遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

ときめき (僕 中学二年生) 桜の匂い 第三章 壱

 そこだけが光っていた。

 窓のカーテンが春の暖(あたた)かな風に捲(ま)くれ上がり、窓際の中程の席だけが差(さ)し込(こ)んだ春の優(やさ)しい光に照(て)らされた。そして、その淡(あわ)い陽溜(ひだま)りの中に彼女がいた。

 舞(ま)い上がった塵(ちり)が光を反射してキラキラ輝(かがや)き、まるでステージのヒロインがスポットライトを浴(あ)びるように、彼女だけが輝く光の中にいる。美(うつく)しい神秘(しんぴ)的な光景に僕は目を見張り、西洋神話に登場する怪物(かいぶつ)メドゥーサを見て石にされた憐(あわ)れな古代人のように立ち固(かた)まった。

 陽射(ひざ)しを眩(まぶ)しそうに目を細めて仰(あお)ぎ見る女の子は、中学一年生で何度も擦(す)れ違い、探(さが)し求(もと)めたデジャビュの女の子だ。そして良く見れば、小学六年生の時に声を掛けた四角い爪の天空人(てんくうびと)だった。

(懐(なつ)かしくて安(やす)らぐ優しさは、彼女だったんだ!)

 デジャビュは繋(つな)がった。

 彼女は成長して更(さら)に背が伸(の)びて、その落ち着いた感じの容姿(ようし)は大人(おとな)びていた。それに、端整(たんせい)な顔立ちの綺麗(きれい)で可愛(かわい)い美人になっている。彼女の輪郭(りんかく)は光を帯(お)びたように明るく輝いて神秘的で不思議(ふしぎ)な感じだ。僕は、彼女を輝かすその光が、まだ見た事が無い『オーラ』の光だと思う。

『キュル、キュゥーン!』僕の中で、何かが大きく鳴(な)って胸の中が鋭(するど)く痛(いた)んだ。僕の胸は、もうどうしようも無いくらい激(はげ)しくときめいて、何かに急(せ)かされているみたいに気持ちが落ち着かない。

 クラスメートの六割が入(い)れ替(か)わった新学年の初日、あの光る春風と桜色の中の彼女に見蕩(みと)れて立ち竦(すく)んだ二年前の春の日から、ずっと僕は彼女に憧(あこが)れて恋(こい)をしていたのに気が付いた。

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 彼女の容姿は僕の眼で立体スキャンされて、記憶層(きおくそう)にインプットされる。断層(だんそう)や透視(とうし)スキャンは無理(むり)だけど、外観(がいかん)はしっかりと僕の脳の奥深くに刻(きざ)み込まれた。一度きちんとインプットされると驚(おどろ)くほど良く彼女を見付けてしまう。朝の通学路では意外と近くを毎日、僕と同じ時刻(じこく)に歩いていたのには驚いた。

 一年生の時、あんなに探していても見付からなかったのは、単に僕の観察力や探索力が不足していただけで、はっきりしたイメージや情報が有れば、案外楽に分かるものだと感心してしまった。

 毎日、学校へ来るのが楽しい。彼女の何気(なにげ)ない表情や仕種(しぐさ)、特に彼女が笑(わら)うとドキドキして僕も笑顔になるくらい嬉(うれ)しくなる。少し鼻に掛かる掠(かす)れ気味(ぎみ)な声に、その喋(しゃべ)り方と言葉(ことば)、それにスタイルやポーズが素(そ)っ気(け)無いくらいに普通じゃなくて、周(まわ)りに気付かれないように彼女を見詰(みつ)めてしまう。

 稀(まれ)に視線が重(かさ)なりそうになる彼女の黒目勝(くろめが)ちな目は、今も透(す)き通った黒い瞳(ひとみ)で長い睫毛(まつげ)が、より黒目勝ちに見せている。目が合いそうになると、とっさに僕は気付かれない速(はや)さの動きで、目も、顔もスーッと逸(そ)らす。

 彼女の服装や持ち物なども全(すべ)てが素敵(すてき)に思えて来て、RPGゲームで発見したレアな宝物のように感じた。そんな自分の気持ちに気付いてしまうと加速的に彼女への想いが益々(ますます)強くなって行った。

 明るく話せれば良いと思う。いっしょに並(なら)んで楽しく話しながら通学できるともっと良い。勉強や学校や家や友達など、互(たが)いの悩(なや)みを打ち明(あ)けて相談し合う。優しい彼女と手を繋いで、いっしょに川縁(かわべり)や坂道や入り組んだ裏通りを歩く。学校や街角(まちかど)で僕達二人だけの合図(あいず)を明るく笑顔で交(か)わす。

 互いの眼(め)と心で通じ合い、そして、キスをする。ギュッと彼女を抱(だ)き締(し)める僕は、彼女を離(はな)しはしない。他の誰(だれ)もが彼女を理解(りかい)しなくても、僕だけには解(わか)る。他の誰にも彼女を渡(わた)したくない。などなど、今はこの程度しか思い付かないけれど、僕の想いは虚(むな)しく暴走して行く。

 想いはみんな、僕が妄想(もうそう)する彼女との可能性ばかりで僕の一方的な願いと想像だ。空想(くうそう)も少し入っている。そして、彼女が僕を受け入れてくれないと何も実現しない。それよりも彼女に僕の想いを伝えないと何も始(はじ)まらない。彼女が他の誰かと御付き合いする前に、早く僕の想いを彼女に伝えなければならない。

(でも、どうやって彼女に伝えようか?)

 僕は緊張(きんちょう)し易(やす)くて人前で上手(うま)く話せない。まして好きな女の子に直接の告白(こくはく)なんて、呂律(ろれつ)が回らなくなるから絶対無理だ。

 僕は自覚(じかく)していた。

 僕が普段から早口(はやくち)で話し、緊張したり焦(あせ)ったりすると更に早口になって、しかもはっきりと口を開(あ)けない為(ため)に篭(こも)った母音(ぼいん)ばかりが相手に聴(き)こえてしまう。言葉の区切りが上手く出来ない僕のしゃべりは、時々、何を言っているのか分からないと言われていた。

     *

「あんたねぇ、ちょっと注意したい事が二つ有るの。一つは口の開け閉(し)め、もう一つは食べ方よ」

 小学五年生の時、僕との何気ない話しの最中(さいちゅう)にお袋(ふくろ)が突然言い出して、僕の見た目と食事マナーの直(なお)すべき欠点を指摘(してき)しだした。

「いつもポカッと口を開(ひら)いていると、アホっていうか、ちょっと理解の遅(おそ)い子みたいな、この子はポカンとして、しっかりしてるのかしら、大丈夫(だいじょうぶ)なのぉって、疑(うたが)ってしまう感じに見えるもんなの」

 さらっと、何か酷(ひど)い事を言われた気がする。

(それって、お母さんには、そう見えていたってことぉ?)

「反対に口を閉(と)じているだけで、利発(りはつ)に見えちゃうんだからね。あんたは足(た)りない子じゃないんだから、気を付けなさい」

 お袋がイメージする『足りない子』って、どんな子の風体(ふうてい)を指(さ)すのか分からないけれど、確(たし)かに口を閉じているだけでビジュアル的な締(しま)り顔に見えると思う。スポーツで体内圧力を抜(ぬ)いて敏捷性(びんしょうせい)を高めるとかいうけれど、瞬発力(しゅんぱつりょく)を高めるには奥歯を噛(か)み締めていた方が理(り)に適(かな)っていると体験で知っている。

「食べる時もいっしょよ。口を閉じて噛みなさい。噛む度(たび)に口を開けると、クチャクチャ、ペチャペチャ、ムシャムシャって汚(きたな)らしい音がして、いっしょに食べている周りの人達を不快(ふかい)にさせるわ。そして、親の躾(しつけ)を疑われちゃうの。だから、モグモグして食べなさい。わかったぁ!」

 三つも挙(あ)げた擬音(ぎおん)に、文字での食べる表現(ひょうげん)には効果的だろうけれど、実際には動物的で品(ひん)が無いと納得(なっとく)した。

 お袋の正(ただ)すように要求した指摘に、自分が常に口呼吸をしていて、噛み砕(くだ)く度に口の中の潰(つぶ)す音を放っていたのに気を付かされた。だから、乾燥(かんそう)する咽喉(のど)で粘膜(ねんまく)を痛めて風邪(かぜ)や諸々(もろもろ)の病気に罹(かか)り易くしてしまうのだ。お袋が言う、それっぽい顔付きにもなってしまうらしい。動物的な音も、これからは出さないようにマナーとして習慣(しゅうかん)付(づ)けなければならない。

 お袋の指摘は二つだけで終わらない。

「それとぉ、前から気になっていたけど、発音(はつおん)が変よ。ベロ出してくんない? そう、いっぱいに出してみてよ」

(なにそれ? 発音と舌(した)?)

 その真意(しんい)が分からないままにベロを出してみた。

「ふぅーっ、大丈夫(だいじょうぶ)ね。んーと、ちゃんと下唇を超(こ)えてるから、安心ね」

 お袋は僕の出したベロに触(ふ)れながら安堵したように溜(た)め息を吐(つ)く。触れられて擽(くすぐ)ったい舌にお袋の息が掛かる。

「舌が短(みじか)い所為(せい)で、上手く発音しきれていないと思ったのよ。ちゃんと長くて良かったわ。短いと舌の整形手術をしなくちゃいけなかったかも」

 それまで自分が早口で、しかも聞き取り難(にく)い発音をしているとは思っていもしなかった。だから、僕を産(う)んで育(そだ)ててくれる母親の、『発音が変』指摘と、『整形手術が必要』発言は、気付いていなかった見てくれの悪い癖(くせ)とノーコントロールだった食べ方の改善要求以上にショックで、『あんたって、何度見ても不細工(ぶさいく)過(す)ぎだよね、いっぺん整形してみる?』って聞こえたくらいに、既(すで)に下降気味の気分を錐揉(きりも)みで急降下させて悲観(ひかん)と羞恥(しゅうち)の領域スレスレを超低空飛行した。

『産みの親も、育ての親も、あんたじゃんか! どうして物心(ものごころ)が付く前に、僕の人格が形成される前に、幼(おさな)い頃に、変だと気付いて直してくれなかったのかなぁ?』と、言い返して遣(や)りたい。

「舌が変じゃないなら、この発音の拙(まず)さは、きっと、精神的なところから来てるんだわ。だぶん、伝えたい思いや気持ちを上手く纏(まと)められなくて、口の動きや出す声が不正確(ふせいかく)になってしまうのね」

『だったら、五年生になるまで放(ほう)って置かなくて、本当に、もっと早く言って欲(ほ)しかった』())と、内心腹が立って来た。

 僕が話す多くの意味を相手に理解されていなかったと思うと悲(かな)しくなる。楽しい事や嬉しい事を弾(はず)んだ明るい気持ちで話していたのが恥(は)ずかしくなった。

「それは、しゃべりたい気持ちが先行してしまう所為だと思うから、話す前に言いたい事を整理して、焦らずに落ち着いて話なさい。そして、もっと口を開けて、一つ一つの発音に口の形を作りなさい。発音の形を作れば早口にならずに、はっきりと聴(き)こえるはずだから。はい、意識してぇ、もう一度、話してみて」

 自分自身に自覚(じかく)が無くて腹立たしい指摘だと思えたけれど、これからの未来で僕の意思を相手に理解されるように伝える為に、僕は指示に従(したが)って口を声に合わせて形を変えてみる。

「ねぇ、いつから、変だと、気付いて、いたの?」

 お袋へ、ゆっくりと抗議(こうぎ)の文句(もんく)を言った。

「ほら、何を言っているのか、ちゃんとわかるわ。聞き取り易くなったじゃない! そう、ゆっくりと発音してね」

 聞き取り易く伝えたはずの僕の問いを、お袋は完全無視を決め込んで上手く話せている矯正(きょうせい)の試(こころ)みを褒(ほ)めた。こんな簡単(かんたん)に直せるなんて思いもせず、半信(はんしん)半疑(はんぎ)でお袋の試みに応(おう)じた僕は、これまでの発音を矯正できる事よりも、この異質(いしつ)な感じのしゃべりが正常な事に愕然(がくぜん)とした。

「身体(からだ)じゃなくて、性格の問題だったのかな? しゃべるのをずぼらして端折(はしょ)らないでちょうだい」

 端折ってはいなかった。寧(むし)ろ話そうと思った全てを話すようにしていた。でも、今は意識してしかできない異質で納得できないしゃべりでなくて、聞いてもらう相手には、その大半が意味不明の音でしかなかったのだ。

 何気に僕の耳に入り理解できている家族や友達やクラスメートの言葉が、これほどの違和感(いわかん)が有るしゃべりで、それを、みんなは無意識で普通に話している。

「相手に、しっかりと伝わらないと、相互(そうご)理解のコミュニケーションができないでしょう」

 意識しないと、できていない口の形や発音、そして話す速度は、早く習慣付けて無意識に違和感の無いようにできなければならない。

 その事を僕は、お袋に指摘された時から、ちゃんと口の形に注意して、ゆっくりと話すように心掛(こころが)けている。

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 お袋の指摘されてから口呼吸は口を閉じた鼻呼吸に矯正したし、漏(も)れ出る咀嚼音(そしゃくおん)も意識して口を閉じて噛むようにして今はクチャラーじゃなくなった。だから、彼女に話しかけた六年生の時にはトロそうな顔付きではなかったと思う。

 給食(きゅうしょく)の食べる音やマナーにも気を付けていたから、もし、彼女が僕を意識し出していたならば、僕の外見上の印象はマイナスではないはずだ。

 だけど、外見が与える好印象と彼女へ声を掛けるのは別の問題だ。

 早口の発声と速度を直していて気付いたのは、自分で『おそいなぁ』と思ったくらいが相手に聞き取り易い速さという事で、今も直す努力が足りずに苦労していて、完全矯正には至(いた)っていない。

 今は意識しての矯正で、だいぶ聞き取れるようになっているけれど、話す相手が好きな女の子というだけで緊張して以前の早口に戻(もど)ってしまうと思う。それが、彼女への告白となれば声も出なくなるに決まっている。

(まだ、落ち着いて彼女と話す……、自信が無い……)

 好きになればなるほど上手く話せなくなると、どこかで聞いたり何かで読んだりした覚(おぼ)えが有る。

 僕はまだ彼女に二言(ふたこと)しか話していない。それも心臓が高鳴って、息が詰まるほど胸が苦しくなり、上(うわ)ずった閊(つか)える声でやっと言えた。彼女に話し掛けた春の日は良く憶(おぼ)えていて、思い出す度に顔が火照(ほて)り切(せつ)なくなる。どうにかしてリアルタイムで僕の気持ちを彼女に告白したい。

 ……そんな想いで毎日を悶々(もんもん)と過ごしていた。

     *

 ある朝、彼女が机の影で携帯電話の画面を見ていた。

(ん、携帯電話を持っている……)

 銀色に輝く大画面の携帯電話だ。彼氏とメールをしているのかと気持ちは曇(くも)ったけれど閃(ひらめ)いた。

(こっ、これだ!)

 二年生になってから親しくなった友人の中に、一年生の時に彼女と同じクラスが二人いた。彼らを廊下に連(つ)れ出し、彼らに彼女の携帯電話の番号とメールアドレスを知らないかと、ダメ元で尋(たず)ねてみたけれど、案(あん)の定(じょう)、二人とも知らなかった。

 それどころか、彼女は変っていると言う。

「おまえ、あいつを好きになったのか? あっちゃー、いくら惚(ほ)れたからって、それは、止(や)めといた方が良いかもね。あいつ、恋愛(れんあい)には全(まった)く興味無さ気で、去年は五、六人を振ったみたいだぜ。お前も、あっさり振られちまうぜ。ちょっと可愛い系だから、目立つしなー。でも、変わった女らしい……。確かに彼氏はいないけれど、同性の友達もいない。だからって、苛(いじ)められてはいない。女子達は敬遠しているみたいだったなぁー。なんか痛い系? まあ、百合(ゆり)系じゃないみたいだし、あいつに振られても友達になりゃいいじゃん。あいつを虚しくて寂(さみ)しい孤独(こどく)から、おまえが救ってやりなよ。まあ、あいつの携帯番号とメアドは、ちょいと心当たりが有るから、一週間ほど待ってくれ。何とかしてやるよ」

(彼女はそんなだっけかな? 寂しいのかな……? それは無いな。憂(うれ)いは有っても、寂しさは無い。彼女に寂しさは似合(にあ)わないし……、それに心当たりってなんだぁ?)

「おまえら、あいつって言うな!」

 好きになるのを止めとけと言いつつも彼らは、本当に一週間で彼女の携帯番号とメアドを捜(さが)し出して来て、僕の携帯電話へメールで届けてくれた。

 僕は大喜びに感謝のつもりで『御礼をしたい』と言うと、

「お礼なんかしなくていい。友達に好きな子ができて告白しようとしているのを、応援(おうえん)するのは当たり前だ。結果はどうあれ、おまえが精一杯頑張(がんば)れば、それでいいじゃん」

 そう、あっさり返された。

 メアドを知り得た経緯(いきさつ)を問うと、中学一年生になると大勢の生徒が携帯電話を持つ。みんな嬉しくて電話やメールを交換し合った。やがて、彼女のクラスの女子達で携帯電話の友達ネットワークを作ろうって事になり、それに彼女も登録したのだった。それを彼らが知っていて、仲(なか)の良い彼女の元クラスメートの女子に頼(たの)み込み、有償(ゆうしょう)で手に入れてくれたのだ。

(有償って、金を払ったのか?)

 詰問(きつもん)するように情報源を訊(き)く僕に、

「別に大した事じゃない。食い物とか文具や雑誌だよ。それは俺達の手段で、おまえが気にする事じゃない。あいつら、直ぐにアドレスを寄越(よこ)さなくてよ。それで一週間も掛かっちまった」

 使かった金額と相手の女子名を、彼らは頑(がん)として言わなかった。

( 『一週間で』じゃなくて、『一週間も』だったんだ)

 涙が出そうになるくらい嬉しくなる。僕は彼らのさり気無さに感動してしまい、感謝の言葉を告(つ)げながら必(かなら)ず告白して彼女と親しくなることを心に誓(ちか)った。

 彼らが苦労(くろう)して手に入れた、彼女の電話番号とメールアドレスを登録して僕は悩(なや)む。

(彼女の気持ちを掴(つか)むには、どう告白すれば良いのだろう? 表題よっては開封もされずに無視されたり、開封しても文の書き方や内容次第で、幾つかの文字を見た途端(とたん)に消去されるかも知れない。さわりだけ読んで無碍(むげ)にされるかも知れない。一読(いちどく)されて悲しい返事の結末(けつまつ)になるかも知れない)

 悩んで考えた結果、僕の伝えるべき想いと、初めて話した時の彼女の印象(いんしょう)にした。

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【好(す)きです。貴女(あなた)は、桜(さくら)がとても似合って春風の中で輝いていました。貴女からは、桜の香(かお)りがしました。でも、とても眠そうに見えました】

 迷(まよ)った。表題無しで送る告白文はできたけれど、それを送るべきか僕は迷った。デジタルな活字文(かつじぶん)で僕の真剣(しんけん)な想いは充分(じゅうぶん)に伝わるのだろうか? 真剣な想いは生声(なまごえ)で伝えなくて良いのだろうか?

 電話だと声だけだ。電話の言葉なんて『そう、ふーん』くらいの感じで、直ぐに忘(わす)れてしまうに決まっている。それに生声じゃない。だったら直接、彼女の目を見て僕の生声で伝えるべきだと思う。でもダメだ。できない。彼女に見られながら真(ま)っ赤(か)な顔(かお)で立(た)ち尽(つ)くし言葉にならない声を出す。きっと話しの順番もバラバラになってしまう。それよりも気持ちが萎縮(いしゅく)してしまい、僕は絶対に彼女へ声を掛けられない。

 電話も同じだ。姿が見えないだけで話す相手が彼女だと意識すると、きっと声も出せずに、言葉も、思考も失(うしな)って話す以前の問題になると思う。

(電話のデジタルな声よりも、アナログな手書きの手紙が、良いかも知れない)

 それも抵抗があった。

 差出人(さしだしにん)不明の手紙だと彼女は返事を書けない。差出人を知られずに文通…… いやメール交換をしたい。携帯電話のメールは、差出人が誰か分からなくても表示されるアドレスへ返信できる。そしてリアルタイムだ。

 僕は姑息(こそく)な奴だ。

 メールで探(さぐ)りを入れながら、少しづつでも良い印象をイメージさせて行けば、きっと、足長おじさん的に好かれるだろうと考えていた。

 僕は打ち込んだ告白文に、送付先のアドレスを入力して保存した。

(彼女が誠実(せいじつ)な人ならば、きっと、返信で僕が誰だか問い質(ただ)してくるだろう)

 昨夜、携帯電話からメールで告白することに決めてからも、告白文の見直(みなお)しや彼女の反応を想像して一晩中悩んで眠れなかった。生まれて初めて一睡(いっすい)もせずに朝を迎(むか)えた。徐々に白(しら)んでくる空や、澄(す)み切った大気と昇(のぼ)る太陽の鋭(するど)い輝きが、僕に凛(りん)とした勇気(ゆうき)と力を与(あた)え、新しい日の新たな出会いや出来事を予感させた。

(どうか、想いが届き、願いが叶(かな)いますように……)

     *

 朝の通学路。徹夜で散々(さんざん)悩みまくった朦朧(もうろう)とする意識の中、当たって砕(くだ)けろ的な気分で、僕は向かい側の歩道の少し先を一人、学校へと歩く彼女にメールを送信した。

 斜め前方を歩く彼女は、着信を告げるバイブレーションに驚いたのか、大袈裟(おおげさ)なビクッっとする動きをして立ち止まった。それがメールの着信だと気付いたのだろう、ゆっくりと携帯電話をポケットから取り出し、着信したメールを見ていた。

(さあて、彼女はどう反応するだろうか? 返信してくれるだろうか? それとも、無視を決められちゃうかもな……)

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 返信は直ぐには来なくて半(なか)ば諦(あきら)めかけていた放課後、美術部の部室で粘土(ねんど)を捏(こ)ねている最中に携帯電話がリズミカルに震え、メールの着信を知らせた。

 小学生の頃から持たされていた携帯電話機は親父(おやじ)のお古(ふる)だ。親父はいつもケースに入れて使っていて傷一(きずひと)つ無い。

 折(お)り畳(たた)み式のようなガラパゴス携帯じゃないけれど、性能は最新タイプのスマートフォンに劣(おと)る。でも、僕の使用範囲では十分な機能を持っていて。そのフィンランドのメーカー製スマートフォンの、タッチパネルじゃないフルキーデザインのフォルムがレトロな感じがして、とても気に入っている。

 僕に携帯電話機を譲(ゆず)った親父は、カナダのメーカー製スマートフォンに変えた。バラ科キイチゴ属のブランド名で機能的なデザインが良いと言っていたけれど、やっぱりレトロっぽいのを選んでいた。

 僕はキーを押して着信したメールを開いた。画面の上の隅(すみ)に送り主(ぬし)のアドレスが表示されている。

『Ying Hua』

 彼女からの返信だ。僕は彼女の名でアドレスを登録していない。携帯電話のアドレス帳には彼女と解らないように、メールアドレスの初めのアルファベットで登録してある。それに、その発音が女性の名前っぽい気がした。

【私は過去形? 私はボーっとしているの? 私が臭(くさ)い? あんた誰? イスパニアの白ワイン】

 それは僕の告白メールへの彼女のツッコミだった。予想された返しの内容だったけれど、末尾(まつび)に綴(つづ)られた文字には驚いた。それは和訳された僕のスペイン語のメールアドレスで、博学で思慮(しりょ)深い彼女を知らされた。

 和訳されたスペイン語は、音痴(おんち)の克服(こくふく)に歌を練習しようと思い、インターネットで近所にカラオケボックスがないか検索中に、偶然(ぐうぜん)見掛けた喫茶店(きっさてん)の名前だった。金沢(かなざわ)市(し)郊外の砂丘(さきゅう)の町に僕が産まれる前から在る喫茶店の名前だ。オレンジ色の屋根に白壁(しらかべ)の地中海風な造(つく)りの外観で、いつか眩しい陽射しの日に行ってみたいと思っている。

『ビーノ・ブランコ』

 呟(つぶや)くと明るい陽射しの響(ひび)きなのに、どこか秋を感じさせて僕のイマジネーションを掻(か)き立てた。青く高い澄み切った空と白い筋雲(すじぐも)の下、緑の葉が生(お)い茂(しげ)る棚(たな)仕立(じた)てからぶら下がる青紫色に熟(じゅく)した葡萄(ぶどう)の房(ふさ)の秋風に吹かれて揺(ゆ)れる様(さま)と、葡萄畑(ぶどうはたけ)の匂(にお)いを思(おも)い描(えが)かせた。思い描いたイメージが心地良く、その想像を広げる名前を、僕は携帯電話のアドレスに使わせて貰(もら)った。

 驚きといっしょに彼女の誠実さを感じた。突然送られて来た名前が無くて誰からなのか分からない告白メールを、彼女は無視をしないで返信してくれた。

(怒(おこ)っている……? 何故(なぜ)?)

 返信されたメールから彼女が嫌(いや)がっていると思った。

 彼女は、きっと本人は真面目(まじめ)な顔をしているのだろうけれど、二重(ふたえ)瞼(まぶた)の優しげな眼差(まなざ)しは口を強く結(むす)んでも、どこか薄(うす)く微笑(ほほえ)んでいると思わせるような優しい顔付きの女の子だ。でも学校でのようすを見ている限り、その態度と言葉遣(づか)いは表情から期待した優しさの欠片(かけら)も感じさせない。彼女へ掛ける丁寧(ていねい)な言葉へ彼女の返す言動は素(そ)っ気(け)無く無情に冷たい。だから、クラスのみんなはファーストコンタクトで退(ひ)いて、セカンドコンタクトは大抵(たいてい)、避(さ)けてしまう。

 どうも、関(かか)わり合いたくない『可愛そうな子』や『痛い子』の扱(あつか)いにされているようだ。それでいて授業でのグループ割りでは外(はず)されるどころか、女子から積極的に受け入れられていた。男子からも気遣(きづか)われてるみたいだし、たぶん、みんなは先生を恐(おそ)れない彼女とトラブれば面倒だと思っているのだろう。もっとも授業に関(かん)してのみの限定事だけど……。

 僕はというと、下がり眉(まゆ)を刈揃(かりそろ)えて小さな上がり眉に見せ掛け、セコく運気を上げようと足掻(あが)いている。どこにでもいるような卵形の平凡極(きわ)まりない顔だ。凹凸差(おうとつさ)の少ない平面顔のパーツの造りやレイアウトは美形に程遠い。瞼は一重(ひとえ)で目付きも良くないし瞳も濁(にご)っている気がして、気難(きむずか)しそうな彼女の好(この)みじゃないと思う。   

 彼女のメールアドレスの『Ying Hua』は、英語の辞書で調べても意味は分からなかった。英語じゃない。フランス語でもドイツ語でもイタリア語やスペイン語でもなかった。パソコンで検索しても良く分からない。

(何かのタイトルか? それとも、もっと別な国の言葉なのか?)

 何か雑学的な特殊(とくしゅ)な単語だと考え、僕は親父に訊いてみた。ノートの隅に走り書きしたのを見るなり親父は、

「インファ」

 と、発音した!

「分かるの? 意味は?」

 まさか、本当に親父が知っているとは思わなかった。駄目元(だめもと)で訊いてみただけなのに、僕は親父を侮(あなど)っていた。

「ああ、中国語だ。後で中国語の電子辞書を貸すから自分で調べろ」

 さり気無く言う親父がでかく見えた。渡された電子辞書で調べると意味は、『桜花・桜の花』だった。

 彼女は桜を意識している。僕は桜の花弁(はなびら)が舞う麗(うら)らかな春の日、手を投げ出しイスの背に凭(もた)たれる眠そうな彼女の姿を思い出していた。

     *

【突然メールを送って、ごめんなさい。麗らかな春の光りや風や匂いと桜が貴女に溶け込むように似合っていました。それは、いつも僕が貴女を慕(した)う時に想うイメージです。優しい貴女が大好きです】

 彼女の機嫌をこれ以上、損(そこ)なわないようにと気遣っていたら言い訳じみたのになってしまった。でもそれは本当に思っていた事だった。

 僕は緊張すると話が閊えてぶっきらぼうに言ってしまう。声は細くなり言葉を選べないし探せない。言葉を省(はぶ)くのも多くて相手に思いや考えを上手(じょうず)に伝えられない。でもメールは違う。書いたり打ち込むのは面倒だけど言葉を繋げられるし優しい気持ちを綴れる。

【なぜ私を好きなわけ? 優しいから? 眠そうだから? 春眠が匂うほど似合っているから?】

 小学六年生の春の日、窓際の席の彼女は桜香る春風を微睡(まどろ)みながら楽しんでいた。彼女の不思議な『四角い爪』を訊いた時、今でも意味不明な『ピアノ習っているの』と優しく響く声で答えてくれて、その眠そうな姿と素直な物言いと声が彼女の優しさを僕に感じさせてくれた。

【春眠が似合うのも、眠そうなのも、可愛いと思います】

 春の日の優しげな声が例(たと)え偽(いつわ)りだったとしても、僕は彼女の優しさと可愛さを分かっている。

【どうして私が優しいと知ってるの? 優しくなかったら嫌いなわけなの?】

 僕は知っている、……と思う。優しいと思うだけで彼女が好きなのか? と問われたら、彼女は優しさだけじゃないって答えたい。

【貴女は優しいと信じています。でも優しくなくても貴女が大好きです。何か理由がないと好きになってはいけないのですか? 好きなるのに理由が必要なのでしょうか? なら……、貴女だから好きです】

 僕はもう、彼女の全てが大好きで、嫌いなところは何一つ無い。そして、彼女も僕を好きであって欲しいと願っている。

【それで、好きだからどうなの?】

 答えにくい事を訊いてくる。それは相思相愛になれば自然と発展していくものだろう。

【貴女を見かける度に心がときめきます。でも、胸が苦しくなって切ない気持ちになります。僕は貴女が好きです。だから告白しました。ほんとうに大好きです】

 僕は答えを暈(ぼ)かす。

【好きだけで終わり? 続きは? 何がしたいの?】

 彼女はしつこく突っ込んで来る。

(続きって……、それは相思相愛になったらって事なのか? それとも今、僕が彼女にしたい事なのか?

 ……スケベな下心も吐露(とろ)しなくちゃいけないのか? 普通、分かるだろう)

【貴女と並んで歩きたい。笑顔の貴女と、いっしょに楽しく話しながら通学したいです】

 これまた小学生が、お願いするみたいになってしまった。

【いっしょに並んで歩くの? 話しをして楽しいの? それで何?】

 安らぎが欲しかった。大好きな仲良しの彼女が傍(かたわら)にいて、いつも幸せを感じていたいと思う。

【もちろん! 凄く楽しいと思います。貴女と手を繋(つな)いで歩きます】

 仲良しゴッコみたいだけれど、僕はずっと彼女の温(ぬく)もりを感じていたくて、きっと繋いだ手を離したがらない。

【手を繋いで、それから?】

(それからって……)

 このメールの遣り取りが、断(こと)わる落とし所を彼女が探しているだけだと思えてきた。返答は、あからさまに下心丸出しのスキンシップ展開になるけれど、かまわない。半(なか)ば自棄(じき)の当たって砕ける思いで送信キーを押した。

【優しく抱き締めたい。そして、ギュッと、息が詰まるほど、強く抱き締めて上げたい】

 送信してから、めちゃめちゃ恥ずかしくなった。これで確実に振られるだろう。

【抱き締めてから?】

 まだ来る! 彼女はケリを付けてくれない。

(くっそう! 言葉で僕は弄(もてあそ)ばれている。ラストは僕のスケベさを罵(ののし)って一方的に振るつもりなんだ)

【君と、キスがしたい】

 キーを押して画面に表示された文字に、二人で微笑みながら優しくそっとキスをする場面が想い浮かぶ。

(君への想いは、これで全てだ。もうスケベ心いっぱいの僕を振ってください)

【ふーん。私とキスがしたいの? そして?】

 キスの文字に躊躇(ためら)いも無く、彼女は僕に尋問(じんもん)を続ける。僕をバカにしているのか、見下(みくだ)しているのだろう。

(僕の好きになった女の子は、こんな性格なのだろうか?)

 それ以上はキスをしてみないと分からないけれど、普通に発展させて『エッチしたい』と、結末へ急(いそ)ぎ行き着くと悲惨(ひさん)な落ちになりそうな気がする。

 例えば、僕の送ったメールがオープンにされて、『大好きです』、『並んで歩きたい』、『手を繋いで歩きたい』、『抱き締めたい』、『キスがしたい』、『エッチがしたい』と、告白メールの全てが彼女の登録している全メアドに転送されて、残りの中学校ライフが決定的に酷(ひど)い状態や結果になってしまうかも知れない。

 だから、ここは焦って直(す)ぐに返信せずに、寧ろ警戒すべきだと判断した。

 彼女のシンクロを装(よそお)うフレンドリーな問い掛けは誘導で、僕を辱(はずかし)めようとする罠(わな)だ!

(ここで曝(さら)し者になるのは、真(ま)っ平(ぴら)御免だ! 僕はまだ、何もしていない!)

 まるで、水面下や暗闇の中での怪(あや)しい交渉みたいなメールの遣り取りだけで、納得できる成果の無いまま理不尽に白日(はくじつ)の下(もと)に晒(さら)されそうだからといって、退き下がる訳にはいかない。

 僕は考え倦(あぐ)ねて、返信が夜になってしまった。

【君は、何をして欲しいの?】

 質問を遣り返してやった。彼女が屈折(くっせつ)した性格だと思いたくない。満開の桜の春を静かに楽しむ姿や人を惹(ひ)き付けるピアノの響きは、彼女の感受性が高いからなのだと思う。きっと多くの事が煩(わずら)わしく感じて反撥(はんぱつ)しているだけなのかも知れない。

 返信が来ても、これ以上は答えられない。その先の事は知らない。キスまでしか想像していなかった。何かをすべきなのか、何をどうすれば良いのか僕にはわからない。君にキスができれば、それで十分だ。僕はメールをやめて画面を閉じた。

(彼女は、僕にどんな回答を求めたのだろう?)

 告白して時期尚早(しょうそう)の想いも伝えた。もう居直るしかない。

 成績が悪い通知簿を親に見せた後のように、すっきりした。……すっきりしたと思った。僕は彼女の連(つら)なる質問攻めのメールに、寂しさと強がりを感じていた。最後のメールを送った後に、何か空洞(くうどう)のような穴が開いている感じがした。それが僕の中からなのか、彼女から感じたのか分からない。

 彼女の機嫌を損ねたか、僕との遣り取りが馬鹿馬鹿しくなったのか、それっきり彼女からメールは来なくなった。きっと僕の想いに呆れて、好き嫌いの対象以前の相手になってしまったのだろう。僕は完全に振られてしまった。

(もうどうしょうもない……。でも……)   

 それでも、僕はそんな彼女を好きだ! 片想いでもかまわない。

     *

 新学年初日からの席位置は、新学期初日の席替え抽選まで変化はない。席位置は身長順で、背の低い子は前になっている。それは、身長の高い子が前に座ると、黒板に書かれた文字が見えなくなるからだ。教壇に立つ先生からも死角(しかく)になり生徒が見え難くなる。黒板が見辛(みづら)い位置になると、成績が下がると良く言われている。

『おまえ、そんな場所で黒板が見えるのか? 先生からも、おまえが見えないぞ』なんて、先生に言われて後方の席位置になった背の低い生徒は、少なくとも中程まで否応(いやおう)無しに移動させられる。勉学意欲の有る生徒は、自主的に前方の席を要求し移動していた。確かに学力向上を目指す学校側としては問題だろう。

 一年生の終わりに少し背が伸びて、今、僕は彼女の隣の席になっている。以前から背の低かった僕は、それでもまだ彼女よりほんの少しだけ背が低い。……と思う。ちゃんと比(くら)べたことは無いけれど。

 僕は、彼女が隣の席にいるだけで緊張して、まだ話をしていない。……彼女は、まだ知らないだろうけれど振られた所為も有って……、更に彼女に声を掛け難くなった。

 告白メールを送り彼女の質問攻(ぜ)めメールに答えた翌日、隣の席の彼女はいつも通りだった。きのう告白され、その相手に続けさまに質問メールを送った素振(そぶ)りは微塵(みじん)にも感じさせず、無記名で告白メールを送った相手を捜しているようすもなかった。全くいつも通りの声を掛けさせない結界(けっかい)オーラを放つ彼女だ。

 告白メールを送ってから一週間目の朝、教室に入ると既に彼女は登校していて席に座っていた。近づくと机の上で携帯電話を操作しているのが見える。

『ガサッ、コトン!』僕がバックを机の上に置くのと、彼女の携帯電話を操作していた指の動きが『タタタ……!』止まるのと同時だった。

 ゆっくりと顔を向けて彼女は僕を見た。するとズボンのポケットの携帯電話が震え着信を僕の肌に教え、まだ少人数しか登校していない静かな教室に僕の携帯電話の振動リズムが響く。僕は着信の震えをそのままに、先に彼女を見た。

「お早う!」

 初めて彼女が朝の挨拶を言ってくれる。微笑まず真顔(まがお)で僕を見て言った。いつも頬杖(ほおづえ)をして窓の外を眺めていて、誰にも挨拶をしない彼女が、『お早う!』と、僕に言った。

「おっ、おう、おはよう」

 僕は少しテレて挨拶を返す。

 この僅(わず)か平仮名(ひらかな)四文字が今まで彼女に言えなかった。僕は初めて彼女と挨拶を交わした。でも上擦(うえず)った声は閊(つ)っかえて、テレた顔は嬉しさで笑ってしまって慌(あわ)てて俯(うつむ)いた。

 俯いて腿(もも)に触れたポケットの振るえに、ハッと気付いて携帯電話を取り出して着信したばかりのメールを開いた。そして、開いたメールを見た僕は愕然としてしまう。両足の膝下が細かく震えて来て、足裏が崖縁(がけっぷち)にたったように泡立ってむず痒(がゆ)い。メールは彼女からだった。メール画面から目を上げると彼女と視線が合う。

(このタイミングで、来るか?)

 慌てて教室を出て廊下の隅でメールを読んだ。

【あんたが、誰だかわからないけれど、キスされるのは嫌よ。抱き締められるのもいや! 手を繋いで並んで歩くのもダメ! いやよ! それと電話は絶対ダメよ! 絶対しないで! 声は聞きたくないわ。誰とも話したくないの。話すのは鬱陶(うっとう)しいし、面倒臭いから……。ときどきなら、メールだけは我慢してあげる】

(ときどきならメールしていいのか。つまりメール以上の発展は、今は無いってことだな……。ゲゲッ、僕だとばれてしまったのか……?)

 恐る恐る教室に戻ると、机に頬杖をして窓の外に顔を向けたいつも通りの姿勢で、僕が席についても姿勢を変えなかった。

 その後、彼女からメールは来なかった。たぶん僕からメールを送らないとしないのだろう。挨拶はそれっきり交わすことはなかった。

(挨拶ぐらいしてくれればいいのに。『お早う』『あした、またね』とかさ)

 そう彼女に思うけれど、僕はその挨拶を彼女にできない。

 少し顔を傾(かたむ)けるげるだけで、視界の隅に入る彼女の横顔! 何も話さなくても、隣に彼女がいて横顔を見るだけで僕は満ち足りている。探し求めた異世界の天空人を、近くに感じるだけで僕は幸せだ。窓際の席の横顔は、外の明るさでシルエットになり、まるで御光(おひかり)がさしているように神秘的に見えた。

(スケッチして良いですか? 僕の女神さま)

 翌日、デジタルカメラでシルエットになった彼女の横顔を盗撮した。フラッシュを止めてシャッター音を消し、机の上でカメラを両手で包(つつ)むように持って、オートフォーカスで撮った。携帯電話のカメラはシャッター音が消せなくて、相手に気付かれてしまうので使えない。

 終礼が鳴ると一目散(いちもくさん)で帰宅して、パソコンでデジタルカメラの画像を、携帯電話の待ち受け画面に使う為に編集する。

 シルエットになった暗い顔を明るくして、曙光(しょこう)に照らされたようにした。物憂(ものう)げな彼女の表情が、黄色がかった淡い紅色(べにいろ)に明るく浮かび上がる。その眠たげな瞳は…!

(ぎょっ! こっちを、カメラを…… 見ている……)

 マウスを操作する手が固まり、背筋(せすじ)が凍(こお)った。気付かれている。……でも、その時に彼女は何も言わなかった。カメラで撮られているのが、分からなかったのかも知れない。きっとそうなのだろう。僕の手の動きが不思議に思っただけなのだ。それか、眠い眼で何気なく僕を見ていただけなのだろう。

 編集して転送した曙光色の顔の画像は、彼女からのメールの着信画面にする。更にトリミングした神秘的な瞳は、待ち受け画面に設定した。ちょっとマニアックだな。

 待ち受け画面にした瞳は彼女への畏(おそ)れだった。二年前に感じた畏敬(いけい)を今も引き摺(ず)っている。僕の考えや思いを逸脱(いつだつ)凌駕(りょうが)した彼女の言動と態度は僕を畏れさせた。でも、僕に抱(いだ)かす彼女の畏れはとても魅力的で、今では、そんな畏れる彼女の虜(とりこ)に僕はなっていた。

(僕は君に恋をしている。君が好きです。君に恋する僕を許してくれますか?)

 待ち受け画面を見る度に心の中で呟く。時々、自分でも気付かずに声を出して呟き、その小さな声は、まるで誓(ちか)いの言葉のように僕の中に沁(し)み込んだ。

     *

 今日の美術のテーマはデッサンだ。題材は自由で、僕は授業中に隠れながら画いたスケッチを基に、窓際の席で頬杖を突き外を眺める彼女を描いた。顔は誰だか分からないように反対側へ向かせて、窓の外の明るさで彼女が包まれるように輪郭を淡く光らせて明暗の境目(さかいめ)を暈す。淡い影域の髪の毛一本一本、制服のシームや皺(しわ)を緻密(ちみつ)に描く。

(リアルに、描き過ぎたかも)

 廊下に『優』の評価コメントを添(そ)えて張り出された絵を見て思った。

 彼女はじっと僕が描いた絵を見ていた。クラスのみんなも彼女も、そのモノクロ写真のような絵に描かれた後ろ姿の女子生徒が誰か気付いたようで、暫くの間、僕が彼女に気が有ると噂(うわさ)になった。

 いつも連(つる)んでいる男子達は半分呆(あき)れ顔だ。

『なに、誰を描いているんだか?』

 分かっている癖(くせ)に、ワザとからかいの言葉を投げて来る。

『呆れた奴だぜ! バレバレじゃねぇかよ』

 更に、彼女が近くにいても構わずに言いながら、僕の肩をどついて来る。

『しょうがない奴だなぁ!』

 別の親しい男子が、背中をバンバン叩(たた)き捲くって痛い。

 男の重みの有る叩きやドツキの衝撃で肩や背中がヒリヒリと痛いけれど、ここで反撃して騒(さわ)いだりすると彼女から、『ふん!』と、鼻で笑われ、『煩(うるさ)いな、バーカ』などと、小声で聞こえて着そうなのでしない。敢(あ)えて痛みに耐える我慢の笑顔だ。

『あいつにモデルになって貰らったのか?』

 友人達は、今更な事を茶化(ちゃか)す。

『ちゃんと本人の許可を得ているんだろうな?』

 なんて、確かに無断描写だけど、僕に不利な事ばかりを、彼女に聞こえるようにワザと大声で言ってくれる。

(うっせーっ、ほっとけちゅーの! ちゃんと評価されてるじゃんか! ……でも、本人許可を得ていません。勝手に描いちゃったです。……ごめんなさい)

 その評価された所為で僕の絵は廊下に張り出されてしまい、御陰(おかげ)でこっそりと彼女を描いていた事がみんなに知られて、挙句(あげく)に横の席に彼女がいても全くお構いなしに散々冷(ひ)やかされた。断り無しに勝手に描いた事実としつこいくらいの冷やかしは、相変(あいか)わらず頬杖を突き窓の外へそっぽを向く彼女の間に、恥ずかしくも気不味(きまず)いムードを漂(ただよ)わせた。

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 マナーモードにした携帯電話が机の中で震えている。繰り返す短い振動はメールの着信だ。取り出して見ると彼女からのメールで、開くとそれはタイトルの無い空(から)メールだった。

 画面を閉じて横目で見ると、彼女は俯いて机の陰で携帯電話を弄(いじ)っている。彼女が顔を上げたので、慌てて視線を戻した。戻すのと同時に着信を告げるパイロットランプが点滅して、掌(てのひら)の携帯電話が震えた。またしても彼女からで、それも空メールでノーメッセージだった。

 マナーモードのバイブレーションは授業中の教室で意外と良く響く。僕は僕に着信しているのを悟(さと)られないように、バイブレーションを切って無音無振動のマナーモード設定にした。

(操作ミスなのだろうか? それとも携帯電話の故障(こしょう)?)

 更にもう一度、空メールが来る。彼女から立て続けに三度も空メールが来た。

(空メールは、意図的に送られて来ている……?)

 そして四度目が来た。それはタイトルが有った。

『わかった』と、表示されている。

【あんたが、誰か、わかったわ】

(ぎくり!)

 僕の目は、表示されたメールのメッセージに釘付けになった。何度も読み返して確認する。

(これは……! 気付かれた? はっ! やっ、やばい! 今…… 彼女は僕を見ている?)

 また手の中の携帯電話が震えた。彼女から五つ目のメールが来た。

【そう、名無しは、やっぱり、あんたなんだ】

 決定的な短い内容だった。僕の反応を確認しながら彼女はメールを打っているのだ。間違い無い。この五つのメールは今、隣の席の彼女が送って来ている。メール画面を閉じ、待ち受け画面を鏡代わりに使い彼女を映(うつ)す。

 携帯電話の待ち受け画面にした瞳に、机に頬杖をして僕を見ている彼女が映った。

(やっ、やばい! 見張られている……)

 もう僕は彼女を見ることができない。彼女を見る勇気がない。肩や膝(ひざ)が震え寒気がする。手足に力が入らず、指先の感覚が消えていく。音は聞こえず、温度も感じない。極度の緊張で吐(は)き気もする。

(バレた! どうしょう……。くそ! こうなっては潔(いさぎよ)く名告(なの)ろう!)

 今……、名告るしかない。授業中だけど立ち上がって言うべきだ……。

『ごめんなさい。そうです。そのメアドは僕です。今まで名前を明かさず、ごめんなさい。今までずっと君を探していて、やっと見付けました。今もこれからも、ずっと君だけを見ています。君が好きです』

 ……言えない。とても言う勇気がない。そうできたら格好良(かっこうよ)いかも知れない。彼女のハートを鷲掴(わしづか)みできるかも知れない。でもできなければクラス中の笑い者だ。

 小学六年生の音楽授業の時のように赤(あか)っ恥(ぱじ)を掻き、それが尾を引いてクラスのみんなにからかわれてしまう。それは彼女も恥ずかしいに決まっている。座席替えで彼女から離れるまでの期間、僕は彼女の隣の席で毎日を気不味く過ごす事になる。しかも授業中だから二人共、お咎(とが)め無しじゃ済まない。僕らの携帯電話は没収されるに決まっているし、そうなると彼女に迷惑を掛けてしまって益々(ますます)嫌(きら)われてしまう。全く本末(ほんまつ)転倒(てんとう)の結果だ。

 僕は考え付く限りの理由を並べて、立ち上がって名告る事も、彼女へ謝(あやま)る事も実行しなかった。

 その日は、その後一切(いっさい)、彼女側へは顔を向けられない。何度も眼だけを動かして彼女を盗み見しようとしたけれど、その度に携帯電話の画面に映った僕を見る彼女が浮かんで来てできなかった。

 僕は終業チャイムが鳴り終えると同時に、逃げるように急いで家に帰った。夕食は半分も食べられない。風呂(ふろ)にはいっても、お湯が熱いのか、温(ぬる)いのかも感じなくて分からない。テレビも見ずにさっさと自分の部屋へ行くけれど、パソコンに向かう気力もなくて、まして勉強など遣る気になれない。

 思い出すのは僕を見ていた彼女で、今、見ているのは昼間の彼女からのメールだ。恥ずかしさと気不味さで、これからどうすれば良いのかわからない。目が冴(さ)えて全然眠れない。

(やっぱり、潔(いさぎよ)く名告ろう……)

 空が白んで部屋が薄明るくなってきた明け方に、その考えに至った。僕は逃げれないし、逃げ切れない。どんなに足掻いても避けても、いずれ正面から向き合って謝るしかなくなるだろう。でも、とても面と向かって話せない。彼女の顔を見る勇気が無い。

 教室で彼女の横に座わらなければならない事を思うだけで、胸が詰まり息ができなくなって苦しい。きっと声は言葉にならない。僕の声は異様な音にしか聞こえないだろう。彼女に睨(にら)まれてオドオドするだけの僕を容易に想像できる。それでも彼女を避けたくないし、彼女に軽蔑の眼差しで避けられたくもない。

 これでは彼女と仲良くなるなんて絶望的だ。この絶望を退(しりぞ)ける勇気を僕は持てるのだろうか?

(状況を打開する策は? 方法は? 何か無いのか?)

 このまま軽蔑(けいべつ)され、避けられ、無視されてしまう状況に潰(つぶ)されたくない。

(てっ、手紙しかない……)

     *

 朝、いつもより早く来て彼女の靴箱に手紙を入れた。昨日、勇気も根性も無くて果(は)たせなかった言葉を……、立ち上がって言えなかった言葉を、そのまま手紙に綴った。

 彼女の内履(うちば)きの上には、既に一通の白い封筒が置かれていた。誰かからのラブレターだろう。

(うう、もてるんだな……)

 彼女に言い寄る男は僕以外にもいるだろうと思っていたけれど、実際、目(ま)の当(あ)たりにするとショックだった。

(そりゃ、そうだろう。僕が好きになるくらいの女の子だ。他の男子達も、彼女を見初(みそ)めるに決まっているさ)

 僕は不安になり気持ちは焦った。やはりこのまま教室へは行けない。ザラついてネバネバでモヤモヤした気分が僕を襲う。僕は捨(す)て鉢(ばち)になって、彼女の事を白紙にしようとするかも知れない。彼女に酷く嫌われてしまえば、なかった事にできるかも知れない。

(……こんな気持ちで彼女の横の席に座れない)

 匿名(とくめい)メールが、僕からだとバレてしまったのは決定的だ。それにライバルは…… たぶん複数だろう。

 僕は彼女のプレッシャーに耐えられない。きっと彼女は冷たく蔑んだ眼で僕を見るだろう。僕など彼女には相応(ふさわ)しくないのだ……。僕には、誇(ほこ)れるものが何も無い。絵や彫刻(ちょうこく)が少しくらい上手なくらいじゃ全然、ダメだ!

 靴箱に入れた手紙はそのままに、僕は保健室に向かう。

(昨夜、悩んで考えた計画を実行しよう)

 手紙を入れた後、彼女と面と向かう勇気が無かったり、怖気(おじけ)づいたりしたら時間を空(あ)けようと考えていた。気持ちのインターバルは必要だ。

(仮病と偽って、一限か二限の間は寝込もう)

 それが、半日になるかも知ないが、その時のモチベーション次第だ。保健室の先生に、『熱っぽくてだるいです。目眩(めまい)もして気持が悪いです』と、容態を告げベッドに寝かせてもらった。

(実際、恋煩(こいわずら)いで完全失恋寸前だし。どうしようもない恋の病(やまい)だよな。それに眠い)

 でも、このまま逃げている訳には行かない。僕は一筋の光が欲しかった。僅かな希望が欲しい。

 結局、午前中は保健室の簡易ベッドで寝て過ごした。休息時間になると親しいクラスメイト達がぞろぞろと遣って来て、熟睡している僕を無理矢理に起こし、『見舞いだ』と、言っては騒(さわ)いだ。

 クラスメイト達は教室への戻りがけに手を引っ張って誘(さそ)う。

『どうせ、恋煩いの睡眠不足で眠いだけだろう。仮病だ、仮病だろ。さぁ、元気なんだからいっしょに行こうぜ』

 言い訳の手紙を靴箱に入れて保健室のベッドの上に逃げているだけの僕ではダメだ。このままナーバスになっていても僕の彼女への想いや、勝手な思い込みは進展も解決もしない。でも、まだ彼女がいる教室へ行く気持ちになれない。

 既に彼女へメールで告白したけれど、無記名のまま騙(だま)して楽しんでいた。それが僕だとバレてしまったから、今朝(けさ)、彼女の靴箱に入れた手紙で謝った。だけど、その手紙を読んだ彼女の反応が恐ろしくて教室へ行けない。なんて、そんな当人事情はこれまた恥ずかしくて、とても友人達に言えない。クラスメイト達に知られたら絶対に教室へ引き摺っても連れて行かれるに決まっている。……で逃げた。

 僕は友人達の誘いを断わり、午前中で早退して丸一日をインターバルにしたけれど、家に帰っても気持ちは晴れず、午後遅くになってもクヨクヨ感が増すだけだった。やはり、手紙だけでは男らしく無いと思う。

 それは夜になっても続き、打開策も希望も何一つ見出せなくて眠れなかった。僕は分かっている結論を認(みと)めずに避けているだけで、くすんだ濃(こ)い青色の気持ちは少しも透き通らない。

 眠れないまま夜が過ぎ、夜の暗闇(くらやみ)から部屋の中が、白々(しらじら)と暈やけた輪郭でジワジワと滲(にじ)み出て来る。僕は窓を大きく開けて、澄(す)み切った大気を胸一杯に吸(す)い込みながら東の空を見上げた。

 高い空一面に東を基点とした幾条(いくじょう)もの銀色に輝く光の筋が走り、僕は初めてジェルバーストレーフェン…… 旭光(きょっこう)を見た。

 それは図書室で読んだゲルマン神話に、夜明(よあ)けの希望の光と記されていた挿絵(さしえ)とそっくりだった。疎(まば)らに浮かぶ白い雲の上空を東から西の彼方へと扇状(おおぎじょう)に放(はな)たれた太い光の筋達が描く荘厳(そうごん)な光景に、驚き感動した僕は何か心の支えを得れるような気がして、暫(しば)しの間、光の筋が消えてしまうまで見蕩れていた。

(……そうだ、まだ希望は有る!)

 徐々に医王山(いおうざん)の山並みから昇り始めた朝日の強い光を浴びる東雲(しののめ)が目映(まばゆ)く輝き、藍色の暗い夜の帳(とばり)を散らして明るさで満たす朝を運んで来た。闇から明るさへと移り行く光りの様が、束(つか)の間(ま)、僕の思考を平安京(へいあんきょう)の和歌(わか)の叙事詩(じょじし)的な風景と古事記(こじき)や日本書紀(にほんしょき)の古代神話の情景へと飛ばさせる。

 この世界が創造(そうぞう)された時から変らない光りの様、夜明けと夕闇(ゆうやみ)は本当に神秘的で美しいと思う。

 日の出の燃(も)えるような朝焼(あさや)け空の神々(こうごう)しさと、朝露(あさつゆ)に湿(しめ)る外気のひんやりと肺を満たして行く冷たさが僕の気を引き締め、更に二日続きの徹夜(てつや)で異常覚醒(かくせい)した肉体と神経が、僕を奮(ふる)い立たせ、勇気を湧(わ)かせてくれた。

(名無しが僕だとバレた時に、立ち上がって彼女へ言えなかった言葉を声にするんだ。今からでも遅(おそ)くはない。直接、彼女に言うんだ。そうさ、結果はどうなろうとも、自分自身が直接、行動するんだ。僕の声で彼女に伝えなければ、何も解決しないし、……始まらない)

 彼女の前に立ち、彼女の目を見てしっかりと話すんだ。彼女を僕の潔さで魅了させてやろう。眩しく輝いて昇る太陽を見ながら思う。

(勇気は貰ったぜ!)

 ……その勢(いきお)いは登校する彼女の背を見付けた途端(とたん)、夏の陽差しの中に置き忘れたチョコレートのようにトロトロに溶(と)けてしまった。僕はビビって、とても彼女の前に立てそうにない。

(だけど僕の声で直接、想いを伝えなければならないんだ! そう決めただろう)

 もう僕の印象を持ち直すには電話しかない。そして謝りの電話を掛ける事に決めた。それは崖縁(がけっぷち)から奈落(ならく)へ突き落される寸前の僕を救ってくれるかも知れない。

 蒼空(そうくう)を見上げて、今はもう見えない銀色のジェルバーストレーフェンの光の筋を探す。そして僕は、『絶対しないで!』と、彼女からキツイ断わりがあった禁断の電話をする。

 登録された彼女の電話番号を選び発信した。短いコールミュージックの後、彼女が出た。

「……もしもし……」

 彼女の声だ。間違いない。道の向かい側の少し前を歩く彼女がポケットから携帯電話を取り出して話す。彼女が話す相手は僕だ。

 その声を聞いた途端、僕は全ての思考と言葉を失い、声にできなくなった。声にすべき言葉と想いは、一瞬で大気を貫(つらぬ)き成層圏を越えて宇宙の彼方(かなた)へ飛び去って行く。

 詰(つ)まる胸の息苦しさで上下に動く肩が意識できるくらい、大きな息を半開きにした口でしていた。ハァ、ハァと息をする度に口から漏れ出る音も聞こえている。たぶん、『名無し』が僕だとバレた二日前からの切羽(せっぱ)詰(つま)った押し潰されそうな気持ちに、口呼吸をさせていたのだと思う。

 開いていた口に気付いた僕は慌てて口を閉じ、鼻呼吸に直した。口を閉じても続く大きな息に勢い良く吸排気(きゅうはいき)する全開の鼻腔(びこう)は、粗(あら)い酸素不足の息を整(ととの)えようと踠(もが)く。

 呼吸への意識が宇宙の果てに逃げ去ろうとする彼女への言葉と想いを、僕の僅かな望みが追い付いて捕らえ、そして僕の心に連れ戻す。

「ぼっ、ぼく…… は……」

 やっと、それだけ声にできた。粗く震える息が発音を妨(さまた)げて言葉を細切(こまぎ)れにさせる。

「誰? あんた。なんか用?」

 僕から電話を掛けた。だから、僕がイニシアチブを持たなければならない。

(がんばれ! 謝るんだ)

「て、手紙…… よっ、読ん…… だか……?」

(あっ、あっちゃー。なに高ビーな言い方しているんだ。失敗だー)

 選ばない言葉が躊躇いながら無作法な声になり、想いは先を急いだ。

「そう、やっぱりあんたなの。……なに電話してんのよ。電話は嫌だって伝えてなかったっけ? もう電話しないで! 電話であんたの声は聞きたくないわ。……メールなら我慢するけど。わかったあ? 何度も言わせないでよ」

 キツイ言い方と強い声で嫌がられて一方的に電話は切られた。せっかく彼女の声が聞けたのにイニシアチブなんて有ったもんじゃない、でも望みは繋がった。今まで通りメールは我慢して貰える。激しく揺らいで吹き消される寸前だった希望の光りは、再(ふたた)び小さく輝き出した。

 ポケットに携帯電話を仕舞いながら彼女は振り返り僕を見た。

(おおっ、なんで、僕が後ろを歩いているって分るんだ? そこそこ離れていて電話する声は聞こえそうもないのに……?)

 怒らず、嫌がらず、悲しまず、そんな笑わない顔で僕を睨み赤い舌を見せた。

 僕は嬉しくて泪(なみだ)が出て来た。絶望の暗黒の闇に一筋の希望の光りが差し込んだ。細い光の筋は僕の中で輝きを増し、現在と未来を暖かな明るい希望で繋げて行く。明るい暖かさが張り詰めていた気持ちを緩(ゆる)ませて、急襲(きゅうしゅう)して来た激しい眠気に抗(あらが)えそうになかった。歩きながら眠ってしまいそうだ。

 その日も午前中は保健室のベッドで熟睡した。午後から授業に出ようとしたけれど担任と校医が心配して早退させられ、学校からの連絡を受けたお袋が自家用車(くるま)で迎えに来た。

 帰宅途中、病院に連れていかれ検査を受けさせられたが、身体のどこにも異常は有るはずも無く、原因は不明で暫く様子を見ることになった。お袋はとても心配していたが、恋煩いで二晩も眠れなかったとは言えない。

『大丈夫だよ』

 家に着くと、心配顔のお袋にそう言って安心させ、自分の部屋に入ると直ぐにベッドに倒れ込んだ。寝転がる僕は眠りに落ちる前に携帯電話を取り出して、何枚か盗み撮りをした彼女の写真を見る。厳(きび)しい現実はメール交換の許可という一つだけの希望しかないけれど、せめて夢の中は楽しいフルカラーの3Dにしたい。なのに二日間の臆病(おくびょう)さ故(ゆえ)の気疲(きづか)れと睡眠不足の脱力感がどっと襲(おそ)って来て、最初の画像…… 横顔の彼女を開いたまま、翌朝まで僕は夢も見ずに爆睡(ばくすい)してしまった。

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 翌日、教室で彼女と僕は何事も無かったように、いつもの素知らぬ素振りで隣同士の席に座っている。相変わらず彼女は顔を背(そむ)け視線を合わせない。偶然に顔が合うと眉を顰(ひそ)めて、彼女はぷいっとまた顔を背ける。

 休息時間には、いつものように僕の周りに連む仲間達が集まって来て騒ぐ。

『身体、もう大丈夫なのか?』

 ダチが心配してくれる。

『もう告白したのか?』

 直ぐ傍に彼女がいるのに、『なんて事を、訊くんだ!』と苛付く。

『お友達になれたのか?』

 何も無い進展を尋(たず)ねられて哀(かな)しくなってしまう。

『どこが、好きになったんだよ?』

 その質問は、NGだろう。

『取り付くところも無さげで、面倒臭そうな、あいつが良いのかよ?』

(うっさいわ! てぇめーら、完璧に『あいつ』に聞こえてんぞ! その面倒臭いところ込みで、好きなんだよ)

 『あの女は止めとけ』と言わんばかりの否定的なセリフを、直ぐ隣で大きな声で話しているのに、聞こえない振りをしているのか、いつも彼女は一人で窓辺に凭れて外を見ている。僕を一瞥(いちべつ)しようとする気配すらも無い。

 確かに彼女の物言(ものい)いはキツイ。それに言葉足らずが加わって声を掛けた人の気持ちを退かさせてしまう。その素っ気無い彼女の態度は、関わる人達に冷たさを感じさせて取っ付き難い印象を与えてしまうから、いかにも痛くて面倒臭そうな女子だと思わせた。

 そのマイナス印象は彼女の容貌(ようぼう)だけじゃ補(おぎな)え切れず、普通の男子なら御付き合いは後悔の連続になりそうで願い下げだろう。現に僕以外の男子達はせいぜい一、二回のアタックだけで、防壁を築(きず)き逆に反撃して来るような戦闘少女的な彼女を諦めている。

 僕はそんな人を寄せ付けない結界めいた排他的フィールドと、見えない心の壁を作りまくる彼女に、憂いと切なさと神秘さを感じて愛(いと)おしいと思っていた。

 彼女は言い寄る男子を悉(ことごと)く拒(こば)み続けているらしいから、もしかして、ガールズラブや百合(ゆり)っ気(け)の趣向かもと考えてしまった。でも、女子達の中に親しくしている友人どころか、休息時間に話し掛けて来るクラスメートもいない。だから、その傾向は無いと思う。僕もボーイズラブや薔薇(ばら)っ気は無い。

 頭を倒して腕に付けた眠そうなセーラー服の後ろ姿が以前より、ちょっぴり楽しげに見えるのは気の所為じゃないと思う。

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【メールには、余計な事をしないでちょうだい。写真や資料を添付(てんぷ)するのは絶対ダメ。音楽もダメよ。一度でも添付したらメル友は終わりだからね。それっきりにします。言葉でも、文章でも、メールは文字だけよ。メールを重くしないで。それと、GPS探索も絶対に使ったらダメ! 絶対に私の居場所を詮索しないで下さい。GPSで探索すると調査される側にも履歴(りれき)が残り、履歴から探索を行った相手が誰なのか分かります。私に使用した瞬間、あんたは他の何者でもない論外な存在になってしまうからね!】

 いくら制限付きのメールを許されたといっても名無しメールが僕だとバレた以上、メールに何を書いて良いのかも分らず、僕は気不味さと後ろめたさでメールは控(ひか)えていた。

 彼女の許しが出てから、最初に発信されたメールは彼女自身からで、その夕方に届いた彼女のメールには、メールの早い再開を促(うな)がすようにルールが決められていた。

 ルールにシンプルで何も添付すべからずで、意志は口語体に、情景や物品やストーリーは文章で表現しなければならない。口語体は普通にフレンドリーな話し言葉のままでOKって事みたいだけど、文章の構成力や表現力に全く自信が無いから、誤解されたりするのが心配になった。

 文章力の不足を添付する写真や絵や音楽で補填(ほてん)して、それが彼女の琴線(きんせん)にでも触れたりしたら、一気に親密になれるかもと考えていたのに全く残念(ざんねん)至極(しごく)だ。

『ます』や『下さい』の丁寧な結びは、それくらい拒絶する厭(いや)な事だと察(さっ)した。だけど、『なぜ?』や『別に、いいじゃん!』と、ここで彼女に質問や訂正を求めるべきではない。それは百害有って一利無しで、今以上に彼女と親しくなれる一筋の希望の光りは永遠に失われてしまうだろう。

 僕は彼女のルールに従うしかない。何も添付しなくても特に困る事は無いと思う。

 それにしても添付自体が彼女的に許されないくらい余計な事なのだろうか? ファイル添付で多大にメモリーを使って重くなるメールが、そんなに嫌な事なのだろうか? 余程、大きなファイルでもない限り、今時のスマートフォンの動作には殆ど影響しない。送受信や表示の時間も、ほんの数瞬しか掛からなくて待たされる事はないのに?

     *

 週に二つ、僕は彼女にメールを送信している。間に一日以上空けて週二つと決めた。本当は毎日何度でもメールを送りたい。でも、それは彼女を苛立(いらだ)たせて、とても良くない事になりそうだ。

【ふーん。それでいいじゃん。二つまでだからね】

 僕から提案したメール回数の規制案を彼女に容認されて、漸(ようや)く『ふぅーっ』と、大きく安堵の溜め息をつけた。

 とにかく二通までなら僕のメールは、彼女の迷惑にはならないらしくて、彼女との縁(えん)が切れなかった事にホッとした。今は、僕が望んでいたファミリアでステディーな状態じゃないけれど、悩(なや)み事の相談や報告めいた内容で送っている。

【私も、ランダムにメールするからね。それと、週二度の規制対象外にしてあげるから、私の質問メールには、ちゃんと回答しなさい】

 彼女からも僕へメールを送るそうだから、その返信の内容次第で近未来が明るくなると思う。まだ僕を……、いや、まだ互いを良く知らないから、もっと彼女を知って、彼女に僕を好きになって貰えるようにアピールできると考えていた。

 彼女からの返信は二日以内に届いて、一つ一つの返信に彼女の誠意を感じさせた。でも返信文は、ピンポイントでショート過ぎる。

『ふーん。そう』、『それでいいじゃん』、『別に、構(かま)わないから』、『すれば、問題無いよ』、『だから、なに? どうなの?』、なんてばかりだ。

 反省や謝りの言葉が繰り返し重ねてしまった。

『いい加減にしてよ! 何度も謝らないで!』

 直ぐに、ピシャと返して来る。

『私を好きになるのは、あんたの勝手だけど、それって私も、あんたを好きってのじゃないからね』

 更に、つれない文字がトドメのように続く。

『勘違いしないでよ』

 そして、あっさりと、否定されて気持ちが挫けそうになってしまう。

『勝手に好きになれば。私、関係無いから』

 こんな送ったメール内容の返信とは思えない、他人事のような冷たいのも返して来た。

 事実、その通りだけど余りの虚しさと寂しさで遣る瀬が無い。

 だけど、時々、彼女からも悩みや趣味趣向や冗談めいたのが送られて来て、そのフレンドリーさで僕は救われていた。

 あと一ヶ月ほどで梅雨(つゆ)が終わり、夏休みだ。

【相合傘(あいあいがさ)をしても、良いですか?】

 鬱陶しい雨が続く梅雨の朝、彼女にメールする。

【できるならね】

 僕に相合傘をする勇気が無いのを分かっていて、直ぐに返信してくる。そして、彼女からも楽しいメールが届く。

【夏休みになったら、いっしょにプールへ行こうよ?】

 たぶん……、いや違う。彼女はきっと、僕が泳(およ)げないのを知っていて送って来ている。だから、『?』を末尾に付けているのだ。

【いやだ! 行かない。プールも海も近付きたくない! 川へも行かない。泳ぐのは嫌いだ!】

 後期になれば席替えで席が離れてしまう。それでも彼女とのメールは続くだろう。僕はやっと彼女のメル友になれたと思った。

     *

 新学期の初日に行われて席替えで僕も、彼女も、再び同じ座席位置になった。座席位置は黒板に書かれた阿弥陀籤(あみだくじ)で決められ、何本もランダムに加えられた横線の偶然の結果だと思っていた。だけど、僕と彼女以外のクラス全員は、しっかりと席位置が替わっていて、席替えを仕切っていたクラス委員と協力していた連れ達の意図的な企(くわだ)てを感じた。それに、クラスのみんなも加担していそうだ。

 其処此処(そこここ)で女子達がヒソヒソと声を潜(ひそ)めながらチラチラと視線を向け、何人もの男子がニヤニヤと意味有り気に僕らを見ている。協力して貰う際の説明で友人達が話したのだろうか?

 僕が彼女へ告白してきっぱりと振られたのにも関わらず、脈は完全に失われていなくて、まだ想いを寄せ続けている事を、みんなは知っている様子だ。

 だから今も、お互いに真横の位置関係のままで、彼女は頬杖を付き視線を窓の外に流している。

(ううっ、めちゃくちゃ恥かしいけれど、めっちゃ嬉しい! これは、クラスのみんなに感謝だ!)

     *

 パタパタと数人の女子が背後に来て、窓際の席に座る彼女に話し掛けている。

 積極的に女子達が彼女の傍に来て話すのも、彼女が複数の女子と話すのも、僕は初めて見た。他クラスの僕が知らない女子達だけど、わざわざ彼女の居場所に来てくれる友達ができたのは、彼女にとって喜ばしい事だと思う。が、何やら背中が騒がしくて、どうも友達って雰囲気(ふんいき)じゃない。

 断片的(だんぺんてき)に耳に入る彼女達の言葉に、少し不穏(ふおん)な感じの様子で、女子達は彼女に何かを詰問しているみたいだ。声の違いと気配から彼女に会いに来た女子は三人だろう。

 僕は仲間達と駄弁(だべ)りながら、背後の会話に聞き耳を立てた。

「あなた今、付き合っている男子は、いるの?」

 女子の誰かが訊いた、僕にとって由々(ゆゆ)しき質問調の語尾が聞こる。

「……いない」

 やや間を置いて、彼女が答える。

 僕の許されたメル友ぐらいじゃ、彼氏の代用にもさせて貰えない。

 彼女が『いる』って答えていたら、それはもう、僕かも知れない期待と何処(どこ)の誰かへのジェラシーで眠れなくなってしまうと思う。

「だったら、あなた、どうして、告白を断ったのよ?」

(ああ、そういう流れで女子達が来たわけね。……そうだ、どこのどんな奴か知らないけれど、どうして振ったんだ?)

 断った理由(わけ)を訊きに女子達が詰め寄るくらいだから、さぞや格好良くて素晴らしい男子なのだろう?

「……付き合ってあげれば、いいじゃないの?」

(ぎょっ、彼女に何て事を言うんだ。そっ、それだけはダメだ! 僕が許さない!)

「……凄(すご)く、かっこ良いんだから……」

(どんなに良い男でもだ! 僕は許さない)

 でも、彼女がどうしても付き合いたいと言うならば、彼女の幸せを願って片想いする僕は応援すべきなのだろうか?

「……あの人の告白を断るなんて、信じられない……」

(くっ、彼女の幸せを願いたい。でも、断ってくれてありがとう。これからも、告って来る男子を悉く振って遣って下さい)

「付き合って、あげなさいよ!」

 女子達の誰かが、彼女を諭(さと)すように喰(く)って掛かる。

「あなたに告白した人は、サッカー部のレギュラーでポジションはフォワードよ。しかも、センターなの。プレーする彼は凄くかっこ良いんだから。あなた、彼のプレーを見た事有るかしら?」

(なんか、カッコ良さげじゃん。でも、そんなモテ系がサッカーにいたっけか?)

「それに、優しくて人望(じんぼう)が有って、成績も良いのよ。それなのにあなた、彼の告白を断るなんて、信じられない。そうよ、あなたには勿体無(もったいな)くて、彼には釣り合わないのに……、なんで……」

 成績が良いのが重要なモテ要素なら、僕は敵(かな)わない。そんな文武両道のイケメンを彼女は無碍にしてしまった。

「付き合って、あげなさいよ!」

 強い口調のゴリ押しが聞こえた。

「いやよ!」

 妥協(だきょう)しない彼女は即答する。全く以って再検討の余地は全く無いらしい。背後の事態は佳境(かきょう)で切迫している。

(早く助けないと、やばい!)

 集中力を欠いた会話の僕の上の空の受け応(こた)えと背後の騒がしさに、友達も気が付いて顎(あご)を杓(しゃく)って上目(うわめ)で僕に、『どうするんだ?』と、行動を促す。

『知っている』と、『分かっている』と、僕は頷(うなず)き、机の上のレポート用紙に素早(すばや)く走り書きをして連れ達に見せた。

『机を叩いて立ち上がる。そして彼女達を見る。おまえらも、そのまま黙って睨んで遣ってくれ』

 同意の親指を立て頷くダチ達を見ながら僕は小さく口を開いて『GO!』と、机を叩こうと手を上げ掛けた正(まさ)にその時、『バン! ガタッ、ガタン!』背後で、彼女が立ち上がったような音と気配がした。

(何か、やばい!)

 大事になりそうなムードに、僕は慌てて行動に出る。

(間に合え! 彼女を被害者にも、加害者にもさせるな!)

『バン!』両手を机に強く叩き付けて僕は立ち上がった。立ち上がりながら友人達から彼女へと向き直り、そして眉根(まゆね)を寄せて彼女を無言で見詰める。

「なによ! あなた? あぶないじゃないの!」

 彼女を責(せ)めていた手前の女子が一瞬飛び上がって驚(おどろ)き、直ぐに足許(あしもと)を見ながら振り向いて僕を見た顔は、目を見開いて強張(こわば)っていた。その恐れ混(ま)じりで驚く表情は、瞬(またた)く間に怒(いか)りを孕(はら)んだしかめっ面(つら)に変り僕を睨み付ける。そして、ヒステリックに大きな声で言った。

 余程、ショックだったのか眉間に皺(しわ)を寄せる目は涙目だ。

「外野は、黙ってて!」

 鋭く威圧感(いあつかん)一杯の大きな声で抑(おさ)え込まれた。端(はな)っから無言で通すつもりなのに、余計な事を言いそうに見えたのか、予想以上の女子の拒否反応に驚いてしまう。異様なムードで周囲の関心を集めたいただけなのが女子の叫(さけ)ぶように放った大声の所為(せい)で、対戦モードで構え立つ三人は教室中に注目されてしまった。

 立ち上がるタイミングをミスって後手になった僕は、彼女を助けようと憤(いきどお)った気持ちが目の前の女子の大声で怯(ひる)んでしまって恥ずかしい。そして、いつも冷静で無関心を装う彼女の『今、ここに在る危機』を、僕がクラス中に知らせたみたいになって、すまないと思う。

 その眉を吊り上げ、ちょっと涙ぐんだ険(けわ)しい目付きで睨む顔は、端正な目鼻立ちで美しく、優しげに見える彼女とは対照的な美人だった。怒りで歪(ゆが)む女子の綺麗な顔が、絵に描きたいと僕の作画意欲を唆(そそ)る。

 僕と対峙した姿を見る限りスタイルも良い。でも、話した事の無い知らない女子だ。釣(つ)られて見たその足元に僕が倒したイスは女子の爪先(つまさき)ギリギリに転(ころ)がっていて、際疾(きわど)く倒れた椅子に女子が本当に怪我(けが)をしなくて良かったと思う。

(おおっ! 怒ってる!)

 机を叩いて立ち上がったと思われる彼女にビクつき、更に僕が倒した机や椅子に驚かされ、その椅子は脚(あし)に当たりそうになった。そして、女子的には何の関係も無い僕に睨み付けられている。……と、思われている。女子は彼女へ相談と御願いに来ている、左右には仲間の女子、正面には憤慨(ふんがい)を与えられた知らない男子、そりゃあ、このリーダー格らしい女子の憤りは当然、僕に向けて来るだろう。

(ビビリを怒りで誤魔化(ごまか)すか……。それでいい。狙(ねら)い通りだ)

「なによ!」

 頬(ほお)を打つ平手や鼻頭(はなばしら)を折るパンチが、いつ飛んで来てもおかしくないリーチレンジで、険悪(けんあく)なオーラを放ちリーダー格が僕に噛み付く。

(うおっ、綺麗だけど、気が強そうな女子だ。こんな近距離で打(ぶ)たれたら避(さ)けようが無いし、床に転(ころ)がっちゃうぞ!)

 右側の女子が僕に迫り、ピシャリと強い語気を孕ませて言う。

「何か、文句が有るの? あなたには関係無いでしょう。私達は、この子だけに用が有るのよ」

 他クラスの女子達は、僕と僕の後ろで黙って睨む連れ達を交互に見て言って来る。左側の女子は嫌悪のイラ顔も露(あらわ)に友人達へ怒り口調で警告する。

「あなた達も、邪魔しないでよ」

(なにを言うか! 僕の大事な彼女がピンチなんだから、邪魔するに決まってるじゃんか!)

 もちろん、僕が女子達へ言いたい文句は、『誰に告られ、誰を断り、誰と付き合おうが、彼女の自由だ! 強要するな! 彼女を虐(いじ)めるな!』だ。そう言って遣りたいけれど、連れ達といっしょに黙って無言の圧力を掛ける。それに、盗み聞きしていたのがバレバレになってしまう。そして、僕には大いに関係有る大問題だ! 

「私が何したっていうのよ? ちょっとおかしいんじゃないの、このクラス?」

 暫しの無言の対峙(たいじ)は、リーダー格の逃げ口上(こうじょう)で終わりを告げた。それでも加え続けられる視線と無言の圧力に耐え切れず、女子達はそわそわと落ち着かなくなって行く。

 僕はそんな他クラスの女子達を視野の脇に捕(と)らえながら、睨むように僕を見ている彼女を見詰め続けた。

(……見れている……!)

 僕は僕に驚いていた。彼女は僕に顔を向け、その目は……、瞳が僕を見ているのに、僕は顔も、目も逸らさずに彼女を見る事ができている。

「もう、いいじゃない。行こ!」

 脇の女子が、これ以上、ここに居るのは分(ぶ)が悪いと判断したのか、リーダー格に諦めと脱出を進言して、三人は逃げるように教室から出て行った。

『ははっ、出て行ったぞ! あれは逃げたんだな』

 女子達が速(すみ)やかにいなくなると、僕の周りに集った友人達や仲の良い女の子達から大きな歓声が上がり、好き勝手に得意な思いを口々に言っていた。

『ざまあみろ! 追い出して遣ったぞ!』

(この罵りはないな。ちょっと、言い過ぎだろう)

 そう思いながら聞き流す。少なくとも三人に彼女を、騙そうとか、辱めようとか、そんな危害を加えるような悪気は無かったと思う。三人は自(みずか)らの想いを退けてまで憧れの男子に良かれと思い、彼女に彼氏として再考を奨(すす)めていただけで、彼女を追い詰めて虐めているような自覚はなかった。それでも、僕は彼女への脅威だと思い、その元凶(げんきょう)が逃げ去った事に安心していた。

『あははっ、俺達の勝ちだ!』

 連れの勝利宣言に、別に三人の女子達は敵じゃないと思う。睨み負かして追い出したって言うならそうだろうけれど、勝ち負けの問題じゃなくて、彼女を救い守る行為だ。

『やったな!』

(うん、効果的だったな……)

 女子達の矛先(ほこさき)を僕に向け喰って掛かって来た態度と、急ぎ教室から出て行く三人の姿に、そう思う。だけど、今も不機嫌そうに眉間に縦筋を刻み僕を睨む彼女は、唇を噛んで怒っているようにも見える。そんな顔の瞳を見詰めながら、これで彼女を救えたのか、プチ・トラブルしていただけの彼女を教室のみんなへ晒し者にしただけなのか、僕は心配になった。

 彼女には有り難(がた)迷惑だったのかも知れないと、不安な気持ちで僕は彼女を見詰め続ける。

『もう、大丈夫(だいじょうぶ)だから』

 脇から女子の声も聞こえて、幾人かのクラスの女子も応援に近くへ来ていたのを知った。応援の女子の声に彼女の眉間に寄せた縦皺(たてしわ)が消え、瞳は泳いだ。そんな彼女の表情が嬉しくも可笑しくて、僕の口許(くちもと)と目許(めもと)が緩んでしまう。

 暫し彼女はチラチラと視線を上下左右に流して、連れ達や応援に来た女子達を見ていたけれど、また僕を睨むように見詰めた。そして、姿勢を正(ただ)して驚きの言葉を口にする。

「……ありがとう」

 小さな声で、でも、よく通る澄んだ声ではっきりと聞こえ、戸惑(とまど)いで強張る顔の瞳は応援してくれたみんなをしっかり見回してから、彼女は、僕が初めて聞く感謝の言葉を言った。それから、これまた、初めて彼女が見せる仰天(ぎょうてん)の態度、……両手を前で重(かさ)ね合わせて素直な御辞儀(おじぎ)…… それを、笑わない顔で行なった。そして、再び僕を見る。

 信じられない言葉と態度でびっくりだったけれど、やはり、壁を造らない彼女は素直で優しい。それは僕の取った行動を肯定してくれたようで、僕に温もりを感じさせた。

(良かったぁ、彼女を救えて良かったじゃん、自分!。ふぅーっ)

 立ち上がらなければ、きっと彼女は実力行使を行って酷いトラブルになっていただろう。隣にいて絶対に騒動が聞こえているはずなのに背を向けたまま何もできなくて、『好きだ』と、想いを告白した相手を守る行動の一つも起こせないような情(なさ)け無い男になるところだった。

 彼女を守る為に思い切った行動が取れた事と、彼女を無事に守り切れた事、そして、目を逸らして逃げずに彼女と見詰め合えた事を、僕は宛(あ)て名の知らないサッカー部の何者かへ、今日の彼女との巡(めぐ)り合わせを感謝した。

 僕を見ていたのは僅か十秒ほどの事で、直ぐに彼女は真っ赤になった顔を逸らして席に座り、いつものように僕に背を向けた頬杖姿で窓の外を眺め出す。窓の外へ向けた彼女の表情は見えなくて分からない。

 僕は思う。互いに目を逸らさずに相手を見詰め合えた事で、たぶん彼女も、『……これからは、より僕を意識してくれるかな?』って、ちょっと驕(おご)ってしまう。

 協力と応援してくれたダチ達と女子達が、『おおーっ、感謝されたぞ!』、『ありがとうって、言ってくれたよ。良かったわね』、『ちょっとあんた、ヒーローになっちゃったよぉ!』、『これから、上手く行きそうだな』などの騒々しい歓声と御祝いの言葉を聞きながら、気分は、ちょっとどころか、勇敢な白馬の王子様だった。

     *

 その彼女へ僕は小学六年生の時の雪辱(せつじょく)を果たすべく音楽の勉強をしている。と言っても楽譜が読めて楽器の一つでも扱いを憶えるような大層(たいそう)なことじゃない。

 家に帰るとイヤホンを耳に挿(さ)し、メディアプレーヤーでJPOPを聴きながらステップを踏(ふ)む。時々カラオケへも友人達と行って歌謡曲を唄い練習した。僕は何度も繰り返してリズム感と歌の音程と強弱を身体に憶えさせた。彼女の前で二度と音楽に由(よ)って恥を掻きたくなかった。

 体育祭のフォークダンスや文化祭のイベントで、曲に合わせて軽(かろ)やかにダンスを踊(おど)る僕を見て欲しい。以前とは違う、人前で上がり何もできなくなる鈍臭(どんくさ)い音痴の僕じゃなくて、格好良い僕を彼女に見て貰いたかった。

 『ありがとう』の感謝の言葉以降も、僕は彼女との約束を守り、メール以外の積極的な態度を慎(つつし)んでいた。彼女に意識されて嫌われてはいない自信が有ったけれど、不用意な僕のアプローチへの彼女の反応が、その自信を大きな勘違いだと思い知らされるのを恐れていた。

 初秋の文化祭では、ダチ達とグループで講堂のステージで歌いながら踊った。でも彼女は現(あらわ)れず、観客(オーディエンス)の中に彼女を見る事は無かった。

 中秋(ちゅうしゅう)の体育祭での彼女に触れたフォークダンスは一瞬で終わった。しっかりと掌を制汗パウダーで乾燥させて挑(いど)んだ念願(ねんがん)の手を繋いでのステップは、ミスも無く上手く踏む事ができた。けれど、互いの周りを一周するだけの、ほんの短いダンスの時間だけからは、彼女の反応を読み取る事ができなかった。

 彼女を見詰め、彼女に見詰め返されていたのに、その表情から彼女の喜怒哀楽(きどあいらく)が良く分からない。

 努力した割りに成果を得られなかった僕は、別に彼女へのアピールは体育祭や文化祭でなくてもできるし、チャンスが無ければチャンスを作れば良いと考え直した。

     *

 クリスマスの前日の朝、隣の席の彼女へ在り来たりな既成(きせい)メールを打つ。

【メリークリスマス!】

 スィートなクリスマスイブを期待した。

 テレビやインターネットで、ストリートでも一ヶ月以上前からラブリーでスィートなクリスマスムードを盛り上げている。そして、今夜はクリスマスイブだ。親しい異性の友人や恋人と美味(おい)しい料理を食べ、感動の映画を観たり、楽しくゲームセンターで遊んだり、それから、プレゼントを贈(おく)り合うシックで嬉しさ一杯なデートをして過ごせる事を、神様に感謝しまくる特別な夜だと思っていた。

 まだ僕たちは中学生だから、大人達のするようなセッテングはできないけれど、映画を観てからティールームで軽い食事をして、食後はコーラかジュースを飲みケーキもオーダーする。フルーツでも良い。

 そしてクライマックスに、ショッピングモールで選んだ細(ささ)やかなプレゼントを贈呈(ぞうてい)するぐらいは許されるだろう。それがダメでも、カラオケぐらいは行ってくれるだろう。練習した歌を聞かせたいし聴いて欲しい。彼女とデュエットで歌いたい。

 終礼後はバスに乗って急いで帰宅すれば、着替えてから出掛けられるし、家に戻るのも遅くならないだろう。それらは何もかも僕にとって初めての試みで叶うのなら、きっと幸せな気持ちになれる。そんな幸せに満ち足りたクリスマスイブを僕は彼女と過ごしたいと思う。

 二人の関係を一気に進展できるかも知れない試みのプランは、直ぐに届くだろう彼女の返信メールが楽しい文面だったら知らせようと考えていた。

【メリークリスマス!】

 夕方遅くに彼女から返信が届いた。夜の帳が下り始めて外は暗くなって来ている。

(遅いよ。今から間に合うかな? 中学生が出掛けるのには暗過ぎるかな……?)

 既に出掛ける用意はできて、腕時計の時刻を確認しながら弾む気持ちでメールを急いで開く。だけど、メールタイトルのジーザスの犠牲や誕生を楽しく祝う言葉とは裏腹(うらはら)に、本文は始まりから、昂揚(こうよう)したテンションを一気にダイブさせてくれる、全く愉快(ゆかい)じゃない文字が続いていた。

【取り敢えずメリークリスマス! 私、あんたのクリスマスと全然関係したくないから。冬休みも、正月も、同じよ。あんたと全然関係無い。それと、『明けましておめでとう』のメールは、寄越さなくていいからね】

 毎日、ラブリーな期待とスィーツな気分を積み重ねて来た高揚感が、瞬間で瓦解(がかい)して裂(さ)け広がる奈落の奥深くに落ちて行く。フェスタ・クリスマスのハッピーピンク色がダークブルー色へ塗(ぬ)り込められてしまう。

【それに、バレンタインディーのチョコは渡さないからね。義理(ぎり)チョコでもよ。私、今までに、お父(とう)さんとお爺(じい)ちゃん以外に、贈った男の人はいないから】

 来年の、まだ一ヵ月半以上も先のバレンタインディーまで拒否を寄越して来る。お返しの想いを込めたクッキーなどのホワイトディーのプレゼントは、これで渡せなくなってしまった。それでも、家族以外の男の人へあげていないのは救いで希望だった。

(これって、デレなんだよな? 本当にチョコを贈った事が無いのだろうか? デレであってくれーっ!)

 彼女は僕の想いを知っているはずなのに、ワザと弄んでいるのだろうか? もっと他の書きように思い至らなかったのだろうか?

(確かに関係無いかも知れないけれど、これじゃ楽しげなメールに繋ぐことができない)

 これでは、初詣(はつもうで)に誘い御参(おまい)りをして御神籤(おみくじ)を引き御守(おまも)りを交換しあうことは、ずっと、夢のまた夢だ。いつまでも全然、夢から出られない。

 遣る瀬の無い気分のまま迎えた冬休み明けの初日、彼女とは教室の中で擦れ違っても、新年の挨拶や朝の挨拶も交わせなくて、目も合わせてくれない。ダークブルーの気分にブラックが混ざり限り無く暗黒色になって行く。

 一限目が始まる直前に、机の中の携帯電話が震えメールの着信を告げた。

【迎春(げいしゅん)。今年は貴方(あなた)にとって、最良の年でありますように。―私にとっても―。お互い高校受験に向けてがんばろう。同じ高校へ、いっしょに行けるといいね】

(わからない……。彼女が分からない。こんなに好きなのに僕は、彼女が解からない)

 不可解な彼女だけど届いた彼女のメールは、僕のディープブルーにまで深く沈んでいた暗い気分を、深みの底から浮き上がらせて希望に満ちたスカイブルーに変えてくれた。

     *

 終業式の朝、いつもよりも早く、彼女よりも先に教室に着く。

(良かった。彼女は……、まだ来ていない)

 速やかにバックから小さな紙包(かみづつ)みを取り出して、急ぎ、それを彼女の机の奥深くへ入れた。授業の無い今日は、帰りまで机の中を見る事は無いと思うし、早くに気付かれても彼女が教室で大っぴらに包みを開く事も無いと思う。

 僅かに横文字の店名みのが、小さくプリントされただけの素(そ)っ気(け)い無い包みの中には、彼女に使って貰いたい絹(きぬ)のスカーフで包んだ白い小箱が入っている。箱の中身とスカーフは先々週、親父と旅行に行った時に現地で買った彼女への御土産(おみやげ)だ。

 それは街並(まちな)みをレリーフした掌に乗るくらいの写真立てで、レリーフの後のスリットへ写真を挟(はさ)むようになっている。それにしても、少しスリットの幅が広い気がして、別の用途で使うのかも知れないけれど、僕は敢(あ)えてフォトスタンドで使いたい。

 同じ物を二つ買った。一つは彼女が手に取った品で、クリスタルガラスのオブジェと比(くら)べて迷った挙句、彼女は買うのを止めてしまった。それを僕はショーウインドゥ越しに見ていて、彼女が立ち去ると直ぐにそのレリーフを買い求めた。そして今、その品を彼女の机の中にこっそりと入れた。

 もう一つは、彼女が触れたオブジェの隣に有った物だ。それは僕の部屋の机の上に、その時のショーウインドゥ越しに撮った彼女の写真を挿(さ)して置かれている。

 終業式を終え教室での終礼の後、持ち帰り忘れの有無(うむ)を最終確認していた彼女が、空(から)っぽの机の奥へ潜(ひそ)ませた包みに気付いたようすを見せた。

(気付いてくれた……)

 それを見て直ぐに僕は、友人達と連れ立って下校した。

 包みや箱に送り主(ぬし)の名前など全く書かれていなくて、誰が置いたの分らないだろうけれど、中のレリーフを見れば、いつどこに有った物か思い出すはずだ。そして、誰が置いた物なのか知ると思う。

 僕はあの時、彼女がそれを買うのを諦めるのを見て、このサプライズを思い付いた。

 直接、彼女へ渡すのは非常に気不味くなりそうなので止めていた。というか、手渡しする勇気など、全然無かった。

 明日(あす)からの春休みになれば顔を合わせる事が無くなり、サプライズの品を受け取らないにしても直ぐには返品できないだろうと、僕は思う。だから、贈る日を僕と接点を持ちたくなくて拒否しようとする彼女の気持ちを冷静にし、受け取る気持ちへと変えれるかも知れない期間になりそうな春休みの前日、今日の終業式の日を選んだ。

 内心(ないしん)、帰り掛けに彼女が机の中を調べなかったらと心配して、教室の戸口近くで友達の姿越しに見張っていた。そうなれば彼女が教室を出た瞬間、包みを掴んで彼女よりも速く玄関へ行き、彼女の靴箱に包みを入れなければと考えていた。

 そして、その心配が杞憂(きゆう)に済んで良かったと、帰り道、友人達と春休み中の連みを計画しながら、ホッと安堵していた。

(取り敢えず、サプライズは成功だ! どう受け止めるかは、彼女次第だけれど……)

 僕はサプライズが、より良い結果、より良い方向へ導(みちび)くようになって欲しいと切に願う。

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【ありがとう! 貰って良いの? 世界って、意外と狭いよね】

 下校途中に彼女から届いたメールは拒否される心配を余所(よそ)に、あっさりと包みを受け取ってくれる内容だった。予想していた喧嘩腰(けんかごし)に返品される拒否文とは違って、速やかに送られて来た彼女の素直な御礼の言葉だ。

(おおっ、意外と素直だ! ……これは、喜んでいいんだよな?)

 このメールが彼女から送信されて来ただけでも、レリーフを買って良かったと心から思う。雨上がりの青空のように気持ちは晴々(はればれ)して、身体が清々(すがすが)しい透明な大気を照らす暖かな陽差しを浴びたみたいにポカポカして軽い。彼女からの感謝の文字に気持ちが嬉しく弾みながらも、テレ臭い。

【そうかも。でも、けっこう遠い場所だったな】

 彼女の感謝に僕は思い上がったり、馴(な)れ馴れしくなったりした返信はしない。ワザと素っ気無くしてテーマも逸らす。彼女のメールにシンクロさせた文で送っても、どうせ碌(ろく)な結果にならない。きっと返信メールは来ないだろう。

 本当にめちゃめちゃ凄い出逢いだった。初めて行った海外旅行の知りもしなかった観光地で、全くの偶然に彼女を見掛けた。しかも、その国で二度、違う二つの場所で彼女と出逢った! いずれも、直接の接触こそしなかったけれど、運命だとか、前世(ぜんせ)からの因果(いんが)とか、逆らえない強制力だとか、けっして奇跡(きせき)じゃないとか、驚愕(きょうがく)している彼女の真ん前に立ち、強く言って遣りたかった。

 でも、それは敢えてしない。いや、しないのではなくて、彼女の前に立つ勇気や、言って放って遣る勇気が無いだけだ。

(まあ、例え僕に勇気が有って、それができたとしても、彼女は納得しないだろうし、説得されるはずも無いさ)

 そして、デスクトップのオブジェを扱うスペイン広場の店で彼女が手に取り、迷い悩んだ末(すえ)に諦めていたレリーフを渡せただけで、僕の想いは十分に満たされている。

 春休みの間、彼女とはメールを遣り取りする以外に何も無さそうだ。だけど、今と変わらないまま彼女に拒み続けられて新学年でクラスが別々になっても、必ず強く自分をアピールするチャンスを作って親しくなって遣ろうと、僕は考えていた。

 彼女の性格と言葉遣いはともかく、その容姿から告白して来る男子の多いのは知っている。

 今は悉く断っていて、男子の友人はメル友の僕だけの ……それが友人と呼べるのか甚(はなは)だ疑問だけど…… ようだ。

 でも、いつ彼女の思春期の乙女心に火が点(つ)いて、ただのメル友の僕など、あっさりと御払い箱になってしまうか分からない。

 故に、僕の想いは一秒でも早く、彼女を確実に僕の彼女にしなくてはならないと焦っている。

(他の男の女になる前に、僕だけの彼女にしたい!)

 今のままでは、彼女に一定距離に留(とど)め置かれているだけの、わざと近付けないようにされて終わる僕になってしまう。だから、もっと、僕の想いを強く彼女へ響かせて親密な接近になる為に、直接ではない、直接っぽい何かをしなければならないと思う。

 

 ---つづく