遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

それぞれの道 (私 中学三年生) 桜の匂い 第四章 肆

 地区割りの公立中学校校区でも、多少なりともハイレベルの高校へ、より多くの生徒達を進学させようと、学校側は、PTAを絡(から)らめて学力アップに必死だ。
 学校方針から食(は)み出す生徒がいないように、学校側は生徒達への管理指導を、先生に徹底させ、先生は、学校方針に自分達の価値観で持つ許容枠を加えて、その許容範囲から逸脱(いつだつ)する生徒を差別する。
 教育委員会方針、学校方針、先生方針に逆(さか)らうのは、社会的にドロップアウトしてしまうのだと言い包(くる)めて、大人都合の画一(かくいつ)な教育を、無垢(むく)な生徒達に刷(す)り込んでしていく。
 『目標を決めたか?』と、先生達の誰もが訊(き)いて来る。
 先生の問いは、進学する志望校の決定だ。
 ハイレベルな高校の方が良いけれど、志望する生徒の学力に大きな差が有る場合、受験は容認されないから、先生が作成する願書が無ければ、受験する事は不可能になる。
 ハイレベルな高校へ合格者を多く送る事が方針目的で最優先事項だ。
 多くの不合格者を出し、滑(すべ)り止(ど)めの私立高校に入学させる事や高校浪人を発生させる事ではない。
 それは、先生達の成績評価と見返り報酬に直結し、決して担任しているクラスの一人一人の生徒個人の近未来や将来の姿でなく、合格実績のより大きな数値が目標だ。
 私は、希望の入試校を用紙に記入する。
 私の成績は、それほど優秀じゃない。
 私の成績では、頑張(がんば)っても、この学校が精一杯。
 毎年、卒業生の半数が、国公立大学へ入学する普通高校だ。
 進学率が、九十五パーセントを超えるバリバリの進学校だけど、トップクラスの大学の合格者は、毎年数えるほどしかいない。
 ピアニストを諦(あきら)めた今、専門の音楽高校や音楽大学へ進学する意欲も、失(う)せてしまい、それに替わる人生目標も、思い付いても、考えてもいない。
(取り敢(あ)えず、普通高校へ進学すれば、将来を描(えが)けれる物が有るかもね。……無くても、まあ、普通高校は通過点だから、無難に卒業して、それから、大学へ進学して、その四年間で、そこそこの何かに、出会えるだろうって感じ。金銭的に、あまり、親の負担にならないように、できれば、国公立大学が目標なんてね)
 私は、御気楽(おきらく)に考えていた。
 先日、あいつから、金沢市郊外の高校を受験すると、メールが来ていた。
 金石(かないわ)の海岸に程近いところに在る。市立(いちりつ)の工業高校だ。
 あいつは、私と同じ高校へ行くつもりはないらしい。
(大体、あいつの成績じゃ、無理かもね……?。どれくらいか、知らないけど……。がんばって私と同じところへ、行く気が無いんだ……)
 適当に、あいつの成績を推測して、私は、いい加減で不満気味な理由付けをしてしまう。
     *
 真冬の深夜、窓の外が時々光る。
 窓を開けて見ると、遠くの夜空に光る雪神鳴様(ゆきかみなりさま)だった。
 分厚い雪雲が全天を覆(おお)い、月や星の光りが全然無い、真っ黒な空だ。
 ゴロゴロと遠くの雷の小さな響(ひび)きを、深(しん)とした冷たい外気が、雪の匂(にお)いといっしょに運んで来て、不安と希望を同時に私に抱(いだ)かせた。
(この方角に、あいつの家が在る……。この時間、あいつも起きていて、受験勉強をしているのだろうか……?)
 午前二時を過ぎたディープな時刻だけど、受験勉強をしているであろうあいつへ、迷惑を省(かえり)みずにメールを送って遣(や)った。
 一応、励(はげ)ましメールなのだけど、あいつは分かってくれるだろうか?
 年明けの今は、私を含(ふく)めて、受験生はみんな、受験勉強にラストスパートをかけている。
【あんた、高校でも、美術やんの?】
 私は、あいつの創(つく)り出した作品を見るのが、好きだった。
 別に私は、あいつを好きなのじゃなくて、あいつの美術作品が好きなだけで、これからも、作品を観賞する機会が有れば良いと思っているだけ。
【やらない】
 少し内向的な自閉症のオタクっぽさが有るけれど、誰かが作った規制の枠や範囲に囚(とら)われない強い自己主張で、あいつは、自分の世界を持っている。
 美術作品が、他人とは違う突飛な作風なら、あいつの行動も、……私だけにかも知れないけど……、突飛に感じた。
 これから先も、あいつは、もっと、もっと、個性を作品に発揮して行くと思っていたのに、あいつは美術を『やらない』なんて、残念な文字を送信して来る。
【なんで、やんないのよ?】
 あいつはてっきり、高校へ行っても美術部に入り、自分の絵や彫刻の作品を、いろんなコンクールに応募して幾つも賞を取り、将来が有望視される芸術家の卵になるだろうと、勝手に想像していた。
 私は、それで、あいつを励ますつもりだったのに……、代わりの励ましが見付からない。
【スポーツがしたい】
 体育の授業は、水泳以外を鈍臭(どんくさ)くもなく、それなりに身体を動かしていたし、スタンドプレー的な悪目立ちする事もせず、極(きわ)めて普通に、あいつは熟(こな)していた。
(でも、高校生デビューできる、スポーツって有るの?)
【美術の才能有んのに、勿体無(もったいな)いなぁ~。美大を目指せばいいのに】
 生まれながらの、始めから備わった知能として、洗練された作品を創造できる才能は、天才の域だ。でも、普通に秀(ひい)でた才能は、専科を学ぶ事と創り続ける経験で複雑さを増し、それでいて、アルゴリズムされたプロセスで洗練されて行くのでしょう?
 美大は、時間や空間に於(お)いて、そういう場だと思う。
【美大は目指さない。美大に進学する目的が、分からないんだ……。僕はただ、イメージを造形したいだけなんだ。造形や作画は、僕の趣味だよ】
 それを言ったら、私もそうだ。
 普通高校へ進学する意味に、疑問を持ってしまう。
 大学を受験するだけなら、高校卒の資格さえ取得すれば良い。
 大学を受験できる学力が有る事を、高等学校卒業程度認定試験に合格して認定証明されれば、問題は無い。
 十六歳でも認定されるが、実際に大学を受験できるのは、十八歳になってからになる。
 大学受験は、一人だけの個人でも、十分に可能だ。
 高校へ進学しなくても、高校卒の資格を得て、大学と学部を絞(しぼ)り込み、そこへ合格する為(ため)に、特化させたピンポイントの受験勉強をすれば、充分に入試をクリアできると思う。
 だけど私は、独学で三年以内に高校卒の認定を取得して、大学へ合格しようとする意欲に、根性、それに自信と勇気も無かった。
【趣味でも、美大に行けば、洗練されるんじゃないの?】
 もう、遣らないのじゃなくて、趣味で作品を作り続けるのを知って私は安心した。
 いつかまた、あいつの作品を鑑賞できる機会が有るでしょう。
 その時は、今以上に、もっと、観る人を惹(ひ)き付ける、独(ひと)り善(よ)がりじゃない、魅力の有る作品を作っていて欲しい。
【うーん、どうかな~。上手(うま)く伝えれないかも知れないけれど、僕は、美大の科目を活(い)かすような就職をしたくないんだ。まだ、漠然としているけれど、美術関係と違う職に就(つ)きたいと思っている。僕の趣味の延長ごときに、親の金で、四年間も大学へ行って学ぶのは、申し訳なくて、耐えられないよ】
 それは、私も思う。
 高校で目標や遣りたい事が分からないまま、進学した大学の四年間で、何も見付けれない自分捜しで終わったら、どうしょうかと不安になる。
【ふう~ん。いろいろ、考えてんだね】
 あいつは、立体を平面的に見たり、平面の絵や図を立体的に見て、そのイメージを三百六十度前後左右上下に、グルグル回し見る事が、頭の中でできるのだと思う。
 それでも、いくら芸術が、感覚や感性が主体と言っても、ジレンマやスランプで不安になれば、専門で学ぶ基礎学が必要だろうし、絶対に役に立ってくれるだろう。
 他人に評価され続けられていると、次第に自分の作品じゃなくなっていくような気がする。
【それに、造形に特化した技巧の勉強なら、独学でもできるしね。頭に浮かんだイメージを、より速く具現化する手段が、技巧や技法なんだ。方法の手持ちは、多い方が良いに決まっている。それは、見て、触(さわ)って、感じてたりして、盗み学び、本当に解らないところだけを、調べたり、教えられたりして、知識や器用さや段取りとして、身に備(そな)わるものだと思っている】
 私が懸念する事は、あいつも考えている。
 私も、聞いたり、見たりして、真似(まね)をする事も有った。
 ただ、それを、自分に馴染(なじ)ませて受け入れるのに、私は時間が掛かっていただけ。
【そう、そうかも知れないね。私もピアノで、それを、痛いほど知らされたよ……。それで、嫌になりそう】
 自分のフィーリングに合う曲は、直(す)ぐにイメージできて練習も進んでするのに……、好きになれない曲は、いつまで経(た)っても、さっぱり駄目だった。
【好きなピアノが、嫌になりそうなくらい、とても、君は頑張ってるんだな。大学の音楽学部を目指すんだろ? 君の夢が叶(かな)えられるように、応援してるよ】
 私の事情を知らなくて、無慈悲に打たれた、あいつの文字に怯(ひる)んでしまう。
 既(すで)に、世界的なピアニストを志(こころざ)す夢は、自分の才能の限界が見えた時点から、芸術大学や音楽大学を目指すのは諦めている。
 あいつの励ましメールは、私に息苦しい戦慄(せんりつ)を走らせた。
 ピアノに挫折した悲(かな)しい現実は、今も、私が夢に向かって頑張り続けていると信じているあいつに、限界の近い薄っぺらな才能しか持ち合わせていなくて夢を諦めた、私の弱さと脆(もろ)さを教えるようで嫌だった。
 だけど、知らせなくても、いずれ、あいつは気付くと思っていた。
 そして、私の挫折を知ったところで、あいつは、何も言わないだろう。
 それも、嫌だ。
 だから、今、私は、あいつに知らせる。
【ううん、残念。もう、応援しなくてもいいよ。本当はね、嫌になりそうじゃなくて、嫌になったんだ。ピアノは八月で止(や)めたの。自分の限界を知ったし。駄目だったの…… 私。そんなに真剣じゃなかったんだ。……もう、決めちゃって、済(す)んだ事だから、何も訊かないで!】
(どうして自分の限界を知ったのかは、訊かないで……。それを、あんたに知られるのは辛(つら)いし、泣いてしまいそうだから……)
【そうなんだ……。既に、やめていたのか。……もう一度、君のピアノを聴(き)きたかったのにな。小学六年生の雨の日、君が弾くピアノに、凄く感動してたんだ。あのアンコールで弾(ひ)こうとしていた曲を、いつか、聴けるチャンスが有るかな?】
 メールの文面が、私の背中をゾクゾクさせて、肩筋もプルプルと痙攣(けいれん)させる。
 私も、いつか、機会が有れば、あいつに聴かせて遣りたいと思っていた。
(びっくりだ! あいつは覚えている。あいつの聴きたいと、私の聴かせたいが、同じ感慨(かんがい)を意味するのか分からないけれど、小学六年生の私が弾く、『別れの曲』を聴いた、あいつの驚(おどろ)きの顔を、もう一度見たい)
 『別れの曲』と呼ばれている旋律(せんりつ)の正式な曲名は、『練習曲 作品十 第三番 ホ長調』。
 このようにショパンの曲は、全(すべ)て、番号と調性(ちょうせい)だけで、イメージ的な曲名は付けていないと、調べたインターネットのサイトや図書館の本に載(の)っていた。
 それらには、曲の使われていたフランス映画の原題にあった、『アデュー』が、『永遠の別れ』の意味だから、ストーリーの演奏されるシーンからも、『別れの曲』と、認識されたと記されていた。
 きっと、日本語名のルーツは、そうなのでしょう。
 でもそれは、作曲イメージを当初、ときめく恋の、アップテンポのようなメロディーにしてたかも知れない。
 それが、多感な二十歳前後の、時代背景や境遇で経験する、多くの焦燥(しょうそう)や決別の悲しみと嘆(なげ)きを、ショパンの優しくて繊細(せんさい)な感性は、心揺さぶる美しいリズムへ変貌(へんぼう)させて昇華(しょうか)させたのだと、何度も練習していて思う。
(あんたとは違う、高校へ進学するから、中学卒業は、お別れになっちゃうわね。全然、会いたくないけど、メル友は、続けさせてあげるよ)
 あの時、アンコールで弾くつもりだったのは、探し求めていた相手との突然の出逢いに、ときめく心の曲だ。
 冷(さ)める気持ちに、ときめく心を失(うしな)う私は、想像を廻(めぐ)らせて、曲に気持ちをシンクロさせる事ができない。
【今の私じゃ、無理! いつの日か、自分が変われて、ピアノを弾きたい気持ちに駆(か)られたら、機会が有るかもね】
 そんな日が、必ず来ると信じたい。
(日々、私は成長している、……のだから。……かな?)
 それは……、いつになるのだろう……。
(変わらせるのは、あんたかもね!)
【自分が変わる……? どういう意味?】
(私の中で、限界の境界線が、見えなくなった時よ)
 将来、何かの切っ掛けで、またピアノを弾く気持ちになるかも知れない。
 二度と、弾く事が無いとは、……思いたくなかった。
 境界線なんて、挫折した自分を認めたくない防壁だ。
 たがが、中学三年生での挫折なんて、五年後や十年後には、幼(おさな)くて後悔するような悩(なや)みでしかなくなると思う。
 切っ掛けが、何になるのか分からないけど、きっとまた、楽しい気持ちでピアノを弾ける。
 その切っ掛けは……、既に、自分で朧(おぼろ)に導(みちび)いていた意味は、あいつに教えない。
【さあね。それなら、美大じゃない大学へも、行かないつもり?】
 送信してから、私は気付いた。
 もう、向かう高校は別々になってしまうけれど、大学は同じになって欲しいと、気持ちのどこかで望んでいる私がいた。
【ああ、今のところは大学へ行く気が無いんだ。受験は、今だけでいいよ。三年後も、受験で苦しみたくないね。勉強は嫌いだから】
(ううっ、それを言うか……。私だって、億劫(おっくう)で憂鬱(ゆううつ)だよ)
 私が受験する普通高校は、進学専門校だ。
 合格して入学しても、三年間の大半は、大学受験の為の勉強の日々になるだろう。
 お姉ちゃんが言うような、解放感や自由に満ちている四年間になるのなら、大学へ行ってみたいと思うけど、それは、それで『良いの』って気がする。
 高校の先に有る大学のキャンパスライフは、高校受験を間近に控(ひか)えた中学三年生の私には、想像できる情報が少なくて、まだ良く分からない。
【そっか、まあ、お互い高校入試に頑張りましょう。これから、合格発表が出るまで、メールは無しにしてね。もう寝るわ。おやすみなさい】
(そう、お互(たが)い、今は入試まで、勉強に集中しましょう)
 受験は、結果が全て!
 入試が終わっても、合格発表まで、期待と不安を募(つの)らせるだけの、馴れ合いや、慰(なぐさ)め合いはしない。
 故(ゆえ)に、メールの遣り取りは、禁止する。
【ラジャー! お互い、受験勉強に集中して、頑張ろう! おやすみ】
 おやすみ……。
 もう私は、寝るつもりだつたけれど、深夜まで受験勉強をするようになってからは、珈琲を飲む習慣が付いてしまい、スプーン二杯のインスタントコーヒーに角砂糖を三つと、ガバッと粉ミルクも入れたマグカップに熱湯を注(そそ)ぎ、スプーンで掻(か)き混(ま)ぜながら溶かし、まだ、少しだけ起きていて、自分の集中力を殺(そ)ぎそうなモヤモヤする気持ちを整理してみる。
 まだまだ、苦(にが)いと感じる珈琲は、コンビニで買うコーヒー牛乳みたいな、甘い味にして飲む。
 珈琲通のお姉(ねえ)ちゃんやお母(かあ)さんには、馬鹿にされているけれど、私とお父(とう)さんは、このエキゾチックとオリエンタルとトロピカルがブレンドされたような香りが好きだ。
 少し上(うわ)の空で、熱々の珈琲をハフハフして飲む。
 上澄(うわず)みだけを啜(すす)り飲むつもりが、ゴクリと飲み込んでしまい、少しも冷ませていない熱さに、唇と舌と口腔(こうくう)の上奥(うわおく)を一瞬で火傷(やけど)した。
 胸の内にも、熱い物の通った感じがしてヒリヒリいるから、たぶん、食道も火傷している。
 驚きで揺(ゆ)らしたマグカップの珈琲を危(あぶ)なく机の上や床に零(こぼ)しそうにもなって、自分の注意不足の迂闊(うかつ)さに気持ちは焦った。
 それなのに、弛(たる)みと危(あや)うさを反省しつつも、慌(あわ)てない振りをして、ヒリヒリと痛い唇と舌を歯で噛みながら耐える。
 部屋には、私の他に誰もいなくて、見られてもいないのに、これくらいで慌てて繕(つくろ)う自分が、何か恥ずかしくて悔(くや)しい。
 私は、考えていた。
 あいつを励ますつもりで交換したメールは、励ますどころか、私に将来を懸念させ、しっかりと、地に足を着けて考えなければならないと、逆に、あいつのはっきりした意思から悟(さと)らされてしまった。
 そして、私の不安が彷徨(さまよ)う現実まで伝えていた。
 これでは、あいつの受験勉強に、ちゃちゃを入れて邪魔しただけで、何の為にメールをしたのか分からない。
 だから、呪(のろ)いを掛けてやる。
(励ましじゃないけれど、おまじないをしてあげる)
【まだ、起きている? 伝え忘れが有ったわ。言霊(ことだま)に気を付けてね】
 あいつは、呪いの言霊を知っているだろうか?
【言霊?】
 そう、『ことだま』、言葉が持つ、呪いの力。
 それは、自分や人を操(あやつ)る御呪(おまじな)い。
 力を与えたり、安心や納得をさせたり、災(わざわ)いを齎(もたら)したりする。
【知らないの? 言った事が、本当に起きるという、呪詛(じゅそ)のアレ】
 例(たと)えば、名前。
 名前は、括(くく)りで人を縛(しば)る。
 名前が無いと、存在が不安になる。
 名前を呼ばれて、『あなたの血液型は、コレだから、コンナ性格だね』とか、言われ、それが、半分ぐらいしか思い当たらなくても、『そうなんだ』と、思い込んでしまう。
 実際は、そんなの適当に決まっている。
 内容は、誰にでも当て嵌(は)まる事ばかり。
 『キミは、ソンナで、コンナだから、将来は、ソウなる』と、言われたりしたら最悪だ。
 自分では、ソンナやコンナだと思っていなくても、それで、意識してしまって、将来がソウ為(な)るようになって行く。
【アレ? 呪詛?】
 言霊は、声による言葉だけじゃない。
 書かれた文字や文(ふみ)にも、呪力(じゅりょく)は有る。
 テレビや新聞や雑誌の運勢もそうだ。
 信じさせたり、思い込ませたりして、気持ちや気分を浮き沈みさせてくれる。
 信じる人は多く、色や小物や行いで、不吉や凶兆(きょうちょう)を回避したり、影響を少なくできると、記載されている占い文からの読み取りは、商(あきな)いや交友などの様々な交流に繋(つな)がって、広範囲な経済効果が有るみたい。
【受験で、自分や周りの人が、言ってはいけない言葉が有るでしょ。ソレよ。自分で言わないでね。現実になっちゃうわよ!】
(しっかり、縁起(えんぎ)を担(かつ)ぎなさいね! せっかく、初詣(はつもうで)で御願いしたのが、打ち消されて無効になっちゃうぞぉ!)
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 無風で今にも、深々と雪が降ってきそうな大晦日(おおみそか)の深夜、私は、お姉ちゃんと二年参(にねんまい)りの初詣に出掛けた。
 私の高校入試合格とお姉ちゃんの短大合格を、兼六園(けんろくえん)の南角に在る金澤(かなざわ)神社で祈願して来た。
 終バスで香林坊(こうりんぼう)まで行き、お姉ちゃんが常連にしている喫茶店で、熱いココアを飲みながら、時間を潰(つぶ)した。
 お姉ちゃんは、友達や知り合いだらけみたくて、既にいる何人もの御客さんや、次々と入店して来る御客さんの殆どと、挨拶(あいさつ)を交(か)わし合っている。
 深夜に、こんな、大人達ばかりの店に来るのは、大晦日で初詣だから、中学生でも無礼講(ぶれいこう)だと、私に肯定させた。
 新年のカウントダウンが、近付くにつれて、更(さら)に、日頃の常連らしい人達の来店が増え、席が足り無くて立ち客だらけの、誰もが、殆(ほとん)どオーダーをしないままにタバコを吹かし、誰のボトルとも知らない酒を注(そそ)ぎ合って、大きな声で話す、満員で騒(さわ)がしい店になった。
 暖(あたた)か目の暖房と、厨房や飲み物、食べ物から香る熱気、それに、人の熱が加わり、店内の温度は暑い。
 店内の熱い空気は、酒やタバコの臭(にお)いと、香水の香りに体臭、そして、飲食の匂いが、濃(こ)く混ざり合い、狭(せま)い空間を分厚く淀(よど)ます。
 最奥の小さなテーブルに、見知らぬ人達と相席で置いて行かれた私は、時間が経つに連(つ)れて、軽い頭痛と息の詰(つ)まる気持ちの悪さを感じ出した。
(うう……、これは、酸欠かも……)
 午前零時の年明けに鳴らす、クラッカーが配られ出した頃、お姉ちゃんに引っ張られて、店を抜(ぬ)け出し、お気に入りや拘(こだわ)りの有る神社へ初詣に向かう人達が、大勢、行き交う通りを歩く。
 初めて来た、深夜の大晦日の繁華街は、賑(にぎ)やかで騒がしくて明るい。
 そして、ウィークエンドよりも、更に、大勢の人達が、陽気に盛り上がっていて驚いた。
 歩きながら私は両手を広げて、風の無い凛(りん)と凍(い)て付く静かな冬の夜の大気を、背を反(そ)らして膨らみの乏しい胸へ大きく吸い込んで、深呼吸する。
 冷たくて新鮮な大気は、広げた肺の奥深くまで吸い込まれて、行き渡り、身体(からだ)の隅々(すみずみ)に淀んでいた、気持ちの悪い空気を一掃(いっそう)して行く。
 深夜の冷え込みで、吐(は)く息が、昼間より白くて大きな霧になり、まるで、バハムートの冷気ブレスみたくて楽しいのと、毛糸の手袋をしていても、繋ぐ手からお姉ちゃんの温(ぬく)もりを感じるのが嬉(うれ)しくて、気分はウエルカム・ハッピーニューイヤーだ。
「あの店の大晦日は、毎年、あんな感じよ。ねぇ、さっき、少し顔が青かったけど、大丈夫(だいじょうぶ)? 大勢で騒がしくって、人に酔(よ)わなかった?」
 店から連れ出した時の私に、元気が無かったのを心配して、お姉ちゃんは訊いて来る。
「平気っ、大丈夫よ」
 路面がガチガチに凍(こお)るような、冷たい世界の空気を吸い込む胸が気持ち良く、もう頭痛も、吐き気も、していない。
 金澤神社に着くと、既に、初詣に来た多くの人達が、神門の外まで列を為(な)して並んでいた。
 御参りに来ているみんなは、受験する中学生や高校生と、その親や兄弟姉妹達だ。
 直ぐそこまで迫(せま)った入試の、焦(あせ)りと不安だらけの余裕の無い厳(きび)しい心境での神頼みなのに、楽しそうな雰囲気で列は進んで行く。
ここに居る、みんなが合格すれば、良いなと思う。
 十八世紀末に、学問の神様の菅原道真(すがわらのみちざね)を奉斎して金澤神社は創建された。
 商売繁盛の白阿紫稲荷大明神(はくあしいなりだいみょうじん)、交通安全の琴平大神(こんぴらおおがみ)、災難除(よ)けの白蛇龍神(はくじゃりゅうじん)も、合わせて祀(まつ)られている。
 直ぐ横には、金沢の名になった金城霊澤(きんじょうれいたく)の湧水が在り、そこで、芋掘り籐五郎(とうごろう)が自然金を篩(ふる)い分けしていたという砂金伝説を、金沢市の歴史として小学校で習った。
 そう言えば、あいつの家の近くにも、『ショウズ』と呼ばれる浅い湧水池が在るけれど、砂金の伝承は無かったはずだ。
(ぎょっ!)
 拝殿が間近に迫った時、初詣の参拝の為に拵(こしら)えられた、向拝(こうはい)スロープを登る人達の五列ほど前に、横に並ぶ友人達と楽しそうに話す、あいつの横顔が見えた。
(おおっと、あいつも来てたんだ……。私に気付いて…… いないみたいね)
 風邪を引かないようにと、私はタートルネックのセーターを着て、胸元には冷たい風を通さないように、暖かい色合いのスカーフを付け、更に、毛糸の長いマフラーを顔までぐるぐるに巻いている。
 それに、重(かさ)ねたダッフルコートのフードを深被(ふかかぶ)りして俯き気味にしているから、あいつは、私の顔が見えていないし、気付かない。
 あいつは、一度も振り返らずにスロープを登り切り、御賽銭(おさいせん)を投げ入れて、神呼びの鈴を鳴らす。
 それから、作法通りに、敬(うやま)いの二拝(にはい)、霊振(れいふり)りの二拍手(にはくしゅ)、頭(こうべ)を垂(た)れ願い事を呟き、そして、感謝の一拝(いっぱい)をする。
 あいつが、参拝を終わる丁度その時、雪雲に覆われた冬の夜空を翔(かけ)るように、鐘の音(ね)が低く響いた。
 除夜の鐘だ。
 近くの寺が、撞(つ)いているのだろう。
 ザワザワとしていた大勢の参拝客が、みんな静かにして列を止め、百八(ひゃくやっつ)の煩悩(ぼんのう)を追い出す、百八(ひゃくはち)の鐘の音に暫(しば)し、聞き耳を立てる。
 新しい年を迎(むか)えた音だ。
 拝殿の上で振り返り、鐘の音を探るように、黒々とした夜空を仰(あお)ぎ見たあいつに、私は見付からないようにフードの襟(えり)を閉じ、俯(うつむ)いて顔を隠(かく)した。
『明けまして、おめでとう御座います』や、『本年も宜(よろ)しく御願いします』と、あちらこちらから、厳(おごそ)かに新年の挨拶が聞こえて来る。
『本当に、良い年で有りますように』と、お姉ちゃんと交わす、新年の挨拶に附け加えた。
 ビクン、着信にコートのポケットの中で、握(にぎ)り締(し)めていた携帯電話が震(ふる)えて、反射的に携帯電話を手離すくらい、びっくりした。
【迎春・二人にとって、喜(よろこ)びに満ちた年でありますように】
 間近に迫る参拝に神妙(しんみょう)な面持(おもも)ちだった私を驚かせたのは、まだ、境内(けいだい)にいるはずだと思うあいつが送った年賀状メールだった。
 たぶん、横の社務所辺りで縁起物を買っていると思う。
 年賀状に、クリスマスカードに、誕生日の御祝いに、ホワイトデーのクッキーなんて、みんながするから、私もみたいな社交辞令絡みは、いらないと伝えてあったのに、送られて来たのが、少し腹立たしい。
(あっ、クッキーは、私がチョコを渡さないから、無いわね)
 だけど、あいつは、私がこんな直ぐ近くにいる事を知らない。
 それが、秘密の悪戯(いたずら)っぽくて楽しい。
 神呼(かみよ)びの鈴を鳴らし、御賽銭は五と円の御縁(ごえん)ずくし、ゴエンの三つ重ねの硬貨三種三枚で、五百五十五円も入れて志望高校への合格、心身の健康、家族の幸せと安全を御願いをする。
 それから、参拝路の拝殿の縁(ふち)を廻り、合格の御守りと願い事を書き込む絵馬を買う為に、そして、今年一年の運勢(うんせい)を占う御神籤(おみくじ)を引く為に、社務所へ向かう。
 社務所に来ると、あいつが、購入した物の入った白い紙袋を、巫女(みこ)さんから受け取るところだった。
 紙袋の膨(ふく)らみ具合から、中身は御守りと絵馬だろう。
 見ていると、あいつは更に、御神籤を引いて行く。
 社務所脇で、買い終わったばかりの絵馬に、願い事を書こうと角(かど)を曲がった途端(とたん)、願い事を書き込んだ絵馬を手にした、あいつにぶつかりそうになった。
 ハッとして、当たる直前で停まり、直ぐに、フードで隠れた顔を俯かせて、更に逸(そ)らせる。
(なに、避(さ)けたりしてんのよ、私。あいつにドンを当たって、ビビらせてやれば、縁起担ぎになったのに……)
 ぶつかりそうになった私に、気付いたようすも無く、あいつは、友達らと絵馬を結(むす)びに行く。
(こんな間近に、私がいるのに、気付かないなんて…… おい!)
 もう、私は、見られたくないのか、見付けて欲しいのか、自分が分からない。
(せっかく、あんたから贈られた、シルクのスカーフをしてんのに……。ねぇ)
 心底、私を好きなら、闇がりで見なくても、容姿とか、気とか、匂いとかで、気付いて欲しいと思う。
 それに、心でも、私の気配を感じて欲しい。
 私に気付いた、あいつの反応も見てみたい。
 何気(なにげ)に引いた、御神籤は末吉(すえきち)だった。
 お姉ちゃんが、『気に入ったのを、引き当てるまで、何度でも引いていいのよ』なんて言うから、直(ただ)ちに強く願いながら、御神籤のリベンジをすると吉が引けた。
 末吉と吉の書かれている、両方の運勢を良く読んで、勝手に融合させて自分に納得させる。そして、  『願いは叶う。守護は、想いの人に、常に有り』の吉は、いつも身に付けているように、財布に入れて置き、『強く願えば、吉に転(てん)ずる。想いは、近付かず』の末吉の御神籤は、神様へ良い縁を結んで貰(もら)えるように願いを込めて、境内の手近な枝に結ぶ。
 例え、迷信で有ろうとも、厄払(やくばら)いができて、神様と縁が結ばれ、多くの幸いに恵(めぐ)まれたいと思う。
 『勉強の御願いは、これに触らないと叶わないよ』と、お姉ちゃんは、私を境内の脇の人だかりがしている、傍(かたわ)らの立て札に、『夢牛(ゆめうし)』と記(しる)された、丸まって眠る牛へと連れて行く。
 さっき、あいつ達も、触れていた牛の苔生(こけむ)す石像だ。
 お姉ちゃんは、偶像崇拝っぽいけど、何にでも宿(やど)り、幾つに分身しても、全部が同じ力を持つ、それが日本の神様達だからと説明して、私に合格御願いを呟きさせながら、『夢牛』さんの冷たい額(ひたい)を撫(な)でさせた。
 『夢牛』さんを撫でた後は、お姉ちゃんと絵馬を掛ける。
 さっき、お姉ちゃんに『夢牛』さんへ連れて行かれる時に、あいつらが、絵馬を掛け終わって境内から出て行くのを見ていた。
 あいつが掛けた場所へ行き、私は、あいつの絵馬を探す。
 あいつの、変形させた太い文字が、五角形の隅々まで黒々と埋め尽(つ)くして書かれた、人目(ひとめ)を引く絵馬は直ぐに見付かった。
 あいつが掛けた絵馬の掛け紐(ひも)の結び目を解(ほど)いて、私は、あいつの絵馬に私の絵馬を重ねて縛(しば)り直した。
 そして、結び直して掛けた二つの絵馬に、そっと、呪文を添(そ)える。
「二人の願いは、二人の為に! 二人とも合格して、幸せでありますように!」
 これで、祈願力は二倍、いや、二乗するから、あいつも大丈夫だろう。
 もし、あいつが転(こ)けても、あいつの祈願力は、私へ回されて合格できると思う。
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【ソレって、迷信じゃ?】
 言霊は、迷信と違う。
 根拠の無い反道徳的な知識や信仰で、日常生活に実害を為す迷信ではなくて、言霊は、暗示や諭(さと)しや願いだ。
 極め付けの迷信は、『丑(うし)の刻(こく)参り』だ。
 丑の刻参りセットの白衣を着て、頭に嵌めた鉄の輪っぱに挿(さ)した蝋燭(ろうそく)に火を灯(とも)し、鏡を胸に掛け、朱(しゅ)で顔や体を塗(ぬ)り、七日の間、午前二時の丑の刻に神社へ負の願いを参る。
 人知れず、人に見られず、無言で、境内の樹木に憎(にく)い相手の死や不幸を願いながら、藁(わら)人形を釘で打ち付けて呪う。
 でも、それだけだと、準備と作法の気遣(きづか)いをして手間と日数を掛ける割りに、効果は薄い。
 夜な夜な神社の境内で、丑の刻参りセットを使って打ち付けている藁人形の中に、呪う相手の髪の毛と写真・住所・氏名・生年月日など、呪う相手本人の情報を記載した紙片も入れ、更に、呪詛した事を呪う相手へ、電話越しや録音ボイスや呪う行為の実写真入りの文章で知らせなければ、余り効果は期待できない。
 無論、匿名(とくめい)か、無記名で知らせる。
 過激な手段で、不気味に呪われている事を知った相手は、日常的な些細(ささい)なアクシデントまで不吉なマイナスで捕(と)らえるようになる。
 マイナスは、マイナスを呼(よ)び招(まね)き、マイナスを増長してしまう。
 上手く回らない物事は、全て立ち行かなくなり、心身ともに疲れ果て、病(やまい)に陥(おちい)った相手は、やがて死に至ってしまうだろう。
 それ故に、言葉は慎重に選ばれて発せなければならない。
【そうかもね。でも、私は信じて、気を付けてるよ。それじゃ、おやすみなさい。かしこ】
 せっかく、信心深い言霊を教えたのだから、気持ちを新(あらた)める意味で、『かしこ』を末尾に添えた。
【ありがとう。僕も、言霊に気を付けるよ。では、合格発表が出るまで。恐惶敬白(きょうこうけいはく)】
(おっ! 『恐惶敬白』だなんて、やるなぁ、あいつ)
 なんだか、ボケとツッコミの相方(あいかた)っぽくて楽しい。
 それに、意外と博学だ。
 既に、おまじないが効(き)いているのかも知れない。
 これなら、きっと、二人は志望校へ合格する!
     *
 みんなに混ざって、私も自分の受験番号を、携帯電話のカメラで写真に撮る。
 受験校の校舎玄関前に特設された掲示板に、受験番号が張り出され、まだ、一限目の授業が始まったばかりみたいな時刻なのに、沢山の人達が見に来ていた。
 合格者リストは、インターネットや携帯電話の通知サービス、また、それぞれの中学校には通知が届くし、翌日の朝刊にも載る。
 それでも、私もそうだけど、たぶん、ここに来ている人達は、校内公示で、より早く見ないと気が済まなくて、安心や実感ができないのだろうと思う。
 最初は、暖かく応援してくれたお母さんに、次に静かに見守ってくれていたお父さんに、そして、アドバイスをいっぱい貰って、何でも相談したお姉ちゃんに、電話で合格を知らせた。
 それから、優(やさ)しい明千寺(みょうせんじ)の、お婆(ばあ)ちゃんと、お爺(じい)いちゃんにも電話して、最後は、あいつへメールで知らせた。
【合格したよ!】
 合格の文字を打ち込み、あいつへ送信する頃になって漸(ようや)く、寒くないのにゾクゾクする肌と深呼吸のような深い息をしているのに気付いて、合格を実感して来た。
(合格できて、良かった……。嬉しい……、本当に、凄く良かった!)
【コングラチュレーション! 僕は、これから番号を確認するところ】
 直ぐ様、予(あらかじ)め用意していたのではと疑うほど、五秒も経たない内に、あいつから『おめでとうメール』が届いた。
 その明るく勢(いきお)いの有る文面が、更に、私を嬉しくさせてくれる。
(どうか、神様。あいつも、合格していますように!)
 私にとって、最初の、はっきりとした人生の分岐は、志望高校への合格で、望んだ方へ向ける事ができたけれど、まだ、社会の仕組みが分らず、ビジョンを見出(みいだ)せない私は、嬉しい中にも、不安が募るばかりで、入試に失敗して滑り止めの私立高校へ通う、別の分岐を進む私は、どうなってしまうのだろうと考えてしまう。
 暫らくして、聞き慣(な)れたメロディーと、いつもの心地良い振動リズムを携帯電話が奏(かな)でて、あいつのメールの着信を教えた。
【僕も、受かったよ】
「おめでとう。やったね! 良かったじゃん」
 思わず、あいつの合格の知らせを表示する画面に向かって、呟いてしまった。
【おめでとう! 良かったね】
 これが二人にとって、本当におめでたいのか、どうか、分からないなと、思いながら、送信アイコンに触れた。
【言霊に気を付けたのと、金澤神社の御神籤が、大吉だった御蔭ね。私と、あんた自身と、金澤神社に感謝しなさい!】
 あいつが御神籤を結ぶのを見掛けなかったから、持ち帰ったのだと思っていた。
 持ち帰るのなら、縁起の良い大吉だろうと、鎌(かま)を掛けた。
 ついでに、感謝の気持ちを忘れずに、御礼の御参りをしなさいと、あいつに教えて遣る。
 これから私は、金澤神社で御礼の御参りを済ませてから家に帰るつもり。
【どうして、金澤神社の大吉だと、知っているんだ?】
 やはり、あいつの御神籤は大吉で、お持ち帰りをしていた。
(本当に、私に気が付かなかったんだ。ううっ、何も話さなくても、気付いて欲しかったなぁ)
 社務所脇を無警戒に曲がり出た私が、行き急(いそ)ぐあいつに、十センチで……、ううん、あと五センチでぶつかるところだった。
 ダッフルコートのフードを深く被(かぶ)って、気配を消して、影になって少し暗い場所だったけれど、それでも、抱(だ)き着く寸前になった大好きな女の子に、気付いて欲しかったと思った。
(あんたは、そんなに一生懸命に……、真剣に祈願していたんだ……)
 絵馬板の隅々まで黒々として、黒い板みたく見えるくらい、太く大きな文字で書かれた、あいつの願い事は、『市立の工業高校 機械科へ、合格させて下さい』、それから、『彼女と話せるようになりますように』と、『彼女に、僕を好きになって貰えますように』だって。
 あいつの神様への御願いは、自分の近未来の事よりも……、私への願いの方が多かった……。
 『私も、金澤神社へ二年参りに来ていて、あんたを、ずっと見ていたよ。絵馬の願い事も読んじゃった』、なんて事を、さも私が、あいつに関心が有るみたいに思われそうで、メールには打てないし、知られたくもない。
(バカ! 教えてやんない。自分で考えて知れば!)
【秘密、教えない】
 いつの日か、思い出して、二人で楽しく笑いながら話せるようになれば良いと思う。
     *
 泣かなかった卒業式が終わり、中学生で最後になる下校の道を、いつものように歩いて帰る。
 卒業式には、お母さんが仕事を休んで参列してくれていた。
 式の終了後に校舎の前で、あいつがモデルをしていた卒業記念の銅像を見ていると、『帰りに美味(おい)しい物、食べに行うか?』って、お母さんに自動車(くるま)に乗るように促(うなが)された。
 だけど私は、最後だから、一人で歩いて帰りたいと、お母さんの誘(さそ)いを断(ことわ)った。
 土台に『校訓の像』と、鋳造されたタイトルプレートの埋め込まれた銅像の男子の顔は、あいつ風だけど、かなり似(に)ていない。
 似ていたら、男子像に説教でもしてやろうかと、思っていたのに……。
 『じゃあ、買い物して、家で食べれるようにして、待っているわ。一人だから、気を付けて帰って来るのよ』
 心配しながらも、お母さんは私を一人にしてくれた。
 一人で帰るなんて、いつもの事なのに……、でも、本当は、一人で帰っていたのじゃない。
(今日も、一人で帰るのじゃないから、心配しないで)
 今、下校路の左側を、私は一人で歩く。
 そして、いつものように、向かい側の斜め前か、後ろを……、でも、今日は違う……、真向かい側を、あいつが歩いている。
 時折(ときおり)、互いの位置や動きを確認するように、チラチラと相手を見た。
 あいつが顔を、私へ向ける気配を視界の隅に感じると、私もあいつに顔を向ける。
 互いに無表情だけど、私の心の中は安らいで、二人で歩いている事に感謝していた。
 あいつも、そうだと思う。
 信号待ちや、小路での自動車や人の行き来で、相手が停まると、ワザとゆっくり歩いて、追い着いて来るのを待つ。
 もし今、この道が大通りでなくて、一車線幅しかない裏通りでも、あいつは、並んで歩くだろうか?
 並んで歩こうとするあいつを、私は避けるのだろうか?
 わからない!
 あいつの望むように、二人が寄り添って歩けるだろうか?
 親しそうに並んで歩くのを、許(ゆる)せるのか、それを望んでいたのか、私は、そうなってみないと分からない。
 高校生になれば、こんな風に通りを挟(はさ)んで歩く事も、まして、寄り添うように並んで歩く事も、無いだろう。
 だから、今ぐらいは同じ側を並んで歩いても、良いかなと思うけれど、私から声を掛けるべきなのだろうかと、素直(すなお)になれない迷いが有った。
(私からじゃないでしょう。声を掛けるとすれば、あいつからよ!)
 白山坂(はくさんざか)に繋がる石引(いしびき)一丁目の交差点を過ぎると、通りは片側一車線に狭まり、あいつは、これまでの半分の近さで真横を歩くようになる。
 私は、より近くになった、あいつの歩く姿を、まじまじと観察した。
 顎(あご)を引き締めて、少し威張(いば)ったように肩と胸を張るあいつは、手を大きく振りながら大股でズンズンと、急ぎ歩いているように見る。
 大きな手の振りの戻り返しで、手首が上に撥ねて、どことなく、ニュース映像で見た独裁政権の軍隊の行進スタイルに似ている。
(ねえ、その、可笑(おか)しい歩きって、ワザとでしょう。パロディなの?)
 ちょっとだけ、口がポカッと開いているのもあって、あいつの歩き方はユーモラスだ。
(でも、バカっぽいから、口は閉じて!)
 急ぎ歩いているようなのに、それでいて、私の歩きに合わせていてくれるのが、嬉しくて楽しいと思う。
(今までも、私の近くを、そんなふうに歩いていたんだ)
 私達は時々、相手へ顔を向ける以外に動きの変化が無いまま、黙々と歩いている。
 あと、二つのバス停を過ぎると、あいつは、家が近くになり、その方向へ通りから逸れて行く。
 あいつは、もう直ぐ、あと、五、六分ほど歩くと、私の真横からいなくなって、次に見掛けるのはストーカーでもされない限り、偶然の出逢いしかなくなってしまう。
 そう考えると、寂(さび)しさで切(せつ)なくなった。
 更に、二つ向こうのバス停まで行くと、私の家が間近になる。
 コートのポケットに突っ込んだ手の中で、携帯電話が震えてメロディーを奏でた。
 ポケットの中で携帯電話を握りながら、あいつへメールを送ろうかと思案していて、震え始めると同時にハッとして、あいつを見てしまった。
(あんたも、同じ想いだったの! だったら、さっさと行動しなさいよ!)
 あいつは、お揉(も)むろに私へ顔を向けたけど、その両手はズボンのポケットに入れられて、携帯電話は持たれていなかった。
 唖然(あぜん)とした顔を、ポケットから取り出した携帯電話の画面に向ける私を、あいつは不思議(ふしぎ)そうに見ている。
【今、どこにいるの? あと、何分ぐらいで帰ってくるの? もう直ぐ、お昼御飯ができるわよ】
 着信したメールは、あいつからではなくて、お母さんからだった。
【小立野(こだつの)三丁目、上野八幡(うえのはちまん)神社を過ぎたところ。あと、十分ほどかな】
 お母さんへ居場所を送信し終わると、あいつが右へ曲がって、家に向かう交差点に着いた。
 でも、あいつは曲がらずに、私といっしょに立ち止まり、横断歩道の信号が、青色に変わるのを待っている。
 そこで、私を見送ってくれるのだろう。
(良く登校も、下校も、いっしょになったよね。あんたが、私に合せていたんだろうけど、いっしょに帰るのも、これで最後だね……。あんたに見送られるのも……。知ってたよ。帰りが、いっしょになると、そこで、ずっと私を見送ってくれていたのを。これからは、また、いつ逢(あ)えるかわかんないけど、ストーカーはしないでね)
 信号が変わる。
 いつものように、あいつは私が見えなくなるまで、見送ってくれるのだろう、……と思った。
(えっ!)
 なのに、あいつも横断歩道を渡って、今までのように真横を歩いていた。
 そして、私を見ている。
(なんでぇ? どこまで付いて来るつもりなのよ。あそこで、見送ってくれるんじゃないのぉ?)
 携帯電話を取り出しているついでに、直ぐ様、あいつへメールした。
【そっちの、広い通りへ曲がれば、あんたの家じゃないの?】
 向かい側から、携帯電話へ着信したメロディーが聞こえて来る。
 だけど、着信メロディーは一向(いっこう)に鳴り止まなくて、苛(いら)ついた私は、あいつを睨(にら)みつけた。
(私が打ち込んでいるのを、見てたでしょ。なんで、メールを開けないのよ!)
 無表情に前を見て歩くあいつは、ワザと着信メロディーを奏でるままにしているように見えた。
 やがて、設定されたコールタイムがフルに過ぎてメロディーが鳴り止むと、あいつは、携帯電話を取り出して着信した私のメールを見た。
 笑っている。
 あいつは、私のメールを見て嬉しそうに笑っていた。
 それから、私へ返信はせずに携帯電話を仕舞い、そして、あいつを、ずっと見ていた私に笑顔を向ける。
(ななっ、なによ、あんた! なに、笑ってんのよ! 何をするつもり? まさか、私の家まで来るんじゃないでしょうね!)
 やがて、私が家に向かう右へ折れる小路に着いてしまった。
 今度こそ、お別れの時だ。
 家まで着いて来られるのは堪(たま)らない。
 あいつは、私のボディガード気取りかも知れないけど、小路は狭いから、並んで歩いたりすると、離れても、三メートルぐらいの近さになるから、イヤだ。
 それに、男子がベタベタと家の前までくっ付いて来るのを、近所の人に見られるのは恥ずかしいから困(こま)ると思った。
 まだ、私は、あいつと並んで歩くのを望んではいない。
 私は立ち止まりあいつへ向き直った。あいつは既に立ち止まって私を見ている。
 通りを挟み無言で向かい合って見詰め合う二人は、なんだか変な感じだ。
 あいつは、私から何か、別れの挨拶を言うのを待っているのだろうと思った。
 けれど、私から言うべきなのかと、躊躇(とまど)い迷ってしまう。
 私を見たままのあいつは、ゆっくりと両手を口に添えてメガホンの形を作った。
 口に両手を添えたあいつの顔が、見る見る真っ赤(まっか)になって行き、これ以上、塗り忘れの無いくらいに赤くなった頃、口が大きく開いて声が発せられようとしたその時、目の前をバスとダンプカーが交差するように通り過ぎて、その喧(やかま)しい走行音に、あいつの大きな声は掻き消されてしまった。
 大きな声だっただけの、聞き取れなかった言葉は、私を焦らせて胸を息苦しくさせる。
 掻き消された大声が、中学校の二年生と三年生を通して、私が無視して来た、あいつの想いだと解からせて、私を後悔させた。
「あっ!」
 大型車の騒音で声が掻き消されて、私が聞こえていないのに気付かないのか、二度目を発する素振りも見せずに身を翻(ひるがえ)し、あいつは後ろの台地の縁沿いを通る旧道へと駆けて行く。
「まっ、待ちなさいよ!」
 虚(むな)しさと後ろめたさ、そして、切なさが私を襲(おそ)う。
(行かせては、ダメ!)
 私は行き交う車が途切(とぎ)れたのを見計(みはか)らって通りを渡り、旧道まであいつを追い駆けた。
 けれど、既に、旧道のずっと先を、あいつは駆けていて、……とても、追い着く事はできない。
(もう一度、聞こえるように言って! ちゃんと聞くから)
「聞こえなかったよ。ねぇ、なんて言ったの?」
 とうとう私は、大声で呼び掛けた。
 でも、振り返らずにあいつは駆けて行く。あいつに聞こえているはずだと思うけれど分からない。
「さようなら。またね!」
 私は大声で叫(さけ)んだ。
 叫んでから、『またね!』を付けた自分に驚いた。
 無意識の私は、あいつに再び会いたがっている……。
(私は、あいつに…… また、会いたいと望んでいる?)
 それが、中学生のあいつを見た最後になった。
 最後はいつもと逆で、あいつを見えなくなるまで見送る、……私がいた。

 

 つづく