遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

性格ブス (私 中学三年生) 桜の匂い 第四章 弐

 ピアノ演奏で、得意な曲が十曲ほど有っても、全然ダメだ。
 ただ、弾(ひ)きたい曲だけを、遊び半分で習っていただけの私は、基礎が全(まった)く解っていなかった。
 お姉(ねえ)ちゃんの友達に、基礎をしっかり教えて貰(もら)ったつもりだったけれど、それは、当時、中学一年生だったお姉ちゃんの友達の指導で、小学四年生の私が、理解した程度の基礎でしかなかった。
 多くの練習曲に、私の指は動いてくれない。
 指が速く動かなくて、音を出せていないのが分かった。
 リズムに乗れなくて、体が拒否しているみたいだ。
 意識して動かそうとすれば、するほど、手の動きまでぎこちなくなってしまう。
 そんな、不安を問う私に、ピアノ教室の先生は、『とても上達していますよ。もう少し、練習するだけで、また、発表会で上位に入りますね』と、言ってくれる。
 『素敵に弾くね』、時々いっしょになる社会人の男の人が、誉(ほ)めてくれた。
 『お姉ちゃんの音、綺麗(きれい)な音』、幼(おさな)い女の子が、私の音色(ねいろ)に憧(あこが)れている。
 『あなた上手(じょうず)よ』、一つ年上の、私より、ずっとハイレベルな女子高校生が、笑顔で声を掛けてくれる。
 『あのお姉さんのように弾けるといいね』、小学生の男の子を連(つ)れた、お母さんが言っていた。
 私のピアノを聴(き)いた人は、一様に低い評価をしない。
 誉められるのは嬉(うれ)しいけれど、これ以上、ピアノは上手にならないと思っていた。
 上達するにしても、ジリジリとしか進歩しなくて、ジレンマに陥(おちい)る私は、きっと、ピアノが嫌(きら)いになる。
 私は、弾けるピアノの限界に気付いて、既(すで)に、ピアノレッスンは苦痛になっていた。
 笑顔で声を掛けてくれた女子高校生のレベルになるのは、もう無理だと思う。
 私は、ピヤニストにはなれないと思う。
 金沢(かなざわ)市内や石川(いしかわ)県内での地方コンクールなら、何度か、決勝に残れていたけれど、全国レベルの大会では予選通過が精一杯で、一度も、地方代表の決勝まで達(たっ)してはいない。
 それが、私の実力で、才能の限界だった。
 私の夢は、現実を知らない子供の想像でしかなかった。
 私のピアニストになる夢は、諦(あきら)めるしかないと思う。
 努力だけでは、できない事が有るのを思い知らされた。
 完全にピアノが嫌いになる前に、週二回のレッスンを一度も休まずに通(かよ)っているピアノ教室を辞める事にした。
 私にとって、悲(かな)しい初めての挫折だった。
 ピアノへ注(そそ)いでいた情熱は薄れ、才能の無さが、探し求める自分を見失なわせる悔(くや)しさと不安に、私は泣いてしまう。
 七月初めに開催される、学年別クラス対抗の合唱コンクールのピアノ伴奏者に、自(みずか)ら名乗り出たら、すんなりと私に決まった。
 既に、ピアノ教室は辞めていたけれど、ピアノを辞める最後に大勢の前で弾きたい。
 コーラスの伴奏だから、自己主張はできないけれど、それで、、もう、私の気持ち的にはピアノを弾かないつもり。
     *
【見えない赤い糸の絆(きずな)って、信じていますか?】
 何の脈絡も無く、あいつから、運命の赤い糸の信憑性を問うアンケートメールみたいのが来た。
 捻(ひね)りが足(た)りな過ぎて、あいつの意図が見え見えだ。
(これって、赤い糸で繋(つな)がる男女は、結(むす)ばれる運命にあるっていう、占いか呪いの類(たぐ)いでしょう)
 去年の春休みに読んだライトノベルにも、赤い糸の事が書かれいて、その、不思議(ふしぎ)さに興味を持った私はインターネットで調べていた。
 赤い糸の絆は、中国の古い伝承で、年寄りの姿をした婚姻の寿神(ことぶきがみ)が持つ縁結びの糸が赤く見えて、両端が、それぞれ、夫婦になる運命の男女に結ばれると、見え無くなると記(しる)されていた。
 赤い糸は、今に伝えられる左手の小指じゃなくて、足首だそうで、どちらの足か知らないけれど、まるで重い枷(かせ)のようだ。
 伝承は、結婚して幸せに暮らす赤い糸で結ばれた二人なのに、夫が妻の隠(かく)していた秘密を見て、人非人の罪を自白する話だった。
 妻は、夫が部下に命じて、殺させたはずの幼女。
 妻の秘密は、顔に残る、殺され掛けた時の刃傷だ。そして、夫は自分を殺そうとした男……。
 顔を刺したなんて、凄(すご)く残忍なシュールさに、気持ちが悪くなってしまう。
 いくら赤色が寿な色で、運命的に結ばれた一夫一婦制の二人でも、伝承のような、幸せな日々を覆(くつがえ)すような告白の結末なんて、私が妻なら、自殺したくなるくらいで、巡(めぐ)り合わせの運命を呪いたい。
 呪いながらも、人非人を告白された後も、添(そ)い遂(と)げ続ける運命なのだろうなと考えてしまう。でも、それは、互いにとって決して幸せじゃないと思う。
 伝承は極端な例(たと)え話だけど、そんな、非情な運命も、赤い糸で結ばれた由縁というならば、赤い糸を結ばれるのも、赤い糸で繋げられるのも、私はお断(ことわ)りだ。それに、未来は既に決まっていて変えられないみたいな、無常観や色即是空感に陥りそうで厭(いや)らしい!
【そういうのって、有るのかも知んないけど……。見えない糸なのに、赤色って分かるのは、なぜ? なんで、赤くて糸なのよ?】
 訊(き)かれた以上は、一応、答えるけれど、今は興味が全然無くて、ワザと適当な質問を返しをして遣(や)る。そんな糸が、有ろうと、無かろうと、見えようが、見えまいが、私にはどうでも良かった。
 定められた運命なんて、知らないし、考えたくも無い。
【さぁ? そう一般的には言われているけど、単純に目立つから、赤いのだと思うよ。色も、糸も、見た人の例えれる知識が、そこまでだったんだろう。うーん、ごめんなさい。本当は知らないです】
 知らないくせに、適当な返答を寄越すあいつに腹が立つ。たぶん、赤いのは寿カラーだからで、糸は麻や木綿じゃなくて、丈夫(じょうぶ)で艶々(つやつや)した高貴な絹糸っぽいのをイメージしていると思う。
(大体、運命ってなによ! 赤い糸で結ばれている相手は、……変えられないの?)
 あいつの事だから、赤い糸の絆を意識して、私と結ばれると思っているに違いなくて、そんな、あいつが抱(いだ)く根拠の無い幻想に、私は巻き込まれたくない。
【もしかして、私と見えない赤い糸で、繋がっていると思っているの? 確(たし)かにいろいろ有ったけどさぁ、あんたと私に、絆なんか無いから。赤い糸なんか、見えても、見えなくても、無いからね】
 否定し、突き放す、幻想を見させない薄情で酷(ひど)い内容を送り付けてしまったと思うけれど、私の冷たい感情は、あいつへ、拒否の追い討ちを掛けさせる。
【あんたが、私と赤い糸で結ばれているって、信じ込んじゃうと、それ、呪(のろ)いになるから、本当に止(や)めてよ。呪われるなんてイヤよ! それに、キモイから】
 送信してから、『しまった! 言い過ぎた!』と、思った。
(『キモイ』は良くないわ。その『キモイ』のと、私はメル友してるんだっけ……)
【あんたと、私の糸は、赤くないわね。……今のところは】
 直(す)ぐに遠まわしの取り繕(つくろ)いメールで補完する。だけど、これはこれで、テレが入って脈有りって期待を持たれそう。
 何度か読み直(なお)して、『今のところは』も、取り消して補完しようとパネルに触(ふ)れ掛けた時に、あいつから図に乗った返信が来た。
【ほんのちょっとでも、うっすく赤くなってない? ピンクっぽくもない?】
 私は唇(くちびる)を噛んだ。
 本当は、私の迷い色が付いていて、少しは、迷いの色に赤色も混(ま)ざっていると思う。
【全然、なってないわよ!】
 送り終わっても、私は、唇を噛み続けている。
 完全否定して遣ったのに、何故(なぜ)か悔しい。
 返信をし過ぎてしまった。
 あいつを意識しているのが、気付かれたかも知れない。
『あんた、なんか、勘違(かんちが)いしてるんじゃないの?』も、付け加えて遣れば良かった。でも、それをしてしまうと、テーマが堂々巡りになりそうな気がして、尚(なお)も、パネルの文字アイコンにタッチしようとした指をずらして触れた、電源アイコンをオフにする。
(なっ、なに意識してんのよ、私! あいつの冗談みたいな、釣りメールにマジ答えして……。バッカじゃないの)
 電源を切った携帯電話をベッドの上へ投げ付けて、今日のメールは終わりにした。
 続けても、ツンデレっぽさが強まるだけで、いつ、あいつを意識しているのを曝(さら)け出してしまうか分らない。それに、今日はもう、あいつからのメールは来(こ)ないと思う。
     *
 学校行事のコーラス祭は、春先のピアノコンクールが行われていた市内の多目的ホールで、毎年開催される。
 自薦(じせん)して選ばれた、コーラス伴奏のピアノ演奏は、リズム重視で、個性的な主張は抑(おさ)えなければならない。
 何の感動や感傷も無かった。
 手の動きがリズムに呑(の)まれて、指が余計にキーを押さえようとするのを懸命に抑えながら弾いた。
 いつもは、曲の流れを、指や身体(からだ)が独(ひと)りでに音を先読みして、楽譜を読む視覚や音を感じる聴覚で、脳が判断するよりも速く、指がキーを敲(たた)いてしまうのに……。
 コーラスが歌い終わり、私のピアノ伴奏も、ラストの一音が余韻を響(ひび)かせて終了した。
 伴奏はノーミスで、上手(うま)く弾けて完璧だった。
 トレースするだけの発表会では、間違いなく高得点だろう。
 指の走りを抑えた演奏は、全然、感情移入をできなくて、結局、最後のピアノと決めたコーラス伴奏は、ピアノ教室を辞めようと思った時と同じように、フラストレーションだけを残した。
 伴奏中は何度も、コンダクターを見る視線を客席に流して、あいつを探(さが)した。
 きっと、あいつは、私を食い入るように見ていて、いつ、私が敲くピアノの音が以前のように響かすのか、期待を込めて聞き耳を立てているだろうと、その、表情が気になった。
 絶対、三年前のような驚(おどろ)きと感慨が籠(こ)もった瞳(ひよみ)で見ていなくて、インパクトの無い響かない音色にがっかりして曇り、憂(うれ)いた暗い顔で、私を見ているだろうと思った。
 コンダクターに促(うなが)されて、みんなといっしょに起立する。
 今も、客席の大勢が拍手する中に、あいつを探す。
(今回は、感動に浸(ひた)り切って忘れているのじゃなくて、失望の極(きわ)みで、拍手をしていないだろう)
 あいつの、反応と態度を知りたくて、客席の中へ何度も探したけれど、とうとう、見付け出せなかった。
 クラスのみんなに合わせて、終わりの一礼をする。
 こうして私のピアノは、無念さだけを残して終わった。
 いつになるか分からないけれど、改(あらた)めて、鍵盤に向き合える気持ちになる時まで、私はピアノを封印する。
 退出する私のクラスと入れ替(か)わりに、あいつのクラスが、客席から移動してステージに上がり、並び始める。
(ああ、そうか! あいつのクラスのステージは私達の次だっけ! なら、所在は分かっていたのに、私は何処(どこ)を見て、あいつを探していたんだろう? 私は何を焦(あせ)ってるんだ? なんか、バカみたいじゃんね……)
 私のクラスが客席に着席し終わる頃、指揮台に立つコンダクターが、並び終わった各パートのメンバーやピアノ伴奏者に、最終確認や指示を出していた。
 あいつは、最前列のほぼ中央にいて、コンダクターの問いかけに頷(うなず)いている。
 綺麗に並んだメンバー達が姿勢を正し終えて、ステージの準備は整(ととの)い、会場から騒(ざわ)めきが消えて行く。
 静まりかえった客席とステージに、ピンと空気が張り詰めた僅(わず)かな間の後、一瞬の溜(た)めを置いて振られたタクトに合わせて、微動だにしなかったメンバー達が、一斉にウェーブを描(えが)いて歌いだした。
(凄い!)
 一斉に発せられた歌声は、ダブりも、濁(にご)りも無く、澄(す)み切り、揺(ゆ)れるウェーブの動きと合わせて、綺麗に揃(そろ)っている。
 私のクラスのコーラスは、ノーミスのピアノ伴奏に合わせて軽(かろ)やかに揃えていたし、揃えた、みんなの声は伸び伸びと鮮明に響いて、終わりの余韻まで上手に歌えていたから、採点はトップになるだろうと考えていた。だけど、このクラスに比べると、明(あき)らかに、自分達は聴き劣(おと)りしていて、見劣りもすると思う。
 あいつも、みんなに合わせて体を揺らし、ちゃんと、声を出して歌っているように見えて、時々、あいつの声が聞こえた気がした。
 一体どれだけ、あいつのクラスは練習をしたのだろう?
 曲は以前、FMラジオか、WEBラジオで、聴き知ったものだった。
 確か、女性のシンガーソングライターがソロボーカルで歌っていた曲で、コーラスプログラムにも、独唱と記載されていた。
 一つ目のソロパートを、最前列の男子が一人、前へ数歩踏み出して、ソロで歌い出した。
 次のパートで、ソロの声が、徐々にコーラスに呑まれて行き、耳に触(さわ)り良く聴こえる。
 ソロパートが、二つ過ぎた。
 今程のソロは、あいつの横の男子が歌っていた。そして、最初のソロはその男子の横の子だった。
 合唱は、まだ終わりそうもなく、歌の流れから、もう一度ソロが有りそう。
(ん? もしかして……)
 最前列のあいつの立ち位置から、私は気付いた。
(まさか、まさか……! 次のソロはあんたなの?)
 小学六年生の音楽の時間に、何度もの遣り直しをさせられて、真っ赤(まっか)になった顔で震えながら、か細い声で歌っていたあいつを、私は覚(おぼ)えている。
 同じクラスだった去年のコーラス祭は、私の斜め前で、あいつは怠(だる)そうに歌っていた。
(ちゃんと歌えるの、あんた?)
 合唱が短く伸びて、ソロに移行する気配を感じさせ、あいつが前へ動いて、合唱のリズムから外(はず)れて行く。
 私は、目を見張った。 
(おっ、驚きだ! あいつがソロを歌う!)
 見ている間に、あいつは、ススーッと三歩ばかり踏み出して歌い始めた。
 みんなのコーラスはピタリと止まり、あいつの歌声だけが会場に響く。
 リズムに合わせて、あいつの伸びやかな手足の動きと身振りが、見事に揃った、みんなのウェーブとシンクロして、聴覚で聴かせるだけではなく、視覚でも見せ付けてくれる。
 しっかりした澄んだ声で、少しも滲(にじ)まない、あいつの歌声に更(さら)にびっくりした。
 踏み出す時に、あいつは私を見て、明らかに私を意識して、私だけに歌っていた。
(あっ、あっ、あいつが……、歌えてるう!)
 あいつが唄う。
 『♪ あなた……』は私だ。そして、唄う歌詞は、あいつの私への想い。
 私の憂いた気持ちに、歌に込めたあいつの想いが被(かぶ)って来る。
 いつしか私は、あいつの歌に聴き入ってしまっていた。
 私を見詰めながら、指を広げた手を胸に当てて熱唱する、あいつの熱い想いが、私の中で跳(は)ねた。
 あいつは、ソロパートが過ぎても下がらずに、そのまま、再び始まった合唱をバックコーラスにして歌い続けた。
 両手を握(にぎ)り閉めて、声の有らん限りに、私へ歌い掛ける。
 力強いスタンスでしっかりとステージを踏み締(し)め、あいつは全身全霊に込めた私への想いを唄う。
(ああっ、なんてことなの……!)
 目が潤(うる)んで、涙が出そう。
 あいつは、私を求めている……。
 あいつの声が、あいつの願いが、ビシッ、ビシッと私の心を揺さぶり、感動させ続ける。
(どうして……? あんたに…… つれなくする私に、……どうして、そんなふうに歌えるの?)
 両手を私へ広げて、あいつが必死な形相で叫(さけ)ぶように歌っている。
 私を貫(つらぬ)いて行く、あいつの声が胸の奥を何度も、キュンと鳴らして、速くなる動悸の高まりがズキズキと耳の後ろや米神(こめかみ)から聞こえた。
 あいつは、左手で胸を押さえ、伸ばした右手の指は、私を指(さ)し示す。
「♪ ……あなたとー」
 ラストのワンフレーズをソロで歌い切り、曲が静かに終わった。
(はっ、肌がゾクゾクして来る。全身に鳥肌が立っているみたい……)
「良かった……。凄く、良かったよ!」
 言葉が、呟(つぶや)くように自然と出た。
 滲んで見えていたあいつが、水の中のように揺ら揺らと見えて、溜まった涙が頬(ほほ)に熱く流れ伝って行き、私は泣いていた。
 深く吸い込んだ息が、ブルブル震えながら吐(は)き出されて行く。
(ああっ、そうだ、拍手をしなくっちゃ!)
 小学六年生の時、あいつは、私のピアノ演奏に拍手をしてくれなかった。
(私は、あいつとは違う。強烈に貫かれたショックで、我を忘れていても、心から感動した喜(よろこ)びや嬉しさを、伝え手に、ちゃんと知らせなきゃ駄目よ)
 感極まった私は、我を忘れ、立ち上がって、あいつに拍手を送る。
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 二年生最後の終業式の日、帰り掛けに持ち帰り忘れが無いか、再チェックした私の机の中には、ローマのスペイン広場のショップで、買うのを諦めたレター挿(さ)しが入れられていた。
 その、レター挿しの入った小箱を包(つつ)んでいたのは、綺麗な色彩の絹のスカーフだった……。
 初めて経験した、地球を半周近くも飛んだ長時間フライトは、窮屈(きゅうくつ)なエコノミークラスのシートによるストレスと時差ボケに因って、ボワッとした身体は、水の中にいるようにフラ付いて、ズキズキ、ガンガンと伴う頭痛は吐き気を催(もよお)して、気分を最悪にさせた。
 ミラノ空港に到着後は、徐々に体調を戻して来ているけれど、最初のツアー地の、スイスアルプスの麓(ふもと)まで長く広がるコモ湖の南端の古い街に着いても、ショッピングや観光に行く元気は無くて、私は広場脇の駐車場に停めた、乗客が降りてからっぽの大型観光バスの中で寝(ね)かせて貰っていた。
 揺れの無いバスの中で、シートをフルに倒して暫(しばら)く横になると、吐き気を催す頭痛や体の揺れが治(おさ)まり、気分はすっきりして来た。
 気分が良くなると、車窓から見えるコモ湖の風景に、真冬の北イタリアの淡(あわ)い陽光を浴びながら、冷たい大気を吸い、湖面を渡るアルプスから吹き降(お)ろす風を感じたい欲求が出て来る。
 運転席で靴を脱(ぬ)いだ足を、ダッシュボードの上に投げ出して寛(くつろ)ぐ、デカい図体の若い運転手は、どう見ても地元のイタリア人ぽくって、英語が通じるか分らない。だけど、キラキラと光る水面(みなも)の輝(かがや)きに、とうとう我慢できなくなって、これまで、学び覚えた英語の全力と、身振り、手振りで、私は外へ出たいと訴(うった)えると、若い運転手は思いの他、英語に堪能で、彼の『目の届く範囲で』を条件に、快(こころよ)く外に出してくれた。
 湖畔の欄干(らんかん)に凭(もた)れて、北イタリア冬の太陽の薄(うす)い暖(あたた)かさに、頬がムズ痒(がゆ)く擽(くすぐ)られるのを感じながら、駐車場へ到着したばかりの、大きな観光バスから降りて来る乗客達を眺(なが)めていた。
 コモの金沢と違う匂(にお)いの、軽い湿気が混ざる冷たい大気を、大きく両手を広げて、スゥーと胸深く吸い込み、ギュウッと肺(はい)が凍(こご)えて息苦しくなったその時、……あいつがバスから降りて来た!
 見た瞬間、心臓が大きく跳ねて、目が険(けわ)しく見開いた。
 次に否定が来て疑(うたぐ)り、更に、真贋(しんがん)を見定めようと眼(まなこ)を鋭く凝(こ)らす。
(あれ……? 似(に)てる……。すっごく似てる! 他人の空似(そらに)なの? ……でも身体付きも、動きや感じも…… そっくり!)
 疑る思いに息が詰まり、その、息苦しさに呼吸が喘(あえ)いでしまう。
(でも! でも! でも! あいつが、ここに来るわけないじゃん! ……でも、……いるかも…… 知れない)
 眼が勝手に、パチッ、パチッと、忙(せわ)しなく瞬(まばた)きを繰り返す。
(ええーっ、そっ、そんなぁー? あっ、あいつぅ……? 本当に、あいつなの? うそでしょう?)
 その、信じられない光景に、声にならない言葉を吐き出す息が震えて、途切れ、途切れになるほど、全身から熱が奪われて、プルプルと引き攣(つ)るように緊張するくらい、私は驚愕(きょうがく)した。
 くらくらっと、目眩(めまい)までする。
 私は、家族旅行で行った三月初めのイタリアで、あいつと信じられない出逢いをしていた。
(あんたぁ、なんで、ここにいんのよ? あんたと、こんな素敵な場所で遇(あ)うなんて、全然、納得できないよ!)
 今、あいつと北イタリアのピンポイントでいっしょになっているのを、何処かの物陰に隠れて逃げ出したいくらいに信じられないし、否定したい。
 顔を逸(そ)らしながら、横目であいつの様子を見ていると、どうも、父親と二人でツアーに参加しているみたいだった。
 そんな、関心や勘繰(かんぐ)りを頭から振り払うのと、あいつに気付かれないように体ごと、右手の湖上を間切る、アニメムービーに出て来るような白と黒のツートンカラーの汽船へ向ける。
 船上で作業をする、セーラー服姿の乗員達がクールでキュートだ。
 湖沿いの道の端を、あいつのツアーグループが左へ折れて行き、行き違いに観光客の一団が、こちらへ歩いて来るのが見えた。
 コモの特産品のコモシルクのアウトレットへ行った、私が参加しているツアーグループの人達だ。
 戻ると広場の周辺を、三十分余りショッピングや散策するスケジュールになっている。
 アウトレットへ向かう人達の中に、あいつの姿は無かった。
 たぶん、向かわなかった人達と、広場や周辺の土産物屋(みやげものや)にでもいると思う。でも、コモ湖を眺めている私の横に来るかも知れない……。
 あいつに顔を晒(さら)さしてしまわないように、私は少しずつ、顔の向きを変えながら、視界の隅(すみ)にあいつを探す。
(いた!)
 あいつは、後ろの離(はな)れたベンチで、私にカメラを向けていて、あいつに、『気付かれたかも』と思った瞬間、後方から吹き上げて来た強い風に目を瞑(つむ)った。
 その風は、今まで私の頬に吹き寄せていた、穏(おだ)やかに湖面を渡るアルプスからの冷たい風でなくて、逆方向の地中海から、吹き上げて来た一陣の疾風(はやて)だった。
 ビイュゥゥゥゥゥ、風鳴りがした途端に、背中から私の全身を風圧が抑え付けた。
 沸騰(ふっとう)させるように、はっきりと湖面に風波(かざなみ)を泡立たせて、暖かさを感じさせた疾風(しっぷう)が、吹き抜(ぬ)けて行く。
 コートの裾(すそ)を捲(まく)り、フードをバタつかせて、吹き流し、髪を舞い上げて掻(か)き乱す。
 思わず私は、舞い上がる髪と飛ばされそうになったカチューシャを、両手で押さえた。
 あっという間に、風波が湖の奥の方へ去って見えなくなると、何事も無かったように、再び、穏やかな北風が頬を擽って来る。
 冷たい風に戦(そよ)ぐ、乱れた髪を指で梳(す)きながら纏(まと)めて、フードのズレを整え直そうとした時に、ふいにお姉ちゃんが目の前へ現(あらわ)れて、私の首に何かを巻いた。
「はい、お土産。首に何も巻いてなくて、寒そうだからさ。私と、お母さんと、お父(とう)さんの三人からのプレゼントよ。ほうら、やっぱり、似合うわ。これ、私の見立てね。体調が良くなったみたいだけど、ちゃんと、首元を温(あたた)めて、風邪を引かないようにね。また、体調を崩(くず)したら損でしょう?」
 お姉ちゃんが私の首元に巻いた、軽くて薄い布は、シルクのスカーフだった。
「うん! ありがとう、お姉ちゃん! ありがとう、お母さん、お父さん」
 三人からプレゼントされた、風を通さない温かなお姉ちゃん見立てのスカーフは、あいつから贈られたコモシルクのスカーフと同じ柄(がら)の色違いだった。
 あの時も、手を振って知らせれば、良かったと思う。
 次のツアー先へ向かう大型観光バスに乗り込む前から、あいつは、コモ湖の風景そっちのけで私を探していて、あいつに見付かるまいと、私は家族の影に隠れたりしていた。
 それなのに、バスに乗り込む時も、乗り込んでからも、動き出したバスの車窓(しゃそう)からも、まだ、あいつは外を見て、私を探(さが)し続(つづ)けている様子に、切(せつ)なさと憐(あわ)れみを感じてしまって、仕方無く人影から出て、あいつに身を晒すようにツアーの人達の間を歩いた。
 横目で見たあいつは、私に気付いてじっと見ていたけれど、あいつを乗せた観光バスは、直ぐに通りを曲がり、石造りの街並みの中へ見えなくなってしまった。
 奇跡のような凄い偶然の出逢いだったのに、私は、決して運命的だと思いたくなかった。
 あいつの目に捕まりたくない私は、素直になれずに、コモ湖でツアーが重(かさ)なっていた間中、視線や体の向きを合わせはしなかった。そして、そんな狭(せま)くて偏(かたよ)った考えしかできなかった私を後悔して、不憫(ふびん)に思っていた。
(この時間だと、日本は、朝の八時十分前になるのか……。しかも、明日(あした)の朝ね♪)
 昼間の後悔もあって、コモ湖で出逢った日の夜に、あいつへメールして遣った。
【おはよう。今、どの辺?】
 私に気付かれているのを、あいつは知らないと思う。だから、意地悪く、日本に居れば、登校途中の時刻に、あいつへ現在位置を訊いて遣る。
(返信は来ると思うけど、きっと、イタリアにいるなんて、正直には答えないだろうなぁ)
 お姉ちゃんは、早くもベッドで、すやすやとじゃなくて、ガォウガォウと、獣(けもの)っぽい大きな鼾(いびき)を掻いて寝ている。
 疲れているお姉ちゃんの、いつもの寝入り姿だ。
 化(ば)け物の霊に取り憑(つ)かれているみたいで、なんか怖(こわ)い! それに、煩(うるさ)くて眠れやしない!
 そんな、人っぽくないお姉ちゃんを見ながら、コモ湖での、あいつの怪(あや)しい行動を思い出していると、サイレントモードにした携帯電話が、メールの着信カラーで光り出した。
【上野本町(うえのほんまち)の通り、鶯坂(うぐいすざか)と亀坂(がめざか)の中間ぐらい。雪で滑(すべ)るし、歩き難(にく)いな】
(あはは、降り積もった雪が多くて、歩き難いなんて、なに書いてんだか。嘘吐(うそつ)き! こっちに雪なんて、全然、積もって無いじゃん。あいつも、ミラノか、その近郊のホテルに泊まるはずでしょう)
 やはり、そうだった。あいつは、私に気付かれていないと思っている。
(あっ、でも……)
 ここで反省しなくちゃと思う。
 次に出逢う事が有れば、その時は、ちゃんと、あいつを見て、あいつに近寄って遣ろうと思う。
(そう、近寄って、あいつの反応を見るだけよ。声を掛けるのは、その時、その場のムードとシチュエーション次第でしょう)
【そう? 歩きにくいかしら?】
 送信してから、ちょっと、意味深になってしまったと思う。だけど、だけど! 限り無くゼロに近い稀少な遭遇(そうぐう)の縁なんて……、限り無く透明な、希薄で消えそうな赤っぽい色なんて……、そんな、偶然の縁なんて、今の私には無数に有って、あいつとだけじゃない! オラクルなんて、有り得ない! あいつに、引き摺られたり、引き込まれたりしそうな私を、認(みと)めたくない……。
【近く? どこにいんの?】
 あいつから返されたメールは、フリなのか、ミラノのリアルを指した問いなのか、分からない。
 いささか、マクロ化されて来た質問メールに、もう、私は答えない。
 普段のメールの遣り取りでは、有り得ない内容だった。
 冗談めいたメールを送り合う事が有っても、登校中に、あいつと現在位置を訊いたり、教えたりするなんてした事が無い。
 いつも、あいつは、私の知らぬ間に横や後ろの近くにいたし、通学中も、何も、今まであいつは、面と向かって私に会いに来た事は、無かったし、会う度胸も無いと思う。でも、もしここで、リアルに宿泊しているホテルを教えたら、あいつはどうするだろう。
 イタリアでどのくらい英語が通じるか分からないのに……、あいつは大胆(だいたん)にも、成績が良くないレベルの英語力を駆使して、ホテルのフロントで手配したタクシーに乗って会いに来るだろうか? そして、例えホテルのロビーでも、ミラノのミッドナイトに、あいつに会うような冒険をする勇気が、私に有るだろうか?
 日本的な枷が、何も無いミラノの地を駆け、深夜にエトランジェの二人が会えば、貴重な行動で面白いかもって思うけれど、やはり、リアルにしたくない私は素直に冒険できなかった。
 帰国してから、私は後悔した。
 もし、ミラノで互いが、イタリアにいる事と旅行日程を知らせていて、フリータイムの日に、もし二人が近くにいたら、フェレンツェのドオモの天辺(てっぺん)へ上ったり、ナポリの坂道を歩いたりできたかも知れない。
 初日のミラノじゃなくて、日程の途中や最終日のローマでも、知らせていれば、互いの楽しさを二乗で補完できていただろうと反省していた。
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 ミラクルなイタリアでの遭遇を思い出す私は、今、素直な気持ちで感動させてくれたあいつへ、感謝の拍手を送る。
(ねぇ、あんたは、何故、そんなに、私を好きでいられるの?)
 素直な感謝の思いに、無意識の声が出て、あいつへ呼び掛けるように呟いていた。
「ねぇ……?」
 辺(あた)りから聞こえるどよめきに、ハッと我に帰り、周(まわ)りを見ると、客席の大勢が拍手をしながら立ち始めていた。
(スタンディングオベーションだ。あんたぁ、良かったじゃん。……ん?)
 会場の全(すべ)ての生徒が、私を見ていた。
 最前列の審査員席や壁際に座る先生達も、顔を向けたり、振り返ったりして、私を見ている。
(あっ!)
 私は、真っ先に一人立ち上がり、あいつに拍手を送っていたのを知った。
 イタリアから帰国した後は暫く、あいつと同じ期間を休んでいた事が、二人に何か関係が有るとばかりに、根拠の薄い噂でクラス中に広まり、それが、有らぬ尾鰭(おひれ)を付けて他クラスにまで拡散して行き、私を見掛けて、ヒソヒソと小声で言い合う同級生達の態度に、以外にも、私は注目されていた事を知った。
(まあ、今も、今までも、けっこう私はモテて、告って来た男子は悉(ことごと)く、『ごめんなさい』していたし、そんなのが、クラスメートと家族ぐるみで海外旅行していたかもと噂されりゃ、本当は、あいつとデキていて、イタリアでデートしたいから親を説得したとか、あいつと二人っきりの、ローマの休日してたとか、話されてもしょうがないかぁ……)
 漏(も)れ聞こえて来る噂の断片を纏(まと)めると、今じゃもう、家族公認の仲という、フィアンセまがいになっているらしい。
(う~ん、中学生程度の思考じゃ、そう、噂が勝手に進展して行くのが、普通やろうね……。ってんじゃなくてぇ、全然違うんだよぉ!)
 そして、この一人オベーションで、既に、学年まで広まっていた憶測だらけの噂が、これから、学校中で囁(ささや)かれるのは決定的になってしまった。
(どこまで、あいつが、噂を聞いているのか知んないけど、まったく、なんてこったいだわ……)
 顔が俄(にわ)かに火照(ほて)って来て、熱が出る時みたいにクラクラしている。
 きっと私は、真っ赤な顔になっていると思う。
 直ぐに両手で顔を覆(おお)って、しゃがみ込みたいくらいに恥ずかしいけれど、私は、顔を上げたまま平気なフリを通す。でも、もう、両手は拍手を止めて、胸の前で握り締めている。
 周りが見えなくなるくらいに興奮して、今も、プルプルと全身が小さく震えるほど感じている。
(こんなに、感動させて……、なんて奴なのよ!)
 会場のホールは、みんなの大きな拍手と喚声で、割れんばかりに湧(わ)いていた。
 ストンと、シートに腰を下ろして、あいつがステージから退場して行くのを見て思う。
(なんか、終わりは、コーラスのステージじゃなくて、あいつと……、私の為(ため)だけの……、リサイタルみたくなっちゃったな)
 私だけを見詰めて、歌い続けたあいつのソロを、嬉しくて心地良いと感じている私がいた。だけど、心地良い気持ちを苛(さいな)むように、レター挿しの……、あいつからの旅行土産の御返しをしていない引け目があった。
 ツアーコースで寄ったブランドショップの並びに在った、小さなインテリア雑貨の店で、サーベルの形をしたシックなペーパーナイフを見付けて買っている。
 それを、あいつから、三月末の終業式の日にプレゼントされたレター挿しとスカーフの御礼として、春休み明けの初日に、あいつへ贈(おく)ろうと思い付いたけれど、それは、既に、何日も前に包装を解(と)いて使っているモノで、私の雑な扱(あつか)いに、こびり付いた紙の切り滓(かす)に刃先は塗(まみ)れ、刃面も所々に印刷のインク染(し)みを作り、そして、ところどころ変色もしていた。
 こうなると、汚(よご)れを拭(ぬぐ)い取っても、新品の綺麗な状態には戻らない。
 そんな、新品じゃないモノを贈るべきか、私は迷った。
 入っていた化粧箱も、捨(す)ててしまっているし……。
(いやいや、私の使用済みの中古品でも、それはそれで、あいつは絶対、プレミアだと、キモく喜ぶに決まってる……)
 迷い……、悩んだけれど、結局、私は使用済みを贈らなかった。
 千代紙に包み、バッグに入れて、あいつの下駄箱の前まで持って来たけれど、やはり、染みの有る使い止(さ)しは良くないと思う。それに、土産やプレゼントを交換するような、あいつと親しい仲にもなっていない。
 あいつには、クリスマスイブも、年賀状や初詣(はつもうで)も、バレンタインディーも、ホワイトディーも、私は無碍(むげ)に断っている。そして、私は今、あいつの靴箱にペーパーナイフナイフを入れなかった事を、後悔していた。
 なのに、私は、言い訳的に思う。
 あいつのクラス全員が、綺麗に揃っていた素晴らしいコーラスは、あいつの独善の所為(せい)で、最優秀賞に選ばれなかったと思うから、賞品も、記念品も、……無しね。
     *
 卒業記念の銅像造りに、美術部のあいつも加わっていて、そのモデルになっている事は、聞こえて来る周りの女子達の話題から知っている。
 あいつが学校行事で、そういう何かをしているって事や、部活の出来事をメールに書いて来なくて、私は、あいつの私生活を全然知らない。
 自分の思いや悩(なや)みを、はっきり送って来る癖(くせ)に、私生活や何かに熱中しているのを、私に知られるのは格好悪いとでも思っているのだろうか?
(そんなのを、話題にすれば、もっと、相手の思考が解ると思うのに。話題に発展性が有れば、楽しく盛り上がるかも。まぁ、私も、ピアノのに関する事は、メールに打たないけれどね)
 制作中の像は、男子と女子が寄り添うような姿らしい。
(中学生の三年間が、良き思い出になれば、きっと将来、懐(なつ)かしさと楽しかった思いの甦る気分が、私を仰(あお)ぎ見させてくれると思う。でも、思い出すたびに、気持ちが悪くなることばかりだったら、ここに来る度(たび)に、石をぶつけてやるわ)
 ちょっとだけ、近未来を想像してみる。
 卒業後、中学校の前を通って、視界に卒業記念の銅像が入ると、あいつを思い出すだろうか?
 もし、あいつと親しくなっていれば、寄り添う女子の像を、私に置き換(か)えて見るのだろうか?
(ううっ、ないない! それは、恥ずかしいかも……。今のヘタレなあいつとじゃ、絶対ないよ!)
 私が惚(ほ)れるような、優(やさ)しくて、思い遣りが有り、逞(たくま)しく、勇敢で、夢を実現しようと足掻(あが)き続け、努力と向上心と探究心を持ち、なにより私を、一番に大切に想い、一番に大事にしてくれて、私に幸せを与え続ける男性に、あいつがならないとね。
 私は恋愛対象を、外(そと)身(み)の見てくれで選ばない。
 男は、顔やスタイルじゃないと思う。
(そんな男に成らないと、私は、あいつに恋をしないわ。でも…… 稼(かせ)ぎがないとね。お金が無いと、愛が潤(うるお)わないと、お母さんが、言ってたな。……あっ、ちゃうちゃう。何考えてんのかなぁ、私は……)
 否定するところなのに想像して、あいつとの将来を危(あぶ)なく肯定しようとしている私がいた。しかも、顔が火照り、熱っぽいのを感じる自分が腹立たしい。
     *
 コーラス祭が開催された日の夜に、私は考え悩んだ末に、律儀に通っていたピアノ教室を、高校入試の受験勉強に集中したいという言い訳を添えて、前期の教練の半ばで辞める決心をした。
 受験を理由に、ピアノ教室を辞める旨(むね)を告げると、お母さんは悲しそうな顔をして、私に思い留(とど)まるように諭(さと)した。
 才能の無さに気付かされ、モチベーションは上がらなくて、もう、メンタルに限界なのと、泣きながら本当の事を話すと、『今は、おまえが、それで良いのなら』と、お父さんは納得して、お母さんを説得してくれた。
 それほど、ピアノに励(はげ)む私を、両親が喜んでいてくれたかと思うと、寂(さび)しくなって続けようかと考えてしまう。けれど、限界を感じて見えてしまった、悲しい現実はどうにもならない。
 我(わ)が儘(まま)な私は、ピアノを処分してケジメを着けたかったのだれど、両親の強い意向で私の指に馴染(なじ)んで大切にしていたアップライトピアノは、処分せずに、いつでも気が向いたら弾けるように、今まで通り、私の部屋へ置かれたままにする事になった。
     *
 コーラス祭以後も、あいつは以前と同じで、廊下や階段で擦(す)れ違ったり、登下校や下駄箱で近くになっても、ちょっとした目配(めくば)せも無く、無表情で挨拶の一言(ひとこと)も掛けては来やしない。それは、私も同じだけど、無表情なあいつの態度に、ポーカーフェイスを崩して、私から微笑(ほほえ)む事はできなかった。
 挨拶ぐらいしてくれば、明るく返礼しようと思っているのに。ただ、私からはアクションしたくない。
 あいつから先に、動くのが筋でしょう。
(メールでは、大胆なくせに、近くにいる時でも、あいつは話し掛けて来やしない。ヘタレな奴!)
 ヘタレな奴……? でも、本当に、あいつはヘタレなのだろうか?
 記憶を探(さぐ)りながら、あいつが、ヘタレかどうか、過去に問う。
(違う、ヘタレじゃないでしょう。あいつは、私以外には、ヘタレじゃないよね。私だけに、ヘタレなんだ……)
 美術作品に見られる、あいつの発想力や造り上げる根気。
 コーラス祭での大胆な意志表示に、音痴な歌唱を克服(こくふく)していたし、去年の体育祭では、驚きのリズム感で終始フォークダンスをリードされた。
 それらは、困難から逃げ続けるヘタレじゃ成しえない事だと思っている。
 あいつは、根気と努力で結果を出している。
(あいつは、ヘタレなんかじゃない! リアルじゃ、私だけを避けて、私だけから逃げる、私だけのヘタレだ!)
 あいつが、私の後ろ姿を描いた鉛筆画で、クラスのみんなに二人の仲を勘繰られている時でも、横の席に座るあいつは、我間接(われかんせつ)ずで、見えない、言わない、聞こえない、のフリに徹していた。
 その時は、イザという時でも、逃げて、知らん顔をする、薄情な奴靴かも知れないと、私は、あいつを疑っていたけれど、他クラスの女子達に言い詰められて、困り果てていた私を、あいつは救ってくれた。
 フォークダンスでは、無言の見詰め合いをして、二人には何か有るのではと、みんなから思われてしまう。
 ステージで私を指差して歌うあいつに、真っ先に立ち上がり、私一人が拍手で応(こた)えたコーラス祭は、私とあいつの関係を、全校の生徒と先生に誤(あやま)った認知をさせる結果になってしまった。
 あいつが私に告白しただけで、その想いに私は応(おう)じていない。
 みんなが勘繰って、想像するような事は一つも無い。
 付き合うどころか、私はメール以外を拒絶している。
 それなのに、私の意志や思いや実情に関係無く、あいつとの仲は、公認されたみたいになり、二人は密(ひそ)かに交際していると囁かれている。
 今じゃあ、下駄箱に、手紙が入る事も無くなって、少し詰まらない。
     *
【性格ブスのほうが、余っ程(よっぽど)、醜(みにく)いと思うけどなぁ】
 『あんたのブス判断は、なんなの? 顔? スタイル? そんな外観重視?』と、あいつのちょっとした素行が気になって訊いてみたら、即行で回答された。
 性格ブス……。
 たぶん、素直になれない私は性格ブスだ、……と思う。
 あいつも気付いているだろう。でも、認めたくない。
 或(あ)る日、あいつのクラスの前を通ると、開いたドアの向こうに三人の女子達と楽しそうに話すあいつが見えた。
 私へ話し掛けるのは、駄目出ししているから、あいつは楽しげなメールを打って来る事は有っても、今、ドア向こうに見えるような親しげな態度を、私への見せた事は無いし、睦(むつ)まじいムードになる事も無かった。
 きっと、私に拒絶されるのを、恐れていると思う。
(まあ、私は、誰にでも、無情で、無愛想なんだけどね)
 あいつと話す三人は、男子から嫌われている女子達だった。
 私が、拒絶してつれない態度をとるから、あいつは、他の女子と親しくしているのかもと思っていた。
 些細(ささい)な事から、みんなは、一部の男子や女子をスケープゴートにする。
 灰汁(あく)の強い数人の生徒から始まるそれは、他の同じ目に遭(あ)いたくない生徒達も加担して、標的(ひょうてき)にされた犠牲者を、生(い)け贄(にえ)や身替わりのように除(の)け者にして、しつこく陰湿に虐(いじ)め続けた。
 学校やクラスのような、単純で狭い閉鎖的な組織や空間では、虐めは加速されて酷くなる。そして、過激な虐めは、時として深刻で悲惨な結末を迎えてしまう。
 思春期の不透明な現実や未来への不安と不自由さは、遣る瀬無さの捌(は)け口にスケープゴートを求めて、自分に経験の無い痛みを与え、鬱憤(うっぷん)と可哀想(かわいそう)の葛藤(かっとう)を常に求めていた。
 虐めの理由はどうでも良いような、ほんの小さな、気にもならない出来事や容姿にこじつけたことばかりだった。
 ブスだとか、目付きが悪いとか、不潔っぽくて臭いとか、服がダサいとか、無口でおとなしいしくて、ちょっとオドオドしているとか、薄気味悪いとか、成績が悪いからバカだとか、動作が鈍くてトロいとか、そんなのばかりだ。
 些細な言葉尻や言い間違いの揚(あ)げ足取りとか、まるで待ち構えていたかの様に中傷がしつこく繰り返されて、虐めが始って行く。
 背丈や体格などの外見、それに、本当にとんでもない事だが、虐める側達基準の、身体的欠点…… 欠損や不自由な部位、疾病(しっぺい)に虚弱(きょじゃく)体質、アレルギーや色素の違いまでも…… 見下す対象になる。
 他にも、どこそこの出身だとか、何人だとか、本人が抗えない、どう仕様も無い事までネタにする。
 全く、酷い言い掛かりばかりで許せないが、私が知る限り、そういうのに、あいつが加わっているのを見たり、聞いたりした事はなかった。
 三人の帰宅方向は、あいつといっしょで、時々、四人で小立野(こだつの)三丁目の旧道へ歩いて行くのを見掛けたていた。
(なんで、私が歩く、向かい側や、近くの後ろにいないのよ!)
 性格ブスの私は、それを見る度に、ムカついて毒突(どくづ)く。
(あんた、私が好きなんじゃないの? バカ!)
【あんた、私をやめて、他の女子達にしたの?】
 初っ端(しょっぱな)から、ストレートど真ん中勝負でいく。
 別に、あいつが、勝手に他の女子を好きになれば良いのだけど、私に黙って……、断り無しに、……乗り換えられるのは面白くない。
 あいつは、ちゃんと、私に御詫(おわ)びと御礼を言ってから、去るのがケジメだろうと思った。
 コーラス祭以後、女子と話すあいつを見掛ける事が多くなった……。あいつに話し掛ける女子が増えている……、そんな気がする。
【違うけれど、なぜ、そう思うわけ?】
 あいつの返信は、私を苛立(いらだ)たせ、私の不快なプレッシャーとジレンマを、あいつへぶつけさせる。
【あんた、八方美人でしょう?】
(いきなり、こんなメールを送られても、返答に困るだけだろうな?)
 そう思うけれど、イラつく私は、問い質(ただ)さずにはいられない。
 コーラス祭で全校の女子は、あいつが好きなのは、私だって知ったはずなのに、明るく声を掛けて、あいつと楽しそうに話す女子が腹立たしい。
 それを、嬉しそうに応じて、ヘラヘラと笑顔で受け応えするあいつには、もっとムカついた。
 先日の野外学習で行われた、長距離歩行でもそうだった。
 終始、あいつは私の後ろの方を歩いていて、最初は、五、六人の男子だけの連れ合いだったのに、キャッキャッと聞こえて来る。
 騒がしい声に振り向くと、多くの女子が加わって十五、六人ほどのグループになっていた。
 その、煩(わずら)わしい声達の中心に、女子達に取り囲(かこ)まれて、笑いながら楽しそうに話している、あいつがいた。
【……そうかも知れない。そんなところが、有ると思う。でも…… なぜ、そう思うの?】
 素直に認めるのが、気にいらない。しかも、また、質問で返してくる。
(やっぱり、八方美人だ)
 あいつから、女子に話し掛けていないのを、知っているのに……、なんか厭だ!
【あんたのクラスに、まわりから嫌われて、避けられている、三人の女子がいるでしょう。あんたがその子らと、いっしょに帰っているって、噂(うわさ)になっているよ】
 自分を心の狭い女だと思った。
(きっと今、私のメールを読んでいるあいつも、私を、そう思っているだろう)
 あいつは、どうでもいいメル友で、それ以上でも、それ以下でもない。でも、私を好きな癖に、他の女子と親しげに楽しく話す、あいつの態度は、とても、私をイラつかせた。
【それで?】
(それでって……。どうして、察(さっ)してくれないの?)
 私を心の狭い女にさせてまで、こんなメールを打たせる理由が解らないのだろうか?
【この前、見たよ。その、三人の女子と、あんたが、教室で楽しそうに話しているのをさ】
 うろたえるあいつが、言葉詰まりの返信をして来ると思う。
 そんな、言い訳じみたメールに期待した。
【君には、どう見えたの?】
(うっ! なぜ、そう返して来る? どう見えたか、分かるでしょう?)
 予想に反して、冷静なあいつのメールに、ワザと鈍(にぶ)い振りをして、惚(とぼ)けていると思った。
【親しそうに見えた。付き合っているんじゃないかって?】
(ここまで打たせないでよ。ふつう、察するわよね?)
【三人と?】
 絶対、ワザとボケていると分かった。
 あいつは、惚けながら楽しんでいる。
 トライアングラー以上なんて、あいつに有り得ない。
 あいつに問い質すだけだったのに、今、追い込まれてるのは、私の方だ!
【そう……】
 あいつに遊ばれていると知っても、このまま引き下がれない。
【でね、思ったの。あんたは、誰でも、好きになるんだなって?】
(くそう、何、この遣り取りは……。私が、ジェラシーいっぱいにしか思われないじゃない)
 あいつを気にする私を否定したい。
 このまま心が狭い女と思われて、私はあいつに嫌われれば良いと思った。
【あの子たちは、みんなに嫌われているじゃない。あんたは、そんな子らと仲良しで、良く付き合っているなって?】
(あーあ、送信しちゃったよ。このまま、あいつに、嫌われるしかないか……)
 これで、『心が狭い』に、『厭な』が加わった、私が望む、鼻持ちなら無い女の子になってしまった。
 なのに、あいつに嫌われたくない、私がいる。
(あいつを、拒絶した私が、あいつを、フラなくちゃならないのに、嫌われるなんて……)
【みんなじゃない。嫌っていない人達もいるよ】
(違う! 私が読みたいのは、こんな言葉じゃない! 知りたいのよ……。ただ、あんたを、確かめたいだけなのに……)
 いつまで経(た)っても、望む回答をよこさないあいつに、私は、結末を急(いそ)ぐ。
【いないよ! みんな嫌っているよ! あんたも、そっち側だったんだ!】
『心の狭い厭な女』に、更に、『偏見持ち』も、プラスされた。
【ふ~ん、そう見えたのか。だけど、恋愛感情じゃないよ。クラスメートじゃん。それに、なぜ、嫌う必要があるの? そういう仕切りや、壁を作らないといけないのかなぁ?】
 本当は私も、彼女達を嫌っていない。でも、人を括(くく)る仕切りの柵(さく)じゃなくて、他人に括られて勝手に引かれる境界線(きょうかいせん)とも違う、他人を寄せ付けない自(みずか)ら構築(こうちく)する壁を、私は持っている。
 友達は……、親友や心の友と呼べる子はいないと思う。
 学校や通学路で、挨拶を交(か)わしたり、勉強や学校行事などの公(おおやけ)なテーマで、意見や相談する程度の子はいる。
 そもそも、友達の仕切りや枠やボーダーラインが分からない。それに、大抵の事柄や悩みの相談は、お姉ちゃんやお母さんにしていて、二人から真剣に構(かま)って貰っていた。
 少なくても、互いの家へ遊びに行ったり、放課後に、いっしょに出掛けたりするような親しい子は、一人もできなかったし、拵(こしら)えてもいなかった。
【彼女達を、嫌う人達がいるかも知れないけれど、僕には、嫌う理由が無いよ。彼女達は、僕に酷いことをしていないし、悪口や陰口も、言ってはいない。避けたり、嫌ったりする事はできないよ】
 必ずと言って良い程、大抵のクラスに仲間外れにされたり、虐められたりする子が、男子も、女子も、一人か、二人はいる。
 虐めでも、慰(なぐさ)み者にするだけの甚振(いたぶ)りは、陰湿で質(たち)が悪い。
 それは、傍(はた)から見ていても、普通のふざけ合いにしか見えないように装(よそお)っているから、気付き難(にく)くて救いの手が差し伸べられる事も無く、特に悲惨な結末に至(いた)り易(やす)くなっている。
 慰みの対象も、無口で孤立的な子だったり、賢(かしこ)くて真面目だけど、ひ弱だったり、勉強ができないバカっぽい子だったり、細身や肥満な体格や背丈の低い子だったり、身の回りや容姿を構わない不潔そうな子だったり、不細工が意味も無く、移りそうだと言われる子だったり、いずれも、大人しくて自己主張をしない内向的な、ただ、直向(ひたむ)きに耐えるだけの、そんな、陵辱(りょうじょく)されそうな要因を持ってる子達だった。そして、大人しくても、毎回、そこそこ逆(さか)らい、でも、全然弱くて、ちょっと、脅(おど)したり、小(こ)衝(づ)いたりするだけで、嫌々でも、言う事を効(き)く子なら、色々と面白(おもしろ)くて、陰湿に虐め通せるから、最高に楽しい。
 虐める側は、一般的に男女とも、三、四人から五、六人のグループで、リーダーの冷やかしや、からかいの蔑視と虐めの言動を、更に、いきなり加える仕打ちの暴力を、同調する取り巻き連中が、囃(はや)し立て実行に加わっている。
 こいつらは、厭らしい奴らばかりだ。それに、家庭や行動環境にも問題が有りそうだ。
 クラスの過半数は普通っぽく? 事勿(ことなか)れ主義者ばかりで、自分が虐めの対象になりたくないから、見て見ぬフリや賛同して、楽しんでいるフリをする。
(……たく、どいつも、こいつも、哀(あわ)れっぽくて、悲しい奴等ばかりだわ。……はあぁ……)
【いつものように、彼女達と日常の挨拶を交わし、何気ない会話をしているだけ。ダチと話すような話
題ばかりで、毎日が、そんな繰り返しばかりだよ】
 聞いても、見ても、思っても、虐めなんて溜息しか出て来ない。
(加害者になる事も、被害者になる事も、考えたくない)
 孤立的で無口なのは、私も、同じだけど、私の性格を知らずに言い寄って来る男子が多いのと、それを、次々と無碍に断っているのが、言動が予測できない気丈でアウトローみたいな女と思われているらしく、虐められる事は無いけれど、誰も、仲良くして来ようともしない。
 私は、虐められている子達の孤立を強めるように避ける事は無いけれど、それは、クラスメートとして最低必要限度の行動や言葉のみの接触で、庇(かば)ったり、助ける事はしないし、あいつのように、積極的な優しさでのフレンドリーにもなれなかった。
 私も、クラスの過半数と同じで、事勿れ主義の卑(いや)しいヘナチョコのカス女だ。
 二年生での、他クラスの女子達に囲まれた時、私が机を叩(たた)いて立ち上がらなければ……、そして、間を置かずに、机と椅子を蹴(け)り倒(たお)して立ったあいつが、立ち上がった私を睨(にら)まなければ……、今の私は、虐めを受る側になっていたかも知れない。
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 珍しく、家族四人が揃った晩御飯の食卓で、学校での虐めが、話題になった事が有った。
「テレビのニュースやインターネットを見ていると、酷い虐めが多くなってるよねぇ。あんた達は、大丈夫(だいじょうぶ)なの? クラスの中にも、虐めを受けている子がいるんじゃないの? ねぇ、いないの?」
 見た番組か、ニュースか、知らないけれど、見たのがショックだったらしく、お母さんが、私とお姉ちゃんを見て訊いて来た。
「いるよ。虐めっていうより、関(かか)わり合いたくない、友達になりたくないって感じかな。嫌(いや)がらせ的な酷い虐めは、あたしのいたクラスには無かったよ。ねぇ、あんたも、性格がドライだから、虐められているんじゃないの? なんかされたら、あたしに言いなさいよ。ケジメを付けさせて遣るから」
 お姉ちゃんは、不器用な性格の私を心配してくれている。
(……っていうか、お姉ちゃんの実情を知らないけど、お姉ちゃんは、クラスで幅を利(き)かせていそうだ)
 私も、暴力や悪戯(いたずら)の虐めは受けていないけれど、敬遠はされている。
「ううん、そんな事は無いよ。大丈夫だから」
(避(さ)けられているのは、『あいつは、ヤバい』って感じに思われている所為だろうな。それに、守ってくれる男子がいる事も、知られちゃったしね)
 いくら、強い意志を持って虐められないようにしていても、売り言葉に買い言葉で、引っ込みが付かなくなり、和解なんて有り得なくなる。
 やがて、勝ち負けと強弱がはっきりして来ると、主従関係が出来上がってしまう。
 抵抗しても、力の差が明らかになれば、どうしょうもなくて逆らえなくなる。
 王様や女王様気取りで命令する側と、渇上(かつあ)げされてパシらされる慰み者側に分けられてしまう。
 大人達の言う、『相談しろ』とか、『抗(あらが)い続けろ』なんて、既に虐められている子には無意味で、もう遅い。
(『耐(た)えろ』や『我慢しろ』の言葉や文字が、無責任で悲し過ぎる無意味さに思えて、ちゃんちゃら可笑(おか)しくて叫びも、涙も、出ないわ。そんな、助けにならないアドバイスなんて、酷過(ひどす)ぎでしょう。言った大人達、人間辞めてよ!)
 虐めなんてファシズムみたいなもんだから、反逆のクーデターを起こしてイニシアチブを奪うか、抗わず戦犯の様に惨めに処刑されるか、それとも、支配されない処へ逃げるしかないんだと思う。それも、何処(どこ)か、誰も来れない遠い所へ隠れたり……。だけど、逃げて隠れるのは、間違えた自由を求めて、飛んでしまうかも知れず、自由になれたのかも気付けない。
(逆に、戦うなら、重罪を犯す覚悟で、相手を徹底的に痛めつけなければならない。飛ぶ覚悟まで追い詰められたのなら、何度でも虐めた相手に、卑怯な待ち伏せや、罠や、放火で危害を加えれると思う)
「ねぇ、お父さん。虐められたら、学校に相談すればいいの?」
 家族の中で、社会的に一番経験値が高いと思う、お父さんへ訊いてみた。
 お姉ちゃんとお母さんも、お父さんを見る。
 私の思慮深いお父さんは、ちょっと考えてから口を開いた。
「どんなに陰湿、陰険に虐められても、学校の先生に相談するのは、期待ハズレになるだけだぞ。相談してから日数ばかりが経過するだけさ。挙句に、何の対策にもならない教育指導という建前(たてまえ)の注意だけになるだろう。もしかして、おふざけのじゃれ合いで、虐めじゃないって判断されるかも知れない。それに、先生に相談した事が相手に知れて、より酷く、虐められてしまうに決まっている」
 確かに、そうなる可能性は否定できないし、そうなる事の方が多いと思う。
「なんせ、殆(ほとん)どの先生は、大学までの在学期間と学校の教鞭以外に、外の世界を経験していなくて知らないから、根本的に無理で無駄(むだ)だ。アルバイトで働いた経験が有ると言う先生もいるだろうが、小遣い稼ぎと生活の糧に働くのでは、仕事内容と責任のシビアさが全然違う。大体、痛みや苦しさを理解できるのか疑問だな。虐めは、止(や)まなくて何の解決にも至らないさ。更に、体育系の先生は理論分析よりも、精神力のモチベーションを主張するから、全く、虐め被害と噛み合わないし、事態を根深くして、悪化させてしまうんじゃないの」
 『先輩達が遣って来たから、俺達も遣る。それが伝統だ』と、言い切って、当たり前のように、縦の主従関係と力尽(ちからづ)くの制裁での強要ばかりを繰(く)り返す、そんなイメージが体育系だ。
「そうだねー。事勿れ主義や何かの資料本か、事例集で読んだか、見て知ったか、そんなのを、押し付けるのばっかだよ。授業のカリキュラムを熟(こ)なすのに、先生方は忙(いそが)しいから、真面目(まじめ)に学んで、ケアする時間なんて無いと思うよ。それに、どうせ、生徒は三年もしたら、卒業していなくなっちゃうんだからね」
 お姉ちゃんは、さらっと、辛辣(しんらつ)な事を言う。
「あのね。先生達って、タバコ吸う人が多いじゃない。最近じゃ、校舎と学校の敷地全体が禁煙(きんえん)エリアだから、職員室や指導室では、生徒の手前と世間の流れからも、タバコを吸えないから、先生は喫煙(きつえん)場所へ行って吸うしかないでしょう。あれって、タバコを吸わない先生にすれば、サボっている怠(なま)け者だよね」
 確かに、タバコを吸っている先生は、多いけれど……、お姉ちゃんが話を、先生の喫煙に変えた意味が分からずに、私は首を傾(かし)げた。
「授業では、生徒の誰かを指名して答えさせるでしょう。あれは、手抜(てぬ)きだよね。生徒に答えさせたり、順番に読ませたり、対話式で授業を進めるなんて、進学校の先生として、教えて習わせる内容を曖昧にさせるだけだと、私は思うの。宿題もそうよ。いらないでしょう。進学校なら、大学受験の科目を担当する先生は、過去の受験問題の傾向から、良く出題される部分を重点的に、そして、理解し易い授業にするべきで、その為の努力や研究を先生はしなくちゃいけないよねぇ」
(なるほど……、だから……)
「だから、生徒に答えさせる時間も、宿題の採点をする時間も、タバコを吸う時間も、先生のすべき事を考えると、無いはずなのよ! そうでしょう、ねえ、お父さん?」
 先生達は、よく、『忙しいから時間が無い』と言うけれど、自分達の日常を見直さず、何も改善させないで、自ら時間を失っている事に気付けないのだろうか?
「お姉ちゃんの言う事は、少し、強引なところが有るけれど、大抵は、該当(がいとう)しているな。どうして、学校の授業は、学習塾のようにできないのだろうな?」
 学校の授業が、学習塾や進学塾のような指導内容になれば、単純に全体の学力は向上すると思うけれど、教育組織上の弊害(へいがい)が有って、問題は複雑なのだろうと、中学三年生なりに考えた。
「お父さんにとって、学校の先生は、自分の将来像の反面教師だったよ」
 お姉ちゃんの言い分には、そうだと思うし、お父さんの、この一言にも、私も納得だ。
 お父さんにも、何か、トラウマ的な過去が有るのかも知れない。
「警察も、事件にならないと動かないから、予防できなくて、悲劇は防げずに、発生してしまう。それじゃあ、全てが遅いんだわ。とにかく、あんた達は、虐めに合ったら、ちゃんと、親に知らせなさいよ。直ぐに、何とかしてあげるから、わかったわね!」
 お母さんは、私とお姉ちゃんの顔を見て、真剣に言う。
 先にお姉ちゃんへ知らせて、相談すると思うけど、お父さんとお母さんは、絶対に私達を助けてくれると信じている。
 虐めが酷くなれば、登校をさせなくて、どちらかの住所を移してでも、転校を強行させると思う。
 例えば、能登(のと)の御里(おさと)近くの学校へ、転校させてしまうくらいへっちゃらだ。
「大丈夫だよ。お母さん、お父さん。家(うち)は親にも、子供にも、意見や相談ができない家族じゃないでしょう」
 全く、お姉ちゃんの言う通りだ。
 私は、家族に守られているのを良く解っている。それに、あいつも、窮地(きゅうち)から救い出しに来てくれるはずだ。
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 続け様に、あいつのメールが着信する。
【僕が、彼女達を嫌わない故(ゆえ)に、除け者にされたり、嫌がらせを受けたりしても、僕は気にしないし、構わないよ。それに、僕の友人達は、そんなくだらない事で、僕を避けたりしない】
(知ってるよ……。あんたも、あんたの友達も、意味も無く差別するような、チンケでセコイ男じゃないって事ぐらい、分かってるよ)
 不安な思いを、そのまま返信しようか、どうしようかと、迷う内に、更に、メールの遣り取りを終息させるような一通が届いた。
【そういう普通な事が、偏った意識を持って見ると、そう映(うつ)るんだね。それは、悲しい事だと思うよ】
 私の心の狭さが、指摘されている……。
 私の欲しい言葉を誘(さそ)う為の、私のメールが、鈍いあいつの所為で、私は追い込まれている……。
【私の、見方と意識が、偏っているって言うの?】
 これで、更に、私を責(せ)めるメールを遣(よこ)すなら、それまでの事だ。
 心の狭い卑しい女と、思われたままでも構わない。
 決定的な、拒絶で断絶してやる。
(……でも、お願い……、違うの。私を誤解しないで!)
 携帯電話が震えながら歌い、あいつからの、最後になるだろうメールの着信を知らせた。
 期待に反した、言葉違いだったら、『もう、返信しなくてもいいよ。メールを遣さないでいいから。これっきりね』と、永遠(とわ)にさようならをするつもりだった。
【君の事じゃない。僕が好きな女の子は、一人しかいない。知っているだろ】
(テンパった気持ちギリギリに、やっと来た! この文字が見たかったの!)
 あいつにとっての、……私の存在位置は再確認できた。
 もう、メールは充分だ。
 これで私が、『誰を、知っているっていうの?』なんて送って、『それは、君に決まってるだろ。大好きです』と戻されたら、どう返信しても、返信しなくても、どんな、否定と拒絶を文字にして加えても、私が、あいつへ好意を持っていると、あいつの都合の良いように受け入れられてしまうだろう。
(もういい……。ちょっぴり安心したかも……)
 蟠(わだかま)っていた気持ちは、落ち着いたからメールを打つのを止めた。
 これ以上続けると、まだ、『好き』という気持ちを、あいつに寄せても、抱(いだ)いてもいない私は、きっと、あいつを断絶するしかなくなると思う。
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「例え、虐めに抗う時でも、虐めるつもりじゃない罵りでも、相手の命に関わる言葉や、身体的障害を中傷する言葉を使うもんじゃないぞ! 分かっているよな」
 家族四人が揃った食卓での虐めの話題の終わりに、お父さんは私とお姉ちゃんにそう言った。
「それって、『死ね』とか?」
 お姉ちゃんが問うと、お父さんは頷いて、
「そうだ、命に関わる酷い罵りは、『死ね』、『死ねば』、『自殺しろ』、『いなくなれ』、『透明人間』とかで、本当にそうされたらどうするんだ。その時の覚悟は、罵りを言った本人に有るのかってところだ。一時(いっとき)の激高(げっこう)の気晴らし言葉が、一生の負い目と罪悪感を齎(もたら)してしまうんだぞ!」
 確かにそうだ。
 思春期の私達は、思春期症候群という感受性が強くて敏感な妄想と被害意識の真っ最中だ。
 ほんの些細な言葉や態度に傷付けられて、衝動的に自らの命で清算しそうになってしまう。
(きっと、間違った自由へ飛んでも、それは、永遠の逃避で、求めた自由へ至る事ができないままだ。例え、違う意味の自由を得たとしても、それを意識できずに、全ては、終わってしまうんだろうなぁ)
「身体の見てくれへの、中傷もするなよ。他人は、自分と同じじゃない。はっきりとジョークだと分かったり、ジョークだと補足できないような、言葉は言うな。自分は平気だと思っていても、相手は真剣に悩んでいるのかも知れないぞ。顔や手足の痣や、手術痕に火傷痕、髪や眉毛や体毛の量や色や形、指などの部位欠損に、身体の不自由さ、五感の違い、体力の無さや内臓疾患や体質改善の薬の飲用などなど、それらは、治療中かも知れないし、もう、治療できない状態かも知れなくて、一般の健康的な人達には、理解され難いんだからな」
(勉強が出来ない頭の悪さも、それに入るのだろうか?)
 学校の勉強が出来なくても、大人の社会で充分に通用する才能が有るかも知れない。
所詮、学校の勉強なんて、企画化したシチズン造りを目的とした、一側面からの修学システムに過ぎない。
「あと、持ち物や服装も、中傷したり、からかったりするなよ。人それぞれ、家庭の事情ってモノが有るし、好みや趣味かも知れない。より良いモノや、より良くなるように薦めてもいいけれど、強制やしつこさは、不和を招くだけだから、気を付けろ」
 隣で黙って聞いていたお母さんも、『そうよ、お父さんの言うとおり、気を付けなさい』と、お姉ちゃんと私を見ている。
「大丈夫よ。そんな私じゃない事は、お母さんも、お父さんも、良く知っているよね。大事にされている事も分かってるよ」
 笑顔で言う、お姉ちゃんは両親をフツーに安心させていたから、それじゃあ、私もって、笑いながら言ってみる。
「うん、苛めたいのは一人だけど、そいつは苛めから、私を守ってくれているから、心配しないで」
『そうかぁ』、『問題無いから』、『良かったわ』と、話していたお母さんと、お父さんと、お姉ちゃんの声が消えて、三人が一斉に私を見た。
「なにそれ?」
 お母さんが、首を傾げて訊いて来た。
「誰かを虐めて、そいつが、お前を虐めから守っているのか? 何故だ?」
 身をテーブルへ乗り出したお父さんに訊かれた。
 訊きたい事は、お母さんと同じだと思う。
「ふぅ~ん! それ、男の子でしょう。あんたの事が好きなのね。それで、あんたも気が置けないのね」
(よっ、読まれた! やっぱ、侮(あなど)れないわぁ、お姉ちゃんのスキルは……)
「なっ、なにぃ! すっ、好きな男子がいるのか? そいつは、お前を好きなのか?」
 更に、身を乗り出したお父さんが、間近でズレた事を言って来る。
 私絡みのイジメへの心配は、言葉にガーディアンもどきを出現させた時点で、何処かへ飛ばされて、カレ、カノの関係の尋問(じんもん)っぽくなって行く。
 ちょっと声が震えて、近付けた表情に、『もう、そんな年頃になってしまったか?』の驚きと、『信じられない』とか、『嘘ですって言ってくれ』の否定が、まざまざと現れている。
(愛娘(まなむすめ)を案じる気持ちは、良く分かるけど、近過ぎだよ。お父さん)
「違うって、あいつの片想いだよ。私は……、全然好きじゃないしぃ……」
 お父さんの驚愕した顔に、さっと明るさが差したけれど、直ぐに曇って行く。
「お前に片想い……?! あいつって……。やはり、男子なのかぁ……」
(ヤバイ! 疑っている。早く、完全否定しないと、先入観で誤解されてしまう)
「いいわよ。御家(おうち)へ連れて来なさいよ。見定めてあげるから」
 ニコニコと笑いながら、お母さんが発展的な事を言う。
「この際、あんた、その子と、お付き合いしちゃえばいいじゃん」
 お姉ちゃんが、余計な事を言いながら、興味津々(しんしん)な顔で覗き込んで来る。
(あーん、しまったぁー。完璧にボケを咬(か)まして、突っ込まれ捲くりになっちゃったよ)
「もう、絶対に、全然、違うっちゅうの!」
 これは、お父さんがしてはいけない事だと戒(いまし)めて、家族四人が納得して賛同した問題定義の部分と同じでしょう。
 家族による末娘の人生への中傷で、からかいで、虐めだ。これを毎日の食卓で話題にされたら、グレてプチ家出して遣るからとマジに思ってしまう。

 

 つづく