクラスメートが、上手にピアノを弾いているところへ偶然に通り掛り、近くへ行って見た。そいつの指は太くて短いけれど、爪の先は平らじゃなかった。弾き終わったそいつに、『おい、なぜ、爪の先っぽが平らになっていないんだ? ピアニストは、みんな爪が変形するんだろう?』って、普通に失礼な事を訊いてみた。

『おまえ、それ騙されているぜ。多少の変形は有るかもしんないけど、平らになるほどに形は変わらないね。指先も潰れないし、爪切ったのを見間違えじゃないのか?』

 そいつは笑って僕を小突きながら教えてくれた。

 音楽雑誌のピアニストの写真で確認したプロの爪の先端は、真っ直ぐに切り揃えたような平らな変形などはしていなくて、老若男女、どの人の爪の先も普通の人と変わらなかった。

(そうだよな。キーを敲き続けて指先が潰れても、直線に切ったように平らにはならないよな)

 でも、あれは爪切りでワザと作った形じゃなかった。

(彼女が、僕に答えた言葉は……、嘘だ!)

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 四角い爪は彼女のコンプレックスだったのだ。

(そんな事を、気にしていたのか?)

 でも……、僕にはそんなことでも、彼女にとっては、とても悩んで苦しむことなのだろう。聞き流したり、生まれ付きだとか、さらりと言えずに、わざわざ嘘を吐くくらいに……。それを知った僕は、爪の形なんかを気にして悩む彼女につまされて更に彼女が愛おしくなった。そして今も、間近に大きく見える四角い爪が愛おしい。

 大きく息をして、胸一杯に彼女の匂いを吸い込む。全身を彼女の匂いで満たしたい。この匂いを覚えていたい。息を吐き出して、また大きく吸い込む。

 僕の動きに気が付いた彼女が、少し顔を起こして上目遣いで見る。

「寒い……? 苦しい? 痛いの? それとも重い?」

 心配そうな顔で矢継ぎ早に訊ねてくる彼女の瞳が、まだ涙でウルウルしていた。

(かっ、可愛い!)

 でも、君の笑顔の方が百万倍好きです。

 急に救急車が右に曲がりサイレンを止めて停車した。直ぐに降車した救急隊員が後部ドアを開くと、彼女は静かに僕から離れて何も言わずに降りて行く。その薄まる彼女の匂いに一時の至福の時間は終ってしまう。

 運び込まれた金沢医療センターで彼女は積極的に動いてくれて、看護師から渡された検査リストの用紙と院内の案内地図を頼りに、ストレッチャーに寝かされた僕をリストの検査場所へ次々と運んでくれた。レントゲン、CTスキャン、超音波エコー、心電図、脳波、赤外線サーモへと、驚くほど手際良く最短コースで移動して、彼女は医療技師や医師に僕の事故状況や患部を説明し、最優先すべき状態だと急がせて検査を速やかに済まさせて行く。ストレッチャーを運ぶスピーディで流れるような動作にも、僕が痛がらないようにと気を配る彼女の心遣いを感じる。

 全ての検査が終わりストレッチャーに寝かされたまま通路で治療待ち順番についていると、廻って来たドクターが検査結果を見ながら僕を診察して何か書き込み、聴き取り難い声の早口で彼女と話してから足早に次の患者へと行ってしまった。

「今の、解ったのか?」

 息継ぎをしない途切れ無しの長い話し方は、まるで御経のような外国語みたくて、彼女が適当に入れているとしか思えない相槌以外、僕は一つも解らない。彼女が理解できているのなら、僕の聴覚がおかしいのか、言語を理解する頭脳部位に障害が発生したのかも知れない。

「全然!」

 やっぱりね。彼女も理解できていなかった、というよりは聞き取れていなかった。僕は難聴でも、事故の症状でも、何でも無くてほっと安心する。

 僕達二人の検査結果を暫く眺めていた彼女は忙しく急ぎ通る看護師の一人を呼び止めて、ドクターの書き込んだそれぞれの内容を説明して貰う。

「ありがとうございます」

 じっと神妙な顔で記述内容を聞いていた彼女は、検査内容を伝え終わり記述の確認に僕の患部を看ると、求められた要件は済んだと立ち去る看護師へ礼を告げてから、検査用紙を僕へ見せて言った。

「良かったね。中身が無事で」

 零しそうで零さなかったカップのジュースや、落としたレジ袋の中の玉子が割れなかった時のような軽い、その嬉しそうに弾む声と笑顔に、『僕の中身は、本当に無事だったんだな』と、安堵の長い溜め息を吐くと、心身の隅々まで強張っていた緊張が、すうーと解けて行った。

 心配していた内臓の損傷は無く、腰背部打撲と診断されて脇腹と背中の痛みや腫れや痺れは過度の局部圧迫の所為で、痺れや痛みは徐々に薄れて無くなり、一週間程度の投薬で腫れも退くと書いてあるみたいと彼女は続けた。

「因みに私の方は、御蔭さまで全然問題無し。外傷も全然無いよ」

 彼女の検査はレントゲンだけで、身体の内部に異常は無く外身にも傷一つ無かった。もう、僕の『好きだ』なんて想いなど、どうでもよくなった。そんな想いなどを超えた気持ちが僕を満たしていく。僕は無事な彼女と、彼女を守れ切れたことに改めて感謝した。

 検査用紙を僕の脇へ置くと彼女は、ゆっくりと僕の耳許に笑顔の口を近付けて小さな声で言った。

「家に帰ろう」

 そう言ってストレッチャーを押し出す彼女の意図は直ぐに理解できた。

「逃げよう。裏口から出るよ」

 至極当然に躊躇無く言う彼女は、通路の案内標識から時間外通用口を目指しているようだ。

(帰ろう、逃げようって、僕と二人でって意味なんだろうな? 誘っているんだよな?)

 ストレッチャーを押しながら彼女は診察用紙に嘘の名前と住所を書いた事、制服の記章を外した事、監視カメラに写らないようにしてきた事、このような事に関わるのが大嫌いな事を僕に話す。

「はい、これ」

 彼女の言葉と渡された小さなバッジ類に、いつの間にか互いの制服の校章や徽章が外されているのに気付いた。

(彼女だけがバックれても、僕から身元がバレてしまうって事か……。全く用意周到だね、君は。それって、もう僕は共犯にされてるじゃんか)

「いいよ。それで」

 彼女から看護師に説明された処方箋は、患部を冷やして安静にするだけだと聞かされていたから、僕は素直に彼女の提案に従いエスケープする気になった。

「君の好きにすればいいよ。僕もいっしょに家に帰るよ」

 身体の向きを少し変えようとしただけでズキンと痛みが来た。彼女に助けられながら僕は通用口近くに停めたストレッチャーから降りる。彼女に支えられても姿勢を変える度に背中一面に、血流の滞った筋肉特有の重い痛みが走った。特に左の脇腹へ鋭い痛みが、何度も身体の中に深く抉るように来る。

(どれだけ勢い良く、僕の脇腹を突いたんだよ、あの曲ったサイドミラーは!)

 奥歯を食い締めて無表情に痛みに耐えているけど、引き締めた唇と鼻から吐く息は震えた。

「凄く痛そうだけど、大丈夫?」

 両手を僕の頬に添えて間近に覗き込む彼女の瞳は、苦痛に泳ぐ僕の瞳を探っていた。今のシチュエーションは正に望みが叶っているのだけど、背中の痛みが楽しむ余裕を与えてくれない。

「痛くても少しだけ我慢してね。これから一人づつ、そこの通用口を通って病院の敷地を抜け、兼六坂へ出るのよ。間隔は五分ほど空けるから防犯カメラに映っても、直ぐには私達だと分らないと思うよ。あなたから先に行って。向こうのゲートを出るまでは、お願いだから颯爽と歩いて欲しいの。兼六坂に出たら左へ進んでちょうだい。ゆっくりでいいよ。でも、途中で痛みに耐えられなくて蹲ったり、倒れたりして人目を誘ったら、絶対ダメよ」

 よくまあ、この短時間で作戦的になれるものだと、僕は彼女に感心した。僕は彼女の作戦の主役だから期待に応えなければならない。

(ヒーローは痛みに耐え、颯爽と格好良くだ!)

「オーケー、ノー プロブレム。行けるさ」

 返事をした声が震えた。

「ゆっくりと県立美術館へ向かっていて。休みながら、くれぐれも怪我人だと言わんばかりに歩かないように、歩く姿勢に気を付けてよ。私も出たら通りの薬局で、痛み止めと湿布を買って来るから、それまで我慢しててよね。目的地は本多の森を抜けた二十一世紀美術館よ。そこで、お昼して休みましょう」

 彼女へ頷いてから息を止めるように痛みに耐えて僕は外へ出た。一歩一歩痛みの一番薄い姿勢を探しながら、彼女にお願いされたように颯爽と歩く。痛みで猫背になり勝ちな背を無理矢理伸ばして僕は歩いた。途中、足裏の感覚が無くなって立ち止まりかけたのと、膝が折れて転けそうになりながらも、どうにか職員と業者用のゲートから兼六坂へ咎められる事も、見られる事も無く出れた。背中と腰が周期的にブルブルと大きく振るえている。

 正面の兼六坂を下ると金沢城の石川門が見える兼六園下へ、右側はこんな急坂を自動車で上るのも下るのも難しいだろうと考えるくらいの、片側脇に階段を備える八坂がポッカリと空間を開き、浅野川を挟む対岸の卯辰山を見せている。僕は目の前で左に直角に曲がる兼六坂の緩い上りを出羽町方向へと、気を取り直してそろりそろりと痛みを抑えながら進む。

 兼六坂上の横断歩道近くで、医療センターの表通り沿いを囲む土塀の石垣に凭れながら僕は彼女を待った。石垣の切り込み接ぎ積みの平らな表面が触れる背中に優しい。

 程無くしてバタバタと走る足音が近付いて来たかと思うと、僕に追い着いた彼女はややスローペースになるだけで立ち止まらずに、医療センターの正門の方へと駆けて行く。僕の前を駆け抜けながら彼女は右手を上げて成巽閣の海鼠塀の向こう、県立美術館の更に向こうを僕に指し示して言った。

「私は薬局で薬を買って行くから、先に行ってて! 県立美術館辺りで合流しましょう。でも、急がなくていいからね。倒れないでよ!」

 そして五、六メートル過ぎて振り返った彼女は、

「向かうのは二十一世紀美術館だけど、県立美術館の裏を抜けて行くわよ。普通に広坂を降りて、広坂通りの市役所の方へ向かっちゃ駄目だからね、目立つから! わかったぁ?」

 目的地への道順まで指定された。滑らかな歩道が在って歩き易い広坂より、一段毎に垂直に体重を移動させる階段を降りて行けと言っている。きっと痛みが増して辛い歩みになってしまうだろう。だけど、確かに石浦神社辺りで痛みに堪え兼ねて倒れたり、蹲っていたら目立ってしまう。誰かに助けられたり、救助を呼ばれたりして病院へ連れて行かれたら元の木阿弥になってしまう。

 階段は痛みが酷くなりそうで不安だけれど、再び彼女と会えないのは路頭に迷うみたいに、もっと気持ちが不安で不幸になりそうだから、僕はコクコクとしっかり首を縦に振った。

 目の前の横断歩道が青信号に変わり、よろけないように気を付けながら急いで渡る。

(ここは見通しが良過ぎて人目に付き易い…… それに自動車の通りも多い。せめて県立美術館横の木立の多い場所まで行かなくては……)

 彼女は僕の身体を気遣って言ってくれたけれど、彼女の考えに賛同して行動した以上、彼女の足手纏いになりたくなかった。痛みを無視するかのように耐えて、姿勢を正し颯爽と出来る限りの全力で歩いているつもりだけれど、普段のスピードの半分ぐらいのノロさで歯痒い。

 最短距離で進む為に成巽閣前を斜めに渡り更に出羽町交差点を越えて、やっと県立美術館前に着いた。後ろを振り返り今来た道と、彼女が向かった薬局の場所から厚生年金会館裏や護国神社脇を抜けて来るかもと、そちらの方を見ても彼女の姿は、まだ見えなかった。

 その日の石川県立美術館は、人気の有る特別な展示が催されているようで、平日にも拘わらず出入りする人と自家用車が思いの外多い。そこに蹌踉けながら美術館脇の散策路で隠れて座れるようなベンチを物色する学生服姿の僕は、怪しくも何かと人目を引きそうに思えて、耐える痛みで膝が笑ってしまう上がらない足を引き摺るように、もっと目立たない場所だと思える美術館の裏へと向かった。

 県立美術館の建物の脇と裏を抜けて本多町へと至る小径は、中学校の美術部で顧問の先生に引率されて何度も通った。県立美術館の敷地内を巡る小径から続く裏手の階段を降りて、少し行くと辿り着ける広坂通りの二十一世紀美術館は、度々絵画や造形の鑑賞と創作テクニックを学びに来ていた。

 県立美術館の裏手でやっと人の気配の無い場所を見付けて、辺りを窺いながら腰を曲げて座ろうとした。足元から本多の森と呼ばれる台地の急斜面に広がる雑木林を抜けて、せせらぎの小径の階段が下の中村美術館の敷地へと続いている。

 痛みに耐えるのは、もう限界かも知れない。膝がガクガク震えて頬もプルプルしている。それでも僕は大好きな女の子といっしょにいたい。どんなに痛くても病院へ戻る気は全くなかった。

 僕は、ここで彼女が来るのを待とうと決めた。……はずだった。ふと、人の視線を感じて振り向くとガラス張りになった県立美術館の壁の向こう、イスに腰掛けてテーブルのスイーツを食べる婦人と目が合ってしまった。そこは県立美術館内に常設された人気のカフェで、婦人はスイーツを食べながら僕の様子をジーっと見ている。他にも何人も客が見えて、こちら側へ出入りするガラスの扉も有った。

(ここもダメじゃん! 丸見えだ。見られてると、いろいろ面倒になるかも知れない……。もっと、見えなくなるまで下に移らなくちゃだめだ)

 歯を食いしばり痛みを堪えて、せせらぎ脇の手摺を伝いながら階段を降り始める。寒気がするほどガンガンと酷い頭痛に米神のズキズキと捩じ込む痛みで、気分は最悪だ! はっきりと早鐘のように激しく動悸が高まり、吐きそうなくらいの気持ちの悪さに涎が喘ぐ口の中にどっと溢れ出して来た。 

(あかん! もうダメだ。倒れて吐きそう)

 二段目の踊り場までどうにか降りて来られた。もうこれ以上は進めない。ダラダラと口から涎を溢しながらグルグルする目眩に全身がガクガクと激しく震えて、身体は動かなくなった。 その場に蹲り両手で項垂れた頭を抱え込み、背中の痛みと頭痛、それに吐き気が治まるのを待つ。

(早く、早く、彼女が来るまでに治まってくれ)

 動きを停めた身体から、急速に痛みや吐き気が薄れて青褪めた気分が回復して行く。静まる動悸と喘ぎに気持ちの余裕ができて、口や涎で濡れた顔や制服をポケットから取り出したハンカチで拭いた。

 頭痛と吐き気が治まって来た頃、上から降りて来るバタバタと荒い、でも強い意志を感じる足音が聞こえて来た。

(彼女だ! 彼女が来てくれた!)

 まだ吐き気と痛みが襲って来そうで、じっと動かずに痛みを抑えているだけの僕は、まだ振り向く余裕が無いけれど、階段をバサッ、タン、バサッ、タン、と数段飛びで降りて来る足音は彼女だと確信できた。

 ずっと駆けて来たのか、ハァハァと粗い息遣いが間近で聞こえて、ガサッと買い物のビニール袋を脇へ投げ置くと彼女は僕の横に座った。その慌ただしい動きで立つ風に、中学ニ年生のフォークダンスで僕の手を取り周った時と同じ彼女の甘い汗の匂いがした。

「ハァ、ハァ、かなり辛そうね。顔色が悪いわ……、フゥ、肌が真っ白よ」

 息を切らし額や頬に汗の雫を浮かべた彼女が、心配そうに僕の顔を覗き込みながら言う。

(息絶え絶えの君の方が、熱っぽくて辛そうに見えるぞ。いったい、どこまで買いに行ってたんだ?)

「すぐに冷やして湿布を貼るね。ボタン外すわよ。それから捲って背中を看るけど、痛くても、ちょっと我慢してね」

 学生服を捲り上げて背中に触れる彼女の指が擽ったいけれど嬉しい。

「ここ痛いでしょう?」

 触れられても痛くはなかった。患部を触っていると思うのだけど、痺れていて鈍い感じしかしない。痛みは、表面の皮膚からではなくて筋肉の中からだ。たぶん炎症を起こしていると思う。

「黒い痣になって痛そう。周りも赤や青の痣だらけだよ。腫れて熱を持っているし、ここ触れているのが分かる?」

 彼女は触っているらしいけれど、全然触れられているのがわからない。横に首を振る。

(そっ そんなに酷いのか?)

 彼女が触れているはずなのに、その感覚の無さが僕を不安にさせた。

(病院できちんと治療を受けずに脱走して、本当に良かったのだろうか?)

 安静にしていなくて痛みを我慢してまで無理にここまで来たから、患部が悪化してしまったのじゃないかと少し恐くなった。息をする度に背中全体からズキンと痛みが来る。

「スプレーするよ。冷たいかも」

 彼女の急ぐ声が優しく響き、回して来た手がベルトを緩めて少し下げられたズボンに、露出した尻が樹蔭の涼気に晒され、散らされる汗の熱気が涼しさを感じさせた。

(彼女は、……僕のズボンとトランクスを脱がせている……?)

 感じる涼しさがそうだとすると、ベルトを緩めた彼女の手と指の動きが卑猥に思えて……。

「うん……」

 急に心が騒ぎ、愛おしさを感じた彼女を抱きしめたくなった。抱き締めて、驚かれて、抗われても、『君を守れて良かった』と、クールに言ってしまえば許されるだろう。

(……言えれば、だけど……)

「痛う!」

 ズキーンと鋭い痛みが来た。衝動的に抱き締めようとして急に彼女の方へ向きを変えた為に、挟まれた脇腹を強く捩じって激痛が走った。

 呻き声が出るのと、背中と尻に冷たさを感じて、痛みが薄れて行くのが同時だった。

「大丈夫? これ痛かったぁ? 掛け過ぎたかな?」

 捩じった方向から僕の眼前に冷却スプレーを翳し、心配そうな顔で彼女は僕を見詰めて訊いて来た。

「いや……、冷たかったから、びっくりしただけだよ」

 僕はごまかした。たくし上げた服を戻してズボンのベルトを締め直してくれている彼女には悟られていない。

(君を抱きしめようとして痛かった、なんて言えるか)

 本当に僕は優柔不断でドジな奴だ。我ながら情けないと思う。

(救急車の中で、もっとしっかり抱き寄せれば良かった……)

 ギリッ、キュルッ。背後で何かボトルのキャップを開ける音がして、目の前に彼女の両手が差し出された。片方の手には暗い色の艶々した色ガラスを握り、もう一方の広げた掌に白い錠剤が二つ乗せられていた。

「飲んで」

 すっぽりと手に収まる大きさの色ガラスは、初めて見た滋養強壮液が注入された頑丈そうな褐色のガラスの小瓶だった。そして白い錠剤は鎮痛剤。僕は少しでも早く楽になりたいと錠剤を二つ口に含み、ガラス瓶の中身全部で一気に仰ぎ飲む。鎮痛剤は、たまにする頭痛に飲んで治めていたが、滋養強壮液は初めてだ。

 初めて飲んだ滋養強壮液は咽喉、食道と、飲み下す通り道を次々と熱くして行き、胃に至ると直ぐにカァーッと身体の芯から発熱したかのように、指の先、頭の中まで熱くした。これは身体に効くと思う。

「ありがとう。痛みが退いて楽になったよ」

 その場で動かずに五分はど様子を診ていると、さっきまでの気持ちの悪さが、嘘のように無くなって気分はすっきりして来た。気分の良くなった僕は少し体を揺すりながら彼女に礼を言った。

 吐き気と頭痛が消えたのは鎮痛剤の効果で、急速に気持ちと身体が、元気になったのは滋養強壮液の力だと解かる。背中の痛みも殆ど消えて脇腹の患部が、少し疼くくらいに治まったのは、瞬間冷却スプレーと冷湿布、それに鎮痛剤が効いている御蔭だ。そして何より、大袈裟でもなく彼女の看護の賜物だった。

 本当に彼女はエイドキッドを良く知っていて、その使い方と効果の知識や行動を起こす実行力に、僕は改めて彼女に憧れてしまう。

「ありがとうは要らないわ。私の感謝の気持ちだから。それと、今日はお風呂もシャワーも駄目よ。入らないでね」

(風呂に入っちゃダメなのか……?)

 風呂は、毎日入るのが習慣になっていた。風邪を引いて熱が三十八度でも風呂に入る。ささっと頭と体を洗い湯船で温まってから湯冷めしない内に薬を飲んで寝ていた。要は長風呂してお湯に体力を奪われない事だ。でも今は風邪じゃない。

 やはり外部からの圧力による腫れは冷やさなければならないと思った。炎症を起こして腫れている患部を温めたら炎症が加速されて、生体組織の急速に拡大する破壊や、白血球の爆発的増大やらで高熱を併発した窮地に陥るだろう。僕は彼女の忠告に納得して頷いた。

 それにしても、これだけの治療剤や薬にいったい幾ら支払って来たのだろう? 足元に置かれたビニール袋を覗くと更に二つのビニール袋が入っていた。買った品物は三つの袋に別々に入れられて少なくても三個所の店から購入した事を示している。他にも未使用のアルコールティッシュペーパーや傷バンに予備らしき冷却スプレーが有って、栄養ドリンクも二本見えた。

(どこまで用心深くて、用意周到なんだ……!)

 彼女は僕の鞄を開けて、それらビニール袋を中に仕舞う。それからコンクリートの階段に散らかしたゴミを拾いだした。

 僕は自分の学生鞄の事を痛みに感けてすっかり忘れていた。救急車に乗せられた時から彼女はずっと僕の鞄を持っていてくれている。教室のロッカーに教科書を置きっぱなしにしている僕の軽い鞄と違い、きっと教科書以外にも受験勉強の参考書が何冊も入って、重いだろうと思われる彼女のバックといっしょに嵩張る僕の革の硬い鞄まで持ってくれていた。

(愛おしい……)

 僕が思っていたとおり気配りも、思い遣りも、優しさも、彼女はいっぱい持っていて一生懸命だった。滋養強壮液による熱さとは違う暖かさが、彼女の内なる尊さを知った僕の心と身体を満たして行く。

 ゴミになった包装材や容器を片付けている彼女の手を停めさせて言った。

「薬の代金を払う。今日は持ち合わせが無いから、次に会う時に必ず渡す」

(違う!)

 口から出たのは金銭の事だった。僕は言った端から後悔した。

(ここは彼女の優しさに、御礼を言わなければならないところだろう)

 そして愛しさも伝えたいのに……、でもそれは、彼女を守った日に言うべき事ではないと思った。何か、恩を売った御返しを無理強いするみたいでフェアじゃない気がする。

 それに僕の後悔は、言葉を間違えただけではない。不幸な事に今日は、現金の持ち合わせが無かったのだ。昨日は弓道部の部員達とお好み焼き屋で散財してしまい長財布の中に紙幣は無く、今日の現金の持ち合わせは小銭入れの中に、昼飯の食券を買えるぐらいの僅かなコインが有るだけだ。だけど、これ以上は彼女の世話になれない。

 僕の傷を治療する為に彼女は何軒も薬局やコンビニを廻って薬を買って来た。それだけでも面倒で大変な事なのに、少しでも早く僕を治療しようと彼女は、交通事故に遭ったり、転んで怪我をしたりする危険が有るのに走って行って来てくれた。

 すっごく嬉しいけれど、バスの中で身を挺して彼女を守ったのは、彼女に苦労させてまで僕の面倒を診させる為じゃない! 職員ゲートを抜けた時に彼女へ別れを告げて兼六坂を下り、兼六園下のバス停から家へ帰るべきだった。少しでも長く彼女といっしょにいたい僕の甘えが、彼女に気遣いをさせて危険な事をさせてしまった。

「いらないから、受け取らないよ。絶対に受け取れないから」

『なんで? お金の話しをするのよ』と、まるで薬と治療剤の費用が、知られてはいけない私だけの禁断の数字だと言わんばかりに、口をへの字に曲げた不機嫌な顔で僕を睨み、薬代の受け取りを彼女は頑なに拒んだ。

『行こう』と立ち上がった彼女は僕に手を差し伸べ、僕がその手を掴むとゆっくりと引き寄せて僕を立たせた。直ぐに彼女は掴んだ僕の手を肩に回しながら、ぴったりと身を寄せて僕を支えようとしてくれる。

 またまた信じられない行動をする彼女に、僕は至福の焦りに包まれた。中学二年生からずっと切望していた僕の願いを、今日の彼女は次々と叶えて行く。でも、守った彼女に助けられるのは想定外だ!

「大丈夫。一人で歩ける」

 彼女の手を払おうとした途端に立ち眩みが来てよろめいてしまった。ギュッと脇に回された彼女の手に力が入り、バランスを崩すまいと二、三歩、足を踏み直しふらつく僕を、彼女は傍の手摺に押し付けて抱き留めてくれた。

「下の中村美術館の前まで、こうしている。私は、こうしたいの」

(きっ、君の、その胸に顔を埋めたい!)

 僕の身体を抱き締めて重なる彼女に、ふらつく頭が妄想と願望を醸し出すけれど、今の僕には思いを現実にする体力も気力も勇気も無かった。

 階段を降り切ったところに木製のベンチが有った。ちょっと休憩しようと思ったけれど全体が苔生していて、とても座れた物じゃない。

(だめだな。木が腐っている)

 近寄って、じっとベンチを見ていた彼女がいきなり蹴った。

「あっ!」

 僕も彼女もびっくりした。ベンチが砕けて土台から引っ繰り返ってしまった。

(なっ、なんて事を……!)

 僕は唖然として、格闘戦で蹴りを入れ終わった武闘家のように構えて立つ彼女と、砕け散ったベンチを見ていた。

(すっ、凄い!)

 まだまだ隠された実力が有りそうだ。蹴りを放った彼女の顔付は戦闘的で、目付きはとても険しくて攻撃的だった。

 彼女は行動力と計画力がある。それに破壊力も……。たぶん瞬時にシミュレーションしてしまうのだろう。こういう事に回転が速くて狡賢いのかも知れない。ちょっと怯んだ僕は、今までより少しだけ彼女への怖れを強めた。

 破壊したベンチをそのままに、せせらぎの小径を下り切って道が広く平坦になると、僕は彼女の支えを断り単独で歩くと促した。

「だいぶ楽になったよ。ここからは一人で歩いてみるから」

 左手には中村記念美術館が在り、更に横の林を抜ける緑の小径を行くと、鈴木大拙館が在って僕的には、この辺りの方が近くて楽なのだけど、彼女は見向きもぜずに二十一世紀美術館を目指している。

(世界に禅を知らしめた鈴木大拙先生や、河北市の砂丘上に記念館が在る西田幾太郎先生は、悟りの心理や人生の悲哀を追求したそうだけど、まだまだ僕には難し過ぎて、それらしく感じる悟りと悲哀なんて、僕が大好きな彼女は、僕を好きじゃないって事だけだね)

 普通の姿勢でも少し遅く歩けば薄らいでいる痛みに耐えられるだろう。それは背中一面と尻の一部まで張られた冷湿布と、飲み下した鎮痛剤が効いている所為だと分かっている。本当に彼女の知識と実行力の御蔭で僕は感謝に絶えない。もう少しで行き交う自動車も人通りも多い市内の幹線道路に出る。そこの交差点を渡り二十一世紀美術館まで行く事になるので、流石に女子高校生に支えられて歩くのは目立ち過ぎだろう。

 接していた体を離そうとしたのに、彼女はぐいっと体を寄せて支え直しながら言ってくれる。

「交差点手前の並木まで、こうしてる。ほら、あそこまで」

 再三の嬉しい言葉と態度に、くっ付きそうなくらい近くの彼女の横顔に視線を流しながら息が止まるほど、僕は今日の幸せに感動していた。ほんのりと赤く染める頬も、耳も、伏せ目に潤んだ瞳も愛しいと見惚れていたら、僕に見られているのに気付いてか彼女は僕に顔を向け、それに応えるように反射的に視線を逸らすどころか、いつもと真逆に僕の顔は彼女へ向き合ってしまう。パーソナルスペース数センチメートルの大接近、今の彼女は寝ていないし時刻も真昼で明るい。

 僕達は見詰め合っていた。僕の瞳に映るのは大好きな彼女の瞳に唇に頬に鼻に……、うっとりと眠そうに潤んだ瞳が誘うように熱っぽく僕を見詰めている。魅惑的な唇が近い、近い!

 これまで十七年間の人生に於いて、罪を犯した二年前のロスト・ファーストキス以外に経験の無い僕は、このナチュラルにセクシーなマクロのシチュエーションを拒む事ができない。全ては彼女の為せるままに……。

(これは、これは……。もしかして、もしかする?)

 表の幹線道路まで数メートルを残して僕達の足は停まった。彼女の体が僕に触れたまま向けられて胸の柔らかい膨らみの感触に僕は更に体を寄せてしまう。彼女は掴んでいたバックと鞄を離してドサッと道路に落すと、その手を僕の脇へ回して行く。イニシアチブは彼女が持ち、彼女にリードされがままの僕は夢を見ているみたいで、またもや何も考えられなくなった。

 その時、予期せずに並木の間から人が出て来て彼女の背後を横切った。それを僕の背に腕を回し掛けていた彼女が過敏な超速反応をして、パッと手と体が離れたかと思うと優に二メートルも離れてた。

(なんて素早い! 恥ずかしい…… のか? でも、そこまで離れなくてもいいじゃん!)

 その超速反応で不意に支えを失ってバランスを崩した僕は、よろけて危うく路上に転がるところだった。反射的に倒れまいと広げたスタンスと両手を大きく広げた踏ん張りに、ビリビリッと電流のような鋭い痛みが脇腹に走る。

(痛ぅーっ! いててて。いっ、いきなり退くのは、ないんじゃないのぉ~。表通りの手前までって言ってたのに~)

 痛みを彼女に悟られまいと、僕は息を潜め歯を食い縛った。

「ごめん……」

 へなへなと転けそうになる僕を慌てて支えながら彼女が謝る。そして、僕が彼女の支え無しで歩けるのを見定めると、路面に落としたバックと鞄を持って二メートルは離れて表道路を歩く。でも、横断歩道を渡る時も、『まるびぃ』までの残りの歩きも、彼女は僕を励ましながらいっしょに歩いてくれた。

「颯爽とよ。格好好くね。頑張って!」

 どうせ明日になれば、今日の親しげな言動や態度や行動なんて無かったかの如く、今までと同じ冷たい『あんたの声は聞きたくない』オーラを放つに決まっている。だから一過性でもチャンスを逃したくないと思うけれど、脇腹の痛みが自らの積極的な行動を許さない。というよりその気になれなかった。

 とにかく痛みを静ませて眠りたい。

     *

 どうにか到着できた金沢市街の中央部に広がる緑の杜の外れに在る建物は、金沢市民に通称『まるびぃ』と呼ばれ親しまれている二十一世紀美術館だ。常緑の芝生の敷地に座りの良い一階だけの平たい姿で建つ白い美術館で、上空から見ると円形の真ん丸い形だから『まるびぃ』だ。

 僕達はエントランスを抜けて、壁もテーブルもイスも床も真っ白なカフェの居心地の良い空間に落ち着いた。

「ここへは、着た事が有るの?」

 イスに座りやっと人心地付けた僕に、彼女は訊く。

 『まるびぃ』には、中学校の美術部で何度も来ていたし、高校生になってからも興味の湧く展覧会へは観に来ている。だけど、この白いカフェへ入った事は無かった。

 メニューブックにはスイーツや軽食のセット、それにアート感覚なランチプレートと明るく開放的な店内のムードと美術館内という立地から、リストアップされていると思っていなかったヘビーなディナーセットまで品揃えされていて、どれも脇腹の痛みを忘れてしまうくらい興味と食欲を唆られた。

 そして、アートで魅力的なランチメニューから彼女がチョイスしてオーダーした料理は、想像していた以上に美味しい。

(今、事故と怪我の非日常ついでに、ここに彼女と差し向かいで居るっちゅうのは、彼女にリードされたデートっぽいよな)

 大胆で行動的な彼女の指示に従った予定外の非日常的な事ばかりが続いて、そんな心の準備ができていない強引なデートっぽさに、ドギマギして顔が火照るけど気分は超嬉しい。

 料理が盛られたプレート皿から、一口サラダを食べると、彼女へリードされたデートっぽさを含ませて答える。

「無い。ここのカフェは、今、君と来たのが初めて……」

 更に熱いコクのあるスープを絡めたパンの一切れとサラダを一掴みして頬張っていると、スープの熱に刺激されたのか、チクチクと左脇腹の内側からの痛みが走り出して、空腹で食欲が有るのに食べる気を散らされてしまう。

 それでも、これなら食べれそうだとフォークを向けたベーコンとトマトのパスタは、撓る麺の強さにフォークへ絡め切れず、巻き付けられない失敗を何度も彼女に見られるのが厭で食べるのを止めた……。

 香りの良いアップルタルトも美味しそうで、スプーンで上手に切り分けてパクつく彼女を恨めしそうに見ていると、スプーンを口に含んだまま彼女は窓ガラスの向こうの広場を眺めて、独り言を呟くように言った。

「普通に、しゃべれるんだね」

 ハッとして表情の固まる僕は、無碍に自らの口から出たらしい言葉に、『しまったぁ~』と目をぱちくりさせる彼女と見合ってしまい、直ぐに目を逸らして視線を下げた。

 これまでも僕は彼女のメール文の作意や使われている文字の一つ一つまで、なぜ彼女が其の言葉を其処に用いたのか、心理的や状況的な意図を探っていた。今も、彼女の気持ちになって考えてみる。

(そうさ、今までずっと、こんなふうに君と話したいと思っていたんだ。それなのに、いつも君を見ただけで、なぜか想いは言葉にならなくて、出せない声に、話なんてできなかったよ)

 黙り込んだ彼女をチラッと上目で見ると、伏せ目に料理を見詰めていて、やはり気不味そうだ。

(今まで、君に話し掛けようと思って、口が開いても、声が上手く出せなかったんだ)

 いつも言葉は咽喉の直ぐそこまで来て出かかっていたのに……。出そうになるのは聞こえないほど小さな笛のような音ばかりで、話し掛ける事はできなかった。

 今朝までを思い返すと気持ちが更に落ち込んでしまう。

 『普通にしゃべれない』と思われていただけの言葉へ明るく言い返すだけなのに、それを言葉にできない僕は自分自身への情け無さで俯いてしまい、自分がオーダーしたチョコレートパフェは、冷たさが気持ち良くて口の中で蕩かしたチョコが美味しいのに、三口ほどで柄の長いスプーンの動きも止まってしまう。

(やはり僕はダメだ。今が『普通にしゃべれない』を覆すチャンスなのに……)

 持ち合わせが無くて彼女の世話になるしかないというのもプレッシャーになっている。

 そんな僕の様子で察した気遣いなのか、晒した内心への惚けたのか、彼女が声を掛けて来た。

「どうしたの? 食欲無いの? 食べないなら全部、私が食べてもいい? あれ?」

 手の動きを停めて料理を見詰める僕に気付いた彼女が、僕の食べ掛けも食べたいと言った。

「いいよ…… 食べて」

 食欲は有ったけれど、気持ちの中で事故のショックが整理仕切れていないのと、挟まれた脇腹が痛みに疼くストレスで少し目を回していたのに加えて、彼女の無作為な言葉が僕を自閉にさせた。それでも、料理をローテーションに減らしていく彼女の食べっぷりは、見ていて楽しい。

 先ずはブリオッシュのスーププレートとトマトパスタを食べ終えて、次は僕から取り上げたチョコパをアップルタルトといっしょに食べる。それから、運ばれて来た食後のホットコーヒーを、追加オーダーしたパンケーキをスローペースに一口大づつ切り分けながらパクついて飲んだ。

 目の前で二人のオーダーした料理の殆どを食べてしまう彼女の旺盛な食欲が羨ましくて、見ているだけで傷んで疲れた身体が治癒されて行くような気分の良い幸せを僕は感じていた……。何色にでも染めれそうな白いカフェの空間に彼女と居る幸せな気分は、少し眠気を誘って僕をちょっとだけウトウトとさせてしまう。

 『それまでのより、バターとシロップを入念に絡ませているな』と、彼女が切り分けてフォークを刺す五つ目のパンケーキを眠気混じりにぼんやり見ていたら、いきなり、僕の口から三センチメートル辺りの目の前へ突き出された。

「はい、食べて! このホットケーキ美味しいよ。香りと甘さの風味で元気が出るから」

 勢い良く突き付けられたフォークの危なさに睡魔は一瞬で消え去り、フォークに刺された眼前のパンケーキと、身を乗り出してまでフォークを突き付ける笑顔の彼女を交互に見て、これを素直に食べても良いものかと迷う。

 パクつこうとして引っ込められて、『うっそー!』とか、『ジョーダンよ!』とか、『誰があんたなんかに!』なんて、からかれるのは堪らない。彼女も僕がパクつくタイミングを探るように僕の眼と口を見ている。

 それにしても、この彼女が僕にスイーツを食べさせるシーンだけをカットすれば、誰がどこからどう見てもラブラブの高校生カップルだろう。僕的には最高の気分だけど……。

(おい、いいのか? ラブラブに見えても?)

 彼女もラブラブシチュエーションに気付いたのか、僕にパンケーキを突き付けたまま顔が紅くなって行く。考え無しの恥ずかしさに少し俯いた彼女が『きっ』と上目で僕を睨み、更にフォークを突き出してパンケーキ押し着けて来た。

 唇にべっとりとシロップとバターが付き、パンケーキを貫通したフォークの先が唇に刺さりそうなくらい痛い。これ以上、間を持たせたらマジに刺して来るか、冷たく引っ込められそうな気がして、恐る恐る口を開けると素早くパンケーキが押し込まれた。

 彼女が切り分けた残りのパンケーキも彼女と僕の口へ交互に運ばれて、嬉しさにフォークを持って帰りたいと思う。

(あのう、フォークは間接キスしてるけど、これは抵抗無いのか?)

 彼女に食べさせて貰うパンケーキは、彼女が言った通り幸せな眠気を心地良い甘味の覚醒にしてくれて、痛みに疲れた身体を活性させた。

「……ほんとだ。美味しいよ。このパンケーキ」

 確かにチョコレートパフェの冷たく芳ばしい甘さよりも、樹液っぽい香りのシロップの甘味にバターの味と匂いが絡む温かさを美味しく感じた。

「違う! パンケーキじゃない。ホットケーキ!」

 僕の『パンケーキ』を彼女が『ホットケーキ』と言い直す。家では、妹とお袋と僕が『パンケーキ』と呼び、焼くと親父だけが『ホットケーキ』だと言って嬉しそうに食べていた。

「えっ? だってそれは、妹がいつも『パンケーキ焼けば食べる?』って、訊いてくるのと同じので……。うーん? ……違うのか?」

 店の人は彼女の言った『ホットケーキ』を訂正せずに復唱し、オーダーを承っていた。

「ホットケーキだってば! 私の家では『ホットケーキ』って言っているの!」

(まあ、パンケーキのパンはフライパンのパンで食パンのパンじゃない。両面を平らな鉄板や平底鍋で焼き上げるからパンケーキなんだろう)

 しかし、熱してから温かく食すので『ホットケーキ』と呼んでも妥当だと思う。

「そっ、そう? 君ん家ではホットケーキなんだ……?」

 『パンケーキ』と『ホットケーキ』が同じ物だろうという事で理解した。だけど、どちらの呼び名が世間一般的な通称なのだろう? 語尾の後切れの悪い疑問形に気付いた彼女は回答してくれる。。

「そうよ! だいたいパンケーキは、ホットケーキのカテゴリに入るんだからね!」

(……カテゴリねぇ?)

 ムキになって断定する彼女の言い分に、インターネットで調べて遣ろうと考えながら話しを纏めて終息へ持って行く。

「ううっ……、分類的にもそうだったんだ……。君が、そう言うのならホットケーキなんだろうな……」

 肯定する僕の言葉に彼女は短く返すと黙ってしまい、表情から笑いを消した。

「そうなの! 覚えて置いてね」

 刺し出されるままに口に入れた『ホットケーキ』は全て食べ終わり、カップのコーヒーを飲み干すまで三十分ほどの間は、二人に会話は無かった。

 毎朝のバスで彼女の横に立ちながら話せるチャンスが有れば、あれもこれもといろいろ訊いたり話そうと考えていたのに、いざそうなると一つもテーマを思い出せない。明日から、また無言で真横に立つ日々の繰り返しになるのを暗示しているようで気不味いムードだ。

「出ましょう。帰るわよ」

 そう言って、ずっと口許から離さなかった珈琲カップをテーブルに置き彼女は立ち上がりかけた。その彼女へ今の僕には不可能な建前を押し立てる。

「僕が払う」

 ここのカフェの飲食代を払うと言っても、金欠な僕は彼女に立て替えて貰う、恥ずかしくて悲しい現実を曝す事になるだけだと分かっている。彼女はさっきと同じ反応をするだけで無駄だと思うけれど、僕の心情的に言わなくてはいられない。それに礼儀でもある。

「今日は私が払うの! お願いだから払わせて」

 さっと彼女はテーブルの支払い伝票を手に取り、足早に向かったレジでカフェでの清算を済ませた。

(あぅ、また彼女に支払わせてしまった…。なんという不甲斐無い奴だ、僕は……)

 彼女の後に続いてドアの開け放たなされたカフェのゲートを抜けながら、自分の不甲斐無さを呪う。悔んだ不甲斐無さが忘れていた、いつもの言葉を僕に思い出させた。それは、不甲斐無さで凹んだマイナスを一気に対等まで均してくれる、ちょっとだけズルい魔法の言葉だ。

 白いカフェを出て直ぐのエントランスホールでの呟きは、彼女への語り掛けではなく僕自身への自戒だ。

「あっ、レスキュー隊や救急車の人や医者と看護師さん、それに救助の人らに『ありがとう』を言うのを忘れた」

 確かに言ってはいなかった。不意に思い出した事が口から出てしまって、動いた彼女の目が僕を見た。いつもなら何気なく素直に言える言葉を僕はすっかり忘れていた。彼女には言えたのに。

 僕は『助かって良かった』『大した怪我じゃなくて良かった』と、彼女と自分の状態を心配するばかりで、当たり前のように来て助けてくれた人達へ感謝の気持ちが無かった。忘れていていたのと、それに気付かなかった自分がショックだった。

 僕の呟きに無言で頷いた彼女はエントランスホールの隅で、まだバッグに仕舞われていない財布から数枚の紙幣を抜き取り、僕の学生服のポケットへ押し込んだ。

 思いもしない彼女の行為に驚く僕を見据えて彼女は言った。

「これは帰りのタクシー代ね。返さなくてもいいよ」

 薬と治療材の代金も、カフェの飲食代も、帰りの車代も彼女は返さなくてもよいと言う。

『返さなくてもいいよ』の声の響きが、『今日のお助け事は、これで清算してチャラだから』と念を押されたようで悲しくなった。

 学生服のポケットから取り出した紙幣を眉を顰めて困った顔で眺める僕を、彼女は顔を傾げて見ている。

「どうやって家に帰るのよ?」

 この金額だと、タクシーで帰れと言わんばかりだけれど、

「……バスで。だから、このお金は受け取れない」

 バスの乗客に紛れてルームミラーの死角になるシングルシートに、ちょこんと座っていれば乗客たちと運転手に注目されないと思った。人が隠れるのは大勢の人の中が一番とミステリーやサスペンスの本で読んだ覚えがある。

「バーカ。 今の時刻のバスだったら客は数人しかは乗っていないし、それにまだ、お昼を過ぎたばかりだから、授業は終わっていないし、怪しまれて顔を覚えられるかもね。それに近所の人も乗っているかも知れないしね」

(うう、馬鹿呼ばわりされて、あっさり否定された……)

 確かに乗客の少ないバスだと、中途半端な時間に乗り込む学生は、かえって目立つかも知れない。

「それじゃぁ……?」

 僕は渡された紙幣を小銭しか入っていない財布に入れながら、ワザと首を傾げる。

「タクシーに決まってるでしょう。そんだけ有れば充分でしょ。お釣りはいらないわ」

 彼女は鋭く切り返してニコっと笑う。彼女が笑うだけで、僕は暖かで優しい幸せな気持ちになれる。いつも僕はこの笑顔を守りたいと思っていた。

(そうだ、君の笑った顔は可愛いぞ。ずっと笑っていてくれ)

 直接言う勇気も無い言葉を胸の内で呟く。

「タクシーもバスと同じだろ? タクシーの運転手はマンツーマンだから話し掛けて来ると思うし……」

 僕は、彼女が気を付けている秘匿性に、詰めが甘くならないか心配していた。

「全然違うわよ! いいこと、良く聞いて。私達は別々の場所から、別々のタクシーに乗って、別々のルートで帰るのよ。あなたは市役所前から乗るの。きっとタクシーはUターンして向きを変えると思うから、角に石浦神社が在る広坂交差点を右折して桜橋の方へ走らせて。解かる? 石浦神社と桜橋って知ってる? それから鱗町交差点を左折させて笠舞を通り、そうやって三口新町へ行くのよ。解かったぁ? 私は郷土資料館の前から乗って、広坂を真っ直ぐ小立野へ上がって行くから。ねぇ、大丈夫?」

 僕の心配にあっさりと駄目出ししてから、彼女は帰りのタクシーのコースまで詳しく指示してくれた。それにしても地名やランドマークを良く知っている。僕が最近知ったばかりの地名も有って、普段の彼女はどんな行動をしているのか不思議に思わせ、僕に軽いジェラシーと羨望と焦りを湧かせた。

「だ、大丈夫だよ。石浦神社も鱗町交差点も知っているよ」

 タクシーに乗り込み『三口新町まで』と告げれば、大体、彼女の指示のように走ってくれるだろう。

「運ちゃんが話し掛けてきたらテスト期間だとか、そうだ! あなたは風邪の振りをしてちょうだい。顔色の悪さをごまかせるし、時々、それらしく咳き込めばバッチリ疑われないわ。ちゃんとゴホゴホやケホケホと咳するのよ」

 僕を自己喪失させてくれそうなくらいに彼女は事細かく……、咳の音まで擬音を用いて指導する徹底ぶりには全く感心させられる。この調子じゃタクシーの降り方まで指示が有るのだろう。

「それと、『まるびぃ』も別々のゲートから出るよ。私は市役所側から出て、あなたは広坂通り側から出るのよ。出た後は、互いが近くに居ても声を掛けちゃだめだからね。あっと、言い忘れるところだった。タクシーは家から百メートル以上離れた大通りで降りるのよ。痛くて苦しくて疲れるでしょうが、頑張りなさい。近所の人達にも見られないようにね」

 それぞれ違うゲートから美術館を出るのは懸命だと思う。外へ出たら互いに相手を見掛けたり、相手に接近したりしても気付かぬフリをして無視する事だ。他人に知られずにできる合図は精々アイコンタクトでの意思表示ぐらいしかない。

 降り方まで指導された降車場所は、時々行く笠舞の中規模な老舗のショッピングセンター前にしようと思う。三口新町の手前だけど大通りからは、ショッピングセンターの中を抜けるのが一番近道だ。それでも家まで二百メートル以上の距離がある。

「うん、分かっている」

 それから僕達は別々の出口へ向かう分岐点となるミュージアムショップへと向かう。辿り着いたミュージアムショップの前で彼女の手が動き、僕の胸ポケットからミュージックプレーヤーを取り出して、プレーヤーから伸びたコードの先のイヤホンを僕の耳に差し込んだ。

「演出よ」

 僕の手にプレーヤーを握らせながら言った彼女も、バックからヘッドホンを取り出して耳に当てる。

「ここからは別行動よ。湿布で冷やしても、歩くと痛いでしょうけど、怪しまれないように音楽を聴きながら、できるだけ普通に歩いてね」

 僕達は『まるびぃ』の中で別れて、それぞれ別々の出口へ向かう。広坂通りに向かう北口の前で振り返ると彼女はまだ、ミュージアムショップの脇に立ち小さく手を振り僕を見送っていた。

 頭に掛けるガンメタリックカラーのスリムなヘッドホンは、制服姿の彼女にキュートにマッチしてくらくらする僕の脳へ焼き付くように記憶された。

 目眩がするほどキュートな彼女に鷲掴みされた僕の心臓が呼吸を萎縮させ、息が詰り喘ぐ苦しさにスキンシップな今日を終わらせたくないと思った。だけど小さくバイバイする彼女の手が僕を促がし続け戻る事を許さない。

『♪壊れそうで~、♪大切すぎて……、♪触れなかった~』オンにしたプレーヤーからお気に入りのアニメソングが聴こえ、大きく深く震える呼吸をしながら僕は広坂通りへと二十一世紀美術館を後にした。

 計画通りに僕は市役所前で客待ちのタクシーに少し咳き込みながら乗り込んだ。行き先を告げると彼女の予想通りに、タクシーは彼女が渡る横断歩道の手前を右折し、そのまま彼女が予想した通り対向車線へUターンして行く。車窓越しに見る彼女は心配そうな顔で僕を見ていた。横断歩道を渡りながら不安げな表情を僕に向けたまま、いつもの優しそうな眼差しで僕を見続けている。

 曲がるタクシーの動き合わせて身を捩り僕も彼女を見続けた。ズキン! ズキッ、ズキズキと強い痛みが走り背中をプルプルと痙攣させる。だけど、彼女に痛みで歪めた顔を見せるわけにはいかない。痛みに堪えて笑えない顔は無表情を装い、彼女の瞳の優しい光だけを見続ける。

(ああっ、こんなに我慢しなければならない痛みが無ければ、笑顔で彼女を見れるのに…。そうすれば彼女も、そんな不安な顔でなくて、返す笑顔で僕を見送ってくれたのに……)

 広坂交差点に差し掛かる頃には横断歩道を渡り終え、歩道の縁に立って僕を見送る彼女が遠くに、とても小さくなっても、彼女の僕を見守り続ける優しげな眼差しがはっきりと見えていた。

 タクシーが広坂交差点を曲がって、彼女が完全に見えなくなると捩った身体の向きを戻す。

(……でも、事故に遭って傷付かなければ、彼女は優しくしてくれるどころか、近付く事もできなかったな……)

 捩って一時的に激しさを増した痛みが落ち着くまで、タクシーの運転手に気付かれないように僕は前屈みに蹲り、握った拳を口に噛ませて声を殺し痛みに耐えた。そして時々は激しく咳き込んで重症の風邪引きを装うけれど咳き込むと鋭く痛み、痛みが更に咳を誘発して苦しい。悪化した気がする痛みに苦しみながら、フォークに刺したホットケーキを突き付ける彼女の笑顔を思い出していた。楽しくて、嬉しくて、笑う彼女を凄く見たいと思う。

 降車はちゃんと二百メートルほど離れた大通りでした。人目に付かないように路地裏をソロリソロリと歩いても一歩毎に鋭い痛みが刺して苦しい。ここでも彼女に支えられて歩きたいと切に思う。彼女の予言は当たり、家に着くと変に冷たい汗塗れで心底ヘタヘタだった。

     *

【大丈夫? 痛みはどう? 腫れは引いた? 熱は有るの? もう学校へは行ってんの?】

 毎日、同じメールが彼女から届いていた。事故当日の一昨日は夕方と夜に、昨日は朝昼夕晩と四度、今日も朝と昼に着信している。一昨日と昨日は熱が出て、携帯電話の着信音が気付けないほど、ずっと意識が朦朧として終日寝ていた。頭が働かなくて携帯電話の操作も、着信履歴の確認がやっとだった。

 お袋に熱が出たのを風邪だろうと誤魔化すと、お袋は常備薬の風邪薬と解熱剤を飲ませ、用意した水枕に僕を寝かし付けてから、心配顔で冷たい濡れタオルを僕の額に優しく当てながら言った。

「学校に二、三日休むと連絡しておくからね。たぶん風邪だと思うけれど、少し元気になったら医者へ行きなさいよ」

 お袋が部屋から出て行くと、ベッド下から彼女がくれた冷湿布を取り出して苦労の末にどうにか貼り替え、水枕を移して熱を持つ背中を冷やした。お袋が運んでくれる御粥の病人食を、時間を掛けて熱で味覚が麻痺した口で食べる三度の飯と、ふら付きながら漸っとの事で用を足しているトイレ以外は、ぐったりと眠り込んでいた。

 お袋の介護と自前の治療と大人しくしていた甲斐があって、熱は漸く今朝になって下がり、意識がはっきりして来るに連れて、食欲も出て元気になって来た。

【心配させてごめん。もう痛みは無くなったよ。痣も薄くなっている。君が治療してくれた御蔭だ。ありがとうございます。あれから、少し熱が出て三日間も休んでしまった。明日からは学校へ行けそうだよ。それから当面、通学のバスは笠舞を通る路線にするよ。そして二週間くらい過ぎたら、そっちの路線へ戻るよ。君こそ本当に大丈夫なのか?】

 彼女を心配させまいと少しの熱と打ち込んだけれど、本当は魘されるくらいの高熱で、鏡で見る痣の色も範囲も僅かしか快方へと変化していない。今朝に熱が下がり元気に成らなかったら、お袋に病院へ連れて行かれて医者に背中を見られるところだった。

【私は大丈夫よ。あの日以外に学校を休んでいないから。……私を守ってくれてありがとう】

 僕は、額にほんのりと赤い小さな痕を付けて心配そうに僕を見上げる彼女と、スリムなヘッドホンをして小さく手を振る制服姿の彼女を、『……私を守ってくれてありがとう』と、画面に表示された文字を見ながら思い出していた。

(ほんとうに、彼女を守れて良かった……!)

 気になっていた彼女に初めて声を掛けた麗らかな春の日、舞い上がる気持ちに胸がときめいて一瞬で恋に陥た風光る春の日、穏やかな春風に髪をそよがせて淡いピンクの桜色をバックにした彼女は、そのカーテンを優しく揺らす春風の眩しさに目を細めて、まどろむ彼女の表情は幸せそうに見えた。

 嘘みたいなバス事故に、有り得ないほどの僕の瞬発的反射、夢のような彼女の行動、それらは、熱で朦朧とする僕の夢見る脳が、事実の一部を勝手に脚色した錯覚なのかもと思い懐疑的になっていた。それが、彼女からの感謝の文字で、彼女が気になり初めた頃の情景と、彼女を好きになってしまった場面が、思い出した事故当日の彼女の愛くるしい姿と重なり、僕は叫び回りたいくらいに嬉しくなった。

 僕の全身がブルブル震えて、『ずっと彼女を好きでいて、僕の、この命が尽きるまで、ずっとずっと、彼女を守って遣るんだ』と、画面の彼女の文字に誓った。

(おおおおおっ、ほんとうに、僕は、彼女を守れていたんだ!)

 バスの急ブレーキで飛ばされ、更に衝突の衝撃と破壊が彼女の眼前で僕を剪み込んで潰した。その剪まれて身動きできない僕へ、彼女はぶつかっただけで怪我をしなかったという、偶然が重なっただけで大した事のない出来事を、熱でふやけて記憶の曖昧になった脳が、願望いっぱいの白昼夢に変えてしまったのだろうと思っていた。そして熱が退いた直後の頭で、記憶の曖昧な部分を思い出そうと努めたけれど、どうしても思い出せずにいたのに……。

 僕の顔や手や胸や肩が覚えている彼女の柔らかい感触と温かみは本物だった。肺や鼻孔の奥に残る匂いも本物だ。深く吸い込んで吐き切る息に彼女の匂いが幽かに混ざっている。僕の僕だけに都合の良い脳の一角が、大接近に加えてスキンシップの密着接触で迫って来た彼女を、今のヒーローっぽいノリと勢いで一気に彼彼女の御付き合いになるかもと甘く、彼女の意思を確かめもしないのに真剣に考えてしまう。

 彼女のメール文は自戒の言葉で締め括られていた。

【それと、全ての支払いを私にさせた事を、あなたは随分と負い目に感じて、悩んでいたみたいけれど、それは全然違うから。あの日、あなたのメジャーでヒーローになれるチャンスと最適な治療を、私の身勝手が奪ったのよ。だから、全く割に合わない代償で申し訳なくて、あなたには悪い事をしたと思っているの。……私を恨んでも感謝しないで】

(あの日のどれをどう思えば、そうなる。恨むなんて無いだろう)

 それにしても彼女はお金持ちだった。薬局で買って来てくれた治療薬類、白いカフェでの飲食代、帰りのタクシー代、ざっと見積もっても一万円くらいは支払っているだろう。昼飯の饂飩と部活後に寄る茶店の珈琲へ充てる小銭しか持ち合わせていなかった僕とは大違いだ。

 支払ってくれた金額を返済すると言った僕の申し訳無い気持ちは、彼女に拒絶されている。唯、彼女を守りたいだけの行動だった。だから感謝されるとしたら救急車でのハグが、天国の扉が降りて来そうなくらいに充分過ぎていた。なのに、この彼女から受けた恩恵を返す事が出来るだろうか? それはきっと、今までなら出来ないと思う。だけどこれからは出来そうな予感がする。

(ならば今、彼女の感じている負い目は、全て否定し遣らなければならない!)

【それでも、君を守れて僕は嬉しいです。だからこそ、僕に守らせてくれた君へ感謝します】

(そして僕は、イレギュラーじゃなくて真っ当に、自身の努力で人生を変えれる事を、見せつけて遣る)

 取り敢えずは、人生を変えれそうな次ぎのインターハイへの石川県代表を選出する弓道の試合に、応援に来て頂けるよう丁重に頼んで…… いや、心から御願いしてみようと思う。

 

 ---つづく