遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

それぞれの道 (私 中学三年生) 桜の匂い 第四章 肆

 地区割りの公立中学校校区でも、多少なりともハイレベルの高校へ生徒をより多く進学させようと、学校側はPTAを絡らめて学力アップに必死だ。学校方針から食み出す生徒がいないように、学校は生徒達への管理指導を先生に徹底させ、先生は学校方針に自分達の価値観で持つ許容枠を加えて、その許容範囲から逸脱する生徒を差別する。教育委員会方針、学校方針、先生方針に逆らうのは、社会的にドロップアウトするのだと言い包め教育していく。

『目標を決めたか?』と、先生達の誰もが訊いて来る。

 先生の問いは進学する志望校の決定だ。ハイレベルな高校の方が良いけれど、志望する生徒の学力に大きな差が有る場合、受験は容認されないし受けさせてくれない。

 ハイレベルな高校へ合格者を多く送る事が方針目的で最優先事項だ。多くの不合格者を出し、滑り止めの私立高校に入学させる事や高校浪人を発生させる事ではない。それは、先生達の成績評価と見返り報酬に直結し、決して担任しているクラスの一人一人の生徒個人の近未来や将来の姿でなく、合格実績のより大きな数値が目標だ。

 私は希望の入試校を用紙に記入する。私の成績は優秀じゃない。私の成績では頑張っても、この学校が精一杯。毎年、卒業生の半数が国公立大学へ入学する。進学率が九十五パーセントを超えるバリバリの進学校だけど、トップクラスの大学の合格者は毎年数えるほどしかいない。

 ピアニストを諦めた今、専門の音楽高校や音楽大学へ進学する意欲も失せてしまい、それに替わる人生目標も思い付かない。

(取り敢えず普通高校へ進学すれば、将来を描けれる物が有るかもね。無くても大学へ行って四年間で、そこそこの何かに出会えるだろうって感じ。あまり親の負担にならないように、できれば国公立大学が目標なんてね)

 私は御気楽に考えていた。

 先日、あいつから金沢市郊外の高校を受験するとメールが来ていた。金石の海岸に程近いところに在る市立の工業高校だ。私と同じ高校へ行くつもりはないらしい。

(大体、あいつの成績じゃ無理かもね……?。どれくらいか知らないけど……。がんばって私と同じところへ行く気が無いんだ……)

 適当にあいつの成績を推測して、私はいい加減で不満気味な理由付けをしてしまう。

     *

 真冬の深夜、窓の外が時々光る。窓を開けて見ると遠くの夜空に光る雪神鳴様だった。分厚い雪雲が全天を覆い、月や星の光りが全然無い真っ黒な空だ。ゴロゴロと遠くの雷の小さな響きを、深とした冷たい外気が雪の匂いといっしょに運んで来て、不安と希望を同時に私に抱かせた。

(この方角にあいつの家が在る……。今、あいつも起きていて、受験勉強をしているのだろうか……?)

 午前二時を過ぎたディープな時刻だけど、受験勉強をしているであろうあいつへ迷惑を省みずにメールを送って遣った。一応、励ましメールなのだけど、あいつは分かってくれるだろうか? 年明けの今は、私を含めて受験生はみんな、ラストスパートをかけている。

【あんた、高校でも美術やんの?】

 私は、あいつの創り出した作品を見るのが好きだった。別に私はあいつを好きなのじゃなくて、あいつの美術作品が好きなだけで、これからも作品を観賞する機会が有れば良いと思っているだけ。

【やらない】

 少し内向的な自閉症のオタクっぽさが有るけれど、誰かが作った規制の枠や範囲に囚われない強い自己主張で、あいつは自分の世界を持っている。美術作品が他人と違う突飛な作風なら、あいつの行動も、……私だけにかも知れないけど……、突飛に感じた。

 これから先もあいつは、もっともっと個性を作品に発揮して行くと思っていたのに、あいつは美術を『やらない』なんて、残念な文字を送信して来る。

【なんで、やんないのよ?】

 あいつはてっきり高校へ行っても美術部に入り、絵や彫刻をいろんなコンクールに応募して幾つも賞を取り、将来が有望視される芸術家の卵になるだろうと勝手に想像していた。私はそれであいつを励ますつもりだったのに……、代わりの励ましが見付からない。

【スポーツがしたい】

 体育の授業は水泳以外を鈍臭くもなく、スター的な目立ちもせず、極めて普通にあいつは熟していた。

(でも、高校生デビューできるスポーツって有るの?)

【美術の才能有んのに、勿体無いなぁ~。美大を目指せばいいのに】

 始めから洗練された作品を創造できる才能は天才だ。でも普通に秀でた才能は学ぶ事と創り続け経験で複雑さを増し、それでいてアルゴリズムされたプロセスで洗練されるのでしょう? 美大は時間や空間に於いてそういう場だと思う。

【美大は目指さない。美大に進学する目的が分からないんだ……。僕はただ、イメージを造形したいだけなんだ。造形や作画は僕の趣味だよ】

 それを言ったら私もそうだ。普通高校へ進学する意味に疑問を持ってしまう。大学を受験するだけなら高校卒の資格さえ取得すれば良い。大学を受験できる学力が有る事を、高等学校卒業程度認定試験に合格して認定証明されれば問題は無い。十六歳でも認定されるが、大学を受験するのは十八歳になってからになる。

 大学受験は一人の個人でも十分に可能だ。

 高校へ進学しなくても高校卒の資格を得て大学と学部を絞り込み、そこへ合格する為に特化させたピンポイントの受験勉強をすれば、充分に入試をクリアできると思う。だけど私は独学で三年以内に高校卒の認定を取得して、大学へ合格しようとする意欲に根性、それに自信と勇気も無かった。

【趣味でも、美大に行けば、洗練されるんじゃないの?】

 もう遣らないのじゃなくて、趣味で作品を作り続けるのを知って私は安心した。いつかまたあいつの作品を鑑賞できる機会が有るだろう。その時は今以上にもっと観る人を惹き付ける魅力有る作品になっていて欲しい。

【うーん、どうかな~。上手く伝えれないかも知れないけれど僕は、美大の科目を活かすような就職をしたくないんだ。まだ漠然としているけれど、美術と違う職に就きたいと思っている。趣味の延長ごときを親の金で四年間も大学へ行って学ぶのは、申し訳なくて耐えられないよ】

 それは私も思う。高校で目標や遣りたい事が分からないまま進学した大学の四年間で、何も見付けれない自分捜しで終わったらどうしょうかと不安になる。

【ふう~ん。いろいろ考えてんだね】

 あいつは立体を平面的に見たり、平面の絵や図を立体的に見て、そのイメージを三百六十度前後左右上下に、グルグル回し見る事が頭の中でできるのだと思う。それでも、いくら芸術が、感覚や感性が主体と言っても、ジレンマやスランプで不安になれば、専門で学んだ基礎学が役に立つだろう。

【それに、造形に特化した技巧の勉強なら独学でもできるしね。頭に浮かんだイメージを速く具現化する手段が技巧や技法なんだ。それの手持ちは多い方がいい。それは見て、触って、感じてたりして盗み学び、解らないところだけ調べて見に着けるものだと思っている】

 私が懸念する事はあいつも考えている。私も聞いたり見たりして真似をする事も有った。ただ、それを自分に馴染ませて受け入れるのに私は時間が掛かっただけ。

【そう、そうかも知れないね。私もピアノで、それを痛いほど知らされたよ……】

 自分のフィーリングに合う曲は直ぐにイメージできて練習も進んでするのに……、好きになれない曲は、いつまで経ってもさっぱり駄目だった。

【ピアノ、嫌になりそうなくらい頑張ってるんだな。大学の音楽学部を目指すんだろ? 君の夢が叶えられるように応援してるよ】

 私の事情を知らなくて、無慈悲に打たれたあいつの文字に怯んでしまう。

 既に世界的なピアニストを志す夢は、自分の才能の限界が見えた時点から、芸術大学や音楽大学を目指すのは諦めている。あいつの励ましメールは私に息苦しい戦慄を走らせた。

 ピアノに挫折した悲しい現実は、限界の近さで夢を諦めた私の弱さと脆さを、今も私が夢に向かって頑張り続けていると、信じているあいつに教えるようで嫌だった。だけど、知らせなくてもいずれあいつは気付くと思っていた。そして、私の挫折を知ったところであいつは何も言わないだろう。それも嫌だ。だから今、私はあいつに知らせる。

【ううん、残念。ピアノは八月で止めたの。自分の限界を知ったし。駄目だったの…… 私。そんなに真

剣じゃなかったんだ。……もう決めて済んだ事だから何も訊かないで!】

(どうして自分の限界を知ったのかは、訊かないで……。それをあんたに知られるのは辛いし、泣いてしまいそうだから……)

【そうなんだ……。やめていたんだ。……もう一度、君のピアノを聴きたかったのにな。小学六年生の雨の日、君が弾くピアノに凄く感動してたんだ。あのアンコールで弾こうとしていた曲を、いつか聴けるチャンスが有るかな?】

 メールの文面が私の背中をゾクゾクさせて肩筋もプルプルと痙攣させる。私もいつか機会が有れば、あいつに聴かせて遣りたいと思っていた。

(びっくりだ! あいつは覚えている。あいつの聴きたいと、私の聴かせたいが、同じ感慨を意味するのか分からないけれど、小学六年生の私が弾く『別れの曲』を聴いた、あいつの驚きの顔をもう一度見たい)

 『別れの曲』と呼ばれている旋律の正式な曲名は、『練習曲 作品十 第三番 ホ長調』。このようにショパンの曲は全て番号と調性だけで、イメージ的な曲名は付けていないと調べたインターネットのサイトや図書館の本に載っていた。それらには曲の使われていたフランス映画の原題にあった『アデュー』が『永遠の別れ』の意味だから、ストーリーの演奏されるシーンからも『別れの曲』と認識されたと記されていた。きっと日本語名のルーツはそうなのでしょう。でも、作曲イメージは当初、ときめく恋のアップテンポなメロディーにしてたかも知れない。それが、多感な二十歳前後の時代背景や境遇で経験する多くの焦燥や決別の悲しみと嘆きを、ショパンの優しくて繊細な感性は心揺さぶる美しいリズムへ変貌させて昇華させたのだと、何度も練習していて思う。

(あんたとは違う高校へ進学するから、中学卒業は別れになっちゃうわね。全然、会いたくないけど、メル友は続けさせてあげるよ)

 あの時、アンコールで弾くつもりだったのは、探し求めていた相手との突然の出逢いにときめく心の曲だ。冷める気持ちにときめく心を失う私は、想像を廻らせて曲に気持ちをシンクロさせる事ができない。

【今の私じゃ無理! いつの日か自分が変われて、ピアノを弾きたい気持ちに駆られたら、機会が有るかもね】

 そんな日が必ず来ると信じたい。

(日々、私は成長している、……のだから。……かな?)

 それは……、

(変わらせるのは、あんたかもね!)

【自分が変わる……? どういう意味?】

(私の中で、限界の境界線が見えなくなった時よ)

 将来、何かの切っ掛けでまたピアノを弾く気持ちになるかも知れない。二度と弾く事が無いと思いたくなかった。境界線なんて挫折した自分を認めたくない防壁だ。たがが中学三年生での挫折なんて、五年後や十年後には幼くて後悔するような悩みでしかなくなると思う。切っ掛けが何か分からないけど、きっとまた、楽しい気持ちでピアノを弾ける。その切っ掛けは……。

 既に導いていた意味は、あいつに教えない。

【さあね。それなら美大じゃない大学へも行かないつもり?】

 送信してから気付いた。もう高校は別々になってしまうけれど、大学は同じになって欲しいと気持ちのどこかで望んでいる私がいた。

【ああ、今のところは大学へ行く気がないんだ。受験は今だけでいいよ。三年後も受験で苦しみたくないね。勉強は嫌いだから】

(ううっ、それを言うか……。私だって億劫で憂鬱だよ)

 私が受験する普通高校は進学専門校だ。合格して入学しても三年間の大半は、大学受験の為の勉強の日々になるだろう。

 お姉ちゃんが言うような解放感や自由に満ちている四年間になるのなら、大学へ行ってみたいと思うけど、それは、それで『良いの』って気がする。でも、高校受験を間近に控えた中学三年生の私には、想像できる情報が少なくて良く分からない。

【そっか、まあ、お互い高校入試に頑張りましょう。これから合格発表が出るまでメールは無しにしてね。もう寝るわ。おやすみなさい】

(そう、お互い入試まで勉強に集中しましょう)

 受験は結果が全て! 入試が終わっても合格発表まで、期待と不安を募らせるだけの馴れ合いや、慰め合いはしない。故にメールの遣り取りは禁止する。

【ラジャー! 受験勉強に集中して頑張ろう。おやすみ】

 おやすみ……。私はもう寝るつもりだつたけれど、深夜まで受験勉強をするようになってから珈琲を飲む習慣が付いてしまい、スプーン二杯のインスタントコーヒーに角砂糖を三つと、ガバッと粉ミルクも入れたマグカップに熱湯を注ぎ、スプーンで掻き混ぜながら溶かす。まだまだ苦いと感じる珈琲はコンビニで買うコーヒー牛乳みたいにして飲む。珈琲通のお姉ちゃんやお母さんには、馬鹿にされているけれど私とお父さんはこの香りが好きだ。

 少し上の空で熱々の珈琲をハフハフして飲む。上澄みだけを啜り飲むつもりがゴクリと飲み込んでしまい、少しも冷ませていない熱さに唇と舌と口腔の上奥を一瞬で火傷した。胸の内にも熱い物の通った感じがしてヒリヒリいるから、たぶん、食道も火傷している。驚きで揺らしたマグカップの珈琲を危なく零しそうにもなった。それなのに慌てない振りをして、ヒリヒリと痛い唇と舌を歯で噛みながら耐える。部屋には私の他に誰もいなくて見られていないのに、これくらいで慌てて繕う自分が何か恥ずかしくて悔しい。

 私は考えていた。あいつを励ますつもりで交換したメールは、励ますどころか私に将来を懸念させ、しっかりと地に足を着けて考えなければならないと、逆にあいつのはっきりした意思から悟らされ、そして、私の現実まで伝えてしまった。

 これでは、あいつの受験勉強にちゃちゃを入れて邪魔しただけで、何の為にメールをしたのか分からない。だから呪いを掛けてやる。

(励ましじゃないけれど、おまじないをしてあげる)

【まだ起きている? 伝え忘れがあったわ。言霊に気を付けてね】

 あいつは呪いの言霊を知っているだろうか?

【言霊?】

 そう『ことだま』、言葉が持つ呪いの力。それは自分や人を操るおまじない。力を与えたり、安心や納得をさせたり、災いを齎したりする。

【知らないの? 言った事が本当に起きるという呪詛のアレ】

 例えば名前。名前は括りで人を縛る。無いと存在が不安になる名前を呼ばれて、『あなたの血液型はコレだから、コンナ性格だね』とか言われ、それが半分ぐらいしか思い当たらなくても、『そうなんだ』と思い込んでしまう。

 実際は、そんなの適当に決まっている。内容は誰にでも当て嵌まる事ばかり。

『キミはソンナでコンナだから、将来ソウなる』と言われたりしたら最悪だ。自分ではソンナやコンナだと思っていなくても、それで意識してしまってソウなっていく。

【アレ? 呪詛?】

 言霊は声による言葉だけじゃない。書かれた文字や文にも呪力は有る。テレビや新聞や雑誌の運勢もそうだ。信じさせたり、思い込ませたりして気持ちや気分を浮き沈みさせる。信じる人は多く、色や小物や行いで不吉や凶兆を回避したり、影響を少なくできるとあるから、商いや交流に繋がり経済効果が有るみたい。

【受験で自分や周りの人が、言ってはいけない言葉があるでしょ。ソレよ。自分で言わないでね。現実になっちゃうわよ】

(しっかり縁起を担ぎなさい。せっかく、初詣で御願いしたのが、打ち消されて無効になっちゃうぞ)

 --------------------

 今にも深々と雪が降ってきそうな大晦日の深夜、私はお姉ちゃんと二年参りの初詣に出掛けた。私の高校入試合格とお姉ちゃんの短大合格を、兼六園の南角に在る金澤神社で祈願して来た。

 終バスで香林坊まで行き、お姉ちゃんが常連にしている喫茶店で、熱いココアを飲みながら時間を潰した。お姉ちゃんは友達や知り合いだらけみたくて、何人ものお客さんと挨拶を交わし合っている。深夜にこんな大人の店に来るのは、大晦日で初詣だから中学生でも無礼講だと私に肯定させた。

 新年のカウントダウンが近付くにつれて、更に日頃の常連らしい人達の来店が増え、席が足り無くて立ち客だらけの、誰もが殆どオーダーをしないままにタバコを吹かし大きな声で話す、満員で騒がしい店になった。

 暖か目の暖房と厨房や飲み物、食べ物からの熱気、それに人の熱が加わり店内の温度は暑い。店内の熱い空気は酒やタバコの臭いと香水の香りに体臭、そして、飲食の匂いが濃く混ざり合い、狭い空間を分厚く淀ます。最奥の小さなテーブルに見知らぬ人達と相席で置いて行かれた私は、時間が経つに連れて軽い頭痛と息の詰まる気持ちの悪さを感じ出した。

 午前零時の年明けに鳴らすクラッカーが配られ出した頃、お姉ちゃんに引っ張られて店を抜け出し、お気に入りや拘りの有る神社へ初詣に向かう人々が行き交う通りを歩く。初めて来た深夜の大晦日の繁華街は賑やかで騒がしくて明るい。そして、ウィークエンドよりも大勢の人達が陽気に盛り上がっていて驚いた。

 歩きながら私は両手を広げて、風の無い凛と凍て付く静かな冬の夜の大気を、反らした胸へ大きく吸い込んで深呼吸する。冷たくて新鮮な大気は広げた肺の奥深くまで吸い込まれて行き渡り、身体の隅々に淀んでいた気持ちの悪い空気を一掃して行く。

 深夜の冷え込みで吐く息が昼間より白くて大きな霧になり、まるでバハムートの冷気ブレスみたいで楽しいのと、毛糸の手袋をしていても繋ぐ手からお姉ちゃんの温もりを感じるのが嬉しくて、気分はウエルカム・ハッピーニューイヤーだ。

「あの店の大晦日は、毎年、あんな感じ。ねぇ、大丈夫? 大勢で騒がしくって、人に酔わなかった?」

 店から連れ出した時の私に元気が無かったのを心配して、お姉ちゃんは訊いて来る。

「平気っ、大丈夫よ」

 路面がガチガチに凍るような、冷たい世界の空気を吸い込む胸が気持ち良く、もう頭痛も吐き気もしていない。

 金澤神社に着くと既に初詣に来た多くの人達が神門の外まで列を為して並んでいた。みんな受験する中学生と高校生とその親や兄弟姉妹達だ。直ぐそこまで迫った入試で焦りと不安だらけの厳しい心境での神頼みなのに、楽しそうな雰囲気で列は進んで行く。ここに居るみんなが合格すれば良いなと思う。

 十八世紀末に学問の神様の菅原道真を奉斎して金澤神社は創建された。商売繁盛の白阿紫稲荷大明神、交通安全の琴平大神、災難除けの白蛇龍神も合わせて祀られている。直ぐ横には金沢の名になった金城霊澤の湧水が在り、そこで芋掘り籐五郎が自然金を篩い分けしていたという、砂金伝説を金沢市の歴史として小学校で習った。そう言えば、あいつの家の近くにもショウズと呼ばれる浅い湧水池が在るけれど、砂金の伝承は無かったはずだ。

(ぎょっ!)

 拝殿が間近に迫った時、初詣の参拝の為に拵えられた向拝スロープを登る五列ほど前に、横に並ぶ友人達と楽しそうに話す、あいつの横顔が見えた。

(おっと、あいつも来てたんだ……。私に気付いて…… いないみたいね)

 風邪を引かないようにと、タートルネックのセーターを着て胸元には冷たい風を通さないように、暖かい色合いのスカーフを付け、更に毛糸の長いマフラーを顔までぐるぐるに巻いている。それに、重ねたダッフルコートのフードを深被りしているから、あいつは私を見えていないし気付かない。

 あいつは一度も振り返らずにスロープを登り切り御賽銭を投げ入れて鈴を鳴らす。それから作法通りに敬いの二拝、霊振りの二拍手、頭を垂れ願い事を呟き、そして感謝の一拝をする。

 あいつが参拝を終わる丁度その時、雪雲に覆われた冬の夜空を翔るように鐘の音が低く響いた。除夜の鐘だ。近くの寺が撞いているのだろう、ザワザワとしていた大勢の参拝客がみんな静かにして列を止め、百八の煩悩を追い出す百八の鐘の音に暫し聞き耳を立てる。新しい年を迎えた音だ。

 拝殿の上で振り返り鐘の音を探るように黒々とした夜空を仰ぎ見たあいつに、私は見付からないようにフードの襟を閉じ、俯いて顔を隠した。

『明けまして、おめでとう御座います』や、『本年も宜しく御願いします』と、あちらこちらから厳かに新年の挨拶が聞こえて来る。

『本当に良い年で有りますように』、お姉ちゃんと交わす新年の挨拶に附け加えた。

 ビクン、着信にコートのポケットの中で握り締めていた携帯電話が震えて、反射的に携帯電話を手離すくらいびっくりした。

【迎春・二人にとって、喜びに満ちた年でありますように】

 間近に迫る参拝に神妙な面持ちだった私を驚かせたのは、まだ境内にいるはずのあいつが送った年賀状メールだった。たぶん、横の社務所辺りで縁起物を買っていると思う。年賀状にクリスマスカードや誕生日の御祝いとホワイトデーのクッキーなんて、みんながするから私もみたいな社交辞令絡みはいらないと伝えてあったのに、送って来たのが少し腹立たしい。

(あっ、クッキーは、チョコを渡さないから無いわね)

 だけどあいつは、私がこんな直ぐ近くにいる事を知らない。それが秘密の悪戯っぽくて楽しい。

 神呼びの鈴を鳴らし、御賽銭は五と円の御縁ずくし、ゴエンの三つ重ねの硬貨三種三枚で五百五十五円も入れて志望高校への合格、心身の健康、家族の幸せと安全を御願いをする。それから参拝路の拝殿の縁を廻り、合格の御守りと願い事を書く絵馬を買うのに、そして、今年一年を占う御神籤を引く為に社務所へ向かう。

 社務所に来ると、あいつが購入した物の入った白い紙袋を、巫女さんから受け取るところだった。紙袋の膨らみ具合から中身は御守りと絵馬だろう。見ているとあいつは更に御神籤を引いて行く。

 社務所脇で買い終わったばかりの絵馬に、願い事を書こうと角を曲がった途端、願い事を書き込んだ絵馬を手にしたあいつにぶつかりそうになった。

 ハッとして当たる直前で停まり、直ぐにフードで隠れた顔を俯かせ更に逸らす。

(なに避けたりしてんのよ私。あいつにドンを当たってビビらせてやれば、縁起担ぎになったのに……)

 ぶつかりそうになった私に気付いたようすも無く、あいつは友達らと絵馬を結びに行く。

(こんな間近に私がいるのに、気付かないなんて…… おい!)

 もう私は、見られたくないのか、見付けて欲しいのか、自分が分からない。

(せっかく、あんたから贈られたシルクのスカーフをしてんのに……。ねぇ)

 心底、私を好きなら闇がりで見なくても、容姿とか、気とか、匂いとかで気付いて欲しいと思う。私に気付いたあいつの反応も見てみたい。

 何気に引いた御神籤は末吉だった。お姉ちゃんが、

『気に入ったのを引き当てるまで、何度でも引いていいのよ』なんて言うから、直ちに強く願いながら御神籤のリベンジをすると吉が引けた。末吉と吉の書かれている両方の運勢を良く読んで勝手に融合させて自分に納得させる。そして、『願いは叶う。守護は想いの人に常に有り』の吉は、いつも身に付けているように財布に入れて置き、『強く願えば吉に転ずる。想いは近付かず』の末吉の御神籤は、神様へ良い縁を結んで貰えるように願いを込めて境内の手近な枝に結ぶ。例え、迷信で有ろうとも厄払いができて、神様と縁が結ばれ多くの幸いに恵まれたいと思う。

『勉強の御願いは、これに触らないと叶わないよ』と、お姉ちゃんは私を境内の脇の人だかりがしている、傍らの立て札に『夢牛』と記された丸まって眠る牛へと連れて行く。さっき、あいつ達も触れていた牛の苔生す石像だ。

 お姉ちゃんは偶像崇拝っぽいけど、何にでも宿り幾つに分身しても全部が同じ力を持つ、それが日本の神様達だからと説明して、私に合格御願いを呟きながら『夢牛』さんの冷たい額を撫でさせた。

 『夢牛』さんを撫でた後はお姉ちゃんと絵馬を掛ける。さっきお姉ちゃんに『夢牛』さんへ連れて行かれる時に、あいつらが絵馬を掛け終わって境内から出て行くのを見ていた。あいつが掛けた場所へ行き、私はあいつの絵馬を探す。変形させ太く書かれた文字で五角形の隅々まで埋め尽くされ、黒々と目を引くあいつの絵馬は直ぐに見付かった。

 あいつが掛けた結び目を解いて、私はあいつの絵馬に私の絵馬を重ねて縛る。そして結び直して掛けた二つの絵馬に、そっと呪文を添えた。

「二人の願いは、二人の為に! 二人とも合格して幸せでありますように!」

 これで祈願力は二倍、いや二乗するからあいつも大丈夫だろう。もし、あいつが転けても、あいつの祈願力は私へ回されて合格できると思う。

 --------------------

【ソレって迷信じゃ?】

 言霊は迷信と違う。根拠の無い反道徳的な知識や信仰で、日常生活に実害を為す迷信ではなくて、言霊は暗示や諭しや願いだ。

 極め付けの迷信の『丑の刻参り』だ。丑の刻参りセットの白衣を着て、頭に嵌めた鉄の輪っぱに蝋燭を灯し、鏡を胸に掛け、朱で顔や体を塗り、七日の間、午前二時の丑の刻に神社へ負の願いを参る。人知れず、人に見られず、無言で境内の樹木に憎い相手の死や不幸を願いながら、藁人形を釘で打ち付けて呪う。でも、それだけだと気遣いをして手間と日数を掛ける割りに効果は薄い。

 夜な夜な神社の境内で丑の刻参りセットを使い、打ち付けている藁人形の中に呪う相手の髪の毛と写真・住所・氏名・生年月日など呪う相手本人の情報を記載した紙片も入れ、更に呪詛した事を呪う相手へ、電話越しや生声や実写真入りの文章で知らせなければ効果は期待できない。無論、匿名か無記名で知らせる。

 過激な手段で不気味に呪われている事を知った相手は、日常的な些細なアクシデントまで不吉なマイナスで捕らえるようになる。マイナスはマイナスを呼び招きマイナスを増長してしまう。上手く回らない物事は全て立ち行かなくなり、心身ともに疲れ果て病に陥った相手は、やがて死に至ってしまうだろう。

 それ故に、言葉は慎重に選ばれて発せなければならない。

【そうかもね。でも、私は信じて気を付けてるよ。それじゃ、おやすみなさい。かしこ】

 せっかく、信心深い言霊を教えたのだから、気持ちを新める意味で『かしこ』を末尾に添えた。

【ありがとう。僕も言霊に気を付けるよ。では合格発表が出るまで。恐惶敬白】

(おっ! 『恐惶敬白』だなんて、やるなぁ、あいつ)

 なんだかボケとツッコミの相方っぽくて楽しい。それに意外と博学だ。既におまじないが効いているのかも知れない。これなら、きっと二人は志望校へ合格する!

     *

 みんなに混ざって私も自分の受験番号を携帯電話のカメラで写真に撮る。受験校の校舎玄関前に特設された掲示板に受験番号が張り出され、まだ一限目の授業が始まったばかりみたいな時刻なのに、沢山の人達が見に来ていた。

 合格者リストはインターネットや携帯電話のサービス、それぞれの中学校には通知が届くし、翌日の朝刊にも載る。それでも、私もそうだけど、たぶん、ここに来ている人達は、校内公示でより早く見ないと気が済まなくて、安心や実感ができないのだろうと思う。

 最初は、暖かく応援してくれたお母さんに、次に静かに見守ってくれていたお父さんに、そして、アドバイスをいっぱい貰って何でも相談したお姉ちゃんに、電話で合格を知らせた。それから優しい明千寺のお婆ちゃんと、お爺いちゃんにも電話して、最後はあいつへメールで知らせた。

【合格したよ!】

 合格の文字を打ち込み、あいつへ送信する頃になってようやく、寒くないのにゾクゾクする肌と深呼吸のような深い息をしているのに気付いて、合格を実感して来た。

(合格できて良かった……。嬉しい……、本当に良かった!)

【コングラチュレーション! 僕はこれから番号を確認するところ】

 直ぐ様、予め用意していたのではと疑うほど、五秒も経たない内にあいつから『おめでとうメール』が届いた。その明るく勢いの有る文面が私を更に嬉しくさせてくれる。

(どうか、神様。あいつも合格していますように!)

 私にとって最初のはっきりとした人生の分岐は、志望高校への合格で望んだ方へ向けれたけれど、まだ社会の仕組みが分らず、ビジョンを見出せない私は嬉しい中にも不安が募るばかりで、入試に失敗して滑り止めの私立高校へ通う、別の分岐を進む私はどうなってしまうのだろうと考えてしまう。

 暫らくして聞き慣れたメロディーといつもの心地良い振動リズムを、携帯電話が奏でてあいつのメールの着信を教えた。

【僕も受かったよ】

「おめでとう。やったね! 良かったじゃん」

 思わずあいつの合格の知らせを表示する画面に向かって呟いてしまった。

【おめでとう! 良かったね】

 これが二人にとって、本当におめでたいのかどうか分からないなと、思いながら送信アイコンに触れた。

【言霊に気を付けたのと、金澤神社の御神籤が大吉だった御蔭ね。私と、あんた自身と、金澤神社に感謝しなさい!】

 あいつが御神籤を結ぶのを見掛けなかったから、持ち帰ったのだと思っていた。持ち帰るのなら縁起の良い大吉だろうと鎌を掛けた。ついでに感謝の気持ちを忘れずに御礼の御参りをしなさいと、あいつに教えて遣る。これから私は金澤神社で御礼の御参りを済ませてから家に帰るつもり。

【どうして、金澤神社の大吉だと知っているんだ?】

 やはり、あいつの御神籤は大吉で、お持ち帰りをしていた。

(本当に、私に気が付かなかったんだ。ううっ、何も話さなくても気付いて欲しかったな)

 社務所脇を無警戒に曲がり出た私が行き急ぐあいつに、十センチで…… ううん、あと五センチでぶつかるところだった。ダッフルコートのフードを深く被って、気配を消して、少し暗く影になった場所だったけど、でも、抱き着く寸前になった大好きな女の子に気付いて欲しかったと思った。

(あんたは、そんなに一生懸命に……、真剣に祈願していたんだ……)

 絵馬板の隅々まで黒々として見えるくらい、太く大きな文字で書かれたあいつの願い事は、『市立の工業高校 機械科へ合格させて下さい』それから、『彼女と話せるようになりますように』と、『彼女に僕を好きになって貰えますように』だって。……私への願いの方が多かった。

 私も金澤神社へ二年参りに来ていて、『あんたを、ずっと見ていたよ。絵馬の願い事も読んじゃった』なんて事を、さも私が、あいつに関心が有るみたいに思われそうで、メールには打てないし知られたくもない。

 (バカ! 教えてやんない。自分で考えて知れば!)

【秘密、教えない】

 いつの日か、思い出して二人で楽しく笑いながら話せるようになれば良いと思う。

     *

 泣かなかった卒業式が終わり、中学生で最後になる下校の道をいつものように歩いて帰る。卒業式にはお母さんが仕事を休んで参列してくれていた。式の終了後に校舎の前で、あいつがモデルをしていた卒業記念の銅像を見ていると、『帰りに美味しい物、食べに行うか?』って、お母さんに自動車に乗るように促された。だけど、私は最後だから一人で歩いて帰りたいとお母さんの誘いを断った。

 土台に『校訓の像』と鋳造されたタイトルプレートの埋め込まれた銅像の男子の顔は、あいつ風だけど似ていない。似ていたら男子像に説教でもしてやろうかと思っていたのに……。

『じゃあ、買い物して家で食べれるようにして待っているわ。一人だから気を付けて帰って来るのよ』と心配しながらも、お母さんは私を一人にしてくれた。一人で帰るなんていつもの事なのに……、でも、本当は一人で帰っていたのじゃない。

(今日も一人で帰るのじゃないから、心配しないで)

 今、下校路の左側を私は一人で歩く。そして、いつものように向かい側の斜め前か後ろを……、でも今日は違う……、真向かい側をあいつが歩いている。時折、互いの位置や動きを確認するようにチラチラと相手を見た。あいつが顔を向ける気配を視界の隅に感じると、私もあいつに顔を向ける。互いに無表情だけど私の心の中は安らいで感謝していた。あいつもそうだと思う。

 信号待ちや、小路での自動車や人の行き来で相手が停まると、ワザとゆっくり歩いて追い着くのを待つ。

 もし今、この道が大通りでなくて一車線幅しかない裏通りでも、あいつは並んで歩くだろうか? 並んで歩こうとするあいつを私は避けるのだろうか? わからない! あいつの望むように二人が寄り添って歩けるだろうか? 許せるのか、望んでいたのか、私はそうなってみないとわからない。

 高校生になれば、通りを挟んでこんな風に歩く事も、まして寄り添うように並んで歩く事も無いだろう。だから、今ぐらいは同じ側を並んで歩いても良いかなと思うけれど、私から声を掛けるべきなのだろうかと、素直になれない迷いが有った。

(私からじゃないでしょう。声を掛けるとすれば、あいつからよ!)

 白山坂に繋がる石引一丁目の交差点を過ぎると通りは片側一車線に狭まり、あいつはこれまでの半分の近さで真横を歩く。私は近くなったあいつの歩く姿をまじまじと観察した。

 顎を引き締めて少し威張ったように肩と胸を張るあいつは、手を大きく振り大股でズンズンと急ぎ歩いているように見る。大きな手の振りの戻り返しで手首が上に撥ねて、どことなくニュース映像で見た独裁政権の軍隊の行進スタイルに似ている。

(ねえ、その可笑しい歩きって、パロディなの?)

 ちょっとだけ口がポカッと開いているのもあって、あいつの歩きはユーモラスだ。

(でも、バカっぽいから口は閉じて!)

 それでいて、私の歩きに合わせていてくれるのが嬉しくて楽しいと思う。

(今までも私の近くを、そんなふうに歩いていたんだ)

 私達は時々、相手へ顔を向ける以外に動きの変化が無いまま黙々と歩いている。あと二つもバス停

を過ぎるとあいつは、家が近くになるから通りから逸れて行く。もう五、六分であいつは真横からいなくなって、次に見掛けるのはストーカーでもされない限り偶然の出逢いしかなくなってしまう。そう考えると寂しさで切なくなった。更に二つ向こうのバス停まで行くと私の家が間近になる。

 コートのポケットに突っ込んだ手の中で携帯電話が震えメロディーを奏でた。携帯電話を握りながらあいつへメールを送ろうかと思案していて、震え始めると同時にハッとしてあいつを見てしまった。

(あんたも同じ想いだったの! だったらさっさと行動しなさいよ!)

 あいつはお揉むろに私へ顔を向けたけど、その両手はズボンのポケットに入れられて、携帯電話は持たれていなかった。唖然とした顔をポケットから取り出した携帯電話の画面に向ける私を、不思議そうにあいつは見ていた。

【今、どこにいるの? あと何分ぐらいで帰ってくるの? もう直ぐ、お昼御飯ができるわよ】

 着信したメールは、あいつからではなくてお母さんからだった。

【小立野三丁目、上野八幡神社を過ぎたところ。あと十分ほどかな】

 お母さんへ居場所を送信し終わると、あいつが右へ曲がって家に向かう交差点に着いた。でも、あいつは曲がらずに私といっしょに立ち止まり、横断歩道の信号が青色に変わるのを待っている。そこで私を見送ってくれるのだろう。

(良く登校も、下校も、いっしょになったよね。あんたが私に合せていたんだろうけど、いっしょに帰るのもこれで最後だね……、あんたに見送られるのも……。知ってたよ。帰りがいっしょになると、そこでずっと私を見送ってくれていたのを。これからは、またいつ逢えるかわかんないけど、ストーカーはしないでね)

 信号が変わる。いつものように、あいつは私が見えなくなるまで見送ってくれるのだろう。……と思ったのに、

(えっ!)

 あいつも横断歩道を渡って今までのように真横を歩いていた。そして私を見ている。

(なんでぇ? どこまで付いて来るつもりなのよ。あそこで見送ってくれるんじゃないのぉ?)

 携帯電話を取り出しているついでに、直ぐ様あいつへメールした。

【そっちの広い通りへ曲がれば、あんたの家じゃないの?】

 向かい側から携帯電話へ着信したメロディーが聞こえて来る。だけど着信メロディーは一向に鳴り止まなくて、苛ついた私はあいつを睨みつけた。

(私が打ち込んでいるのを見てたでしょ。なんでメールを開けないのよ!)

 無表情に前を見て歩くあいつは、ワザと着信メロディーを奏でるままにしているように見えた。やがて、設定されたコールタイムがフルに過ぎて、メロディーが鳴り止むと携帯電話を取り出して、あいつは着信した私のメールを見た。

 笑っている。あいつは私のメールを見て嬉しそうに笑っていた。それから私へ返信はせずに携帯電話を仕舞い、そして、ずっとあいつを見ていた私に笑顔を向ける。

(ななっ、なによ、あんた! なに笑ってんのよ。何をするつもり? まさか、私の家まで来るんじゃないでしょうね)

 やがて私が家に向かう右へ折れる小路に着いてしまった。今度こそ、お別れの時だ。家まで着いて来られたのでは堪らない。あいつは私のボディガード気取りかも知れないけど、小路は狭いから並んで歩くと、離れても三メートルぐらいしかないからイヤだ。それに男子が家の前までベタベタとくっ付いて来るのを、近所の人に見られると恥ずかしいから困る。

 まだ私は、あいつと並んで歩くのを望んではいない。私は立ち止まりあいつへ向き直った。あいつは既に立ち止まって私を見ている。通りを挟み無言で向かい合って見詰め合う二人は、なんだか変な感じだ。

 あいつは私から何か別れの挨拶を言うのを待っているのだろうと思った。けれど、私から言うべきなのかと、躊躇い迷ってしまう。

 私を見たままのあいつは、ゆっくり両手を口に添えてメガホンの形を作った。口に両手を添えたあいつの顔が見る見る真っ赤になって行き、これ以上、塗り忘れの無いくらいに赤くなった頃、口が大きく開いて声が発せられようとしたその時、目の前をバスとダンプカーが交差するように通り過ぎて、その喧しい走行音に、あいつの大きな声は掻き消されてしまった。

 大きな声だっただけの聞き取れなかった言葉は、私を焦らせて胸を息苦しくさせる。掻き消された大声が、中学校の二年生と三年生を通して、私が無視して来たあいつの想いだと解からせて、私を後悔させた。

「あっ!」

 大型車の騒音で声が掻き消されて、私が聞こえていないのに気付かないのか、二度目を発する素振りも見せずに身を翻し、あいつは後ろの台地の縁沿いを通る旧道へと駆けて行く。

「まっ、待ちなさいよ!」

 虚しさと後ろめたさ、そして、切なさが私を襲う。

(行かせてはダメ!)

 私は行き交う車が途切れたのを見計らって通りを渡り、旧道まであいつを追い駆けた。けれど、既に旧道のずっと先をあいつは駆けていて、……とても追い着く事はできない。

(もう一度、聞こえるように言って! ちゃんと聞くから)

「聞こえなかったよ。ねぇ、なんて言ったの?」

 とうとう私は大声で呼び掛けた。でも、振り返らずにあいつは駆けて行く。あいつに聞こえているはずだと思うけれど分からない。

「さようなら。またね!」

 私は大声で叫んだ。叫んでから『またね!』を付けた自分に驚いた。無意識の私はあいつに再び会いたがっている……。

(私は、あいつに…… また、会いたいと望んでいる?)

 それが中学生のあいつを見た最後になった。最後はいつもと逆で、あいつを見えなくなるまで私が見送っていた。

 

 ---つづく