遥乃陽 novels

ちょっとだけ体験を入れたオリジナルの創作小説

人生は一回ぽっきり…。過ぎ去った時間は戻せない。

誰? ……幻?(僕 中学一年)第二章 壱 縦書きPhoto

 画用紙に油性サインペンで下書きを描(えが)いて行く。
 後で塗り入れる色の発色を妨(さまた)げないように、少し太目の線で外輪郭を、細い線で中の模様を描き込む。そして、光が当たる明るい部分と影になる暗い部分との境界線を、細く削(けず)り出した鉛筆で薄く入れた。それは、色使いのフラットではっきりした光と影を分ける境(さかい)になる。
 下書きの輪郭線と境界線を描き終わると、線で分けられた範囲に小さく色番号を描き上がりをイメージしながら、色番号表と色範囲を良く確認して慎重に書き込んだ。
 色番号表はプラスチックモデルを塗装する為(ため)に買ったものを使う。
 小さなスケールモデルでは、はっきりとシャドーの暗さとハイライトの明るさを塗り分けると、立体感が増すのはジオラマ作りで分かっている。
 僕は、その技法を水彩画で試(ため)そうとしている。
 指定番号の色を分けられた範囲に落して色境(いろざかい)を暈(ぼか)さずにはっきりさせると、リトグラフのようになりそうだけど試してみたい。
 不透明の水彩絵の具を番号色に合わせてから、水を少なめに濃い感じで塗る。
 光の反射する明るいハイライト部分は白に近い色、他の陽に照らされる部分は、それぞれの明るい色を入れた。
 影になる暗部は、影の重(かさ)なりが増えるに連れて、暗く濃い色へ変化させて行く。
 描いているのは校舎の四階から見た旧校舎だ。
 直(じき)に九月が終わろうとしているのに、秋の気配を全(まった)く感じさせない暑い日が続いて、まだまだ強いその陽射(ひざ)しは、深緑に包まれて聳(そそ)り立つ尖塔の銅板張りの屋根を染(そ)める緑青(ろくしょう)の錆(さ)びを、灰色がかった明るい青緑色に美しく発光させている。
 学校の応援歌にも歌われる尖塔は三尖塔と呼(よ)ばれているけれど、尖塔は両側の二つがどっしりと大きな角錐形(かくすいけい)なのに、真ん中のはとても小さくて尖塔に見えない。
 デザイン的に小さくしたのか、理由は良く分からないけれど、形的には凝(こ)った避雷針のようだ。
(三つとも大きいのだったら、格好良(かっこうい)いのにな……。でも、それはそれで、やっぱり、……ちょっと変かも)
 金沢市の有形文化財指定になっている旧校舎は現在、『金沢くらしの博物館』として民俗文化財の展示に使用されている。
 学校の近くに在る『石川県立歴史博物館』の重厚な建築と共に、僕のお気に入りの建物だ。
 コンクリートやパネル合わせの外壁の箱物建築や、軽めのデザインと浮き過ぎの色使いや、環境的にコーディネートされたガラス張りの建築物などとは違って、十九世紀末の西洋木造建築『金沢くらしの博物館』と、二十世紀初頭に建てられた総赤レンガ造りの『石川県立歴史博物館』には、過去へ馳(は)せる想いと未来を目指す憧(あこが)れのような重みと志(こころざし)を感じている。
 でき上がった絵は、近くから見ると迷彩柄(めいさいがら)か、色覚検査の同色パターンのようだ。でも、少し離れると尖塔の有る屋根と、周囲の木々がはっきりと立体的に見える。
 初めて試した描き方が、狙(ねら)い通りに上手(うま)く行って僕は凄(すご)く嬉(うれ)しい。その予想以上の出来栄(できば)えに、その晩は携帯電話のカメラで撮ったリトグラフみたいな自分の絵をパソコンのディスプレーで観ながら、サイダーの牛乳割りで自分自身の可能性『自分の内なる神』に乾杯した。
 僕は誰の為でもなく、僕自身の満足の為だけに創作している、……はずだった。
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 その絵が廊下の掲示板に張り出されていた。しかも、金色のリボンまで付けて……。
 朝、校舎の玄関に入ると、靴箱の向こうに有る掲示板を十数人の人だかりが囲(かこ)んで張り出された絵を観ていた。
 みんなに僕の作品を観て貰(もら)えるのは嬉しいと思う。どんな評価をされようが悪い気はしない。
 その中の一人の後ろ姿に、内履(うちば)きに履き替えるのも忘れて視線が釘付(くぎづ)けになった。
(見付けた!)
 あの後ろ姿は、先日、教室棟と講堂を繋(つな)ぐ連絡通路で見掛けた女の子だ。
     *
 全校集会が済(す)んで教室へ戻(もど)る途中、クラスで連るんでいる男子達と通路の手洗い場で集まっている時に、視界の隅(すみ)に近くを通り過ぎる彼女が映(うつ)った。
 それは、大勢の生徒の中で彼女の顔だけが光を帯(お)びて輝(かがや)いているように見えて、ドキドキする胸のときめきに見開いた目の瞳(ひとみ)は、通る彼女の横顔と過ぎ去る後ろ姿を追い続けていた。
 薄(う)っすらと微笑(ほほえ)むような優(やさ)しげな顔付きの中に意志(いし)の強そうな感じがする、
 ちょっと可愛(かわい)い顔の子で、知っているような気がするのだけど、誰(だれ)だか思い出せない。
(……気になる。知っている? ……そんな気がする?)
 視線が追い掛けるけど、教室に戻る大勢の生徒の後ろ姿に紛(まぎ)れて、直(す)ぐに分からなくなってしまった。
(どのクラスなのかな? でも背丈(せたけ)と体格からすると上級生かも知れない)
 懐(なつ)かしい風と匂(にお)いを感じた気がした。
(どこかで、同じような感じに触(ふ)れた気がする……)
 それはデジャビュと言われる既視感(きしかん)だと思う。でも、彼女を思い出せない。
(君は、誰?)
 その時から移動の時や集会で、僕は彼女を捜(さが)している。
     *
(くそっ、面倒臭(めんどうくさ)いな! そのままでいいじゃんか!)
 こんな内履きなんか廃止して通学の靴のまま入れるようにすればと思う。
 どうせ教室の床や廊下、玄関周りも掃除するのは生徒達だ。それに体育館を使用する行事には体育の授業で使うスポーツシューズを兼用して履けば良いし、校舎外での運動行事は普段履きのスポーツシューズで登校すれば問題無い。
 大体、こんな面倒な事をさせているのは日本の学校だけじゃないのか? などと、凄く急(いそ)いでいる今も毎日の如(ごと)く考えてしまう自分に苛立(いらだ)ち、踏(ふ)みつけて踵(かかと)の潰(つぶ)れた内履に上手く突っ込めない爪先(つまさき)がもどかしい。
 その彼女が僕の絵を見ていた。
 ドキドキする胸の高鳴りを感じながら、大急ぎで靴(くつ)を内履きに履き替えて廊下に出た。
(いない……)
 掲示板の絵を観ていた彼女は既(すで)にいなくなっていて、僕は慌(あわ)てて辺りを見回した。
 さっと、人集(ひとだか)りを流し見してから廊下に視線を移すと、三つ向こうの教室の前をスキップをしながら彼女は遠ざかって行く。まるで、そのまま舞い上がってしまいそうな、軽く跳(は)ねるような足取りで去って行く。
 鞄(かばん)を抱(かか)えてダッシュした。
 今こそは正面から顔を見て誰か確(たし)かめて遣(や)ろう。
(……跳ねるような軽い足取り……、以前どこかで……)
 スキップする彼女の後ろ姿を見て、また、デジャビュが来た。
 いつかどこかで既に経験した気がするという既視感は、テレビの番組で知った錯覚(さっかく)だ。でも、本当に錯覚なのだろうか?
(この懐かしくて、安らぐ感じは何故(なぜ)? ……やはり僕は彼女を知っている)
 殆(ほとん)ど追い着けないまま、彼女は廊下の角(かど)を曲がって視界から消えてしまった。
 彼女を見失った場所には、階段と女子トイレが在る。二階以上は上級生の教室だ。
 女子トイレから出て来た女子が、立ち尽(つ)くす僕を見て怪訝(けげん)そうに眉(まゆ)を顰(ひそ)めた。
 女子が出た後のトイレから物音一つしなくて静かだ。階上からは、ざわざわと上級生達の声が聞こえて来る。
(上級生なのか……、でも、上級生に知っている人はいないはずなのに……?)
 また幻(まぼろし)のように彼女は消えてしまった。
     *
 あれから彼女を見掛けていない。
 集会などの集まりで移動する際(さい)に、たまに遠くにチラッと見付けても直ぐに見失う。
(彼女を、もっと近くで良く見てみたい。そして、誰なのか、確かめてやりたい)
 僕は考える。彼女を見掛け易くするにはどうすれば良いのかと。
(確か彼女は、靴箱前の廊下の掲示板に、張り出された僕の絵を見ていたな……!)
 彼女は評価を受けた掲示物や展示物に、興味が有るのかも知れない。
(ふつう誰でも、興味が有るのかも知れないけれど……、となれば、また、評価されて展示されればいいんだ)
 考え抜(ぬ)いた挙げ句の単純な結論で、僕は今、紙粘土を捏(こ)ねている。
 今日の美術の授業のテーマはアニマルの彫刻で、紙粘土を使って造形しなければならない。
 僕は教材の紙粘土を使いたくなかった。それはいくら捏ねても粘(ねば)らないし、その癖(くせ)、やたらと指や手にくっついて始末(しまつ)が悪い。
 酢のような臭(にお)いも好きになれない。それに、重くて乾(かわ)きも遅い。
(どうして、こんな身体(からだ)に害が有りそうな安物を使うのだろう? 安物じゃなくても、使う子供達の気分が悪くなりそうだとか、健康を害しそうだとか、考えないのだろうか?)
 教材の選定に疑問を抱(いだ)く。
 だから僕は、不快感を伴(ともな)う扱(あつか)い難(にく)い教材をやめて、市販の凄く軽くて乾きの速い紙粘土を勝手に使う。
 見た目の色や質感は同じで、誰も気付かない。
 針金で繋げる台座は、風に靡(なび)く草原の丘の頂(いただ)きを丸く切り取った感じにした。
 向かい風に頭全体を上に反(そ)らし、大きな角(つの)が有る鼻先をツンと擡(もた)げて、風上から漂(ただよ)う臭いを嗅(か)ぎ分けているようなポーズにする。
 鎧(よろい)のように堅(かた)そうな皮膚を、メッキを施(ほどこ)した金属板風にした。まるで、中世の甲冑(かっちゅう)を纏(まと)った馬の犀(さい)バージョンだ。
 ヒビ割れを修正しながら十分に乾燥させ、黒色のラッカーを塗る。
 思案橋(しあんばし)の金箔(きんぱく)屋で買った金箔と銀箔を一センチメートル角に切り、半乾きの鎧部分に乗せていく。
 乾くと箔が細かく罅割(ひびわ)れて、陶器やガラス製の工芸品風になる。最後に水性クリアスプレーを吹き付けて終わり。
 艶(つや)やかな漆黒(しっこく)に輝く重厚なクロサイ戦士の完成だ。これが僕の見た事も無い黒犀の勝手なイメージ。
(戦士ならウォリアーだな)
『クロサイ・ウォリアー』も、評価をされて展示された。
 だけど、あまりにも現実の動物『犀』から逸脱(いつだつ)した容姿なので、作品名の紙にホチキスで留(と)められたピンクのリボンには、『参考品』と書かれていた。
 逸脱して目立つ作品にした目的は、展示されて、彼女が見に来る事だから、それで構わなかった。
(あれは……!)
 廊下の端(はし)まで離れて掲示板の方を見ていると、又もや、玄関の上がり口に展示された作品を見ている彼女らしき姿を発見した。
 僕は、今度こそと思いを固め、早足で近付いて行く。
 逃がさない思いは、急ぎ彼女へと向かう僕の姿と表情を自然と真剣にさせる。
 途中、自分の教室を過ぎようとする僕に、入り口にいた遊び仲間が声を掛けて来た。
「おい! 恐(こわ)い顔して、どこへ行くんだよ?」
 その声に、急(きゅう)に我に返り恥ずかしさを感じた。一人の女の子を見に行くだけなのに、それに固執(こしつ)する余り、傍目(はため)にも分かるほど真剣で恐(おそ)ろしげな顔になっているらしい。
 僕は行動目的を悟(さと)られまいとして、不本意にも言い訳がましい事を言ってしまった。
「なんでもねぇよ。忘れ物を取りに行くだけだ」
 強張(こわば)った険(けわ)しい顔のまま、友を見る。
「忘れ物は何かなぁ~? どこに忘れたのかなぁ~? 重たい物なんだろうなぁ~。それとも~」
 いつも連るんでいるクラスの仲間達は、僕の行動や関心事に興味を持っていて、良く僕の視線の先を詮索(せんさく)されて問い質(ただ)されていた。
 テレを隠(かく)す僕の睨(にら)みも、無視して来る。
「なんだっていいだろう。やめた! 忘れ物は、もう、どうでもいい……」
 小学校からの親しい友は見透(みす)かしたように、意味深(いみしん)な独(ひと)り言(ごと)で返す。
「ふぅ~ん、忘れ物はもういいのか。でも、気になるんだろ? まだ展示品の前にいるか、見に行けば」
(ふん! やっぱりお見通しだ。こいつは、僕が何をしたいのか、分かっていやがる)
「もう、いいってば!」
 そう言い捨て、教室への入り掛けに玄関方向を見ると、既に彼女らしい女子はいなくなっていた。
 またしても、彼女が誰なのか分からないまま見失ってしまった。次は、いつどこで彼女を見付けられるのだろうか?
 彼女を見掛けるだけで、僕はとても気になりそわそわする。その気持ちは、デジャビュだけじゃなくて、緊張感と圧迫感が有った。
 胸をグッと強く抑(おさ)え込まれて、息が苦しくなるような不快な感じと、大勢の前に出されて血液が耳の後ろをズキズキと頭に昇(のぼ)って行くような、羞恥心(しゅうちしん)の厭(いや)らしさが有った。
 だけど、その時だけの思いで、仲間達からの誘(さそ)いが有ると、忽(たちま)ち気分が軽くて浮かれるような、ふざけた話しや遊びに夢中になって、彼女への探索は忘れ去られてしまう。
 僕は彼女を気には留めていたけれど、まだ、遊び仲間の男子達との楽しい時間を退(の)けるほどの想いじゃない。
 朝早く学校に来て、靴箱の脇で彼女を待(ま)ち伏(ぶ)せた事もある。その時は先に来た友人に見付かって咎(とが)められた。
(あいつの言う通り、ただ見るだけの待ち伏せは、フェアじゃないな。それに変質者っぽいしな……)
 たぶん、防犯カメラにも写っているだろう。それに仲間達以外から見咎(みとが)められたら良くない噂(うわさ)が立ちそうだ。なので、そういうのは、それっきり止(や)めにした。
     *
 後期の真冬日、美術の授業で僕は懲(こ)りもせずに、また、参考品程度の評価しか受けないような石膏彫刻の作品製作に励(はげ)んでいる。
 今回のテーマは海の生物さんだ。
 軟体動物のアメフラシか、深海の古代魚みたいのにしようかと迷ったけれど、マイナーなのもダメだからサメ目(もく)のシュモクザメにする。
 シュモクザメ、別名ハンマーヘッドと呼ばれる獰猛(どうもう)で攻撃的な鮫(さめ)だ。
 頭の形がユニークで、『こんなに目が離れて意味が有るのだろうか?』とか、『どんなふうに世界が見えるのだろうか?』とか、思ってしまう。
 ふつう群(む)れをなすことが多いようだけど、僕は単体で海底近くを高速で獲物(えもの)に急速接近中の姿にしようと考えていた。
 胴体を泳いでいるようにくねらせて、幾つもの鰭(ひれ)は運動力学的な動きの向きに合わせ、それに水の抵抗を受けて撓(しな)っている感じを加えた。
 イメージのラフ絵を基(もと)にアルミ製の太い針金と細い針金を曲げたり、巻き付けたりして骨組みを作る。
 シュモクザメの泳ぐ海の設定は、白い砂地の浅い珊瑚礁のリーフだ。
 海底になるベースの厚めの発泡スチロールの板は、なだらかなうねり付けて表面を削り出してから木工ボンドを厚く塗り付けた。その上に明るい灰色と淡(あわ)い空色に着色した石膏を固まらせた後、粉になるまで砕(くだ)いてから珊瑚の砂に模(も)してたっぷりと振(ふ)り掛けて敷(し)き詰(つ)める。更に指やヘラで波紋を描くように押さえてから、丸一日は乾燥させ固まらせた。
 固まるまでの間にカラフルなパステル調に着色した石膏で、薄い赤や黄や青のアメフラシと淡いピンクと白の縞(しま)模様のエビのミニチュアを作り、シュモクザメを支えて固定する太いアルミ製の針金を通したウエイトに、それらしく石膏を被(かぶ)せて模した海底の岩へ配置する。
 この作品にイメージを逸脱するような塗装はしない。
『クロサイ・ウォリアー』のように素材感を無くしてはダメだ。
 石膏の質感が失われないように、色は水彩絵の具を溶(と)かした水に石膏粉を素早く撒(ま)くように振り落としながら沈めて水面まで積もらせると、着色した石膏を泡立(あわだ)てないように撹拌(かくはん)させて粘ってきたら濡(ぬ)らした包帯を浸(ひた)す。そして、石膏が浸(し)み込んだ包帯を骨組みに巻き付け、その上に石膏を手で塗るようにして盛(も)り付ける。
 シュモクザメの背は明るい曇り空の色、お腹は青みが入った白、背と腹の境界は淡くした青っぽい灰色で暈す。
 支給される教材の石膏は扱い難いので、これも歯科用のを勝手に使った。これは木目細(きめこま)かくて強いのだけど、乾きが速いので段取りを整(ととの)えて行わないと、石膏の固まるスピードに作業が間(ま)に合わなくなって慌ててしまい失敗してしまう。
 表面を石膏が固まる寸前の、まだ、軟(やわ)らかいうちに小さな剣山の針で繰り返し軽く叩(たた)くようにして、粗(あら)い鮫肌のようにする。
 強く叩くと表面が、ごっそりと剥(は)がれてしまうので、気を付けながら素早く且(か)つ繊細(せんさい)に、辛抱強(しんぼうづよ)く行わなければならない神経質な作業だ。
 乾いたらあちこちに削りや修正を加えて、イメージに近い納得が行く造形になると完成だ。僕はイメージ通りになるまで作り込んだりはしない。
 友が言うには、どうも僕の拘(こだわ)りの造り込みは遣り過ぎてしまい、返って歪(いびつ)にしてしまう傾向が有るらしい。
 遣り過ぎると、途中から集中力が切れて、纏まりの無い中途半端(ちゅうとはんぱ)な駄作(ださく)になるとも、観察者の友は言っていた。
『しつこくて、厭らしくなる』とまで言われた。実際、僕も時々そう思うことが有る。今回は仲間達の意見を聞きいれて八分(はちぶ)の拘りで完成だ。
 最後に完成したシュモクザメとベースに、水中を透過する海面の揺(ゆ)らぐ陽光が作るミラーウェーブに見立てて、スプレーガンでウネウネとした細い筋(すじ)模様を薄い白色で描き、シュモクザメが海中で泳いでいる雰囲気にした。
 ほぼ思った通りのイメージで納得の行く作品ができると凄く嬉しい。
 他人の評価などは、もうどうでもよくて、自分自身の評価が高得点で満足するなら、それで良いと思っている。それに、納得できる出来具合なら、作品に込めた思いや意識が観てくれる人にも伝わると思う。それは、作品からオーラのように放たれて観る人達を惹(ひ)き付けるだろう。
 遣り遂(と)げた満足感と開放感は、どこか高い頂きに登り切れたよう感じで、いろんなストレスを打ち消して僕の気分をスカッとさせた。
 僕にとってプラスチックモデル作りや絵描き、それに彫刻や造形などはストレス解消だ。
 確かに不安や焦(あせ)りや我慢からのイラつきが薄れて消えて行き、やがてイメージと目的を持って自分の中に必ず遣り遂げようとする強い意思が、現(あらわ)れているのに気付かされた。だけど、無心にはなれない。
 それは、自分を見詰め直(なお)す時間でもあった。
 他人の言葉や態度と自分の言動、学校や勉強や先生、家族の事、現実のハードルとバーチュアル的なもしもの将来。そして彼女のことなどを考えた。
 自分を見詰め直すというよりも、自分を知ろうとあれこれ思い考えていた。でも、黙々(もくもく)と手を動かしながら出した大抵(たいてい)の結論は、軽率で大雑把(おおざっぱ)で綱渡(つなわた)りのような危(あや)ういもので、とても、その通りにならないし、できない。
 自分の思い通りに製作が進まないと、逆にストレスが溜(た)まった。
 手直しができないほどに、イメージのズレたダサい物ができ上がったら最悪だ! 即行(そっこう)、破壊して可燃ゴミ行きにする。
     *
 美術の授業が終わり、教室を出ようとする僕を先生が呼び止(と)めて言った。
「おまえを美術部の籍に入れた。時々でいいから、参加して何か造れ。どうせ部活は何もしていないのだろう。いいな!」
 その強引で命令的な先生の言い方に、僕は抗(あらが)えなかった。
 担任の先生は、美術の担当教諭で美術部の顧問だった。
 先生はいつも大きな範囲のテーマで……、例(たと)えば絵を画く授業では、絵を描く手法は自由で水墨画やデッサン画でも切り絵や版画やモザイク画でも、もちろん、油絵や水彩画も絵になるのならば、何でもOKだった。描く対象も自由。
 生徒が作ったどんな作品にでも、意義と個性を見い出して真っ当な評価をしてくれた。
 造形や彫刻の授業でも、各自の感性と発想と経験で様々な形に盛り付けたり、彫り込んだりすれば良くて、そんな先生の広くて大きな考え方と感覚が好きになっていた。
「はい…… 時々で良いなら、いいですよ」
 芸術で身を立てる気は無いけれど、美術は好きだ。それに、スカウトされたみたいだったから悪い気はしない。それから中学校を卒業するまで僕は、先生からカンバスに向かってデッサンの指導を受け、表現の種類や技法の特性を教えられながら、粘土と石膏を捏ね繰り回して、造形のテクニックとセンスを習(なら)う。
 美術部の籍に入れられたことで小心な僕は狼狽(うろた)えてしまい、肝心の金色リボンのシュモクザメを彼女が見てくれるのか、小賢(こざか)しく見張るつもりだったのを忘れてしまった。
 奥能登(おくのと)でのオリエンテーション合宿や球技大会やコーラス祭、そして運動会や文化祭でも、それとなく彼女を探していた。
 それらしい女子を見掛けたけれど、近付くチャンスが無いまま見失ったりして、はっきりと見極(みきわ)めれなかった。たった数クラスしかない学年で、女生徒は百人にも満たないのに、彼女が誰だか特定できず、確かに見知っている気がするのに思い出せなかった。
(もしかして、僕は避(さ)けられている ……のか?)
 結局、終業式でも彼女が誰なのか分からず仕舞いで、中学生の初年度は過ぎてしまった。
 明日からの春休みが明ければ、僕達は二年生だ。
(彼女が転校でもしない限り、また、見掛けるチャンスは有るし、きっと、誰だか分かるさ)
 そう、僕は新年度になったら、彼女が誰なのか必ず突き止めて遣ろう考えていた。

 

 つづく

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