遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

ときめき (僕 中学二年生) 桜の匂い 第三章 壱

 そこだけが、光っていた!
 窓のカーテンが、春の暖(あたた)かな風に捲(ま)くれ上がり、窓際の中程の席だけが、差(さ)し込(こ)んだ春の優(やさ)しい光に照(て)らされた。
 そして、その淡(あわ)い陽溜(ひだま)りの中に、彼女がいた。
 舞(ま)い上がった塵(ちり)の粒(つぶ)が光を反射してキラキラと輝(かがや)き、まるで、ステージのヒロインがスポットライトを浴(あ)びるように、彼女だけが輝く光の中にいる。
美(うつく)しい神秘的(しんぴてき)な光景に僕は目を見張り、西洋神話に登場する怪物(かいぶつ)メドゥーサを見て、石にされた憐(あわ)れな古代人のように立ち固(かた)まった。
 陽射(ひざ)しを眩(まぶ)しそうに目を細めて仰(あお)ぎ見る女の子は、中学一年生で何度も擦(す)れ違(ちが)い、探(さが)し求(もと)めたデジャビュの女の子だ。そして、良く見れば、小学六年生の時に声を掛けた四角い爪の天空人(てんくうびと)だった。
(懐(なつ)かしくて、安(やす)らぐ優しさは、彼女だったんだ!)
 デジャビュは、繋(つな)がった!
 彼女は成長して、更(さら)に背が伸(の)びて、その落ち着いた感じの容姿(ようし)は大人(おとな)びていた。
 それに、端整(たんせい)な顔立ちの綺麗(きれい)で可愛(かわい)い美人になっている。
 彼女の輪郭(りんかく)は、光を帯(お)びたように明るく輝いて、神秘的で不思議(ふしぎ)な感じだ。
 僕は、彼女を輝かすその光が、まだ見た事が無い『オーラ』の光だと思う。
『キュル、キュゥーン!』、僕の中で何かが大きく鳴(な)って、胸の中が鋭(するど)く痛(いた)んだ。
 僕の胸は、もうどうしようも無いくらい激(はげ)しくときめいて、何かに急(せ)かされているみたいに気持ちが落ち着かない。
 クラスメートの六割が入(い)れ替(か)わった新学年の初日、あの、光る春風と桜色の中の彼女に見蕩(みと)れて、立ち竦(すく)んだ二年前の春の日から、ずっと僕は、彼女に憧(あこが)れて、恋(こい)をしていたのに気が付いた。
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 彼女の容姿は、僕の眼で立体スキャンされて、記憶層(きおくそう)にインプットされる。
 断層(だんそう)や透視(とうし)スキャンは無理(むり)だけど、外観(がいかん)はしっかりと、僕の脳の奥深くに刻(きざ)み込まれた。
 一度、きちんとインプットされると驚(おどろ)くほど良く彼女を見付けてしまう。
 朝の通学路では、意外と近くを毎日、僕と同じ時刻(じこく)に歩いていたのには、本当に驚いた。
 一年生の時、あんなに探していても、見付からなかったのは、単に僕の観察力や探索力が不足していただけで、はっきりしたイメージや情報が有れば、案外楽に分かるものだと感心してしまった。
 毎日、学校へ来るのが楽しい。
 彼女の何気(なにげ)ない表情や仕種(しぐさ)、特に彼女が笑(わら)うと、その楽しさが感染したかのように胸がドキドキして、僕も笑顔になるくらい嬉(うれ)しくなる。
 少し鼻に掛かる掠(かす)れ気味(ぎみ)な声に、その喋(しゃべ)り方と言葉(ことば)、それに、スタイルやポーズが素っ気(そっけ)無いくらいに普通じゃなくて、周(まわ)りに気付かれないように僕は、彼女を見詰(みつ)め続けてしまう。
 稀(まれ)に、視線が重(かさ)なりそうになる彼女の黒目勝(くろめが)ちな目は、今も透(す)き通った黒い瞳(ひとみ)で、長い睫毛(まつげ)が、より黒目勝ちに見せている。
 目が合いそうになると、とっさに僕は、気付かれない速(はや)さの動きで、目も、顔も、スーッと逸(そ)らしてしまう。
 彼女の服装や持ち物なども、全(すべ)てが素敵(すてき)に思えて来て、RPGゲームで発見したレアな宝物のように感じた。そんな、自分の気持ちに気付いてしまうと、加速的に彼女への想いが益々(ますます)強くなって行った。
 彼女と明るく話せれば、良いと思う。
 いっしょに並(なら)んで、楽しく話しながら通学できると、もっと良い。
 勉強や学校や家や友達など、互(たが)いの悩(なや)みを打ち明(あ)けて相談し合う。
 優しい彼女と手を繋いで、いっしょに川縁(かわべり)や坂道や迷路(めいろ)のような裏通りを歩く。
 学校や街角(まちかど)で、僕達二人だけの合図(あいず)を明るく笑顔で交(か)わす。そうなれば、もっと、もっと良い。
 互いの眼(め)と心で通じ合い、そして、キスをする。
 ギュッと彼女を抱(だ)き締(し)める僕は、彼女を離(はな)しはしない。
 他の誰(だれ)もが、彼女を理解(りかい)しなくても、僕だけには解(わか)る。
 他の誰にも、彼女を渡(わた)したくない。……などと、もっと、もっと、もっと、仲良くなりたい。
 更に暴走する想いは、その先を望みたいけれど、純情な僕の知識不足で虚(むな)しい想像は、直ぐに限界が来て仕舞い、この程度しか、今は思い付かない。
 想いは全部、僕が妄想(もうそう)する彼女との可能性ばかりで、僕の一方的な願いと想像だ。
 空想(くうそう)も少し入っている。そして、彼女が僕を受け入れてくれないと、何も実現しない。それよりも、彼女に僕の想いを伝えないと、何も始(はじ)まらない。
 彼女が、他の誰かと御付き合いする前に、早く、僕の想いを彼女に伝えなければならない。
(でも、どうやって、彼女に伝えようか?)
 僕は緊張(きんちょう)し易(やす)くて、人前で上手(うま)く話せない。まして、好きな女の子に直接の告白(こくはく)なんて、それは、呂律(ろれつ)が回らなくなって噛み捲くりになるから、絶対無理だ!
 僕は、自覚(じかく)している。
 僕が普段から、早口(はやくち)で話し、緊張したり、焦(あせ)ったりすると、更に早口になって、しかも、はっきりと口を開(あ)けない為(ため)に、篭(こも)った母音(ぼいん)ばかりが相手に聴(き)こえてしまう。
 言葉の区切りが、上手く出来ない僕のしゃべりは、時々、何を言っているのか、分からないと言われていた。
     *
「あんたねぇ、ちょっと注意して貰いたい事が、二つ有るの。一つは、口の開け閉(し)め、もう一つは、食べ方よ」
 小学五年生の時、僕との何気ない話しの最中(さいちゅう)に、お袋(ふくろ)が突然言い出して、僕の見た目と食事マナーの直(なお)すべき欠点を指摘(してき)しだした。
「いつも、ポカッと口を開(ひら)いていると、アホっていうか、ちょっと理解の遅(おそ)い子みたいな、この子はポカンとして、しっかりしてるのかしら、大丈夫(だいじょうぶ)なのぉって、疑(うたが)ってしまう感じに見えるもんなの」
 さらっと、何か酷(ひど)い事を言われた気がする。
(それって、お母さんには、そう見えていたってことぉ?)
「反対に、口を閉(と)じているだけで、利発(りはつ)に見えちゃうんだからね。あんたは、足(た)りない子じゃないんだから、気を付けなさい」
 お袋がイメージする『足りない子』って、どんな子の風体(ふうてい)を指(さ)すのか分からないけれど、確(たし)かに、口を閉じているだけで、ビジュアル的に締(しま)りが有る顔に見えると思う。
 スポーツで体内圧力を抜(ぬ)いて、敏捷性(びんしょうせい)を高めるとかいうけれど、瞬発力(しゅんぱつりょく)を高めるには、奥歯を噛(か)み締めていた方が、理(り)に適(かな)っていると、体験で知っている。
「食べる時もいっしょよ。口を閉じて噛みなさい。噛む度(たび)に口を開けると、クチャクチャ、ペチャペチャ、ムシャムシャって、汚(きたな)らしい音がして、いっしょに食べている、周りの人達を不快(ふかい)にさせるわ。そして、親の躾(しつけ)を疑われちゃうの。だから、モグモグして食べなさい。わかったぁ!」
 三つも挙(あ)げた擬音(ぎおん)に、文学的な食べている表現(ひょうげん)には効果的だろうけれど、実際には、動物的で品(ひん)が無いと納得(なっとく)した。
 お袋の正(ただ)すように要求した指摘に、自分が常に口呼吸をしていて、噛み砕(くだ)く度に、口の中の潰(つぶ)す音を放っていたのに気を付かされた。
 だから、乾燥(かんそう)する咽喉(のど)で粘膜(ねんまく)を痛めて、空気中に漂(ただよ)う風邪(かぜ)や諸々(もろもろ)のウイルス性感染(かんせん)の病気に罹(かか)り易くしてしまうのだ。
 お袋が言う、それっぽい顔付きにも、なってしまうらしい。
 動物的な音も、これからは、出さないようにマナーとして習慣(しゅうかん)付(づ)けなければならない。
 お袋の指摘は、二つだけで終わらない。
「それとぉ、前から気になっていたけど、発音(はつおん)が変よ。ベロ出してくんない? そう、いっぱいに出してみてよ」
(なにそれ? 発音と舌(した)?)
 その真意(しんい)が、分からないままにベロを出してみた。
「ふぅーっ、大丈夫(だいじょうぶ)ね。んーと、ちゃんと、下唇を超(こ)えてるから、安心ね」
 お袋は、僕の出したベロに触(ふ)れながら、安堵したように溜(た)め息を吐(つ)く。
 触れられて擽(くすぐ)ったい舌に、お袋の息が掛かる。
「舌が短(みじか)い所為(せい)で、上手く発音しきれていないと思ったのよ。ちゃんと長くて良かったわ。短いと、舌を伸ばす整形手術をしなくちゃいけなかったかもね」
 それまで、自分が早口で、しかも、聞き取り難(にく)い発音をしているとは思っていもしなかった。
 だから、僕を産(う)んで育(そだ)ててくれる母親の、『発音が変』の指摘と、『整形手術が必要』の発言は、気付いていなかった、見てくれの悪い癖(くせ)とノーコントロールだった食べ方の改善要求以上にショックで、『あんたって、何度見ても不細工(ぶさいく)過(す)ぎだよね、いっぺん整形してみる?』って聞こえたくらいに、既(すで)に下降気味の気分を錐揉(きりも)みで急降下させて、悲観(ひかん)と羞恥(しゅうち)の領域スレスレを超低空飛行していた。
『産みの親も、育ての親も、あんたじゃんか! どうして、物心(ものごころ)が付く前に、僕の人格が、形成される前に、幼(おさな)い頃に、変だと気付いて、直してくれなかったのかなぁ?』と、言い返して遣(や)りたい。
「舌が変じゃないなら、この発音の拙(まず)さは、きっと、精神的なところから来てるんだわ。だぶん、伝えたい思いや気持ちを、上手く纏(まと)められなくて、口の動きや出す声が、不正確(ふせいかく)になってしまうのね」
『だったら、五年生になるまで、放(ほう)って置かなくて、本当に、もっと早く、言って欲(ほ)しかった』())と、内心、腹が立って来た。
 僕が話す、多くの意味を相手に理解されていなかったと思うと、悲(かな)しくなる。
 楽しい事や嬉しい事を、弾(はず)んだ明るい気持ちで話していたのが、恥(は)ずかしくなった。
「それは、しゃべりたい気持ちが、先行してしまう所為だと思うから、話す前に言いたい事を整理して、焦らずに落ち着いて話なさい。そして、もっと、口を開けて、一つ、一つの発音に、口の形を作りなさい。発音の形を作れば、早口にならずに、はっきりと聴(き)こえるはずだから。じゃあ、はい、意識してぇ、もう一度、話してみて」
 自分自身に自覚(じかく)が無くて、腹立たしい指摘だと思えたけれど、これからの未来で、僕の意思を相手に理解されるように伝える為に、僕は指示に従(したが)って、口を声に合わせて形を変えてみる。
「ねぇ、いつから、変だと、気付いて、いたの?」
 お袋へ、ゆっくりと、抗議(こうぎ)の文句(もんく)を言った。
「ほら、何を言っているのか、ちゃんとわかるわ。聞き取り易くなったじゃない! そう、ゆっくりと発音してね」
 聞き取り易く伝えたはずの僕の問いを、お袋は完全無視を決め込んで、上手く話せている矯正(きょうせい)の試(こころ)みを褒(ほ)めた。
 こんなにも、簡単(かんたん)に直せるなんて思いもせず、半信(はんしん)半疑(はんぎ)で、お袋の試みに応(おう)じた僕は、これまでの発音を矯正できる事よりも、この、異質(いしつ)な感じのしゃべりが正常な事に愕然(がくぜん)とした。
「身体(からだ)じゃなくて、性格の問題だったのかな? ちゃんと、しゃべるのをズボラして、言葉を端折(はしょ)らないでちょうだい」
 端折ってはいないつもりだった。
 寧(むし)ろ、話そうと思った全てを、話すようにしていた。
 でも今は、意識してしかできない、異質で納得できないしゃべりではなくて、聞いてもらう相手には、その、大半が意味不明の音でしかなかった事に方が、大問題なのだ。
 何気に僕の耳に入り、理解できている家族や友達やクラスメートの言葉が、これほどの違和感(いわかん)が有るしゃべりで、それを、みんなは無意識で理解し合って、普通に会話が成立している。
「相手に、しっかりと伝わらないと、相互(そうご)理解のコミュニケーションができないでしょう」
 意識しないと、できていない口の形や発音、そして、話す速度は、早く習慣付けて、無意識に違和感の無いようにできなければならないと、真摯(しんし)に思った。
 その事を僕は、お袋に指摘されて理解した時から、ちゃんと、口の形に注意して、ゆっくりと話すように心掛(こころが)けている。
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 お袋の指摘されてから、口呼吸は口を閉じた鼻呼吸に矯正したし、漏(も)れ出る咀嚼音(そしゃくおん)も、意識して口を閉じて噛むようにしている今は、クチャラーじゃなくなって久しい。
 だから、彼女に話しかけた六年生の時には、トロそうな顔付きではなかったと思う。
 給食(きゅうしょく)の食べる音やマナーにも、僕は気を付けていたから、もし、彼女が、僕を意識し出しているならば、僕の外見上の印象はマイナスではないはずだ。
 だけど、外見が与える好印象と、彼女へ声を掛けるのは、別の問題だ。
 早口の発声と速度を直していて気付いたのは、自分で、『おそいなぁ』と思ったくらいが、相手に聞き取り易い速さという事で、今も、意識して直す努力が足りずに苦労していて、完全矯正には至(いた)っていない。
 今は、意識した発音の矯正で、だいぶ聞き取れるようになっているけれど、話す相手が、女子というだけで緊張してしまい、矯正力が薄れて以前の早口に戻(もど)ってしまい勝(が)ちだった。
 それが、好きな彼女への告白となれば、声も出なくなるに決まっている。
(まだ、落ち着いて、彼女と話す……、自信が無い……)
 好きになれば、なるほど、上手く話せなくなると、どこかで聞いたり、何かで読んだりした覚(おぼ)えが有る。
 僕は、まだ彼女に二言(ふたこと)しか話していない。
 それも、心臓が高鳴って、息が詰まるほど胸が苦しくなり、上(うわ)ずった閊(つか)える声で、やっと言えていた。
 初めて彼女に話し掛けた、春の麗らかな日の会話は、良く憶(おぼ)えていて、思い出す度に顔が火照(ほて)って切(せつ)なくなる。
 どうにかして、彼女を想う僕の気持ちを、彼女にリアルタイムで告白したい。
 ……そんな想いで、毎日を悶々(もんもん)と過ごしていた。
     *
 ある朝、彼女が机の影で、携帯電話の画面を見ていた。
(ん、携帯電話を持っている……)
 銀色に輝く、大画面の携帯電話だ。
 彼氏とメールをしているのかと、気持ちは曇(くも)ったけれど閃(ひらめ)いた。
(こっ、これだ!)
 二年生になってから親しくなった友人の中に、一年生の時に彼女と同じクラスの男子が二人いた。
 彼らを廊下に連(つ)れ出し、二人に彼女の携帯電話の番号とメールアドレスを知らないかと、ダメ元で尋(たず)ねてみたけれど、案(あん)の定(じょう)、二人とも知らなかった。
 それどころか、彼女は変っていると言う。
「おまえ、あいつを好きになったのか? あっちゃー、いくら惚(ほ)れたからって、それは、止(や)めといた方が良いかもね。あいつ、恋愛(れんあい)には全(まった)く興味無さ気で、去年は、五、六人を振ったみたいだぜ。お前も、あっさり振られちまうぜ。ちょっと、可愛い系だから、目立つしなー。でも、変わった女らしい……。確かに、彼氏はいないけれど、同性の友達もいない。だからって、苛(いじ)められてはいない。どっちかというと、女子達は敬遠しているみたいだったなぁー。なんか痛い系? まあ、百合(ゆり)系じゃないみたいだし、あいつに振られても、友達になりゃいいじゃん。あいつを、虚しくて寂(さみ)しい孤独(こどく)から、おまえが救ってやりなよ。まあ、あいつの携帯番号とメアドは、ちょいと、心当たりが有るから、一週間ほど待ってくれ。何とかしてやるよ」
(彼女はそんなだっけかな? 寂しいのかな……? それは、無いな。憂(うれ)いは有っても、寂しさは無い。彼女に、寂しさは似合(にあ)わないし……、それに、心当たりってなんだぁ?)
「おまえら、あいつって言うな! それに、変人っぽくも言うなぁ……」
 好きになるのを止めとけと言いつつも、彼らは本当に一週間で、彼女の携帯番号とメアドを捜(さが)し出して来て、僕の携帯電話へメールで届けてくれた。
 僕は、大喜びに感謝のつもりで、『御礼をしたい』と言う。
「お礼なんかしなくていい。友達に好きな子ができて、告白しようとしているのを、応援(おうえん)するのは当たり前だ。結果はどうあれ、おまえが、精一杯頑張(がんば)れば、それでいいじゃん」
 そう、あっさり返された。
 僕は、メアドを知り得たダチ達の有言実行が、どんなコネクションと経緯(いきさつ)で為されたのか、訊(き)いてみた。
 僕の問いに答える彼らの話は、単純だった。
 中学一年生になると、大勢の生徒が携帯電話を持つ。
 みんなは嬉しくて、電話やメールを交換し合った。
 やがて、彼女のクラスの女子達の間で、携帯電話の友達ネットワークを作ろうって事になり、それに彼女も登録したのだった。
 それを、彼らが知っていて、仲(なか)の良い彼女の元クラスメートの女子に頼(たの)み込み、リストを有償(ゆうしょう)で手に入れてくれたのだ。
「有償って、金を払ったのか?」
 詰問(きつもん)するように僕は、情報源と経緯への質問を続ける。
(代償に金銭や物品を渡しているのなら、それは、依頼した僕が持つべきだろう!)
「別に、大した事じゃない。食い物とか、文具や雑誌だよ。それは、俺達の手段で、おまえが気にする事じゃない。あいつら、直ぐに、アドレスを寄越(よこ)さなくてよ。それで、一週間も掛かっちまった」
 使かった金額と相手の女子名を、彼らは、頑(がん)として言わなかった。
( 『一週間で』じゃなくて、『一週間も』だったんだ)
 涙が出そうになるくらい嬉しくなる。
 僕は、彼らのさり気無さに感動してしまい、感謝の言葉を告(つ)げながら、必(かなら)ず告白して彼女と親しくなることを心に誓(ちか)った。
 彼らが苦労(くろう)して手に入れた、彼女の電話番号とメールアドレスを登録してから、僕は悩(なや)んだ。
(彼女の気持ちを掴(つか)むには、どう告白すれば良いのだろう? 表題よっては、開封もされずに無視されたり、開封しても、文の書き方や内容次第で、幾つかの文字を見た途端(とたん)に消去されるかも知れない。さわりだけ読んで、無碍(むげ)にされるかも知れない。一読(いちどく)されてから、悲しい返事の結末(けつまつ)になるかも知れない)
 悩んで考えた結果、僕の伝えるべき想いと、初めて話した時の彼女の印象(いんしょう)にした。
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【好(す)きです。貴女(あなた)は、桜色(さくらいろ)が、とても似合(にあ)って、春風の中で輝いていました。貴女からは、桜の香(かお)りがするようでした。でも、とても、眠そうに見えました】
 迷(まよ)った。
 表題無しの送る告白文はできたけれど、それを、送るべきか僕は迷った。
 デジタルな活字文(かつじぶん)で、僕の真剣(しんけん)な想いは充分(じゅうぶん)に伝わるのだろうか?
 真剣な想いは、生声(なまごえ)で伝えなくて良いのだろうか?
 電話だと、声だけだ。
 電話の言葉なんて『そう、ふーん』くらいの感じで、直ぐに忘(わす)れてしまうに決まっている。
 それに、生声じゃない。
 だったら直接、彼女の目を見て、僕の生声で伝えるべきだと思う。
 でもダメだ。
 できない。
 彼女に見られながら、真っ赤(まっか)な顔(かお)で立ち尽(つ)くし、言葉にならない声を出す。
 きっと、話しの順番もバラバラになってしまう。
 それよりも、気持ちが萎縮(いしゅく)してしまい、僕は、絶対に彼女へ声を掛けられない。
 電話も、同じだ。
 姿が見えないだけで、話す相手が彼女だと意識すると、きっと、声も出せずに、言葉も、思考も失(うしな)って、話す以前の問題になると思う。
(電話のデジタルな声よりも、アナログな手書きの手紙が、良いかも知れない)
 それも、抵抗があった。
 差出人(さしだしにん)不明の手紙だと、彼女は返事を書けない。
 差出人を知られずに文通…… いや、メール交換をしたい。
 携帯電話のメールは、差出人が誰か分からなくても、表示されるアドレスへ返信できる。
 そして、リアルタイムだ。
 僕は、姑息(こそく)な奴だ。
 メールで探(さぐ)りを入れながら、少しづつでも、良い印象をイメージさせて行けば、きっと、足長おじさん的に好かれるだろうと考えていた。
 僕は、打ち込んだ告白文に、送付先のアドレスを入力して保存した。
(彼女が、誠実(せいじつ)な人ならば、きっと、僕が誰だか、返信で問い質(ただ)して来るだろう)
 昨夜、電話からメールに変更して、告白する事に決めてからも、告白文の見直(みなお)しや彼女の反応を想像して、一晩中、悩んで眠れなかった。
 生まれて初めて一睡(いっすい)もせずに朝を迎(むか)えた。
 徐々に白(しら)んでくる空や、澄(す)み切った大気と昇(のぼ)る太陽の鋭(するど)い輝きが、僕に凛(りん)とした勇気(ゆうき)と、遣り遂げる意思を与(あた)え、新しい日の新たな出会いや出来事を予感させた。
(どうか、想いが届き、願いが叶(かな)いますように……)
     *
 朝の通学路。
 徹夜で散々(さんざん)悩みまくった朦朧(もうろう)とする意識の中、当たって砕(くだ)けろ的な気分で、僕は向かい側の歩道の少し先を、一人、学校へと歩く彼女にメールを送信した。
 斜め前方を歩く彼女は、着信を告げるバイブレーションに驚いたのか、大袈裟(おおげさ)なビクッっとする動きをして立ち止まった。
 そのショックが、メールの着信だと気付いたのだろう、ゆっくりと、携帯電話をポケットから取り出して、着信したメールを見ていた。
(さあて、彼女は、どう反応するだろうか? 返信してくれるだろうか? それとも……、無視を決められちゃうかもな……)
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 返信は直ぐには来なくて、半(なか)ば諦(あきら)めかけていた放課後、美術部の部室で粘土(ねんど)を捏(こ)ねている最中に、携帯電話がリズミカルに震え、メールの着信を知らせた。
 僕が小学生の頃から持たされていた携帯電話機は、親父(おやじ)のお古(ふる)だ。親父は、いつもケースに入れて使っていて傷一(きずひと)つ、付いていない。
 折(お)り畳(たた)み式のようなガラパゴス携帯じゃないけれど、性能は、最新タイプのスマートフォンに劣(おと)る。
 でも、僕の使用範囲では十分な機能を持っていて、その、フィンランドのメーカー製スマートフォンのタッチパネルじゃないフルキーデザインのフォルムが、レトロな感じがして、とても、気に入っている。
 僕に携帯電話機を譲(ゆず)った親父は、カナダのメーカー製スマートフォンに変えた。
 バラ科キイチゴ属のブランド名で、機能的なデザインが良いと言っていたけれど、やっぱり、レトロっぽいのを選んでいた。
 僕はキーを押して、着信したメールを開いた。
 画面の上の隅(すみ)に、送り主(ぬし)のアドレスが表示されている。
『Ying Hua』
 彼女からの返信だ。
 表示されているメールのアドレス名は、彼女の名前とは違っていて、僕は、アドレス名を彼女の名で登録していない。
 携帯電話のアドレス帳には、彼女と解らないように、彼女のメールアドレスの初めのアルファベットで登録してある。
 それに、その発音が、女性の名前っぽい気がした。
【私は、過去形? 私は、眠そうにボーっとしているの? 私が臭(くさ)い? あんた誰? イスパニアの白ワイン】
 それは、僕の告白メールへの彼女のツッコミだった。
 予想された通りの返しの内容だったけれど、末尾(まつび)に綴(つづ)られた文字には驚いた。
 それは、和訳された僕のスペイン語のメールアドレスで、博学で思慮(しりょ)深い彼女を知らされた。
 和訳されたスペイン語は、音痴(おんち)の克服(こくふく)に歌を練習しようと思い、近所にカラオケボックスがないか、インターネットで検索中に、偶然(ぐうぜん)に見掛けた喫茶店(きっさてん)の名前だった。
 金沢(かなざわ)市(し)郊外の砂丘(さきゅう)の町に、僕が、産まれる前から在る喫茶店の名前だ。
 オレンジ色の屋根に白壁(しらかべ)の地中海風な造(つく)りの外観で、いつか、眩しい陽射しの日に行ってみたいと思っている。
『ビーノ・ブランコ』
 呟(つぶや)くと明るい陽射しの響(ひび)きなのに、どこか、秋を感じさせて、僕のイマジネーションを掻(か)き立てた。
 青く高い澄み切った空と白い筋雲(すじぐも)の下、緑の葉が生(お)い茂(しげ)る棚(たな)仕立(じた)てからたわわに実って、ぶら下がる青紫色に熟(じゅく)した葡萄(ぶどう)の房(ふさ)の、秋風に吹かれて揺(ゆ)れる様(さま)と、葡萄畑(ぶどうはたけ)の匂(にお)いを思い描(えが)かせた。
 思い描いたイメージが心地良く、その想像を広げる名前を、僕は、携帯電話のアドレスに使わせて貰(もら)った。
 驚きといっしょに、彼女の誠実さを感じた。
 突然送られて来た、名前が無くて誰からなのか分からない告白メールを、彼女は、無視をしないで返信してくれた。
(怒(おこ)っている……? 何故(なぜ)?)
 返信されたメールから、彼女が嫌(いや)がっていると思った。
 彼女は、きっと、本人は真面目(まじめ)な顔をしているのだろうけれど、二重(ふたえ)瞼(まぶた)の優しげな眼差(まなざ)しは口を強く結(むす)んでも、どこか、薄(うす)く微笑(ほほえ)んでいると思わせるような、優しい顔付きの女の子だ。
 でも、学校でのようすを見ている限り、その態度と言葉遣(づか)いは、表情から期待した優しさの欠片(かけら)も感じさせない。
 彼女へ掛ける丁寧(ていねい)な言葉へ、彼女の返す言動は、素(そ)っ気(け)無く無情に冷たい。
 だから、クラスのみんなは、ファーストコンタクトで退(ひ)いて、セカンドコンタクトは、大抵(たいてい)、避(さ)けてしまう。
 どうも、関(かか)わり合いたくない『可愛そうな子』や『痛い子』の扱(あつか)いにされているようだ。
 それでいて、授業でのグループ割りでは、外(はず)されるどころか、女子から積極的に受け入れられていた。
 男子からも、気遣(きづか)われてるみたいだし……、たぶん、みんなは、先生を恐(おそ)れない彼女とトラブれば、面倒だと思っているのだろう。
 もっとも、授業に関(かん)してのみの限定事だけど……。
 僕はというと、下がり眉(まゆ)を刈揃(かりそろ)えて、小さな上がり眉に見せ掛け、セコく、運気を上げようと足掻(あが)いている。
 どこにでもいるような、卵形の平凡極(きわ)まりない顔だ。
 凹凸差(おうとつさ)の少ない、平面顔のパーツの造りやレイアウトは、美形に程遠い。
 睫毛(まつげ)は長いけれど、瞼は一重(ひとえ)で、ちょっと細目の目付きは良くないし、キラキラしていない瞳は濁(にご)っている気がして、僕の顔立ちは、気難(きむずか)しそうな彼女の好(この)みじゃないと思う。   
 彼女のメールアドレスの『Ying Hua』は、英語の辞書で調べても、意味は分からなかった。
 英語じゃなくて、フランス語でも、ドイツ語でも、イタリア語やスペイン語でもなかった。
 パソコンで検索しても、良く分からない。
(何かのタイトルか? それとも、もっと、別な国の言葉なのか?)
 何か雑学的に意味深い特殊(とくしゅ)な単語だと考え、僕は親父に訊いてみた。
 ノートの隅に走り書きしたのを見るなり、親父が声にした。
「インファ」
 親父は、そう発音した!
「分かるの? 意味は?」
 駄目元(だめもと)で訊いてみただけなのに、まさか、本当に、親父が知っているとは思わなかった。
 僕は反省すべきだ! ……親父を侮(あなど)っていた。
「ああ、中国語だ。後で中国語の電子辞書を貸すから、自分で調べろ」
 さり気無く言う親父が、でかく見えた。
 渡された電子辞書で調べると、意味は、『桜花・桜の花』で、雑学的な意味深な単語ではなかった。
 ただ、彼女は桜が好きで、桜を意識していた。
 僕は、桜の花弁(はなびら)が舞う麗(うら)らかな春の日、手を投げ出し、イスの背に凭(もた)たれる、眠そうな彼女の姿を思い出していた。
     *
【突然メールを送って、ごめんなさい。麗らかな春の光りや、風や、匂いと桜が、貴女に溶け込むように似合っていました。それは、いつも、僕が、貴女を慕(した)う時に想うイメージです。優しい貴女が、大好きです】
 彼女の機嫌をこれ以上、損(そこ)なわないようにと気遣っていたら、言い訳じみたのになってしまった。
 でもそれは、本当に思っていた事だった。
 僕は緊張すると、話が閊えて、ぶっきらぼうに言ってしまう。
 声は細くなり、言葉を選べないし、探せない。
 言葉を省(はぶ)くのも多くて、相手に思いや考えを上手(じょうず)に伝えられない。
 でも、メールは違う。
 想いを文字として打ち込むのは面倒だけど、言葉を繋げられるし、優しい気持ちを綴れる。
【なぜ、私を好きなわけ? 優しいから? 眠そうだから? 匂うほど、春眠が似合っているから?】
 小学六年生の春の日、窓際の席の彼女は、桜香る春風を微睡(まどろ)みながら楽しんでいた。
 彼女の不思議な『四角い爪』を訊いた時、今でも、意味不明な『ピアノ習っているの』と、優しく響く声で答えてくれて、その眠そうな姿と、素直な物言いと、少し鼻に掛かった声が、彼女の優しさを僕に感じさせてくれた。
【春眠が、似合うのも、眠そうなのも、可愛いと思います】
 春の日の優しげな声が、例(たと)え偽(いつわ)りだったとしても、僕は、彼女の優しさと可愛さを分かっている。
【どうして、私が、優しいと知ってるの? 優しくなかったら、嫌いなわけなの?】
 僕は知っている、……と思う。
 『優しいと思うだけで、彼女が好きなのか?』と、問われたら、『彼女は、優しさだけじゃない』って、答えたい。
【貴女は優しいと、僕は信じています。でも、優しくなくても、僕は貴女が大好きです。何か理由がないと、好きになってはいけないのですか? 好きなるのに、理由が必要なのでしょうか? なら……、貴女だから、好きです】
 僕はもう、彼女の全てが大好きで、嫌いなところは、何一つ無い。そして、彼女も僕を好きであって欲しいと願っている。
【それで、好きだから、どうなの?】
 答えにくい事を訊いてくる。それは、相思相愛になれば、自然と発展していくものだろう。
【貴女を見かける度に、心がときめきます。そして、胸が苦しくなって、切ない気持ちになります。僕は、貴女が好きなのです。だから、告白しました。本当に大好きです】
 僕は、答えを暈(ぼ)かす。
【好きだけで終わり? 続きは? 何がしたいの?】
 彼女は、しつこく突っ込んで来る。
(続きって……、それは、相思相愛になったらって事なのか? それとも今、僕が、彼女にしたい事なのか? ……スケベな下心も、吐露(とろ)しなくちゃいけないのか? 普通、分かるだろう)
【貴女と並んで歩きたい。笑顔の貴女といっしょに、楽しく話しながら通学したいです】
 これまた、小学生が、お願いするみたいになってしまった。
【いっしょに並んで歩くの? 話しをして楽しいの? それで何?】
 安らぎが欲しかった。
 大好きな仲良しの彼女が傍(かたわら)にいて、いつも、笑って幸せを感じていたいと思う。
【もちろん! 凄く楽しいと思います。貴女と手を繋(つな)いで歩きます】
 仲良しゴッコみたいだけれど、僕はずっと、彼女の温(ぬく)もりを感じていたくて、きっと、繋いだ手を離したがらない。
【手を繋いで、それから?】
(それからって……)
 このメールの遣り取りが、断(こと)わる為の落とし所を彼女が探しているだけだと思えてきた
 返答は、あからさまに下心丸出しのスキンシップ展開になるけれど、かまわない。
 半(なか)ば、自暴自棄(じぼうじき)の当たって砕ける思いで、送信キーを押した。
【優しく抱き締めたい。そして、ギュッと、息が詰まるほど、強く抱き締めて上げたい】
 送信してから、めちゃめちゃ恥ずかしくなった。だがこれで、確実に振られるだろう。
【抱き締めてから?】
 まだ来る! 彼女は、ケリを付けてくれない。
(くっそう! 言葉で僕は弄(もてあそ)ばれている。ラストは、僕のスケベさを罵(ののし)って、一方的に振るつもりなんだ)
【君と、キスがしたい】
 キーを押して画面に表示された文字に、二人で微笑みながら優しく、そっと、キスをする場面が想い浮かぶ。
(君への想いは、これで全てだ。もう、スケベ心いっぱいの僕を、振っちゃってください)
【ふーん。私と、キスがしたいの? そして?】
 キスの文字に躊躇(ためら)いも無く、彼女は、僕に尋問(じんもん)を続ける。
 僕をバカにしているのか、見下(みくだ)しているのか、……その両方だろうと思う。
(僕が、好きになった女の子は、こんな、性格なのだろうか?)
 それ以上は、キスをしてみないと分からないけれど、普通に発展させて、『エッチしたい』と、結末へ急(いそ)ぎ行き着くと、返られる文字の羅列(られつ)に、悲惨(ひさん)な思いに落ちになりそうな気がする。
 例えば、僕の送ったメールがオープンにされて、『大好きです』、『並んで歩きたい』、『手を繋いで歩きたい』、『抱き締めたい』、『キスがしたい』、『エッチがしたい』と、告白メールの全てが、彼女の登録している全メアドに転送されて、残りの僕の中学校ライフが決定的な酷(ひど)い状態や結果になってしまうかも知れない。
 だから、ここは焦って直(す)ぐに返信する事はせずに、寧ろ、警戒すべきだと判断した。
 彼女のシンクロを装(よそお)うフレンドリーな問い掛けは誘導で、僕を辱(はずかし)めようとする罠(わな)だ!
(ここで、曝(さら)し者になるのは、真っ平(まっぴら)御免だ! 僕はまだ、何もしていない!)
 まるで、水面下や暗闇の中での怪(あや)しい交渉みたいなメールの遣り取りだけで、納得できる成果の無いまま、理不尽に白日(はくじつ)の下(もと)に晒(さら)されそうだからといって、退き下がる訳にはいかない。
 僕は考え倦(あぐ)ねて、返信が夜になってしまった。
【君は、何をして欲しいの?】
 質問を、遣り返してやった。
 彼女が、屈折(くっせつ)した性格だと思いたくない。
 満開の桜の春を静かに楽しむ姿や、人を惹(ひ)き付けるピアノの響きは、彼女の感受性が高いからなのだと思う。
きっと、多くの事が煩(わずら)わしく感じて、反撥(はんぱつ)しているだけなのかも知れない。
 返信が来ても、これ以上は答えられない。
 その先の事は、知らない。
 キスまでしか、想像していなかった。
 何かをすべきなのか、何をどうすれば良いのか、僕にはわからない。
 君にキスができれば、それで十分だ。
 僕は、メールを打ち込むのを止めて、画面を閉じた。
(彼女は、僕に、どんな回答を求めたのだろう?)
 告白して、時期尚早(しょうそう)の想いも伝えた。
 もう、居直るしかない。
 成績が悪い通知簿を親に見せた後のように、すっきりした。
 ……すっきりしたと思った。
 僕は、彼女の連(つら)なる質問攻めのメールに、寂しさと強がりを感じていた。
 最後のメールを送った後に、何か空洞(くうどう)のような穴が開いている感じがした。
 それが、僕の中からなのか、彼女から感じたのか、分からない。
 彼女の機嫌を損ねたか、僕との遣り取りが馬鹿馬鹿しくなったのか、それっきり、彼女からメールは来なくなった。
 きっと、僕の想いに呆れて、好き嫌いの対象以前の相手になってしまったのだろう。
 僕は、彼女から完全に嫌われて、きっぱりと振られてしまった。
(もう、どうしょうもない……。でも……)
 それでも、僕は、そんな彼女を好きだ!
 片想いでもかまわない!
 僕は、彼女が大好きだ!
     *
 新学年初日からの席位置は、新学期初日の席替え抽選まで変化はない。
 席位置は身長順で、背の低い子は前になっている。
 それは、身長の高い子が前に座ると、黒板に書かれた文字が見えなくなるからだ。
 教壇に立つ先生からも死角(しかく)になり、生徒が見え難くなるし、生徒が黒板の見辛(みづら)い座席や環境の位置になると、成績は下がると良く言われているが、実際、科学的検証で証明されているらしい。
 『おまえ、そんな場所で、黒板が見えるのか? 先生からも、おまえが見えないぞ』なんて、先生に言われて、席割りで後方の席位置になった背の低い生徒は、少なくとも、中程までの座席へ否応(いやおう)無しに移動させられる。
 他にも、視力が弱かったり、乱視や色弱な問題が有ったりすると、不具合を矯正するメガネやコンタクト・レンズをしていない限り、前列の席にさせられてしまう。
 勉学意欲の有る生徒は、自主的に前方の席を要求して移動していた。
 確かに、学力向上を目指す学校側としては問題だろう。
 一年生の終わりに少し背が伸びて、今、僕は彼女の隣の席になっている。
 以前から背の低かった僕は、それでもまだ、彼女よりほんの少しだけ背が低い、……と、ちゃんと、比(くら)べた事は無いけれど、体型も細めな僕は、そう感じて思う。
 僕は、彼女が、隣の席にいるだけで緊張して、まだ、話をしていない。
 ……彼女は、まだ、知らないだろうけれど、振られた所為も有って……、更に……、『最初は、挨拶から』の為に掻き集める勇気は、振られる以前より、遥かに集まり難く、霧散し易くなってしまい、そして、彼女に声を掛け難くなった、というよりも、全然、声を掛けれる気がしなかった。
 だが、しかし、告白メールを送り、彼女の質問攻(ぜ)めメールに答えた翌日、隣の席の彼女は、いつも通りだった。
 昨日は告白されて、その告白して来た相手へ、続けさまに質問メールを送った素振(そぶ)りは微塵(みじん)にも感じさせず、無記名で告白メールを送った相手を捜しているようすもなかった。
 全く、いつも通りの、声を掛けさせない結界(けっかい)オーラを放つ彼女だ。
 告白メールを送ってから一週間目の朝、教室に入ると、既に、彼女は登校していて席に座っていた。
 近付くと、机の上で携帯電話を操作しているのが見える。
『ガサッ、コトン!』、僕が、バックを机の上に置くのと、彼女の携帯電話を操作していた指の動きが、『タタタ……!』っと、止まるのと同時だった。
 ゆっくりと顔を向けて、彼女は僕を見た。
 すると、ズボンのポケットの携帯電話が震え、着信を僕の肌に教えて来た。
 まだ、少人数しか登校していない静かな教室に、僕の携帯電話の振動リズムが響く。
 僕は、着信の震えをそのままに、先に彼女を見た。
「お早う!」
 初めて、彼女が朝の挨拶を言ってくれる。
 微笑まず、真顔(まがお)で僕を見て言った。
 いつも、頬杖(ほおづえ)をして窓の外を眺めていて、誰にも挨拶をしない彼女が、『お早う!』と、僕に言ってくれた。
「おっ、おう、おはよう……」
 僕は、少しテレて挨拶を返す。
 この僅(わず)か平仮名(ひらかな)四文字が、今まで彼女に言えなかった。
 僕は初めて、彼女と挨拶を交わした。
 でも、上擦(うえず)った声は閊(つ)っかえて、テレた顔は、嬉しさで笑ってしまって慌(あわ)てて俯(うつむ)いた。
 俯いて腿(もも)に触れたポケットの振るえに、ハッと気付いて、携帯電話を取り出して着信したばかりのメールを開いた。
 そして、開いたメールを見た僕は、愕然としてしまう。
 両足の膝下が、細かく震えて来て、足裏が崖縁(がけっぷち)にたったように泡立ってムズ痒(がゆ)い。
 メールは、彼女からだった。
 メール画面から目を上げると、彼女と視線が合う。
(このタイミングで、来るか?)
 慌てて教室を出て、廊下の隅でメールを読んだ。
【あんたが、誰だか、わからないけれど、キスされるのは嫌よ! 抱き締められるのもいや! 手を繋いで、並んで歩くのもダメ! いやよ! それと、電話は絶対ダメよ! 絶対しないで! 声は聞きたくないわ。誰とも、話したくないの。話すのは、鬱陶(うっとう)しいし、面倒臭いから……。ときどきなら、メールだけは、我慢してあげる】
(ときどきなら、メールしていいのか。つまり、メール以上の発展は、今は、無いってことだな……。ゲゲッ、僕だと……、ばれてしまったのか……?)
 恐る恐る教室に戻ると、机に頬杖をして窓の外に顔を向けた、いつも通りの姿勢で、僕が席についても姿勢を変えなかった。
 その後、彼女からメールは来なかった。
 たぶん、僕からメールを送らないと、送られて来る事はないのだろう。
 挨拶は、それっきり、交わす事はなかった。
(朝と帰りの挨拶ぐらいは、してくれればいいのに……。『お早う』に、『あした、またね』とかさ……)
 そう彼女に思うけれど、その挨拶を僕は、先に彼女へする勇気がなくて、……できていない。
 少し顔を傾(かたむ)けるげるだけで、視界の隅に入る彼女の横顔!
 何も話さなくても、隣に彼女がいて、横顔を見るだけで僕は満ち足りている。
 探し求めた異世界の天空人を、近くに感じるだけで、僕は幸せだ。
 窓際の席の横顔は、外の明るさでシルエットになり、まるで、御光(おひかり)がさしているように神秘的に見えた。
(スケッチして良いですか? 僕の女神さま)
 翌日、デジタルカメラで、シルエットになった彼女の横顔を盗撮した。
 フラッシュを止めて、シャッター音を消し、机の上でカメラを両手で包(つつ)むように持って、オートフォーカスで撮った。
 携帯電話のカメラは、シャッター音が消せなくて、相手に気付かれてしまうので使えない。
 終礼が鳴ると、一目散(いちもくさん)で帰宅して、パソコンでデジタルカメラの画像を、携帯電話の待ち受け画面に使う為に編集する。
 シルエットになった暗い顔を、明るくして、曙光(しょこう)に照らされたようにした。
 物憂(ものう)げな彼女の表情が、黄色がかった淡い紅色(べにいろ)に、明るく浮かび上がる。
 その、眠たげな瞳は……!
(ぎょっ! こっちを、カメラを…… 見ている……)
 マウスを操作する手が固まり、背筋(せすじ)が凍(こお)り付いた。
 ……気付かれている!
 ……でも、その時に、彼女は何も言わなかった。
 カメラで撮られているのを、気付いていなかったのかも知れない。
 きっと、そうなのだろう。
 そうだ、きっと、彼女は気付いていない。
 僕の手の動きが、不思議に思っただけなのだ。
 それか、眠い眼(まなこ)で、何気なく、僕を見ていただけなのだろう。
 編集して転送した、曙光色の顔の画像は、彼女からのメールの着信画面にする。
 更に、トリミングした神秘的な瞳は、待ち受け画面に設定した。
 ちょっと、マニアックだな。
 待ち受け画面にした瞳は、彼女への畏(おそ)れだった。
 二年前に感じた畏敬(いけい)を、今も、引き摺(ず)っている。
 僕の考えや思いを逸脱(いつだつ)凌駕(りょうが)した、彼女の言動と態度は、僕を畏れさせた。
 でも、僕に抱(いだ)かす彼女の畏れは、とても魅力的で、今では、そんな畏れる彼女の虜(とりこ)に、僕はなっていた。
(僕は、君に恋をしている。君が好きです。君に恋する僕を、許してくれますか?)
 待ち受け画面を見る度に、心の中で呟く。
 時々、自分でも気付かずに声を出して呟き、その小さな声は、まるで、誓(ちか)いの言葉のように僕の中に沁(し)み込んだ。
     *
 今日の美術のテーマは、デッサンだ。
 題材は自由で、僕は、授業中に隠れながら画いたスケッチを基に、窓際の席で頬杖を突き、外を眺める彼女を描いた。
 顔は、誰だか分からないように反対側へ向かせて、窓の外の明るさで彼女が包まれるように、輪郭を淡く光らせて明暗の境目(さかいめ)を暈す。
 淡い影域の髪の毛の一本、一本、制服のシームや皺(しわ)も緻密(ちみつ)に描く。
 廊下に、『優』の評価コメントを添(そ)えて、張り出された絵を見て思った。
(リアルに、描き過ぎたかも)
 彼女はじっと、僕が描いた絵を見ていた。
 クラスのみんなも、彼女も、そのモノクロ写真のような絵に描かれた、後ろ姿の女子生徒が誰か気付いたようで、暫くの間、僕が、彼女に気が有ると噂(うわさ)になった。
 いつも、連(つる)んでいる男子達は半分呆(あき)れ顔だ。
『なにあれ! ちょっとぉ、誰を描いているんだか?』
 分かっている癖(くせ)に、ワザとからかいの言葉を投げて来る。
『呆れた奴だぜ! バレバレじゃねぇかよ』
 更に、彼女が近くにいても構わずに言いながら、僕の肩をどついて来る。
『しょうがない奴だなぁ!』
 別の親しい男子に、背中をバンバン叩(たた)き捲くられて痛い。
 男の重みの有る叩きやドツキの衝撃で、肩や背中がヒリヒリと痛いけれど、ここで反撃して騒(さわ)いだりすると、彼女から、『ふん!』と、鼻で笑われ、『煩(うるさ)いな、バーカ』などと、小声で聞こえて着そうなのでしない。
 敢(あ)えて痛みに耐える、我慢の笑顔だ。
『あいつに、モデルになって貰らったのか?』
 友人達は、今更な事を茶化(ちゃか)す。
『ちゃんと、本人の許可を得ているんだろうな?』
 なんて、確かに無断描写だけど、僕に不利な事ばかりを、彼女に聞こえるようにワザと大声で言ってくれる。
(うっせーっ、ほっとけちゅーの! ちゃんと評価されてるじゃんか! ……でも、本人許可を得ていません。勝手に描いちゃったです。……ごめんなさい)
 その、ちゃんと評価された所為で、僕の無許可で描いた絵は廊下に張り出されてしまい、御陰(おかげ)で、こっそりと彼女を描いていた事が、みんなに知られた挙句(あげく)、横の席に彼女がいても、全く、お構いなしに散々冷(ひ)やかされた。
 断り無しに勝手に描いた事実と、しつこいくらいの冷やかしは、相変(あいか)わらず頬杖を突き、窓の外へそっぽを向く彼女の間に、恥ずかしくも、気不味(きまず)いムードを漂(ただよ)わせた。
 --------------------
 マナーモードにした携帯電話が、机の中で震えている。
 繰り返す短い振動は、メールの着信だ。
 取り出して見ると、彼女からのメールで、開くと、それはタイトルの無い空(から)メールだった。
 画面を閉じて横目で見ると、彼女は俯いて、机の陰で携帯電話を弄(いじ)っている。
 彼女が顔を上げたので、慌てて視線を戻した。
 戻すのと同時に、着信を告げるパイロットランプが点滅して、掌(てのひら)の携帯電話が震えた。
 またしても、彼女からで、それも、空メールでノーメッセージだった。
 マナーモードのバイブレーションは、授業中の教室で意外と良く響く。
 僕は、僕に着信しているのを悟(さと)られないように、バイブレーションを切って、無音無振動のマナーモード設定にした。
(操作ミスなのだろうか? それとも、携帯電話の故障(こしょう)?)
 更に、もう一度、空メールが来る。
 彼女から立て続けに三度も、空メールが来た。
(空メールは、意図的に送られて来ている……?)
 そして、四度目が来た。それは、タイトルが有った。
『わかった』と、表示されている。
【あんたが、誰か、わかったわ】
(ぎくり!)
 僕の目は、表示されたメールのメッセージに釘付けになった。
 何度も、読み返して確認する。
(これは……! 気付かれた? はっ! やっ、やばい! 今…… 彼女は、僕を見ている?)
 また、手の中の携帯電話が震えた。
 彼女から、五つ目のメールが来た。
【そう、名無しは、やっぱり、あんたなんだ】
 決定的な短い内容だった。
 僕の反応を確認しながら、彼女はメールを打っているのだ。
 間違い無い。
 この五つのメールは、今、隣の席の彼女が送って来ている。
 メール画面を閉じ、待ち受け画面を鏡代わりに使い、彼女を映(うつ)す。
 携帯電話の待ち受け画面にした瞳に、机に頬杖をして、僕を見ている彼女が映った。
(やっ、やばい! 見張られている……)
 もう僕は。彼女を見ることができない。
 彼女を見る、勇気がない。
 肩や膝(ひざ)が震え、寒気がする。
 手足に力が入らず、指先の感覚が消えていく。
 音は聞こえず、温度も感じない。
 極度の緊張で、吐(は)き気もする。
(バレた! どうしょう……。くそ! こうなっては、潔(いさぎよ)く、名告(なの)ろう!)
 今……、名告るしかない。
 今は授業中で、とても、恥ずかしいけれど、ケジメを付ける為には仕方が無い。
僕は立ち上がって、彼女の方を向いて、彼女を見て……、彼女の瞳を見詰めて、はっきりと認める言葉と、謝りの言葉を言うべきだ……。
 『ごめんなさい。そうです。そのメアドは、僕です。今まで名前を明かさず、ごめんなさい。今まで、ずっと、君を探していて、やっと、見付けました。今も、これからも、ずっと、君だけを見ています。君が大好きです』
(うう……、これは、……言えない)
 とても、言う勇気がない。
 そうできたら、凄く格好良(かっこうよ)いかも知れない。
 彼女のハートを、ギュッと鷲掴(わしづか)みにできるかも知れない。
 でも、できなければ、クラス中の笑い者だ。
 小学六年生の音楽授業の時のように、赤っ恥(あかっぱじ)を掻き、それが尾を引いて、クラスのみんなにからかわれてしまう。
それは、彼女も恥ずかしいに決まっている。
 座席替えで、彼女から離れるまでの期間、僕は彼女の隣の席で、毎日を気不味く過ごす事になる。
 しかも、授業中だから、二人共、お咎(とが)め無しじゃ済まない。
 僕らの携帯電話は、没収されるに決まっているし、そうなると、彼女に迷惑を掛けてしまって、益々(ますます)嫌(きら)われてしまう。
 全く、本末(ほんまつ)転倒(てんとう)の結果になる。
 僕は考え付く限りの理由を並べて、立ち上がって名告る事も、彼女へ謝(あやま)る事も実行しなかった。
 その日は、その後一切(いっさい)、彼女側へは顔を向けられない。
 何度も、眼だけを動かして、彼女を盗み見しようとしたけれど、その度に、携帯電話の画面に映った僕を見る彼女が浮かんで来てできなかった。
 僕は、終業チャイムが鳴り終えると同時に、逃げるように急いで家に帰った。
 夕食は、半分も食べられない。
 風呂(ふろ)に入っても、お湯が熱いのか、温(ぬる)いのかも、感じなくて分からない。
 テレビも見ずに、さっさと自分の部屋へ行くけれど、パソコンに向かう気力もなくて、まして、勉強など遣る気になれない。
 思い出すのは、僕を見ていた彼女で、今、見ているのは、昼間の彼女からのメールだ。
 恥ずかしさと気不味さで上手く整理できない気持ちに、これから、どうすれば良いのか分からない。
 目が冴(さ)えて、全然、眠れない。
(やっぱり、潔く、名告ろう……)
 空が白んで、部屋が薄明るくなってきた明け方に、その考えに至った。
 僕は逃げれないし、逃げ切れない。
 どんなに足掻いても、避けても、いずれ正面から向き合って、謝るしかなくなるだろう。でも、とても面と向かって話せない。
 僕には、彼女の顔を見る勇気が無い。
 教室で、彼女の横に座わらなければならない事を思うだけで、胸が詰まり、息ができなくなって苦しい。
 きっと、戸惑(とまど)って迷(まよ)う焦(あせ)りに、掠(かす)れてしまう囁(ささや)くような小さな声は、直ぐに痞(つか)えて途切れ、言葉にはならない。
 言葉にできない僕の声は、異様な音のノイズにしか聞こえないだろう。
 彼女に睨(にら)まれて、オドオドするだけの僕を容易に想像できる。
 それでも、彼女を避けたくないし、彼女に軽蔑の眼差しで避けられたくもない。
 これでは、彼女と仲良くなるなんて絶望的だ。
 この、絶望を退(しりぞ)ける勇気を、僕は持てるのだろうか?
(状況を打開する、策は? 方法は? 何か無いのか?)
 このまま軽蔑(けいべつ)され、避けられ、無視されてしまう状況に、僕は潰(つぶ)されたくない。
(てっ、手紙しかない……)
     *
 朝、いつもより早く来て彼女の靴箱に手紙を入れた。昨日、
 勇気も、根性も、無くて果(は)たせなかった言葉を……、立ち上がって言えなかった言葉を、そのまま手紙に綴った。
 彼女の内履(うちば)きの上には、既に一通の白い封筒が置かれていた。
 誰かからのラブレターだろう。
(うう、もてるんだな……)
 彼女に言い寄る男は、僕以外にもいるだろうと思ってはいたけれど、実際、彼女に想いを寄せる知らない男子からの、恋文を目(ま)の当(あ)たりにすると、今直ぐに、其(そ)れを奪(うば)い取って燃やして遣りたいくらいにショックだった。
(そりゃ、そうだろう。僕が、好きになるくらいの女の子だ。他の男子達も、彼女を見初(みそ)めるに決まっているさ……)
 僕は不安になり、気持ちの焦りは激しくなった。
 やはり、このまま教室へは行けない。
 ザラついて、ネバネバで、モヤモヤした気分が、僕を襲う。
 僕は捨(す)て鉢(ばち)になって、彼女の事を白紙に、無かった事にしようとするかも知れない。
 彼女に酷く嫌われてしまえば、無かった事にできるかも知れない。
(……こんな気持ちで、彼女の横の席に座れない)
 匿名(とくめい)メールが、僕からだと、バレてしまったのは決定的だ。
 それに、ライバルは……、たぶん、複数だろう。
 僕は、彼女のプレッシャーに耐えられない。
 きっと、彼女は僕を、冷たく蔑んだ眼で見るだろう。
 僕など、彼女には、相応(ふさわ)しくないのだ……。
 僕には、誇(ほこ)れるものが何も無い。
 絵や彫刻(ちょうこく)が、みんなより少し上手なくらいじゃ全然、ダメだ!
 靴箱に入れた手紙は、そのままにして、僕は保健室に向かう。
(昨夜、悩んで考えた計画を実行しよう)
 手紙を入れた後、彼女と面と向かう勇気が無かったり、怖気(おじけ)づいたりしたら、時間を空(あ)けようと考えていた。
 緊張する気持ちに、インターバルは必要だ。
(仮病と偽って、一限か、二限の間は寝込もう)
 それが、半日になるかも知ないが、その時のモチベーション次第だ。
 保健室の先生に、『熱っぽくて、だるいです。目眩(めまい)もして気持が悪いです』と、容態を告げ、ベッドに寝かせてもらった。
(実際、症状は風邪(かぜ)っぽくて、発熱気味。……これは恋煩(こいわずら)いだ。状況は完全失恋寸前……。絶望的事態の打破(だは)は彼女次第で、僕はどうしようもない……。それでも、気持ちは彼女に寄り添いたい。彼女と手を繋いで、笑っていたい。幸せそうに、楽しそうに笑う彼女を見ていたい。ぼうぉっとして、想いや考えが薄まって行く。完全に…… 恋の病(やまい)だよな。それに、眠い……)
 でも、このまま、逃げている訳には行かない。
 僕は、一筋の光が欲しかった。
 僅かでも、希望が欲しい。
 結局、午前中は、保健室の簡易ベッドで寝て過ごした。
 休息時間になると、親しいクラスメイト達がぞろぞろと遣って来て、熟睡している僕を無理矢理に起こし、『見舞いだ』と、言っては騒(さわ)いだ。
 クラスメイト達は教室への戻り掛けに、僕の手を引っ張って、行こうと誘(さそ)う。
 『どうせ、恋煩いの睡眠不足で、眠いだけだろう。仮病だ、仮病だろ。さぁ、元気なんだからいっしょに行こうぜ』
 言い訳の手紙を靴箱に入れて、保健室のベッドの上に逃げているだけの僕ではダメだ。
 このまま、ナーバスになっていても、僕の彼女への想いや、勝手な思い込みは、進展も、解決もしない。
 でも、まだ、彼女がいる教室へ行く気持ちにはなれない。
 既に、彼女へメールで告白したけれど、無記名のまま、彼女を騙(だま)して楽しんでいた。
 それが、僕だとバレてしまったから、今朝(けさ)は、彼女の靴箱に入れた手紙で謝った。
 だけど、その手紙を読んだ彼女の反応が恐ろしくて、教室へ行けない。
 なんて、そんな当人事情は、これまた恥ずかしくて、とても、友人達には言えない。
 クラスメイト達に知られたら、引き摺っても、絶対に教室へ連れて行かれるに決まっている。
 ……で、逃げた。
 僕はダチ達の誘いを断わり、午前中で早退して、今日をインターバルにしたけれど、家に帰っても、気持ちは晴れず、午後遅くになっても、クヨクヨ感が増すだけだった。
 やはり、手紙だけでは、男らしく無いと思う。
 それは、夜になっても続き、打開策も、希望も、何一つ見出せなくて眠れなかった。
 僕は、分かっている結論を認(みと)めずに、避けているだけで、くすんだ濃(こ)い青色の気持ちは、少しも透き通らない。
 眠れないまま、夜が過ぎて行き、夜の暗闇(くらやみ)から部屋の中が、白々(しらじら)と暈やけた輪郭でジワジワと滲(にじ)み出て来る。
 僕は窓を大きく開けて、澄(す)み切った大気を胸一杯に吸(す)い込みながら、東の空を見上げた。
 高い空一面に、東を基点とした幾条(いくじょう)もの銀色に輝く光の筋が走り、僕は初めて、ジェルバーストレーフェン…… 旭光(きょっこう)を見た。
 それは、図書室で読んだゲルマン神話に、『夜明(よあ)けの希望の光』と記されていた挿絵(さしえ)と、そっくりだった。
 疎(まば)らに浮かぶ、白い雲の上空を東から西の彼方へと、扇状(おおぎじょう)に放(はな)たれた太い光の筋達が描く、荘厳(そうごん)な光景に、驚き、感動した僕は、何か心の支えを得れるような気がして、暫(しば)しの間、光の筋が消えてしまうまで見蕩れていた。
(……そうだ、まだ、希望は有る!)
 徐々に医王山(いおうざん)の山並みから昇り始めた朝日の、強い光を浴びる東雲(しののめ)が、目映(まばゆ)く輝き、藍色の暗い夜の帳(とばり)を散らして、明るさで満たす朝を運んで来た。
 闇から明るさへと、陰影(いんえい)の移り行く光りの様が、束の間(つかのま)、平安京(へいあんきょう)の和歌(わか)の叙事詩(じょじし)的な風景と古事記(こじき)や日本書紀(にほんしょき)の古代神話の情景へと、僕の思考を飛ばさせる。
 この世界が創造(そうぞう)された時から、変らない光りの様、特に夜明けと夕闇(ゆうやみ)は、本当に、神秘的で美しいと思う。
 日の出の燃(も)えるような朝焼(あさや)け空の神々(こうごう)しさに、ひんやりと朝露(あさつゆ)に湿(しめ)る外気が肺を満たして行く胸の冷たさは、僕の気を引き締め、更に、二日続きの徹夜(てつや)で異常覚醒(かくせい)した肉体と神経が、僕を奮(ふる)い立たせ、勇気を湧(わ)き出させてくれた。
(名無しが、僕だとバレた時に、立ち上がって、彼女へ言えなかった言葉を、声にするんだ。今からでも、遅(おそ)くはない。直接、彼女に言うんだ。そうさ、結果はどうなろうとも、自分自身が直接、行動するんだ。僕の声で、彼女に伝えなければ、何も、解決しないし、……何も、始まらない!)
 彼女の前に立ち、彼女の目を見て、しっかりと話すんだ。
 彼女を僕の潔さで、魅了させてやろう。
 そんな決意を、眩しく輝いて昇る太陽を見ながら、実行しよう思う。
(勇気は、貰ったぜ!)
 ……その勢(いきお)いは、登校する彼女の背を見付けた途端(とたん)、夏の陽差しの中に置き忘れたチョコレートのように、トロトロに溶(と)けてしまった。
 僕はビビって、とても、彼女の前に立てそうにない。
(だけど、僕の声で直接、想いを伝えなければならないんだ! そう、決めただろう)
 もう、僕の印象を持ち直すには電話しかない。
 そして、謝りの電話を掛ける事に決めた。
 それは、崖縁(がけっぷち)から奈落(ならく)へ突き落される寸前の僕を、救ってくれるかも知れない。
 蒼空(そうくう)を見上げて、今はもう見えない、銀色のジェルバーストレーフェンの光の筋を探す。
 そして僕は、『絶対しないで!』と、彼女からキツイ断わりがあった禁断の電話をする。
 登録された、彼女の電話番号を選び出して発信した。
 短いコールミュージックの後、彼女が出た。
「……もしもし……」
 彼女の声だ。
 間違いない。
 道の向かい側の少し前を歩く彼女が、ポケットから携帯電話を取り出して話す。
 彼女が話す相手は、僕だ。
 その声を聞いた途端、僕は、全ての思考と言葉を失い、声にできなくなった。
 声にすべき言葉と想いは、一瞬で大気を貫(つらぬ)き、成層圏を越えて宇宙の彼方(かなた)へ飛び去って行く。
 詰(つ)まる胸の息苦しさで上下に動く肩が意識できるくらい、大きな息を半開きにした口でしていた。
 ハァ、ハァと息をする度に、口から漏れ出る音も聞こえている。
 たぶん、『名無し』が、僕だとバレた二日前からの切羽(せっぱ)詰(つま)った押し潰されそうな気持ちに、口呼吸をさせていたのだと思う。
 開いていた口に気付いた僕は、慌てて口を閉じ、鼻呼吸に直した。
 口を閉じても、続いている大きな息に、勢い良く吸排気(きゅうはいき)する全開の鼻腔(びこう)は、粗(あら)い酸素不足の息を整(ととの)えようと踠(もが)く。
 呼吸への意識が、宇宙の果てに逃げ去ろうとする彼女への言葉と想いを、僕の僅かな望みが追い付いて捕らえ、そして、僕の心に連れ戻す。
「ぼっ、ぼく…… は……」
 やっと、それだけ声にできた。
 粗く震える息が、発音を妨(さまた)げて言葉を細切(こまぎ)れにさせる。
「誰? あんた。なんか用?」
 僕から電話を掛けた。
 だから、僕が、イニシアチブを持たなければならない。
(がんばれ! 謝るんだ)
「て、手紙…… よっ、読ん…… だか……?」
(あっ、あっちゃー。なに高ビーな言い方しているんだ。失敗だー)
 選ばない言葉が、躊躇いながら無作法な声になり、想いは先を急いだ。
「そう、やっぱり、あんたなの。……なに電話してんのよ。電話は、嫌だって伝えてなかったっけ? もう、電話しないで! 電話で、あんたの声は聞きたくないわ。……メールなら、……我慢するけど。わかったあ? 何度も、言わせないでよ」
 キツイ言い方と強い声で嫌がられて、一方的に電話は切られた。
 折角、彼女の声が聞けたのに、イニシアチブなんて有ったもんじゃない、でも、望みは繋がった。
 今まで通り、メールは我慢して貰える。
 激しく揺らいで、吹き消される寸前だった希望の光りは、再(ふたた)び、小さく輝き出した。
 ポケットに携帯電話を仕舞いながら、彼女は振り返り僕を見た。
(おおっ、なんで、僕が後ろを歩いているって分るんだ? そこそこ離れていて、電話する声は聞こえそうもないのに……?)
 怒らず、嫌がらず、悲しまず、そんな、笑わない顔で僕を睨み、赤い舌を見せた。
 僕は嬉しくて、泪(なみだ)が出て来た。
 絶望の暗黒の闇に、一筋の希望の光りが差し込んだ。
 細い光の筋は、僕の中で輝きを増し、現在と未来を暖かな明るい希望で繋げて行く。
 明るい暖かさが、張り詰めていた気持ちを緩(ゆる)ませて、急襲(きゅうしゅう)して来た激しい眠気に抗(あらが)えそうになかった。
 歩きながら、眠ってしまいそうだ。
 その日も、午前中は保健室のベッドで熟睡した。
 午後から授業に出ようとしたけれど、担任と校医が突発的な難病の予兆(よちょう)心配して早退を促(うなが)されて、学校からの連絡を受けたお袋が自家用車(くるま)で迎えに来てくれた。
 帰宅途中、病院に連れていかれ、検査を受けさせられたが、身体のどこにも異常は有るはずも無く、原因は不明で暫く様子を見ることになった。
 お袋は、とても心配していたが、恋煩いで二晩も眠れなかったとは言えない。
『大丈夫だよ』
 家に着くと、心配顔のお袋に、そう言って安心させ、自分の部屋に入ると直ぐに、ベッドに倒れ込んだ。
 寝転がる僕は、眠りに落ちる前に携帯電話を取り出して、何枚か、盗み撮りをした彼女の写真を見る。
 厳(きび)しい現実は、メール交換の許可という一つだけの希望しかないけれど、せめて、夢の中は楽しいフルカラーの3Dにしたい。
 なのに、二日間の臆病(おくびょう)さ故(ゆえ)の気疲(きづか)れと睡眠不足の脱力感が、どっと襲(おそ)って来て、最初の画像……、横顔の彼女を携帯電話の画面に開いたまま、翌朝まで僕は、夢も見ずに爆睡(ばくすい)してしまった。
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 翌日、教室で彼女と僕は、何事も無かったように、いつもの素知らぬ素振りで、隣同士の席に座っている。
 相変わらず彼女は顔を背(そむ)け、僕と視線を合わせない。
 偶然に顔が合うと、眉を顰(ひそ)めて、彼女はぷいっと、また顔を背ける。
 休息時間には、いつものように僕の周りに、連む仲間達が集まって来て騒ぐ。
『身体、もう大丈夫なのか?』
 ダチが心配してくれる。
『もう、告白したのか?』
 直ぐ傍に彼女がいるのに、『なんて事を、訊くんだ!』と苛付く。
『お友達になれたのか?』
 何も無い進展を尋(たず)ねられて、哀(かな)しくなってしまう。
『どこが、好きになったんだよ?』
 その質問は、NGだろう。
『取り付くところも、無さげで、面倒臭そうな、あいつが良いのかよ?』
(うっさいわ! てぇめーら、完璧に、『あいつ』に聞こえてんぞ! その面倒臭いところ込みで、好きなんだよ!)
 『あの女は止めとけ』と、言わんばかりの否定的なセリフを、直ぐ隣にいて大きな声で話しているのに、聞こえない振りをしているのか、いつも、彼女は一人で窓辺に凭れて外を見ている。
 僕を一瞥(いちべつ)しようとする、気配すらも無い。
 確かに、彼女の物言(ものい)いはキツイ。
 それに、言葉足らずが加わって、声を掛けた人の気持ちを退かさせてしまう。
 その素っ気無い彼女の態度は、関わる人達に冷たさを感じさせて、取っ付き難い印象を与えてしまうから、いかにも、痛くて面倒臭そうな女子だと思わせた。
 そのマイナス印象は、彼女の容貌(ようぼう)だけじゃ補(おぎな)え切れず、普通の男子なら、御付き合いは後悔の連続になりそうで願い下げだろう。
 現に僕以外の男子達は、せいぜい一、二回のアタックだけで、防壁を築(きず)き、逆に反撃して来るような戦闘少女的な彼女を諦めている。
 僕は、そんな、人を寄せ付けない結界めいた排他的フィールドと、見えない心の壁を作りまくる彼女に、憂いと切なさと神秘さを感じて、愛(いと)おしいと思っていた。
 彼女は、言い寄る男子を悉(ことごと)く拒(こば)み続けているらしいから、もしかして、ガールズラブや百合っ気(ゆりっけ)の趣向かもと考えてしまった。
 でも、女子達の中に、親しくしている友人どころか、休息時間に話し掛けて来る、クラスメートもいない。
 だから、百合の傾向は無いと思う。
 僕も、ボーイズラブや薔薇(ばら)っ気は無い。
 机に突っ伏した腕へ、眠そうに倒した頭を付けるセーラー服の後ろ姿が以前より、ちょっぴり、楽しげに見えるのは、気の所為じゃないと思う。
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【メールには、余計な事をしないでちょうだい。写真や資料を添付(てんぷ)するのは、絶対ダメ。音楽もダメよ。一度でも添付したら、メル友は終わりだからね。それっきりにします。言葉でも、文章でも、メールは文字だけよ。メールを重くしないで。それと、GPS探索も、絶対に使ったらダメ! 絶対に、私の居場所を詮索しないで下さい。GPSで探索すると、調査される側にも履歴(りれき)が残り、履歴から、探索を行った相手が誰なのか分かります。私に使用した瞬間、あんたは他の何者でもない、論外な存在になってしまうからね!】
 いくら制限付きのメールを許されたといっても、名無しメールが僕だとバレた以上、メールに何を書いて良いのかも分らず、僕は気不味さと後ろめたさで、メールの送信は控(ひか)えていた。
 彼女の許しが出てから、最初に発信されたメールは、彼女自身からで、その夕方に届いた彼女のメールには、メールの早い再開を促(うな)がすように、ルールが決められていた。
 ルールはシンプルで、何も添付すべからず、意志は口語体で、情景や物品やストーリーは、簡単明瞭(かんたんめいりょう)な文で表現する事、などの強要だった。
 口語体は、普通にフレンドリーな話し言葉のままで、OKって事みたいだけど、文章の構成力や表現力に全く、自信が無いから、誤解されたりするのが心配になった。
 文章力の不足を、添付する写真や絵や音楽で補填(ほてん)して、それが、彼女の琴線(きんせん)にでも触れたりしたら、一気に親密になれるかもと考えていたのに、全く、残念(ざんねん)至極(しごく)だ。
 『ます』や『下さい』の丁寧な結びは、それくらい、拒絶する厭(いや)な事だと察(さっ)した。
 だけど、『なぜ?』や『別に、いいじゃん!』と、ここで彼女に、質問や訂正を求めるべきではない。
 それは、百害有って一利無しで、今以上に、彼女と親しくなれる一筋の希望の光りは、永遠に失われてしまうだろう。
 僕は、彼女のルールに従うしかない。
 何も添付しなくても、特に困る事は無いと思う。
 それにしても、添付自体が彼女的に許されないくらい、余計な事なのだろうか?
 ファイル添付で、多大にメモリーを使って重くなるメールが、そんなに、嫌な事なのだろうか?
 余程、大きなファイルでもない限り、今時のスマートフォンの動作には殆ど影響しない。
 送受信や表示の時間も、ほんの数瞬しか掛からなくて、待たされる事はないのに?
     *
 週に二つ、僕は、彼女にメールを送信している。
 間に、一日以上空けて、週二つと決めた。
 本当は、毎日、何度でもメールを送りたい。
 でも、それは、彼女を苛立(いらだ)たせて、とても、良くない事になりそうだ。
【ふーん。それでいいじゃん。二つまでだからね】
 僕から提案した、メール回数の規制案を彼女に容認されて、漸(ようや)く、『ふぅーっ』と、大きく安堵の溜め息をつけた。
 とにかく、二通までなら僕のメールは、彼女の迷惑にはならないらしくて、彼女との縁(えん)が切れなかった事にホッとした。
 今は、僕が望んでいたファミリアで、ステディーな状態じゃないけれど、悩(なや)み事の相談や報告めいた内容で送っている。
【私は、ランダムにメールするからね。それと、週二度の規制対象外にしてあげるから、私の質問メールには、ちゃんと回答しなさい】
 彼女からも、僕へメールを送るそうだから、その返信の内容次第では、近未来が明るくなると思う。
 まだ僕を……、いや、まだ、互いを良く知らないから、もっと、彼女を知って、彼女に僕を好きになって貰えるように、アピールできると考えていた。
 彼女からの返信は、二日以内に届いて、一つ、一つの返信に彼女の誠意を感じさせた。
 でも、返信文は、ピンポイントでショート過ぎる。
 『ふーん。そう』、『それでいいじゃん』、『別に、構(かま)わないから』、『すれば、問題無いよ』、『だから、なに? どうなの?』、なんてばかりだ。
 反省や謝りの言葉が繰り返し重ねてしまった。
 『いい加減にしてよ! 何度も謝らないで!』
 直ぐに、ピシャと返して来る。
 『私を好きになるのは、あんたの勝手だけど、それって私も、あんたを好きってのじゃないからね』
 更に、つれない文字がトドメのように続く。
 『勘違いしないでよ』
 そして、あっさりと、否定されて気持ちが挫けそうになってしまう。
 『勝手に好きになれば。私、関係無いから』
 こんな、送ったメール内容の返信とは思えない、他人事のような冷たいのも、返して来た。
 事実、その通りだけど、余りの虚しさと寂しさで遣る瀬が無い。
 だけど、時々、彼女からも、悩みや趣味趣向や冗談めいたのが送られて来て、その、フレンドリーさで僕は救われていた。
 あと一ヶ月ほどで梅雨(つゆ)が終わり、夏休みだ。
【相合傘(あいあいがさ)をしても、良いですか?】
 鬱陶しい雨が続く梅雨の朝、彼女にメールする。
【できるならね】
 僕に相合傘をする勇気が無いのを分かっていて、直ぐに返信してくる。
 そして、彼女からも、楽しいメールが届く。
【夏休みになったら、いっしょにプールへ行こうよ?】
 たぶん……、いや違う、彼女は、きっと、僕が泳(およ)げないのを知っていて、このメールを送って来ている。
 だから、『?』を末尾に付けているのだ。
【いやだ! 行かない。プールも、海も、近付きたくない! 川へも、行かない。泳ぐのは嫌いだ!】
 後期になれば、席替えで席が離れてしまう。
 それでも、彼女とのメールは続くだろう。
 僕は、やっと、彼女のメル友になれたと思った。
     *
 新学期の初日に行われた席替えで、僕も、彼女も、再び、同じ座席位置になった。
 この座席位置は、黒板に書かれた阿弥陀籤(あみだくじ)で決められ、何本も、ランダムに加えられた横線の偶然の結果だと思っていた。
 だけど、僕と彼女以外のクラス全員は、しっかりと、席位置が替わっていて、席替えを仕切っていたクラス委員と協力していた、ダチ達の意図的な企(くわだ)てを感じた。
 それに、クラスのみんなも、加担していそうだ。
 其処此処(そこここ)で女子達がヒソヒソと声を潜(ひそ)めながら、チラチラと視線を向け、何人もの男子がニヤニヤと意味有り気に、僕らを見ている。
 協力して貰う際の説明で、友人達が話したのだろうか?
 僕が彼女へ告白して、きっぱりと、フラれたのにも関わらず、まだ脈は完全に失われていなくて、未だに想いを寄せ続けている事を、みんなは知っている様子だ。
 だから今も、お互いに真横の位置関係のままで、彼女は頬杖を付き、視線を窓の外に流している。
(ううっ、めちゃくちゃ恥かしいけれど、めっちゃ嬉しい! これは、クラスのみんなに感謝だ!)
     *
 パタパタと、数人の女子が背後に来て、窓際の席に座る彼女に話し掛けている。
 積極的に、女子達が彼女の傍に来て話すのも、彼女が複数の女子と話すのも、僕は初めて見た。
 他クラスの、僕が知らない女子達だけど、わざわざ、彼女の居場所に来てくれる友達ができたのは、彼女にとって喜ばしい事だと思う。
 だが、何やら背中が騒がしくて、どうも、友達って雰囲気(ふんいき)じゃない。
 断片的(だんぺんてき)に耳に入る彼女達の言葉は、少し不穏(ふおん)な感じの様子で、女子達は彼女に、何かを詰問しているみたいだ。
 声の違いと気配から、彼女に会いに来た女子は三人だろう。
 僕はダチ達と駄弁(だべ)りながら、背後の会話に聞き耳を立てた。
「あなた今、付き合っている男子は、いるの?」
 女子の誰かが訊いた、僕にとって、由々(ゆゆ)しき質問調の語尾が聞こる。
「……いない」
 やや間を置いて、彼女が答える。
 僕の許されたメル友ぐらいじゃ、彼氏の代用にもさせて貰えない。
 彼女が、『いる』って答えていたら、それはもう、僕かも知れない期待と、何処(どこ)の誰かへのジェラシーで眠れなくなってしまうと思う。
「だったら、あなた、どうして、告白を断ったのよ?」
(ああ、そういう流れで、女子達が来たわけね。……そうだ、どこのどんな奴か知らないけれど、どうして、振ったんだ?)
 断った理由(わけ)を訊きに女子達が、彼女に詰め寄るくらいだから、さぞや、格好良くて素晴らしい、男子なのだろう?
「……付き合ってあげれば、いいじゃないの?」
(ぎょっ、彼女に、何て事を言うんだ。そっ、それだけはダメだ! 僕が許さない!)
「……凄(すご)く、かっこ良いんだから……」
(どんなに良い男でもだ! 僕は許さない!)
 でも、彼女がどうしても、付き合いたいと言うならば、彼女の幸せを願って、片想いする僕は応援すべきなのだろうか?
「……あの人の告白を、断るなんて、信じられない……」
(くっ、彼女の幸せを願いたい。でも、断ってくれてありがとう。これからも、告って来る男子を、悉く振って遣って下さいませ)
「付き合って、あげなさいよ!」
 女子達の誰かが、彼女を諭(さと)すように、喰(く)って掛かる。
「あなたに告白した人は、サッカー部のレギュラーで、ポジションはフォワードよ。しかも、センターなの。プレーする彼は、凄くかっこ良いんだから。あなた、彼のプレーを見た事有るかしら?」
(なんか、カッコ良さげじゃん。でも、そんなモテ系が、サッカーにいたっけか?)
「それに、優しくて人望(じんぼう)が有って、成績も良いのよ。それなのにあなた、彼の告白を断るなんて、信じられない。そうよ、あなたには勿体無(もったいな)くて、彼とは釣り合わないのに……、なんで……」
 成績が良いのが、重要なモテ要素なら、僕は敵(かな)わない。
 そんな文武両道のイケメンを、彼女は無碍にしてしまっている。
「付き合って、あげなさいよ!」
 強い口調の、ゴリ押しが聞こえた。
「いやよ!」
 妥協(だきょう)しない彼女は、即答する。
 全く以って、再検討の余地は全く無いらしい。
 背後の事態は、佳境(かきょう)で切迫している。
(早く助けないと、やばい!)
 耳に聞こえて来る彼女の声で、駄弁りに集中力を欠いた、僕の上(うわ)の空(そら)の受け応(こた)えと、背後の騒がしさにダチ達も気が付いて、顎(あご)を杓(しゃく)って上目(うわめ)で僕に、『どうするんだ?』と、ダチ達は、僕に行動を促して来る。
 『知っている』と頷(うなず)き、『分かっている』と、僕は頷き直して、机の上のレポート用紙に素早(すばや)く走り書きをしてダチ達に見せた。
 『机を叩いて立ち上がる。そして、彼女達を見る。おまえらも、そのまま黙って、女子達を睨んで遣ってくれ』
 同意の親指を立てて頷くダチ達を見ながら、僕は小さく口を開いて、『GO!』と、机を叩こうと手を上げ掛けた正(まさ)に、その時、『バン! ガタッ、ガタン!』背後で、彼女が立ち上がったような音と気配がした。
(何か、やばい!)
 大事になりそうなムードに、僕は、慌てて行動に出る。
(間に合え! 彼女を、被害者にも、加害者にもさせるな!)
 『バン!』、両手の掌を机に強く叩き付けて、僕は立ち上がった。
 立ち上がりながら、友人達から彼女へと向き直り、そして、眉根(まゆね)を寄せて彼女を無言で見詰める。
「なによ! あなた? あぶないじゃないの!」
 彼女を責(せ)めていた手前の女子が、一瞬、飛び上がって驚(おどろ)き、直ぐに、足許(あしもと)を見ながら振り向いて僕を見た顔は、目を見開いて強張(こわば)っていた。
 恐れ混(ま)じりで驚く其の表情は、瞬(またた)く間に怒(いか)りを孕(はら)ませた、しかめっ面(つら)に変り、僕を睨み付ける。
 そして、ヒステリックな大きな声で言った。
 余程、ショックだったのか、眉間に皺(しわ)を寄せる険しい顔の目は涙目だ。
「外野は、黙ってて!」
 鋭い威圧感(いあつかん)一杯の、大きな声で抑(おさ)え込まれた。
 端(はな)っから、無言で通すつもりなのに、余計な事を言いそうに見えたのか、予想以上の女子の拒否反応に驚いてしまう。
 異様なムードで周囲の関心を集めたいただけなのが、女子の叫(さけ)ぶように放った大声の所為(せい)で、対戦モードで構え立つ、三人は教室中に注目されてしまった。
 立ち上がるタイミングをミスって、後手になった僕は、彼女を助けようと憤(いきどお)った気持ちが、目の前の女子の大声で怯(ひる)んでしまって、恥ずかしい。
 そして、いつも冷静で無関心を装う彼女の、『今、ここに在る危機』を、僕がクラス中に知らせたみたいになって、すまないと思う。
 その眉を吊り上げ、ちょっと、涙ぐんだ険(けわ)しい目付きで睨む顔は、端正な目鼻立ちで美しく、優しげに見える彼女とは、対照的な美人だった。
 怒りで歪(ゆが)む、女子の綺麗な顔が、絵に描きたいと、僕の作画意欲を唆(そそ)る。
 僕と対峙した姿を見る限り、スタイルも良い。
 でも、話した事の無い知らない女子だ。
 釣(つ)られて見た、その足元には、僕が倒したイスが女子の爪先(つまさき)近くに、ギリギリに転(ころ)がっていて、際疾(きわど)く倒れた椅子に、女子が本当に怪我(けが)をしなくて良かったと思う。
(おおっ! 怒ってる!)
 机を叩いて立ち上がったと思われる、彼女にビクつき、更に、僕が倒した机や椅子に驚かされ、その椅子は脚(あし)に当たりそうになっていた。
 そして、女子的には何の関係も無い僕に、睨み付けられている。
(彼女を庇(かば)う仲間……だと、思われているようだが、彼女の彼氏だとは、此処に来ている目的からも、思われていないだろうなあ……)
 女子は、彼女へ相談と御願いに来ている、左右には仲間の女子、正面には、憤慨(ふんがい)を与えられた知らない男子、そりゃあ、このリーダー格らしい女子の憤りは当然、僕に向けて来るだろう。
(ビビリを、怒りで誤魔化(ごまか)すか……。それでいい。狙(ねら)い通りだ)
「なによ!」
 頬(ほお)を打つ平手や鼻頭(はなばしら)を折るパンチが、いつ飛んで来てもおかしくないリーチレンジで、険悪(けんあく)なオーラを放ち、リーダー格が僕に噛み付く。
(うおっ、綺麗だけど、気が強そうな女子だ。こんな近距離で打(ぶ)たれたら、僕には避(さ)けようが無いし、衝撃(しょうげき)で床に転(ころ)がっちゃうぞ!)
 右側の女子が僕に迫り、ピシャリと、強い語気を孕ませて言う。
「何か、文句が有るの? あなたには、関係無いでしょう。私達は、この子だけに用が有るのよ」
 他クラスの女子達は、僕と僕の後ろで黙って睨んでいる連れ達を、交互に見て言って来る。
 左側の女子は、嫌悪のイラ顔も露(あらわ)に、友人達へ怒り口調で警告する。
「あなた達も、邪魔しないでよ」
(なにを言うか! 僕の大事な彼女が、ピンチなんだから、邪魔するに決まってるじゃんか!)
 もちろん、僕が、女子達へ言いたい文句は、『誰に告られ、誰を断り、誰と付き合おうが、彼女の自由だ! 強要するな! 彼女を虐(いじ)めるな!』だ。
 そう言って遣りたいけれど、連れ達といっしょに、黙って無言の圧力を掛ける。
 それに、盗み聞きしていたのが、バレバレになってしまう。
 そして、僕には大いに関係有る大問題だ! 
「私が、何したっていうのよ? ちょっと、おかしいんじゃないの、このクラス?」
 暫しの無言の対峙(たいじ)は、リーダー格の逃げ口上(こうじょう)で終わりを告げた。
 それでも、加え続けられる視線と無言の圧力に耐え切れず、女子達は、そわそわと落ち着かなくなって行く。
 僕は、そんな他クラスの女子達を視野の脇に捕(と)らえながら、睨むように僕を見ている彼女を、見詰め続けた。
(……見れている……!)
 僕は、僕に驚いていた。
 彼女は、僕に顔を向け、その目は……、瞳が僕を見ているのに、僕は、顔も、目も逸らさずに、彼女を見る事ができている。
「もう、いいじゃない。行こ!」
 脇の女子が、これ以上、ここに居るのは分(ぶ)が悪いと判断したのか、リーダー格に諦めと脱出を進言して、三人は逃げるように教室から出て行った。
『ははっ、出て行ったぞ! あれは、逃げたんだな』
 女子達が速(すみ)やかにいなくなると、僕の周りに集った友人達や仲の良い女の子達から、大きな歓声が上がり、好き勝手に得意な思いを口々に言っていた。
『ざまあみろ! 追い出して遣ったぞ!』
(この罵りはないな。ちょっと、言い過ぎだろう)
 そう思いながら、聞き流す。
 少なくとも、三人には、彼女を、騙そうとか、辱めようとか、そんな、危害を加えるような悪気は無かったと思う。
 三人は自(みずか)らの想いを退けてまで、憧れの男子に良かれと思い、彼女に、彼氏として再考を奨(すす)めていただけで、彼女を追い詰めて、虐めているような自覚はなかった。
 それでも僕は、彼女への脅威だと思い、その、元凶(げんきょう)が逃げ去った事に安心していた。
『あははっ、俺達の勝ちだ!』
 連れの勝利宣言に、別に、三人の女子達は敵じゃないと思う。
 睨み負かして追い出したって言うなら、そうだろうけれど、勝ち負けの問題じゃなくて、彼女を救って守るのが目的の行為だった。
『やったな!』
(うん、効果的だったな……)
 女子達の矛先(ほこさき)を僕に向け、喰って掛かって来た態度と、急ぎ、教室から出て行く三人の姿に、そう思う。
 だけど、今も、不機嫌そうに眉間に縦筋を刻み、僕を睨む彼女は、唇を噛んで怒っているようにも見える。
 そんな、顔の瞳を見詰めながら、これで、彼女を救えたのか、プチ・トラブルに巻き込まれていただけの彼女を、教室の、みんなへ晒し者にしただけなのか、僕は心配になった。
 彼女には、有り難(ありがた)迷惑だったのかも知れないと、不安な気持ちで、僕は彼女を見詰め続ける。
『もう、大丈夫(だいじょうぶ)だから』
 脇から、女子の声も聞こえて、幾人かのクラスの女子も、応援に近くへ来ていたのを知った。
 応援の女子の声に、彼女の眉間に寄せた縦皺(たてしわ)が消え、瞳は泳いだ。
 そんな、彼女の表情が嬉しくも、可笑しくて、僕の口許(くちもと)と目許(めもと)が緩んでしまう。
 暫し彼女は、チラチラと視線を上下左右に流して、連れ達や応援に来た女子達を見ていたけれど、また、僕を睨むように、見詰めて来た。
 そして、姿勢を正(ただ)して驚きの言葉を口にする。
「……ありがとう」
 小さな声で、でも、よく通る澄んだ声で、はっきりと聞こえた。
 戸惑(とまど)いで強張る顔の瞳は、応援してくれたみんなを、しっかり見回してから、彼女は、僕が彼女から初めて聞く、感謝の言葉を言った。
 それから、これまた、初めて彼女が見せる仰天(ぎょうてん)の態度、……両手を自分の前で重(かさ)ね合わせての素直な御辞儀(おじぎ)……。
 それを、笑わない顔で行なった。
 そして、再び、僕を見る。
 信じられない言葉と態度で、びっくりだったけれど、やはり、壁を造らない彼女は素直で優しい。
 それは、僕の取った行動を肯定してくれたようで、僕に温もりを感じさせた。
(良かったぁ、彼女を救えて、良かったじゃん、自分!。ふぅーっ)
 立ち上がらなければ、きっと、彼女は実力行使を行っていて、酷いトラブルになっていただろう。
 そして僕は、隣にいて絶対に騒動が聞こえているはずなのに、背を向けたまま何もできなくて、『好きだ』と、想いを告白した相手を守る行動の一つも起こせないような、頼(たよ)りにならない情(なさ)け無い男になるところだった。
 彼女を守る為に、思い切った行動が取れた事と、彼女を無事に守り切れた事、そして、目を逸らして逃げずに、彼女と見詰め合えた事を、僕は、宛(あ)て名の知らないサッカー部の何者かへ、今日の、彼女のトラブルとの巡(めぐ)り合わせを感謝した。
 僕を見ていたのは、僅か十秒ほどの事で、直ぐに彼女は、真っ赤になった顔を逸らして席に座り、いつものように僕に背を向けた、頬杖姿で窓の外を眺め出す。
 窓の外へ向けた、彼女の表情は見えなくて分からない。
 僕は思う。
 互いに目を逸らさずに、相手を見詰め合えた事で、たぶん彼女も、『……これからは、より僕を意識してくれるかな?』って、ちょっと驕(おご)ってしまう。
 協力と応援してくれたダチ達と女子達が、『おおーっ、感謝されたぞ!』、『ありがとうって、言ってくれたよ。良かったわね』、『ちょっとぉ、あんた、ヒーローになっちゃったよぉ!』、『これから、上手く行きそうだな』などの、騒々しい歓声と御祝いの言葉を聞きながら、気分は、ちょっとどころか、勇敢な白馬の王子様だった。
     *
 その彼女へ、僕は小学六年生の時の雪辱(せつじょく)を果たすべく、音楽の勉強をしている。
 そうは言っても、楽譜が読めて、楽器の一つでも扱いを憶えるような大層(たいそう)な事じゃない。
 家に帰ると、イヤホンを耳に挿(さ)し、メディアプレーヤーでJPOPを聴きながらステップを踏(ふ)む。
 カラオケにも、友人達と時々、行って、歌謡曲を唄い練習した。
 僕は、何度も繰り返して、リズム感と歌の音程と強弱を身体に憶えさせた。
 彼女の前で、二度と音楽に由(よ)って、恥を掻きたくなかった。
 体育祭のフォークダンスや文化祭のイベントで、曲に合わせて軽(かろ)やかにダンスを踊(おど)る僕を、彼女に見て欲しい。
 以前とは違う、人前で上がってしまい、何もできなくなる鈍臭(どんくさ)い音痴の僕じゃなくて、格好良い僕を彼女に見て貰いたかった。
 『ありがとう』の、感謝の言葉以降も、僕は彼女との約束を守り、メール以外の積極的な態度を慎(つつし)んでいた。
 彼女に意識されて嫌われてはいないと、自信が有ったけれど、不用意な僕のアプローチへの彼女の反応が、その自信を、大きな勘違いだと思い知らされるのを恐れていた。
 初秋の文化祭では、ダチ達とグループで講堂のステージに上がり、歌いながら踊った。なのに、彼女は現(あらわ)れず、観客(オーディエンス)の中に、彼女を見い出す事は無かった。
 中秋(ちゅうしゅう)の体育祭での、彼女に触れたフォークダンスは、互いに交わした視線からは、ちゃんと意思を読み取れないまま、一瞬で終わってしまう。
 しっかりと掌を制汗パウダーで乾燥させて挑(いど)んだ、念願(ねんがん)の手を繋いでのステップは、ミスも無く、上手く踏む事ができたのに、互いの周りを一周するだけの、ほんの短いダンスの時間だけからは、彼女の反応を読み取る事ができなかった。
 彼女を見詰め、彼女に見詰め返されていたのに、その表情から、彼女の喜怒哀楽(きどあいらく)が良く分からない。
 努力した割りに、成果を得られなかった僕は、別に彼女へのアピールは、体育祭や文化祭でなくてもできるし、チャンスが無ければ、チャンスを作れば良いと考え直した。
     *
 クリスマスの前日の朝、隣の席の彼女へ、在り来たりな既成(きせい)メールを打つ。
【メリークリスマス!】
 スィートな、クリスマスイブを期待した。
 テレビやインターネットでも、街のストリートでも、一ヶ月以上も前から、ラブリーでスィートなクリスマスムードを盛り上げている。そして、今夜はクリスマスイブだ。
 親しい異性の友人や恋人と美味(おい)しい料理を食べ、感動の映画を観たり、楽しくゲームセンターで遊んだり、それから、プレゼントを贈(おく)り合う、シックで嬉しさ一杯なデートをして過ごせる事を、神様に感謝しまくる特別な夜だと思っていた。
 まだ、僕たちは中学生だから、大人達のするようなセッテングはできないけれど、映画を観てからティールームで軽い食事をして、食後は、コーラかジュースを飲みながら、オーダーしたケーキも食べるけれど、ケーキがフルーツに替わっても良くて、彼女は喜んでくれると思う。
 そして、クライマックスに、ショッピングモールのオシャレな雑貨屋で選んだ、細(ささ)やでも素敵なプレゼントを贈呈(ぞうてい)するぐらいは許されるだろう。それがダメでも、カラオケぐらいは行ってくれるだろう。
 練習した歌を聞かせたいし、聴いて欲しい。
 彼女とデュエットで歌うのを、希望したい。
 終礼後の下校は、バスに乗って急いで帰宅すれば、着替えてから出掛けられるし、家に戻るのも遅くならないだろう。
 それらは何もかも、僕にとって初めての試みで、叶うのなら、きっと、幸せな気持ちになれる。
 そんな、幸せに満ち足りたクリスマスイブを、僕は彼女と、いっしょに……、二人だけで過ごしたいと思う。
 二人の関係を、一気に進展できるかも知れない試みのプランは、直ぐに届くだろう彼女の返信メールが、楽しい言葉が綴(つづ)られた文面だったら、即座に知らせてやろうと考えていた。
【メリークリスマス!】
 夕方遅くに、彼女から返信が届いた。
 夜の帳が下り始めて、外は暗くなって来ている。
(遅いよ。今から間に合うかな? 中学生が出掛けるのには、暗過ぎるかな……?)
 既に、出掛ける用意はできて、腕時計の時刻を確認しながら、弾む気持ちでメールを急いで開く。
 だけど、メールの冒頭(ぼうとう)に表示された、メールのテーマっぽいジーザスの犠牲や誕生を楽しく祝う言葉とは裏腹(うらはら)に、本文は始まりから、昂揚(こうよう)したテンションを一気にダイブさせてくれる、全く愉快(ゆかい)じゃない文字が続いていた。
【取り敢えず、メリークリスマス! 私、あんた関係のクリスマスと、全然関係したくないから。冬休みも、正月も、同じよ。それに、どうせ知らないでしょうが、誕生日もよ。『ハッピー、バースディ!』なんて、有り得ないから。あんたとは全然、関係無いよね。無関係だから! それと、『明けましておめでとう』のメールは、寄越さなくていいからね】
 毎日、ラブリーな期待とスィーツな気分を積み重ねて来た高揚感が、瞬間で瓦解(がかい)して、裂(さ)け広がる奈落の奥深くに落ちて行く。
 思い描いていた、フェスタ・クリスマスのハッピーピンク色が、奈落の縁のダークブルー色へ塗(ぬ)り込められてしまう。
【それに、バレンタインディーのチョコは、渡さないからね。義理(ぎり)チョコでもよ。私、今までにお父(とう)さんと、お爺(じい)ちゃん以外に、贈った男の人はいないから】
 来年の、まだ、一ヵ月半以上も先のバレンタインディーまで、拒否を寄越して来る。
 お返しの想いを込めた、クッキーなどのホワイトディーのプレゼントは、これで、渡せなくなってしまった。
 それでも、家族以外の男の人へあげていないのは、救いで希望だった。
(これって、デレなんだよな? 本当に、チョコを贈った事が無いのだろうか? デレであってくれーっ!)
 彼女は、僕の想いを知っているはずなのに、ワザと弄んでいるのだろうか?
 もっと、他の書きように、思い至らなかったのだろうか?
(確かに、関係無いかも知れないけれど、これじゃあ、楽しげなメールに繋げる事ができない)
 これでは、初詣(はつもうで)に誘い、御参(おまい)りをして御神籤(おみくじ)を引き、御守(おまも)りを交換しあうことは、ずっと、夢のまた夢だ。
 いつまでも、全然、夢から出られない。
 遣る瀬の無い気分のまま迎えた、冬休み明けの初日、彼女とは、教室の中で擦れ違っても、新年の挨拶や朝の挨拶も、交わせなくて、目も合わせてくれない。
 ダークブルーの気分にブラックが混ざり、限り無く暗黒色になって行く。
 一限目が始まる直前に、机の中の携帯電話が震えて、メールの着信を告げた。
【迎春(げいしゅん)。今年は、貴方(あなた)にとって、最良の年でありますように。―私にとっても―。お互い、高校受験に向けて、頑張ろう! 必ず、合格できますように。同じ高校へ、いっしょに行けるといいね】
(わからない……。彼女が分からない。こんなに好きなのに、僕は、彼女が解からない)
 不可解な彼女だけど、届いた彼女のメールは、僕のディープブルーにまで、深く沈んで、淀んでいた暗い気分を、深みの底から浮き上がらせて、希望に満ちたスカイブルーに変えてくれた。
     *
 終業式の朝、いつもよりも早く、彼女よりも先に教室に着く。
(良かった。彼女は……、まだ来ていない)
 速やかにバックから、小さな紙包(かみづつ)みを取り出して、急ぎ、それを、彼女の机の奥深くへ入れた。
 授業の無い今日は、下校の帰りまで、机の中を見る事は無いと思うし、早くに気付かれても、彼女が教室で大っぴらに包みを開く事も、無いと思う。
 僅かに、横文字の店名みのが、小さくプリントされただけの素っ気(そっけ)い無い包みの中には、彼女に使って貰いたい、絹(きぬ)のスカーフで包んだ白い小箱が入っている。
 箱の中身とスカーフは、先々週、親父と旅行に行った時に、現地で買った彼女への御土産(おみやげ)だ。
 それは、掌に乗るくらいのサイズの、街並(まちな)みをレリーフした写真立てで、前後のレリーフの間のスリットへ、写真を挟(はさ)むようになっている。
 それにしても、少しスリットの幅が広い気がして、別の用途で使うのかも知れないけれど、僕は敢(あ)えてフォトスタンドだと思い込んで使っている。
 同じフォトスタンドを、二つ買った。
 一つは、彼女が手に取った品で、クリスタルガラスのオブジェと比(くら)べて迷った挙句、彼女は買うのを止めてしまった。
 その様子の一部始終を、僕はショーウインドゥ越しに見ていて、彼女が立ち去ると直ぐに、そのレリーフを買い求めた。そして今、彼女が手に取った品を、彼女の机の中にこっそりと入れた。
 もう一つの品は、彼女が触れたオブジェの隣に有った物で、それは、僕の部屋の机の上に、その時のショーウインドゥ越しに撮った、彼女の写真を挿(さ)して置かれている。
 終業式を終え、教室での終礼の後、持ち帰り忘れ品の有無(うむ)を最終確認していた彼女が、空(から)っぽのはずの机の奥へ潜(ひそ)ませた包みに、気付いた様子を見せた。
(気付いてくれた……)
 それを見て直ぐに、僕は友人達と連れ立って下校した。
 包みや箱に送り主(ぬし)の名前など、全く書かれていなくて、誰が置いたのか分らないだろうけれど、中のレリーフを見れば、いつどこに有った物か思い出すはずだ。そして、誰が置いた物なのか知ると思う。
 あの時、僕は、彼女がそれを買うのを諦めるのを見て、このサプライズを思い付いた。
 直接、彼女へ渡すのは、非常に気不味くなりそうなので止めていた。というか、手渡しする勇気など、全然無かった。
 明日(あす)からの春休みになれば、顔を合わせる事が無くなり、サプライズの品を受け取らないにしても、直ぐには返品できないだろうと、僕は思う。
 だから、贈る日を、僕と接点を持ちたくなくて、拒否しようとする彼女の気持ちを冷静にし、受け取る気持ちへと、変えれるかも知れない期間になりそうな春休みの前日、今日の終業式の日を選んだ。
 内心(ないしん)、帰り掛けに、彼女が机の中を調べなかったらと心配して、教室の戸口近くで、友達の姿越しに見張っていた。そうなれば、彼女が教室を出た瞬間、包みを掴んで、彼女よりも速く玄関へ行き、彼女の靴箱に包みを入れなければと考えていた。
 そして、その心配が杞憂(きゆう)に済んで良かったと、帰り道、友人達と春休み中の連みを計画しながら、ホッと安堵していた。
(取り敢えず、サプライズは成功だ! どう受け止めるかは、彼女次第だけれど……)
 僕はサプライズが、より良い結果、より良い方向へ導(みちび)くようになって欲しいと、切に願う。
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【ありがとう! 貰って良いの? 世界って、意外と、狭いよね】
 下校途中に彼女から届いたメールは、拒否される心配を余所(よそ)に、あっさりと、包みを受け取ってくれる内容だった。
 予想していた喧嘩腰(けんかごし)に返品される拒否文とは違って、速やかに送られて来た、彼女の素直な御礼の言葉だ。
(おおっ、意外と素直だ! ……これは、喜んでいいんだよな?)
 このメールが、彼女から送信されて来ただけでも、レリーフを買って良かったと、心から思う。
 雨上がりの青空のように、気持ちは晴々(はればれ)して、身体が清々(すがすが)しい透明な大気を照らす暖かな陽差しを浴びたみたいに、ポカポカして軽い。
 彼女からの感謝の文字に、気持ちが嬉しく弾みながらも、テレ臭くなって来る。
【そうかも。でも、けっこう、遠い場所だったよな】
 彼女の感謝に僕は思い上がったり、馴(な)れ馴れしくなったりした返信はしない。
 ワザと素っ気無くして、テーマも逸らす。
 彼女のメールにシンクロさせた文で送っても、どうせ碌(ろく)な結果にならない。きっと、返信メールは来ないだろう。
 本当に、めちゃめちゃ凄い出逢いだった。
 初めて行った海外旅行の知りもしなかった観光地で、全くの偶然に彼女を見掛けた。しかも、その国で、二度も! 違う二つの場所で、彼女と出逢った!
 いずれも、直接の接触こそしなかったけれど、運命だとか、前世(ぜんせ)からの因果(いんが)とか、逆らえない強制力だとか、けっして奇跡(きせき)じゃないとか、驚愕(きょうがく)している彼女の真ん前に立ち、強く言って遣りたかった。
 でも、それは、敢えてしない。
 いや、しないのではなくて、彼女の前に立つ勇気や、言って放って遣る勇気が無いだけだ。
(まあ、例え、僕に勇気が有って、それが、できたとしても、彼女は納得しないだろうし、説得されるはずも無いさ)
 そして、デスクトップのオブジェを扱うスペイン広場の店で、彼女が手に取り、迷い悩んだ末(すえ)に諦めていたレリーフを購入して、彼女に渡せただけで、僕の想いは十分に満たされている。
 春休みの間、彼女とは、メールを遣り取りする以外に何も無さそうだ。だけど、今と変わらないまま彼女に拒み続けられても、新学年でクラスが別々になっても、必ず強く自分をアピールするチャンスを僕は何処かでクロスさせ、彼女と親しくなって遣ろうと、僕は考えていた。
 彼女の性格と言葉遣いはともかく、その容姿から、告白して来る男子の多いのは知っている。
 今は悉く断っていて、男子の友人はメル友の僕だけの ……それが、友人と呼べるのか甚(はなは)だ疑問だけど…… ようだ。
 でも、いつ彼女の思春期の乙女心に火が点(つ)いて、ただのメル友の僕など、あっさりと御払い箱になってしまうか分からない。
 故に、僕の想いは一秒でも早く、彼女を確実に、僕の彼女にしなくてはならないと焦っている。
(他の男の女になる前に、僕だけの、彼女にしたい!)
 今のままでは、彼女に一定距離に留(とど)め置かれているだけの、わざと近付けないようにされて終わる僕になってしまう。だから、もっと、僕の想いを強く彼女へ響かせて、親密な接近になる為に、直接ではない、直接っぽい何かをしなければならないと思う。

 

 つづく