遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

拘泥(私 高校二年生) 桜の匂い 第六章 弐

 石川県立武道館、今日はここで弓道の試合がある。
【次の日曜は、石川県高等学校新人大会です。弓道部の部長になって初めての試合だから、暇(ひま)があっても、無くても一度、弓道の試合を見ようかなって気になったら来て下さい。必ず、団体戦と個人戦の決勝まで、勝ち残るから】
 週初めに届いたメールは、そう書かれていた。
(必ず、団体と個人の決勝戦まで、勝ち残るからだって……、うーっ、えらい自信じゃん!)
 そこまで、言い切る自信が有るならと、秋風に冬の気配が匂(にお)う中、これといった先約の用事も無いので観に来て遣(や)った。
 武道館は、学校から徒歩十分ほどの近さに在って、下校時の寄り道なら別に苦にならないけれど、日曜で休日の今日は、態々(わざわざ)、登校の通学路と殆(ほとん)ど同じコースを来るのが億劫(おっくう)だった。
 故(ゆえ)に、此処(ここ)にいるのは厭々(いやいや)だ。
 来て遣ったけど、あいつに見られるのは言う事を効(き)くみたいで癪(しゃく)だから、観戦ギャラリーへ紛(まぎ)れ込み易く、そして、ファッションセンスに悩む煩(わずら)わしさの無い、学校指定の制服を着て来た。
 なのに私は、個人の決勝戦が気になっている。
(あのヘタレで、スケベな奴が、自信を持つほど、上手(うま)いわけないじゃん!)
 ちょっと着くのが遅(おそ)くなって、既(すで)に下手(へた)っぴいな、あいつの試合は終わっているかなと思っていたけれど、驚(おどろ)いた事に、あいつの学校は本当にトーナメントを勝ち進んでいた。
 着いた時は団体戦の準決勝で、丁度(ちょうど)、あいつのチームが射位置に入るところだった。
 五人で一チームの各自は、射場に横一列に並び、それぞれの正面位置に設(しつら)えられている、白黒の蛇(じゃ)の目(め)模様(もよう)の的を狙(ねら)う。
 あいつの射順は殿(しんがり)だ。
 私は観戦者に紛れて、隅(すみ)でそっと観て遣っている。
 前の四人の二人が的(まと)を外(はず)して、あいつの撃つ順番が来た。
 丁寧(ていねい)な仕種(しぐさ)で矢を弓に番(つが)え、それから、ゆっくりと弓を構(かま)えて的を狙(ねら)う。
 矢道脇(やみちわき)の観戦者達は誰(だれ)も声を出さず、弓道場全体がシンと静まり返り、あいつの一挙一動を見守るように応援している。
 衣擦(きぬず)れの音も聞こえない凛(りん)と張り詰(つ)めた静けさの中、ギシギシと、あいつが引く弓の力強い音だけが響(ひび)く。
(引き絞(しぼ)る音が、他の人と違う。とても強い弓みたい)
 初めて間近で見た弓道は、背筋をスーッと伸ばした射手がググッと胸を張りながら、キリキリと弓を引き絞る一連の流れるような動きが美しい。
(弓と矢と射手と、滑(なめ)らかな動作の調和が綺麗(きれい)! 静の中の動……、そんなのって、有るの?)
 落ち着いた真剣な顔付きで、あいつは的を見据(みす)える。
(んん?)
 あいつの唇(くちびる)が、僅(わず)かに動く。
 あいつは、ゆっくりと息を引き絞った矢に吐(は)き出しながら、何かを呟(つぶや)いている。
 白い道着に黒袴(くろはかま)と白足袋(しろたび)を履(は)き、踏ん張るように足を開いて、キラリと陽の光を煌(きらめ)かすメタリックシルバーの矢を、その長さ一杯に構え、的を静かに見据えるあいつは、道場の床板から無垢(むく)に彫り出された彫像のように、どっしりとしていた。
 なんだか、あいつが凛凛(りり)しく見えて、ちょっとだけ、格好良(かっこうよ)く思ってしまう。
(無口な、あいつの中にも、こんなに、激(はげ)しい闘志が有るんだ)
 あいつの弓の両端に、明るいグリーンと淡(あわ)いピンクの色が帯状に入っている。
 良く見ると、矢羽(やばね)や右手のグローブの帯にも、同じ色のラインが入っていた。
 二色とも、私のお気に入りの色だった。それに、下端のラインには、何やら丸いマークも蛍光の赤紫色で描(えが)かれている。
(なに、一人だけ、目立とうとしてんのよ。そのグリーンとピンクの色、私の好きな色だからね)
 弓を握(にぎ)る左手の親指と人差し指が、ピンと伸びて勇(いさ)ましい。その爪に、晩秋の湿(しめ)っぽい陽射(ひざ)しが反射して、浜辺の桜貝のようにキラキラと光った。
(あいつぅ……、マニュキュアでも、塗(ぬ)っているのと違うの? 何か呟いたりして、そんな事ばかりしているから、昇段試験に落ちるんでしょう!)
 あいつの爪は、綺麗に丸く切ってあった。それを見て、私は反射的に自分の指を見てしまう。
 私の丸くない爪先のコンプレックスは、まだ無くなっていない。
(……四角い爪の私……、まだ、爪は四角いままだ……)
 ビシュッ! あいつが矢を放つ音がして、シュン! 一瞬の飛翔音の後、バスン! 大きな音を立てて銀色の矢が的を貫(つらぬ)いた。
 キラリ!
 その鏡のように風景が写り込んで、半透明に見える矢は、的の真ん中に刺(さ)さっている。
(おおっ、あいつ、なかなか上手いじゃん!)
「シャッ!」
 観戦者達から、一斉(いっせい)に声が上がった。
 『シャッ!』は、放った矢が、的に命中した時の掛け声らしい。
 間髪を入れず数人の女子が、声をハモらせてあいつにエールを送る。僅(わず)かに遅(おく)れてまた、数人の女子が前の女の子達に負けじと、大声であいつを応援した。
 エールを送るのは、あいつの高校以外の女子ばかりだ。
 他校の弓道部の女子もいれば、弓道部じゃなさそうな制服や私服の子もいて、耳障(みみざわ)りで蕩(とろ)けそうな黄色い声で、あいつを応援していた。
 エールを送り終えた子達は、楽しそうな笑顔を見合わせて小さく、『キャハハハ』と、笑いながら、『彼、こっち見たよ!』とか、『やっぱり、クールだよねぇー』なんて、小声で言い合っている。
(いやいや、全然、こっちを見ていないって。あいつがクール? そうなのかあ?) 
 気持ちの中で、彼女達にツッコミを入れながら、『ヘタレなあんたの、どこがクールなんだよ?』と、あいつに訊(き)いて遣りたいけれど、私は絶対に実行しないと思う。
 あいつはエールを送る女子達に一瞥(いちべつ)もくれず、次の矢を番えて的を睨(にら)んだ。
(ふぅ~ん。あいつって、けっこうもてるんだ)
 微(かす)かに、心が騒(さわ)ぐ……。
 観戦者達は、射(しゃ)を終えた僅か数秒だけ、喜(よろこ)びや驚きや悲(かな)しみにどよめき、中(あた)りの的中(てきちゅう)の瞬間には歓声が上がり、応援のエールが送られ、外(はず)すと声を殺(ころ)した悲鳴で嘆(なげ)く。
 低いささやきや小さなざわめきは直(す)ぐに消え、再び、観戦者達は射手に顔を向けて、微動もしない無言の見守るような応援をする。
 張り詰めた空気の中、近くに私の学校の女子を見付けたので、傍(そば)に行って訊いてみた。
 射が一巡して、もう、直(じき)にあいつの射(い)る順番だ。
「ねぇ、今から撃つ人って、人気(にんき)が有るの?」
 ビシュッ、……シュンン…… バスッ! その時、あいつの放った矢が、的を貫いた。
「シャッ! きゃっ、また真ん中! そうよ。彼、カッコイイでしょ。一年生の後半から彼、試合に出ているのだけど、ほとんど的に当てるのよ! しかも、真ん中が多いの。的の中心の中白(なかしろ)とか正鵠(せいこく)っていう白丸のところばかり! すっごいよねぇー。彼だけが、言葉通りに正鵠を射続けるんだ。どうしたら、あんなに当てられるのかしら? 彼、年下だけど、私、憧(あこが)れちゃうわ」
 尋(たず)ねた女子は上級生の三年生で、一気に、あいつの腕前を褒(ほ)めちぎった。
 今の時期、既に部活から離れて大学受験勉強の追い込みの中、先輩は弓道部の後輩達と、あいつの応援をしに来ていた。
(あいつは、年上にも、人気が有るんだ)
「彼の学校以外の女子や、弓道部じゃない女子にも、人気が有るのよ。写メールで彼の写真が回っているからね。そんなに美形じゃないけれど、凛と張り詰めていいよね。八節(はっせつ)の形も素敵だし。それに無口で落ち着いて、物静かよね。彼が射場で騒いでいたのを、見た事が無いわ」
(あいつが、物静かで素敵ねぇ? 私だけにかも知んないけど、確(たし)かに無口だわ……。ちょっとキモイし、ストーカーっぽいし……。それにあいつが、弓道場で良く見えるのは、スキー場でのゲレンデ効果ってやつと同じでしょ!)
 イメージする『あいつの無口』に、朝の通学バスの中で、無表情に私の座席の横に立ち、何も語り掛けてこない、あいつを思い出してしまう。
「団体戦では、最近、彼の学校は全然ダメね。でも、個人戦では彼、いつも二位か三位なの。でも優勝が無いの。彼、凄(すご)いのにね。聞いた話じゃ、個人戦のサドンデスの決勝で、何か余計な事を考えるから外してしまうんだって。なに思っちゃうんだろうねぇ?」
 三年生の先輩は、熱の籠(こ)もった瞳(ひとみ)で、あいつを見詰めながら話す。
(他の女子に訊いても、あいつの事を、同じように言うのだろうな)
「彼女は、いるのかな?」
 私は、胸騒(むなさわ)ぎの核心を訊く。
「いないんじゃないの。何人もの女子が、彼にレターしたみたいだけど、返事を貰(もら)ったって、聞いた事がないなあ」
(レター……? 今時、メールじゃなくてレター? それって手紙なの?)
 随分(ずいぶん)とアナログで、物質的な言い方に、靴箱の中へ置かれていた封筒を思い出した。
 今でも時々、出身中学が違う男子から、告白の手紙を貰う。でも、それらは全(すべ)て誠意ある丁重(ていちょう)な御断(おことわ)りをしている。
(うわぁ、でも、他校の女子が、あいつの高校まで行って、靴箱へレターして来るわけないじゃん!)
 普通は常識的に、あいつの家へ送ったのだろうと思い直(なお)した。でも、分からない。
 行動的で熱狂的なファンの子がいるのかも知れない。
「それに、私も訊いたけれど、誰も、彼のメアドを知らないのよ。あそこの弓道部でも、ほとんどの部員が知らないそうよ」
 なんだか、ほっとする自分がいた。
 あいつを好きな子がいても、あいつと付き合っていなければ、彼女じゃないと思う。
 あいつが私に想いを寄せていても、別々の離れた高校へ通(かよ)う私達は、放課後に出逢(であ)う事は滅多(めった)に無く、別にデートの約束をしたりもしていないから、いっしょに歩く事は無い。
 直接、生(なま)ボイスでの会話やオフでの出会いを拒(こば)む私は、あいつの彼女じゃない。
「彼が、女の子と歩いていたとは聞かないし、デートしたって子もいないしね。あなたもキュンとハートにきちゃった? 彼って最近なかなかいないタイプだよね」
 そう言うと、三年生の先輩は、首を傾(かし)げて笑顔になった。
「いえ、ありがとうございました」
(あいつのメールアドレスは、誰も知らないんだ)
 なぜか、気分の安らぐ自分がいる。
(そう……、彼女はいないの)
 今でも、あいつが私に好意を持っているのを、あいつから届くメールで知っている。
 あいつは、私とメル友以上の関係に発展しない事を承知しているはずだ。
 ヘタレな最初の告白を振(ふ)ってからも、しつこく私に恋慕(れんぼ)するあいつに、メル友だけならとして四年が過ぎ、今だに私へ好意を持ち続けているとしても、中学生でのようすと弓道での人気ぶりから、既にガールフレンドがいて、その子と楽しく遣っていても、不思議(ふしぎ)じゃないでしょう。
 ……そう、あいつは、好きな私とメル友で、レターをくれるガールフレンドとも、宜(よろ)しく付き合っている、それくらいは、器用にできる奴だと勝手に思い込んでいた。
 金石の町の小さな砂丘から、見下(みお)ろした時の、あいつの顔が浮(う)かんだ。
 睨む私を見上げて、狼狽(うろた)え、戸惑(とまど)いの奇妙なセーフポーズで固まったまま、私のスカートの中を堂々と覗(のぞ)いていたあいつ。そんな、ヘタレでスケベな厭らしいあいつが、他校の上級生の女子から熱く語られるほど、弓を引くと凛々しいくらいに格好良くて、女子達に大人気だ。
 そのギャップが歯痒(はがゆ)くも、不思議で、可笑(おか)しいような、嬉(うれ)しいような、それでいて、何だか、寂(さび)しくて悲しい変な気分だった。
(なんだか、誇(ほこ)らしいかな。誰にも言えないけど、自慢しても、いいかな? あいつとメール交換しているって……。あいつの好きな相手は、……私だって)
 バスッ! 勢(いきお)い良く矢が的を射抜く大きな音に、誰かが合図をして、観戦者全員を揃(そろ)わせているかと思うほど、鋭(するど)くハモった『シャッ!』の掛け声が、矢道の大気を弾(はじ)いた。
 続けて、お決まりのように間髪を入れず、女子達が黄色い声援を連呼する。
 そわそわと、嬉しそうに応援する女子達の後ろから垣間(かいま)見たあいつは、四本目の矢を弓に番えようとしている。
 あいつの瞳は、矢と的以外をチラッとも見ようとしない。
 弓を引き、矢を放ち、的に当てる一連の動作に集中して、そこに完全に入り込んでいるあいつは、真剣その物で、観戦者の姿や蕩けるような黄色いエールは、見えも、聞こえてもいないように思えた。
 その真剣な、あいつの姿に、不覚にも、私の胸が一瞬だけ締(し)め付けられて、キュンと高鳴ってしまった。
(だめ……! これ以上、ここに居てはいけない……)
 背を屈(かが)め、観戦者達を盾(たて)にして、あいつに気付かれない内に、私は弓道場から離れる。
 途中、拍手と黄色いエールが背後から聞こえて、あいつが四本目の矢も、的に命中させたのを知らされた。これで、個人の決勝トーナメントに出られるのだろう。
 あいつの決勝トーナメントを見たいという思いに、帰ろうとする気勢を挫(くじ)かれて、武道館の玄関前で足が止まった。
(応援をする、つもりなの? 私……。あいつは本当に強くて、格好良かったじゃない。……見に行けば、……いいじゃん)
 武道館の左側に在る弓道場に、大勢の観戦者が見え、そのざわめきも聞こえる。
 向こうの公園からも、沢山の一般の方達が、人垣を成(な)して見ていた。
 武道の試合らしからぬ、女子の声援が、通(とお)り掛かりの人達の気を引いたのだろう。
(私も、あそこに並ぶの? でもいいの……、応援しなくても、あいつの応援団は大勢いるから、別に私がいてあげなくても、いいんだよ。……もう帰ろう)
 私は、ざわつく気持ちを抑(おさ)えながら、バス停へと再び歩き出す。
 首筋と肩の後ろが、モゾモゾ騒ぐのと、重い気持ちになるのが鬱陶(うっとう)しい。
 テンションを、これ以上落とさないように、耳にイヤホンを掛け、携帯電話をポケットから出してメディアプレーヤーをオンにした。
 お気に入りのメロディー達は、気持ちが苛(いら)つかないように留(とど)めただけで、私の気分をすっきりさせてはくれない。
 傾(かたむ)きつつある太陽で、ビル影になったバス停に着くと、程(ほど)なくしてバスが来た。
 乗り込むと、ビル影のマットな明るさと大型バス特有の閉鎖空間が、私を落ち着かせて、乗車ドアを閉めて動き出したバスは、高揚が冷(さ)めて行く私を、新たな明るい光の中へと連れ出してくれる。
 車窓から眩(まぶ)しく差し込む午後の光に、再び、ざわつきだした首筋を不快に感じながら、桜貝のように煌(きら)めいた爪のあいつを思い出した。
(これからは、爪を伸ばして、丸く整(ととの)えよう。そして、休みの日はマニュキュアを塗ってみよう)
 帰りのバスの中で、広げた両手の指先を陽光に翳(かざ)しても、鈍(にぶ)く艶(つや)るだけの爪を眺(なが)めながら、そう思い付くと、少し気持ちが晴れて軽くなった。
     *
【明日は、学校行事で長距離を歩く。しんどいから歩きたくない。歩く意味理解不能! 強制で、強行なんだぞ! 強歩(きょうほ)だよ! しかも、タイトルに『祭り』が付くんだ。泣きたくなるフェステバルなんて、笑っちゃうわ。それに、歩行祭のスローガンは、『精神力』、『思い遣り』、『自己管理』で、意味不明。捻(ひね)りの無さは、毎年同じだよ……】
 『今年も長距離を歩く学校行事が行われる』と、短くも、私なりの疑問と意義も添(そ)えて、あいつへメールを送った。
【こっちは、十キロメートルを走るのがあるよ。僕は部活のノリで遣っているけど、そうでない人らにゃキツイだろうな。真面目(まじめ)に遣んない人も多いし。あっ、僕も真面目に遣ってるわけじゃないよ。ただ自分のタイムに挑戦しているだけ。他に意味は無い。去年も、今年も学年で十位以内だぞ。これってスゲくねぇ? まぁ、そっちのただ歩くだけっちゅうのは、キツイね! 全然、笑えないね! 泣きたくなるのは解る。同情するよ。学校行事だから、バックパッカーのような自由さや、自分探しみたいなのも、無さげだしね。それって、意味有るん? 筋が通る理由付けのボイコットをしても、内申に影響するんだとしたら、最低最悪の大人都合だよな!】
 去年は部活で金石の浜を、ゲベのヘタレで走っていたあいつから、走りの自慢に、『よく参加するね』と、言わんばかりの非難めいた内容で返信が届いた。しかも、暫(しばら)くメールを送っていなかった所為(せい)なのか、親しい友達が普通に話しかけるように、とてもフレンドリーな文だ。
 これといった理由も無く、メールを送りも、返しもしなかった私から、一か月半ぶりに着信したメールが、『そんなに、嬉しいのかよ』と思わせるほど、ベリーハッピーなあいつのようすが読み取れたし、学校行事の長距離を歩きたくないブルーな気分に落ち込む私を、気遣(きづか)ってくれてもいる。
(こいつ……、ノリノリじゃん)
 一年生の時に初めて体験しようとしていた長距離を無為に歩く、無慈悲な学校行事の『長距離歩行祭』の事を知らせると、あいつは信じられないと言わんばかりだった。
『高校生になったら、すっごい長距離を、ひたすら歩くだけの遠足ですか? 変なの? そんなのってないんじゃないの? そんなのが、学校の伝統行事? その日は、天気が悪そうだけれど、それでも、決行されるのかな?』
 確かに、秋雨(あきさめ)のそぼ降る肌寒い休日に決行された去年の体験は、その延々とした遠い距離に、楽しげな遠足気分で歩け通せるものじゃなかった。
 最後まで無理遣り、雨の中を我慢して歩いたから、秋の雨天の寒さと冷たい秋雨に濡(ぬ)れて体温を奪(うば)われた身体(からだ)は、治りの遅い風邪を引かせた。
 益々、失(うしな)われる体力に拗(こじ)らせた風邪は、更(さら)に高熱を伴(ともな)って、肺炎寸前の辛(つら)くて酷(ひど)い目に私を遭(あ)わせてくれた。
【明日の天気は、好さそうだけど、体調を崩(くず)さないように気を付けて下さい】
 私の身体の心配もしている。……ちょっと嬉しい。
(あいつ、けっこう、メル友らしくしてるじゃん)
 毎年、寒さを感じない初秋に行われて多少の雨でも決行されるはずの長距離歩行。それは、羽咋市(はくいし)の千里浜(ちりはま)から学校まで、延々と四十二・五キロメートルも歩く学校行事だ。
 中学三年生でも、二十三キロメートルを歩いたけれど、あれは、平日に行われる少しハードな遠足の距離として納得できていた。それが、高校生になったら、一気に倍の距離になり、しかも、日曜日の朝から点呼をとられて始まる。
 他校では、歩行祭を強歩大会とか、強行遠足と言うらしい。
 全生徒は、強制参加させられる。
 無理を押し切って、最期のゴールまで強引に歩き通させるから、強行で、強歩だ!
 全く、理不尽この上も無い、祭りとか、大会とか、遠足とか、小賢(こざか)しい尾鰭(おひれ)の付いた学校都合のイベントだ!
 協調性の無い私にとっては、頭痛と吐き気が伴う苦痛以外の何物でもない!
 日頃、長距離なんて歩かないものだから、直ぐに靴擦(くつず)れで出来た踵(かかと)や足指の水膨(みずぶく)れが一週間以上も痛んで苦しませるし、ゴールしてから数日は筋肉痛に悩まされた。
 歩き疲れで、気分は矢鱈(やたら)とハイになり、リストカットでもしたら、この理不尽(りふじん)な扱(あつか)いから解放されるかもって、思考が鈍った頭でマジに考えてしまいそう。
 精神的にも、肉体的にも、私にとって苦痛の極(きわ)みに過(す)ぎない学校行事だけど、翌日は代休になるのが救いだった。
 『精神力』、『思い遣り』、『自己管理』を個人個人、自主的に養(やしな)うのが目的だそうだ。
 雨天決行された昨年は、言われるままに面白半分で参加したけれど、歩き通しても、辛さと苦しさだけのフラストレーションに全然面白く無くて、『なによ、これ!』って感じで、大(おお)いに疑問を持った。
(大体、どうして、マラソンの距離なわけ? 戦いの勝利を告(つ)げて絶命した、エウクレスの走った距離と歩行祭が、どう関係あんのよ! 後世(こうせい)の創作かも知れないエピソードなのに)
 せめて、好きなオールディーズを聞きながら歩けば気が紛れたり、少しはモチベーションがアップすると思うけれど、危険を察知できないとか、指示が聞こえないとかで、ポータブルプレーヤーや携帯電話のミュージック機能の使用は禁止されてるから、屈折した思考と、ちょっとしかない気遣いと、自分に正直なだけの自己中な私にとっちゃ、ただ歩くだけなんて、鬱陶しくて仕方が無い。
(まあ、関東の方では、夜通し、七十キロメートルも歩く高校が在るそうだけど、それと比(くら)べりゃ、まだいいか。……じゃなくて、いいわけないじゃないの! バッカじゃないの!)
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 私は、一人で歩いている。
(あいつが、呆れて非難した、とんでもない学校行事に、ボイコットせずに歩いている私は、……間違いなくバカだ!)
 人と馴(な)れ合うのが嫌(きら)いな私に、誰も寄って来ないし、声も掛けて行かない。
 私のぶっきら棒な態度や冷たい話し方で、境界線(きょうかいせん)オーラが伝わるのだろう。
 一年生の二学期の初めには、いつの間(ま)にか、私は避(さ)けられている感じになっていた。
 一人は嫌いじゃないし厭じゃない。それに、一人で歩くのは、他人からの不要なフラストレーションを帯(お)びないから気楽だ。
(日傘を差して歩いても、ダメなのかな?)
 影に入りたいと思う。
 強くなってきた陽射しで、日焼けをしないように、一人で歩く私の顔を隠すように、日傘が欲しい。
(ただ、大勢の中の一人になるのが、厭なだけ)
 大勢の中に、混ざる自分が厭。
 混ざる事に、我慢する私が厭だ。
 何かにつけ、大人達は、体制の方向を一つにしようとする。
 挙句(あげく)に、『伝統だ』、『決まり事だ』と、言い出す。
 私は伝統も決まり事も、大嫌いだ。
 過去に学び、未来を創造する為には、方向や伝統に囚(とら)われていては駄目だ。伝統は現在と融合してより良く変化すべきだ。
 私は、全然違うコースを歩きたい。
(向きを合わせるのは、団体行動の原点? 団体行動をしなければ、規律が生まれない? 育たない? そうかしら?)
 団体行動なんて、短絡的な大人達の都合の良い発想だ。
 混沌(こんとん)としたカオスにも、調和が有り、秩序(ちつじょ)と規律が生まれるんだ。
(団体行動なんて、大人達が造り出す、無理矢理(むりやり)歪(ひず)めた調和に過ぎない)
 先生達が言う、『みんな』や『全員』や『連帯責任』や『絆(きずな)』などの、如何(いか)にも体裁(ていさい)の良い言葉を聞く度(たび)に、激しい反撥を感じて、抗(あらが)いたい私がいた。
 ある程度の調和は必要だけど、全てを合わせなくても良いと思う。
 団体ではなくて、個人個人の問題で、要は、私個人のモチベーションを高めなければならないという事だ。
 それは決して、大人都合の圧し付けの不条理の強制で得られたり、与えられたりするモノじゃない!
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 校舎の建つ丘の麓(ふもと)に着く頃には、歩き疲れと嫌気(いやけ)で、私の気持ちは完全にだらけていて、このままバスに乗って家に帰りたくて仕様が無かった。
 未到着者になって、行方不明になりたいと思う。
(早く帰って、眠(ねむ)りたいよ……。お風呂にも、入りたいし……)
 どっぷりと、湯船に深く浸(つ)かり、痛みとだるさを散らして、シャワーの打たせ湯も浴びて、堅(かた)くなった身体を解(ほぐ)さないと眠れそうもない。
 目の前の遅刻坂を、溜(た)め息を吐きながらベタ足で登り始めた私の左右を、幾人もが連れ立って追い越して行く。
 仲間を励(はげ)ましたり、庇(かば)ったりしながら、苦しそうに歩む十人くらいのグループが、ふら付きながら歩く私の左側を擦(す)り抜(ぬ)けるように登って行くと、今度は右側を、そんなに体力があるのなら既にゴールしているだろうと思うほど、元気にはしゃぐ三人連れが、先に抜いて行った十人のグループをも、足早に追い抜いて行った。
 毎日の登下校で歩く遅刻坂は、思いのほか急(きゅう)で、登り切るのに疲れてしまう。
 普通自動車が楽に擦れ違えるほど、道幅は広くなくて、息を切らして歩く横をオートバイや自転車が、危(あぶ)ないほどの近さを通り過ぎて行き、接触しないように注意していなければならない。
 さすがに歩行祭の今日は、制限時間まで二輪の通行を禁止して歩行専用にしている。
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 四月初旬、遅刻坂の両側に植え並ぶ、太い枝ぶりの桜の大木が満開になり、大きな桜のトンネルを作る。その桜の坂道を通いたくて、この高校に入学した。
 花の香りや新緑の匂いを嗅(か)ぎながら、弾(はず)む気持ちで歩いていたのも、暑さが日毎(ひごと)に増す初夏になる頃には、飽きて嫌気が差していた。
 熱帯のトリプルキャノピーみたいに頭上を覆(おお)う桜の葉は、濃い日陰を作り、多少の涼(すず)しさを感じさせるけれど、朝から真夏の熱気で澱(よど)む大気に、斜面の草木を戦(そよ)がす風も無く、三分の一も登らない内にバスの空調でひんやりと冷えた身体を、汗(あせ)だくにしてくれた。それだけで一日中、脱力感に苛(さいな)まれてしまう。
 冬は、スノーシューズやスノーブーツが欠かせない。
 平坦面が多い靴底で、路面を敷き詰める大粒の霰(あられ)や雹(ひょう)、薄く積もった新雪、踏み固められた圧雪、そして、氷山のように凍結した遅刻坂の上り下りは、とても滑(すべ)り易くなって、簡単に転倒してしまうから大変危険だ。
 一度、地吹雪(じふぶき)の日の帰りに転(ころ)んで、五メートル以上も滑り降りてしまい、捲れ上がったコートの裾(すそ)やスカートは、零下の強い風に舞い上がるパウダーな雪と共に翻(ひるがえ)り、大股で曝(さら)け出したブラックな秘密を登校する多くの生徒にマジマジと見られてしまって、とても恥ずかしい思いをした。
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 そして今は、汗も冷え切り、ぐっしょりしたジャージを着て、臭(くさ)くて埃(ほこり)っぽい姿の自分に、うんざりしながら登っている。
 なぜか不意に、バス停に立つあいつの姿を思い出した。
 だらだらと遅刻坂を登っているのに、バスの中で私の傍にいる、あいつの臭いと気配を感じた気がして、バスを降りた私を車窓越しに見ている、あいつの顔が浮んだ。
 思い出したあいつの表情は、いつもの黙って見守っているようじゃなくて、困ったような顔で、口許が、『バカ……』と動いていた。
 通りのバス停から教室までは、意外と距離が有って、朝は特にこの遅刻坂で時間を食ってしまう。
 あいつが乗り込んで来るバスに乗り遅れて、次のバスになると、この坂を私は全力で駆(か)け上がらなければならない。
 坂の途中でヘタると、必ず遅刻した。
 だから、心臓がバクついて口から出そうになっても、足がガクガクと震えても、懸命に駆け登った。でも、その九割方、帰宅部で体力の無い私は、坂の途中に在るグラウンドを過ぎた辺りでへばってしまい、しっかりと遅刻している。
 坂を登り切ったゴール直前で、疲れ切って、今にも思考の停止しそうな私の大脳が見せた、遅刻坂の恥ずかしいフラッシュバックの後に、あいつを思い出しているのを不思議に思う。
(こんな、体力の限界状態で、なんで、あいつなんか、思い出しているのよ、私!)
 でも、私は解(わか)っていた。それは、不思議でも何でもなくて、お風呂に入るよりも、眠りこけるよりも、今の私の望みだった。
 あいつが傍に居て、ただ黙って、見守ってくれているだけで私は、もっと、頑張(がんば)れる気がしている。だけど、素直でなくて、正直でもない私は、非実現的な望みと決め付けて、頑(かたく)なに否定して認めたくはない。
 のんびりと歩いて来た私は、制限時間ギリギリでゴールした。
 歩き通しても、疲れと痛みと虚(むな)しさしか感じなかった。
 達成感や充実感は無くて、虚しさだけが残る。
 歩き終えた子達が、あちらこちらに集まって騒いでいたけれど、その体感談は、疲れ過ぎてハイになった気持ちが言わせる、一過性の事にしか過ぎない。
 歩いて疲れた身体を休める為の安息日を挟(はさ)んで、翌々日から授業が始まると、みんなは歩行祭の話題を全(まった)くと言っていいほど、話題に出さなくなった。
 相変(あいか)わらず私は、歩行祭の意義を見い出せずにいたけれど、それを口にはしない。
 延々と四十二・五キロメートルも歩いて、体感したのは忍耐と我慢。そして、一週間ほど続いた下半身の筋肉痛で、無意識の内に婆(ばあ)さん歩きで通学していた。
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 忍耐や我慢は、本当に美徳なのだろうか?
 それは、養わなければならない事なのだろうか?
 目的を持ちチャンスを窺(うかが)うのならば、達成する為の事柄の習得とそれを行う時期まで、自然と忍耐や我慢が必要になる。
 歩行祭で、それしか感じなかった忍耐や我慢は、四十二・五キロメートルを高校の在学中の三年間に、一年に一度、合計して三度、歩き通す事で養われるものだろうか?
 大学入試の迫る三年生では、受験勉強の佳境(かきょう)の最中(さなか)に行われる事になる。
 歩行祭前のブルーな気持ち、わざわざ安息日に開催され、歩行後に一週間も続く筋肉痛。
(嫌気がして、吐きたくなるほど、うんざりだ!)
 来年は、精神的にも、肉体的にも、受験勉強の妨害や障害にしかならないと私は思う。

 

 つづく